
ほぼ全世界において、女の自我の承認というのは、フェミニズムの勃興以降に限ることで、
それ以前は一方的な男の支配下に置かれる奴隷同然の扱いなのが女の常だったから、
女たち自身の個我由来の悪徳などをわざわざ具体的に描き出そうとも思われなかった。
それ故に、フェミニズムやジェンダーフリーが取り入れられている現代においても、
女たち自身の人格性に潜んでいる独自の悪徳というものが未だ十分に直視されず、
性格の悪い女なんてのがいようとも、それもただ男と同レベル以下でしかないとか、
女権の獲得のためにやむなく攻撃的になってたりするだけなのだとか思われる。
女たちに独立して好き勝手やらせてたらろくなことにならないっていうのは、
日本でも欧米の保守層でもそれなりに感付かれていることではあるが、女たちを
一方的な支配下に置くことで、その自我をまともに認めてやろうともして来なかった
近世までの世界規模での怠慢が邪魔をして、未だ十分な断罪を試みることもできない。
古来の日本だけはそれに違い、女の自我というものにもよく焦点を当てて、
それがなぜ夫唱婦随でもなければ悪徳まみれと化してしまうのかを具体的に分析して来た。
中には舌切り雀のように、難解すぎる能の演目などに代わって、子供たちにその内情を
教え伝えて来た昔話まである。それが実は日本独自のものであったことをわきまえ直し、
日本では復興、世界では新規に広められて行くべき文化性として取扱って行くべきなのである。
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