「道は二つ、仁か不仁のみ」
(孟子・離婁章句上)
聞いてみれば当たり前に思われるような教条の中でも、
だからといって疎かにすべきではないようなものばかりをあえて
集成しているのが儒説なのだと、すでに固くわきまえている俺から見ても、
上の教条などはあまりにもミニマルすぎて理解が不十分なままであり続けて来たものだが。
やはりこれも、「人間たるもの普遍的にそうでしかあり得ない」という点で
重大な意義を持ち合わせた教えだったのだなと、今の世の人々が、
最大級の背理によって示していることで思い知らされている。
東大理Ⅲの医学部コースが最高難易度の学歴である今の日本において、
国内最上級の知性たちもまたみなそこに大挙して押し寄せているのに違いない
にもかかわらず、その内の誰一人として、現状の医療利権が国の財政を圧迫して
亡国の危機までをも招いていることには、疑問の一つも抱こうとはしない。
知性であれ技能であれ体力であれ、何らかの素養で人並み以上に秀でることが、
ほぼ無条件に良いことだと思い込まれているのが現代社会の実情ではあるが、
そこに天下の公益を心の底から尊ぶ仁慈の志しが具わっているのでなければ
必ずや、その才覚が不仁の所業のために悪用されることとなってしまう。
人が才能の持ち主であることよりも、そこに十分な仁徳が伴って
いることのほうをより重んじるのでなければ、人間社会というものは、
有能さの持て囃しのせいで自滅に陥るようなことにもなりかねないのである。
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