音楽との出会いは早く、4歳の頃、父親が通っていた民謡教室に行ったことがきっかけだった。
10歳で三味線を始める。
デビュー前はビクター少年民謡会の一員として活動。
ビクター少年民謡会としてリリースしたシングルに「ホームラン音頭」がある。
民謡会で『8時だョ!全員集合』に出演した際、その場で所属事務所社長にスカウトされた。
当初は演歌歌手としてデビューする予定であった。
ところが、デビュー曲「雪国」のレコーディングの段階に入ったころ「16歳の長山にはまだ演歌は早すぎる」
との見方が事務所スタッフ達の中で強まった。
急遽路線変更し、1984年4月にアイドル歌手として「春はSA-RA SA-RA」でデビューした。
キャッチフレーズは「ぼくの青春(とき)をとめる、少女がいた」。
NHK総合『レッツゴーヤング』のサンデーズのメンバーとして1985年4月から1986年4月まで活動した。
その後何枚かレコードを発売するも、セールスは伸び悩んだ。
しかし1986年5月、黛ジュンのカバー曲「雲にのりたい」がスマッシュヒット。
同年10月にバナナラマによるヒット曲『ヴィーナス』をカバー。
同曲は翌1987年に掛けてロングヒットとなり、ブレイクを果たした。
アイドル時代に「ヴィーナス」「ユア・マイ・ラヴ」「悲しき恋人たち」「星に願いを/ハートに火をつけて」
「反逆のヒーロー」の5曲がオリコントップ10入りした。
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