すでに話したことではあるが、近世までの日本などには、
今の中央メディアなみに絶大な名声利権というもの自体がなかった。
歌舞伎の創始者は出雲阿国という女で、当初は女歌舞伎のほうが
正統だったものの、あまりにも人気を集めすぎて風紀を乱すからとて
幕府に禁止され、女役まで全て男が演じる女人禁制の芸能と化したように、
名声利権が肥大化し過ぎることには意図的な制限が敷かれていた。
その上でさらに、将軍大名への不許可の接見はほとんどの一般人が
禁止ともされていたのだから、近年の独裁国家における首領への賛美
のような、名声の一極化が敷かれていたわけでもなく、ただひたすら、
電通や全国放送が司っている規模の広告体制全般が絶無だった。
そんなものには害ばかりがあって益はないと見計らわれていたからこそ、
あり得るものもあえて排し、芸能全般をも河原乞食のタコツボ利権に留めた。
そもそもが人を本名で呼ぶことも不謹慎とされ、字アザナでの呼び合いを
原則とするほど、個人の名声を絶対化することを大元から忌むのが基本だった。
人間社会はそれぐらい、名声利権のプロパガンダ級への肥大化を徹底排除
してかかることで初めて、半永久的な健全さをも獲得できるものなのである。
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