わら背負わせ火だるま
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001 2024/08/06(火) 12:08:34 ID:7yDEsFTYUs
日本軍による中国人の家の放火は少なくなかった。
「部隊の指揮官から焼却命令が出ると、放火した」と話すのは歩兵砲中隊の元上等兵。1つの集落にしばらく駐留する場合、中国軍にいつ攻められても対応できるよう、邪魔になる建物は燃やしたという。
「部隊が出発する時、家を焼く。焼かないでおくと、我々の出発後に中国人が集まり、そこを拠点にして後続の友軍部隊に抵抗されると困るから」と、第一大隊の元下士官は説明する。先に火の付いた1メートル以上の棒を軒下に近づけ、屋根に燃え移らせたり、わらくずを家の中に詰め込み、そこへ火を付けたりするやり方だ。当時ほとんどの家は草ぶき屋根、土壁造りの平屋建てだった。放火すると屋根は燃え落ちるが、壁は残った。いぶり燃えるような感じだった。
放火の対象は家だけでなく、中国人住民にも及んだ。
1937年12月の南京侵攻後迎えた正月の朝。部隊が泊まった集落に「土地の人間がいた」として、中国人男女40~50人が集められた。その集落の住民らしかった。子供はいなかった。兵たちは、近くの、川の水が流れていない川底に集落から持ってきたわらを畳み10枚くらいの広さにまき、火を付けた。炎は人の背の高さくらいに上がった。兵は、ここに中国人住民を次々と突き落とした。住民は炎から飛び出してこなかったという。
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002 2024/08/06(火) 12:11:06 ID:7yDEsFTYUs
「周囲には数人の兵が銃剣を持ってい見ていた。火の中から出ても突き刺されると思ったんだろう。だれ一人出てこなかった。今ではどこの集落だったか思い出せないが」。一部始終を見ていた第一大隊の元一等兵はそう語った。
先の元上等兵は戦争中、同じ隊の兵から「かちかち山」の話を聞いた。春先のこと。部隊の馬が食べるわらがなくなったので、使役で使っていた中国人3人を連れた兵が農家へ取りに行った。兵は3人にわらを背負わせ針金で巻き、取れないようにした。兵はタバコを吸い、その火をわらに移した。わらは見る間に燃え上がった。針金だから外せない。3人の中国人は火だるまになり、転げ回って死んだ。使役の中国人の脱走が相次いだため、見せしめのためにやったと話したそうだ。
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003 2024/08/06(火) 12:29:37 ID:ZUo/h3gIkQ
004 2024/08/06(火) 12:32:27 ID:af3uhroYhw
005 2024/08/06(火) 12:57:44 ID:lZEj9YexBg
006 2024/08/06(火) 13:06:03 ID:tJKtewe07w
007 2024/08/06(火) 16:32:14 ID:XMJGag3/qE
008 2024/08/06(火) 19:02:42 ID:TXS2ksb/wA
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