日本には、「生きて虜囚の辱めを受けず」という有名な戦陣訓があります。
文字どおり「捕虜になるくらいなら自決しろ」という意味です。
これが、軍人の玉砕行動のみならず、同調圧力による民間人の集団自決をも惹起したため、
現代の感覚では「いくら戦時中だったとはいえ人命軽視も甚だしい、とんでもない思想だ」
と捉えられてしまうかもしれません。
しかし、このような戦陣訓が作られた背景には、当時のやむにやまれぬ事情があったのです。
話は日清戦争まで遡ります。
この戦争において日本軍が捕らえた清軍兵捕虜は1790名。
日本軍はジュネーブ条約を遵守して捕虜への人道的な扱いを徹底したため、
その多くが日本国内の各寺院に収監され、特に労働を科されることもなく平穏な生活を送り、
講和後には五体満足で本国へ送還されました。
一方、清軍の捕虜となった日本人のうち、生きて帰国できたのはたったの11名。
そのうち10名は軍夫(軍属の雑役夫)だったので、兵士については、何かの間違いで(?)
生かされた「1名」を除けば、捕虜になった者は漏れなく殺されたのです。
しかも、ただ殺すだけではなく、「野蛮で残忍な方法で散々苦しめながら嬲り殺す」
というのが中国人のやり方でした。
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