男子は古代から頭に冠や烏帽子を着用するのが一般的であり、
その中に髪を纏めて入れたため、髪を纏めたのが髷の原型です。
古代には冠などの中に入れるため、上に立てていました。
ただ中世に入り武士の世の中になると、武士たちは、
合戦に際して兜をかぶるために髷を解きました。
また合戦のとき、頭に血が上るといって、頭部の髪を抜きました。
これが月代(さかやき)で、頭部の前面から頭頂の髪を除いたものです。
月代は剃るのでなく抜いたために、戦国時代に来日した宣教師ルイス・フロイスは、
合戦には武士が頭を血だらけにしていると記しています。
中世後期には一般に烏帽子などをかぶらなくなり、髷を後ろに纏めて垂らし、
烏帽子や冠は公家・武士・神職などが儀式に着用する程度になりました。
近世には、月代が庶民にまで広がって剃るのが一般化し、
髷を前にまげて頭の上に置くようになると、丁髷(ちょんまげ)と呼ばれました。
丁髷は明治4年(1871)断髪令が出たのち廃れ、現在では力士などが結うだけです。
返信する