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>>95の続き)
もちろん、平安時の武士の諜報と、戦時中の忍者や現代的なスパイの諜報とは
大いに異なる者同士であり、片や清浄主義の極み、片や汚濁志向の極み
といった位相からの極端な相反までをも帯びているものである。
江戸期に先祖代々目付武士として多くの褒賞を受けて来たわが家のうちで、
相応な武家教育を受けた最後の世代にあたるわが高祖父などは、
倒幕以降の日本社会の世相の汚濁加減全体が受け入れられぬあまりに、
今でも誰でも聞き知ったことはあるような当時の有名政治家などから、
横浜での海軍大将コースの就職先などを斡旋されながらも、それすら断り、
幕藩からの見舞金を元手に金貸しを始めて大失敗した後には山中に籠り、
神主や漢方医や剣術の先生などを細々とやりながら生涯を終えたもの。
その当時に、まさに日露戦争などで諜報員としてあらん限りの活躍を果たしていた
中村天風師などの事績を鑑みれば、敵軍将校の陣営に忍び込んで情報を盗み取るか、
バレたら戦って殺すかの二者択一などという、侵害行為の極みであったもの。
武者修行相手との木刀試合で、木刀で大怪我を負わせるのを避けたいあまりに、
相撲の喉輪のような柔術技で相手を倒したこともあるというわが高祖父の、
他者への危害を極限まで避け抜こうとしていた姿勢などとはまさに真逆の代物で、
そこには「やってはいけないことは絶対にやらない」と「できる限りなんでもやってやれ」
という、行動規範の面からの大逆転が生じていたのである。
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