(
>>591の続き)
他者に迷惑をかける侵害行為にこそ生き甲斐を見出しているような人間の心中には、
いつも自ずからの耐え難い苦悩があり、それによるストレスの発散こそを
侵害行為を通じて楽しんでいるものである。
キリスト教徒を含むカルト信者なぞは、顛倒夢想への狂信によって
常日頃からセロトニンやアセチルコリンによる精神安定をひどく損ねているために、
隙あらば暴言暴行などによってオナニーメンタルならではの陶酔を貪ろうとする。
キリスト教の場合は、最初のうちはその暴走意欲が自殺行為にまで頻繁に向けられて
いたために、上座部仏教の剽窃などによって都合よく自殺だけは禁じることとした。
(ショーペンハウアー「聖書に自殺を禁じるような記述はただの一つもない」)
その他にも色々と都合よく聖書非由来な戒律などを捏造して、暴走意欲ありきなカルト支配下ならではの
社会的統制を目論んで来たのがカトリックである一方、結局そんなのはキリスト教本来の自由主義とは
相容れない有り様だからとして、今一度の好き放題を開き直ったのがプロテスタントでもある。
いずれにしろ、所詮は精神不安からの侵害志向が旺盛なカルト信仰であることには
変わりないために、十字軍遠征から大航海時代の植民地侵略に、今に至るまでの
旺盛な侵害傾向を宗派の如何を問わず、国を挙げて持ち越し続けているのには変わりない。
侵害志向がカルト信仰によってブーストされると、そこまでもの災禍を巻き起こすのである。
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