「知るを知ると為す」のみならず、「知らざるを知らずと為す」もまた、
知恵の向上のために必須な心がけであるのには違いないが、逆に
「知らざるを知らずと為す」によって自らの無知を開き直り、「知るを知ると為す」や
その達者を軽んじたりするようなら、それはあまりにも有害無益な暴挙となる。
「民間の専門職にも素人には到底務まらないようなものが数多くあるのに、
政治だけは門外漢の素人にも務まるなんてことがあるわけがない」
という孟子の言葉も、聞いてみればごく当たり前な自明の法則なのに、
無知の知による思い上がりに駆られているような人間たるや、恒常的にそれを見落とし、
政治や人事の手法なんか何もわからなくても選挙に行く。それが民主政のほぼすべてでもある。
それは、人間の常なる姿ではない。
無知の知を堅実な知恵の上に置こうとするような、異学邪見に心が囚われた
愚か者ならではの狂態であるが故に、優れた治政が敷かれたことのある国まで
ダメにしてしまう張本人にすら自分たちが成り果ててしまうのである。
たとえ民主制を理想の体制だと考えている内からでも、無知の知こそが人間の最善の在り方だと
思い込んでるが故の思い上がりなどがなければ、賢良な候補者を当選させる見込みもないような
選挙にあえて行ったりはしないなどの選択をするはずである。そのせいで投票率が低下しようとも、
良民の民意の表れとして汲み取って、政治も為政者たちの自己責任で行われたりするべきなのである。
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