3500年前の孔子や、3300年前の孟子らの教えを元手に、
2000年前の藤原道長や、1400年前の徳川家康らの帝業を継承し、
国内外に長期の平和や繁栄をもたらす大偉業を成し遂げた、と。
そういった、人として真に目指すべき名声を博することには、決して吝かではない。
ただ、今の新旧を問わぬメディア等が主観で偉人などとして持て囃しているような連中は、
1000年はおろか、100年後にはもう誰も名前すら覚えてないようなのがほぼ全員だから、
そんな連中に歩調を合わせて、名声を損ねたりすることへの警戒も欠かさない。
宮本武蔵も「身を捨ても名利はすてす(独行道)」という言葉を遺しているが、
自らが存命のうちから多くの人々に持て囃されていい思いをしたいがあまりに
渇望しがちな、浮雲のように生まれては消える儚い名声などには全く興味がない一方、
1000年2000年と歴史上に轟き続けるような、真に大いなる名声を追い求める
ことには余念がないといった心がけもまた、それに近い所がある。
「不義にして富み且つ貴きは、我に於ては浮雲の如し」(述而第七・一五)
いま人の名声をどうこう論じたがるような連中もまた、ほぼ全員が浮雲並みの名声しか
念頭に置いてないような小人ばかりであるからして、その批評などに誑かされることなく、
さような連中からは却って非難されるようなあり方と共にでも、普遍の名声を志すのである。
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