
近年の政治家の事務所に「至誠」だの「至誠通天」だのといった
揮毫が飾られていたりするのを見ると、思わずへそで茶を沸かしたいような
気分にもさせられるものだけれども、あれも全くの無意味なのではない。
媚米でも媚韓でも媚財でも媚官でも、なんらかの理由で国に損害を
もたらすような、世紀の悪法を通させたりする真似に及んだりしながらも、
糾弾を免れていつまででも与党としての政治活動を続けて行くために、
表向きだけは誠実さの極みのような態度姿勢、言動を尽くそうとする。
そんなもの大して意味がないように一般社会レベルでは思われるけれども、
法治主義国の立法行為に携わっている界隈となると、決して無意味ではない。
司法が罪人の表向きの反省や謝罪で罪を減じたりするぐらいなのだから、
自分たちの振舞いがたとえ失政そのものなのだろうとも、態度が誠実で
さえあれば許されたりするのも当たり前だってことになる。
糾弾する野党側だって立法行為に携わっているのには変わりないから、
それを大前提とせざるを得ない。行いのひどさを上辺の態度で許してもらうとか、
剛毅木訥ゆえに行いと態度を乖離させられない以上に不誠実きわまる姿だが、
糾弾の場が法治主義の一角である以上は、そんなこと構ってられないのだ。
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