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己が「人を見る目」だけは疑わぬ人々 偉大なる生存の報告 Part308
▼ページ最下部
人間の能力にも色々あるが、中でも、
他者の素質を厳正に見計らい適材適所へと公正に登用する
人事の能力というのは、実際の所、神にも等しい能力の内に入るものである。
ほとんどの人間にはそんな能力はないし、あった所で絶対的とまではいかない。
だからこそ歴史上最高の叡智に数えられる諸葛孔明といえども、
弁舌の才に長けていた寵臣の馬謖を実戦登用しては大敗を喫させて、
やむなく引責死させるような過ちをも犯したのである。
人間という生き物は、無能な愚か者ほど自らを虚飾で塗り固めてまで気に入られたがるものだし、
また能力があった所で、不誠実さのためにそれを善用せず、専ら私欲のために
用いてこの世のお荷物と化するような事にもなりかねないものである。
そのような騙し、怠慢といった障壁を越えて、有能さと誠実さを兼ね備えた才人を
登用する機会に恵まれた所でまだ、こちらの領分を侵すほどの活躍への
嫉妬からの追い落としの誘惑に駆られかねないような危険性がある。
それほどにも、適切な人事の履行には多難が伴うというのに、
何の根拠もなく自らの人を見る目だけは全く疑おうともしない者の、なんと多いこと。
本当なら、諸葛孔明をも上回る眼力で、本物の今孔明と偽孔明を厳格に見分けられる
能力の持ち主だけが選挙などにも行くべきなのだが、それでは誰も行けなくなる
ものだから、誰しもが何となく、自分には人を見る目があるように思い込んでいる。
これこそが、民主主義を頓挫させた大元凶たる集団妄想なのでもある。
他者の素質を厳正に見計らい適材適所へと公正に登用する
人事の能力というのは、実際の所、神にも等しい能力の内に入るものである。
ほとんどの人間にはそんな能力はないし、あった所で絶対的とまではいかない。
だからこそ歴史上最高の叡智に数えられる諸葛孔明といえども、
弁舌の才に長けていた寵臣の馬謖を実戦登用しては大敗を喫させて、
やむなく引責死させるような過ちをも犯したのである。
人間という生き物は、無能な愚か者ほど自らを虚飾で塗り固めてまで気に入られたがるものだし、
また能力があった所で、不誠実さのためにそれを善用せず、専ら私欲のために
用いてこの世のお荷物と化するような事にもなりかねないものである。
そのような騙し、怠慢といった障壁を越えて、有能さと誠実さを兼ね備えた才人を
登用する機会に恵まれた所でまだ、こちらの領分を侵すほどの活躍への
嫉妬からの追い落としの誘惑に駆られかねないような危険性がある。
それほどにも、適切な人事の履行には多難が伴うというのに、
何の根拠もなく自らの人を見る目だけは全く疑おうともしない者の、なんと多いこと。
本当なら、諸葛孔明をも上回る眼力で、本物の今孔明と偽孔明を厳格に見分けられる
能力の持ち主だけが選挙などにも行くべきなのだが、それでは誰も行けなくなる
ものだから、誰しもが何となく、自分には人を見る目があるように思い込んでいる。
これこそが、民主主義を頓挫させた大元凶たる集団妄想なのでもある。
さっさと死んじまえ社会不適合者
己が「人を見る目」だけは疑わぬ人々?
己の「人を見る目」だけは疑わぬ人々?
己の「人を見る目」だけは疑わぬ人々?
根拠なき自信を持ってるワニね
なんとなく自分には人を見る目があると思い込んできただけの被洗脳民が、一旦は
身の程をわきまえて選挙なんかに行くのもやめて、そのせいで体裁上の民主制が終わる
というのなら、それもまた民意の結実だし、正気の民衆による真の民主主義の成果ともなる。
AI学習頼みでもなんでもいいから、誰しもが超孔明級の眼力を持ち得たときに初めて、
今のような国民総出での選挙制度もまたやり直そうと誓いながら、そうするでのもいい。
これ以上、集団妄想で万歳突撃の自滅に陥り続ける余地もないのだから。
身の程をわきまえて選挙なんかに行くのもやめて、そのせいで体裁上の民主制が終わる
というのなら、それもまた民意の結実だし、正気の民衆による真の民主主義の成果ともなる。
AI学習頼みでもなんでもいいから、誰しもが超孔明級の眼力を持ち得たときに初めて、
今のような国民総出での選挙制度もまたやり直そうと誓いながら、そうするでのもいい。
これ以上、集団妄想で万歳突撃の自滅に陥り続ける余地もないのだから。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_...(5p参照)
北宋の二代皇帝太宗は、日本が君臣上下みな世襲の服務を太古より守り続けているのを、
抗争による断代が絶えない自国の現状と比して、嘆息しながらうらやましがったという。
世襲といえば、今では政治機構における深刻な問題点のうちにも数えられているものだが、
それは近代以降、苛政をほしいままにするような兇徒の血族こそが世襲で政治権力を
牛耳っているからこそ問題視されているのであって、世の中に平和や繫栄をもたらす
主導者だったことが紛れもない偉人の家系による世襲であれば、完全な断代を繰り返す
政治構造などよりも優良な政情となり得るのである。
「そんなことはない、たとえ偉人の家系による世襲だろうとも、鷹がトンビを産んで
腐敗を招くようなことはいくらでもある」という反論もまたあり得なくはないが、
たとえ初代の威光が代を重ねるごとに目減りして、いずれは亡ぶのだろうとも、
その期間が数百年に上り、ひっきりなしの争乱を繰り返している状態などよりは、
明らかにマシな部類であると見なせる品質の為政たり得るのである。
北宋の二代皇帝太宗は、日本が君臣上下みな世襲の服務を太古より守り続けているのを、
抗争による断代が絶えない自国の現状と比して、嘆息しながらうらやましがったという。
世襲といえば、今では政治機構における深刻な問題点のうちにも数えられているものだが、
それは近代以降、苛政をほしいままにするような兇徒の血族こそが世襲で政治権力を
牛耳っているからこそ問題視されているのであって、世の中に平和や繫栄をもたらす
主導者だったことが紛れもない偉人の家系による世襲であれば、完全な断代を繰り返す
政治構造などよりも優良な政情となり得るのである。
「そんなことはない、たとえ偉人の家系による世襲だろうとも、鷹がトンビを産んで
腐敗を招くようなことはいくらでもある」という反論もまたあり得なくはないが、
たとえ初代の威光が代を重ねるごとに目減りして、いずれは亡ぶのだろうとも、
その期間が数百年に上り、ひっきりなしの争乱を繰り返している状態などよりは、
明らかにマシな部類であると見なせる品質の為政たり得るのである。
しかも、なぜか民主制を選択している近現代の日本や欧米諸国こそは、
封建制の下でひっきりなしの断代を繰り返していた昔の中国や、
争乱期の日本よりも、昔から失政ばかりやらかして来た悪党の家系こそが
政治基盤を保ち続ける「負の世襲」を盤石化させているといった傾向もみられる。
それこそ、人を見る目なんかこれっぽちもない衆愚が、
候補者の巧言令色などを支持材料にしての投票を試みるものだから、
その手の騙しこそを代々磨き抜いてきた血筋こそが世襲で当選し続けるようなことにもなってしまう。
偉人の血筋による世襲政治のほうが、断代を繰り返す政治よりもマシだというのが、
後者の渦中にあった中華皇帝の心からの思いでもあったわけだが、
そのような実力主義によるひっきりなしの追い落とし合いよりもさらに劣悪な、
悪政の権化たる血筋による世襲こそが、見る目のない衆愚による支持で
政権を決める民主制によってこそ招かれてしまうといった現象がみられるわけである。
封建制の下でひっきりなしの断代を繰り返していた昔の中国や、
争乱期の日本よりも、昔から失政ばかりやらかして来た悪党の家系こそが
政治基盤を保ち続ける「負の世襲」を盤石化させているといった傾向もみられる。
それこそ、人を見る目なんかこれっぽちもない衆愚が、
候補者の巧言令色などを支持材料にしての投票を試みるものだから、
その手の騙しこそを代々磨き抜いてきた血筋こそが世襲で当選し続けるようなことにもなってしまう。
偉人の血筋による世襲政治のほうが、断代を繰り返す政治よりもマシだというのが、
後者の渦中にあった中華皇帝の心からの思いでもあったわけだが、
そのような実力主義によるひっきりなしの追い落とし合いよりもさらに劣悪な、
悪政の権化たる血筋による世襲こそが、見る目のない衆愚による支持で
政権を決める民主制によってこそ招かれてしまうといった現象がみられるわけである。
中国は今でも、宋の太宗が嘆いたようなひっきりなしの
断代込みな政争を繰り返している状態にある。
それを、自由主義民主主義の立場から「専制ならではの野蛮さ」などと
批判する者もいるが、これこそが、良くも悪しくも本物の実力者が
表に出てきて、全力で争い合っている証拠なのでもある。
民主制における政治家たるや、ただ裏手の操り人形なだけの無能か、
もしくは暴政こそを世襲やカルト支持の盤石さと共に推進するガチクズでしかあり得ぬ。
確かに中国などもまた人権無視級の苛政を繰り返してはいるが、
その厳酷さがトップ級のトップの為政者にまで及ぶこともまた屡ある。
民主制だと、トップの政官財は世襲で完璧な立場の安定を保証され、
口先では人権や自由の保護を謳いながらも、国富の不足のせいでそのおこぼれにも
与れないままに終わっている貧困層や氷河期、Z世代などは虫けら同然に見捨てたままでいる。
言葉面の理想とは裏腹に、現実では専制よりもひどい負の世襲による苛政がまかり通る、
それもまた見る目のない衆愚が自分たちの眼力を過信して、常人以上に人性の劣悪さと、
それを覆い隠すための巧言令色ばかりを増長させているような連中ばかりを
支持して抜擢してしまっているがための惨状なのである。
断代込みな政争を繰り返している状態にある。
それを、自由主義民主主義の立場から「専制ならではの野蛮さ」などと
批判する者もいるが、これこそが、良くも悪しくも本物の実力者が
表に出てきて、全力で争い合っている証拠なのでもある。
民主制における政治家たるや、ただ裏手の操り人形なだけの無能か、
もしくは暴政こそを世襲やカルト支持の盤石さと共に推進するガチクズでしかあり得ぬ。
確かに中国などもまた人権無視級の苛政を繰り返してはいるが、
その厳酷さがトップ級のトップの為政者にまで及ぶこともまた屡ある。
民主制だと、トップの政官財は世襲で完璧な立場の安定を保証され、
口先では人権や自由の保護を謳いながらも、国富の不足のせいでそのおこぼれにも
与れないままに終わっている貧困層や氷河期、Z世代などは虫けら同然に見捨てたままでいる。
言葉面の理想とは裏腹に、現実では専制よりもひどい負の世襲による苛政がまかり通る、
それもまた見る目のない衆愚が自分たちの眼力を過信して、常人以上に人性の劣悪さと、
それを覆い隠すための巧言令色ばかりを増長させているような連中ばかりを
支持して抜擢してしまっているがための惨状なのである。
特に五輪汚職あたりを見てみれば、いま日本の権力中枢は政官財がスクラムを
組んでのガチクズの巣窟と化しているのが見るに明らかであるわけだけれども。
別に、とんでもない聖人君子なんかでなくとも、
その辺の気のいいおっちゃんあたりでもあれに成り代わってくれればまだ、
世の中も良くなりそうなものが、その程度の願いすら叶うことはない。
残念ながら、莫大な利権を思いのままに持ち回れる国家規模の権力機構ほど、
ゴミクズ級の悪党が喉から手が出るほど関わりたがるものも他になく、
そのためとあらば常人以上に巧言令色や政争での追い落としの手管を
磨き抜いた、プロフェッショナル然とした働きにも徹するものだから。
常日頃から生業に追われて、人を見る目を養うことはおろか、
世の中を俯瞰するような機会にもまったく与れないでいるような大多数の社会人が、
さような悪党のたぶらかしに足元をすくわれたりすることなく、真の好人材だけを
選び抜いて抜擢したりすることはおろか、悪党こそがだましだまし
政権の座にのし上がることに加担しなくて済むことすらない。
それは、別に一般市民が愚民だからだとも限らない。
自らの職分の範疇ではそれなりに優れた能力を発揮しているような民人だろうとも、
「人を見る目」なんてものが天眼にも等しい神の領域の能力である以上は、
少しだって自らの持ち味を生かした人事への貢献なども能わないのである。
組んでのガチクズの巣窟と化しているのが見るに明らかであるわけだけれども。
別に、とんでもない聖人君子なんかでなくとも、
その辺の気のいいおっちゃんあたりでもあれに成り代わってくれればまだ、
世の中も良くなりそうなものが、その程度の願いすら叶うことはない。
残念ながら、莫大な利権を思いのままに持ち回れる国家規模の権力機構ほど、
ゴミクズ級の悪党が喉から手が出るほど関わりたがるものも他になく、
そのためとあらば常人以上に巧言令色や政争での追い落としの手管を
磨き抜いた、プロフェッショナル然とした働きにも徹するものだから。
常日頃から生業に追われて、人を見る目を養うことはおろか、
世の中を俯瞰するような機会にもまったく与れないでいるような大多数の社会人が、
さような悪党のたぶらかしに足元をすくわれたりすることなく、真の好人材だけを
選び抜いて抜擢したりすることはおろか、悪党こそがだましだまし
政権の座にのし上がることに加担しなくて済むことすらない。
それは、別に一般市民が愚民だからだとも限らない。
自らの職分の範疇ではそれなりに優れた能力を発揮しているような民人だろうとも、
「人を見る目」なんてものが天眼にも等しい神の領域の能力である以上は、
少しだって自らの持ち味を生かした人事への貢献なども能わないのである。
洗脳支配を、自覚せよ。
それがどんなに屈辱的なのだろうとも。
それがどんなに屈辱的なのだろうとも。
大谷のキャプ翼体型を羨みながら、行いは鶴太郎のコケシ体型を目指すがごとく、
何をやってもうまくいかないドツボにはまるカルト洗脳の犠牲者たち。
政治がよくなるのを望みながら、常人未満の悪党を選挙で当選させてしまうのも同じ。
思いと行いが一致していないが故に、始めからコケシ体型や悪政こそを望んでいる
場合など以上にも惨めな、自分たち自身による理不尽の掘り下げの悲劇に見舞われる。
そこには、本人たち自身の、この世界における位相の反転法則への圧倒的な無理解
という問題もまた遍在している。腹が出るのを見てダイエットを志し、その先には
少なからず大谷のようなスタイルへとなれるような幻想も抱くのだが、実際にはむしろ遠ざかる。
選挙も少なからず世の中を良くするために行われているものだと無差別に思い込んでいるが、
実際には悪党の政治基盤の盤石化で専制未満の暴政を強化する手立てにすらなり果てたりする。
一概な方向性しか備わっていないと思い込んでいるところに、実は二面性があり、間違った
方向に突き進むことで望みとは逆の結果を招くことまでもがある法則への、致命的な見落とし。
何をやってもうまくいかないドツボにはまるカルト洗脳の犠牲者たち。
政治がよくなるのを望みながら、常人未満の悪党を選挙で当選させてしまうのも同じ。
思いと行いが一致していないが故に、始めからコケシ体型や悪政こそを望んでいる
場合など以上にも惨めな、自分たち自身による理不尽の掘り下げの悲劇に見舞われる。
そこには、本人たち自身の、この世界における位相の反転法則への圧倒的な無理解
という問題もまた遍在している。腹が出るのを見てダイエットを志し、その先には
少なからず大谷のようなスタイルへとなれるような幻想も抱くのだが、実際にはむしろ遠ざかる。
選挙も少なからず世の中を良くするために行われているものだと無差別に思い込んでいるが、
実際には悪党の政治基盤の盤石化で専制未満の暴政を強化する手立てにすらなり果てたりする。
一概な方向性しか備わっていないと思い込んでいるところに、実は二面性があり、間違った
方向に突き進むことで望みとは逆の結果を招くことまでもがある法則への、致命的な見落とし。
いくら元敵国同士とはいえ、今は軍事経済その他多くの面で同盟を結んでいる国同士なのだから、
アメリカも少なからず日本との共栄を望んでいるなどとも何となく思い込んでいる。
実際には、日本にこそ国際関上の全ての厄を押し付けて苦しむに任せて
おきたいぐらいの悪意と共に、アメリカもずっと戦後の日本と付き合い続けて来た。
だからこそ、摂食エネルギーの増加によって身長からの体格がだいぶ改善した日本人が、
誰しも大谷みたいな超モデル体型となるのも阻まんとし、肥満率が世界最低級であるのにも
かかわらずダイエットブームなどを押し付けて、頭だけデカくて体はヒョロヒョロの
コケシ体型になるべく誰しもが追い込まれて行くようにも仕向けて来たのである。
日本の政治も賢良であるよりかは、不甲斐ない失政続きでもいてくれたほうが自分たちに
とってはマシだから、巧言令色ばかりにすべてが集約される衆愚政治によってその方向性が
盛況となるよう、洗脳支配を仕組んででもあえて仕向けて来た。
日本という国、日本の政治、日本人の体格、何もかもができる限り不振なままであり続けるように、
悪意を込めてあえて仕向けて来た、そこまでものことはあり得ないと思い込んできたものだから、
良かれと思ってそこに加担させられるような痴態にも陥り続けることとなったのである。
アメリカも少なからず日本との共栄を望んでいるなどとも何となく思い込んでいる。
実際には、日本にこそ国際関上の全ての厄を押し付けて苦しむに任せて
おきたいぐらいの悪意と共に、アメリカもずっと戦後の日本と付き合い続けて来た。
だからこそ、摂食エネルギーの増加によって身長からの体格がだいぶ改善した日本人が、
誰しも大谷みたいな超モデル体型となるのも阻まんとし、肥満率が世界最低級であるのにも
かかわらずダイエットブームなどを押し付けて、頭だけデカくて体はヒョロヒョロの
コケシ体型になるべく誰しもが追い込まれて行くようにも仕向けて来たのである。
日本の政治も賢良であるよりかは、不甲斐ない失政続きでもいてくれたほうが自分たちに
とってはマシだから、巧言令色ばかりにすべてが集約される衆愚政治によってその方向性が
盛況となるよう、洗脳支配を仕組んででもあえて仕向けて来た。
日本という国、日本の政治、日本人の体格、何もかもができる限り不振なままであり続けるように、
悪意を込めてあえて仕向けて来た、そこまでものことはあり得ないと思い込んできたものだから、
良かれと思ってそこに加担させられるような痴態にも陥り続けることとなったのである。
?
働いてなくともやれることはいくらでもあるし、
規則正しい生活をしてはいけなくもないはずだが?
働いているがために他に何もできることがなく、
不健康な生活習慣こそが規則付いてしまっている
ような者には、想像もつかないことなのかもしれないがなあ。
働いてなくともやれることはいくらでもあるし、
規則正しい生活をしてはいけなくもないはずだが?
働いているがために他に何もできることがなく、
不健康な生活習慣こそが規則付いてしまっている
ような者には、想像もつかないことなのかもしれないがなあ。
(>>16の続き)
いくらゴミクズばかりを選挙で当選させるような真似を繰り返しても、
自らの人を見る目を疑おうともしない考えの浅さもまた、
さような痴態への屈辱からの逃避欲によってこそ盤石化して来たもの。
山上被告、母親との面会だけは未だ拒否。母親は今も信仰を続ける
http://www.yomiuri.co.jp/national/20230707-OYT1T50029...
あれだけの事件を息子が起こしておきながら、未だに史上最悪級のカルトへの
信仰をやめない母親の姿などは、まさに狂人のそれとしか思われないが、
もう何十年も過ちを繰り返し続けて来た己が生涯の惨めさを反省して
心を入れ替えられるだけの神妙さなどを持ち合わせてはいないがために、
さらに過ちを積み重ねて行くことしかできないでいる点では、
衆愚洗脳下にある多くの一般的な日本人ともそう変わらないのである。
いくらゴミクズばかりを選挙で当選させるような真似を繰り返しても、
自らの人を見る目を疑おうともしない考えの浅さもまた、
さような痴態への屈辱からの逃避欲によってこそ盤石化して来たもの。
山上被告、母親との面会だけは未だ拒否。母親は今も信仰を続ける
http://www.yomiuri.co.jp/national/20230707-OYT1T50029...
あれだけの事件を息子が起こしておきながら、未だに史上最悪級のカルトへの
信仰をやめない母親の姿などは、まさに狂人のそれとしか思われないが、
もう何十年も過ちを繰り返し続けて来た己が生涯の惨めさを反省して
心を入れ替えられるだけの神妙さなどを持ち合わせてはいないがために、
さらに過ちを積み重ねて行くことしかできないでいる点では、
衆愚洗脳下にある多くの一般的な日本人ともそう変わらないのである。
カルト信仰や衆愚洗脳こそが、当人たちの自意識過剰からの無根拠なプライドの
肥大化を促進して、過ちを素直に改めて豹変することを不能ならしめることもある。
統一の場合は信者間での巧言令色によるなだめ合いがその役割を果たして来たらしいし、
日本人一般に対してもまた、自民政治家たちのおべっか使いにまみれた演説などが
それと同様な役割を果たし、自分たちこそは正しい、何も間違っておらず、
何も改める必要などないという自信をどこまでも肥大化させて来ているもの。
明らかに間違っている、大谷体型を羨みながら行いでは鶴太郎体型を目指しているが如き、
自分たち自身の信条に即した自明な過ちを繰り返し続けている上での、際限なき
プライドの肥大化であることがこれまた、頑迷さを金剛不壊ならしめてしまうのである。
肥大化を促進して、過ちを素直に改めて豹変することを不能ならしめることもある。
統一の場合は信者間での巧言令色によるなだめ合いがその役割を果たして来たらしいし、
日本人一般に対してもまた、自民政治家たちのおべっか使いにまみれた演説などが
それと同様な役割を果たし、自分たちこそは正しい、何も間違っておらず、
何も改める必要などないという自信をどこまでも肥大化させて来ているもの。
明らかに間違っている、大谷体型を羨みながら行いでは鶴太郎体型を目指しているが如き、
自分たち自身の信条に即した自明な過ちを繰り返し続けている上での、際限なき
プライドの肥大化であることがこれまた、頑迷さを金剛不壊ならしめてしまうのである。
「自由民主党」という通り、自由と民主はこの上ないほど相性がいいのも、
自由主義に基づく自意識過剰の思い上がりの肥大化こそが、
自分たちの見る目を疑うことなく選挙で悪政に加担し続ける過ちからも
目を背けさせるための心理材料として打ってつけとなるからである。
実際に、自分たちには人を見る目なんかなくて、そんな能力を養った覚えすら
ないのだろうとも、自らの個我によって、自分で物事を決めることへの陶酔に
浸りたいがために、たとえそのせいで苛政こそを助長するのだろうとも、
選挙で適当な相手に投票したりすることをやめない。
民主制は結局、投票者である大多数の一般国民に政治責任を丸投げする口実として、
苛政や失政の主導者たちにとっては都合のいい利用材料にこそなるが故に、
なるべくなら選挙に行って、誰にでもいいから投票してくれるように万民に促す。
そこで、人を見る目がない一般民がどんな相手に恣意で投票するのかといえば、
巧言令色で自分たちをいい気分にさせてくれるような佞人の部類。
その手の能力こそを世襲や組織性によってまで徹底的に磨き抜いて来たがために、
自民も政権与党としての立場を盤石ならしめている。
自由主義に基づく自意識過剰の思い上がりの肥大化こそが、
自分たちの見る目を疑うことなく選挙で悪政に加担し続ける過ちからも
目を背けさせるための心理材料として打ってつけとなるからである。
実際に、自分たちには人を見る目なんかなくて、そんな能力を養った覚えすら
ないのだろうとも、自らの個我によって、自分で物事を決めることへの陶酔に
浸りたいがために、たとえそのせいで苛政こそを助長するのだろうとも、
選挙で適当な相手に投票したりすることをやめない。
民主制は結局、投票者である大多数の一般国民に政治責任を丸投げする口実として、
苛政や失政の主導者たちにとっては都合のいい利用材料にこそなるが故に、
なるべくなら選挙に行って、誰にでもいいから投票してくれるように万民に促す。
そこで、人を見る目がない一般民がどんな相手に恣意で投票するのかといえば、
巧言令色で自分たちをいい気分にさせてくれるような佞人の部類。
その手の能力こそを世襲や組織性によってまで徹底的に磨き抜いて来たがために、
自民も政権与党としての立場を盤石ならしめている。
政権与党と土建業の癒着もまた、やたらめったらな国土開発で街並みを汚損し、
インフラの老朽化やヒートアイランド化現象のような問題をも今に至るまでもたらし
続けているが、さりとて、終身雇用が大前提だった時代の慣習でもあった上に、
古来より土木を君子の業務として重んじて来た武家の末裔などが業界に多いことから、
外圧ばかりに翻弄されない自治性をかろうじて保って行く拠り所ともなっていたもの。
(俺の祖父の兄弟子だった田中清玄氏や四元義隆氏もその代表的人物だった)
ただ、それが自由主義や民主主義の本旨に適った政治の在り方なのかといえば、
別にそんなわけでもないものだから、あくまで空想上の理想を追い求めるような
浮ついた心持ちの観点からは邪魔者、お荷物扱いを受けて、外患スパイ蔓延る
マスコミからの総スカンなどと共に癒着関係を萎えさせていくこととなったのである。
それは確かに、CIAや統一教会の思う壺でもあったのだが、同時にまがう方なき、
純然たる民主主義、自由主義の進行の結果でもあった。実力があっても汚らしいダミ声で
必要悪を開き直りながら政界に殴りこんでくる角栄みたいな男よりかは、外患の走狗
としての闇などは隠しこんでの巧言令色に徹する小泉や安倍のような政治家のほうが、
見えてる部分の見栄えはよっぽどいいものだから、民衆もより支持せざるを得なかった。
インフラの老朽化やヒートアイランド化現象のような問題をも今に至るまでもたらし
続けているが、さりとて、終身雇用が大前提だった時代の慣習でもあった上に、
古来より土木を君子の業務として重んじて来た武家の末裔などが業界に多いことから、
外圧ばかりに翻弄されない自治性をかろうじて保って行く拠り所ともなっていたもの。
(俺の祖父の兄弟子だった田中清玄氏や四元義隆氏もその代表的人物だった)
ただ、それが自由主義や民主主義の本旨に適った政治の在り方なのかといえば、
別にそんなわけでもないものだから、あくまで空想上の理想を追い求めるような
浮ついた心持ちの観点からは邪魔者、お荷物扱いを受けて、外患スパイ蔓延る
マスコミからの総スカンなどと共に癒着関係を萎えさせていくこととなったのである。
それは確かに、CIAや統一教会の思う壺でもあったのだが、同時にまがう方なき、
純然たる民主主義、自由主義の進行の結果でもあった。実力があっても汚らしいダミ声で
必要悪を開き直りながら政界に殴りこんでくる角栄みたいな男よりかは、外患の走狗
としての闇などは隠しこんでの巧言令色に徹する小泉や安倍のような政治家のほうが、
見えてる部分の見栄えはよっぽどいいものだから、民衆もより支持せざるを得なかった。
自由主義、民主主義の総本山であるアメリカ自体もまた、
CIAのような裏の大権力による補強があって初めて存続しているもので、
そこに盾突くような真似は大統領といえども許されない強権さでいるもの。
そんな、空想上の美辞麗句にすぎないイデオロギーなんかばかりを
無制限に放任すれば、愚民が天下一二の愚か者ばかりをトップに据えての
自滅へとひた走ってしまうことが避けられないものだから、予算を非公開にして
大金をかけてでも、二重三重のセーフティネットを張り巡らさねばならない。
それがなければどうなってしまうのかを示したのが、まさに今の日本である。
単なる表向きの劇場型にとどまらない、表裏一体の純然たる民主主義が
国をどのような事態へと招くのかを、アメリカ以上に日本こそが体現した。
アメリカはアメリカで、セーフティネット込みの民主主義のあまりにもの
コスパの悪さが原因での経済破綻の危機という限界に差し掛かっているが、
仮にその対策として公金ジャブジャブをやめたところでどうにもならないという、
もう一つの限界を今の日本が示すことで、八方ふさがりが完成したわけである。
CIAのような裏の大権力による補強があって初めて存続しているもので、
そこに盾突くような真似は大統領といえども許されない強権さでいるもの。
そんな、空想上の美辞麗句にすぎないイデオロギーなんかばかりを
無制限に放任すれば、愚民が天下一二の愚か者ばかりをトップに据えての
自滅へとひた走ってしまうことが避けられないものだから、予算を非公開にして
大金をかけてでも、二重三重のセーフティネットを張り巡らさねばならない。
それがなければどうなってしまうのかを示したのが、まさに今の日本である。
単なる表向きの劇場型にとどまらない、表裏一体の純然たる民主主義が
国をどのような事態へと招くのかを、アメリカ以上に日本こそが体現した。
アメリカはアメリカで、セーフティネット込みの民主主義のあまりにもの
コスパの悪さが原因での経済破綻の危機という限界に差し掛かっているが、
仮にその対策として公金ジャブジャブをやめたところでどうにもならないという、
もう一つの限界を今の日本が示すことで、八方ふさがりが完成したわけである。
さっき山下達郎がラジオで、ジャニー喜多川の性加害問題と、
それに起因する所属事務所のP契約解除問題についてコメントしてたが、
やっぱりこの人もガチガチの旧世代側なんだなあと思い入らされた次第。
たとえ性加害があったところで、昔の芸能界では日常茶飯事だった程度の事案。
なおかつ旧世代までは皆、枕の汚濁の先に活躍や立場の安定が保証されていたものだから、
その恩も知らずに告発なんて試みるだけ無粋だと思うのが旧世代としての常識なのだろう。
しかし、40代以下の次世代ともなればそうともいかず、
たとえジャニーにケツを差し出した所で、鳴かず飛ばずのままいいとこなしの凋落に
追い込まれてしまうような者が大多数に上り始めたものだから、問題としても表面化したもの。
一応、「性加害なんて知らなかった」とした上でのジャニー擁護ではあったけれども、
だったらそんなこと言わずに済ませておけばいいところを、あえてでも言ってしまうのには、
人を見る目なんかないのに、選挙で適当な相手に投票するような真似をしようとも、
自分たちの世代まではうまい思いをして来られた旧世代ならではの多動性もまた垣間見られる。
この人はやっぱり戦後世代最上級のポップミュージシャンだとは思うが、それでも
思想信条面などで問題を持ち越しているあたり、坂本龍一などとも共通しているのだなと知れたものだ。
それに起因する所属事務所のP契約解除問題についてコメントしてたが、
やっぱりこの人もガチガチの旧世代側なんだなあと思い入らされた次第。
たとえ性加害があったところで、昔の芸能界では日常茶飯事だった程度の事案。
なおかつ旧世代までは皆、枕の汚濁の先に活躍や立場の安定が保証されていたものだから、
その恩も知らずに告発なんて試みるだけ無粋だと思うのが旧世代としての常識なのだろう。
しかし、40代以下の次世代ともなればそうともいかず、
たとえジャニーにケツを差し出した所で、鳴かず飛ばずのままいいとこなしの凋落に
追い込まれてしまうような者が大多数に上り始めたものだから、問題としても表面化したもの。
一応、「性加害なんて知らなかった」とした上でのジャニー擁護ではあったけれども、
だったらそんなこと言わずに済ませておけばいいところを、あえてでも言ってしまうのには、
人を見る目なんかないのに、選挙で適当な相手に投票するような真似をしようとも、
自分たちの世代まではうまい思いをして来られた旧世代ならではの多動性もまた垣間見られる。
この人はやっぱり戦後世代最上級のポップミュージシャンだとは思うが、それでも
思想信条面などで問題を持ち越しているあたり、坂本龍一などとも共通しているのだなと知れたものだ。
坂本龍一は思想が強すぎて、山下達郎は思想が弱すぎて晩節を汚した感があるが。
どちらにしたって、音楽以外の能力を特別に磨いてきたような事実はないし、
音楽の範疇でも演奏能力などで秀でて来たわけではないものだから、
演奏力だけはある自作曲なしの音楽家を揶揄するような発言すらしてたのである。
音楽や芸能の中ですら限られた範囲内の能力の持ち主だったのに、
どうして全くの専門外な政治や人事の分野でだけは慧眼を抱けたりしようか?
たとえ、相手が芸能界を掃き溜めならしめた諸悪の根源だろうとも、
自分が若いころから稼げる仕事を斡旋してきてくれた上に、自らの音楽もまた、
世界的な評価を受けるほどの持て囃されようであるというのなら、
一体どこに、あえて苦言を呈してみるような余地があるだろうか?
むしろ、自分たち自身の専門分野における本物の有能さや、
それに基づく絶対の自信こそが仇となって、他分野で常人以上のへまを犯す
ようなことすらもがある。局所局所での能力に秀でることにかけては
枚挙にいとまがない日本人こそは、その手の過ちに最も陥りがちなのでもある。
どちらにしたって、音楽以外の能力を特別に磨いてきたような事実はないし、
音楽の範疇でも演奏能力などで秀でて来たわけではないものだから、
演奏力だけはある自作曲なしの音楽家を揶揄するような発言すらしてたのである。
音楽や芸能の中ですら限られた範囲内の能力の持ち主だったのに、
どうして全くの専門外な政治や人事の分野でだけは慧眼を抱けたりしようか?
たとえ、相手が芸能界を掃き溜めならしめた諸悪の根源だろうとも、
自分が若いころから稼げる仕事を斡旋してきてくれた上に、自らの音楽もまた、
世界的な評価を受けるほどの持て囃されようであるというのなら、
一体どこに、あえて苦言を呈してみるような余地があるだろうか?
むしろ、自分たち自身の専門分野における本物の有能さや、
それに基づく絶対の自信こそが仇となって、他分野で常人以上のへまを犯す
ようなことすらもがある。局所局所での能力に秀でることにかけては
枚挙にいとまがない日本人こそは、その手の過ちに最も陥りがちなのでもある。
「ご縁とご恩」も、もちろん世間に欠くべきものではないが、
残念ながら悪用によって濁世を深化させかねないものでもあった。
縁も恩もある相手に限って、最低時給の雇用も保証するが、
条件を満たさないようならブラックも辞さないなんて姿勢でいれば、
そんな連中にはZ世代の闇バイト働きを非難するような資格も全くないであろう。
私的な恩義は、天下共通の仁義が通用してから初めて健全たるもの。
仁義なくしてそこに全てを集約させるような者は、893ともなんら変わらん。
もはや国中が反社で足並みをそろえているものだから、
暴力団なんて必要悪としての必要性すらなくなったというのなら、
大変おめでたいことで、いつ革命が起きた所で誰も文句を言う資格はないな。
残念ながら悪用によって濁世を深化させかねないものでもあった。
縁も恩もある相手に限って、最低時給の雇用も保証するが、
条件を満たさないようならブラックも辞さないなんて姿勢でいれば、
そんな連中にはZ世代の闇バイト働きを非難するような資格も全くないであろう。
私的な恩義は、天下共通の仁義が通用してから初めて健全たるもの。
仁義なくしてそこに全てを集約させるような者は、893ともなんら変わらん。
もはや国中が反社で足並みをそろえているものだから、
暴力団なんて必要悪としての必要性すらなくなったというのなら、
大変おめでたいことで、いつ革命が起きた所で誰も文句を言う資格はないな。
ろくに知りもしないことに首突っ込んで著名人叩き
これを恥ずかしげもなくやるところがこのデブの異常性だよな
これを恥ずかしげもなくやるところがこのデブの異常性だよな
性加害問題なんて知らない、知らなかったとしながら、
知ったかでの擁護なんかを試みたのがほんといかんかったよね。
事の是非以前に、自分自身がそこで自己破綻に及んでんだ。
キャプ翼体型を称えながら、コケシ多型を目指すようになあ。
それが天才から凡人に至るまでの、民主主義者の全容なわけだ。
知ったかでの擁護なんかを試みたのがほんといかんかったよね。
事の是非以前に、自分自身がそこで自己破綻に及んでんだ。
キャプ翼体型を称えながら、コケシ多型を目指すようになあ。
それが天才から凡人に至るまでの、民主主義者の全容なわけだ。
気違いだわやはり
要するに、
「之れを知るを知ると為し、知らざるを知らずと為す、是れ知るなり」(為政第二・一七)
が、天才から凡人に足るまで誰もできない。
古代ギリシャのソクラテスも、無知の知に該当するような考えを述べてはいたけれども、
あくまで「知らざるを知らずと為す」のほうばかりに拘泥して、「知るを知ると為す」のほうを
軽んじていたものだから、その手の博物学を孫弟子のアリストテレス等に丸投げしたのでもある。
代わりに、無知の知ばかりを持て囃した先での空想をイデア論によって正当化し、
ものを知らない人間こそがどこまででも好き勝手に考えを広げて行くことを奨励した。
近世においても、カントが人間精神の物自体への直接認識の不能性を机上の空論によって
追認したことなどを通じて、プラトニズム的傾向による無知者の妄想傾向がより正当化され、
それが無知な衆愚による開き直り込みの自由主義や民主主義を普及させるいち原動力ともなった。
「之れを知るを知ると為し、知らざるを知らずと為す、是れ知るなり」(為政第二・一七)
が、天才から凡人に足るまで誰もできない。
古代ギリシャのソクラテスも、無知の知に該当するような考えを述べてはいたけれども、
あくまで「知らざるを知らずと為す」のほうばかりに拘泥して、「知るを知ると為す」のほうを
軽んじていたものだから、その手の博物学を孫弟子のアリストテレス等に丸投げしたのでもある。
代わりに、無知の知ばかりを持て囃した先での空想をイデア論によって正当化し、
ものを知らない人間こそがどこまででも好き勝手に考えを広げて行くことを奨励した。
近世においても、カントが人間精神の物自体への直接認識の不能性を机上の空論によって
追認したことなどを通じて、プラトニズム的傾向による無知者の妄想傾向がより正当化され、
それが無知な衆愚による開き直り込みの自由主義や民主主義を普及させるいち原動力ともなった。
実際には、旧知の相手の性加害を知らなかった、あったとすれば許されないとしながら
擁護するような、知ってるか知らないか以上に、本人自身の言動の自明な自己破綻を招く
問題性を孕んでいたが故に、そんなイデオロギーが世の中を極楽へと導くようなこともなかった。
どんなに心中で世の中の改善を望むのだろうとも、素性も知れないような相手に投票した
からといってそれが実現される保証もない。選挙公約なぞも全く守られる保証もないし、
減税を謳いながら当選した途端に増税を試み始めるような輩すらいくらでもいるというのに、
どうして無知者の投票などが、望みとは逆の結果を招かないとすら断言できようか?
それが、「知らざるを知らずと為す」を金科玉条に掲げるあまりに、
「知るを知ると為す」を疎かにしてまでの自意識過剰ばかりを推し進めた末路。
「知らざるを知らずと為す」はあくまで、「知るを知ると為す」のための土台作りに過ぎず、
その先にある過不足なき諸法実相への知見の醸成こそを真の目的とすべきであるのにも関わらず、
逆に無知を開き直って、そんな自分の言動こそが最大級に尊重されるべきだなどと決め込むのであれば、
そのせいで善政を願いなら悪政に加担し、キャプ翼体型に憧れながらコケシ体型を目指し、
性加害を許さないとしながら犯人を擁護するような痴態へとも自明に陥るのである。
擁護するような、知ってるか知らないか以上に、本人自身の言動の自明な自己破綻を招く
問題性を孕んでいたが故に、そんなイデオロギーが世の中を極楽へと導くようなこともなかった。
どんなに心中で世の中の改善を望むのだろうとも、素性も知れないような相手に投票した
からといってそれが実現される保証もない。選挙公約なぞも全く守られる保証もないし、
減税を謳いながら当選した途端に増税を試み始めるような輩すらいくらでもいるというのに、
どうして無知者の投票などが、望みとは逆の結果を招かないとすら断言できようか?
それが、「知らざるを知らずと為す」を金科玉条に掲げるあまりに、
「知るを知ると為す」を疎かにしてまでの自意識過剰ばかりを推し進めた末路。
「知らざるを知らずと為す」はあくまで、「知るを知ると為す」のための土台作りに過ぎず、
その先にある過不足なき諸法実相への知見の醸成こそを真の目的とすべきであるのにも関わらず、
逆に無知を開き直って、そんな自分の言動こそが最大級に尊重されるべきだなどと決め込むのであれば、
そのせいで善政を願いなら悪政に加担し、キャプ翼体型に憧れながらコケシ体型を目指し、
性加害を許さないとしながら犯人を擁護するような痴態へとも自明に陥るのである。
古代ギリシャを発祥とする洋学は、その頃から一貫して、
まず「知らざるを知らずと為す」のソクラテス、プラトン学派があった上で、
その尻ぬぐい役としてのアリストテレス学派が、申し訳程度に
「知るを知ると為す」を付け足して行った優先順位こそを基礎として来た。
実学止まりなアリストテレスの卑俗さを乗り越えて、
ソクラテスやプラトンが掲げたイデア上の理想へとたどり着こうとする志向性が、
形而上の超越神を崇め立てるキリスト信仰などによっても強化されながら、
何もかもを「知らざるを知らずと為す」の正当化に集約させる試みを続けて来た。
その試みは結局、万物を人間たち自身のイデア想起に還元することの不能性を示唆する、
量子論の自然現象への普遍的な通用の察知などと共に、究極レベルでは潰えたのだが、
未だに人文レベルでは、「知らざるを知らずと為す」を金科玉条に掲げる思い上がりによって
「知るを知ると為す」を軽視する傾向がまかり通り、政治や人事のなんたるかも知らないような
愚民といえども、選挙によって善政に貢献できるかのような思い込みまでもが通用し続けているのである。
まず「知らざるを知らずと為す」のソクラテス、プラトン学派があった上で、
その尻ぬぐい役としてのアリストテレス学派が、申し訳程度に
「知るを知ると為す」を付け足して行った優先順位こそを基礎として来た。
実学止まりなアリストテレスの卑俗さを乗り越えて、
ソクラテスやプラトンが掲げたイデア上の理想へとたどり着こうとする志向性が、
形而上の超越神を崇め立てるキリスト信仰などによっても強化されながら、
何もかもを「知らざるを知らずと為す」の正当化に集約させる試みを続けて来た。
その試みは結局、万物を人間たち自身のイデア想起に還元することの不能性を示唆する、
量子論の自然現象への普遍的な通用の察知などと共に、究極レベルでは潰えたのだが、
未だに人文レベルでは、「知らざるを知らずと為す」を金科玉条に掲げる思い上がりによって
「知るを知ると為す」を軽視する傾向がまかり通り、政治や人事のなんたるかも知らないような
愚民といえども、選挙によって善政に貢献できるかのような思い込みまでもが通用し続けているのである。
「知るを知ると為す」のみならず、「知らざるを知らずと為す」もまた、
知恵の向上のために必須な心がけであるのには違いないが、逆に
「知らざるを知らずと為す」によって自らの無知を開き直り、「知るを知ると為す」や
その達者を軽んじたりするようなら、それはあまりにも有害無益な暴挙となる。
「民間の専門職にも素人には到底務まらないようなものが数多くあるのに、
政治だけは門外漢の素人にも務まるなんてことがあるわけがない」
という孟子の言葉も、聞いてみればごく当たり前な自明の法則なのに、
無知の知による思い上がりに駆られているような人間たるや、恒常的にそれを見落とし、
政治や人事の手法なんか何もわからなくても選挙に行く。それが民主政のほぼすべてでもある。
それは、人間の常なる姿ではない。
無知の知を堅実な知恵の上に置こうとするような、異学邪見に心が囚われた
愚か者ならではの狂態であるが故に、優れた治政が敷かれたことのある国まで
ダメにしてしまう張本人にすら自分たちが成り果ててしまうのである。
たとえ民主制を理想の体制だと考えている内からでも、無知の知こそが人間の最善の在り方だと
思い込んでるが故の思い上がりなどがなければ、賢良な候補者を当選させる見込みもないような
選挙にあえて行ったりはしないなどの選択をするはずである。そのせいで投票率が低下しようとも、
良民の民意の表れとして汲み取って、政治も為政者たちの自己責任で行われたりするべきなのである。
知恵の向上のために必須な心がけであるのには違いないが、逆に
「知らざるを知らずと為す」によって自らの無知を開き直り、「知るを知ると為す」や
その達者を軽んじたりするようなら、それはあまりにも有害無益な暴挙となる。
「民間の専門職にも素人には到底務まらないようなものが数多くあるのに、
政治だけは門外漢の素人にも務まるなんてことがあるわけがない」
という孟子の言葉も、聞いてみればごく当たり前な自明の法則なのに、
無知の知による思い上がりに駆られているような人間たるや、恒常的にそれを見落とし、
政治や人事の手法なんか何もわからなくても選挙に行く。それが民主政のほぼすべてでもある。
それは、人間の常なる姿ではない。
無知の知を堅実な知恵の上に置こうとするような、異学邪見に心が囚われた
愚か者ならではの狂態であるが故に、優れた治政が敷かれたことのある国まで
ダメにしてしまう張本人にすら自分たちが成り果ててしまうのである。
たとえ民主制を理想の体制だと考えている内からでも、無知の知こそが人間の最善の在り方だと
思い込んでるが故の思い上がりなどがなければ、賢良な候補者を当選させる見込みもないような
選挙にあえて行ったりはしないなどの選択をするはずである。そのせいで投票率が低下しようとも、
良民の民意の表れとして汲み取って、政治も為政者たちの自己責任で行われたりするべきなのである。
友人として、あるいは仕事仲間として、な。
おまえも実は友人とかいなくて、
仕事仲間も純粋にビジネスライクな相手しかいなかったりするのか?
バブル世代の医者というのが本当なら、作れなくもなかったはずだが。
おまえも実は友人とかいなくて、
仕事仲間も純粋にビジネスライクな相手しかいなかったりするのか?
バブル世代の医者というのが本当なら、作れなくもなかったはずだが。
特にいつもと変わらないのにそう思うのは、おまえのほうが
久しぶりに、人間的な情を抱き始めてるからなんじゃないのか?
いまわの際にでもそこに立ち戻れるのなら、
死ぬまで洗脳下だろう山上の母親などよりはマシな人生なんじゃないかね?
久しぶりに、人間的な情を抱き始めてるからなんじゃないのか?
いまわの際にでもそこに立ち戻れるのなら、
死ぬまで洗脳下だろう山上の母親などよりはマシな人生なんじゃないかね?
(>>41の続き)
「知らざるを知らずと為す」の開き直りに囚われるあまり、
「知るを知ると為す」を疎かにする者は、知的好奇心全般を萎えさせて、
勉強嫌い、インテリ嫌いのような性向を強固ならしめて行くこととなる。
すると、知的好奇心さえあれば知能の高低に関わらず理解できるような、
ある種の物事がどうあっても理解できないようなことにもなってしまう。
合気道家の塩田剛三氏は、車にひかれそうになった瞬間、鍛え抜いた反射神経で
飛び上がってボンネットの上に乗り、一命を取り留めたことがあるという。
もしも合気道を修めていなければ事故死か、そこまで行かずとも重傷ぐらい
負っていたかもしれないが、そうはならずに全く無傷で済んだ。そのような、
「無事是貴人」の偉大さが理解できず、せいぜい大怪我を負った患者を
医者が治療する所あたりまでしか理解が務まらないようなことになる。
別に理論的に難しい所などどこにもないが、偉大な人間が偉大だからこそ、
さしたる怪我や病気にも見舞われることなく息災でいることに尊重意識を抱いて、
その在り方を見習って行くことも務まらなくなる。たとえどんなに頭がよかった所で
それには変わりなく、それこそが「頭がいいだけのボンクラ」の典型ともなる。
洋学の高偏差値大学を卒業したような高学歴などに、その手の人種が多いのも、
ただ頭の良さだけを要求し、「知るを知ると為す」を楽しめるが故の、
知的好奇心の高さなどまではさほど要求していないからなのである。
「知らざるを知らずと為す」の開き直りに囚われるあまり、
「知るを知ると為す」を疎かにする者は、知的好奇心全般を萎えさせて、
勉強嫌い、インテリ嫌いのような性向を強固ならしめて行くこととなる。
すると、知的好奇心さえあれば知能の高低に関わらず理解できるような、
ある種の物事がどうあっても理解できないようなことにもなってしまう。
合気道家の塩田剛三氏は、車にひかれそうになった瞬間、鍛え抜いた反射神経で
飛び上がってボンネットの上に乗り、一命を取り留めたことがあるという。
もしも合気道を修めていなければ事故死か、そこまで行かずとも重傷ぐらい
負っていたかもしれないが、そうはならずに全く無傷で済んだ。そのような、
「無事是貴人」の偉大さが理解できず、せいぜい大怪我を負った患者を
医者が治療する所あたりまでしか理解が務まらないようなことになる。
別に理論的に難しい所などどこにもないが、偉大な人間が偉大だからこそ、
さしたる怪我や病気にも見舞われることなく息災でいることに尊重意識を抱いて、
その在り方を見習って行くことも務まらなくなる。たとえどんなに頭がよかった所で
それには変わりなく、それこそが「頭がいいだけのボンクラ」の典型ともなる。
洋学の高偏差値大学を卒業したような高学歴などに、その手の人種が多いのも、
ただ頭の良さだけを要求し、「知るを知ると為す」を楽しめるが故の、
知的好奇心の高さなどまではさほど要求していないからなのである。
「知らざるを知らずと為す」中毒による知的好奇心の損耗によって、
本当に効果のある本物の養生術に取り組んでいるからこそ、
健康長寿で生涯医者いらずな相手などを尊ぶことができなくなる一方、
日ごろから不注意や不摂生ばかりでいるせいで、大怪我や大病を負った愚か者を、
医者が医療保険で国の借金を山積させながら治すような姿だけは尊ぶようなことになる。
プラスマイナスゼロ以上の賢良さを尊ぶことができないくせに、
プラマイゼロ以下のマッチポンプだけは尊ぶような、対人評価のダークサイドに陥ってしまう。
さような人間が政治家を選ぼうなどとすれば当然、
本当に世の中を良くしてくれるような聖賢は、その素養を尊べないあまりに退け、
失政や悪政しか務まらない代わりに、巧言令色で支持者をいい気分にさせてやる
能力にだけは長けているような偽善者こそを好んで支持、投票するようなことにも当然なる。
ただ贋物にたぶらかされてまんまと支持してしまうだけでなく、見る目のなさを
開き直る思い上がりのあまりに、本物こそを選別的に排除することともなってしまう。
重ねて言うけれども、決して人間という生き物の常なる姿なのではなく、
異学邪見による悪性の植え付けなどもあって、初めて来たしている愚かさなのである。
本当に効果のある本物の養生術に取り組んでいるからこそ、
健康長寿で生涯医者いらずな相手などを尊ぶことができなくなる一方、
日ごろから不注意や不摂生ばかりでいるせいで、大怪我や大病を負った愚か者を、
医者が医療保険で国の借金を山積させながら治すような姿だけは尊ぶようなことになる。
プラスマイナスゼロ以上の賢良さを尊ぶことができないくせに、
プラマイゼロ以下のマッチポンプだけは尊ぶような、対人評価のダークサイドに陥ってしまう。
さような人間が政治家を選ぼうなどとすれば当然、
本当に世の中を良くしてくれるような聖賢は、その素養を尊べないあまりに退け、
失政や悪政しか務まらない代わりに、巧言令色で支持者をいい気分にさせてやる
能力にだけは長けているような偽善者こそを好んで支持、投票するようなことにも当然なる。
ただ贋物にたぶらかされてまんまと支持してしまうだけでなく、見る目のなさを
開き直る思い上がりのあまりに、本物こそを選別的に排除することともなってしまう。
重ねて言うけれども、決して人間という生き物の常なる姿なのではなく、
異学邪見による悪性の植え付けなどもあって、初めて来たしている愚かさなのである。
とにかく、生きてる相手を引きずりおろしたくして仕方ない、か。
死人に鞭打つなんて生ぬるいとしか思えないほどの悪意の塊の故に?
死人に鞭打つなんて生ぬるいとしか思えないほどの悪意の塊の故に?
LGBTに自由なんかを与えてやっても、
この上なく自分勝手で傍若無人な振舞いに及んだ挙句、
その暴虐さが自分自身に向いた途端にショックで死んでしまうという、
身を挺しての証拠になったような、ならなかったような?
今回の場合、本人自身の性癖などとも無関係な域で、
誰の目から見ても身勝手で非道としか言えないような振舞いに
及んでいたのだから、批判を受けるのも仕方ない所があったし、
それをLGBTへの非難にすり替えたりするのもおかしいという声も聞くが。
少なくとも、男女の別や、それに基づく家庭の円満を重んずる
男であれば似たような真似にすら及ぶはずもなかったわけで、
LGBT推進が人々の淫蕩さを助長して来た程度には、
そこにも独自の問題があったといえるのではなかろうか。
ヘテロの情愛といえども似たような問題を来たすことが
いくらでもあるわけだから、決して完全に特有だなどとも言えないが。
この上なく自分勝手で傍若無人な振舞いに及んだ挙句、
その暴虐さが自分自身に向いた途端にショックで死んでしまうという、
身を挺しての証拠になったような、ならなかったような?
今回の場合、本人自身の性癖などとも無関係な域で、
誰の目から見ても身勝手で非道としか言えないような振舞いに
及んでいたのだから、批判を受けるのも仕方ない所があったし、
それをLGBTへの非難にすり替えたりするのもおかしいという声も聞くが。
少なくとも、男女の別や、それに基づく家庭の円満を重んずる
男であれば似たような真似にすら及ぶはずもなかったわけで、
LGBT推進が人々の淫蕩さを助長して来た程度には、
そこにも独自の問題があったといえるのではなかろうか。
ヘテロの情愛といえども似たような問題を来たすことが
いくらでもあるわけだから、決して完全に特有だなどとも言えないが。
>>53
良くも悪しくも、そういう付き合い方しかもはや
しようにもできない立場だからな、否定派も俺も。
あまりにも多大なる試練ばかりを乗り越えて来たせいで、なにげない
思考や言動の端々に至るまで、鉄塊のごとき重苦しさを帯びてしまっている。
そんな相手と、ガラス細工のような神経した女が対等に付き合ったりしようものなら、
なんのこともないはずの言動にまでいちいち耐え難いストレスやショックを抱かされて、
あっという間に精神を病んでギブアップしてしまうことになるのが必定だから。
自分たちの身を守るためにこそ、一歩も二歩も引いた付き合いに徹するしかない。
もちろんそんなわきまえのある女が現状、皆無であるのも知った上での話だがな。^^
良くも悪しくも、そういう付き合い方しかもはや
しようにもできない立場だからな、否定派も俺も。
あまりにも多大なる試練ばかりを乗り越えて来たせいで、なにげない
思考や言動の端々に至るまで、鉄塊のごとき重苦しさを帯びてしまっている。
そんな相手と、ガラス細工のような神経した女が対等に付き合ったりしようものなら、
なんのこともないはずの言動にまでいちいち耐え難いストレスやショックを抱かされて、
あっという間に精神を病んでギブアップしてしまうことになるのが必定だから。
自分たちの身を守るためにこそ、一歩も二歩も引いた付き合いに徹するしかない。
もちろんそんなわきまえのある女が現状、皆無であるのも知った上での話だがな。^^
さっきもテレビで特集されてた、外国人観光客の動向。
別に精鋭の俳優やモデルでもない、ごく一般的な外国人の容貌を見るに、
アメリカ人や白人、黒人に限らず、中国人やその他アジア人でも、
明らかにローティーン以下な子供を除いて、みんな腹が出ている。
「腹が出てる」というのも正確には語弊で、もっとちゃんと言うと、
日本では腹が出てると称される程度のウエストの太さをしている。
その上で、日本人よりも肩回りが広くて胸板が厚いために、
(そのため実際には、特別腹が出ているというわけでもない)
全体的なシルエットでは、一般的な日本人よりも総じて頭が小さく見える。
あれが、本来の普通のホモサピエンスの大人の体型。
胸肩回りから腹、腰や臀部に至るまで子供のように細い体の上に、
大きな大人の頭が乗っかっているコケシ体型を理想の体型だなどと
思い込んでのダイエットに励んでいる日本人のほうがおかしいだけで、
そこから「日本人は頭が(絶対的に)大きい」などと思い込むのも勘違いに過ぎること。
別に精鋭の俳優やモデルでもない、ごく一般的な外国人の容貌を見るに、
アメリカ人や白人、黒人に限らず、中国人やその他アジア人でも、
明らかにローティーン以下な子供を除いて、みんな腹が出ている。
「腹が出てる」というのも正確には語弊で、もっとちゃんと言うと、
日本では腹が出てると称される程度のウエストの太さをしている。
その上で、日本人よりも肩回りが広くて胸板が厚いために、
(そのため実際には、特別腹が出ているというわけでもない)
全体的なシルエットでは、一般的な日本人よりも総じて頭が小さく見える。
あれが、本来の普通のホモサピエンスの大人の体型。
胸肩回りから腹、腰や臀部に至るまで子供のように細い体の上に、
大きな大人の頭が乗っかっているコケシ体型を理想の体型だなどと
思い込んでのダイエットに励んでいる日本人のほうがおかしいだけで、
そこから「日本人は頭が(絶対的に)大きい」などと思い込むのも勘違いに過ぎること。
気違いが便所スレをageるな
逃げデブw
日本人でも、水かき運動で肩関節が自然矯正された水泳選手などには、
骨格に相応な肩幅を保っている人間がいるが、あれを「あんまり好みじゃない」
などと敬遠する人間もいるぐらいだし、もはやコケシ体型好みの悪趣味が板について
しまっている場合も多く、そこからの幼稚好みへの陥りなども顕著となっている。
島国のような閉鎖的社会で、180゚顛倒夢想といえども、集団妄想が
隅々まで行き届いて常識化すると、嗜好性までをもある程度はそこに合わせて、
コケシ体型こそを本当に好き好むような連中までもが現れるようになる。
相変わらず大谷のキャプ翼体型等も崇めながら、それはそれ、全く別世界の人間として、
「生まれつき頭が大きい一般的な日本人」というコケシ系の仮想領域を勝手に捏造し、
そこでの好き嫌いや毀誉をまた別個に育むという、自己矛盾を正当化する住み分けを試みる。
実際には、日本人が骨格から特別に頭が大きい人種だなどという事実はなく、
ただ肩関節の拘縮や胸筋の委縮のような国民病のせいで相対的に頭が大きく
見えているだけで、それを矯正することも全くの不可能なわけではないのだが。
国全体が集団妄想に囚われた、ダイエットダイエット大合唱な状態であえてそれを試みるのも、
常識を疑い乗り越えて行くような二重、三重の困難が付きまとうために、大体の場合には
諦めのほうが勝ってしまい、コケシ体型嗜好の檻の中にとどまり続けることとなってしまうのである。
骨格に相応な肩幅を保っている人間がいるが、あれを「あんまり好みじゃない」
などと敬遠する人間もいるぐらいだし、もはやコケシ体型好みの悪趣味が板について
しまっている場合も多く、そこからの幼稚好みへの陥りなども顕著となっている。
島国のような閉鎖的社会で、180゚顛倒夢想といえども、集団妄想が
隅々まで行き届いて常識化すると、嗜好性までをもある程度はそこに合わせて、
コケシ体型こそを本当に好き好むような連中までもが現れるようになる。
相変わらず大谷のキャプ翼体型等も崇めながら、それはそれ、全く別世界の人間として、
「生まれつき頭が大きい一般的な日本人」というコケシ系の仮想領域を勝手に捏造し、
そこでの好き嫌いや毀誉をまた別個に育むという、自己矛盾を正当化する住み分けを試みる。
実際には、日本人が骨格から特別に頭が大きい人種だなどという事実はなく、
ただ肩関節の拘縮や胸筋の委縮のような国民病のせいで相対的に頭が大きく
見えているだけで、それを矯正することも全くの不可能なわけではないのだが。
国全体が集団妄想に囚われた、ダイエットダイエット大合唱な状態であえてそれを試みるのも、
常識を疑い乗り越えて行くような二重、三重の困難が付きまとうために、大体の場合には
諦めのほうが勝ってしまい、コケシ体型嗜好の檻の中にとどまり続けることとなってしまうのである。
選挙政治もまた、有権者たる一般国民が揃いも揃って、自分たちの
人を見る目のなさなんかお構いなしに、義務感まで抱いて投票に行ったりしてるようなら、
自分もまたそこに同調して、盲人の色当てゲームなみの不可能沙汰の強要にも
なんらの疑問も抱かないままで終わるようになるのである。
「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
なみに自明で、子供でも分かるような教条ばかりが述べ連ねられている論語にも、
「巧言令色すくなきは仁なり」とある上に、その逆を行くような不仁の偽善者が無数に
この世に遍在している実例などからも、これまた自明な法則だと察せられるものなのだが。
それでも、誰しもが人を見る目のなさを開き直っているような同調圧力の中では、
巧言令色の巧拙だけで候補者を吟味し、選挙で投票するような真似が平気でまかり通るようになる。
統一教会の信者が、家庭円満を謳う教団への高額献金によって
破産からの家庭崩壊を招いていたりする姿は、いかにもカルト信者ならではの
狂態のように思われるけれども、それと全く同レベルの自己破綻的な振舞いを、
国全体が帯びている同調圧力に吞み込まれた状態であれば、誰しもが平気で繰り返すのである。
人を見る目のなさなんかお構いなしに、義務感まで抱いて投票に行ったりしてるようなら、
自分もまたそこに同調して、盲人の色当てゲームなみの不可能沙汰の強要にも
なんらの疑問も抱かないままで終わるようになるのである。
「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
なみに自明で、子供でも分かるような教条ばかりが述べ連ねられている論語にも、
「巧言令色すくなきは仁なり」とある上に、その逆を行くような不仁の偽善者が無数に
この世に遍在している実例などからも、これまた自明な法則だと察せられるものなのだが。
それでも、誰しもが人を見る目のなさを開き直っているような同調圧力の中では、
巧言令色の巧拙だけで候補者を吟味し、選挙で投票するような真似が平気でまかり通るようになる。
統一教会の信者が、家庭円満を謳う教団への高額献金によって
破産からの家庭崩壊を招いていたりする姿は、いかにもカルト信者ならではの
狂態のように思われるけれども、それと全く同レベルの自己破綻的な振舞いを、
国全体が帯びている同調圧力に吞み込まれた状態であれば、誰しもが平気で繰り返すのである。
妻妾制を肯定するような俺の発言が、現代日本の常識からはかけ離れていることから、
>>62も俺をカルトの教祖呼ばわりまでしているけれども、今でもインドやイスラム圏のような、
世界人口の半数程度に該当する地域が習俗としての妻妾制を許容しているし、それが国ぐるみ
並みの広汎さであるものだから、その地域の範囲内においては誰も違和感を抱いたりしていない。
大多数の一般大衆は、それが真実か否か、道義的に正しいか否かよりも、
天下に通用している常識か否かのほうに容易く迎合させられるものなのであり、
それは傾国、亡国級な愚行の敢行が常識化している場合だろうとも変わることではない。
日本もまた、ほんの100年ほど前までは、有力者が妾を囲うなどむしろ甲斐性のうち
扱いだったのだし、妻妾をカルト呼ばわりされることなく侍らせたいのなら、
ただそれを国家規模での一般常識化させればいいだけのことである。
ただ、そこでそれが人と世を今以上に損ねる蛮習と化したりするようなら、やめるべきである。
妻妾制を廃した民主主義国が総じて行き詰まっている一方、インドや中東諸国が国力発展の面から
盛況であり続けているのを見るに、妻妾制が民主制よりもそうなるなんてことはないようだが。
>>62も俺をカルトの教祖呼ばわりまでしているけれども、今でもインドやイスラム圏のような、
世界人口の半数程度に該当する地域が習俗としての妻妾制を許容しているし、それが国ぐるみ
並みの広汎さであるものだから、その地域の範囲内においては誰も違和感を抱いたりしていない。
大多数の一般大衆は、それが真実か否か、道義的に正しいか否かよりも、
天下に通用している常識か否かのほうに容易く迎合させられるものなのであり、
それは傾国、亡国級な愚行の敢行が常識化している場合だろうとも変わることではない。
日本もまた、ほんの100年ほど前までは、有力者が妾を囲うなどむしろ甲斐性のうち
扱いだったのだし、妻妾をカルト呼ばわりされることなく侍らせたいのなら、
ただそれを国家規模での一般常識化させればいいだけのことである。
ただ、そこでそれが人と世を今以上に損ねる蛮習と化したりするようなら、やめるべきである。
妻妾制を廃した民主主義国が総じて行き詰まっている一方、インドや中東諸国が国力発展の面から
盛況であり続けているのを見るに、妻妾制が民主制よりもそうなるなんてことはないようだが。
>>64
>62なども、そのようなやっかみを原動力としての中傷に及んだのかもしれないが、
それにしたって、その発言内容こそを頼りにした>65みたいな考究を展開して行く
こともできたわけで、「他山の石、以て球を磨くべし」の石程度の価値はあるものだ。
だいたいが、他者からの誹謗中傷が気になって仕方がないような者たち自身もまた、
まったく自分自身には何の問題もないなどと断じきれるわけでもないだろう。
「自分のことを理解していない相手からの批判よりもまず、評価を真に受けない」という
自己誓約によって、他者からの誹謗中傷への感傷を完全にシャットアウトできている観点からすれば、
いちいち自分への毀誉褒貶が気になって仕方がないでいるような連中たち自身もまた、
自分のことを知らないような相手からのおべっか使いまでをも嬉しがって期待しているような、
矮小な虚栄心の持ち主だからそうなってしまっているのではないかとも思えるわけで。
法定上の侮辱罪や名誉棄損罪に該当するほどの、過度の非難にももちろん問題はあるが、
異性愛者を称して妻子を得ながら、同性愛を告白して妻子を棄てる並みの身勝手さに及んだ
相手に眉を顰める並みに良識を帯びた批判に至るまでをもそれと糞味噌に扱うべきではなく、
自分自身に問題がある場合の批判を真摯に受け止めるべきなのはもちろんのこと、自己向上
の肥やしとするためにむしろ批判のほうをより好き好むぐらいであってもいいのである。
>62なども、そのようなやっかみを原動力としての中傷に及んだのかもしれないが、
それにしたって、その発言内容こそを頼りにした>65みたいな考究を展開して行く
こともできたわけで、「他山の石、以て球を磨くべし」の石程度の価値はあるものだ。
だいたいが、他者からの誹謗中傷が気になって仕方がないような者たち自身もまた、
まったく自分自身には何の問題もないなどと断じきれるわけでもないだろう。
「自分のことを理解していない相手からの批判よりもまず、評価を真に受けない」という
自己誓約によって、他者からの誹謗中傷への感傷を完全にシャットアウトできている観点からすれば、
いちいち自分への毀誉褒貶が気になって仕方がないでいるような連中たち自身もまた、
自分のことを知らないような相手からのおべっか使いまでをも嬉しがって期待しているような、
矮小な虚栄心の持ち主だからそうなってしまっているのではないかとも思えるわけで。
法定上の侮辱罪や名誉棄損罪に該当するほどの、過度の非難にももちろん問題はあるが、
異性愛者を称して妻子を得ながら、同性愛を告白して妻子を棄てる並みの身勝手さに及んだ
相手に眉を顰める並みに良識を帯びた批判に至るまでをもそれと糞味噌に扱うべきではなく、
自分自身に問題がある場合の批判を真摯に受け止めるべきなのはもちろんのこと、自己向上
の肥やしとするためにむしろ批判のほうをより好き好むぐらいであってもいいのである。
本当は、タマのある男なら誰でも、誹謗中傷なんか
歯牙にもかけないでいられるぐらいの精神的な強さを保てる。
女は無理でも、そういう男を拠り所とすることで安心感が得られる。
そこを公序良俗の大黒柱として来たのが人類史のほとんどだし、
女性の自立や男女平等などを口実にそれを損ねた現代社会が、持続不能な強度で
行き詰っているのを見るに、少なくとも世の中の大多数が、さような夫唱婦随を
頼りとするのでもなければ、人間社会は成り立たないようにできているようである。
他者への批判は公正だろうが不正だろうがひとしなみに許さないなんていう、
女のヒス標準に何もかもを合わせてやるような風潮が行きつく先にあるのはおそらく、
何もかもが宦官趙高の胸先三寸で取り決められていた末期の秦帝国なみの圧制でもあろうし、
そんな体制が10年と持つわけがない上に、そもそもが自由主義の末路が
不自由の極みに帰結するという本末転倒の事態とも相成るわけである。
歯牙にもかけないでいられるぐらいの精神的な強さを保てる。
女は無理でも、そういう男を拠り所とすることで安心感が得られる。
そこを公序良俗の大黒柱として来たのが人類史のほとんどだし、
女性の自立や男女平等などを口実にそれを損ねた現代社会が、持続不能な強度で
行き詰っているのを見るに、少なくとも世の中の大多数が、さような夫唱婦随を
頼りとするのでもなければ、人間社会は成り立たないようにできているようである。
他者への批判は公正だろうが不正だろうがひとしなみに許さないなんていう、
女のヒス標準に何もかもを合わせてやるような風潮が行きつく先にあるのはおそらく、
何もかもが宦官趙高の胸先三寸で取り決められていた末期の秦帝国なみの圧制でもあろうし、
そんな体制が10年と持つわけがない上に、そもそもが自由主義の末路が
不自由の極みに帰結するという本末転倒の事態とも相成るわけである。
生きて行くうえで欠くべからざる、健全な苦労をしている分にはまだ、
それを果たしてもいないような相手を見下してかかる資格も備わろうものが。
実際には、江戸時代の倍以上の労働時間とかいう、
やってる感演出のための非効率作業に人生のほとんどを費やしておいて、
その挙句に国を経済破綻からの戦争の危機に陥れているだけだし、
無駄な労苦に煩わされておきながら社会人としての最低限の責務も果たせずに
いるとかいう無職ニート未満の行状止まりであるからには、自分たちのほうが
「バッカじゃねぇの」とあきれ返られるに足る分際であるに止まるのみである。
そんな痴態の元手となっているのもまた、
善政を期待しながら悪政の大家ばかりに投票し、
デブを貶しながらデブだらけのアメリカを敬い、
キャプ翼体型に憧れながらコケシ体型を目指しているような、
何かにかけて自己破綻まみれな衆愚さのブースト加減でこそある。
国民主権で、お殿様に平伏させられるようなこともなくなったが故の、
思い上がりまみれの気分の良さと引き換えな結果なのだから、
因果応報であるとも言えるが。どうせ職場の上司とか家内とか税務署とか、
頭を上げられない相手は相変わらずいくらでもいるのを思えば、
やはりプラマイゼロ以下の屈辱まみれな生涯であることにも変わりはなかろうがな。
それを果たしてもいないような相手を見下してかかる資格も備わろうものが。
実際には、江戸時代の倍以上の労働時間とかいう、
やってる感演出のための非効率作業に人生のほとんどを費やしておいて、
その挙句に国を経済破綻からの戦争の危機に陥れているだけだし、
無駄な労苦に煩わされておきながら社会人としての最低限の責務も果たせずに
いるとかいう無職ニート未満の行状止まりであるからには、自分たちのほうが
「バッカじゃねぇの」とあきれ返られるに足る分際であるに止まるのみである。
そんな痴態の元手となっているのもまた、
善政を期待しながら悪政の大家ばかりに投票し、
デブを貶しながらデブだらけのアメリカを敬い、
キャプ翼体型に憧れながらコケシ体型を目指しているような、
何かにかけて自己破綻まみれな衆愚さのブースト加減でこそある。
国民主権で、お殿様に平伏させられるようなこともなくなったが故の、
思い上がりまみれの気分の良さと引き換えな結果なのだから、
因果応報であるとも言えるが。どうせ職場の上司とか家内とか税務署とか、
頭を上げられない相手は相変わらずいくらでもいるのを思えば、
やはりプラマイゼロ以下の屈辱まみれな生涯であることにも変わりはなかろうがな。
無論、自分自身の身の程もまた、わきまえにわきまえ抜いた上での物言いである。
自称無職ニートでいながらこの世の全てを見下すような物言いを続けているのもまた、
「おまえらの現状に基づくのなら、これが相応だろうが」という対応原理に基づく。
誰しもが生きて行くために必要な努力を着実に重ねているような時勢においては、
撤回せねばならないような態度姿勢であるのもまた重々承知ではあるが、少なくとも
今はまだそうではない。そうではないことをおまえらこそが証し続けてくれている。
「敵を知らず己を知らざれば戦うごとに危うし(孫子)」というが、
鹿を馬だと思い込むレベルの自己破綻で脳内が塗り固められておきながら、
そのような自分たちの在り方が全く見えていないおまえらともなれば、
自己破綻もできないほど低い知能の中だけで生きている、アリやゴキブリ
のごとき虫けらが相手でも勝ち抜けることはなかろうよ。
自称無職ニートでいながらこの世の全てを見下すような物言いを続けているのもまた、
「おまえらの現状に基づくのなら、これが相応だろうが」という対応原理に基づく。
誰しもが生きて行くために必要な努力を着実に重ねているような時勢においては、
撤回せねばならないような態度姿勢であるのもまた重々承知ではあるが、少なくとも
今はまだそうではない。そうではないことをおまえらこそが証し続けてくれている。
「敵を知らず己を知らざれば戦うごとに危うし(孫子)」というが、
鹿を馬だと思い込むレベルの自己破綻で脳内が塗り固められておきながら、
そのような自分たちの在り方が全く見えていないおまえらともなれば、
自己破綻もできないほど低い知能の中だけで生きている、アリやゴキブリ
のごとき虫けらが相手でも勝ち抜けることはなかろうよ。
昆虫には、自分の頭で考える脳の中枢が存在せず、
生まれ持った神経の反射だけで動いているから、IQは0とされる。
IQがなければ、思考が自己破綻するようなことも当然ない。
「善政を望む」×「悪政家を支持する」
「デブを嫌う」×「デブだらけのアメリカを好む」
「キャプ翼体型に憧れる」×「コケシ体型を目指す」
これらは、自分の頭で考えられるだけの高IQの持ち主こそが、
同時に持ち合わせることで自己破綻する取り合わせである。
自己破綻していながらも、それに気づかないままでいるのは、
時系列によってIQが乱高下しているような精神状態にあるから。
IQの谷の右側では善政を望み、左側では悪政家を支持するような、
相反する志向性の持ち回りを自分一人で行っているような
分裂状態にあることこそが、虫未満の痴態たる本質である。
それは、どんなに一時的な知能を高めた所で埋め合わせられる
愚かさではなく、だからこそ東大卒や医者、弁護士級のインテリ
の中にすら、いくらでもその手の患いの持ち主がいるのである。
生まれ持った神経の反射だけで動いているから、IQは0とされる。
IQがなければ、思考が自己破綻するようなことも当然ない。
「善政を望む」×「悪政家を支持する」
「デブを嫌う」×「デブだらけのアメリカを好む」
「キャプ翼体型に憧れる」×「コケシ体型を目指す」
これらは、自分の頭で考えられるだけの高IQの持ち主こそが、
同時に持ち合わせることで自己破綻する取り合わせである。
自己破綻していながらも、それに気づかないままでいるのは、
時系列によってIQが乱高下しているような精神状態にあるから。
IQの谷の右側では善政を望み、左側では悪政家を支持するような、
相反する志向性の持ち回りを自分一人で行っているような
分裂状態にあることこそが、虫未満の痴態たる本質である。
それは、どんなに一時的な知能を高めた所で埋め合わせられる
愚かさではなく、だからこそ東大卒や医者、弁護士級のインテリ
の中にすら、いくらでもその手の患いの持ち主がいるのである。
「主観と客観が分裂しての自己破綻に陥る」というのもまた、
さような知能の乱高下の持ち主にこそ特有の思い込みである。
人間だれしもが、いつも全身の映る鏡や全身の自撮りで自らのシルエットを
確認しているわけではないし、してた所で、頭からの遠近感やカメラレンズの歪み
などのせいで、自分の体型を正確にはかり知ることができているとも限らない。
特に、自らの死角に位置する胸肩回りの歪みなどを目視で正確に把握するのは
ほとんど不可能に等しい一方、腹回りが出ているかどうかは下を見るだけでも分かる。
さすれば、多くの人間が自らの胸肩が委縮しているのではなく、腹のほうが太っているものと
思い込んでのダイエットに躍起になってしまったりするのも、主観に囚われた人間の常なる姿である。
一方で、テレビに映っている赤の他人である大谷のスタイルの良さなどは、
自分たちよりもはるかに広い肩幅や厚い胸板があってのものだとも客観的に理解できる。
一方で、主観に囚われるあまり、大谷よりもはるかに胸肩周りが貧相であるのにも関わらず、
自らのスタイルが悪いのはあくまで腹が太っているからだと思い込み、ダイエットに励んで、
さらに貧相なコケシ体型へと成り果てるのも、主観と客観が分裂、相反してしまっているからである。
さような知能の乱高下の持ち主にこそ特有の思い込みである。
人間だれしもが、いつも全身の映る鏡や全身の自撮りで自らのシルエットを
確認しているわけではないし、してた所で、頭からの遠近感やカメラレンズの歪み
などのせいで、自分の体型を正確にはかり知ることができているとも限らない。
特に、自らの死角に位置する胸肩回りの歪みなどを目視で正確に把握するのは
ほとんど不可能に等しい一方、腹回りが出ているかどうかは下を見るだけでも分かる。
さすれば、多くの人間が自らの胸肩が委縮しているのではなく、腹のほうが太っているものと
思い込んでのダイエットに躍起になってしまったりするのも、主観に囚われた人間の常なる姿である。
一方で、テレビに映っている赤の他人である大谷のスタイルの良さなどは、
自分たちよりもはるかに広い肩幅や厚い胸板があってのものだとも客観的に理解できる。
一方で、主観に囚われるあまり、大谷よりもはるかに胸肩周りが貧相であるのにも関わらず、
自らのスタイルが悪いのはあくまで腹が太っているからだと思い込み、ダイエットに励んで、
さらに貧相なコケシ体型へと成り果てるのも、主観と客観が分裂、相反してしまっているからである。
上記のような場合における、主観と客観の分裂を防ぐためには、
自分自身の胸肩回りの作りのような、視覚だけでは十分に把握できないようなものに至るまでの、
イマジネーションに基づく考証を重ねて行く心がけが必要となる。
自分の肩が正常か、巻き肩か逆巻き肩かなんてのは自分で見てもまずわからないし、
よっぽど心得のある整体師などでもない限りは、人に見てもらったところでそうそうには分からないが、
並外れて(日本人なら平均的だろうとも)胸板が薄く、胸筋の横幅が短いなどの実情を頼りに、
肩の歪みを予想して、それに基づく矯正運動などを心掛けて、結果的に肩幅や胸筋の横幅が
伸びて正常化すれば、正しい検討に基づく正しい取り組みの成果だとも判明するのである。
そういうことができない人間にとっては、主観と客観というのは得てして逆転しがちなものであり、
自分がそうだから相手もそうであるに違いないなどという思い込みを頑なならしめることもままある。
養生の達人よりも医者を尊んでしまう域の人間などとも、住心を同じくするものである。
自分自身の胸肩回りの作りのような、視覚だけでは十分に把握できないようなものに至るまでの、
イマジネーションに基づく考証を重ねて行く心がけが必要となる。
自分の肩が正常か、巻き肩か逆巻き肩かなんてのは自分で見てもまずわからないし、
よっぽど心得のある整体師などでもない限りは、人に見てもらったところでそうそうには分からないが、
並外れて(日本人なら平均的だろうとも)胸板が薄く、胸筋の横幅が短いなどの実情を頼りに、
肩の歪みを予想して、それに基づく矯正運動などを心掛けて、結果的に肩幅や胸筋の横幅が
伸びて正常化すれば、正しい検討に基づく正しい取り組みの成果だとも判明するのである。
そういうことができない人間にとっては、主観と客観というのは得てして逆転しがちなものであり、
自分がそうだから相手もそうであるに違いないなどという思い込みを頑なならしめることもままある。
養生の達人よりも医者を尊んでしまう域の人間などとも、住心を同じくするものである。
己が「人を見る目」だけは疑わぬ人々?
己の「人を見る目」だけは疑わぬ人々?
己の「人を見る目」だけは疑わぬ人々?
巻き肩自体は今でも、日本人にありがちな国民病とそれなりに認知されて、
矯正する取り組みなども広まっているし、実際のところ、
「巻き肩を巻き肩でなくす」こと自体は、そんなに難しいことではない。
少し昔の日本人力士の琴奨菊のように、肩を引いて肩甲骨同士を合わせるような
ストレッチを繰り返していれば、まるでたわんだ板が逆方向へとひっくり返るように、
巻き肩が逆巻き肩へとひっくり返って、ちょうど>>85のまだ肩が悪かった頃の
俺のような鳩胸型の肩回りへと移行することができるようになる。
しかし、それは決して肩の拘縮が本当に矯正されたわけではないので、
だからこその不器用さが仇となって、巻き肩気味の稀勢の里も、逆巻き肩気味の琴奨菊も共に、
肩の拘縮が本当に少ない白鵬のようなモンゴル力士にどうしても勝ち切ることができなかった。
巻き肩でもなければ逆巻き肩止まりでもない、肩関節の拘縮解消による正常化は、
肩を引いて肩甲骨を合わせる程度の生易しいストレッチだけで済むものではなく、
最低でもカポタアサナ以上の後屈訓練を重ねて行くことで初めて実現されるものである。
それは現状、ほとんど認知されていることではないし、認知されているアシュタンガのような
上級のヨガ界隈でも劇的な上達などはほとんど不可能に等しいとされていることだけれども、
一応不可能ではないし、特に世界最高の密教を古来より尊んできたこの日本においては、
その不可能を可能とする人材もまた決して少なくはないだろうに違いないのである。
矯正する取り組みなども広まっているし、実際のところ、
「巻き肩を巻き肩でなくす」こと自体は、そんなに難しいことではない。
少し昔の日本人力士の琴奨菊のように、肩を引いて肩甲骨同士を合わせるような
ストレッチを繰り返していれば、まるでたわんだ板が逆方向へとひっくり返るように、
巻き肩が逆巻き肩へとひっくり返って、ちょうど>>85のまだ肩が悪かった頃の
俺のような鳩胸型の肩回りへと移行することができるようになる。
しかし、それは決して肩の拘縮が本当に矯正されたわけではないので、
だからこその不器用さが仇となって、巻き肩気味の稀勢の里も、逆巻き肩気味の琴奨菊も共に、
肩の拘縮が本当に少ない白鵬のようなモンゴル力士にどうしても勝ち切ることができなかった。
巻き肩でもなければ逆巻き肩止まりでもない、肩関節の拘縮解消による正常化は、
肩を引いて肩甲骨を合わせる程度の生易しいストレッチだけで済むものではなく、
最低でもカポタアサナ以上の後屈訓練を重ねて行くことで初めて実現されるものである。
それは現状、ほとんど認知されていることではないし、認知されているアシュタンガのような
上級のヨガ界隈でも劇的な上達などはほとんど不可能に等しいとされていることだけれども、
一応不可能ではないし、特に世界最高の密教を古来より尊んできたこの日本においては、
その不可能を可能とする人材もまた決して少なくはないだろうに違いないのである。
少し話は変わるが、この男がやってたことを
つぶさに分析してみるに、明確に「不仁」の行いだったよな、と。
少なくとも、同性間での小作りができない現状の科学水準の下では、
国力増進に貢献する子作りを伴う異性愛よりも、
肛門遊びや貝合わせのほうをより好き好んで、
前者を蔑ろにしたりするのは明確に不仁の域である、と。
本当は同性愛者だったことを根拠にした円満離婚(?)で、
慰謝料や養育費の支払いも疎かにしていたりしたのなら、なおのこと。
今時、不仁な人間なんていくらでもいるんだから、それだけなら珍しくもないが、
異性愛を蔑ろにした同性愛の強行で子育てをも蔑ろにしたりするのは、
もはや自己破綻からの不仁を明確に自覚せざるを得ない域であるために、
謂れのない誹謗中傷の有無なども無関係に、自己嫌悪で破滅せざるを得なかったのではないか。
つぶさに分析してみるに、明確に「不仁」の行いだったよな、と。
少なくとも、同性間での小作りができない現状の科学水準の下では、
国力増進に貢献する子作りを伴う異性愛よりも、
肛門遊びや貝合わせのほうをより好き好んで、
前者を蔑ろにしたりするのは明確に不仁の域である、と。
本当は同性愛者だったことを根拠にした円満離婚(?)で、
慰謝料や養育費の支払いも疎かにしていたりしたのなら、なおのこと。
今時、不仁な人間なんていくらでもいるんだから、それだけなら珍しくもないが、
異性愛を蔑ろにした同性愛の強行で子育てをも蔑ろにしたりするのは、
もはや自己破綻からの不仁を明確に自覚せざるを得ない域であるために、
謂れのない誹謗中傷の有無なども無関係に、自己嫌悪で破滅せざるを得なかったのではないか。
不仁の誹りを免れるためにこそ、
自分もいつかは必ず妻子を得ると誓っている。
その妨げとなるようなクズ女やその後ろ盾を退けて、
鎮護国家の礎たる大家の始祖となるためにこそ、
中年となってもまだ妻子を持たぬままでいる。
否定派も、本当にそれだけの志しの持ち主でいるのかは知らないが、
行いではそれに該当していてもおかしくない体裁でいるものだから、
今のところその同志と見ての、つかず離れずな共闘に取り組んでいる。
まともな家庭なんか過半数が築こうにも築けないで来た、
氷河期以下の次世代の大多数もまた、それに準ずるものと確信している。
自分もいつかは必ず妻子を得ると誓っている。
その妨げとなるようなクズ女やその後ろ盾を退けて、
鎮護国家の礎たる大家の始祖となるためにこそ、
中年となってもまだ妻子を持たぬままでいる。
否定派も、本当にそれだけの志しの持ち主でいるのかは知らないが、
行いではそれに該当していてもおかしくない体裁でいるものだから、
今のところその同志と見ての、つかず離れずな共闘に取り組んでいる。
まともな家庭なんか過半数が築こうにも築けないで来た、
氷河期以下の次世代の大多数もまた、それに準ずるものと確信している。
共闘だと思っているのはお前だけで、ハゲはお前のストーキングに迷惑している。
逃げていないと嘘をつきながら逃げまくってる言動不一致な社会不適格者なんかに付き纏われるんだからな。
お前がハゲを本当は見下していることにも、ハゲは気付いている。
お前は一方的な思い込みばかりの実態が全く伴わない生き方をして、人生そのものを棒に振っている。
そのさまを見て、世間はみんな笑っているよ。
逃げていないと嘘をつきながら逃げまくってる言動不一致な社会不適格者なんかに付き纏われるんだからな。
お前がハゲを本当は見下していることにも、ハゲは気付いている。
お前は一方的な思い込みばかりの実態が全く伴わない生き方をして、人生そのものを棒に振っている。
そのさまを見て、世間はみんな笑っているよ。
>>98
もちろん、無職ニートのままでの話ではない。
労働即罪悪なカルト支配、政商支配の呪縛から解き放たれた
正常な世の中において相応の立場を得て、その立場の善良な世襲
のためにこそ妻子を得て、家を盛り立てなおして行くのである。
現状では、たとえ無理にスタンドプレーなどを試みた所で、
りうちぇるやジャニタレとも大差ないような汚濁まみれからの、
自民政治家などにありがちな負の世襲の元凶となりかねないから、
年が行ってからでも精力を保ち続けられるような養生の嗜みと共なる、
無職ニートとしての雌伏の生活に甘んじているわけである。
それこそは、現状の世相における最善の選択肢の実践でもあるが故に、
吾れこそは暫定的な最勝の王者であるとも自認しているわけだがな。^^
もちろん、無職ニートのままでの話ではない。
労働即罪悪なカルト支配、政商支配の呪縛から解き放たれた
正常な世の中において相応の立場を得て、その立場の善良な世襲
のためにこそ妻子を得て、家を盛り立てなおして行くのである。
現状では、たとえ無理にスタンドプレーなどを試みた所で、
りうちぇるやジャニタレとも大差ないような汚濁まみれからの、
自民政治家などにありがちな負の世襲の元凶となりかねないから、
年が行ってからでも精力を保ち続けられるような養生の嗜みと共なる、
無職ニートとしての雌伏の生活に甘んじているわけである。
それこそは、現状の世相における最善の選択肢の実践でもあるが故に、
吾れこそは暫定的な最勝の王者であるとも自認しているわけだがな。^^
>>99
「俺と仲良くしたければ、まず相応な待遇を用意しろ」
と否定派も明言しているし、現状まだそれができていないのだから、
無視同然に扱われるのも仕方のないことだと思っている。
おまえらは、自分たち自身が人を親愛するとなれば偏愛しかできない
匹夫小人だからといって、俺にもその尺度を当てはめて、否定派への
ストーカー的な片思いを募らせているように見当してるのかもしれんが。
否定派は、俺にとっては、共に次代での勇躍を果たさんと願う多くの
ともがらのうちの一人という扱いであり、矮小な情愛などとは別次元の話である。
未だ顔も名前も知らない赤の他人が、まだ若いとか付き合いが薄いとかの
不当な理由で最低賃金以下で働かされるようなことがあれば、そこにも
慈悲の思いを抱き、誰しもがそのような待遇から解放されることを願ってやまぬ。
否定派も顔は知ってるが名前はまだ知らないし、それに毛が生えた程度のことである。
万人の幸福を願う能力のない小人が、それ故の心の隙間の埋め合わせのために、
一部の人間を掻い摘んで溺愛するような真似とは、根本的に意味が違うのである。
「俺と仲良くしたければ、まず相応な待遇を用意しろ」
と否定派も明言しているし、現状まだそれができていないのだから、
無視同然に扱われるのも仕方のないことだと思っている。
おまえらは、自分たち自身が人を親愛するとなれば偏愛しかできない
匹夫小人だからといって、俺にもその尺度を当てはめて、否定派への
ストーカー的な片思いを募らせているように見当してるのかもしれんが。
否定派は、俺にとっては、共に次代での勇躍を果たさんと願う多くの
ともがらのうちの一人という扱いであり、矮小な情愛などとは別次元の話である。
未だ顔も名前も知らない赤の他人が、まだ若いとか付き合いが薄いとかの
不当な理由で最低賃金以下で働かされるようなことがあれば、そこにも
慈悲の思いを抱き、誰しもがそのような待遇から解放されることを願ってやまぬ。
否定派も顔は知ってるが名前はまだ知らないし、それに毛が生えた程度のことである。
万人の幸福を願う能力のない小人が、それ故の心の隙間の埋め合わせのために、
一部の人間を掻い摘んで溺愛するような真似とは、根本的に意味が違うのである。
>>102
あくまで、おまえの物言いへの反例として挙げるだけだが。
家康公は、信長秀吉という両目の上のたんこぶが消えた
還暦前後になってようやく天下を取り、成功者としての立場を確立した。
すでに老齢ではあるが、今でいう1000兆円程度の貯蓄と共に子作りにも励み続けた。
若いころに拵えた嫡子の元康は早くのうちに惨死し、二代将軍となった
秀忠の子孫もまた七代で絶え、今もその直系の子孫として続いているのは、
自らが59歳のころに生まれた頼宜→~→八代吉宗の系統である。
ーーもちろん、俺がその家康公の事績面からの後継者になるなどと
断言できるものではないが、なれるものならなりたいものでもあるし、
それぐらいの人物が現れなければ、もはや国の行く末もままならない時節でもある。
あくまで、おまえの物言いへの反例として挙げるだけだが。
家康公は、信長秀吉という両目の上のたんこぶが消えた
還暦前後になってようやく天下を取り、成功者としての立場を確立した。
すでに老齢ではあるが、今でいう1000兆円程度の貯蓄と共に子作りにも励み続けた。
若いころに拵えた嫡子の元康は早くのうちに惨死し、二代将軍となった
秀忠の子孫もまた七代で絶え、今もその直系の子孫として続いているのは、
自らが59歳のころに生まれた頼宜→~→八代吉宗の系統である。
ーーもちろん、俺がその家康公の事績面からの後継者になるなどと
断言できるものではないが、なれるものならなりたいものでもあるし、
それぐらいの人物が現れなければ、もはや国の行く末もままならない時節でもある。
近代数学もまた、実在するはずがない数へのimaginationが
不可避であるが故に、i=√-1 という概念が導入されたのだし、
そのiの導入なくしては、現実の物理現象を厳密に記述する
方程式もまた成立しないものだと証明され続けて来たのである。
イマジネーションは、イマジネーションである以上、間違ってるかもしれないが、
(これもまた不確定性原理などによって物理的遍在が実証され続けている法則である)
それが判明した時には即座に改めればいいだけ。そんなことをいちいち恐れることなく、
イマジネーション込みの考証を重ねられる者だけが、諸法実相の把握にも達し得る。
「明確に知れてないものはできる限り想定から切り捨てろ」という、
怠慢じみた指針のほうが、オッカムの如きキリスト教徒によって正当化された
元カルト教義であり、それが招いていたのも中世ヨーロッパの如き暗黒の時代でしかない。
まさにそれこそは暗愚の論理そのものなのであり、いつまでも常識扱いしていてもならないのである。
不可避であるが故に、i=√-1 という概念が導入されたのだし、
そのiの導入なくしては、現実の物理現象を厳密に記述する
方程式もまた成立しないものだと証明され続けて来たのである。
イマジネーションは、イマジネーションである以上、間違ってるかもしれないが、
(これもまた不確定性原理などによって物理的遍在が実証され続けている法則である)
それが判明した時には即座に改めればいいだけ。そんなことをいちいち恐れることなく、
イマジネーション込みの考証を重ねられる者だけが、諸法実相の把握にも達し得る。
「明確に知れてないものはできる限り想定から切り捨てろ」という、
怠慢じみた指針のほうが、オッカムの如きキリスト教徒によって正当化された
元カルト教義であり、それが招いていたのも中世ヨーロッパの如き暗黒の時代でしかない。
まさにそれこそは暗愚の論理そのものなのであり、いつまでも常識扱いしていてもならないのである。
スレの流れを豚斬るが、書き貯め放出
(>>89の続き)
りうちぇるの行いは、厳密に不仁のそれだったのだから、
仁を志す儒家的な信条の持ち主であれば、
道義に即した批判の対象とするにも足る者である。
しかし、今の時代そんな人間はほぼ皆無に等しい。
虚業による暴利の荒稼ぎなどで明確に不仁を来たしながら
何等のお咎めなしでいるような輩も数えきれないほどいる上に、
そうでないような人々にも別に仁義道徳のわきまえなどはなく、
りうちぇるを批判していたような人間もまた、そのほとんどは
なんとなくいけ好かないからとかの適当な理由で叩いてただけ。
LGBTの推進なんてのも、結局は不仁の開き直りに過ぎない。
同性愛も絶対に不仁というわけでもなく、昔の男色好きの士人のように、
妻子と共に家を盛り立てる役目もちゃんと果たした上であれば
まだ仁者たり得るものを、妻子も捨てたり持たなかったりした
上での乱交を好き好むような真似まで開き直っているのだから、
それは仁か不仁かでいえば明確に不仁であることが紛れもない。
(>>89の続き)
りうちぇるの行いは、厳密に不仁のそれだったのだから、
仁を志す儒家的な信条の持ち主であれば、
道義に即した批判の対象とするにも足る者である。
しかし、今の時代そんな人間はほぼ皆無に等しい。
虚業による暴利の荒稼ぎなどで明確に不仁を来たしながら
何等のお咎めなしでいるような輩も数えきれないほどいる上に、
そうでないような人々にも別に仁義道徳のわきまえなどはなく、
りうちぇるを批判していたような人間もまた、そのほとんどは
なんとなくいけ好かないからとかの適当な理由で叩いてただけ。
LGBTの推進なんてのも、結局は不仁の開き直りに過ぎない。
同性愛も絶対に不仁というわけでもなく、昔の男色好きの士人のように、
妻子と共に家を盛り立てる役目もちゃんと果たした上であれば
まだ仁者たり得るものを、妻子も捨てたり持たなかったりした
上での乱交を好き好むような真似まで開き直っているのだから、
それは仁か不仁かでいえば明確に不仁であることが紛れもない。
ただ、そんなLGBT推進の風潮もまた、不仁だからといって
非難するような者もそうはおらず、否定的に見る者もまた、
ただ生理的に受け付けないとかの感情的な理由ばかりに止まって
いるせいで、新機軸に否定的な老害程度の扱いにしかされない。
親交のあった芸能人「批判をバネにしてるみたいなことも言ってた」
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/07/18/...
たとえいわれなき誹謗中傷を歯牙にかけないでいられるだけの
素養があった所で、不仁からの苦悩による破滅までは避けられない。
その差異を計り知れる者もまた、今の世にはほとんどいないのだし、
誹謗中傷への傷心などよりもより根本的な所にある苦悩の源にまで
察知を働かせられないからには、こんがらがった糸をほどこうとして余計に
グチャグチャに絡ませてしまうような真似しか誰しもができないのである。
非難するような者もそうはおらず、否定的に見る者もまた、
ただ生理的に受け付けないとかの感情的な理由ばかりに止まって
いるせいで、新機軸に否定的な老害程度の扱いにしかされない。
親交のあった芸能人「批判をバネにしてるみたいなことも言ってた」
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/07/18/...
たとえいわれなき誹謗中傷を歯牙にかけないでいられるだけの
素養があった所で、不仁からの苦悩による破滅までは避けられない。
その差異を計り知れる者もまた、今の世にはほとんどいないのだし、
誹謗中傷への傷心などよりもより根本的な所にある苦悩の源にまで
察知を働かせられないからには、こんがらがった糸をほどこうとして余計に
グチャグチャに絡ませてしまうような真似しか誰しもができないのである。
ゴミクズどうしの罵り合いとはまた一興…!
社会不適格者が人様をお前呼ばわりとは何事か
身の程をわきまえろ
身の程をわきまえろ
亜HORが生きてる内はそうでしかいられなかったな。すまんな。
(>>109の続き)
今おそらく、この日本こそが、
オッカムの剃刀的な暗愚、怠慢の論理に囚われた
精神的亡者の比率が世界で最も高い部類の国ともなっている。
なればこそ、ただの一度の誤りでも決して許さず、
容赦なく解雇や降格や予算カットを試みるような狭量さの持ち主だらけでいるし、
そのような風潮がJAXAのロケット開発等にまで悪影響を及ぼしているせいで、
北朝魚羊ほどにもロケット開発が進まないような事態にも陥っている。
(成功したところで報道する気もないから取材陣も送らなかったが、失敗したものだから
報道しなければならない義務感に駆られたあまり、大手マスゴミもこうして、
弱小Vtuberから動画を借りてまでその報道に躍起になっていたわけである)
今おそらく、この日本こそが、
オッカムの剃刀的な暗愚、怠慢の論理に囚われた
精神的亡者の比率が世界で最も高い部類の国ともなっている。
なればこそ、ただの一度の誤りでも決して許さず、
容赦なく解雇や降格や予算カットを試みるような狭量さの持ち主だらけでいるし、
そのような風潮がJAXAのロケット開発等にまで悪影響を及ぼしているせいで、
北朝魚羊ほどにもロケット開発が進まないような事態にも陥っている。
(成功したところで報道する気もないから取材陣も送らなかったが、失敗したものだから
報道しなければならない義務感に駆られたあまり、大手マスゴミもこうして、
弱小Vtuberから動画を借りてまでその報道に躍起になっていたわけである)
今の日本を価値観から洗脳支配下に置いている統一教会は、
欧米のキリスト教会から異端扱いされているようなキリスト教派ではあるが、
欧米のほうがその本義のあまりにもの害悪の甚だしさから、仏教教義の剽窃による
教義の改変なり、信仰義認なり政教分離なりで低毒化に長年取り組んできたからこそ、
本来のキリスト教義をそのまま実践している統一教会を異端視しているような処もある。
(家族同士を敵対させて争わせるというのも、イエスが新約で明言していることである)
だからこそ、欧米以上に今の日本こそは、本来のキリスト教義に基づく精神の退廃を来たした
亡者の人数が際限なく膨れ上がり、即座な亡国も不可避なほどの壊乱を招いている所がある。
無論、欧米もまた所詮はキリスト教を実質的な国教とし続けていることによる危難から
完全に免れられているわけではないから、低毒化の参考として模範的だなんてわけでもない。
あくまでキリスト教的なカルトによる精神支配からの完全な脱却こそを目指すべきのみである。
欧米のキリスト教会から異端扱いされているようなキリスト教派ではあるが、
欧米のほうがその本義のあまりにもの害悪の甚だしさから、仏教教義の剽窃による
教義の改変なり、信仰義認なり政教分離なりで低毒化に長年取り組んできたからこそ、
本来のキリスト教義をそのまま実践している統一教会を異端視しているような処もある。
(家族同士を敵対させて争わせるというのも、イエスが新約で明言していることである)
だからこそ、欧米以上に今の日本こそは、本来のキリスト教義に基づく精神の退廃を来たした
亡者の人数が際限なく膨れ上がり、即座な亡国も不可避なほどの壊乱を招いている所がある。
無論、欧米もまた所詮はキリスト教を実質的な国教とし続けていることによる危難から
完全に免れられているわけではないから、低毒化の参考として模範的だなんてわけでもない。
あくまでキリスト教的なカルトによる精神支配からの完全な脱却こそを目指すべきのみである。
そういう側面もあるにはあるが、それらの志向性と、
お上への忠義をも必要とあらば両立させて行けるだけの中正さもまた尊ぶ所存。
昔の武士が今の軍人などと違っていたのは、
自分自身の考えや自尊心もまた大いに持ち合わせていた上で、
必要とあらば忠義のために命を呈することもまた辞さなかった点。
そういう人間は、不正まみれのカルト的組織においては、
なまじ忠誠心だけはある無能(B)以上の危険人物(C)とみなされて、
徹底排除の対象ともなるのだが、上から下まで仁徳を重んずる組織ならばさにあらず。
そのような組織が宗教団体はおろか、政官財、世の中のどこにも現存していない
ものだから、タイムリーな実例に即した想像などもしづらいだろうが、
日本人などは何百年もかけての構築に勤めていたあり方でもあるし、
きっとDNAにまで刻み込まれた感覚で復興して行けるものと信じてやまない。
お上への忠義をも必要とあらば両立させて行けるだけの中正さもまた尊ぶ所存。
昔の武士が今の軍人などと違っていたのは、
自分自身の考えや自尊心もまた大いに持ち合わせていた上で、
必要とあらば忠義のために命を呈することもまた辞さなかった点。
そういう人間は、不正まみれのカルト的組織においては、
なまじ忠誠心だけはある無能(B)以上の危険人物(C)とみなされて、
徹底排除の対象ともなるのだが、上から下まで仁徳を重んずる組織ならばさにあらず。
そのような組織が宗教団体はおろか、政官財、世の中のどこにも現存していない
ものだから、タイムリーな実例に即した想像などもしづらいだろうが、
日本人などは何百年もかけての構築に勤めていたあり方でもあるし、
きっとDNAにまで刻み込まれた感覚で復興して行けるものと信じてやまない。
しかし、北魚羊のミサイル開発に統一教会が資金援助していたというDIAの報告もあるし、
そもそもとうの昔から南北朝魚羊の分断なんてもの自体が茶番だという見方もできる。
どちらも下層民を極度の貧窮で苦しませながら上層部ばかりがいい思いをするという
体制構造自体は全く同じだし、南北の統一でそこに亀裂が入るぐらいなら、
今のままで起きたいのが金王朝や韓国財閥の本音でもあるのかもな。
国際社会において、身の丈を超えた役回りを無暗に演じて、敵味方共に疲弊させる。
そんな半島のあり方を、ご主人様である米中がどうしてかかるかのほうが問題。
世界の対立と共に膨れ上がる分断利権の解消のためには、対立関係全般の平定こそが必要ともなろうが。
そもそもとうの昔から南北朝魚羊の分断なんてもの自体が茶番だという見方もできる。
どちらも下層民を極度の貧窮で苦しませながら上層部ばかりがいい思いをするという
体制構造自体は全く同じだし、南北の統一でそこに亀裂が入るぐらいなら、
今のままで起きたいのが金王朝や韓国財閥の本音でもあるのかもな。
国際社会において、身の丈を超えた役回りを無暗に演じて、敵味方共に疲弊させる。
そんな半島のあり方を、ご主人様である米中がどうしてかかるかのほうが問題。
世界の対立と共に膨れ上がる分断利権の解消のためには、対立関係全般の平定こそが必要ともなろうが。
国民負担率(実績値)62.8%に
https://news.yahoo.co.jp/articles/079cf95364605047270e4...
現日本政府は、そもそも八公二民の苛政を敷いていた薩長を源流としている上に、
分断対立をいいことに格差拡大をほしいままにしている半島のスパイどもの支配下にも
置かれているような有様なのだから、江戸時代を超える重税となるのも必然なことである。
江戸期の幕府領における税率が、軽い時期は四公六民以下、重くて五公五民だったと
言われるけれども、当時の政府たる幕府が豪商、庄屋などではなく平民の味方で
あったが故に、格差拡大を無制限に増長させるような真似も防いでいたことを思えば、
当時の六公四民と比べても、今のほうが平民への実質的負担は大きいといえよう。
(だからこそ平均労働時間が当時の二倍程度と化してしまっているのでもある)
https://news.yahoo.co.jp/articles/079cf95364605047270e4...
現日本政府は、そもそも八公二民の苛政を敷いていた薩長を源流としている上に、
分断対立をいいことに格差拡大をほしいままにしている半島のスパイどもの支配下にも
置かれているような有様なのだから、江戸時代を超える重税となるのも必然なことである。
江戸期の幕府領における税率が、軽い時期は四公六民以下、重くて五公五民だったと
言われるけれども、当時の政府たる幕府が豪商、庄屋などではなく平民の味方で
あったが故に、格差拡大を無制限に増長させるような真似も防いでいたことを思えば、
当時の六公四民と比べても、今のほうが平民への実質的負担は大きいといえよう。
(だからこそ平均労働時間が当時の二倍程度と化してしまっているのでもある)
別に、平民としての立場からものを言っている覚えはないが?
https://news.yahoo.co.jp/articles/484eb90de4d58a96e93bf...
奨学金から遺族年金から失業手当まで、
かけられるものにはなんでも税金かけてやろうとするほどの、
今の日本政府の闇雲な増税スタンスに仁義を見出すような人間はどこにもおるまい。
自分たちは別に、仁者ではない。
仁者でなければならないのは国民たちのほうだというのが、
戦前からの現政府の考え方であって、ある意味では民主主義下の政府らしいあり方でもある。
嫌だったら民主制なんてもの自体をやめて、主権者としての責任を役人にこそを負わせるべき。
現状、どんなに国が傾こうとも、その責任も国民にこそあるのだし、
制度上からの理念に即して、財務官僚なども罪悪感の欠片ほども抱くことはない。
当然、今の政府にそのような為政者として立ち回る能力の持ち主などはいないだろうから、
関係者総入れ替えの必要もまた出てくるだろう。どうせ国一番の国家責任を負わされ通しな
人々が市井にゴマンといるのだから別にそこでの人材不足などに困る危険もないだろうが。
いざ、その立場になったような人間に対しては、国の主権者に対するなりの畏敬を抱いて、
相応な礼節を持って付き合っていくようにもしなければならない。
政治家や官僚を見下してられるのは、あくまで今の内に限るのだと知らねば。
https://news.yahoo.co.jp/articles/484eb90de4d58a96e93bf...
奨学金から遺族年金から失業手当まで、
かけられるものにはなんでも税金かけてやろうとするほどの、
今の日本政府の闇雲な増税スタンスに仁義を見出すような人間はどこにもおるまい。
自分たちは別に、仁者ではない。
仁者でなければならないのは国民たちのほうだというのが、
戦前からの現政府の考え方であって、ある意味では民主主義下の政府らしいあり方でもある。
嫌だったら民主制なんてもの自体をやめて、主権者としての責任を役人にこそを負わせるべき。
現状、どんなに国が傾こうとも、その責任も国民にこそあるのだし、
制度上からの理念に即して、財務官僚なども罪悪感の欠片ほども抱くことはない。
当然、今の政府にそのような為政者として立ち回る能力の持ち主などはいないだろうから、
関係者総入れ替えの必要もまた出てくるだろう。どうせ国一番の国家責任を負わされ通しな
人々が市井にゴマンといるのだから別にそこでの人材不足などに困る危険もないだろうが。
いざ、その立場になったような人間に対しては、国の主権者に対するなりの畏敬を抱いて、
相応な礼節を持って付き合っていくようにもしなければならない。
政治家や官僚を見下してられるのは、あくまで今の内に限るのだと知らねば。
無職ニートという観点から、
現政府の薄情極まる有様と、その被虐下で困窮に喘ぎながらも、
国民主権詐欺のせいで苛政の責任まで負わされている庶民の無様さの、
両方を地獄の亡者たちの忌まわしき醜態として哀れんでいる。
無職ニートもまた、乞食同様の立場として、そうそうには褒められるものでもないが、
濁世の狂乱から一歩も二歩も離れた所での、公平な客観者としての知見を
温められたりもする程度には、現世の渦中にある亡者たちよりもよほど殊勝なもの。
吹けば飛ぶようなはかない立場だなどと蔑む者もいるが、
悪徳経営者どもの不正な人事を保護してやるために不労罪も制定しないでいる、
今の世の中こそがその立場を厳格に保障してくれている身の程でもある。
今の世の社会人が地獄の奴隷なら、こちらは地獄の主人とでもいうべき。
地獄の外側では単なるお地蔵さんだろうとも、亡者たちにとってだけは閻魔なる。
現政府の薄情極まる有様と、その被虐下で困窮に喘ぎながらも、
国民主権詐欺のせいで苛政の責任まで負わされている庶民の無様さの、
両方を地獄の亡者たちの忌まわしき醜態として哀れんでいる。
無職ニートもまた、乞食同様の立場として、そうそうには褒められるものでもないが、
濁世の狂乱から一歩も二歩も離れた所での、公平な客観者としての知見を
温められたりもする程度には、現世の渦中にある亡者たちよりもよほど殊勝なもの。
吹けば飛ぶようなはかない立場だなどと蔑む者もいるが、
悪徳経営者どもの不正な人事を保護してやるために不労罪も制定しないでいる、
今の世の中こそがその立場を厳格に保障してくれている身の程でもある。
今の世の社会人が地獄の奴隷なら、こちらは地獄の主人とでもいうべき。
地獄の外側では単なるお地蔵さんだろうとも、亡者たちにとってだけは閻魔なる。
親の金だが?
赤の他人が自費で飼ってるだけの実子相手に何の文句が?
ナマポ暮らしならまだ文句のつけようもあるかも知れんが、それにしたって、
自分たちの税金でいい思いをしながら国を傾くに任せている主導者である、
政府関係者その他公務員に比べれば、その罪も微々たるものだろう?
でも、その公職者たちを国民主権によって、好き好んで飼っているのが、
今の日本国民である。公職者即自分たちのペットなのだから、飼育責任も、
躾が悪すぎて自分たちを食い殺そうとしている責任も、国民たち自身にある。
そんな無様極まる、納税者を兼ねる一般国民から一歩も二歩も離れた所で、
立場の盤石さと共に客観者でいられるわが身の、なんと幸いで尊いことよ?
赤の他人が自費で飼ってるだけの実子相手に何の文句が?
ナマポ暮らしならまだ文句のつけようもあるかも知れんが、それにしたって、
自分たちの税金でいい思いをしながら国を傾くに任せている主導者である、
政府関係者その他公務員に比べれば、その罪も微々たるものだろう?
でも、その公職者たちを国民主権によって、好き好んで飼っているのが、
今の日本国民である。公職者即自分たちのペットなのだから、飼育責任も、
躾が悪すぎて自分たちを食い殺そうとしている責任も、国民たち自身にある。
そんな無様極まる、納税者を兼ねる一般国民から一歩も二歩も離れた所で、
立場の盤石さと共に客観者でいられるわが身の、なんと幸いで尊いことよ?
公務員を十把一絡げに悪者扱いとか、頭悪過ぎ。
どう考えても職にも就かず社会に逆恨みしてるデブのが罪が深いわ。
どう考えても職にも就かず社会に逆恨みしてるデブのが罪が深いわ。
日本国民「誰の金で食えてると思ってるんだ!」
財務官僚「おまえらの稼ぎだが?」
法務官僚「おまえらが主権者で、すべてはおまえらの責任なのだから」
ネズミ捕り警察「俺らがどんなにろくでもないことをしようが、」
デジタル庁マイナンバー担当「逆にすべきことをしないでいようが、」
税務署「文句ひとつ言わずに、俺らを養うための税金をできる限り多く納めろ」
厚労省いのちの電話「引責自殺? やりたきゃおまえらがやれ。かけて来ても無駄だから」
これ全部文面通りに受け入れてんだから、ほんとおまえらは優しいよなあ。^^
嫌口も所詮は口先止まりで、実の子を養ってるだけな俺の親なんか比べ物にもならんお人よしさよ。
(もちろん俺の親も納税者だが、次世代の我が子を養うという大義があってのやむなくだから)
財務官僚「おまえらの稼ぎだが?」
法務官僚「おまえらが主権者で、すべてはおまえらの責任なのだから」
ネズミ捕り警察「俺らがどんなにろくでもないことをしようが、」
デジタル庁マイナンバー担当「逆にすべきことをしないでいようが、」
税務署「文句ひとつ言わずに、俺らを養うための税金をできる限り多く納めろ」
厚労省いのちの電話「引責自殺? やりたきゃおまえらがやれ。かけて来ても無駄だから」
これ全部文面通りに受け入れてんだから、ほんとおまえらは優しいよなあ。^^
嫌口も所詮は口先止まりで、実の子を養ってるだけな俺の親なんか比べ物にもならんお人よしさよ。
(もちろん俺の親も納税者だが、次世代の我が子を養うという大義があってのやむなくだから)
さっき見た夢。
おそらく朝ドラのらんまんから想起した夢で、
自分が槙野みたいな辣腕学者として才能を発揮し、
オクラに似た作物の生産効率向上の研究で、
ある種の食糧危機をも解決するほどの大成果を挙げている。
それは研究所全体を盛り立てるほどもの業績ではあるが、
他の競争相手にあたるような研究所の連中にとっては、
自分たちの相対的な地位の低迷を招くものであるために、
そいつらからと思しき嫌がらせが日夜繰り返されることとなった。
脅迫文の送り付けぐらいは茶飯事で、
研究所に乗り込んできて施設を破壊して来たり、
挙句には俺への襲撃を試みてくるような者すらもがいる。
件の朝ドラにはそこまで凶悪な連中はいないが、
舞台は近未来の日本で、治安がアメリカの貧困地区なみに悪化し、
警察も大量殺人事件が起きるのでもなければ全く動こうともしないために、
明らかに犯罪級の嫌がらせ行為なども全く制止できるめどが立たない。
おそらく朝ドラのらんまんから想起した夢で、
自分が槙野みたいな辣腕学者として才能を発揮し、
オクラに似た作物の生産効率向上の研究で、
ある種の食糧危機をも解決するほどの大成果を挙げている。
それは研究所全体を盛り立てるほどもの業績ではあるが、
他の競争相手にあたるような研究所の連中にとっては、
自分たちの相対的な地位の低迷を招くものであるために、
そいつらからと思しき嫌がらせが日夜繰り返されることとなった。
脅迫文の送り付けぐらいは茶飯事で、
研究所に乗り込んできて施設を破壊して来たり、
挙句には俺への襲撃を試みてくるような者すらもがいる。
件の朝ドラにはそこまで凶悪な連中はいないが、
舞台は近未来の日本で、治安がアメリカの貧困地区なみに悪化し、
警察も大量殺人事件が起きるのでもなければ全く動こうともしないために、
明らかに犯罪級の嫌がらせ行為なども全く制止できるめどが立たない。
俺はどこかの誰かみたいな女に「何もかも投げ出してしまいたい」と嘆く。
夢はそこまでで終わったのだけれども、実際に投げ出してるのが現実の自分だな。
今、牧野みたいな無学歴の男がどんなに才能があった所で、東大級の研究施設で
受け入れられることもなければ、公正な学術研究が政争よりも尊重される
ようなこともない、夢よりももう少し治安がマシなだけ程度の現社会で、
無暗に世に打って出るよりは、何もかも投げ出しての雌伏に徹している。
牧野富太郎だって現代ならそうするしかなかっただろう。
以て、名声を博することも、妻子を得るようなこともなし。
真っ直ぐなものほど歪んだ鏡には必ず曲がって映ろうが、だからといって、
鏡の歪みに合わせて自分を曲げてまで、真っ直ぐに見せようとも思わんのだ。
夢はそこまでで終わったのだけれども、実際に投げ出してるのが現実の自分だな。
今、牧野みたいな無学歴の男がどんなに才能があった所で、東大級の研究施設で
受け入れられることもなければ、公正な学術研究が政争よりも尊重される
ようなこともない、夢よりももう少し治安がマシなだけ程度の現社会で、
無暗に世に打って出るよりは、何もかも投げ出しての雌伏に徹している。
牧野富太郎だって現代ならそうするしかなかっただろう。
以て、名声を博することも、妻子を得るようなこともなし。
真っ直ぐなものほど歪んだ鏡には必ず曲がって映ろうが、だからといって、
鏡の歪みに合わせて自分を曲げてまで、真っ直ぐに見せようとも思わんのだ。
山上烈士による大業の成就にしたって、
(本能寺の変同様「偉業」かどうかには賛否あるが、「大業」であるのには違いない)
いったいどこの誰が、あのようなやり方によって、
日本国民へのカルト洗脳支配に亀裂が入れられるなどと事前に予想できただろうか?
金丸暗殺未遂の時のように、せいぜい奇声を挙げながら襲撃してくるのが関の山だと
警察も決め込んでいたものだから、囁き声一つ唱えることなく発せられた銃弾に
まったく即応ができなくて、二発目まで許しての祈願の遂行に与したのだった。
酔狂ではなく、任務遂行のためにあえて、誰しもの意表を突くような奇計と共に
歴史も変えられて行く。ゆえに「大用現前、軌則を存ぜず」(碧巌録)ともいう。
この事件の手口もまたすでに既知となったから、真似した所で岸田への暗殺未遂
のように失敗するだろうし、成功したところでその程度の試みである以上は、
悪党中の悪党まで絶対に逃がさず仕留めるほどの大業たり得ることはないだろう。
誰にもしたり顔で「計算通りw」などとは言わせない、
前代未聞の驚愕のみが、次の世をも招くのである。
(本能寺の変同様「偉業」かどうかには賛否あるが、「大業」であるのには違いない)
いったいどこの誰が、あのようなやり方によって、
日本国民へのカルト洗脳支配に亀裂が入れられるなどと事前に予想できただろうか?
金丸暗殺未遂の時のように、せいぜい奇声を挙げながら襲撃してくるのが関の山だと
警察も決め込んでいたものだから、囁き声一つ唱えることなく発せられた銃弾に
まったく即応ができなくて、二発目まで許しての祈願の遂行に与したのだった。
酔狂ではなく、任務遂行のためにあえて、誰しもの意表を突くような奇計と共に
歴史も変えられて行く。ゆえに「大用現前、軌則を存ぜず」(碧巌録)ともいう。
この事件の手口もまたすでに既知となったから、真似した所で岸田への暗殺未遂
のように失敗するだろうし、成功したところでその程度の試みである以上は、
悪党中の悪党まで絶対に逃がさず仕留めるほどの大業たり得ることはないだろう。
誰にもしたり顔で「計算通りw」などとは言わせない、
前代未聞の驚愕のみが、次の世をも招くのである。
自分から何かをすべき立場にはないから、自分からは何もしない。
自分以外の誰かがどうかしたに応じて、何かをすることぐらいならある、のみだが?
無論、事実無根の誹謗中傷に乗せられて何かをする、なんてこともないが。
自分以外の誰かがどうかしたに応じて、何かをすることぐらいならある、のみだが?
無論、事実無根の誹謗中傷に乗せられて何かをする、なんてこともないが。
https://video.twimg.com/ext_tw_video/16836710073102622...
知らない、俺じゃない、あいつがやったことのオンパレードからの引責辞任。
言動が全く矛盾している点では、ジャニー喜多川の性犯罪なんか知らないと言いながら、
「御恩とご縁があるから」となぜか擁護を始めた山下達郎にも通ずるものがある。
70過ぎで体もボロボロ、薬一つやめただけでも即死するようなところを、どうにか気力だけで
生き抜いているような年寄りが精神的にもへし折られようものなら、あとは死ぬしかないから。
見るに醜悪な自己破綻の言動を晒すのだろうとも、他にやりようがないというのが実情である。
無論、今の時代は老若男女にかかわらず、善政を望みながら悪政の大家に投票したり、
大谷のキャプ翼体型に憧れながらダイエットで鶴太郎のコケシ体型を目指したりといった、
自己破綻含みの振る舞いに及んでいる衆愚がそこら中に溢れ返っている世なものだから、
「木を隠すなら森の中」で、自分たちの恥さらし加減をカモフラージュできる恩恵もまたある。
大体が、今このタイミングでのビッグモーターへの大摘発キャンペーン自体が、日本政府の
大増税攻勢から衆目を逸らさせるための人身御供だったりもするのだろうし、どこもかしこもが
腐敗の七色変化を繰り広げながら腐臭をより強からしめているというばかりのことである。
要は、部分の汚濁が全体にとっての氷山の一角に過ぎないことをわきまえるべきなのである。
知らない、俺じゃない、あいつがやったことのオンパレードからの引責辞任。
言動が全く矛盾している点では、ジャニー喜多川の性犯罪なんか知らないと言いながら、
「御恩とご縁があるから」となぜか擁護を始めた山下達郎にも通ずるものがある。
70過ぎで体もボロボロ、薬一つやめただけでも即死するようなところを、どうにか気力だけで
生き抜いているような年寄りが精神的にもへし折られようものなら、あとは死ぬしかないから。
見るに醜悪な自己破綻の言動を晒すのだろうとも、他にやりようがないというのが実情である。
無論、今の時代は老若男女にかかわらず、善政を望みながら悪政の大家に投票したり、
大谷のキャプ翼体型に憧れながらダイエットで鶴太郎のコケシ体型を目指したりといった、
自己破綻含みの振る舞いに及んでいる衆愚がそこら中に溢れ返っている世なものだから、
「木を隠すなら森の中」で、自分たちの恥さらし加減をカモフラージュできる恩恵もまたある。
大体が、今このタイミングでのビッグモーターへの大摘発キャンペーン自体が、日本政府の
大増税攻勢から衆目を逸らさせるための人身御供だったりもするのだろうし、どこもかしこもが
腐敗の七色変化を繰り広げながら腐臭をより強からしめているというばかりのことである。
要は、部分の汚濁が全体にとっての氷山の一角に過ぎないことをわきまえるべきなのである。
[YouTubeで再生]
そろそろ限界で逃散を始めたようなので、スレの主題にでも戻るか。
一般大衆に「人を見る目」なんかがまともに具わるわけがない理由については
>>1を含め、すでに相当数書き連ねて来たけれども、また一つ見つけたのでそれも記しとく。
ーーたとえば俺も、おまえらや自分自身の近親からも、アメリカ嫌いの日本好き、
西洋嫌いの東洋好き、キリスト教嫌いの仏教好きだなどとレッテルを貼られることが
よくあるが、自分個人としては、特別にどちらが好きだ嫌いだなどという感傷はない。
日本の伝統文化や仏教を高く評価してはいるけれども、古武術などにも贋物は多いし、
仏門にもろくに教義を実践もできてないような人間が多いのもわかっている。
中国やインドが古来から聖賢の徳治によって絶大な人口力を育んできたことに賛辞を
送ったりもしていたが、それにしたって共産主義みたいな劣悪なイデオロギーを掲げたまま
でいる今の中共や、仏教廃絶以降にカースト制の大差別を強化させて来たインドまで味噌糞に
評価するものではなく、親の七光りを振りかざすドラ息子然とした姿には辟易も抱かされている。
キリスト教は人類史上最大のカルトだとやはり思うけれども、そんなものが生じざるを
得なかった事情や、イエスの自暴自棄に駆られた言動などにも大いに同情を抱かされるもの。
そろそろ限界で逃散を始めたようなので、スレの主題にでも戻るか。
一般大衆に「人を見る目」なんかがまともに具わるわけがない理由については
>>1を含め、すでに相当数書き連ねて来たけれども、また一つ見つけたのでそれも記しとく。
ーーたとえば俺も、おまえらや自分自身の近親からも、アメリカ嫌いの日本好き、
西洋嫌いの東洋好き、キリスト教嫌いの仏教好きだなどとレッテルを貼られることが
よくあるが、自分個人としては、特別にどちらが好きだ嫌いだなどという感傷はない。
日本の伝統文化や仏教を高く評価してはいるけれども、古武術などにも贋物は多いし、
仏門にもろくに教義を実践もできてないような人間が多いのもわかっている。
中国やインドが古来から聖賢の徳治によって絶大な人口力を育んできたことに賛辞を
送ったりもしていたが、それにしたって共産主義みたいな劣悪なイデオロギーを掲げたまま
でいる今の中共や、仏教廃絶以降にカースト制の大差別を強化させて来たインドまで味噌糞に
評価するものではなく、親の七光りを振りかざすドラ息子然とした姿には辟易も抱かされている。
キリスト教は人類史上最大のカルトだとやはり思うけれども、そんなものが生じざるを
得なかった事情や、イエスの自暴自棄に駆られた言動などにも大いに同情を抱かされるもの。
[YouTubeで再生]
アメリカの国家規模での様態はやはり悪の帝国そのものだとは思うが、その中でも黒人主導の
音楽文化などに特に光るものがあったし、侵略戦争のために悪用されるような事が多々ある
にしても、連中が開発した近代兵器の精緻さなどにも素直に感心させられる所が多い。
日本にもアメリカにも、東洋にも西洋にも、仏教にもキリスト教にも、
評価すべきところもあれば批判すべきところもあるというのが実際の所であって、
一概にどちらばかりが完璧、もう一方は何もかも一切ダメなんてことはない。
それを重々わきまえた中正の境地にあろうとしているのが俺自身でもあるのだが。
一方を全肯定してもう一方は全否定するような一つ覚えに心が囚われている上に、
現状、どちらかといえば日本嫌いのアメリカ好き、東洋嫌いの西洋好き、
仏教嫌いのキリスト教好きで自分たちがいるものだから、そんな自分たちの
観点からすれば、俺などもその逆であるかのように見えてしまうのである。
要は、自分たち自身が歪んだ鏡であるせいで、真っ直ぐなものも歪んで見える状態。
自分たち自身が偏った価値観の持ち主なせいで、逆の価値観の持ち主を敵視するだけでなく、
中正な価値観の持ち主も逆だなどと決めつけて敵のうちに入れてしまう。そんな人間が
自力で庸徳の持ち主を見定めて、選挙で投票したりすることもまた、やはり能わないわけである。
アメリカの国家規模での様態はやはり悪の帝国そのものだとは思うが、その中でも黒人主導の
音楽文化などに特に光るものがあったし、侵略戦争のために悪用されるような事が多々ある
にしても、連中が開発した近代兵器の精緻さなどにも素直に感心させられる所が多い。
日本にもアメリカにも、東洋にも西洋にも、仏教にもキリスト教にも、
評価すべきところもあれば批判すべきところもあるというのが実際の所であって、
一概にどちらばかりが完璧、もう一方は何もかも一切ダメなんてことはない。
それを重々わきまえた中正の境地にあろうとしているのが俺自身でもあるのだが。
一方を全肯定してもう一方は全否定するような一つ覚えに心が囚われている上に、
現状、どちらかといえば日本嫌いのアメリカ好き、東洋嫌いの西洋好き、
仏教嫌いのキリスト教好きで自分たちがいるものだから、そんな自分たちの
観点からすれば、俺などもその逆であるかのように見えてしまうのである。
要は、自分たち自身が歪んだ鏡であるせいで、真っ直ぐなものも歪んで見える状態。
自分たち自身が偏った価値観の持ち主なせいで、逆の価値観の持ち主を敵視するだけでなく、
中正な価値観の持ち主も逆だなどと決めつけて敵のうちに入れてしまう。そんな人間が
自力で庸徳の持ち主を見定めて、選挙で投票したりすることもまた、やはり能わないわけである。
ด้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้ (・∀・) ด็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็ ด้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้ (・∀・) ด็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็ ด้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้ (^ρ^) ด็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็
今の日本人などは、もはや大多数が精神の均衡を欠いた状態で、
真性のADHDやASDとまで行かずとも、少なからずそれに近い、
仮性のADHD系やASD系に陥ってしまっているのが常態ともなっている。
ASD系の男がキモメン、チー牛弱男などとして卑しまれたり、
ADHD系の男が粗暴さのせいでネット炎上の火種と化したりもするのだが、
大多数の人間が軽度だろうともどちらかに帰属してしまっているがために、
中庸の境地から双方を両成敗に処しての、着実な克服の指針を示せるような者もいない。
辛うじて俺なども、中庸に適った精神性の持ち主だったらしい戦前世代の故人との
付き合いの記憶があるのだが(古流の師範など)、その性格をつぶさに思い返してみるに、
庸徳の持ち主ならではの性格的な色合いなどは、特になかったように思われる。
戦争を経験した世代ならではの気の強さなどはもちろんあったのだが、それだけなら、
総じてADHD系だらけな団塊世代などにもあるし、何ならもっとひどいぐらいである。
学のない団塊などよりもはるかに精密にものを考えられる繊細さも持ち合わせてはいたが、
それだけなら戦後世代のASD系な陰キャ、オタクの部類などにも見られるものである。
真性のADHDやASDとまで行かずとも、少なからずそれに近い、
仮性のADHD系やASD系に陥ってしまっているのが常態ともなっている。
ASD系の男がキモメン、チー牛弱男などとして卑しまれたり、
ADHD系の男が粗暴さのせいでネット炎上の火種と化したりもするのだが、
大多数の人間が軽度だろうともどちらかに帰属してしまっているがために、
中庸の境地から双方を両成敗に処しての、着実な克服の指針を示せるような者もいない。
辛うじて俺なども、中庸に適った精神性の持ち主だったらしい戦前世代の故人との
付き合いの記憶があるのだが(古流の師範など)、その性格をつぶさに思い返してみるに、
庸徳の持ち主ならではの性格的な色合いなどは、特になかったように思われる。
戦争を経験した世代ならではの気の強さなどはもちろんあったのだが、それだけなら、
総じてADHD系だらけな団塊世代などにもあるし、何ならもっとひどいぐらいである。
学のない団塊などよりもはるかに精密にものを考えられる繊細さも持ち合わせてはいたが、
それだけなら戦後世代のASD系な陰キャ、オタクの部類などにも見られるものである。
熾烈さと繊細さ、両方を持ち合わせながらどちらにも偏ってはいないその姿は、
総じて特別な色味を帯びているようなところは別段ない一方で、自分自身が
ADHD系であるような人間からすればASD系に偏っているように見えるし、
逆にASD系であるような人間からは相対的にADHD系に見えてしまう。
性格上のどぎつい色合いというもの自体が、精神の均衡を欠いた人間ならではの特色で
あるがために、それを庸徳の持ち主に期待したところで無駄だし、逆に期待してはいけない。
そのどぎつさを求めること自体が精神の不均衡を強要するのとも同義なのだから、してはならない。
そして、性格上の特色のどぎつさなどに囚われることなく、ADHD系にもASD系にも
偏らない中正さの確立者こそを見定めて行く。それは結局、自分自身もそこに近づいて
行くのでなければ務まらないことだし、無理ならまずは己が至らなさをわきまえるべきなのである。
総じて特別な色味を帯びているようなところは別段ない一方で、自分自身が
ADHD系であるような人間からすればASD系に偏っているように見えるし、
逆にASD系であるような人間からは相対的にADHD系に見えてしまう。
性格上のどぎつい色合いというもの自体が、精神の均衡を欠いた人間ならではの特色で
あるがために、それを庸徳の持ち主に期待したところで無駄だし、逆に期待してはいけない。
そのどぎつさを求めること自体が精神の不均衡を強要するのとも同義なのだから、してはならない。
そして、性格上の特色のどぎつさなどに囚われることなく、ADHD系にもASD系にも
偏らない中正さの確立者こそを見定めて行く。それは結局、自分自身もそこに近づいて
行くのでなければ務まらないことだし、無理ならまずは己が至らなさをわきまえるべきなのである。
まだ使えるなら、こっちに留まるだけなんだよなあ。
次スレはあの通りで。
次スレはあの通りで。
だからおじいちゃん、その情熱を睡眠につぎ込みなよ?
ほとんど大多数の人間の精神状態がADHD系やASD系に偏ってしまっている以上は、
どちらにも偏らない中庸な精神性の確立者などは実在しないもののように扱われ、仮に現れた所で
ADHD系からはASD側、ASD系からはADHD側のレッテルを貼られて片づけられるのが関の山となる。
情緒障害系や、精神病質系への精神状態の偏りもまた同様な事態を招きがちであり、
特に西洋では長らく、人間の性格といえばこのうちのどちらかであるのが典型だと考えられて来たために、
両者を「天使と悪魔」や「白痴と悪霊(ドストエフスキー)」などと呼びならわしての、
そうであるなりのあるべき姿ばかりが模索され続けて来たのである。
東洋においては、ADHD系にもASD系にも、情緒障害系にも精神病質系にも偏らない中正さこそが、
儒家の中庸や、仏門の中道のような理念を基としながら尊重や追求されて来たのだけれども、
これらもまた微妙不可思議で計り知りがたいものであるのには違いないが故に、オッカムの剃刀のごとき
怠慢を決め込むことなく、理解しがたいものこそを尊んで目指して行くことが重んじられていたのである。
どちらにも偏らない中庸な精神性の確立者などは実在しないもののように扱われ、仮に現れた所で
ADHD系からはASD側、ASD系からはADHD側のレッテルを貼られて片づけられるのが関の山となる。
情緒障害系や、精神病質系への精神状態の偏りもまた同様な事態を招きがちであり、
特に西洋では長らく、人間の性格といえばこのうちのどちらかであるのが典型だと考えられて来たために、
両者を「天使と悪魔」や「白痴と悪霊(ドストエフスキー)」などと呼びならわしての、
そうであるなりのあるべき姿ばかりが模索され続けて来たのである。
東洋においては、ADHD系にもASD系にも、情緒障害系にも精神病質系にも偏らない中正さこそが、
儒家の中庸や、仏門の中道のような理念を基としながら尊重や追求されて来たのだけれども、
これらもまた微妙不可思議で計り知りがたいものであるのには違いないが故に、オッカムの剃刀のごとき
怠慢を決め込むことなく、理解しがたいものこそを尊んで目指して行くことが重んじられていたのである。
中正の庸徳が篤く尊ばれていた頃の東洋諸国などにおいてですら、
大半の一般庶民はその価値を自力で理解まではできないがために、
微妙不可思議な仏の知恵を理解不能なままに他力本願で尊べという
念仏の嗜みなぞが、一種の方便として広く講じられていたのである。
そのような手管もおおむね排除されて、中正であることの偉大さなど
上から下まで忘れ去って久しい現代においては、ADHD系かASD系か、
情緒障害系か精神病質系かの両極ばかりに振り切れる悪癖もまた天下万人へと行き渡り、
人間なんてその程度でしかあり得ないと決め込んでの侮蔑合戦もまた激化している。
さような世相においては、当然同じ穴の狢しか権力の座に上ることもない。
仮に今ウクライナ戦争の大元凶となっているプーチンを精神病質系の狂人として
糾弾して忌み嫌ったりしたところで、そこに対抗しようとする側もまた、
「あっちが精神病質系ならこっちは情緒障害系で」となってしまい、
ウクライナ側へのクラスター爆弾の供与で憎悪の連鎖をさらに
激化させるような真似しかできないままに終わる。
大半の一般庶民はその価値を自力で理解まではできないがために、
微妙不可思議な仏の知恵を理解不能なままに他力本願で尊べという
念仏の嗜みなぞが、一種の方便として広く講じられていたのである。
そのような手管もおおむね排除されて、中正であることの偉大さなど
上から下まで忘れ去って久しい現代においては、ADHD系かASD系か、
情緒障害系か精神病質系かの両極ばかりに振り切れる悪癖もまた天下万人へと行き渡り、
人間なんてその程度でしかあり得ないと決め込んでの侮蔑合戦もまた激化している。
さような世相においては、当然同じ穴の狢しか権力の座に上ることもない。
仮に今ウクライナ戦争の大元凶となっているプーチンを精神病質系の狂人として
糾弾して忌み嫌ったりしたところで、そこに対抗しようとする側もまた、
「あっちが精神病質系ならこっちは情緒障害系で」となってしまい、
ウクライナ側へのクラスター爆弾の供与で憎悪の連鎖をさらに
激化させるような真似しかできないままに終わる。
笠幕府を開く為には、あげまんの女性を娶る必要がある
オレが笠にオススメするのは小室佳代か韓鶴子
オレが笠にオススメするのは小室佳代か韓鶴子
統一自民だ電通だジャニーズだビッグモーターだのといった、
一部の大組織の腐敗をどんなに糾弾してみたところで、それらもまた
中正の庸徳を他力本願に尊ぶことすらできない思い上がりに駆られた、
現代日本人全てにとっての身から出た錆に過ぎないのだから、現状のままでは、
不祥事の発覚した組織を潰してもまた似たようなのが現れるいたちごっこしか期待できない。
山下達郎がKYにジャニー喜多川を擁護していたのも、その心中には、
「みんなやってたことだろうが」という不満があったのかもしれない。
男が体を売って権力に取り入る「佞幸」も東洋では紀元前から確認されている悪癖である上に、
仏門による清廉主義の流布の疎かな時代には何度でもぶり返して来たような代物。
近年の日本では各種大企業はおろか、警察組織あたりまで似たような真似を内輪で
やらかしているようだし、ジャニーズ一つの摘発などで全てが収まるなどとは到底考えられない。
一部の大組織の腐敗をどんなに糾弾してみたところで、それらもまた
中正の庸徳を他力本願に尊ぶことすらできない思い上がりに駆られた、
現代日本人全てにとっての身から出た錆に過ぎないのだから、現状のままでは、
不祥事の発覚した組織を潰してもまた似たようなのが現れるいたちごっこしか期待できない。
山下達郎がKYにジャニー喜多川を擁護していたのも、その心中には、
「みんなやってたことだろうが」という不満があったのかもしれない。
男が体を売って権力に取り入る「佞幸」も東洋では紀元前から確認されている悪癖である上に、
仏門による清廉主義の流布の疎かな時代には何度でもぶり返して来たような代物。
近年の日本では各種大企業はおろか、警察組織あたりまで似たような真似を内輪で
やらかしているようだし、ジャニーズ一つの摘発などで全てが収まるなどとは到底考えられない。
ビッグモーターのごときブラック体質の企業もまた本当は日本中に蔓延していて、
ただちょっとヤンチャが過ぎたぐらいのことに過ぎず、ビグモが解体されたらされたで、
またどこか別の企業が同レベルの親玉へと成り代わるだけであるのにも違いないだろう。
さような各種腐敗の大元締めとなって来た統一自民もまた、中正さへの尊重を欠いた
今の愚民にとっての最善を尽くして来たことには変わりなく、仮に別物に挿げ替えられた所で、
現国民の嗜好に合わせるようなら二の轍、三の轍を踏むだろうにも違いない。
なんなら、カルトによる侵食を許すような所まで含めて、同じ過ちを繰り返すことだろう。
自分たち自身がその域に留まるような相手しか評価もできない分際のままでいるのだし、これ以上に
自明な自業自得などあり得ない現状の限界を以て、自分たち自身の限界とも思い知るべきなのである。
ただちょっとヤンチャが過ぎたぐらいのことに過ぎず、ビグモが解体されたらされたで、
またどこか別の企業が同レベルの親玉へと成り代わるだけであるのにも違いないだろう。
さような各種腐敗の大元締めとなって来た統一自民もまた、中正さへの尊重を欠いた
今の愚民にとっての最善を尽くして来たことには変わりなく、仮に別物に挿げ替えられた所で、
現国民の嗜好に合わせるようなら二の轍、三の轍を踏むだろうにも違いない。
なんなら、カルトによる侵食を許すような所まで含めて、同じ過ちを繰り返すことだろう。
自分たち自身がその域に留まるような相手しか評価もできない分際のままでいるのだし、これ以上に
自明な自業自得などあり得ない現状の限界を以て、自分たち自身の限界とも思い知るべきなのである。
ここまで、主に日本の一般民衆の見識の低さを論って来たけれども、
それでも日本国民の民度は今でも世界トップ級であるのには違いないし、
だからこそどこかの他国民を見習えばいいなんてこともないのである。
もうしばらく前から、主に欧米側からの焚き付けで、
海洋プラスチック汚染の問題などが取り沙汰されているけれども、
そこから「なるべくプラスチック製品を使わないようにしよう」という
論調に直結しているのは、多くの日本人が飛躍に過ぎて不本意に感じている所でもある。
必要なのは、プラ製品を使わないことではなく、ポイ捨てをしないことである。
誰しもが適切に処理することで、海洋へと流出する廃棄物の量を減らしすらすれば
いいことなのに、日本以外の世界中のほとんどの人間はそこにまで考えが及ばず、
ポイ捨てありきでのプラ製品利用の低減のほうばかりを問題にしている。
これだけ見ても、日本人の民度こそが世界でも突出している確かな証拠になっているし、
だからこそ他国の誰かを見習いさえすれば、自分たちの至らなさが
補えるなどと考えるべきでもないのだが。
ただ、自分たちの身の程をよくわきまえる系統の賢明さを今よりも多く持ち合わせていた
昔の日本人などから見れば、おそらく今の日本人などは、平気でポイ捨てする外人並みの
人種として映るだろうにも違いないから、人の振り見て我が振り直せではあるといえる。
もちろん、そんな連中に倣ってのレジ袋有料化みたいな真似なんかは論外なわけだがな。
それでも日本国民の民度は今でも世界トップ級であるのには違いないし、
だからこそどこかの他国民を見習えばいいなんてこともないのである。
もうしばらく前から、主に欧米側からの焚き付けで、
海洋プラスチック汚染の問題などが取り沙汰されているけれども、
そこから「なるべくプラスチック製品を使わないようにしよう」という
論調に直結しているのは、多くの日本人が飛躍に過ぎて不本意に感じている所でもある。
必要なのは、プラ製品を使わないことではなく、ポイ捨てをしないことである。
誰しもが適切に処理することで、海洋へと流出する廃棄物の量を減らしすらすれば
いいことなのに、日本以外の世界中のほとんどの人間はそこにまで考えが及ばず、
ポイ捨てありきでのプラ製品利用の低減のほうばかりを問題にしている。
これだけ見ても、日本人の民度こそが世界でも突出している確かな証拠になっているし、
だからこそ他国の誰かを見習いさえすれば、自分たちの至らなさが
補えるなどと考えるべきでもないのだが。
ただ、自分たちの身の程をよくわきまえる系統の賢明さを今よりも多く持ち合わせていた
昔の日本人などから見れば、おそらく今の日本人などは、平気でポイ捨てする外人並みの
人種として映るだろうにも違いないから、人の振り見て我が振り直せではあるといえる。
もちろん、そんな連中に倣ってのレジ袋有料化みたいな真似なんかは論外なわけだがな。
民主政にしたって、日本人はまだ自分たちが選挙で代表と認めた相手が
失政や不祥事の総合商社状態でいることに自責の念を抱いてる場合があるが
(自民支持者かつカルト支配発覚後の俺の親父などもその一人である)、
欧米の民主主義国の民衆などはそうでもなく、自分たちもまた投票者でいながら、
自分たちと政府を敵対項で捉えての暴動に及ぶような真似も繰り返している。
元より、そういう人間のいるフランスやアメリカ等のほうが民主主義の本場でもあるし、
それほどにも、自分たちの自己破綻加減に気づかないままでいられるような脳足りん達が
幻想に幻想を重ねてでっち上げたのが民主主義であるのだともわきまえるべきなのである。
フランス革命以前までは、仁義なきキリスト教圏ならではの横暴きわまる王政が
欧州中の人々を苦しめ抜いていたものだから、そこから民主化のごとき試みによって、
世相が改善されることが期待されたのにもそれなりの妥当性があったといえるが。
すでに民主制が実施されて、政治責任の国民への丸投げが行き届いて後にも、
自分たちを苦しめるような苛政ばかりが繰り返されているとすれば、そうれはもう、
自分たちの責任なのだから、大いに自責の念に駆られて苦悩するのが嫌なら、あとは
主権を為政者たち自身に返上しての、引責自殺級の責任制と共なる治政を要求するしかない。
失政や不祥事の総合商社状態でいることに自責の念を抱いてる場合があるが
(自民支持者かつカルト支配発覚後の俺の親父などもその一人である)、
欧米の民主主義国の民衆などはそうでもなく、自分たちもまた投票者でいながら、
自分たちと政府を敵対項で捉えての暴動に及ぶような真似も繰り返している。
元より、そういう人間のいるフランスやアメリカ等のほうが民主主義の本場でもあるし、
それほどにも、自分たちの自己破綻加減に気づかないままでいられるような脳足りん達が
幻想に幻想を重ねてでっち上げたのが民主主義であるのだともわきまえるべきなのである。
フランス革命以前までは、仁義なきキリスト教圏ならではの横暴きわまる王政が
欧州中の人々を苦しめ抜いていたものだから、そこから民主化のごとき試みによって、
世相が改善されることが期待されたのにもそれなりの妥当性があったといえるが。
すでに民主制が実施されて、政治責任の国民への丸投げが行き届いて後にも、
自分たちを苦しめるような苛政ばかりが繰り返されているとすれば、そうれはもう、
自分たちの責任なのだから、大いに自責の念に駆られて苦悩するのが嫌なら、あとは
主権を為政者たち自身に返上しての、引責自殺級の責任制と共なる治政を要求するしかない。
そこでなお、為政者たちがまともに政治責任も負わないでの苛政を恣にしたりするようなら、
その時にこそ、今一度の革命によって権力者を断頭台送りにする大義名分が立つことにもなる。
民主化によって、むしろ人々は本当に暴力革命で体制をやり直して行く権限を奪われてしまった。
米仏の憲法などでは一応その権利が保障されてはいるが、所詮はすでに民主化が済んだという
体裁の下での政治なのだから、そこに体制転覆級に盾突く者は「民主主義の敵」呼ばわりの
レッテルを貼られて世の多くを敵に回し、革命も失敗に終わらせることしかできないままに終わる。
民主主義で行き詰った世の中を打開するために必要となるのは、さらなる民主化などではなく、
一端は主権を為政者に返上した上での様子見であり、そこで事態が改善されなかったり、
より悪化したりするようならば革命による転覆も可であることを保証することこそが、
民主主義的な志向性と共に、これ以上に世の中を好転させられる唯一の手段ともなるだろう。
それは結局、「わが治政に問題があれば誰なりかまわず入れ替わるべし」との誓約と共に
天下を握った、かつての徳川などともそう変わることのない政治体制ともなるわけだが。
その時にこそ、今一度の革命によって権力者を断頭台送りにする大義名分が立つことにもなる。
民主化によって、むしろ人々は本当に暴力革命で体制をやり直して行く権限を奪われてしまった。
米仏の憲法などでは一応その権利が保障されてはいるが、所詮はすでに民主化が済んだという
体裁の下での政治なのだから、そこに体制転覆級に盾突く者は「民主主義の敵」呼ばわりの
レッテルを貼られて世の多くを敵に回し、革命も失敗に終わらせることしかできないままに終わる。
民主主義で行き詰った世の中を打開するために必要となるのは、さらなる民主化などではなく、
一端は主権を為政者に返上した上での様子見であり、そこで事態が改善されなかったり、
より悪化したりするようならば革命による転覆も可であることを保証することこそが、
民主主義的な志向性と共に、これ以上に世の中を好転させられる唯一の手段ともなるだろう。
それは結局、「わが治政に問題があれば誰なりかまわず入れ替わるべし」との誓約と共に
天下を握った、かつての徳川などともそう変わることのない政治体制ともなるわけだが。
ああ、吾れこそは民主主義という、現状、全世界共通の理念に疑義を唱える者。
旧西側諸国のみならず、西側からは民主主義の仇敵扱いをされている
中国やロシアや朝魚羊民主主義人民共和国もまた、
理念としての民主主義までをも否定しているわけではなく、ただ、
全世界規模での最終的な民主主義の達成のための手段として、最初は自由化ではなく、
専制や共産化から始めて行くアプローチでいるだけのことである。
民主主義そのものまで否定しているわけではないから、体裁程度の選挙もやっている。
ただ、それが完全な八百長か、選挙資金の山積等による緩やかな八百長のフィルターを
かけているかが違うだけで、どちらも既得権益への優遇を加味させていることにも変わりはない。
俺が民主主義そのものに苦言を呈しているからといって、
中露や北の味方なんてことも全くなくて、むしろ米露中韓北その他、今の国際社会で
横暴をほしいままにしている連中や、その不甲斐ない手下としての日本などの、
現代社会の汚濁全てを相手取っての物言い以外の何物でもないのである。
旧西側諸国のみならず、西側からは民主主義の仇敵扱いをされている
中国やロシアや朝魚羊民主主義人民共和国もまた、
理念としての民主主義までをも否定しているわけではなく、ただ、
全世界規模での最終的な民主主義の達成のための手段として、最初は自由化ではなく、
専制や共産化から始めて行くアプローチでいるだけのことである。
民主主義そのものまで否定しているわけではないから、体裁程度の選挙もやっている。
ただ、それが完全な八百長か、選挙資金の山積等による緩やかな八百長のフィルターを
かけているかが違うだけで、どちらも既得権益への優遇を加味させていることにも変わりはない。
俺が民主主義そのものに苦言を呈しているからといって、
中露や北の味方なんてことも全くなくて、むしろ米露中韓北その他、今の国際社会で
横暴をほしいままにしている連中や、その不甲斐ない手下としての日本などの、
現代社会の汚濁全てを相手取っての物言い以外の何物でもないのである。
民主主義も「絵に描いた餅」らしいというのが、西側の民衆も多少程度に感じて
いることではあるが、さすがに理念として間違っているとまでは考えることもない。
そもそもが「民は神の主なり」(左伝・桓公六年)のように、
古代の封建時代の主君といえども、民意の主上とまで見なすべき重大さを認めるような
発言をしてはいるのだが、ただやはり法定上の国民主権までをも認めていたわけではない。
同様に、古代どころか近世まで、女の社会的主権なども世界的に認められていなかったわけだが、
だからといって女たちを徹底的な圧制下ばかりに置いていたわけではなく、特に日本などにおいては、
アマテラス信仰の功徳などもあって、家内における女房の主体性をよく重んずるような風潮があった。
いることではあるが、さすがに理念として間違っているとまでは考えることもない。
そもそもが「民は神の主なり」(左伝・桓公六年)のように、
古代の封建時代の主君といえども、民意の主上とまで見なすべき重大さを認めるような
発言をしてはいるのだが、ただやはり法定上の国民主権までをも認めていたわけではない。
同様に、古代どころか近世まで、女の社会的主権なども世界的に認められていなかったわけだが、
だからといって女たちを徹底的な圧制下ばかりに置いていたわけではなく、特に日本などにおいては、
アマテラス信仰の功徳などもあって、家内における女房の主体性をよく重んずるような風潮があった。
それと同じように、国民主権などない時代なりに、君子士人が民意を重んじて主たる理念に据えるような
こともまたいくらでもあったわけで、それもまた民主制ではなくとも、民主的であったのには違いない。
民主制はそうではなく、民衆こそが国家の主権を法定上から掌握するというのが要点であり、
たとえ国民の飼い犬扱いとなった政治家がどんなにひどい政治を行おうとも、それが民主主義の
体裁に反しているというわけではないし、ただその責任もまた国民にあるというだけのことである。
民主的であるということと、民主主義や民主制であるということは全く同一ではなく、
むしろ民主主義や民主制のほうが実現されることで、非民主的な苛政が助長されることまでもがある。
そもそも絵に描いた餅ですらない、犬の糞が中に詰まった実物の餅とでも呼ぶべきものを
好き好んで食しているのが今の民主主義者たちであるが故に、その根本から認めようがないのである。
こともまたいくらでもあったわけで、それもまた民主制ではなくとも、民主的であったのには違いない。
民主制はそうではなく、民衆こそが国家の主権を法定上から掌握するというのが要点であり、
たとえ国民の飼い犬扱いとなった政治家がどんなにひどい政治を行おうとも、それが民主主義の
体裁に反しているというわけではないし、ただその責任もまた国民にあるというだけのことである。
民主的であるということと、民主主義や民主制であるということは全く同一ではなく、
むしろ民主主義や民主制のほうが実現されることで、非民主的な苛政が助長されることまでもがある。
そもそも絵に描いた餅ですらない、犬の糞が中に詰まった実物の餅とでも呼ぶべきものを
好き好んで食しているのが今の民主主義者たちであるが故に、その根本から認めようがないのである。
政治が民主的(国民の利益を主としている)であるのは、
封建制が主たる政治体制だった太古の昔から一つの理想とされて来たことだが。
その手段を国民主権とするのは、あまりにも無理がありすぎることから、
古代中国でそのような政治体制を提言した墨家もまた、絶滅の道を辿らざるを得なかった。
さらには、そもそも「民主」たる理念を殊更に言葉として掲げようとすることまでもが、
民主性の「絵に描いた餅」化を避けるために、さほど推奨されないことすらもがあった。
「民は神の主なり」(左伝・桓公六年)という、世界最古の民主性にまつわる言葉を述べた
斉の桓公もまた、国力の強大さと引き換えに民を虐げるような苛政を敷いた最原初の覇権主義的な
王侯だったことから、孟子も「五覇(桓公含む)は三王(にとって)の罪人なり」(告子上)
という言葉で、古来の仁政を汚したその罪深さを糾弾していたのだった。
「大道廃れて仁義あり」という老子の言葉も、よく儒家思想全般を非難する言葉として
取り上げられることがあるけれども、そもそも孔孟のごとき儒者は大道を廃れさせた張本人ではない。
まさに自分たちこそが民に利する大道を廃れさせておきながら、民を尊ぶような美辞麗句だけは唱えていた
桓公の如き為政者こそはまさにその主体であり、近年の政治家などもまた多くがこれに該当するもの。
封建制が主たる政治体制だった太古の昔から一つの理想とされて来たことだが。
その手段を国民主権とするのは、あまりにも無理がありすぎることから、
古代中国でそのような政治体制を提言した墨家もまた、絶滅の道を辿らざるを得なかった。
さらには、そもそも「民主」たる理念を殊更に言葉として掲げようとすることまでもが、
民主性の「絵に描いた餅」化を避けるために、さほど推奨されないことすらもがあった。
「民は神の主なり」(左伝・桓公六年)という、世界最古の民主性にまつわる言葉を述べた
斉の桓公もまた、国力の強大さと引き換えに民を虐げるような苛政を敷いた最原初の覇権主義的な
王侯だったことから、孟子も「五覇(桓公含む)は三王(にとって)の罪人なり」(告子上)
という言葉で、古来の仁政を汚したその罪深さを糾弾していたのだった。
「大道廃れて仁義あり」という老子の言葉も、よく儒家思想全般を非難する言葉として
取り上げられることがあるけれども、そもそも孔孟のごとき儒者は大道を廃れさせた張本人ではない。
まさに自分たちこそが民に利する大道を廃れさせておきながら、民を尊ぶような美辞麗句だけは唱えていた
桓公の如き為政者こそはまさにその主体であり、近年の政治家などもまた多くがこれに該当するもの。
政治に民主性なんてなくなってしまったような時代にこそ、民主などという理念が高々と掲げられる
こともあるというのが老子の見解であり、それは体制が民主制か封建制か、その他の専制かなどにも
関わることはない。ただ、民主制であるようなら、すでに政治責任はすべて一般国民にあるのだから、
これ以上革命による民主化などで政治が改善される可能性もないという違いがあるだけである。
民主制以外の、政治責任が為政者たち自身にある体制においても、民主などという理念をあえて
掲げるような為政者こそが本当に仁政を実践する可能性が高いなんてこともなく、それは今の
朝魚羊民主主義人民共和国の圧政極まる有様などを見ても容易に察せられることである。
政治責任を為政者たちが担っている非民主制である上に、為政者も別に民主だなんだと
美辞麗句を垂れ流して済ませたりはせず、むしろ自分たちと民衆の利害を厳密に一致させる
運命共同体化を確立させた上で、自分たち自身が満足かどうかのほうを問題にするぐらいの所にこそ、
口先だけの巧言令色などでは済ませない、最大級の仁政が実現されて行くものであるというのが、
今までの人類の歴史を見ても普遍的であることが認められる法則なのである。
こともあるというのが老子の見解であり、それは体制が民主制か封建制か、その他の専制かなどにも
関わることはない。ただ、民主制であるようなら、すでに政治責任はすべて一般国民にあるのだから、
これ以上革命による民主化などで政治が改善される可能性もないという違いがあるだけである。
民主制以外の、政治責任が為政者たち自身にある体制においても、民主などという理念をあえて
掲げるような為政者こそが本当に仁政を実践する可能性が高いなんてこともなく、それは今の
朝魚羊民主主義人民共和国の圧政極まる有様などを見ても容易に察せられることである。
政治責任を為政者たちが担っている非民主制である上に、為政者も別に民主だなんだと
美辞麗句を垂れ流して済ませたりはせず、むしろ自分たちと民衆の利害を厳密に一致させる
運命共同体化を確立させた上で、自分たち自身が満足かどうかのほうを問題にするぐらいの所にこそ、
口先だけの巧言令色などでは済ませない、最大級の仁政が実現されて行くものであるというのが、
今までの人類の歴史を見ても普遍的であることが認められる法則なのである。
斉の桓公や北の金王朝のごとき非民主制国家の支配者が、
民を虐げる圧政を敷きながら口先だけの民主を掲げているようなら、
その民主こそは「絵に描いた餅」に該当することとなる。
すでに民主制が敷かれ、最底辺の一般国民にまで公正(とされるよう)な
選挙での投票権が付与されているにもかかわらず、このスレに書いて来た
ような諸々の原因によって圧政が蔓延る事態が招かれていたとすれば、
そんな国の人間は、絵に描いた餅ではなく、一応、実物の餅を食べてはいるものの、
中にたんまりと犬の糞が練り込められた餅を食わされている状態とでも言うべき所である。
よく、衆愚政治化した民主制を正当化する言い分として、
「それでも民主制が一番マシな政治体制であることには変わりないから」
という論理が掲げられるけれども、そのマシである真の根拠こそは、
「絵に描いた餅ではない、実物の餅としての民主の享受が保証されているから」
であるのにも違いないのである。
しかし、民を虐げる苛政の禁止までもが保証されているわけではないが故に、
その餅の中に犬の糞が練り込められるようなことにもなり、最悪の場合には、
どでかい犬糞の塊に薄皮一枚程度の餅がコーティングされたような代物とも化してしまう。
それでも、あくまで民主制こそは最もマシな政治体制である場合があるとすれば、
民主制以外の体制は100%苛政でしかあり得ない、犬糞の純塊でしかない場合に限るといえる。
民を虐げる圧政を敷きながら口先だけの民主を掲げているようなら、
その民主こそは「絵に描いた餅」に該当することとなる。
すでに民主制が敷かれ、最底辺の一般国民にまで公正(とされるよう)な
選挙での投票権が付与されているにもかかわらず、このスレに書いて来た
ような諸々の原因によって圧政が蔓延る事態が招かれていたとすれば、
そんな国の人間は、絵に描いた餅ではなく、一応、実物の餅を食べてはいるものの、
中にたんまりと犬の糞が練り込められた餅を食わされている状態とでも言うべき所である。
よく、衆愚政治化した民主制を正当化する言い分として、
「それでも民主制が一番マシな政治体制であることには変わりないから」
という論理が掲げられるけれども、そのマシである真の根拠こそは、
「絵に描いた餅ではない、実物の餅としての民主の享受が保証されているから」
であるのにも違いないのである。
しかし、民を虐げる苛政の禁止までもが保証されているわけではないが故に、
その餅の中に犬の糞が練り込められるようなことにもなり、最悪の場合には、
どでかい犬糞の塊に薄皮一枚程度の餅がコーティングされたような代物とも化してしまう。
それでも、あくまで民主制こそは最もマシな政治体制である場合があるとすれば、
民主制以外の体制は100%苛政でしかあり得ない、犬糞の純塊でしかない場合に限るといえる。
今の中露や北など見てみれば、そのように思われるかもしれないが、
ムバラク政権による長期独裁が敷かれていたエジプトが、「アラブの春」なる
民主化革命によってかえって荒廃してしまったように、非民主制のほうが
善政とまで行かずとも、まだ苛政から遠い政治を執り行うようなことがいくらでもある。
軍事政権による封建制という、ガチガチの専制だった江戸期の日本のほうが、
税率でも所得格差でも平均労働時間でも、今よりもずっと民を厚遇していたように、
民主なんてものが理念として掲げられることもなかったような時代の政権のほうが、
主権ある為政者としての責任意識に駆られての、民主的な治政に取り組むという実例もある。
そんな実例がほぼ皆無に等しいのは、それこそ、民主主義というイデオロギーの
発祥地である西洋諸国ぐらいのもので、民主化以前には大地主の代表としての王族が、
世界史上最大のカルトであるキリスト教団やユダヤ政商とつるんでの
暴政をほしいままにするのがデフォであったがために、薄皮一枚程度の餅に該当する
民主制という体裁が、苛政という犬糞にコーティングされるだけでも満足という、
極めて程度の低い望みばかりに全てが集約されることとなったのである。
ムバラク政権による長期独裁が敷かれていたエジプトが、「アラブの春」なる
民主化革命によってかえって荒廃してしまったように、非民主制のほうが
善政とまで行かずとも、まだ苛政から遠い政治を執り行うようなことがいくらでもある。
軍事政権による封建制という、ガチガチの専制だった江戸期の日本のほうが、
税率でも所得格差でも平均労働時間でも、今よりもずっと民を厚遇していたように、
民主なんてものが理念として掲げられることもなかったような時代の政権のほうが、
主権ある為政者としての責任意識に駆られての、民主的な治政に取り組むという実例もある。
そんな実例がほぼ皆無に等しいのは、それこそ、民主主義というイデオロギーの
発祥地である西洋諸国ぐらいのもので、民主化以前には大地主の代表としての王族が、
世界史上最大のカルトであるキリスト教団やユダヤ政商とつるんでの
暴政をほしいままにするのがデフォであったがために、薄皮一枚程度の餅に該当する
民主制という体裁が、苛政という犬糞にコーティングされるだけでも満足という、
極めて程度の低い望みばかりに全てが集約されることとなったのである。
西欧においては、大地主の代表がそのまま諸国の王族となり、
キリスト教団やユダヤ政商とつるんでの暴政をほしいままにするという
最悪の政治情勢が続いていたところに、王族どもをギロチン送りで皆殺しにする
という革命が講じられたことから、薄皮一枚程度の餅が食えるだけでも、
犬の糞しか食えないよりはマシという程度の改善が民主化によってもたらされた。
地主の強大化は、インフラ整備の不全化や、土地の営利目的による雑用の蔓延を来たすために、
かつての欧州では下水道もまともに整備されず、糞尿を家の窓から投げ捨てるのが常態と
化していたのが、民主革命によって地主の権限が大幅に制限されたことで大きく改善され、
区画整理も行き届いての美しい街並みが広がるようにもなったのだった。
日本の場合は、これとは全くの真逆で、かつて封建制によって諸国を統治していた
王侯(大名を諸侯相当とする)こそは地主たる庄屋の権限に制限をかける公明正大な
役職であったのにもかかわらず、封建制の廃止と共にその地位を追われ、かわりに庄屋や
豪商の血筋の者こそが民衆の代表気取りで政財界の要人を歴任するようになったために、
世界でも随一の美しさと清潔さを帯びていたというかつての街並みは跡形もなくなり、
区画整理も疎かで電線やマンション駐車場まみれの、醜悪な景観があふれ返ることとなった。
キリスト教団やユダヤ政商とつるんでの暴政をほしいままにするという
最悪の政治情勢が続いていたところに、王族どもをギロチン送りで皆殺しにする
という革命が講じられたことから、薄皮一枚程度の餅が食えるだけでも、
犬の糞しか食えないよりはマシという程度の改善が民主化によってもたらされた。
地主の強大化は、インフラ整備の不全化や、土地の営利目的による雑用の蔓延を来たすために、
かつての欧州では下水道もまともに整備されず、糞尿を家の窓から投げ捨てるのが常態と
化していたのが、民主革命によって地主の権限が大幅に制限されたことで大きく改善され、
区画整理も行き届いての美しい街並みが広がるようにもなったのだった。
日本の場合は、これとは全くの真逆で、かつて封建制によって諸国を統治していた
王侯(大名を諸侯相当とする)こそは地主たる庄屋の権限に制限をかける公明正大な
役職であったのにもかかわらず、封建制の廃止と共にその地位を追われ、かわりに庄屋や
豪商の血筋の者こそが民衆の代表気取りで政財界の要人を歴任するようになったために、
世界でも随一の美しさと清潔さを帯びていたというかつての街並みは跡形もなくなり、
区画整理も疎かで電線やマンション駐車場まみれの、醜悪な景観があふれ返ることとなった。
テメエの思い込みを勝手に実情扱いするなクソボケ反社会人
西欧なら、犬の糞そのものみたいな悪政に、餅皮がコーティングされる程度の処理が
民主化によって施されたために、その証拠として地主の権限も弱体化し、
街並みがよく整備された程度の目に見える改善もあったわけだが。
日本の場合はそれすらなく、むしろ街並みの景観も悪化の一途を辿ったし、
民の利益などをまともに考慮にも入れないような苛政が新たに招かれることともなった。
何にもいいことなしな政変であったわけだけれども、そもそもが、日本社会が
民主化を進行させる大機縁となった明治維新や、先の敗戦からの米占領支配自体、
国民が主導したものでもなければ、懇願の末に招かれたものでもない。
封建制による徳治こそが世を平定した時代が終わって、誰しもが自由の名の下に
何でも好き勝手出来るようになることに罪悪感すら抱いていたからこそ、
幕末の民衆たちは現実逃避目的のええじゃないか踊りなんかに明け暮れていたのだし、
その傾向がさらに輪をかけてひどくなる危惧に駆られていたからこそ、
敗戦時の国民たちもまた玉音放送にうなだれて、突っ伏して泣いていたのに違いない。
ことに、日本という国における民主化は、百害あって一利ないような世相の荒廃
ばかりしか招かなかったというのが実情だし、なればこそ、日本国民に民主主義への
夢想による愛好を増長させるためには、カルトによる洗脳支配までもが必要となったのだった。
民主化によって施されたために、その証拠として地主の権限も弱体化し、
街並みがよく整備された程度の目に見える改善もあったわけだが。
日本の場合はそれすらなく、むしろ街並みの景観も悪化の一途を辿ったし、
民の利益などをまともに考慮にも入れないような苛政が新たに招かれることともなった。
何にもいいことなしな政変であったわけだけれども、そもそもが、日本社会が
民主化を進行させる大機縁となった明治維新や、先の敗戦からの米占領支配自体、
国民が主導したものでもなければ、懇願の末に招かれたものでもない。
封建制による徳治こそが世を平定した時代が終わって、誰しもが自由の名の下に
何でも好き勝手出来るようになることに罪悪感すら抱いていたからこそ、
幕末の民衆たちは現実逃避目的のええじゃないか踊りなんかに明け暮れていたのだし、
その傾向がさらに輪をかけてひどくなる危惧に駆られていたからこそ、
敗戦時の国民たちもまた玉音放送にうなだれて、突っ伏して泣いていたのに違いない。
ことに、日本という国における民主化は、百害あって一利ないような世相の荒廃
ばかりしか招かなかったというのが実情だし、なればこそ、日本国民に民主主義への
夢想による愛好を増長させるためには、カルトによる洗脳支配までもが必要となったのだった。
かつてええじゃないか踊りで現実逃避に明け暮れ、玉音放送の前でむせび泣いていたような
先祖たちは決して、日本国民にとって百害あって一利もなかった、近代以降の民主化という
潮流に歯止めがかけられて行くことを悲観的には思わないだろうし、その血を継ぐ
今の日本人の大多数もまた、カルト洗脳の迷妄から脱しすらすればそれに倣うだろう。
無論、民主主義の終焉を好き好むとまでは行くまいし、その必要などもない。
ただの無名の一般民衆のままでも、国の主権を掌握できるという民主主義の理屈は、
民衆にとって麻薬的な魅力を感じさせられるものだし、その権限が今からはく奪されるとなれば、
そこにある種の拒絶反応を示してしまうのもまた、万民にとっての常であるに違いない。
ただ、麻薬中毒者が中毒から抜け出して健康を取り戻す時のような、義務感こそが必要なもの。
あるいは、大病を患った人間が苦しい治療を嫌でも受け入れるがごとく、
人をひき殺してしまった人間が、過失といえども相応の服役を受け入れるがごとく、
純粋な義務感によって受け入れるべきことだし、それこそが、多くの日本人が
昔からの徳化によって育んできた持ち前によって得意とすることでもあるのだ。
先祖たちは決して、日本国民にとって百害あって一利もなかった、近代以降の民主化という
潮流に歯止めがかけられて行くことを悲観的には思わないだろうし、その血を継ぐ
今の日本人の大多数もまた、カルト洗脳の迷妄から脱しすらすればそれに倣うだろう。
無論、民主主義の終焉を好き好むとまでは行くまいし、その必要などもない。
ただの無名の一般民衆のままでも、国の主権を掌握できるという民主主義の理屈は、
民衆にとって麻薬的な魅力を感じさせられるものだし、その権限が今からはく奪されるとなれば、
そこにある種の拒絶反応を示してしまうのもまた、万民にとっての常であるに違いない。
ただ、麻薬中毒者が中毒から抜け出して健康を取り戻す時のような、義務感こそが必要なもの。
あるいは、大病を患った人間が苦しい治療を嫌でも受け入れるがごとく、
人をひき殺してしまった人間が、過失といえども相応の服役を受け入れるがごとく、
純粋な義務感によって受け入れるべきことだし、それこそが、多くの日本人が
昔からの徳化によって育んできた持ち前によって得意とすることでもあるのだ。
「こち亀」の大原部長あたりでステレオタイプに描かれながら
おちょくられることで、過去の遺物としての葬送扱いともなって来た、
戦前世代あたりまでにはかなり多くいた、昔気質の堅物な日本人。
両津の合いの手などとしては面白かれど、
本当にあんな頑固爺に付き合わされるのは勘弁というのが、
最長老の団塊を含む大多数の戦後世代にとっての感想にも違いないが。
人間社会を最低限、持続可能ならしめるためには不可欠な人種でもあったればこそ、
さような人々を根絶の域に至らしめた日本もまた、亡国の危機に瀕してしまった。
戦後日本人が専ら軟派さの模範として来たアメリカにしたって、
絶対上意下達の軍隊や、一般人の射殺も辞さない警察と共に初めて成り立っている。
しかもそのような人々が共和党という、二大政党制の一翼を担うほどの勢力をも
保つことで、民主党勢のやりたい放題にも何とか歯止めをかけているような状態。
今の日本たるや、民主党しかないアメリカも同然な状態であって、
そんな国がまともに成り立たないことをこの日本こそが先んじて示したことを、
逆にアメリカもまた反面教師とすべきところである。
おちょくられることで、過去の遺物としての葬送扱いともなって来た、
戦前世代あたりまでにはかなり多くいた、昔気質の堅物な日本人。
両津の合いの手などとしては面白かれど、
本当にあんな頑固爺に付き合わされるのは勘弁というのが、
最長老の団塊を含む大多数の戦後世代にとっての感想にも違いないが。
人間社会を最低限、持続可能ならしめるためには不可欠な人種でもあったればこそ、
さような人々を根絶の域に至らしめた日本もまた、亡国の危機に瀕してしまった。
戦後日本人が専ら軟派さの模範として来たアメリカにしたって、
絶対上意下達の軍隊や、一般人の射殺も辞さない警察と共に初めて成り立っている。
しかもそのような人々が共和党という、二大政党制の一翼を担うほどの勢力をも
保つことで、民主党勢のやりたい放題にも何とか歯止めをかけているような状態。
今の日本たるや、民主党しかないアメリカも同然な状態であって、
そんな国がまともに成り立たないことをこの日本こそが先んじて示したことを、
逆にアメリカもまた反面教師とすべきところである。
世の中が悉皆、大原部長みたいな堅物で塗り固められるのも考えものだし、
戦前までの大日本帝国はそのような面で行き過ぎていた所もあったのに違いない。
その原因は、徴兵制でいざとなれば万民が軍隊教育に従わされていた総力戦体制にもある。
武家時代には、軍事を担うのは武家階級だけだったから、その手の堅物さを万民にまで
押し広めたりする必要もなかったために、比較的軟派な大衆文化なども花開いた。
ただそれは、武家階級こそを主権ある公人として畏敬、尊重する封建的な嗜みがあって
初めて実現されていたことであるがために、民主制のまま実現されるようなこともない。
国民主権と国民皆兵も決して切り離して考えられるものではなく、
スイス並みに徹底的でなくとも、いざとなれば総員で軍事に携わる体裁までは崩せない。
それを忌避し、廃止にまで持って行くことができるのは、やはり国民主権の放棄だけなのであり、
「我が子を戦争に送らない」系の非現実的な反戦主義を訴えている左翼なぞが、
本当に現実にそれを実現するために目指すべきなのも、むしろそちらなのである。
戦前までの大日本帝国はそのような面で行き過ぎていた所もあったのに違いない。
その原因は、徴兵制でいざとなれば万民が軍隊教育に従わされていた総力戦体制にもある。
武家時代には、軍事を担うのは武家階級だけだったから、その手の堅物さを万民にまで
押し広めたりする必要もなかったために、比較的軟派な大衆文化なども花開いた。
ただそれは、武家階級こそを主権ある公人として畏敬、尊重する封建的な嗜みがあって
初めて実現されていたことであるがために、民主制のまま実現されるようなこともない。
国民主権と国民皆兵も決して切り離して考えられるものではなく、
スイス並みに徹底的でなくとも、いざとなれば総員で軍事に携わる体裁までは崩せない。
それを忌避し、廃止にまで持って行くことができるのは、やはり国民主権の放棄だけなのであり、
「我が子を戦争に送らない」系の非現実的な反戦主義を訴えている左翼なぞが、
本当に現実にそれを実現するために目指すべきなのも、むしろそちらなのである。
戦乱級の政争もあくまで自分たち公職者たち同士で担い、
一般庶民は関ヶ原を観戦していた百姓なみの無責任さであること認める。
その上でなおかつ、国の主権は民衆にあるなどとすれば、
あまりにも公職者であることが割に合わなすぎることになるから、
誰もなり手がいなくなってしまう。だからこそ公職者こそが主権者たることを認めて、
一般庶民は上士に対するなりの敬意を捧げるぐらいの体裁であるのでなければならない。
かつての日本では専業主婦が当たり前で、男女の平均寿命が大きく開くほどにも
夫ばかりが外で働き詰めていたけれども、だからこそ妻も夫を主人として敬っていた。
官民の関係もまたそれと全く同じことで、命がけ級に責任ある振舞いを求めるのならば、
それを嘱託する側もまたそれ相応の見返りを受け入れなければならないのである。
あくまで、お上や主人への尊重を堅持すらすれば、仁政による安寧や専業主婦としての
恵まれた生活が守られる場合に限っての話であり、封建制だろうが民主制だろうが、
どうあがいても苛政や女の奴隷扱いしかあり得ないような、キリスト教国なみの
荒廃を大前提とするのであれば、さほど意味もないような話ではある。
一般庶民は関ヶ原を観戦していた百姓なみの無責任さであること認める。
その上でなおかつ、国の主権は民衆にあるなどとすれば、
あまりにも公職者であることが割に合わなすぎることになるから、
誰もなり手がいなくなってしまう。だからこそ公職者こそが主権者たることを認めて、
一般庶民は上士に対するなりの敬意を捧げるぐらいの体裁であるのでなければならない。
かつての日本では専業主婦が当たり前で、男女の平均寿命が大きく開くほどにも
夫ばかりが外で働き詰めていたけれども、だからこそ妻も夫を主人として敬っていた。
官民の関係もまたそれと全く同じことで、命がけ級に責任ある振舞いを求めるのならば、
それを嘱託する側もまたそれ相応の見返りを受け入れなければならないのである。
あくまで、お上や主人への尊重を堅持すらすれば、仁政による安寧や専業主婦としての
恵まれた生活が守られる場合に限っての話であり、封建制だろうが民主制だろうが、
どうあがいても苛政や女の奴隷扱いしかあり得ないような、キリスト教国なみの
荒廃を大前提とするのであれば、さほど意味もないような話ではある。
十七条憲法の八条などに倣って、寝る間も惜しんで働いたりすれば、そのせいで寿命も縮まる。
それと引き換えにつつがなく世を治め、妻子も独力で養って行くというのは、
民や妻子からの崇敬を一手に集める士大夫にのみ務まる役儀である。
敬う側もまた堅苦しさを強いられ、敬われる側も寿命を縮めるという、
痛み分けでしかないような試みであるが故に、現代人などには虫唾も走るような嫌悪感と共に
思い起こされる古の慣習だけれども、そうでもしなければ民衆まで血みどろの戦争に駆り出されたり、
女子供も拠り所を失っての鬼婆化や東横キッズ化が避けられないというのが、世の普遍法則であった。
ただあくまで匙加減の問題であり、封建的秩序によって世を泰平へと導くのも、
開き直ってその逆を行くのも、この世に蔓延する苦難を最小限に控えるために加減すべき所であるのも共通する。
江戸時代も武家の支配が主だったのは前半あたりまでで、後半は町人文化の開花などのほうが
顕著だったとも言われるし、封建制も軽量で済むのならそれに越したことはない。ただ、だからといって
民主化級に完全に破棄したのでは、ガチガチの封建支配を上回るような危難が招かれるとも知れたのである。
それと引き換えにつつがなく世を治め、妻子も独力で養って行くというのは、
民や妻子からの崇敬を一手に集める士大夫にのみ務まる役儀である。
敬う側もまた堅苦しさを強いられ、敬われる側も寿命を縮めるという、
痛み分けでしかないような試みであるが故に、現代人などには虫唾も走るような嫌悪感と共に
思い起こされる古の慣習だけれども、そうでもしなければ民衆まで血みどろの戦争に駆り出されたり、
女子供も拠り所を失っての鬼婆化や東横キッズ化が避けられないというのが、世の普遍法則であった。
ただあくまで匙加減の問題であり、封建的秩序によって世を泰平へと導くのも、
開き直ってその逆を行くのも、この世に蔓延する苦難を最小限に控えるために加減すべき所であるのも共通する。
江戸時代も武家の支配が主だったのは前半あたりまでで、後半は町人文化の開花などのほうが
顕著だったとも言われるし、封建制も軽量で済むのならそれに越したことはない。ただ、だからといって
民主化級に完全に破棄したのでは、ガチガチの封建支配を上回るような危難が招かれるとも知れたのである。
封建制をあくまで目的のための手段扱いにとどめ、
官民かかわりなく世俗社会全体を客観する仏道や神道の境地こそをより高尚なものとして
尊んで行く多様性も織り交ぜられていた頃の日本や、古代の中国インドの在り方こそは、
封建制の行き過ぎにも歯止めがかけられていたが故の理想形でもあったのに違いない。
ここ1000年ほどの世界で、封建制を過不足なくうまく取り扱えていた経歴のある国なんて
この日本ぐらいなものである上に、それもまた武家というガチガチの軍事政権と共にで
あったがために、民主化のみならず文民統制までもが敷かれている現代の人々からすれば、
暗黒時代もしくはおとぎ話の世界の遺物ぐらいにしか考えられないのが常ではあるけれども。
今の日本なみの閉塞状態よりはまだマシな封建社会というのも確実に実在し得るものだし、
決して総合的に世の中がより悪くなることなどを恐れて避けるべきものでもないのである。
官民かかわりなく世俗社会全体を客観する仏道や神道の境地こそをより高尚なものとして
尊んで行く多様性も織り交ぜられていた頃の日本や、古代の中国インドの在り方こそは、
封建制の行き過ぎにも歯止めがかけられていたが故の理想形でもあったのに違いない。
ここ1000年ほどの世界で、封建制を過不足なくうまく取り扱えていた経歴のある国なんて
この日本ぐらいなものである上に、それもまた武家というガチガチの軍事政権と共にで
あったがために、民主化のみならず文民統制までもが敷かれている現代の人々からすれば、
暗黒時代もしくはおとぎ話の世界の遺物ぐらいにしか考えられないのが常ではあるけれども。
今の日本なみの閉塞状態よりはまだマシな封建社会というのも確実に実在し得るものだし、
決して総合的に世の中がより悪くなることなどを恐れて避けるべきものでもないのである。
M坊もまたいつものように逃げ出したことだし、
またスレの主題のほうに話を修正して行くか。
一般庶民が人の価値をはかり知ることなど到底ままならない理由が、
また一つ見つかったんで、それもここに付記しておこう。
画像は、ルービックキューブをそろえて行く過程を矢印で示したもの。
一番上の画像の時ももうほとんど六面揃っていて、
実際にあと一段階の手順を踏むだけで下画のように完全に揃うんだが。
その過程で真ん中の画像のように一旦、全面を大胆に崩してしまう必要がある。
つまり、物事が着実に改善されて行くためにこそ、大幅な換骨奪胎が必要になることが
いくらでもあって、しかもそれが完成の直前まで、大後退の様相を呈したりもする。
世の中の諸問題を解決できるような知見、能力の持ち主がいようとも、
その目的達成の過程においては、いくらでも達成からかえって遠ざかっているような
様相を踏まえねばならないのだが、そんなことがあれば大多数の人々は評価せず、
達成する前から低評価を突き付けて引きずりおろしてしまったりするもの。
だからこそ、人事が専門でもないような一般庶民が人の価値をはかり知って、
達者こそを高位に据えて目的を達成してもらうようなこともままならないわけである。
またスレの主題のほうに話を修正して行くか。
一般庶民が人の価値をはかり知ることなど到底ままならない理由が、
また一つ見つかったんで、それもここに付記しておこう。
画像は、ルービックキューブをそろえて行く過程を矢印で示したもの。
一番上の画像の時ももうほとんど六面揃っていて、
実際にあと一段階の手順を踏むだけで下画のように完全に揃うんだが。
その過程で真ん中の画像のように一旦、全面を大胆に崩してしまう必要がある。
つまり、物事が着実に改善されて行くためにこそ、大幅な換骨奪胎が必要になることが
いくらでもあって、しかもそれが完成の直前まで、大後退の様相を呈したりもする。
世の中の諸問題を解決できるような知見、能力の持ち主がいようとも、
その目的達成の過程においては、いくらでも達成からかえって遠ざかっているような
様相を踏まえねばならないのだが、そんなことがあれば大多数の人々は評価せず、
達成する前から低評価を突き付けて引きずりおろしてしまったりするもの。
だからこそ、人事が専門でもないような一般庶民が人の価値をはかり知って、
達者こそを高位に据えて目的を達成してもらうようなこともままならないわけである。
「譬えば山を為すが如し。未だ一簣を成さざるも、止むは吾が止むなり」
「たとえば山を作るにしても、最後の一盛りを欠いたならば、それでもう失敗なのだ」
(子罕第九・一九より)
という論語の言葉なども、完成の瞬間まで大いなる後退の試練が
待ち受け続けている、大道への求道の真相を説いたものだといえる。
第一にはもちろん、実際に求道に取り組む者たちへの心がまえを説いた言葉ではあるが、
同時に、本物の求道者ほど山あり谷ありの道のりを突き進み続けるが故に、
漸次、目に見えての向上、改善ばかりを積み重ねているとは限らないから、
その姿をど素人の他者などが評価することもままならない法則の提示でもあるといえる。
逆に、子供でもちょっと頑張れば上達できるような小道などのほうが、
そういった誰にでも目に見えて分かるような進歩向上続きでいられるもので、だからこそ
その手の小道通いに終始するような小人ばかりが一般からは評価される、などということにもなる。
「たとえば山を作るにしても、最後の一盛りを欠いたならば、それでもう失敗なのだ」
(子罕第九・一九より)
という論語の言葉なども、完成の瞬間まで大いなる後退の試練が
待ち受け続けている、大道への求道の真相を説いたものだといえる。
第一にはもちろん、実際に求道に取り組む者たちへの心がまえを説いた言葉ではあるが、
同時に、本物の求道者ほど山あり谷ありの道のりを突き進み続けるが故に、
漸次、目に見えての向上、改善ばかりを積み重ねているとは限らないから、
その姿をど素人の他者などが評価することもままならない法則の提示でもあるといえる。
逆に、子供でもちょっと頑張れば上達できるような小道などのほうが、
そういった誰にでも目に見えて分かるような進歩向上続きでいられるもので、だからこそ
その手の小道通いに終始するような小人ばかりが一般からは評価される、などということにもなる。
戦国時代に試みられた数々のいくさと比べても、
天下泰平の機縁となった関ヶ原や大阪の陣こそがより絶大な最終決戦となったように、
むしろ最後の最後で最大級の苦難が待ち受けている、なんてこともいくらでもある。
戦国期の戦いは諸国の局地的な争いなれども、
天下分け目の大いくさとなれば、全国を二分する連合勢力同士の大決戦となるわけで、
そこで最大級の争乱が招かれるのは、完全に必然的なことでもあった。
そこまで辛抱強く家康公に同道した家臣や諸大名もいれば、小早川のように日和見の末、
ようよう味方になった者もあり、もちろん最後まで敵対し抜いた者たちも相当数いた。
今から見た後出しジャンケンでは、早く随順しておけばおくほど良かったというしかないが、
未然の真っ最中においてはそうも行かず、どうしてあんなタヌキ爺などに従える者かと、
高を括っていたような者たちが位の上下を問わず多くいて、大坂城に集っていたのである。
徳川という勝ち馬に乗れた側もまた、恣意で支持したなんて人間は少数派なぐらいで、
ほとんどは成り行きや敗戦からの屈従をきっかけとしたもの。それほどにも、
真の大丈夫が本物の偉業を果たす時に、適当に支持できるような人間などいないもの。
それと同等以上の偉業などが、選挙政治などで実現される可能性もまた、当然ないのである。
大用現前、軌則を存ぜぬが故に、何事も自分の思い通りばかりであってほしい小市民ほど、
そこで的確な判断からの然るべき相手への支持などを試みることも能わないのだから。
天下泰平の機縁となった関ヶ原や大阪の陣こそがより絶大な最終決戦となったように、
むしろ最後の最後で最大級の苦難が待ち受けている、なんてこともいくらでもある。
戦国期の戦いは諸国の局地的な争いなれども、
天下分け目の大いくさとなれば、全国を二分する連合勢力同士の大決戦となるわけで、
そこで最大級の争乱が招かれるのは、完全に必然的なことでもあった。
そこまで辛抱強く家康公に同道した家臣や諸大名もいれば、小早川のように日和見の末、
ようよう味方になった者もあり、もちろん最後まで敵対し抜いた者たちも相当数いた。
今から見た後出しジャンケンでは、早く随順しておけばおくほど良かったというしかないが、
未然の真っ最中においてはそうも行かず、どうしてあんなタヌキ爺などに従える者かと、
高を括っていたような者たちが位の上下を問わず多くいて、大坂城に集っていたのである。
徳川という勝ち馬に乗れた側もまた、恣意で支持したなんて人間は少数派なぐらいで、
ほとんどは成り行きや敗戦からの屈従をきっかけとしたもの。それほどにも、
真の大丈夫が本物の偉業を果たす時に、適当に支持できるような人間などいないもの。
それと同等以上の偉業などが、選挙政治などで実現される可能性もまた、当然ないのである。
大用現前、軌則を存ぜぬが故に、何事も自分の思い通りばかりであってほしい小市民ほど、
そこで的確な判断からの然るべき相手への支持などを試みることも能わないのだから。
そうだな、虻蜂取らず、二兎一兎的な背伸びによる低迷を
来たしていると誤解して、評価できないような場合もあるだろう。
今の俺もまだまだ、天下を取った時の家康公より年下ではあるが、
それでも、もう伸びしろがないかのように決めつけて諦めを促す者もいる。
キャリアハイがおおむね10代や20代にやってくる、
スポーツやアイドルにでも入れ込んでれば、なおのことそう考えてしまう。
単純な体力はおろか、思考力もまた25歳あたりがピークとなるために、
数学やプロ将棋などでも若者が年寄りより活躍するような傾向があるが。
技術力は年を重ねるごとに向上し続ける上に、心技体の総合的な能力の上達
となれば、これまた死ぬまで進歩向上を続けて行けるのが人間であるわけだが。
複数の波形を複合すれば、どんどん複雑な形状の波形へと様変わりするように、
心技体の総合的な進歩向上などもまた、より複雑怪奇な紆余曲折がなくては済まなくなる。
そこで悪戦苦闘、七転び八起きするのはもはや規定事項といっても過言ではなく、
(数学的にも事実だから、ルービックキューブの解法などにも同様な傾向がある)
そこに虻蜂取らずのようなレッテルが貼られたりするようならば、偉大なる求道の、
人からの支持を取り付けながらの達成などもあり得ない。そしてそれはほぼ人の常でもある。
来たしていると誤解して、評価できないような場合もあるだろう。
今の俺もまだまだ、天下を取った時の家康公より年下ではあるが、
それでも、もう伸びしろがないかのように決めつけて諦めを促す者もいる。
キャリアハイがおおむね10代や20代にやってくる、
スポーツやアイドルにでも入れ込んでれば、なおのことそう考えてしまう。
単純な体力はおろか、思考力もまた25歳あたりがピークとなるために、
数学やプロ将棋などでも若者が年寄りより活躍するような傾向があるが。
技術力は年を重ねるごとに向上し続ける上に、心技体の総合的な能力の上達
となれば、これまた死ぬまで進歩向上を続けて行けるのが人間であるわけだが。
複数の波形を複合すれば、どんどん複雑な形状の波形へと様変わりするように、
心技体の総合的な進歩向上などもまた、より複雑怪奇な紆余曲折がなくては済まなくなる。
そこで悪戦苦闘、七転び八起きするのはもはや規定事項といっても過言ではなく、
(数学的にも事実だから、ルービックキューブの解法などにも同様な傾向がある)
そこに虻蜂取らずのようなレッテルが貼られたりするようならば、偉大なる求道の、
人からの支持を取り付けながらの達成などもあり得ない。そしてそれはほぼ人の常でもある。
手先、足先だけを駆使する運動よりも全身を使った運動のほうが、
表層筋だけの運動よりも深層筋まで使う運動のほうが底力が発揮される代わりに、
そのような運動能力を鍛えるための修練にも多大なる困難が伴う。
単純に、鍛錬後の疲労が些末な表層だけの運動と比べて段違いであるために、
人並み以上に長く深い睡眠や、よく栄養バランスを考えた食事などによる
アフターケアに勤めるのでなければ、いつまでも回復すらままならないようにもなる。
特に、前後左右上下内外本末といった体の対称バランスを変えてしまうような
運動はあまりにもの大損耗を伴うことから、今のスポーツ界でも禁忌とされており、
生まれつきの身体バランスに恵まれないような人間が後天的な修練によって、
生来恵まれている人間の上を行くような選択肢も全く絶たれているわけだが。
古流の武芸や瑜伽行などではそれも一つの選択肢とされて整備されているが故に、
やり方を間違えると命も落としかねないほどの危険性を帯びている代わりに、
達成すらすればスポーツなどとは比べ物にならないほどの効験が期待できるものでもある。
大道ほど、求道者に大いなる後退を強いながらの大成を強いる事例には、
かようなものもまたあり、社会的な外面性から個人的な内面性に至るまで、
どこにでも遍在している法則であるが故に、そういうものをナシとする逃げ場もないのである。
表層筋だけの運動よりも深層筋まで使う運動のほうが底力が発揮される代わりに、
そのような運動能力を鍛えるための修練にも多大なる困難が伴う。
単純に、鍛錬後の疲労が些末な表層だけの運動と比べて段違いであるために、
人並み以上に長く深い睡眠や、よく栄養バランスを考えた食事などによる
アフターケアに勤めるのでなければ、いつまでも回復すらままならないようにもなる。
特に、前後左右上下内外本末といった体の対称バランスを変えてしまうような
運動はあまりにもの大損耗を伴うことから、今のスポーツ界でも禁忌とされており、
生まれつきの身体バランスに恵まれないような人間が後天的な修練によって、
生来恵まれている人間の上を行くような選択肢も全く絶たれているわけだが。
古流の武芸や瑜伽行などではそれも一つの選択肢とされて整備されているが故に、
やり方を間違えると命も落としかねないほどの危険性を帯びている代わりに、
達成すらすればスポーツなどとは比べ物にならないほどの効験が期待できるものでもある。
大道ほど、求道者に大いなる後退を強いながらの大成を強いる事例には、
かようなものもまたあり、社会的な外面性から個人的な内面性に至るまで、
どこにでも遍在している法則であるが故に、そういうものをナシとする逃げ場もないのである。
試行錯誤や厳しい鍛錬のせいで、時に大後退や大損耗を来たしてしまうような求道的試みなどは、
自分がやるのはおろか、そういうことに取り組んでいる人々を他力本願的に尊ぶことすら
疎ましくて忌まわしく思ってしまうような人間が、現代社会の大多数ともなっている。
求道者を尊ぶのなら、そこにまで及ばない自分自身の立場の低さをわきまえて小さくなってる
必要までもが出てくるために、それを受け入れられない思い上がりのあまりに、
求道性によって大いなる成果を挙げるような人間を外的に尊ぶことすら務まらないままに終わる。
そういう相手が大成の直前まで、人並み以上に後退しての悪戦苦闘に苛まれていたりするようなら、
「それ見たことかw」と鬼の首を取ったように囃し立て、やっぱりそんなものは人間があえて
取り組んで行くべき選択肢などではないのだと、自己正当化のさらなる重畳にも取り組むものである。
そんな連中が票を入れる選挙の立候補者などもまた、当然求道者未満に限られて、
大いなる困難が伴う仁政への取り組みなど当然のように疎かにした上での、私利私益の貪りばかりに
走るのが常套ともなる。どこにも不可思議要素などない、確かな原因があっての結果なのである。
自分がやるのはおろか、そういうことに取り組んでいる人々を他力本願的に尊ぶことすら
疎ましくて忌まわしく思ってしまうような人間が、現代社会の大多数ともなっている。
求道者を尊ぶのなら、そこにまで及ばない自分自身の立場の低さをわきまえて小さくなってる
必要までもが出てくるために、それを受け入れられない思い上がりのあまりに、
求道性によって大いなる成果を挙げるような人間を外的に尊ぶことすら務まらないままに終わる。
そういう相手が大成の直前まで、人並み以上に後退しての悪戦苦闘に苛まれていたりするようなら、
「それ見たことかw」と鬼の首を取ったように囃し立て、やっぱりそんなものは人間があえて
取り組んで行くべき選択肢などではないのだと、自己正当化のさらなる重畳にも取り組むものである。
そんな連中が票を入れる選挙の立候補者などもまた、当然求道者未満に限られて、
大いなる困難が伴う仁政への取り組みなど当然のように疎かにした上での、私利私益の貪りばかりに
走るのが常套ともなる。どこにも不可思議要素などない、確かな原因があっての結果なのである。
実際問題、過程においても大損耗、大後退を来たしながら、
その先においても何の救いもない破滅ばかりが待っている、
なんていう残酷無残極まるお手並みもまたこの世には実在する。
物価高、低賃金の上での大増税とかいう、
全身大火傷に死海の超高濃縮塩水を浴びせかけるような真似を
繰り返している今の日本の政治なども、まさにその典型である。
生来、付き従う主人を欲する女たちの性分を蔑ろにしたまま、
女性の独立、社会進出などを大胆に推し進めた結果、
拠り所のなさのせいで多くの女たちがヒスの鬼婆化していたりするのも同様。
目的のための手段が、目的から一時的には遠ざかるような痛みを伴うこともあれど、
そもそも手段が間違っているせいで、金輪際永遠に目的の達成から
遠ざかり続けることしかできないようなドツボにはまるのとは全くの別物である。
今の日本政府も、痛みを伴うような求道性の価値を否定しているような
一般庶民からの支持によって存続しているからには、そのドツボはむしろ、
着実な求道性から遠ざかろうとした所にこそ待ち受けているものだと知るべきなのである。
その先においても何の救いもない破滅ばかりが待っている、
なんていう残酷無残極まるお手並みもまたこの世には実在する。
物価高、低賃金の上での大増税とかいう、
全身大火傷に死海の超高濃縮塩水を浴びせかけるような真似を
繰り返している今の日本の政治なども、まさにその典型である。
生来、付き従う主人を欲する女たちの性分を蔑ろにしたまま、
女性の独立、社会進出などを大胆に推し進めた結果、
拠り所のなさのせいで多くの女たちがヒスの鬼婆化していたりするのも同様。
目的のための手段が、目的から一時的には遠ざかるような痛みを伴うこともあれど、
そもそも手段が間違っているせいで、金輪際永遠に目的の達成から
遠ざかり続けることしかできないようなドツボにはまるのとは全くの別物である。
今の日本政府も、痛みを伴うような求道性の価値を否定しているような
一般庶民からの支持によって存続しているからには、そのドツボはむしろ、
着実な求道性から遠ざかろうとした所にこそ待ち受けているものだと知るべきなのである。
比較的、男よりも女人気の高い現代ヨガでも、
ちゃんとしている所は、男にしか出来ない域の求道性も尊重して、
そういうものは女まで無理にやったりしないように取り決めるなどしている。
それは確かに男尊女卑的な取り決めだから、
近来のフェミニズムに囚われた女などの中にはその手のヨガ流派を嫌い、
女こそを最上級のヨガ行者として崇め立てるような所に傾倒したがる。
しかし、そんな流派ほどもれなくカルトの巣窟で、
女でもできるような低級な技法だけやって高い参加費を取るか、
もしくは無理なことまでやらせて寿命を縮めさせるようなことばかりやっている。
本物の求道性を尊べないがあまりに、我が身を滅ぼしかねないような
まがい物、ならず者の部類ばかりを引き寄せてしまう。そんなドツボに
はまらないためにこそ、自ら本格の求道に及んだりしない内からでも、
自分以上の存在を想定して尊べるような恭しさは養っておくべきなのである。
ちゃんとしている所は、男にしか出来ない域の求道性も尊重して、
そういうものは女まで無理にやったりしないように取り決めるなどしている。
それは確かに男尊女卑的な取り決めだから、
近来のフェミニズムに囚われた女などの中にはその手のヨガ流派を嫌い、
女こそを最上級のヨガ行者として崇め立てるような所に傾倒したがる。
しかし、そんな流派ほどもれなくカルトの巣窟で、
女でもできるような低級な技法だけやって高い参加費を取るか、
もしくは無理なことまでやらせて寿命を縮めさせるようなことばかりやっている。
本物の求道性を尊べないがあまりに、我が身を滅ぼしかねないような
まがい物、ならず者の部類ばかりを引き寄せてしまう。そんなドツボに
はまらないためにこそ、自ら本格の求道に及んだりしない内からでも、
自分以上の存在を想定して尊べるような恭しさは養っておくべきなのである。
???「近ごろわれらが真の両親、マザームーンや喜多川先生への糾弾がひどいが、何とかできないものか」
???「ビッグモーターという中古車屋風情がですね、我々や創価公明へのお伺いもろくに立てずに、
社長のワンマン経営で荒稼ぎしてるようですので、こいつを槍玉に挙げて誤魔化しましょう!」
この間、自分たちの大口顧客であるトヨタ様も似たようなことをやってないかを確認しようとする者も、
ただの一人もナシ。問題発覚後間もなく>>230の時点でその可能性を察知していた俺よりも明らかに、
洞察力に欠けるような連中しかいないのがおまえらなんじゃないか?
まあ、そういう連中ばかりをあえて集めて走狗化して来たんだろうがなあ。
???「ビッグモーターという中古車屋風情がですね、我々や創価公明へのお伺いもろくに立てずに、
社長のワンマン経営で荒稼ぎしてるようですので、こいつを槍玉に挙げて誤魔化しましょう!」
この間、自分たちの大口顧客であるトヨタ様も似たようなことをやってないかを確認しようとする者も、
ただの一人もナシ。問題発覚後間もなく>>230の時点でその可能性を察知していた俺よりも明らかに、
洞察力に欠けるような連中しかいないのがおまえらなんじゃないか?
まあ、そういう連中ばかりをあえて集めて走狗化して来たんだろうがなあ。
世襲によるサラブレッド化によってまで、生粋の凡愚としての性分を
高め抜くことで、マザームーンや喜多川先生ェに臣従して来たおまえらよりも、
次代を担う者たちが有能でなければならないのはもちろんのことだが。
さりとて、東条英機や近衛文麿並みであればいいわけでもないし、
そうなってしまうことこそが、革命後の日本において最も懸念されることでもあろう。
無能なりに他力本願であった所から、
さほどの有能でもないのに自力本位へと乗り換えられる恐怖。
もちろん近衛や東条にも天皇陛下への臣従意識はあったろうけれども、
完全にお飾り扱いで、実務は自分たちが取り仕切るものだと決め込んでいた。
さほどの見識があるわけでもないのに、自分でどうにかしなければならない義務感に
駆られたが故の、「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」のごときイキリ回り。
そのレベルの人種なぞに政権を明け渡すぐらいなら、それなりの後ろ盾がいる
自分たちがその立場でいるほうがマシだとおまえらが考えるのも自然なこと。
その「後ろ盾」が限界を来たすまでは、それでいいのである。
高め抜くことで、マザームーンや喜多川先生ェに臣従して来たおまえらよりも、
次代を担う者たちが有能でなければならないのはもちろんのことだが。
さりとて、東条英機や近衛文麿並みであればいいわけでもないし、
そうなってしまうことこそが、革命後の日本において最も懸念されることでもあろう。
無能なりに他力本願であった所から、
さほどの有能でもないのに自力本位へと乗り換えられる恐怖。
もちろん近衛や東条にも天皇陛下への臣従意識はあったろうけれども、
完全にお飾り扱いで、実務は自分たちが取り仕切るものだと決め込んでいた。
さほどの見識があるわけでもないのに、自分でどうにかしなければならない義務感に
駆られたが故の、「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」のごときイキリ回り。
そのレベルの人種なぞに政権を明け渡すぐらいなら、それなりの後ろ盾がいる
自分たちがその立場でいるほうがマシだとおまえらが考えるのも自然なこと。
その「後ろ盾」が限界を来たすまでは、それでいいのである。
喜多川先生ェが「真のお父様」なのはジャニタレ限定だろうし、
おまえらにとっては「真の叔父様」あたりかな。文鮮よりは年下だし。
こいつが何を武器にしてたのかというに、要するに「気違い」だわな。
CIA謹製の街宣右翼が、菊のご紋を掲げながらの気違いじみたほたえまわりによって、
人々の皇室や右翼への忌避意識を募らせていたがごとく、こいつの気違いそのものな
振舞いこそが芸能界参画の関門となることで、名声利権の寡占の一大立役者になっていた。
きたねえジジイにしゃぶられて掘られるのでもなければ男性アイドルとしての大成の余地がない。
それが全国放送の莫大な収益をごく一部の眷属だけで食い物にし続けるための礎に
なってくれて来たからこそ、ジャニタレに限らぬ数多のメディア関係者が忖度を欠かさないで来た。
そしてそれは、凶悪犯罪としての側面もまた間違いなく帯びていた。
国家規模の絶大利権の寡占による虚栄のためには、犯罪級の悪行もまた欠かせぬという証左。
つまり、そんな蜜壺なぞがこの世に現存すること自体が罪悪以外の何物でもないのである。
おまえらにとっては「真の叔父様」あたりかな。文鮮よりは年下だし。
こいつが何を武器にしてたのかというに、要するに「気違い」だわな。
CIA謹製の街宣右翼が、菊のご紋を掲げながらの気違いじみたほたえまわりによって、
人々の皇室や右翼への忌避意識を募らせていたがごとく、こいつの気違いそのものな
振舞いこそが芸能界参画の関門となることで、名声利権の寡占の一大立役者になっていた。
きたねえジジイにしゃぶられて掘られるのでもなければ男性アイドルとしての大成の余地がない。
それが全国放送の莫大な収益をごく一部の眷属だけで食い物にし続けるための礎に
なってくれて来たからこそ、ジャニタレに限らぬ数多のメディア関係者が忖度を欠かさないで来た。
そしてそれは、凶悪犯罪としての側面もまた間違いなく帯びていた。
国家規模の絶大利権の寡占による虚栄のためには、犯罪級の悪行もまた欠かせぬという証左。
つまり、そんな蜜壺なぞがこの世に現存すること自体が罪悪以外の何物でもないのである。
ジャニーズ以前に、野球興行なり美空ひばりなり某演歌歌手その他と、
芸能界と暴力団の癒着もまた長らく問題となって来たものだが。
ごく一部の派閥によるメディア利権の寡占のためには結局、
暴力団か否かに関わらず非合法的な手管を介さねば済まないのが実情であった。
欧米でもMeeToo運動などで、芸能利権にからむ枕営業系のハラスメントが
糾弾の対象となり始めてからすでに久しいが、その結果来たしたのも結局、
日本のアニメやゲームにまで人気で抜かれてしまうほどの、業界全体の低迷だった。
本当に完全な実力主義で、人々を真に楽しませられる者が、その領分に相応の
名声を博するのであれば、そんなタコツボ利権の無理な保護なども必要ないのだが。
全国規模のメディア利権を捧げるにも値するほどの芸能的実力者などは実際問題、
人間社会にはほぼ存在しないのが真相であるが故に、不正な寡占の試みが繰り返されて来た。
芸能界と暴力団の癒着もまた長らく問題となって来たものだが。
ごく一部の派閥によるメディア利権の寡占のためには結局、
暴力団か否かに関わらず非合法的な手管を介さねば済まないのが実情であった。
欧米でもMeeToo運動などで、芸能利権にからむ枕営業系のハラスメントが
糾弾の対象となり始めてからすでに久しいが、その結果来たしたのも結局、
日本のアニメやゲームにまで人気で抜かれてしまうほどの、業界全体の低迷だった。
本当に完全な実力主義で、人々を真に楽しませられる者が、その領分に相応の
名声を博するのであれば、そんなタコツボ利権の無理な保護なども必要ないのだが。
全国規模のメディア利権を捧げるにも値するほどの芸能的実力者などは実際問題、
人間社会にはほぼ存在しないのが真相であるが故に、不正な寡占の試みが繰り返されて来た。
江戸時代の歌舞伎や文楽、落語のような大衆芸能にしたって、
江戸や上方、地方などでそれぞれの流派が興隆しての盛況を博していたのだが、
今やほぼ全ての芸能利権が東京への一極集中となり、全国放送に出演できるタレントと、
地方止まりのそれとの間には極端な格差が遍在するようになっているのである。
(大泉洋などもあくまで成り上がりの落差があった上での持て囃しである)
そこではどうあっても、身の丈に合わないような名声を博しているが故の、
虚栄の空しさを無理にでも守護してやるための後ろ盾が必要となるのであり、
それが非合法級に後ろ暗い側面を帯びるのもまた、必然なわけである。
近代以降の日本社会はそれ以前と比べて、過度の東京一極集中が何かにかけて
試みられた時代であるために、芸能メディアに限らず、政府機構そのものもまた、
日本全土を統治する能力も資格もないような匹夫小人を国会議員級の上座に据える
暴挙の遂行のために、カルト教団による支援のような闇を帯びざるを得なかった。
全ては相応な原因があった上での必然的な結果に過ぎないのであり、その解消のためには、
誰もその責任を取れない強度の一極集中そのものにメスを入れねばならないのである。
江戸や上方、地方などでそれぞれの流派が興隆しての盛況を博していたのだが、
今やほぼ全ての芸能利権が東京への一極集中となり、全国放送に出演できるタレントと、
地方止まりのそれとの間には極端な格差が遍在するようになっているのである。
(大泉洋などもあくまで成り上がりの落差があった上での持て囃しである)
そこではどうあっても、身の丈に合わないような名声を博しているが故の、
虚栄の空しさを無理にでも守護してやるための後ろ盾が必要となるのであり、
それが非合法級に後ろ暗い側面を帯びるのもまた、必然なわけである。
近代以降の日本社会はそれ以前と比べて、過度の東京一極集中が何かにかけて
試みられた時代であるために、芸能メディアに限らず、政府機構そのものもまた、
日本全土を統治する能力も資格もないような匹夫小人を国会議員級の上座に据える
暴挙の遂行のために、カルト教団による支援のような闇を帯びざるを得なかった。
全ては相応な原因があった上での必然的な結果に過ぎないのであり、その解消のためには、
誰もその責任を取れない強度の一極集中そのものにメスを入れねばならないのである。
ロンドンに突如、「民主」「自由」「平等」など"中国政権のスローガン"落書き現れ…波紋広がる
https://news.yahoo.co.jp/articles/7af418a95bdd1f4330dc3...
>白く塗りつぶされ、中国の"民主"化を求める活動家がメッセージを上書き
あいつらも民主、おまえらも民主、そこになんの違いもありゃしねぇだろうが!
違うのは、王族級の大権を掌握した資本家の介在を認めてるか否かだけだ!
もちろん認めなかった所で、上位の共産党員などがその立場に成り代わるだけだし、
体制をどんな体裁に塗り替えた所で、利権の一極集中が行き過ぎるようなら同じことにしかならんのだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7af418a95bdd1f4330dc3...
>白く塗りつぶされ、中国の"民主"化を求める活動家がメッセージを上書き
あいつらも民主、おまえらも民主、そこになんの違いもありゃしねぇだろうが!
違うのは、王族級の大権を掌握した資本家の介在を認めてるか否かだけだ!
もちろん認めなかった所で、上位の共産党員などがその立場に成り代わるだけだし、
体制をどんな体裁に塗り替えた所で、利権の一極集中が行き過ぎるようなら同じことにしかならんのだ。
M坊だけでなく、同世代らしい別のコテハンも寝てない自慢、
悪い奴ほどよく眠る系の既成概念に囚われた絡みを試みてきよる。
ひょっとしてそれが、バブル世代に早死にが多い一番の原因にもなっていやしないか?
睡眠不足が祟っての健康被害っていうのは、それこそ因果の多重性を介する
最たる疾患作用でもあるものだから、現代医学によってはそのほとんどが
迷信扱いに付されて、まともな注意の対象ともされないことになるわけだが。
もうすでに手遅れな域に達しているジジババばかりとなってしまっているが故に、
今更おまえの忠言などに耳を貸してたまるか、40年遅いわ!という意気込みのもと、
完全誤謬を開き直った俺への妄撃にも及んでいるのかもしれんなあ。なむあみだぶつ人
悪い奴ほどよく眠る系の既成概念に囚われた絡みを試みてきよる。
ひょっとしてそれが、バブル世代に早死にが多い一番の原因にもなっていやしないか?
睡眠不足が祟っての健康被害っていうのは、それこそ因果の多重性を介する
最たる疾患作用でもあるものだから、現代医学によってはそのほとんどが
迷信扱いに付されて、まともな注意の対象ともされないことになるわけだが。
もうすでに手遅れな域に達しているジジババばかりとなってしまっているが故に、
今更おまえの忠言などに耳を貸してたまるか、40年遅いわ!という意気込みのもと、
完全誤謬を開き直った俺への妄撃にも及んでいるのかもしれんなあ。なむあみだぶつ人
「寝ない」「エアコン使わない」「神も仏も畏れない」
それこそが精神的に強い、立派な人間のあり方だという、
力道山の猪木へのパワハラを美談扱いしていた世代の固定観念。
そんな連中が管理職を占めて来た、ここ30年来の日本社会がどうなったのかといえば、
知っての通りで、たとえそれが強くて立派なのだろうとも、この世にいらないものである。
無論、そんなのは本物の強さでも何でもない、愚民化洗脳著しい時代の
誤解、誤謬に基づく野卑の正当化に過ぎないのだから、それを強さと相手取っての、
惰弱さの開き直りに及んだりするのもまた禁物であり、そんな真似に及ぶようでは、
旧世代たちと同じ轍を踏むことになってしまうのを警戒すべきなのである。
それこそが精神的に強い、立派な人間のあり方だという、
力道山の猪木へのパワハラを美談扱いしていた世代の固定観念。
そんな連中が管理職を占めて来た、ここ30年来の日本社会がどうなったのかといえば、
知っての通りで、たとえそれが強くて立派なのだろうとも、この世にいらないものである。
無論、そんなのは本物の強さでも何でもない、愚民化洗脳著しい時代の
誤解、誤謬に基づく野卑の正当化に過ぎないのだから、それを強さと相手取っての、
惰弱さの開き直りに及んだりするのもまた禁物であり、そんな真似に及ぶようでは、
旧世代たちと同じ轍を踏むことになってしまうのを警戒すべきなのである。
旧世代には、昔の誤った栄養学的見解を持ち合わせたままでいるような連中も多く、
「タンパク質の多い肉などはスタミナ源」「炭水化物などの糖質が体を大きくしてくれる」
などという、真実とは全く真逆の固定観念によって力士を育成し、若いうちから
糖尿病持ちにさせて平均寿命を数十歳は引き下げるような真似にも及んでいる。
(画像は糖尿病でコロナが悪化して死亡した若手力士)
その過ちの積み重ね具合が、すでに取り返しのつかない域に及んでいるがために、
たとえ今さら過ちに気づこうとも、もはや悔い改めることもできない。
バブル以上の旧世代が既得権益を牛耳っている現状の日本社会もまた、
そのような致命的で取り返しのつかない大過の渦に吞み込まれた状態にあるわけで、
その改善もまた部分的なものでは済まず、総入れ替えに頼る以外に余地はない。
「タンパク質の多い肉などはスタミナ源」「炭水化物などの糖質が体を大きくしてくれる」
などという、真実とは全く真逆の固定観念によって力士を育成し、若いうちから
糖尿病持ちにさせて平均寿命を数十歳は引き下げるような真似にも及んでいる。
(画像は糖尿病でコロナが悪化して死亡した若手力士)
その過ちの積み重ね具合が、すでに取り返しのつかない域に及んでいるがために、
たとえ今さら過ちに気づこうとも、もはや悔い改めることもできない。
バブル以上の旧世代が既得権益を牛耳っている現状の日本社会もまた、
そのような致命的で取り返しのつかない大過の渦に吞み込まれた状態にあるわけで、
その改善もまた部分的なものでは済まず、総入れ替えに頼る以外に余地はない。
相撲に限れば、協会自体を一旦は解散、親方も理事も総辞職させたうえで、
再編に際しても、おかしな栄養知識を持ち越したままでいるような連中は永久追放
なんてことにもなるだろう。それは、大規模な八百長発覚からの大粛清が図られた
12年前の騒動なんかがおままごとに思えてくるぐらいの大変革ともなるだろうし、
失意のままに角界を追われるような人間の数も桁違いとなるのに違いない。
それを、あくまで強行できるだけの辣腕と、犠牲者となった者たちへの出家先の用意
のようなアフターケアにも入念に取り組んで行けるだけの慈悲を共に持ち合わせた者だけが、
それを完遂することもできるだろう。それはある意味、「革命以上」でもなければ
ならないことで、そこにまで視野を広げられるだけの雄大さもまた欠くべからざるものとなる。
フランス革命やロシア革命の先に人々の安寧などなかったが、
乙巳の変や大阪の陣の後にはそれが実現されたのも、革命そのものではなく、
その後の世の中の建て直しのほうがむしろ主眼に置かれていたからである。そのような、
やりっぱなしでは決して済まさない老獪さの持ち主こそが、次代の継承者たるべきなのである。
再編に際しても、おかしな栄養知識を持ち越したままでいるような連中は永久追放
なんてことにもなるだろう。それは、大規模な八百長発覚からの大粛清が図られた
12年前の騒動なんかがおままごとに思えてくるぐらいの大変革ともなるだろうし、
失意のままに角界を追われるような人間の数も桁違いとなるのに違いない。
それを、あくまで強行できるだけの辣腕と、犠牲者となった者たちへの出家先の用意
のようなアフターケアにも入念に取り組んで行けるだけの慈悲を共に持ち合わせた者だけが、
それを完遂することもできるだろう。それはある意味、「革命以上」でもなければ
ならないことで、そこにまで視野を広げられるだけの雄大さもまた欠くべからざるものとなる。
フランス革命やロシア革命の先に人々の安寧などなかったが、
乙巳の変や大阪の陣の後にはそれが実現されたのも、革命そのものではなく、
その後の世の中の建て直しのほうがむしろ主眼に置かれていたからである。そのような、
やりっぱなしでは決して済まさない老獪さの持ち主こそが、次代の継承者たるべきなのである。
[YouTubeで再生]
>本当に寝て喰う以外、能がないゴミだ(ーー;
おまえらはいつも、自分たち自身のことをさも相手のことのように言う。
その罪悪感からの、我こそは寝るまい、食うまいとする不毛だったか。
>本当に寝て喰う以外、能がないゴミだ(ーー;
おまえらはいつも、自分たち自身のことをさも相手のことのように言う。
その罪悪感からの、我こそは寝るまい、食うまいとする不毛だったか。
ひろゆき「HIKAKINさんは高齢者への知名度が低いので
〝お茶の間の人気者〟には成れませんが、目指してもいないです」
「能力ある人が高齢者向けテレビ番組に出ないから茶の間人気にならない」
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/27229...
これ見て思ったのが、一般大衆はただ全国放送級の大メディアで、
同じ顔を毎日毎日延々と見せられてたら、それだけで愛着がわいて、
能力の有無にかかわらず知らない相手よりも支持してしまう
という効果もまたあるよな、というのを想起した次第。
統一自民の政治家などがどんなに不祥事まみれでいようとも、
政権与党の一員として毎日のようにテレビに出ていたりすれば、
ただそれだけでも顔も名前も知らないような相手よりは愛着がわく。
まるで金持ちが投資を持ち掛けられてさらに資産を増していくように、
露出のある側は雪だるま式に人々からの支持を取り付けて行く一方、
無名な側は無名なまま。大メディアの采配でその差別化もまたいくらでも恣意的たる。
〝お茶の間の人気者〟には成れませんが、目指してもいないです」
「能力ある人が高齢者向けテレビ番組に出ないから茶の間人気にならない」
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/27229...
これ見て思ったのが、一般大衆はただ全国放送級の大メディアで、
同じ顔を毎日毎日延々と見せられてたら、それだけで愛着がわいて、
能力の有無にかかわらず知らない相手よりも支持してしまう
という効果もまたあるよな、というのを想起した次第。
統一自民の政治家などがどんなに不祥事まみれでいようとも、
政権与党の一員として毎日のようにテレビに出ていたりすれば、
ただそれだけでも顔も名前も知らないような相手よりは愛着がわく。
まるで金持ちが投資を持ち掛けられてさらに資産を増していくように、
露出のある側は雪だるま式に人々からの支持を取り付けて行く一方、
無名な側は無名なまま。大メディアの采配でその差別化もまたいくらでも恣意的たる。
大メディア関係者の側の恣意だけでなく、
限られた相手への取材だけで済ませたい怠慢意識などもまた、
有名と無名の極端な断絶に拍車をかける。
今だと野球の大谷や将棋の藤井ばかりが毎日毎日トップニュースで報じられて、
一般人はおろか、他の野球選手やプロ棋士との知名度までもが極端な隔絶を続けている。
それではどんなに名声を博している側が知名度を高めようとも、野球界や将棋界全体が
活況を呈することにはならないし、実際にMLBなども最低収益を更新し続けている。
何よりも、そんな怠慢さばかりでいるテレビ業界や新聞業界自体が、
多くの衆目に愛想を尽かされての業績低迷の一途を辿ってもいる。
要するに、実力の有無を無視した雪だるま方式の名声利権の濫用なんかを繰り返していれば、
それ自体が広告対象や広告業者全体の萎縮、低迷を招くことになってしまう。
政治家や政界がその対象となれば、国全体の停滞を招く一大原因ともなる。
もちろんそのような大メディアの悪業を、大メディア自体の殲滅によってでも解消すべきということ
もまた言えるのだが、それが未だ果たされない限りにおいて、日々の仕事に追われる一般大衆が
その危害から自力で免れ抜くことも能わず、悪性の癌細胞に侵された患者の如くであり続けるのである。
限られた相手への取材だけで済ませたい怠慢意識などもまた、
有名と無名の極端な断絶に拍車をかける。
今だと野球の大谷や将棋の藤井ばかりが毎日毎日トップニュースで報じられて、
一般人はおろか、他の野球選手やプロ棋士との知名度までもが極端な隔絶を続けている。
それではどんなに名声を博している側が知名度を高めようとも、野球界や将棋界全体が
活況を呈することにはならないし、実際にMLBなども最低収益を更新し続けている。
何よりも、そんな怠慢さばかりでいるテレビ業界や新聞業界自体が、
多くの衆目に愛想を尽かされての業績低迷の一途を辿ってもいる。
要するに、実力の有無を無視した雪だるま方式の名声利権の濫用なんかを繰り返していれば、
それ自体が広告対象や広告業者全体の萎縮、低迷を招くことになってしまう。
政治家や政界がその対象となれば、国全体の停滞を招く一大原因ともなる。
もちろんそのような大メディアの悪業を、大メディア自体の殲滅によってでも解消すべきということ
もまた言えるのだが、それが未だ果たされない限りにおいて、日々の仕事に追われる一般大衆が
その危害から自力で免れ抜くことも能わず、悪性の癌細胞に侵された患者の如くであり続けるのである。
実力で負けてるからとは言えないな。
「良薬口に苦し」な実力の持ち主ではあるからかもしれないが。
「良薬口に苦し」な実力の持ち主ではあるからかもしれないが。
[YouTubeで再生]
「民主主義」というイデオロギー自体もまた、現政府や大メディアが
執拗なプロパガンダによって人々からの狂信を取り付けようとし続けて来た結果、
その実態を大きく見誤られることになってしまっているものでもある。
>>290に書いた通り、共産主義もまた実は民主主義の一種である。
ただ民主の理想の実現手段が資本主義国とは異なっているだけなのだが、
資本主義国の政府や大メディアは、さも民主主義が自分たちに独自の理念で
あるかのように触れ回りながら、人々の民主主義への愛着を膨らませることで、
非民主主義ということにされた共産主義、社会主義への嫌悪、反感と共なる、
唯一無二な民主主義の助役扱いとしての資本主義への絶対的な支持にも及ばせている。
実はそれもまた民主主義であるにもかかわらず、手段が苛烈なせいで
よそ目には支持しがたいような体制などを非民主主義と決めつけることで、
民主主義への無謬な理想扱いを捏造しながら、そこへの支持を保たせているのである。
「民主主義」というイデオロギー自体もまた、現政府や大メディアが
執拗なプロパガンダによって人々からの狂信を取り付けようとし続けて来た結果、
その実態を大きく見誤られることになってしまっているものでもある。
>>290に書いた通り、共産主義もまた実は民主主義の一種である。
ただ民主の理想の実現手段が資本主義国とは異なっているだけなのだが、
資本主義国の政府や大メディアは、さも民主主義が自分たちに独自の理念で
あるかのように触れ回りながら、人々の民主主義への愛着を膨らませることで、
非民主主義ということにされた共産主義、社会主義への嫌悪、反感と共なる、
唯一無二な民主主義の助役扱いとしての資本主義への絶対的な支持にも及ばせている。
実はそれもまた民主主義であるにもかかわらず、手段が苛烈なせいで
よそ目には支持しがたいような体制などを非民主主義と決めつけることで、
民主主義への無謬な理想扱いを捏造しながら、そこへの支持を保たせているのである。
資本主義も共産主義もどちらも民主主義で、なおかつその実態は民主性からほど遠い。
一部の金持ちやカルト教団や共産党員が最悪の暴君級の苛政によって下々を虐げている
度合たるや、出来の悪い封建制なみなのだが、自分達が敵対する側を「民主主義ではない」とし、
だからこそ荒廃を来しているということにすることで、民主主義の理想扱いだけは保っている。
中共や北も、もう長らく反日、抗日系のキャンペーンを国内で張ることで、
政府への批判意識を逸らせるような真似を続けて来た。それと全く同じことを
資本主義国側の政府や大メディアもまた繰り返して来ている。
たとえそれで自分たちへの支持が増すわけでなくとも、
批判の目を自分たちから逸らす欺瞞工作として有効である上に、
理想としての民主主義にまでは決して疑念を抱いたりしなくなるおまけが付いて
くるのであれば、民主主義を体裁上だけでも掲げている自分たちが、革命によって
地位を追われる危険ぐらいは免れるが故に、安全保障目的の打算で試み続けるのである。
一部の金持ちやカルト教団や共産党員が最悪の暴君級の苛政によって下々を虐げている
度合たるや、出来の悪い封建制なみなのだが、自分達が敵対する側を「民主主義ではない」とし、
だからこそ荒廃を来しているということにすることで、民主主義の理想扱いだけは保っている。
中共や北も、もう長らく反日、抗日系のキャンペーンを国内で張ることで、
政府への批判意識を逸らせるような真似を続けて来た。それと全く同じことを
資本主義国側の政府や大メディアもまた繰り返して来ている。
たとえそれで自分たちへの支持が増すわけでなくとも、
批判の目を自分たちから逸らす欺瞞工作として有効である上に、
理想としての民主主義にまでは決して疑念を抱いたりしなくなるおまけが付いて
くるのであれば、民主主義を体裁上だけでも掲げている自分たちが、革命によって
地位を追われる危険ぐらいは免れるが故に、安全保障目的の打算で試み続けるのである。
俺が民主主義そのものに疑義を呈するような試みを始めた途端に、俺を
反社扱いする者>>248までもが現れたのも、上記のようなプロパガンダこそが、
日本を含む今の資本主義国で徹底的に敷かれているからである。
資本主義国にも多くの問題はあるが、それは民主主義の理想が十分に達成
されていないからで、なおかつ民主主義の味方は現状、資本主義でしかないとする。
共産主義国などは非民主主義であるからこそ、あのような暗黒支配に陥っているとすることで、
民主主義そのものは100%純然たる万民の理想扱いであることに終始させようとしている。
共産主義国の政情なんて、はた目には下手な封建制よりもひどい専制支配のようにしか見えない、
「それは連中が民主主義ではないからだ」とするレッテルによって、民主主義の無謬な理想扱いを
強化する上に、唯一無二な民主主義の実践者としての自分たちへの、マシ扱いによる正当化にも及ぶ。
これと全く似たようなことが、実は中共や北鮮国内でも繰り返されているもので、
アメリカの極端な所得格差や銃犯罪の多さなどを根拠に、今でも帝国主義呼ばわりを続け、
万民のより平等な平穏を実現せんとする我々こそは真の民主主義の希求者であるとし、
強権支配まみれな現状にも目をつぶらせようと、人民たちに対して画策し続けている。
「隣の芝生は青い」ならぬ、「隣の芝生はもっと枯れている」「それは民主主義でないからだ」
というプロパガンダによって自己正当化を盤石化させる。民主主義もその具材とされるばかりで、
諸国の強権支配を抑えるどころか、助長する後押しにしかなっていないのが真実なのである。
「民主主義の理想の実現は、いまだ自分たちも十分ではないが、
かといって理想としての民主主義までかなぐり捨てようものなら、
ヒトラーやスターリンや毛沢東を招き寄せることになってしまうから」
と脅しをかけることで、民主主義自体への疑義だけは絶対に許すまいとしている。
そいつら全員民主主義者だし、なんなら民主的な手続きで立場も得てるから。
この世に大虐殺級の危害を及ぼしてきた度合いでも、資本主義国よりマシなぐらいだから。
ただ資本主義よりも自制的で、自国民に配分する義務が多く権利が少ないものだから、
自由主義や個人主義の思い上がりに慣れた立場からは嫌悪感を催させられているだけ。
というプロパガンダによって自己正当化を盤石化させる。民主主義もその具材とされるばかりで、
諸国の強権支配を抑えるどころか、助長する後押しにしかなっていないのが真実なのである。
「民主主義の理想の実現は、いまだ自分たちも十分ではないが、
かといって理想としての民主主義までかなぐり捨てようものなら、
ヒトラーやスターリンや毛沢東を招き寄せることになってしまうから」
と脅しをかけることで、民主主義自体への疑義だけは絶対に許すまいとしている。
そいつら全員民主主義者だし、なんなら民主的な手続きで立場も得てるから。
この世に大虐殺級の危害を及ぼしてきた度合いでも、資本主義国よりマシなぐらいだから。
ただ資本主義よりも自制的で、自国民に配分する義務が多く権利が少ないものだから、
自由主義や個人主義の思い上がりに慣れた立場からは嫌悪感を催させられているだけ。
現状、江戸期の日本のようなよくできた封建社会以上に、支配圏の大多数が虐げられて、
一部の特権者だけが私腹を肥やしている点でも、まったく変わらない有り様。
民主主義の理想への狂信によって、現政府の横暴を黙認させられることで、
かえって現実が民主性からより遠ざかっている点まで、まったく同じである。
斉の桓公の頃から全く進歩がない、「大道廃れて民主あり」という法則に囚われたペース。
口先、机上だけの満足に囚われているうちは、気休めの上塗り以外の余地もないのである。
一部の特権者だけが私腹を肥やしている点でも、まったく変わらない有り様。
民主主義の理想への狂信によって、現政府の横暴を黙認させられることで、
かえって現実が民主性からより遠ざかっている点まで、まったく同じである。
斉の桓公の頃から全く進歩がない、「大道廃れて民主あり」という法則に囚われたペース。
口先、机上だけの満足に囚われているうちは、気休めの上塗り以外の余地もないのである。
イスラエルは実質的に米英の傀儡国家だし、
世界はほぼ反米英vs反中露で二分されている。
世界でも、最も急進的に民主主義を推し進めて来た国々こそは、
全世界で一二を争う嫌われ者の代表格でいる。それだけ、
世界にまき散らして来た迷惑の度合いも桁外れであるということ。
イスラム教やヒンズー教がどんなに反民主的で男尊女卑のような
反現代的価値観を帯びた信教であるのだろうとも、勢力圏全体を
十全な自給自足下において、自分たちから戦乱の火種をまき散らしたり
する真似を民主主義者よりかは防ぎとめて来たのには変わりない。
まず、最低でもそのような古来の信教に基づく統治体制よりも、
世界全体への迷惑を控えた上での理想の希求などにも臨むべきである。
それがどうあってもできないようなら結局、民主主義というもの自体、
この世にプラスマイナスゼロ以下の悪影響しか及ぼ得ないことになる。
それがこれまでの実情の全てでもあるのだし、ほんの少しだって、
自分たちが世の中をより改善できたなどと思うべきではないのである。
世界はほぼ反米英vs反中露で二分されている。
世界でも、最も急進的に民主主義を推し進めて来た国々こそは、
全世界で一二を争う嫌われ者の代表格でいる。それだけ、
世界にまき散らして来た迷惑の度合いも桁外れであるということ。
イスラム教やヒンズー教がどんなに反民主的で男尊女卑のような
反現代的価値観を帯びた信教であるのだろうとも、勢力圏全体を
十全な自給自足下において、自分たちから戦乱の火種をまき散らしたり
する真似を民主主義者よりかは防ぎとめて来たのには変わりない。
まず、最低でもそのような古来の信教に基づく統治体制よりも、
世界全体への迷惑を控えた上での理想の希求などにも臨むべきである。
それがどうあってもできないようなら結局、民主主義というもの自体、
この世にプラスマイナスゼロ以下の悪影響しか及ぼ得ないことになる。
それがこれまでの実情の全てでもあるのだし、ほんの少しだって、
自分たちが世の中をより改善できたなどと思うべきではないのである。
もう長いこと、まともに論弁の内容に対して具体的な反論をされたことがないと、
アンチの遠吠えスレでも書いたが、それは別に自分が完璧無比な論及を
重ねているのではなく、ただアンチの文章理解力が老化や病のせいで凋落の一途を
辿っているせいだ(もしくは始めから)という戒めの下に、なるべく自己批判的な
精査と共なる論考もまた欠かさないように心がけてはいるわけだが。
それにしたって、誰でも容易に反論ができるわけではないほどに、
論理的な無謬性を期した物言いに概ねなって行ってるのは違いなかろうが。
だからといって支持者が増えるわけでもなく、逆に、論理性からは大きく乖離した、
単なる印象論に基づく論弁や俺自身への反感、嫌悪を増長させているキライすらもがある。
それが、不都合な真実にまみれた現実社会への厳正な理解に即した、的確な論弁や、
最善の問題解決策の提示に対する衆愚の反応の、常なる姿であるのにも違いない。
アンチの遠吠えスレでも書いたが、それは別に自分が完璧無比な論及を
重ねているのではなく、ただアンチの文章理解力が老化や病のせいで凋落の一途を
辿っているせいだ(もしくは始めから)という戒めの下に、なるべく自己批判的な
精査と共なる論考もまた欠かさないように心がけてはいるわけだが。
それにしたって、誰でも容易に反論ができるわけではないほどに、
論理的な無謬性を期した物言いに概ねなって行ってるのは違いなかろうが。
だからといって支持者が増えるわけでもなく、逆に、論理性からは大きく乖離した、
単なる印象論に基づく論弁や俺自身への反感、嫌悪を増長させているキライすらもがある。
それが、不都合な真実にまみれた現実社会への厳正な理解に即した、的確な論弁や、
最善の問題解決策の提示に対する衆愚の反応の、常なる姿であるのにも違いない。
「良薬口に苦し」は、「そういうこともある」程度の理解では済まされない、
亡国級の危機の前では必然的に招かれる確定事項ぐらいに捉えねばならない法則である。
現民主主義国での、封建制やヒンズー教やイスラム教なみに厳格な統治体制の再開とか、
まさにその典型例で、なおかつ核戦争による人類滅亡の危機をも免れんとする特効薬的
手段であるからには、口への苦さでも超特級となるのが避けられないものである。
ただその必要性を説いただけでも、まるで雨後の筍のようにそこかしこから反感の渦が
巻き起こってくるのもまた、塩を舐めたらしょっぱい並みに想像通りなことでしかない。
とはいえ、そのような民たちの心痛もまた決して蔑ろにまですることはなく、
まったく辻褄が合わない、自己破綻まみれな思考回路の持ち主でもあるなりの、
最善の人生の全うにも与してやってこその、真に民主的な統治ともなり得ようがな。
親の心子知らず、仁者の心小人知らず、と云うと雖も。
亡国級の危機の前では必然的に招かれる確定事項ぐらいに捉えねばならない法則である。
現民主主義国での、封建制やヒンズー教やイスラム教なみに厳格な統治体制の再開とか、
まさにその典型例で、なおかつ核戦争による人類滅亡の危機をも免れんとする特効薬的
手段であるからには、口への苦さでも超特級となるのが避けられないものである。
ただその必要性を説いただけでも、まるで雨後の筍のようにそこかしこから反感の渦が
巻き起こってくるのもまた、塩を舐めたらしょっぱい並みに想像通りなことでしかない。
とはいえ、そのような民たちの心痛もまた決して蔑ろにまですることはなく、
まったく辻褄が合わない、自己破綻まみれな思考回路の持ち主でもあるなりの、
最善の人生の全うにも与してやってこその、真に民主的な統治ともなり得ようがな。
親の心子知らず、仁者の心小人知らず、と云うと雖も。
南米パラグアイの統一教会の敷地内に違法滑走路…麻薬密売組織が使用
https://www.brasilnippou.com/2023/230812-19brasil.htm.....
この無駄吠えBBAは、この会見で「自分たちが教導してやらないと日本は滅びる」とも言っていたが。
自分たちこそが日本社会を傾け、亡国の危機へと陥れて来た大元凶であるという自覚もない。
統一自民を支持して来たような日本人たち自身が、
キャプ翼体型に憧れながらコケシ体型を志すような自己破綻まみれであることを
このスレでも散々説いて来たが、そもそもがそのような日本人からの支持を自民に取り付けさせて来た
外患スパイの工作組織関係者もまた、自分たちの言動不一致を自覚できない酷さの蒙昧を帯びている。
その、極端に低脳で破綻まみれな暗愚さの波長こそが、今の日本社会を覆っていて、
自らが好むと否とに関わらず、その波長に合う者たちこそを自ずから支持してしまう。
(反安倍を標榜しながら連中の思い通りな言動に及んでいるM坊などもその典型である)
大脳新皮質が委縮して、基底核での思考しかできなくなった結果、
新しいことへの試みを極度に嫌うようになった老人ともなれば、その傾向もひとしおで、
次の選挙でもただ、変化はどんなことでもとにかく嫌だからこそ自民に票を入れかねないもの。
https://www.brasilnippou.com/2023/230812-19brasil.htm.....
この無駄吠えBBAは、この会見で「自分たちが教導してやらないと日本は滅びる」とも言っていたが。
自分たちこそが日本社会を傾け、亡国の危機へと陥れて来た大元凶であるという自覚もない。
統一自民を支持して来たような日本人たち自身が、
キャプ翼体型に憧れながらコケシ体型を志すような自己破綻まみれであることを
このスレでも散々説いて来たが、そもそもがそのような日本人からの支持を自民に取り付けさせて来た
外患スパイの工作組織関係者もまた、自分たちの言動不一致を自覚できない酷さの蒙昧を帯びている。
その、極端に低脳で破綻まみれな暗愚さの波長こそが、今の日本社会を覆っていて、
自らが好むと否とに関わらず、その波長に合う者たちこそを自ずから支持してしまう。
(反安倍を標榜しながら連中の思い通りな言動に及んでいるM坊などもその典型である)
大脳新皮質が委縮して、基底核での思考しかできなくなった結果、
新しいことへの試みを極度に嫌うようになった老人ともなれば、その傾向もひとしおで、
次の選挙でもただ、変化はどんなことでもとにかく嫌だからこそ自民に票を入れかねないもの。
(>>332の続き)
あえて強い言葉で明言すれば、気を違えねばならない。
絶対的な基準に基づいて気が触れてるのは、現体制の側。
文鮮や喜多川や電通がやって来たことこそは気狂いの極みであるが故に、
そこから日本社会を正気へと立ち戻らせるためには、それはそれで
立ち直り方向への気違えの関門をくぐらねばならない。
言動不一致や思考、言動自体の自己矛盾にまみれてしまう、
低脳、蒙昧、暗愚の手枷足枷をかけられている側からすれば、
そこから解き放たれることこそは、狂っているようにすら思われるだろう。
自分自身がADHD系の精神的不具を植え付けられているのだとすれば、
よりその傾向をひどくしたり、逆にASD系の新たな疾患を植え付けられたり
するのとも同様な危害を加えられるかのようにもまた勘違いしかねないもの。
事実、今の日本人ですら、まだ世界的に見れば最も賢明な部類であるからには、
今よりもさらにひどい暗愚さへと陥れられかねない可能性もまたあるわけだが。
阿弥陀如来が水火の大害の間隙にある細い一本線の白道によって衆生を
極楽往生へと導くがごとく、今並み以下に陥れるようなことなく、
着実に今以上への改善のみを実現していく救い。
それもまた、現代の日本人などからすれば、気違えの内に見えるに違いないもの。
そういう洗脳をかけられることで、決して洗脳支配から逃れられないように
仕組まれて来たのだから、その痛みぐらいは甘受してもらわねばならない。
あえて強い言葉で明言すれば、気を違えねばならない。
絶対的な基準に基づいて気が触れてるのは、現体制の側。
文鮮や喜多川や電通がやって来たことこそは気狂いの極みであるが故に、
そこから日本社会を正気へと立ち戻らせるためには、それはそれで
立ち直り方向への気違えの関門をくぐらねばならない。
言動不一致や思考、言動自体の自己矛盾にまみれてしまう、
低脳、蒙昧、暗愚の手枷足枷をかけられている側からすれば、
そこから解き放たれることこそは、狂っているようにすら思われるだろう。
自分自身がADHD系の精神的不具を植え付けられているのだとすれば、
よりその傾向をひどくしたり、逆にASD系の新たな疾患を植え付けられたり
するのとも同様な危害を加えられるかのようにもまた勘違いしかねないもの。
事実、今の日本人ですら、まだ世界的に見れば最も賢明な部類であるからには、
今よりもさらにひどい暗愚さへと陥れられかねない可能性もまたあるわけだが。
阿弥陀如来が水火の大害の間隙にある細い一本線の白道によって衆生を
極楽往生へと導くがごとく、今並み以下に陥れるようなことなく、
着実に今以上への改善のみを実現していく救い。
それもまた、現代の日本人などからすれば、気違えの内に見えるに違いないもの。
そういう洗脳をかけられることで、決して洗脳支配から逃れられないように
仕組まれて来たのだから、その痛みぐらいは甘受してもらわねばならない。
前ははよここから消えろ、死ね死ねとばかり言ってたのに、
今日は次スレ立てておけ、か。
もう覚悟が決まったのか。そして、最後の力を振り絞っての旅行。
それも旧世代にはよくありがちな行動原理らしいな。
俺は、武芸やヨガの遠征修行なりの明確な目的がなければ、
旅行なんかする気も起きないぐらいには、家にいるだけでも満足な気分だが。
刀を得てからはその傾向もより強まってな。
昔から東京好きの田舎者ではあるが、自分の刀がない東京にいるよりは、
自分の刀がある今の家にいるほうが充実しているとも心から思う。
愛刀も、その他の伝統文化もかなぐり捨てて来た旧世代の年寄りたるや、
死ぬまでその域の充実に与れなかったのかと思うと、哀悼の至りでもある。
次世代もまた現状ほとんどが与れてはいないのだし、それと同じ轍を踏まぬように、
「戸を出でずして天道を見る(老子」の教化にも取り組んで行かねばなるまいな。
今日は次スレ立てておけ、か。
もう覚悟が決まったのか。そして、最後の力を振り絞っての旅行。
それも旧世代にはよくありがちな行動原理らしいな。
俺は、武芸やヨガの遠征修行なりの明確な目的がなければ、
旅行なんかする気も起きないぐらいには、家にいるだけでも満足な気分だが。
刀を得てからはその傾向もより強まってな。
昔から東京好きの田舎者ではあるが、自分の刀がない東京にいるよりは、
自分の刀がある今の家にいるほうが充実しているとも心から思う。
愛刀も、その他の伝統文化もかなぐり捨てて来た旧世代の年寄りたるや、
死ぬまでその域の充実に与れなかったのかと思うと、哀悼の至りでもある。
次世代もまた現状ほとんどが与れてはいないのだし、それと同じ轍を踏まぬように、
「戸を出でずして天道を見る(老子」の教化にも取り組んで行かねばなるまいな。
まだかよ!
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スレッドタイトル:己が「人を見る目」だけは疑わぬ人々