
現代の日本社会などは、仏教を全否定しているわけではないが、
儒学や老荘思想は完全否定の上で、絶対にその実践を許さないような状態にある。
「何もしないでいるよりは善いことをしたほうがいいが、
悪いことをするぐらいなら何もしないでおいたほうがいい」
こんな小学生でもわかるような教えを司っている初歩的な教学である一方、
それにすら逆行するカルトや無宗教のニヒリズムへの、自由主義などを口実とした
保護奨励を打ち出すことで、多少ほどの社会的な実践すら許さないようになっている。
それでも日本人はまだ、古来の教えに司られた精神性の気高さによって、
諸外国人以上に悪業を控えて善業を修めようとする傾向がまだ残存してはいるが、
それはあくまで個々人の自主的な取り組みでしかないために、今以上に
さような良識がすり減ることこそあれど、より増すことなどは決してない。
仏門は儒学や古来の神道以上に、断悪修善をより急進的に実践して行ける宗門であればこそ、
神儒以上に上等ともいえたものだが、そもそも神儒なみ程度にも断悪修善を試みることが
全面的な禁止状態に置かれている現代人からすれば、それ故の仏門のありがたみなどが
理解できるはずもなく、あえて剃髪したりする奇異さばかりが目に留まるのみとなる。
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