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>>101の続き)
近現代の日本で、良くも悪しくも最大級に諜報要員としての
活躍を果たしていたこのあたりの人物は、みな武家の血筋なうえに、
吉田茂や左下の四元氏は幕末に御目付役だった家柄でもある。
新選組から戦前末期の舩坂弘あたりまで、戦場でほぼただの猪武者として
最大級に暴れ狂っていたのは百姓の血筋ばかりであったりする一方、
ちゃんと自分の頭を使って戦うことのほうに武家の出は秀でていた。
江戸260年の泰平の世でも彼らが本気で勤めていた武闘は専ら情報戦か、
さもなくば小兵法としての武芸が主であったのだから、ごく自然なこと。
わが高祖父なども近代以降に、さような方面への挺身に臨んだなら、
それなりの功績を挙げたのにも違いないが、さりとて今のような、
最悪の濁世を招くことを防ぎ止められるとまでは行かなかっただろう。
四元氏や田中氏も最晩年に、これからの日本が最悪の闇にのみ込まれるのを
憂う旨の発言をしていたもので、実際、外患カルトからの危害による
国を挙げての衰亡一辺倒という、日本史上最暗黒の時代が招かれた。
武家の情報戦能力というのは、あくまで泰平の招来や堅持にかけて最適化
されて来ているものであるからして、そんな心がけもかなぐり捨てて、
乱世の火事場泥棒であろうとする者が主流たるような時代には、
傍流止まりとして、はかなき抵抗を試みるまででしかあり得なかったのだった。
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