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己が「人を見る目」だけは疑わぬ人々 偉大なる生存の報告 Part308
▼ページ最下部
人間の能力にも色々あるが、中でも、
他者の素質を厳正に見計らい適材適所へと公正に登用する
人事の能力というのは、実際の所、神にも等しい能力の内に入るものである。
ほとんどの人間にはそんな能力はないし、あった所で絶対的とまではいかない。
だからこそ歴史上最高の叡智に数えられる諸葛孔明といえども、
弁舌の才に長けていた寵臣の馬謖を実戦登用しては大敗を喫させて、
やむなく引責死させるような過ちをも犯したのである。
人間という生き物は、無能な愚か者ほど自らを虚飾で塗り固めてまで気に入られたがるものだし、
また能力があった所で、不誠実さのためにそれを善用せず、専ら私欲のために
用いてこの世のお荷物と化するような事にもなりかねないものである。
そのような騙し、怠慢といった障壁を越えて、有能さと誠実さを兼ね備えた才人を
登用する機会に恵まれた所でまだ、こちらの領分を侵すほどの活躍への
嫉妬からの追い落としの誘惑に駆られかねないような危険性がある。
それほどにも、適切な人事の履行には多難が伴うというのに、
何の根拠もなく自らの人を見る目だけは全く疑おうともしない者の、なんと多いこと。
本当なら、諸葛孔明をも上回る眼力で、本物の今孔明と偽孔明を厳格に見分けられる
能力の持ち主だけが選挙などにも行くべきなのだが、それでは誰も行けなくなる
ものだから、誰しもが何となく、自分には人を見る目があるように思い込んでいる。
これこそが、民主主義を頓挫させた大元凶たる集団妄想なのでもある。
他者の素質を厳正に見計らい適材適所へと公正に登用する
人事の能力というのは、実際の所、神にも等しい能力の内に入るものである。
ほとんどの人間にはそんな能力はないし、あった所で絶対的とまではいかない。
だからこそ歴史上最高の叡智に数えられる諸葛孔明といえども、
弁舌の才に長けていた寵臣の馬謖を実戦登用しては大敗を喫させて、
やむなく引責死させるような過ちをも犯したのである。
人間という生き物は、無能な愚か者ほど自らを虚飾で塗り固めてまで気に入られたがるものだし、
また能力があった所で、不誠実さのためにそれを善用せず、専ら私欲のために
用いてこの世のお荷物と化するような事にもなりかねないものである。
そのような騙し、怠慢といった障壁を越えて、有能さと誠実さを兼ね備えた才人を
登用する機会に恵まれた所でまだ、こちらの領分を侵すほどの活躍への
嫉妬からの追い落としの誘惑に駆られかねないような危険性がある。
それほどにも、適切な人事の履行には多難が伴うというのに、
何の根拠もなく自らの人を見る目だけは全く疑おうともしない者の、なんと多いこと。
本当なら、諸葛孔明をも上回る眼力で、本物の今孔明と偽孔明を厳格に見分けられる
能力の持ち主だけが選挙などにも行くべきなのだが、それでは誰も行けなくなる
ものだから、誰しもが何となく、自分には人を見る目があるように思い込んでいる。
これこそが、民主主義を頓挫させた大元凶たる集団妄想なのでもある。
※省略されてます すべて表示...
国民負担率(実績値)62.8%に
https://news.yahoo.co.jp/articles/079cf95364605047270e4...
現日本政府は、そもそも八公二民の苛政を敷いていた薩長を源流としている上に、
分断対立をいいことに格差拡大をほしいままにしている半島のスパイどもの支配下にも
置かれているような有様なのだから、江戸時代を超える重税となるのも必然なことである。
江戸期の幕府領における税率が、軽い時期は四公六民以下、重くて五公五民だったと
言われるけれども、当時の政府たる幕府が豪商、庄屋などではなく平民の味方で
あったが故に、格差拡大を無制限に増長させるような真似も防いでいたことを思えば、
当時の六公四民と比べても、今のほうが平民への実質的負担は大きいといえよう。
(だからこそ平均労働時間が当時の二倍程度と化してしまっているのでもある)
https://news.yahoo.co.jp/articles/079cf95364605047270e4...
現日本政府は、そもそも八公二民の苛政を敷いていた薩長を源流としている上に、
分断対立をいいことに格差拡大をほしいままにしている半島のスパイどもの支配下にも
置かれているような有様なのだから、江戸時代を超える重税となるのも必然なことである。
江戸期の幕府領における税率が、軽い時期は四公六民以下、重くて五公五民だったと
言われるけれども、当時の政府たる幕府が豪商、庄屋などではなく平民の味方で
あったが故に、格差拡大を無制限に増長させるような真似も防いでいたことを思えば、
当時の六公四民と比べても、今のほうが平民への実質的負担は大きいといえよう。
(だからこそ平均労働時間が当時の二倍程度と化してしまっているのでもある)
別に、平民としての立場からものを言っている覚えはないが?
https://news.yahoo.co.jp/articles/484eb90de4d58a96e93bf...
奨学金から遺族年金から失業手当まで、
かけられるものにはなんでも税金かけてやろうとするほどの、
今の日本政府の闇雲な増税スタンスに仁義を見出すような人間はどこにもおるまい。
自分たちは別に、仁者ではない。
仁者でなければならないのは国民たちのほうだというのが、
戦前からの現政府の考え方であって、ある意味では民主主義下の政府らしいあり方でもある。
嫌だったら民主制なんてもの自体をやめて、主権者としての責任を役人にこそを負わせるべき。
現状、どんなに国が傾こうとも、その責任も国民にこそあるのだし、
制度上からの理念に即して、財務官僚なども罪悪感の欠片ほども抱くことはない。
当然、今の政府にそのような為政者として立ち回る能力の持ち主などはいないだろうから、
関係者総入れ替えの必要もまた出てくるだろう。どうせ国一番の国家責任を負わされ通しな
人々が市井にゴマンといるのだから別にそこでの人材不足などに困る危険もないだろうが。
いざ、その立場になったような人間に対しては、国の主権者に対するなりの畏敬を抱いて、
相応な礼節を持って付き合っていくようにもしなければならない。
政治家や官僚を見下してられるのは、あくまで今の内に限るのだと知らねば。
https://news.yahoo.co.jp/articles/484eb90de4d58a96e93bf...
奨学金から遺族年金から失業手当まで、
かけられるものにはなんでも税金かけてやろうとするほどの、
今の日本政府の闇雲な増税スタンスに仁義を見出すような人間はどこにもおるまい。
自分たちは別に、仁者ではない。
仁者でなければならないのは国民たちのほうだというのが、
戦前からの現政府の考え方であって、ある意味では民主主義下の政府らしいあり方でもある。
嫌だったら民主制なんてもの自体をやめて、主権者としての責任を役人にこそを負わせるべき。
現状、どんなに国が傾こうとも、その責任も国民にこそあるのだし、
制度上からの理念に即して、財務官僚なども罪悪感の欠片ほども抱くことはない。
当然、今の政府にそのような為政者として立ち回る能力の持ち主などはいないだろうから、
関係者総入れ替えの必要もまた出てくるだろう。どうせ国一番の国家責任を負わされ通しな
人々が市井にゴマンといるのだから別にそこでの人材不足などに困る危険もないだろうが。
いざ、その立場になったような人間に対しては、国の主権者に対するなりの畏敬を抱いて、
相応な礼節を持って付き合っていくようにもしなければならない。
政治家や官僚を見下してられるのは、あくまで今の内に限るのだと知らねば。
無職ニートという観点から、
現政府の薄情極まる有様と、その被虐下で困窮に喘ぎながらも、
国民主権詐欺のせいで苛政の責任まで負わされている庶民の無様さの、
両方を地獄の亡者たちの忌まわしき醜態として哀れんでいる。
無職ニートもまた、乞食同様の立場として、そうそうには褒められるものでもないが、
濁世の狂乱から一歩も二歩も離れた所での、公平な客観者としての知見を
温められたりもする程度には、現世の渦中にある亡者たちよりもよほど殊勝なもの。
吹けば飛ぶようなはかない立場だなどと蔑む者もいるが、
悪徳経営者どもの不正な人事を保護してやるために不労罪も制定しないでいる、
今の世の中こそがその立場を厳格に保障してくれている身の程でもある。
今の世の社会人が地獄の奴隷なら、こちらは地獄の主人とでもいうべき。
地獄の外側では単なるお地蔵さんだろうとも、亡者たちにとってだけは閻魔なる。
現政府の薄情極まる有様と、その被虐下で困窮に喘ぎながらも、
国民主権詐欺のせいで苛政の責任まで負わされている庶民の無様さの、
両方を地獄の亡者たちの忌まわしき醜態として哀れんでいる。
無職ニートもまた、乞食同様の立場として、そうそうには褒められるものでもないが、
濁世の狂乱から一歩も二歩も離れた所での、公平な客観者としての知見を
温められたりもする程度には、現世の渦中にある亡者たちよりもよほど殊勝なもの。
吹けば飛ぶようなはかない立場だなどと蔑む者もいるが、
悪徳経営者どもの不正な人事を保護してやるために不労罪も制定しないでいる、
今の世の中こそがその立場を厳格に保障してくれている身の程でもある。
今の世の社会人が地獄の奴隷なら、こちらは地獄の主人とでもいうべき。
地獄の外側では単なるお地蔵さんだろうとも、亡者たちにとってだけは閻魔なる。
親の金だが?
赤の他人が自費で飼ってるだけの実子相手に何の文句が?
ナマポ暮らしならまだ文句のつけようもあるかも知れんが、それにしたって、
自分たちの税金でいい思いをしながら国を傾くに任せている主導者である、
政府関係者その他公務員に比べれば、その罪も微々たるものだろう?
でも、その公職者たちを国民主権によって、好き好んで飼っているのが、
今の日本国民である。公職者即自分たちのペットなのだから、飼育責任も、
躾が悪すぎて自分たちを食い殺そうとしている責任も、国民たち自身にある。
そんな無様極まる、納税者を兼ねる一般国民から一歩も二歩も離れた所で、
立場の盤石さと共に客観者でいられるわが身の、なんと幸いで尊いことよ?
赤の他人が自費で飼ってるだけの実子相手に何の文句が?
ナマポ暮らしならまだ文句のつけようもあるかも知れんが、それにしたって、
自分たちの税金でいい思いをしながら国を傾くに任せている主導者である、
政府関係者その他公務員に比べれば、その罪も微々たるものだろう?
でも、その公職者たちを国民主権によって、好き好んで飼っているのが、
今の日本国民である。公職者即自分たちのペットなのだから、飼育責任も、
躾が悪すぎて自分たちを食い殺そうとしている責任も、国民たち自身にある。
そんな無様極まる、納税者を兼ねる一般国民から一歩も二歩も離れた所で、
立場の盤石さと共に客観者でいられるわが身の、なんと幸いで尊いことよ?
公務員を十把一絡げに悪者扱いとか、頭悪過ぎ。
どう考えても職にも就かず社会に逆恨みしてるデブのが罪が深いわ。
どう考えても職にも就かず社会に逆恨みしてるデブのが罪が深いわ。
日本国民「誰の金で食えてると思ってるんだ!」
財務官僚「おまえらの稼ぎだが?」
法務官僚「おまえらが主権者で、すべてはおまえらの責任なのだから」
ネズミ捕り警察「俺らがどんなにろくでもないことをしようが、」
デジタル庁マイナンバー担当「逆にすべきことをしないでいようが、」
税務署「文句ひとつ言わずに、俺らを養うための税金をできる限り多く納めろ」
厚労省いのちの電話「引責自殺? やりたきゃおまえらがやれ。かけて来ても無駄だから」
これ全部文面通りに受け入れてんだから、ほんとおまえらは優しいよなあ。^^
嫌口も所詮は口先止まりで、実の子を養ってるだけな俺の親なんか比べ物にもならんお人よしさよ。
(もちろん俺の親も納税者だが、次世代の我が子を養うという大義があってのやむなくだから)
財務官僚「おまえらの稼ぎだが?」
法務官僚「おまえらが主権者で、すべてはおまえらの責任なのだから」
ネズミ捕り警察「俺らがどんなにろくでもないことをしようが、」
デジタル庁マイナンバー担当「逆にすべきことをしないでいようが、」
税務署「文句ひとつ言わずに、俺らを養うための税金をできる限り多く納めろ」
厚労省いのちの電話「引責自殺? やりたきゃおまえらがやれ。かけて来ても無駄だから」
これ全部文面通りに受け入れてんだから、ほんとおまえらは優しいよなあ。^^
嫌口も所詮は口先止まりで、実の子を養ってるだけな俺の親なんか比べ物にもならんお人よしさよ。
(もちろん俺の親も納税者だが、次世代の我が子を養うという大義があってのやむなくだから)
さっき見た夢。
おそらく朝ドラのらんまんから想起した夢で、
自分が槙野みたいな辣腕学者として才能を発揮し、
オクラに似た作物の生産効率向上の研究で、
ある種の食糧危機をも解決するほどの大成果を挙げている。
それは研究所全体を盛り立てるほどもの業績ではあるが、
他の競争相手にあたるような研究所の連中にとっては、
自分たちの相対的な地位の低迷を招くものであるために、
そいつらからと思しき嫌がらせが日夜繰り返されることとなった。
脅迫文の送り付けぐらいは茶飯事で、
研究所に乗り込んできて施設を破壊して来たり、
挙句には俺への襲撃を試みてくるような者すらもがいる。
件の朝ドラにはそこまで凶悪な連中はいないが、
舞台は近未来の日本で、治安がアメリカの貧困地区なみに悪化し、
警察も大量殺人事件が起きるのでもなければ全く動こうともしないために、
明らかに犯罪級の嫌がらせ行為なども全く制止できるめどが立たない。
おそらく朝ドラのらんまんから想起した夢で、
自分が槙野みたいな辣腕学者として才能を発揮し、
オクラに似た作物の生産効率向上の研究で、
ある種の食糧危機をも解決するほどの大成果を挙げている。
それは研究所全体を盛り立てるほどもの業績ではあるが、
他の競争相手にあたるような研究所の連中にとっては、
自分たちの相対的な地位の低迷を招くものであるために、
そいつらからと思しき嫌がらせが日夜繰り返されることとなった。
脅迫文の送り付けぐらいは茶飯事で、
研究所に乗り込んできて施設を破壊して来たり、
挙句には俺への襲撃を試みてくるような者すらもがいる。
件の朝ドラにはそこまで凶悪な連中はいないが、
舞台は近未来の日本で、治安がアメリカの貧困地区なみに悪化し、
警察も大量殺人事件が起きるのでもなければ全く動こうともしないために、
明らかに犯罪級の嫌がらせ行為なども全く制止できるめどが立たない。
俺はどこかの誰かみたいな女に「何もかも投げ出してしまいたい」と嘆く。
夢はそこまでで終わったのだけれども、実際に投げ出してるのが現実の自分だな。
今、牧野みたいな無学歴の男がどんなに才能があった所で、東大級の研究施設で
受け入れられることもなければ、公正な学術研究が政争よりも尊重される
ようなこともない、夢よりももう少し治安がマシなだけ程度の現社会で、
無暗に世に打って出るよりは、何もかも投げ出しての雌伏に徹している。
牧野富太郎だって現代ならそうするしかなかっただろう。
以て、名声を博することも、妻子を得るようなこともなし。
真っ直ぐなものほど歪んだ鏡には必ず曲がって映ろうが、だからといって、
鏡の歪みに合わせて自分を曲げてまで、真っ直ぐに見せようとも思わんのだ。
夢はそこまでで終わったのだけれども、実際に投げ出してるのが現実の自分だな。
今、牧野みたいな無学歴の男がどんなに才能があった所で、東大級の研究施設で
受け入れられることもなければ、公正な学術研究が政争よりも尊重される
ようなこともない、夢よりももう少し治安がマシなだけ程度の現社会で、
無暗に世に打って出るよりは、何もかも投げ出しての雌伏に徹している。
牧野富太郎だって現代ならそうするしかなかっただろう。
以て、名声を博することも、妻子を得るようなこともなし。
真っ直ぐなものほど歪んだ鏡には必ず曲がって映ろうが、だからといって、
鏡の歪みに合わせて自分を曲げてまで、真っ直ぐに見せようとも思わんのだ。
山上烈士による大業の成就にしたって、
(本能寺の変同様「偉業」かどうかには賛否あるが、「大業」であるのには違いない)
いったいどこの誰が、あのようなやり方によって、
日本国民へのカルト洗脳支配に亀裂が入れられるなどと事前に予想できただろうか?
金丸暗殺未遂の時のように、せいぜい奇声を挙げながら襲撃してくるのが関の山だと
警察も決め込んでいたものだから、囁き声一つ唱えることなく発せられた銃弾に
まったく即応ができなくて、二発目まで許しての祈願の遂行に与したのだった。
酔狂ではなく、任務遂行のためにあえて、誰しもの意表を突くような奇計と共に
歴史も変えられて行く。ゆえに「大用現前、軌則を存ぜず」(碧巌録)ともいう。
この事件の手口もまたすでに既知となったから、真似した所で岸田への暗殺未遂
のように失敗するだろうし、成功したところでその程度の試みである以上は、
悪党中の悪党まで絶対に逃がさず仕留めるほどの大業たり得ることはないだろう。
誰にもしたり顔で「計算通りw」などとは言わせない、
前代未聞の驚愕のみが、次の世をも招くのである。
(本能寺の変同様「偉業」かどうかには賛否あるが、「大業」であるのには違いない)
いったいどこの誰が、あのようなやり方によって、
日本国民へのカルト洗脳支配に亀裂が入れられるなどと事前に予想できただろうか?
金丸暗殺未遂の時のように、せいぜい奇声を挙げながら襲撃してくるのが関の山だと
警察も決め込んでいたものだから、囁き声一つ唱えることなく発せられた銃弾に
まったく即応ができなくて、二発目まで許しての祈願の遂行に与したのだった。
酔狂ではなく、任務遂行のためにあえて、誰しもの意表を突くような奇計と共に
歴史も変えられて行く。ゆえに「大用現前、軌則を存ぜず」(碧巌録)ともいう。
この事件の手口もまたすでに既知となったから、真似した所で岸田への暗殺未遂
のように失敗するだろうし、成功したところでその程度の試みである以上は、
悪党中の悪党まで絶対に逃がさず仕留めるほどの大業たり得ることはないだろう。
誰にもしたり顔で「計算通りw」などとは言わせない、
前代未聞の驚愕のみが、次の世をも招くのである。
自分から何かをすべき立場にはないから、自分からは何もしない。
自分以外の誰かがどうかしたに応じて、何かをすることぐらいならある、のみだが?
無論、事実無根の誹謗中傷に乗せられて何かをする、なんてこともないが。
自分以外の誰かがどうかしたに応じて、何かをすることぐらいならある、のみだが?
無論、事実無根の誹謗中傷に乗せられて何かをする、なんてこともないが。
https://video.twimg.com/ext_tw_video/16836710073102622...
知らない、俺じゃない、あいつがやったことのオンパレードからの引責辞任。
言動が全く矛盾している点では、ジャニー喜多川の性犯罪なんか知らないと言いながら、
「御恩とご縁があるから」となぜか擁護を始めた山下達郎にも通ずるものがある。
70過ぎで体もボロボロ、薬一つやめただけでも即死するようなところを、どうにか気力だけで
生き抜いているような年寄りが精神的にもへし折られようものなら、あとは死ぬしかないから。
見るに醜悪な自己破綻の言動を晒すのだろうとも、他にやりようがないというのが実情である。
無論、今の時代は老若男女にかかわらず、善政を望みながら悪政の大家に投票したり、
大谷のキャプ翼体型に憧れながらダイエットで鶴太郎のコケシ体型を目指したりといった、
自己破綻含みの振る舞いに及んでいる衆愚がそこら中に溢れ返っている世なものだから、
「木を隠すなら森の中」で、自分たちの恥さらし加減をカモフラージュできる恩恵もまたある。
大体が、今このタイミングでのビッグモーターへの大摘発キャンペーン自体が、日本政府の
大増税攻勢から衆目を逸らさせるための人身御供だったりもするのだろうし、どこもかしこもが
腐敗の七色変化を繰り広げながら腐臭をより強からしめているというばかりのことである。
要は、部分の汚濁が全体にとっての氷山の一角に過ぎないことをわきまえるべきなのである。
知らない、俺じゃない、あいつがやったことのオンパレードからの引責辞任。
言動が全く矛盾している点では、ジャニー喜多川の性犯罪なんか知らないと言いながら、
「御恩とご縁があるから」となぜか擁護を始めた山下達郎にも通ずるものがある。
70過ぎで体もボロボロ、薬一つやめただけでも即死するようなところを、どうにか気力だけで
生き抜いているような年寄りが精神的にもへし折られようものなら、あとは死ぬしかないから。
見るに醜悪な自己破綻の言動を晒すのだろうとも、他にやりようがないというのが実情である。
無論、今の時代は老若男女にかかわらず、善政を望みながら悪政の大家に投票したり、
大谷のキャプ翼体型に憧れながらダイエットで鶴太郎のコケシ体型を目指したりといった、
自己破綻含みの振る舞いに及んでいる衆愚がそこら中に溢れ返っている世なものだから、
「木を隠すなら森の中」で、自分たちの恥さらし加減をカモフラージュできる恩恵もまたある。
大体が、今このタイミングでのビッグモーターへの大摘発キャンペーン自体が、日本政府の
大増税攻勢から衆目を逸らさせるための人身御供だったりもするのだろうし、どこもかしこもが
腐敗の七色変化を繰り広げながら腐臭をより強からしめているというばかりのことである。
要は、部分の汚濁が全体にとっての氷山の一角に過ぎないことをわきまえるべきなのである。
[YouTubeで再生]
そろそろ限界で逃散を始めたようなので、スレの主題にでも戻るか。
一般大衆に「人を見る目」なんかがまともに具わるわけがない理由については
>>1を含め、すでに相当数書き連ねて来たけれども、また一つ見つけたのでそれも記しとく。
ーーたとえば俺も、おまえらや自分自身の近親からも、アメリカ嫌いの日本好き、
西洋嫌いの東洋好き、キリスト教嫌いの仏教好きだなどとレッテルを貼られることが
よくあるが、自分個人としては、特別にどちらが好きだ嫌いだなどという感傷はない。
日本の伝統文化や仏教を高く評価してはいるけれども、古武術などにも贋物は多いし、
仏門にもろくに教義を実践もできてないような人間が多いのもわかっている。
中国やインドが古来から聖賢の徳治によって絶大な人口力を育んできたことに賛辞を
送ったりもしていたが、それにしたって共産主義みたいな劣悪なイデオロギーを掲げたまま
でいる今の中共や、仏教廃絶以降にカースト制の大差別を強化させて来たインドまで味噌糞に
評価するものではなく、親の七光りを振りかざすドラ息子然とした姿には辟易も抱かされている。
キリスト教は人類史上最大のカルトだとやはり思うけれども、そんなものが生じざるを
得なかった事情や、イエスの自暴自棄に駆られた言動などにも大いに同情を抱かされるもの。
そろそろ限界で逃散を始めたようなので、スレの主題にでも戻るか。
一般大衆に「人を見る目」なんかがまともに具わるわけがない理由については
>>1を含め、すでに相当数書き連ねて来たけれども、また一つ見つけたのでそれも記しとく。
ーーたとえば俺も、おまえらや自分自身の近親からも、アメリカ嫌いの日本好き、
西洋嫌いの東洋好き、キリスト教嫌いの仏教好きだなどとレッテルを貼られることが
よくあるが、自分個人としては、特別にどちらが好きだ嫌いだなどという感傷はない。
日本の伝統文化や仏教を高く評価してはいるけれども、古武術などにも贋物は多いし、
仏門にもろくに教義を実践もできてないような人間が多いのもわかっている。
中国やインドが古来から聖賢の徳治によって絶大な人口力を育んできたことに賛辞を
送ったりもしていたが、それにしたって共産主義みたいな劣悪なイデオロギーを掲げたまま
でいる今の中共や、仏教廃絶以降にカースト制の大差別を強化させて来たインドまで味噌糞に
評価するものではなく、親の七光りを振りかざすドラ息子然とした姿には辟易も抱かされている。
キリスト教は人類史上最大のカルトだとやはり思うけれども、そんなものが生じざるを
得なかった事情や、イエスの自暴自棄に駆られた言動などにも大いに同情を抱かされるもの。
[YouTubeで再生]
アメリカの国家規模での様態はやはり悪の帝国そのものだとは思うが、その中でも黒人主導の
音楽文化などに特に光るものがあったし、侵略戦争のために悪用されるような事が多々ある
にしても、連中が開発した近代兵器の精緻さなどにも素直に感心させられる所が多い。
日本にもアメリカにも、東洋にも西洋にも、仏教にもキリスト教にも、
評価すべきところもあれば批判すべきところもあるというのが実際の所であって、
一概にどちらばかりが完璧、もう一方は何もかも一切ダメなんてことはない。
それを重々わきまえた中正の境地にあろうとしているのが俺自身でもあるのだが。
一方を全肯定してもう一方は全否定するような一つ覚えに心が囚われている上に、
現状、どちらかといえば日本嫌いのアメリカ好き、東洋嫌いの西洋好き、
仏教嫌いのキリスト教好きで自分たちがいるものだから、そんな自分たちの
観点からすれば、俺などもその逆であるかのように見えてしまうのである。
要は、自分たち自身が歪んだ鏡であるせいで、真っ直ぐなものも歪んで見える状態。
自分たち自身が偏った価値観の持ち主なせいで、逆の価値観の持ち主を敵視するだけでなく、
中正な価値観の持ち主も逆だなどと決めつけて敵のうちに入れてしまう。そんな人間が
自力で庸徳の持ち主を見定めて、選挙で投票したりすることもまた、やはり能わないわけである。
アメリカの国家規模での様態はやはり悪の帝国そのものだとは思うが、その中でも黒人主導の
音楽文化などに特に光るものがあったし、侵略戦争のために悪用されるような事が多々ある
にしても、連中が開発した近代兵器の精緻さなどにも素直に感心させられる所が多い。
日本にもアメリカにも、東洋にも西洋にも、仏教にもキリスト教にも、
評価すべきところもあれば批判すべきところもあるというのが実際の所であって、
一概にどちらばかりが完璧、もう一方は何もかも一切ダメなんてことはない。
それを重々わきまえた中正の境地にあろうとしているのが俺自身でもあるのだが。
一方を全肯定してもう一方は全否定するような一つ覚えに心が囚われている上に、
現状、どちらかといえば日本嫌いのアメリカ好き、東洋嫌いの西洋好き、
仏教嫌いのキリスト教好きで自分たちがいるものだから、そんな自分たちの
観点からすれば、俺などもその逆であるかのように見えてしまうのである。
要は、自分たち自身が歪んだ鏡であるせいで、真っ直ぐなものも歪んで見える状態。
自分たち自身が偏った価値観の持ち主なせいで、逆の価値観の持ち主を敵視するだけでなく、
中正な価値観の持ち主も逆だなどと決めつけて敵のうちに入れてしまう。そんな人間が
自力で庸徳の持ち主を見定めて、選挙で投票したりすることもまた、やはり能わないわけである。
ด้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้ (・∀・) ด็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็ ด้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้ (・∀・) ด็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็ ด้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้ (^ρ^) ด็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็
今の日本人などは、もはや大多数が精神の均衡を欠いた状態で、
真性のADHDやASDとまで行かずとも、少なからずそれに近い、
仮性のADHD系やASD系に陥ってしまっているのが常態ともなっている。
ASD系の男がキモメン、チー牛弱男などとして卑しまれたり、
ADHD系の男が粗暴さのせいでネット炎上の火種と化したりもするのだが、
大多数の人間が軽度だろうともどちらかに帰属してしまっているがために、
中庸の境地から双方を両成敗に処しての、着実な克服の指針を示せるような者もいない。
辛うじて俺なども、中庸に適った精神性の持ち主だったらしい戦前世代の故人との
付き合いの記憶があるのだが(古流の師範など)、その性格をつぶさに思い返してみるに、
庸徳の持ち主ならではの性格的な色合いなどは、特になかったように思われる。
戦争を経験した世代ならではの気の強さなどはもちろんあったのだが、それだけなら、
総じてADHD系だらけな団塊世代などにもあるし、何ならもっとひどいぐらいである。
学のない団塊などよりもはるかに精密にものを考えられる繊細さも持ち合わせてはいたが、
それだけなら戦後世代のASD系な陰キャ、オタクの部類などにも見られるものである。
真性のADHDやASDとまで行かずとも、少なからずそれに近い、
仮性のADHD系やASD系に陥ってしまっているのが常態ともなっている。
ASD系の男がキモメン、チー牛弱男などとして卑しまれたり、
ADHD系の男が粗暴さのせいでネット炎上の火種と化したりもするのだが、
大多数の人間が軽度だろうともどちらかに帰属してしまっているがために、
中庸の境地から双方を両成敗に処しての、着実な克服の指針を示せるような者もいない。
辛うじて俺なども、中庸に適った精神性の持ち主だったらしい戦前世代の故人との
付き合いの記憶があるのだが(古流の師範など)、その性格をつぶさに思い返してみるに、
庸徳の持ち主ならではの性格的な色合いなどは、特になかったように思われる。
戦争を経験した世代ならではの気の強さなどはもちろんあったのだが、それだけなら、
総じてADHD系だらけな団塊世代などにもあるし、何ならもっとひどいぐらいである。
学のない団塊などよりもはるかに精密にものを考えられる繊細さも持ち合わせてはいたが、
それだけなら戦後世代のASD系な陰キャ、オタクの部類などにも見られるものである。
熾烈さと繊細さ、両方を持ち合わせながらどちらにも偏ってはいないその姿は、
総じて特別な色味を帯びているようなところは別段ない一方で、自分自身が
ADHD系であるような人間からすればASD系に偏っているように見えるし、
逆にASD系であるような人間からは相対的にADHD系に見えてしまう。
性格上のどぎつい色合いというもの自体が、精神の均衡を欠いた人間ならではの特色で
あるがために、それを庸徳の持ち主に期待したところで無駄だし、逆に期待してはいけない。
そのどぎつさを求めること自体が精神の不均衡を強要するのとも同義なのだから、してはならない。
そして、性格上の特色のどぎつさなどに囚われることなく、ADHD系にもASD系にも
偏らない中正さの確立者こそを見定めて行く。それは結局、自分自身もそこに近づいて
行くのでなければ務まらないことだし、無理ならまずは己が至らなさをわきまえるべきなのである。
総じて特別な色味を帯びているようなところは別段ない一方で、自分自身が
ADHD系であるような人間からすればASD系に偏っているように見えるし、
逆にASD系であるような人間からは相対的にADHD系に見えてしまう。
性格上のどぎつい色合いというもの自体が、精神の均衡を欠いた人間ならではの特色で
あるがために、それを庸徳の持ち主に期待したところで無駄だし、逆に期待してはいけない。
そのどぎつさを求めること自体が精神の不均衡を強要するのとも同義なのだから、してはならない。
そして、性格上の特色のどぎつさなどに囚われることなく、ADHD系にもASD系にも
偏らない中正さの確立者こそを見定めて行く。それは結局、自分自身もそこに近づいて
行くのでなければ務まらないことだし、無理ならまずは己が至らなさをわきまえるべきなのである。
まだ使えるなら、こっちに留まるだけなんだよなあ。
次スレはあの通りで。
次スレはあの通りで。
だからおじいちゃん、その情熱を睡眠につぎ込みなよ?
ほとんど大多数の人間の精神状態がADHD系やASD系に偏ってしまっている以上は、
どちらにも偏らない中庸な精神性の確立者などは実在しないもののように扱われ、仮に現れた所で
ADHD系からはASD側、ASD系からはADHD側のレッテルを貼られて片づけられるのが関の山となる。
情緒障害系や、精神病質系への精神状態の偏りもまた同様な事態を招きがちであり、
特に西洋では長らく、人間の性格といえばこのうちのどちらかであるのが典型だと考えられて来たために、
両者を「天使と悪魔」や「白痴と悪霊(ドストエフスキー)」などと呼びならわしての、
そうであるなりのあるべき姿ばかりが模索され続けて来たのである。
東洋においては、ADHD系にもASD系にも、情緒障害系にも精神病質系にも偏らない中正さこそが、
儒家の中庸や、仏門の中道のような理念を基としながら尊重や追求されて来たのだけれども、
これらもまた微妙不可思議で計り知りがたいものであるのには違いないが故に、オッカムの剃刀のごとき
怠慢を決め込むことなく、理解しがたいものこそを尊んで目指して行くことが重んじられていたのである。
どちらにも偏らない中庸な精神性の確立者などは実在しないもののように扱われ、仮に現れた所で
ADHD系からはASD側、ASD系からはADHD側のレッテルを貼られて片づけられるのが関の山となる。
情緒障害系や、精神病質系への精神状態の偏りもまた同様な事態を招きがちであり、
特に西洋では長らく、人間の性格といえばこのうちのどちらかであるのが典型だと考えられて来たために、
両者を「天使と悪魔」や「白痴と悪霊(ドストエフスキー)」などと呼びならわしての、
そうであるなりのあるべき姿ばかりが模索され続けて来たのである。
東洋においては、ADHD系にもASD系にも、情緒障害系にも精神病質系にも偏らない中正さこそが、
儒家の中庸や、仏門の中道のような理念を基としながら尊重や追求されて来たのだけれども、
これらもまた微妙不可思議で計り知りがたいものであるのには違いないが故に、オッカムの剃刀のごとき
怠慢を決め込むことなく、理解しがたいものこそを尊んで目指して行くことが重んじられていたのである。
中正の庸徳が篤く尊ばれていた頃の東洋諸国などにおいてですら、
大半の一般庶民はその価値を自力で理解まではできないがために、
微妙不可思議な仏の知恵を理解不能なままに他力本願で尊べという
念仏の嗜みなぞが、一種の方便として広く講じられていたのである。
そのような手管もおおむね排除されて、中正であることの偉大さなど
上から下まで忘れ去って久しい現代においては、ADHD系かASD系か、
情緒障害系か精神病質系かの両極ばかりに振り切れる悪癖もまた天下万人へと行き渡り、
人間なんてその程度でしかあり得ないと決め込んでの侮蔑合戦もまた激化している。
さような世相においては、当然同じ穴の狢しか権力の座に上ることもない。
仮に今ウクライナ戦争の大元凶となっているプーチンを精神病質系の狂人として
糾弾して忌み嫌ったりしたところで、そこに対抗しようとする側もまた、
「あっちが精神病質系ならこっちは情緒障害系で」となってしまい、
ウクライナ側へのクラスター爆弾の供与で憎悪の連鎖をさらに
激化させるような真似しかできないままに終わる。
大半の一般庶民はその価値を自力で理解まではできないがために、
微妙不可思議な仏の知恵を理解不能なままに他力本願で尊べという
念仏の嗜みなぞが、一種の方便として広く講じられていたのである。
そのような手管もおおむね排除されて、中正であることの偉大さなど
上から下まで忘れ去って久しい現代においては、ADHD系かASD系か、
情緒障害系か精神病質系かの両極ばかりに振り切れる悪癖もまた天下万人へと行き渡り、
人間なんてその程度でしかあり得ないと決め込んでの侮蔑合戦もまた激化している。
さような世相においては、当然同じ穴の狢しか権力の座に上ることもない。
仮に今ウクライナ戦争の大元凶となっているプーチンを精神病質系の狂人として
糾弾して忌み嫌ったりしたところで、そこに対抗しようとする側もまた、
「あっちが精神病質系ならこっちは情緒障害系で」となってしまい、
ウクライナ側へのクラスター爆弾の供与で憎悪の連鎖をさらに
激化させるような真似しかできないままに終わる。
笠幕府を開く為には、あげまんの女性を娶る必要がある
オレが笠にオススメするのは小室佳代か韓鶴子
オレが笠にオススメするのは小室佳代か韓鶴子
統一自民だ電通だジャニーズだビッグモーターだのといった、
一部の大組織の腐敗をどんなに糾弾してみたところで、それらもまた
中正の庸徳を他力本願に尊ぶことすらできない思い上がりに駆られた、
現代日本人全てにとっての身から出た錆に過ぎないのだから、現状のままでは、
不祥事の発覚した組織を潰してもまた似たようなのが現れるいたちごっこしか期待できない。
山下達郎がKYにジャニー喜多川を擁護していたのも、その心中には、
「みんなやってたことだろうが」という不満があったのかもしれない。
男が体を売って権力に取り入る「佞幸」も東洋では紀元前から確認されている悪癖である上に、
仏門による清廉主義の流布の疎かな時代には何度でもぶり返して来たような代物。
近年の日本では各種大企業はおろか、警察組織あたりまで似たような真似を内輪で
やらかしているようだし、ジャニーズ一つの摘発などで全てが収まるなどとは到底考えられない。
一部の大組織の腐敗をどんなに糾弾してみたところで、それらもまた
中正の庸徳を他力本願に尊ぶことすらできない思い上がりに駆られた、
現代日本人全てにとっての身から出た錆に過ぎないのだから、現状のままでは、
不祥事の発覚した組織を潰してもまた似たようなのが現れるいたちごっこしか期待できない。
山下達郎がKYにジャニー喜多川を擁護していたのも、その心中には、
「みんなやってたことだろうが」という不満があったのかもしれない。
男が体を売って権力に取り入る「佞幸」も東洋では紀元前から確認されている悪癖である上に、
仏門による清廉主義の流布の疎かな時代には何度でもぶり返して来たような代物。
近年の日本では各種大企業はおろか、警察組織あたりまで似たような真似を内輪で
やらかしているようだし、ジャニーズ一つの摘発などで全てが収まるなどとは到底考えられない。
ビッグモーターのごときブラック体質の企業もまた本当は日本中に蔓延していて、
ただちょっとヤンチャが過ぎたぐらいのことに過ぎず、ビグモが解体されたらされたで、
またどこか別の企業が同レベルの親玉へと成り代わるだけであるのにも違いないだろう。
さような各種腐敗の大元締めとなって来た統一自民もまた、中正さへの尊重を欠いた
今の愚民にとっての最善を尽くして来たことには変わりなく、仮に別物に挿げ替えられた所で、
現国民の嗜好に合わせるようなら二の轍、三の轍を踏むだろうにも違いない。
なんなら、カルトによる侵食を許すような所まで含めて、同じ過ちを繰り返すことだろう。
自分たち自身がその域に留まるような相手しか評価もできない分際のままでいるのだし、これ以上に
自明な自業自得などあり得ない現状の限界を以て、自分たち自身の限界とも思い知るべきなのである。
ただちょっとヤンチャが過ぎたぐらいのことに過ぎず、ビグモが解体されたらされたで、
またどこか別の企業が同レベルの親玉へと成り代わるだけであるのにも違いないだろう。
さような各種腐敗の大元締めとなって来た統一自民もまた、中正さへの尊重を欠いた
今の愚民にとっての最善を尽くして来たことには変わりなく、仮に別物に挿げ替えられた所で、
現国民の嗜好に合わせるようなら二の轍、三の轍を踏むだろうにも違いない。
なんなら、カルトによる侵食を許すような所まで含めて、同じ過ちを繰り返すことだろう。
自分たち自身がその域に留まるような相手しか評価もできない分際のままでいるのだし、これ以上に
自明な自業自得などあり得ない現状の限界を以て、自分たち自身の限界とも思い知るべきなのである。
ここまで、主に日本の一般民衆の見識の低さを論って来たけれども、
それでも日本国民の民度は今でも世界トップ級であるのには違いないし、
だからこそどこかの他国民を見習えばいいなんてこともないのである。
もうしばらく前から、主に欧米側からの焚き付けで、
海洋プラスチック汚染の問題などが取り沙汰されているけれども、
そこから「なるべくプラスチック製品を使わないようにしよう」という
論調に直結しているのは、多くの日本人が飛躍に過ぎて不本意に感じている所でもある。
必要なのは、プラ製品を使わないことではなく、ポイ捨てをしないことである。
誰しもが適切に処理することで、海洋へと流出する廃棄物の量を減らしすらすれば
いいことなのに、日本以外の世界中のほとんどの人間はそこにまで考えが及ばず、
ポイ捨てありきでのプラ製品利用の低減のほうばかりを問題にしている。
これだけ見ても、日本人の民度こそが世界でも突出している確かな証拠になっているし、
だからこそ他国の誰かを見習いさえすれば、自分たちの至らなさが
補えるなどと考えるべきでもないのだが。
ただ、自分たちの身の程をよくわきまえる系統の賢明さを今よりも多く持ち合わせていた
昔の日本人などから見れば、おそらく今の日本人などは、平気でポイ捨てする外人並みの
人種として映るだろうにも違いないから、人の振り見て我が振り直せではあるといえる。
もちろん、そんな連中に倣ってのレジ袋有料化みたいな真似なんかは論外なわけだがな。
それでも日本国民の民度は今でも世界トップ級であるのには違いないし、
だからこそどこかの他国民を見習えばいいなんてこともないのである。
もうしばらく前から、主に欧米側からの焚き付けで、
海洋プラスチック汚染の問題などが取り沙汰されているけれども、
そこから「なるべくプラスチック製品を使わないようにしよう」という
論調に直結しているのは、多くの日本人が飛躍に過ぎて不本意に感じている所でもある。
必要なのは、プラ製品を使わないことではなく、ポイ捨てをしないことである。
誰しもが適切に処理することで、海洋へと流出する廃棄物の量を減らしすらすれば
いいことなのに、日本以外の世界中のほとんどの人間はそこにまで考えが及ばず、
ポイ捨てありきでのプラ製品利用の低減のほうばかりを問題にしている。
これだけ見ても、日本人の民度こそが世界でも突出している確かな証拠になっているし、
だからこそ他国の誰かを見習いさえすれば、自分たちの至らなさが
補えるなどと考えるべきでもないのだが。
ただ、自分たちの身の程をよくわきまえる系統の賢明さを今よりも多く持ち合わせていた
昔の日本人などから見れば、おそらく今の日本人などは、平気でポイ捨てする外人並みの
人種として映るだろうにも違いないから、人の振り見て我が振り直せではあるといえる。
もちろん、そんな連中に倣ってのレジ袋有料化みたいな真似なんかは論外なわけだがな。
民主政にしたって、日本人はまだ自分たちが選挙で代表と認めた相手が
失政や不祥事の総合商社状態でいることに自責の念を抱いてる場合があるが
(自民支持者かつカルト支配発覚後の俺の親父などもその一人である)、
欧米の民主主義国の民衆などはそうでもなく、自分たちもまた投票者でいながら、
自分たちと政府を敵対項で捉えての暴動に及ぶような真似も繰り返している。
元より、そういう人間のいるフランスやアメリカ等のほうが民主主義の本場でもあるし、
それほどにも、自分たちの自己破綻加減に気づかないままでいられるような脳足りん達が
幻想に幻想を重ねてでっち上げたのが民主主義であるのだともわきまえるべきなのである。
フランス革命以前までは、仁義なきキリスト教圏ならではの横暴きわまる王政が
欧州中の人々を苦しめ抜いていたものだから、そこから民主化のごとき試みによって、
世相が改善されることが期待されたのにもそれなりの妥当性があったといえるが。
すでに民主制が実施されて、政治責任の国民への丸投げが行き届いて後にも、
自分たちを苦しめるような苛政ばかりが繰り返されているとすれば、そうれはもう、
自分たちの責任なのだから、大いに自責の念に駆られて苦悩するのが嫌なら、あとは
主権を為政者たち自身に返上しての、引責自殺級の責任制と共なる治政を要求するしかない。
失政や不祥事の総合商社状態でいることに自責の念を抱いてる場合があるが
(自民支持者かつカルト支配発覚後の俺の親父などもその一人である)、
欧米の民主主義国の民衆などはそうでもなく、自分たちもまた投票者でいながら、
自分たちと政府を敵対項で捉えての暴動に及ぶような真似も繰り返している。
元より、そういう人間のいるフランスやアメリカ等のほうが民主主義の本場でもあるし、
それほどにも、自分たちの自己破綻加減に気づかないままでいられるような脳足りん達が
幻想に幻想を重ねてでっち上げたのが民主主義であるのだともわきまえるべきなのである。
フランス革命以前までは、仁義なきキリスト教圏ならではの横暴きわまる王政が
欧州中の人々を苦しめ抜いていたものだから、そこから民主化のごとき試みによって、
世相が改善されることが期待されたのにもそれなりの妥当性があったといえるが。
すでに民主制が実施されて、政治責任の国民への丸投げが行き届いて後にも、
自分たちを苦しめるような苛政ばかりが繰り返されているとすれば、そうれはもう、
自分たちの責任なのだから、大いに自責の念に駆られて苦悩するのが嫌なら、あとは
主権を為政者たち自身に返上しての、引責自殺級の責任制と共なる治政を要求するしかない。
そこでなお、為政者たちがまともに政治責任も負わないでの苛政を恣にしたりするようなら、
その時にこそ、今一度の革命によって権力者を断頭台送りにする大義名分が立つことにもなる。
民主化によって、むしろ人々は本当に暴力革命で体制をやり直して行く権限を奪われてしまった。
米仏の憲法などでは一応その権利が保障されてはいるが、所詮はすでに民主化が済んだという
体裁の下での政治なのだから、そこに体制転覆級に盾突く者は「民主主義の敵」呼ばわりの
レッテルを貼られて世の多くを敵に回し、革命も失敗に終わらせることしかできないままに終わる。
民主主義で行き詰った世の中を打開するために必要となるのは、さらなる民主化などではなく、
一端は主権を為政者に返上した上での様子見であり、そこで事態が改善されなかったり、
より悪化したりするようならば革命による転覆も可であることを保証することこそが、
民主主義的な志向性と共に、これ以上に世の中を好転させられる唯一の手段ともなるだろう。
それは結局、「わが治政に問題があれば誰なりかまわず入れ替わるべし」との誓約と共に
天下を握った、かつての徳川などともそう変わることのない政治体制ともなるわけだが。
その時にこそ、今一度の革命によって権力者を断頭台送りにする大義名分が立つことにもなる。
民主化によって、むしろ人々は本当に暴力革命で体制をやり直して行く権限を奪われてしまった。
米仏の憲法などでは一応その権利が保障されてはいるが、所詮はすでに民主化が済んだという
体裁の下での政治なのだから、そこに体制転覆級に盾突く者は「民主主義の敵」呼ばわりの
レッテルを貼られて世の多くを敵に回し、革命も失敗に終わらせることしかできないままに終わる。
民主主義で行き詰った世の中を打開するために必要となるのは、さらなる民主化などではなく、
一端は主権を為政者に返上した上での様子見であり、そこで事態が改善されなかったり、
より悪化したりするようならば革命による転覆も可であることを保証することこそが、
民主主義的な志向性と共に、これ以上に世の中を好転させられる唯一の手段ともなるだろう。
それは結局、「わが治政に問題があれば誰なりかまわず入れ替わるべし」との誓約と共に
天下を握った、かつての徳川などともそう変わることのない政治体制ともなるわけだが。
ああ、吾れこそは民主主義という、現状、全世界共通の理念に疑義を唱える者。
旧西側諸国のみならず、西側からは民主主義の仇敵扱いをされている
中国やロシアや朝魚羊民主主義人民共和国もまた、
理念としての民主主義までをも否定しているわけではなく、ただ、
全世界規模での最終的な民主主義の達成のための手段として、最初は自由化ではなく、
専制や共産化から始めて行くアプローチでいるだけのことである。
民主主義そのものまで否定しているわけではないから、体裁程度の選挙もやっている。
ただ、それが完全な八百長か、選挙資金の山積等による緩やかな八百長のフィルターを
かけているかが違うだけで、どちらも既得権益への優遇を加味させていることにも変わりはない。
俺が民主主義そのものに苦言を呈しているからといって、
中露や北の味方なんてことも全くなくて、むしろ米露中韓北その他、今の国際社会で
横暴をほしいままにしている連中や、その不甲斐ない手下としての日本などの、
現代社会の汚濁全てを相手取っての物言い以外の何物でもないのである。
旧西側諸国のみならず、西側からは民主主義の仇敵扱いをされている
中国やロシアや朝魚羊民主主義人民共和国もまた、
理念としての民主主義までをも否定しているわけではなく、ただ、
全世界規模での最終的な民主主義の達成のための手段として、最初は自由化ではなく、
専制や共産化から始めて行くアプローチでいるだけのことである。
民主主義そのものまで否定しているわけではないから、体裁程度の選挙もやっている。
ただ、それが完全な八百長か、選挙資金の山積等による緩やかな八百長のフィルターを
かけているかが違うだけで、どちらも既得権益への優遇を加味させていることにも変わりはない。
俺が民主主義そのものに苦言を呈しているからといって、
中露や北の味方なんてことも全くなくて、むしろ米露中韓北その他、今の国際社会で
横暴をほしいままにしている連中や、その不甲斐ない手下としての日本などの、
現代社会の汚濁全てを相手取っての物言い以外の何物でもないのである。
民主主義も「絵に描いた餅」らしいというのが、西側の民衆も多少程度に感じて
いることではあるが、さすがに理念として間違っているとまでは考えることもない。
そもそもが「民は神の主なり」(左伝・桓公六年)のように、
古代の封建時代の主君といえども、民意の主上とまで見なすべき重大さを認めるような
発言をしてはいるのだが、ただやはり法定上の国民主権までをも認めていたわけではない。
同様に、古代どころか近世まで、女の社会的主権なども世界的に認められていなかったわけだが、
だからといって女たちを徹底的な圧制下ばかりに置いていたわけではなく、特に日本などにおいては、
アマテラス信仰の功徳などもあって、家内における女房の主体性をよく重んずるような風潮があった。
いることではあるが、さすがに理念として間違っているとまでは考えることもない。
そもそもが「民は神の主なり」(左伝・桓公六年)のように、
古代の封建時代の主君といえども、民意の主上とまで見なすべき重大さを認めるような
発言をしてはいるのだが、ただやはり法定上の国民主権までをも認めていたわけではない。
同様に、古代どころか近世まで、女の社会的主権なども世界的に認められていなかったわけだが、
だからといって女たちを徹底的な圧制下ばかりに置いていたわけではなく、特に日本などにおいては、
アマテラス信仰の功徳などもあって、家内における女房の主体性をよく重んずるような風潮があった。
それと同じように、国民主権などない時代なりに、君子士人が民意を重んじて主たる理念に据えるような
こともまたいくらでもあったわけで、それもまた民主制ではなくとも、民主的であったのには違いない。
民主制はそうではなく、民衆こそが国家の主権を法定上から掌握するというのが要点であり、
たとえ国民の飼い犬扱いとなった政治家がどんなにひどい政治を行おうとも、それが民主主義の
体裁に反しているというわけではないし、ただその責任もまた国民にあるというだけのことである。
民主的であるということと、民主主義や民主制であるということは全く同一ではなく、
むしろ民主主義や民主制のほうが実現されることで、非民主的な苛政が助長されることまでもがある。
そもそも絵に描いた餅ですらない、犬の糞が中に詰まった実物の餅とでも呼ぶべきものを
好き好んで食しているのが今の民主主義者たちであるが故に、その根本から認めようがないのである。
こともまたいくらでもあったわけで、それもまた民主制ではなくとも、民主的であったのには違いない。
民主制はそうではなく、民衆こそが国家の主権を法定上から掌握するというのが要点であり、
たとえ国民の飼い犬扱いとなった政治家がどんなにひどい政治を行おうとも、それが民主主義の
体裁に反しているというわけではないし、ただその責任もまた国民にあるというだけのことである。
民主的であるということと、民主主義や民主制であるということは全く同一ではなく、
むしろ民主主義や民主制のほうが実現されることで、非民主的な苛政が助長されることまでもがある。
そもそも絵に描いた餅ですらない、犬の糞が中に詰まった実物の餅とでも呼ぶべきものを
好き好んで食しているのが今の民主主義者たちであるが故に、その根本から認めようがないのである。
政治が民主的(国民の利益を主としている)であるのは、
封建制が主たる政治体制だった太古の昔から一つの理想とされて来たことだが。
その手段を国民主権とするのは、あまりにも無理がありすぎることから、
古代中国でそのような政治体制を提言した墨家もまた、絶滅の道を辿らざるを得なかった。
さらには、そもそも「民主」たる理念を殊更に言葉として掲げようとすることまでもが、
民主性の「絵に描いた餅」化を避けるために、さほど推奨されないことすらもがあった。
「民は神の主なり」(左伝・桓公六年)という、世界最古の民主性にまつわる言葉を述べた
斉の桓公もまた、国力の強大さと引き換えに民を虐げるような苛政を敷いた最原初の覇権主義的な
王侯だったことから、孟子も「五覇(桓公含む)は三王(にとって)の罪人なり」(告子上)
という言葉で、古来の仁政を汚したその罪深さを糾弾していたのだった。
「大道廃れて仁義あり」という老子の言葉も、よく儒家思想全般を非難する言葉として
取り上げられることがあるけれども、そもそも孔孟のごとき儒者は大道を廃れさせた張本人ではない。
まさに自分たちこそが民に利する大道を廃れさせておきながら、民を尊ぶような美辞麗句だけは唱えていた
桓公の如き為政者こそはまさにその主体であり、近年の政治家などもまた多くがこれに該当するもの。
封建制が主たる政治体制だった太古の昔から一つの理想とされて来たことだが。
その手段を国民主権とするのは、あまりにも無理がありすぎることから、
古代中国でそのような政治体制を提言した墨家もまた、絶滅の道を辿らざるを得なかった。
さらには、そもそも「民主」たる理念を殊更に言葉として掲げようとすることまでもが、
民主性の「絵に描いた餅」化を避けるために、さほど推奨されないことすらもがあった。
「民は神の主なり」(左伝・桓公六年)という、世界最古の民主性にまつわる言葉を述べた
斉の桓公もまた、国力の強大さと引き換えに民を虐げるような苛政を敷いた最原初の覇権主義的な
王侯だったことから、孟子も「五覇(桓公含む)は三王(にとって)の罪人なり」(告子上)
という言葉で、古来の仁政を汚したその罪深さを糾弾していたのだった。
「大道廃れて仁義あり」という老子の言葉も、よく儒家思想全般を非難する言葉として
取り上げられることがあるけれども、そもそも孔孟のごとき儒者は大道を廃れさせた張本人ではない。
まさに自分たちこそが民に利する大道を廃れさせておきながら、民を尊ぶような美辞麗句だけは唱えていた
桓公の如き為政者こそはまさにその主体であり、近年の政治家などもまた多くがこれに該当するもの。
政治に民主性なんてなくなってしまったような時代にこそ、民主などという理念が高々と掲げられる
こともあるというのが老子の見解であり、それは体制が民主制か封建制か、その他の専制かなどにも
関わることはない。ただ、民主制であるようなら、すでに政治責任はすべて一般国民にあるのだから、
これ以上革命による民主化などで政治が改善される可能性もないという違いがあるだけである。
民主制以外の、政治責任が為政者たち自身にある体制においても、民主などという理念をあえて
掲げるような為政者こそが本当に仁政を実践する可能性が高いなんてこともなく、それは今の
朝魚羊民主主義人民共和国の圧政極まる有様などを見ても容易に察せられることである。
政治責任を為政者たちが担っている非民主制である上に、為政者も別に民主だなんだと
美辞麗句を垂れ流して済ませたりはせず、むしろ自分たちと民衆の利害を厳密に一致させる
運命共同体化を確立させた上で、自分たち自身が満足かどうかのほうを問題にするぐらいの所にこそ、
口先だけの巧言令色などでは済ませない、最大級の仁政が実現されて行くものであるというのが、
今までの人類の歴史を見ても普遍的であることが認められる法則なのである。
こともあるというのが老子の見解であり、それは体制が民主制か封建制か、その他の専制かなどにも
関わることはない。ただ、民主制であるようなら、すでに政治責任はすべて一般国民にあるのだから、
これ以上革命による民主化などで政治が改善される可能性もないという違いがあるだけである。
民主制以外の、政治責任が為政者たち自身にある体制においても、民主などという理念をあえて
掲げるような為政者こそが本当に仁政を実践する可能性が高いなんてこともなく、それは今の
朝魚羊民主主義人民共和国の圧政極まる有様などを見ても容易に察せられることである。
政治責任を為政者たちが担っている非民主制である上に、為政者も別に民主だなんだと
美辞麗句を垂れ流して済ませたりはせず、むしろ自分たちと民衆の利害を厳密に一致させる
運命共同体化を確立させた上で、自分たち自身が満足かどうかのほうを問題にするぐらいの所にこそ、
口先だけの巧言令色などでは済ませない、最大級の仁政が実現されて行くものであるというのが、
今までの人類の歴史を見ても普遍的であることが認められる法則なのである。
斉の桓公や北の金王朝のごとき非民主制国家の支配者が、
民を虐げる圧政を敷きながら口先だけの民主を掲げているようなら、
その民主こそは「絵に描いた餅」に該当することとなる。
すでに民主制が敷かれ、最底辺の一般国民にまで公正(とされるよう)な
選挙での投票権が付与されているにもかかわらず、このスレに書いて来た
ような諸々の原因によって圧政が蔓延る事態が招かれていたとすれば、
そんな国の人間は、絵に描いた餅ではなく、一応、実物の餅を食べてはいるものの、
中にたんまりと犬の糞が練り込められた餅を食わされている状態とでも言うべき所である。
よく、衆愚政治化した民主制を正当化する言い分として、
「それでも民主制が一番マシな政治体制であることには変わりないから」
という論理が掲げられるけれども、そのマシである真の根拠こそは、
「絵に描いた餅ではない、実物の餅としての民主の享受が保証されているから」
であるのにも違いないのである。
しかし、民を虐げる苛政の禁止までもが保証されているわけではないが故に、
その餅の中に犬の糞が練り込められるようなことにもなり、最悪の場合には、
どでかい犬糞の塊に薄皮一枚程度の餅がコーティングされたような代物とも化してしまう。
それでも、あくまで民主制こそは最もマシな政治体制である場合があるとすれば、
民主制以外の体制は100%苛政でしかあり得ない、犬糞の純塊でしかない場合に限るといえる。
民を虐げる圧政を敷きながら口先だけの民主を掲げているようなら、
その民主こそは「絵に描いた餅」に該当することとなる。
すでに民主制が敷かれ、最底辺の一般国民にまで公正(とされるよう)な
選挙での投票権が付与されているにもかかわらず、このスレに書いて来た
ような諸々の原因によって圧政が蔓延る事態が招かれていたとすれば、
そんな国の人間は、絵に描いた餅ではなく、一応、実物の餅を食べてはいるものの、
中にたんまりと犬の糞が練り込められた餅を食わされている状態とでも言うべき所である。
よく、衆愚政治化した民主制を正当化する言い分として、
「それでも民主制が一番マシな政治体制であることには変わりないから」
という論理が掲げられるけれども、そのマシである真の根拠こそは、
「絵に描いた餅ではない、実物の餅としての民主の享受が保証されているから」
であるのにも違いないのである。
しかし、民を虐げる苛政の禁止までもが保証されているわけではないが故に、
その餅の中に犬の糞が練り込められるようなことにもなり、最悪の場合には、
どでかい犬糞の塊に薄皮一枚程度の餅がコーティングされたような代物とも化してしまう。
それでも、あくまで民主制こそは最もマシな政治体制である場合があるとすれば、
民主制以外の体制は100%苛政でしかあり得ない、犬糞の純塊でしかない場合に限るといえる。
今の中露や北など見てみれば、そのように思われるかもしれないが、
ムバラク政権による長期独裁が敷かれていたエジプトが、「アラブの春」なる
民主化革命によってかえって荒廃してしまったように、非民主制のほうが
善政とまで行かずとも、まだ苛政から遠い政治を執り行うようなことがいくらでもある。
軍事政権による封建制という、ガチガチの専制だった江戸期の日本のほうが、
税率でも所得格差でも平均労働時間でも、今よりもずっと民を厚遇していたように、
民主なんてものが理念として掲げられることもなかったような時代の政権のほうが、
主権ある為政者としての責任意識に駆られての、民主的な治政に取り組むという実例もある。
そんな実例がほぼ皆無に等しいのは、それこそ、民主主義というイデオロギーの
発祥地である西洋諸国ぐらいのもので、民主化以前には大地主の代表としての王族が、
世界史上最大のカルトであるキリスト教団やユダヤ政商とつるんでの
暴政をほしいままにするのがデフォであったがために、薄皮一枚程度の餅に該当する
民主制という体裁が、苛政という犬糞にコーティングされるだけでも満足という、
極めて程度の低い望みばかりに全てが集約されることとなったのである。
ムバラク政権による長期独裁が敷かれていたエジプトが、「アラブの春」なる
民主化革命によってかえって荒廃してしまったように、非民主制のほうが
善政とまで行かずとも、まだ苛政から遠い政治を執り行うようなことがいくらでもある。
軍事政権による封建制という、ガチガチの専制だった江戸期の日本のほうが、
税率でも所得格差でも平均労働時間でも、今よりもずっと民を厚遇していたように、
民主なんてものが理念として掲げられることもなかったような時代の政権のほうが、
主権ある為政者としての責任意識に駆られての、民主的な治政に取り組むという実例もある。
そんな実例がほぼ皆無に等しいのは、それこそ、民主主義というイデオロギーの
発祥地である西洋諸国ぐらいのもので、民主化以前には大地主の代表としての王族が、
世界史上最大のカルトであるキリスト教団やユダヤ政商とつるんでの
暴政をほしいままにするのがデフォであったがために、薄皮一枚程度の餅に該当する
民主制という体裁が、苛政という犬糞にコーティングされるだけでも満足という、
極めて程度の低い望みばかりに全てが集約されることとなったのである。
西欧においては、大地主の代表がそのまま諸国の王族となり、
キリスト教団やユダヤ政商とつるんでの暴政をほしいままにするという
最悪の政治情勢が続いていたところに、王族どもをギロチン送りで皆殺しにする
という革命が講じられたことから、薄皮一枚程度の餅が食えるだけでも、
犬の糞しか食えないよりはマシという程度の改善が民主化によってもたらされた。
地主の強大化は、インフラ整備の不全化や、土地の営利目的による雑用の蔓延を来たすために、
かつての欧州では下水道もまともに整備されず、糞尿を家の窓から投げ捨てるのが常態と
化していたのが、民主革命によって地主の権限が大幅に制限されたことで大きく改善され、
区画整理も行き届いての美しい街並みが広がるようにもなったのだった。
日本の場合は、これとは全くの真逆で、かつて封建制によって諸国を統治していた
王侯(大名を諸侯相当とする)こそは地主たる庄屋の権限に制限をかける公明正大な
役職であったのにもかかわらず、封建制の廃止と共にその地位を追われ、かわりに庄屋や
豪商の血筋の者こそが民衆の代表気取りで政財界の要人を歴任するようになったために、
世界でも随一の美しさと清潔さを帯びていたというかつての街並みは跡形もなくなり、
区画整理も疎かで電線やマンション駐車場まみれの、醜悪な景観があふれ返ることとなった。
キリスト教団やユダヤ政商とつるんでの暴政をほしいままにするという
最悪の政治情勢が続いていたところに、王族どもをギロチン送りで皆殺しにする
という革命が講じられたことから、薄皮一枚程度の餅が食えるだけでも、
犬の糞しか食えないよりはマシという程度の改善が民主化によってもたらされた。
地主の強大化は、インフラ整備の不全化や、土地の営利目的による雑用の蔓延を来たすために、
かつての欧州では下水道もまともに整備されず、糞尿を家の窓から投げ捨てるのが常態と
化していたのが、民主革命によって地主の権限が大幅に制限されたことで大きく改善され、
区画整理も行き届いての美しい街並みが広がるようにもなったのだった。
日本の場合は、これとは全くの真逆で、かつて封建制によって諸国を統治していた
王侯(大名を諸侯相当とする)こそは地主たる庄屋の権限に制限をかける公明正大な
役職であったのにもかかわらず、封建制の廃止と共にその地位を追われ、かわりに庄屋や
豪商の血筋の者こそが民衆の代表気取りで政財界の要人を歴任するようになったために、
世界でも随一の美しさと清潔さを帯びていたというかつての街並みは跡形もなくなり、
区画整理も疎かで電線やマンション駐車場まみれの、醜悪な景観があふれ返ることとなった。
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スレッドタイトル:己が「人を見る目」だけは疑わぬ人々