まず、われら戦後日本人には、産まれる前から致命的な屈辱があった。
日本人全体を劣等民族のイエローモンキーと見下すような外圧の配下におかれ、
徹底的な「出る杭は打つ」の抑圧下での社会的営みだけを許される扱いを受けてきた。
バブル世代以上の旧世代については、それでも金満による気休めで
屈辱を開き直れたオカマ野郎が大多数に上ろうとて、そんな緩和措置もなく、さらには
江戸時代にも大きく劣るような経済的困窮との挟み撃ちにまで見舞われた次世代ともなると、
もはや何一つとしていいとこナシなその扱いから、世の中との関りを絶つ者までもが多発し始めた。
それはそれで、もはや人間扱いでもないような境遇への、適切な対応だったのであり、
屈辱を受け入れての出世を引き換えにした、最低限以上の自主防衛だったのである。
革命前に極刑相当の逃亡犯として山野に潜伏していた劉邦や張良の姿なども、
それ自体を評価できるものではなかろうとて、やはり必要があってのことだった。
今自分たちもそれと似たような苦境下で、しかもこの先に彼らのような成功が必ずしも
期待できるわけでもないが、これもまた同様な歴史の一幕であることを諦観すべきなのである。
返信する