人為的な取り締まりの有無に関わらず、善い行いには善い報いがあり、
悪い行いには悪い報いがあるという、ごく一般的な仏法の真実性を、
ちゃんと法的な処罰を受けている者たち以上に、そんな連中こそが証している。
善い悪いは別に独立した実体のあるものではなく、ただ人間が言語上から
自明に定義しているだけの評価に過ぎない、にもかかわらずではなくだからこそ、
誰しもが不可避に善い、悪いと定義せざるを得ないような行いや事物には、
自然と相応な因果のみが報うという、その法則の正しさこそを証明し続けている。
遺伝子面から、生殖が可能なほどの近似性を持ち合わせている人類という種族同士が、
極端にその善い悪いの定義を相違ならしめられるようなこともなく、大多数の人類に
とっての不可避なる善悪の定義から大きくかけ離れた、逆転の域の善悪などが
普遍的たることもなく、そういう善悪こそを崇め奉ることに執心して来た
某カルトの信者なども、歴史上でも不幸な目にばかり遭い続けて来たものである。
さような顛倒の苦しみを癒してくれる超越者などがいたところで、所詮は麻薬とも
変わりがない存在性であり、始めからそんなものに頼らない所での福利に優ることはない。
故にこそ、そんな連中は来世ぐらいにしか救われようがないという、カルトが信じて
いるようでいながら全く信じてはいない部類の法則までもが、明らかとなり続けているのである。
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