
「それが仕事」とあらば、人はなんでもやる
という今の批判的主題は、第一には嫁のヒモの長期無職だった
列子までもが聖人扱いな道家思想に即しているものだし、
「邦に道あれば則ち仕え、邦に道なければ則ち巻きてこれを懐にすべし」(衛霊公第十五・七)
かつ、仕官を絶ってでも勉学に励み続けていた顔回のような弟子を、
仕官した子路のような弟子よりも孔子が讃えていた儒学の教えにも沿うている。
さような思想哲学が打ち出されていた春秋戦国時代の中国では、
孟嘗君や平原君、春申君のような時の権力者が、
「食客」という名目で多くのならず者たちを引き入れ、
今でも鶏鳴狗盗などと称される、「仕事だから何でもやる」の畜生働きを
させることで世の争乱を激化させていたと「史記」などにもある。
それによる民度の低下も著しく、戦国時代から100年以上の月日がすぎた司馬遷の時代にも、
孟嘗君の根拠地だった薛という地域は、孟子の根拠地だった鄒が賢人の聖地に
なっているのとは裏腹に、陰惨なならず者のたまり場であり続けていたともいう。
「仕事とあらば何でもやる」の遺産なんて、いつの時代もそんなものでしかなく、
この世にもたらす害悪の度合いのほうが、利益よりも多いことでも一貫している。
さような歴史に根差した知見もまたあればこそ、それを批判の対象として見ているのだから、
ただの天邪鬼で反対意見に振り切れてるような連中とは、まったく次元が違うのである。
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