この歳になるとさすがに


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001 2024/08/06(火) 10:52:54 ID:wwET4xt6Po
この歳になるとさすがに、失敗をしたときに「次に活かせる」と思うのは難しくなってきた。
結局、自分はいつまでも自分のままで、自分が陥りがちな思考や行動のパターンからは逃れられない、ということがわかってしまった。

若い頃は、試行錯誤を積み重ねれば、どこかに辿り着くのだと思っていた。いつか、完璧な自分になれるのだと思っていた。
でも、そうじゃなかった。失敗は何かの糧じゃなくて、ただの失敗だった。
自分はどこにも辿り着かず、ずつと中途半端なままで、同じ失敗を繰り返しながら生きていくのだ。

そして、もういい歳になった今でも、現実への現実感のなさは続いている。恥ずかしいから口には出さないけれど、
未だに、これが本当に現実なのか、自分の人生というのはこれで本当に全部なのか、と、常にうつすらと思っている。

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002 2024/08/06(火) 12:08:43 ID:bny2WE2p3.
人は知識量ではなく経験値(則)で決まると思う。

ほとんどの人がある年齢を迎えるとヌシさんのような考え持つはず。

老いと時間はみんな平等、ぶっちゃけ40超えたら頑丈な身体持ってるもん勝ちかと学歴とか容姿とかではなく、頑丈な身体の獲得維持とボケないことに心力を注いだもんがその地域の王様となる

これからの世の中特にね

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003 2024/08/06(火) 12:42:35 ID:hUDRTHkJKc
こんな場末の腐れ掲示板で何を得意げに

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004 2024/08/06(火) 12:45:17 ID:5K4B6rFL0o
失敗を次に活かして成長できるか否かは、ひとえに
その失敗を心から悔いて、「もう二度と同じ過ちは犯さない」
という誓いを断固として立てられるか否かにかかっている。

その執念さえあれば死ぬまで成長を続けて行けるが、
ないようなら若者や成長期の子供でもさしたる成長に与れることがない。

近年、特に中高年のおばさんあたりをたぶらかして講習料を
巻き上げているようなカルト的レディーファースト主義の団体などに、
とにかくあらゆる執念を棄ててのEs ist gut、Let it be、
なんくるないさーでケンチャナヨといった諦めばかりを促して
かかる連中が非常に多く、強情なヒスおばなどがその手の自己啓発の
おかげで心の解放に与れたような気分になって喜びながら、あらゆる
自己向上の余地を失っての自滅に陥るようなことが頻発しているが。

執念自体は人間にとって必要な精神作用であり、特に過ちを次に
活かすような部類の自己向上のためになくてはならないものなのだから、
完全に棄て去るのではなく、ストレスになって苦しめられない程度に
制御しながら持ち合わせて行く心がけこそが真にあって然るべきなのである。

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