
昭和末期の、手塚治虫がまだ存命だった頃まで、
アトムのお茶の水博士に代表されるような、
アインシュタインあたりをモデルとした老天才科学者というのが
漫画に限らず日本の創作物には付き物で、今でも一応、
名探偵コナンの阿笠博士などがその名残を止めているものだが。
なんならアインシュタイン自身よりも、
そういった日本人が理想像として空想する科学者像のほうが、
最大級の夢や希望を込められたキャラクター性であったものである。
軍事や武器のような破壊活動にまつわる研究に携わることもあれど、
その本分はあくまで人類の平和や繁栄であることに専念しようとする、
反マッドサイエンティストとしての倫理観の高さの持ち主であるのが
デフォであったうえで、悪役としてのマッド系なども時に現れたりする物語。
そんな志向性が西洋の科学者にないのは、自分たちが史上最悪の大量破壊兵器
の開発の主導者でいながら、女々しい苦悩をまき散らしている姿を描いた
映画「オッペンハイマー」などからも知れる。とにかく面白い研究開発が
できることが第一であり、倫理云々はいつも二の次であるような人種ばかり。
だからこそ至れる境地もまたあろうとて、その成果が人間社会に落とし込まれる
に際しては必ず、日本人が理想像とするような、高い倫理観の持ち主を兼ねた
科学者などからの修正を加えられねばならない。それは結局、科学技術自体よりも、
倫理性の高さやそれによる社会統治を本位として来た者たちのみが可能とするのである。
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