国内外でのポリコレ狂騒曲の激化のほか、
幼稚園の子供の声や、市街に降りてきた熊への駆除に入れられる
苦情など、近年、健全な世の営みをも阻害するような度し難さを
帯びたクレームののさばりがが問題視されるようになってから久しいが。
侮辱罪の強化などで規制が行き届き始めた誹謗中傷など以上に、
十分な抑制が務まらないままでいるのが現状であり、せいぜい営業妨害級の
カスハラへの対策が各企業で試みられたりするに止まっている。
それは、今の日本の体制イデオロギーでもある民主主義が、そういった
末節レベルの人々の声に耳を傾けることを本分としているからでもある。
三波春夫が広めた「お客様は神様です」という流行語も、本来は本人自身の
演歌歌手としての精進の心意気を示した矜持だったのが、いつの間にかカスハラを
正当化する意味合いを帯びてしまったのを、本人の遺族たちも嘆いているようだが。
民草の声に耳を傾けるという民主主義の矜持もまた、ノイジーマイノリティの
クレームばかりを一人歩きさせての迷惑を助長するという弊害を帯びてしまったもの。
民主主義も「お客様は神様です」も、その字面上から、巧言令色的な側面を同時に
帯びてしまっているものだから、そのような弊害の増長をも招かざるを得なかった。
「初めに毛筋ほどもの誤りあれば、後々に千里の過ちとなる(易緯)」という
法則の結果であり、その理想とは裏腹に、理想を実現して行けるだけの、
言辞からの体裁を帯びてはいなかったのである。
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