革命の後に、ホリエモンやひろゆきや否定派のような代表的次世代に、
本来、今ぐらいの年齢であれば当然持ち合わせているべきだったような
甲斐性を奪還してもらうにしても、そこで相変わらず一切の礼節を欠いた、
奔放な言動に終始するというのであれば、やはりいけないということにもなるだろう。
おそらくはその時には、旧世代の年寄りたちも大量死に見舞われているのに違いない。
それと引き換えに、一人前以上の社会人としての資格を自分たちが得ることの、
責任の重さを汲み取って、相応に厳粛な振舞いを守ってもらわなければならない。
もちろんそれは、バブル世代が団塊世代に取り入って出世させてもらう時に
弄していたような巧言令色ではなく、故にこそ自分たちよりもさらに下となる世代への、
子愛に基づく礼節もまた必ず兼ね備えねばならず、それに即した人材育成や
権益の譲渡にも熱心に取り組んで行くのでなければならぬ。
いい年になるまで望みもしないのにプータローなみの扱いを受けながら、
いざ大権を得た所で、すぐまた次の次の世代へと譲る用意をしていかねばならないとか、
やはり不条理な人生だったと思われるかもしれないけれども、そこは、
たった2年将軍として君臨しただけで、この世の覇者としての謳歌を切り上げた、
家康公のハードボイルドさにでも倣ってみるべき所であるといえよう。
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