空海「人はなぜ生まれ、老いて死んでいくのか…」


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001 2026/08/14(金) 23:12:05 ID:OQ79kJ3JYI
人類は未だこの問いに答えを出せていない…。
知らんけど

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002 2026/08/15(土) 00:03:15 ID:/x.KfOqGcU
人に限らんがな

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003 2026/08/15(土) 00:05:10 ID:x6Hg/QXT5s
あんまり知られてないけど空海って火葬されたんだぜ

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004 2026/08/15(土) 05:02:08 ID:6goG2NGDwE
食うかい   

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005 2026/08/15(土) 05:07:21 ID:fifi5Aacx.
坊やだからさ

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006 2026/08/15(土) 06:44:59 ID:j6KjUVoxsg
すべてが錯覚

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007 2026/08/15(土) 07:04:28 ID:0XEHD1UJFA
魔太郎スレだからさ

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008 2026/08/15(土) 07:26:45 ID:dJAYMKe//2
タバコ吸うかい

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009 2026/08/15(土) 07:42:38 ID:cRWjvsl5aM
進化の歴史を遡ると、そもそも生命誕生から約20億年間は「無死」の世界でした。

むろん、事故や他の生物に捕食されて死ぬことは当然ありましたが、
「寿命で死ぬ」という現象はありませんでした。

いわゆる「一倍体」と呼ばれる大腸菌のような生物は、遺伝子のセットをひとつしか持たず、
その遺伝子を複製して二倍にした後に分裂を起こし、それぞれがまた“一倍体”になる…
という増殖の仕方をします。

個体の遺伝子をそのままコピーして、倍、倍、倍と増えてゆく ―― そこには親も子もなく、
死も存在しませんでした。

しかし、今から約15億年前に「二倍体細胞生物」(遺伝子の組み合わせを二つ有する生物)、
すなわち、父親と母親から受け継いだ遺伝子を両方持っている生物が出現し、
それに伴って初めて「寿命による死」という現象が生じました。

つまり、われわれ多細胞生物は、「有性生殖」とセットで「死」を“獲得した”のです。

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010 2026/08/15(土) 07:44:19 ID:cRWjvsl5aM
二倍体細胞生物が生きている間、その生命の元であるDNAは、
紫外線や活性酸素や食物の中の発がん性物質などのストレスによって傷付き、
この傷が時問とともに蓄積されて行きます。

生殖細胞が傷を負うと、それは子孫に引き継がれます。

また、傷付いた古い個体(親)と、傷を受け継いだ子孫が
再び合体する可能性もあります。

すると、集団の中に傷が蓄積される「遺伝的荷重」が起こり、
種が絶滅する可能性が非常に高くなります。

これを安全に回避するためには、長く生きてDNAが傷ついた個体は、
そのDNAを個体ごと抹消するシステムを作っておけば良いわけです。

つまり、再生系と非再生系の体細胞のどちらにも、
「一定の期間が経つと死ねるプログラム」を書き込んでおけば、
遣伝的荷重による種の絶滅を防げます。

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011 2026/08/15(土) 07:46:51 ID:cRWjvsl5aM
こうして、様々な個体の遺伝子をシャッフルすることによる
「多様性(一斉絶滅回避策)」と「進化のスピード(ウイルスの変異への対抗策)」
を得た代わりに、“寿命”がプログラムされて、生殖を終えた個体はいずれ死ぬことが
運命づけられてしまったのです。

それが二倍体細胞生物にとっては種の存続のために不可欠なシステムであるとはいえ、
それぞれの個体にとっては死ぬことは本意ではなく、どこまで行っても悲劇でしかありません。

誰もが「生まれついての死刑囚」であるという残酷な現実。

有性生殖においては、同じ遺伝子の組成をもった個体は二度と生まれてきません。
私たちひとりひとりが、唯一無二のかけがえのない存在なのです。

それなのに、期限が来たら否応なく消去されてしまうとは…。

殊に、生物の中でも ―― これも種の存続のための戦略として ――「爪」や「牙」ではなく
「知能」を発達させたヒトの場合、その代償として、やがて自分に訪れる死を認識して
苦悩したり虚無感を覚えたりするようになってしまいました。

そのため、人類の文化という文化は、「死と折り合いをつける」という問題に
膨大な量の知的努力をつぎ込んできました。

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012 2026/08/15(土) 07:51:12 ID:cRWjvsl5aM
大半の宗教は、死についての手のこんだ嘘を築き上げ、
死を実際とは違うものに見せかけてきました。

そして、哲学の中でもっとも宗教とは縁遠いものでさえ「死が最後には勝利する」
と主張せざるを得なかったので、歪んだものになってしまったのです。

どんな小さな子供にも、死は(個体にとっては)無意味で、不意に起こる、不当な、
言葉にできないほど嫌なものであることはわかります。
だとしたら、その逆を信じることが、高邁な思想の証明になると考えたのでしょう。

作家たちは何世紀もの間、不死人が死に憧れ、「殺してくれ」と懇願するという、
ひとりよがりで禁欲的な寓話を書いて、不死でない自分を慰めてきました。

しかし、死が人生に意味を与えることは決してありません。
つねにそれは正反対でした。
死の持つ厳粛さも、意味深さも、そのすべては、それが終わらせたものから
奪い取ったものです。

生の価値は、つねにすべてが生そのものの中にあるのです ―― それがやがて
失われるからでも、それが儚いからでもなく。

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