
19世紀末に、欧州で退廃主義のデカダン派などという芸術振興があり、
そこで女たちの容姿を含む美しさ全般を「白痴美」に落とし込もうとする
試みが為されていたりもしたのだけれども、これも欧米の女たちが基本的に
みなカルト信仰で最大級に我執を増長させていたが故の帰結であろう。
当時ごろの女が、凹面鏡に自分が逆さに映っているのを目にして、
「あら、この鏡は上下さかさまに置かれているわ」などと評したのが
有名な逸話として残されていたりもするが、それぐらい頭パーなのが当たり前。
たとえヤク中でなくてもヤク中なみに頭が呆けていてこそ耽美的、という。
「女は馬鹿なぐらいのほうが可愛い」というのは今の日本などでもまま言われることだが、
それは悟りの境地が明鏡止水で、あらゆる思考や言動が精緻を極めるのとは真逆の状態
でもあるわけで、性的な理由でさような状態であることのほうが好まれる女たちが、
仏門などで下に見られて来たのも致し方のないところがあるのである。
ただ、その白痴美的な魅力と引き換えに、我執の増長のせいでの精神不安定に陥り、
やもすればヒスと化したりしてしまう障りをも共に帯びてしまう。そこに十分な
警戒からの予防や抑制を尽くしてやることもまた、女と共に世を営んで行く
俗世の男たちにとっての欠くべからざる責務たるのである。
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