>>15 平蔵は父親が京都奉行を務めるほどの人物で親の七光りで登用されたのと
忍足寄せ場を上申して実勢を挙げたけれど平蔵自身が「庶子」だったから
等々、色々と考察すると不思議ではないんだよあ
肉食は幕府公認の流通は彦根藩の牛肉の味噌漬けね、これは毎年将軍に献上もされていたが
あくまでも「クスリ」扱いだったし、庶民はウサギやタヌキやアナグマね
牛や馬は今でいうとフェラーリくらいの価値だったから(運搬に農作業にと)記録にも出てこない
と、話題を戻して、例えば300年ほども昔となると、全ては想像の域を出ないわけよ
ところが昨今は膨大な一次資料が発掘されて、例えば東北の雄だった蒲生氏郷は
「大腸がん」で亡くなったとか、加藤清正は梅毒に加えて肝硬変が死因だったとか
それはそれは研究が進んでいるわけよ
(少なくとも江戸期)の性風俗に関しては蔦屋十兵衛が出版した膨大な出版物から
春画と言われる当時のポルノ画像から、極めつけは市井の僧侶が性風俗の乱れを嘆く日記から
明治以降は、上述の地域では根強く残っていた風習なんだけど、男女混浴を「欧米列強から野蛮人と思われる」
という理由で初代文科相の森有礼が禁止したように(男女混浴がデフォだった歴史も改ざんした)
覆い隠されただけだよ
あんた、この案件を一部の例外なんて言ってると笑われるよ
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