●誰よりも死を恐れていた
丹波さんが人生の後半において、のめり込むように霊界の研究や紹介活動に
没頭していった背景には、彼が秘めてきた意外な一面があった。
義隆氏(息子)が語る。
「今になってみると、親父は自由奔放に遊ぶ一方で、実際は誰よりも臆病で、
『死』を怖がっていたんじゃないかと思うのです。
特に親父の母親、僕から見て祖母が亡くなったときくらいから、それが激しくなった。
それまで親父は、『あの世が本当の世で、この世は仮の世に過ぎない。
だから死んだら誕生日みたいにおめでとう、とケーキに蝋燭を立てて
拍手してやらなければいけない』なんてうそぶいていた。
ところがいざ自分の母親が死ぬと、親父は嗚咽して遺体にすがりついた。
とてもじゃないけど拍手して、おめでとうなんて言う余裕はなかった」
死への人一倍の関心と畏れ。
それは丹波さんが戦争を経験していたことと無縁ではないだろう。
丹波さんは中央大法学部2年だった'43年12月、学徒出陣をした。
態度が生意気と思われた丹波さんは、上官たちから連日のように殴られたという。
そして数多くいた同期たちは戦況悪化の中、次々と戦死していった。
航空隊の一員だった丹波さんは、特攻隊員になる可能性もあった。
極限状態の中、「死は怖くない」と自分に言い聞かせ続けなければ、
正気を保つことはできなかった。
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