失敗を次に活かして成長できるか否かは、ひとえに
その失敗を心から悔いて、「もう二度と同じ過ちは犯さない」
という誓いを断固として立てられるか否かにかかっている。
その執念さえあれば死ぬまで成長を続けて行けるが、
ないようなら若者や成長期の子供でもさしたる成長に与れることがない。
近年、特に中高年のおばさんあたりをたぶらかして講習料を
巻き上げているようなカルト的レディーファースト主義の団体などに、
とにかくあらゆる執念を棄ててのEs ist gut、Let it be、
なんくるないさーでケンチャナヨといった諦めばかりを促して
かかる連中が非常に多く、強情なヒスおばなどがその手の自己啓発の
おかげで心の解放に与れたような気分になって喜びながら、あらゆる
自己向上の余地を失っての自滅に陥るようなことが頻発しているが。
執念自体は人間にとって必要な精神作用であり、特に過ちを次に
活かすような部類の自己向上のためになくてはならないものなのだから、
完全に棄て去るのではなく、ストレスになって苦しめられない程度に
制御しながら持ち合わせて行く心がけこそが真にあって然るべきなのである。
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