
最大限、全力を挙げてのモノづくりに取り組んだ場合の、
質の高さでは日>昔の米欧>中>今の米欧、量の多さでは中>昔の米欧>日>今の米欧とでも
言ったところで、今の米欧と昔の米欧を分けているのは、外界への侵略征服からの植民地支配などで、
大いなる経済的なうま味に与れていたか、それが阻まれ始めているかという違いである。
未だにアメリカは日本、欧州諸国はアフリカ諸国などからの搾取によって
絶大な富を巻き上げてはいるのだが、もはやそのせいで日本は息も絶え絶えの瀕死状態、
アフリカ諸国も欧州よりはまだ好待遇で付き合ってくれる中国やロシアになびいたりで、
国際社会での収奪の自由が阻まれた結果として、米欧のモノづくりの質や量も底辺まで凋落した。
人文系の洋学やカルト信仰が、西洋で少なからず科学技術やモノづくりの振興に貢献する
ように見える時期があったにしても、それは世界規模での侵略支配を正当化推進してくれて、
そのおかげで文明発展の元手となるような富裕を欧米にもたらしてくれるような場合があったから
であるだけでしかなく、さような真似がもはや地球全体で許されない以上は、洋学やカルト信仰も
もう二度と、手段を択ばぬ文明発展の後押し役としての価値を帯びることもない。
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