
しかれば、天皇家が万世一系の男系で紡がれて来たのもまた、
「それが伝統だから」などといったドグマ止まりではない、
合理的な理由があってのことだったのも、また知れる。
家を男が継いだり女が継いだりするのでは、あっという間な断絶が免れ得ない上に、
そのせいで、家を守ることを目的とした国の平和や繁栄の維持もままならず、
そこから世の中もひっきりなしの戦乱状態などに陥ることとなってしまうのが、
そういう歴史ばかりを積み重ねて来た西洋社会の実相などを見ても、知れたものである。
だから、男系で家を継いで行くことを国の基礎とすることには、
公益寄与という点で、明らかに合理的な意義があるとも言えるのだけれども。
古来の中国や半島のように、女もまた姓を持ちながら、国で最高位にあたるような
皇帝王公が、家祖もまた男や男神であるような家を男系で継いで行くとなると、
そこに積極的に男尊女卑を推し進めて行くような、不要な差別性までもが付随してしまう。
(その無理が祟って、中朝の帝室や王室も断代を繰り返さざるを得なかったのである)
家ぐるみの男系社会によって国の平和や繁栄を保とうとすれば、
そこで生じてしまいがちな、不必要な域の男女差別を相殺するために、
女に姓を持たせない国の最高位たる天皇家もまた姓を持たず、家祖もまた女神たる。
そこに思考実験の範疇だけでも、自己完結な合理性を認めることが出来、
故に天皇家は男系であればこそ、その有意義さを盤石ならしめることが出来るのだとも知れる。
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