
チンパンの谷での反復横跳び状態な精神性から派生する思考や言動は、
結局のところ何もかもが「儒学への逆行」止まりであり続ける。
そこには何もためになる教えなどはなく、ただひたすら儒学への反目あるのみ。
なればこそ何も尊重する価値がなく、なおかつ儒学の入念な実践にさえ勤めれば、
そのあらゆる目論見を挫いての完全排除を達成することができる。
ただ、女子や小人がチンパンの谷に陥りやすい生き物である上に、
いざ陥ってしまえば止めどなくそこでの反復横跳びによる反人道倫理の増長を
好き好まないではいられない人種である、というのもまた普遍法則であり続ける。
儒学の入念な実践こそが、世の中の恒久的な平和や繁栄の肝心要となる一方で、
それは女子や小人への専らな圧制を伴い、それ故の不平不満を水面下で
募らせての、新たな波乱の呼び水を招くことにもなりかねない。
それ故に、儒学の実践が「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と化して自滅に陥るのを
防ぐための第三者的な視点からの融通もまたあって然るべきであり、その役割を
古来担って来たのが仏門であったり、神道であったりして来たのである。
フェミニズムはもちろんのこと、男女の平等を謳う西洋的な自由主義なども
その役割を果たせた試しはない。儒学とチンパンの谷はどちらかを立てれば
もう一方が立たぬ二律背反の関係にあり、自由主義などはチンパンの谷を立てる側
だから、儒学を立てる側からの融通を図るような教学の代行は務まらないのである。
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