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この世で最高の"イデオロギー"は「無為自然」である 偉大なる生存の報告 Part313
▼ページ最下部
思想哲学宗教一般としては、仏教などのほうが優れた側面があるし、
体系的な政治思想としても、儒学などのほうが資料豊富で勉強のし甲斐があるが。
ことに、自由主義や民主主義や独裁主義や資本主義や共産主義のように、
世の中全体を司る役割を担わせるイデオロギーとしては、
老子荘子列子のような道家が謳っている「無為自然」が最も優れているといえる。
言い換えれば、世の中を作為的なイデオロギーによって支配しようなどとすること
自体を放棄してかかる、アンチイデオロギズムこそが最も優れているともいえる。
いま世界最高の理想として欧米が無制限に推し進めようとしている
自由主義や民主主義なども、カタにはまった秩序の中で生活を営んだり、
求道的な修練に取り組んだりしたい人々にとっては、かえって邪魔にしかならない。
一方で、社会秩序こそを最優先しようとして、共産主義や独裁主義のほか、
儒教を絶対的な国の支配原理に据えた場合などでも、酷刑の乱発や
被差別民の増大のような問題性を来たしてきたものである。
仏教を無上の支配原理に据えた東南アジア諸国なども、自国の平和は確立された一方で、
文明発展が滞り、諸外国からの侵略支配をほしいままにするような問題を招いたもの。
この世の全てを司るイデオロギーなんてものは、そもそもないのが一番であり、
神仏儒など多くの思想信教に司られながらも、唯一無二に絶対的な支配原理たる
イデオロギーなんてものは別になかった、昔の日本のようであるのが理想なのである。
![](//bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img/17000418330001.png)
体系的な政治思想としても、儒学などのほうが資料豊富で勉強のし甲斐があるが。
ことに、自由主義や民主主義や独裁主義や資本主義や共産主義のように、
世の中全体を司る役割を担わせるイデオロギーとしては、
老子荘子列子のような道家が謳っている「無為自然」が最も優れているといえる。
言い換えれば、世の中を作為的なイデオロギーによって支配しようなどとすること
自体を放棄してかかる、アンチイデオロギズムこそが最も優れているともいえる。
いま世界最高の理想として欧米が無制限に推し進めようとしている
自由主義や民主主義なども、カタにはまった秩序の中で生活を営んだり、
求道的な修練に取り組んだりしたい人々にとっては、かえって邪魔にしかならない。
一方で、社会秩序こそを最優先しようとして、共産主義や独裁主義のほか、
儒教を絶対的な国の支配原理に据えた場合などでも、酷刑の乱発や
被差別民の増大のような問題性を来たしてきたものである。
仏教を無上の支配原理に据えた東南アジア諸国なども、自国の平和は確立された一方で、
文明発展が滞り、諸外国からの侵略支配をほしいままにするような問題を招いたもの。
この世の全てを司るイデオロギーなんてものは、そもそもないのが一番であり、
神仏儒など多くの思想信教に司られながらも、唯一無二に絶対的な支配原理たる
イデオロギーなんてものは別になかった、昔の日本のようであるのが理想なのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img/17000418330001.png)
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仏道などもまた同じことで、仏の知恵は、自分たちだけではまともに平穏に世の中を
営んで行くことも出来ない衆愚を本当に救い取るものであればこそ、衆愚側には原理的に
その理解が不能なもの。なればこそそれが選挙で多数に支持されて政権を得るようなこともない。
誰も聞いてパっと理解できるぐらい分かりやすいものがこの世の平和や繁栄を実現できる
ぐらいなら、とっくにそうなっている。その試みの極みこそは、この世を特定の一つ覚えな
イデオロギーで塗り固めるという企てでもあったわけで、それが最良の部類であるはずの
自由主義や民主主義によってもうまくいかなかったことを以て、人間社会が安易な
分かりやすさばかりでやって行けるものではないことを観念する機縁ともすべきなのである。
営んで行くことも出来ない衆愚を本当に救い取るものであればこそ、衆愚側には原理的に
その理解が不能なもの。なればこそそれが選挙で多数に支持されて政権を得るようなこともない。
誰も聞いてパっと理解できるぐらい分かりやすいものがこの世の平和や繁栄を実現できる
ぐらいなら、とっくにそうなっている。その試みの極みこそは、この世を特定の一つ覚えな
イデオロギーで塗り固めるという企てでもあったわけで、それが最良の部類であるはずの
自由主義や民主主義によってもうまくいかなかったことを以て、人間社会が安易な
分かりやすさばかりでやって行けるものではないことを観念する機縁ともすべきなのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330142.jpg)
仏教徒ですらないなんてことは、日本人の仏教学者ならほぼないにしろ、
あくまで研究対象を徹底的な侮蔑、懐疑の標的にして行くことを本位としている
洋学のペースでの訳だったりすると、玄奘三蔵や鳩摩羅什のような本格の仏者が
敬意を込めて漢訳した仏典の再翻訳と比べて、文体の不埒さが読解を邪魔する頻度も高くなる。
そのような、洋学ペースの仏教というものを忠実な実践に移そうとしていた
新興宗教の教団があってね、オウム真理教っていうんだけど、知ってるかな?
「尊師」という言葉も、東大教授の仏教学者である中村元の、原始仏典からの訳語で、
実は仏語じゃない。本来は学校教師とか政治家とか弁護士とか医者とかの、
在俗の指導者を敬って呼ぶ言葉。そんな言葉をあえて仏門の指導者に当てはめたりする
ような真似の積み重ねが、洋学主導の仏典翻訳を読みがたいものにもしてしまうわけだね。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330148.jpg)
ここでもある程度詳述したことだが、人間、心中に宿している敬意の総量が、
侮蔑の総量を上回っている状態で、初めて十全な精神の安定を確保し、
100年以上の平和や繁栄をこの世にもたらす聖賢たり得るもので、
当然、仏道もまたその条件を満たしている者のみが上達に与れるものである。
まず以て、他力本願の念仏に帰依するためにさえ、その条件を満たす必要があるし、
真っ当な仏道ほど、おしなべてその満了を必須とする精神文化も他にないものである。
禿頭に糞掃衣(袈裟)という、古来の奴隷を模した仏僧の装束もまた、
心中の敬意が侮蔑を上回っている人間でもなければ敬えないものなればこそ、
あえてそうして来ている所があるし、実際、ハゲを馬鹿にする風潮と、
仏門への崇敬意識もまた反比例関係で今の世に偏在しているものである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330149.gif)
ハゲるものだが、そこへの敬意を抱けないような人間で溢れ返っているような
世の中では、苦労を馬鹿にして楽したもんがちな悪徳までもがまかり通り、
何もかもが適当にあしらわれた挙句の、世相の荒廃を招いたりもしてしまうものである。
近世まで仏門帰依が入念だった日本人と、その頃もうすでに儒教支配が仏門を
侵害していた中朝の民度の高低を見ても分かる通り、ハゲをも敬えるか否かという、
仏門帰依にかけても重大な関門となる要素がそのまま、世を挙げての栄枯盛衰をも
決定的に左右するものだし、どんなに洋学が絶大な文明発展をもたらすのだろうとも、
それと共に人々の敬意を仏滅級に損ね、ハゲをあざ笑い唾棄する風潮などへと
持ち込むのであれば、多少ほどにも世の中をより安楽ならしめることもないのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330150.jpg)
ハゲの偉人をも崇敬できるかどうかでも判別することができるし、
大勢の前でのスピーチで緊張するかどうかなどでも、概ねの判別が可能である。
日本人などには緊張する人間が多い一方、欧米人にはほとんどいないともされる。
英語の「あなた」と「あなたたち」はどちらも「You」で一括りにされているように、
言語面から相手の多寡を区別する習慣がないから緊張などしないというのもあるのだろうけれども。
「他者というのはとりあえず敬っておくべき可能性のあるもの」というほどにも、
心中の敬意が侮蔑の総量を上回っているのであれば、大人数に対峙した時点ですでに、
可能性の面からの畏怖が増大して、否が応でも緊張する者である一方、侮蔑のほうが敬意の
総量を上回っているようならそうではないから緊張などしないといったこともあるだろう。
「大勢の前で緊張する」というのは、自分一人よりも多数派の相手に対して自動的に
尊重意識を抱いていることから、心中からの民主主義が盤石な状態であるともいえるために、
むしろ好ましいことなのだとも以前に述べたところであるが。
さような人々で世の中全体が形成されているようであれば自然と、
全体を自分一人の考えでどうにかしてやろうとするような独裁性もまた立ち消えとなり、
民主制などをわざわざ敷くまでもなく、民主的な社会が実現されるであろうから、
イデオロギーの民主主義などよりもそちらの実現のほうを心がけるべきなのだともいえるのである。
真っ当な仏道にしろ神道にしろ儒家にしろ道家にしろ、非カルトの純正な精神文化はみな、
心中の敬意を侮蔑以上ならしめることを本分としているために、それらの忠実な実践者が、
この世にイデオロギー支配級の独裁性を以て君臨しようとするようなことも決してないのである。
尊重意識を抱いていることから、心中からの民主主義が盤石な状態であるともいえるために、
むしろ好ましいことなのだとも以前に述べたところであるが。
さような人々で世の中全体が形成されているようであれば自然と、
全体を自分一人の考えでどうにかしてやろうとするような独裁性もまた立ち消えとなり、
民主制などをわざわざ敷くまでもなく、民主的な社会が実現されるであろうから、
イデオロギーの民主主義などよりもそちらの実現のほうを心がけるべきなのだともいえるのである。
真っ当な仏道にしろ神道にしろ儒家にしろ道家にしろ、非カルトの純正な精神文化はみな、
心中の敬意を侮蔑以上ならしめることを本分としているために、それらの忠実な実践者が、
この世にイデオロギー支配級の独裁性を以て君臨しようとするようなことも決してないのである。
ハゲでも敬おうと思えば敬えるし、大勢の前で演説させられたりすれば緊張するーー
何のことはない、ごく普通の一般的な日本人にありがちな姿だけれども、
そこにこそ古来の良質な精神文化による教化の精髄があったものだし、
西洋化や大陸化によってあえて棄損したりもすべきではなかった所である。
ただ、ほとんどの日本人が未だそのような良俗の把持者でいながら、
近代以降には自由化や民主化を通じて、俺は俺は、私は私はな我欲の発露の達者ほど
評価されて重用される風潮が蔓延し始めたために(選挙政治もその代表格である)、
日本人の中では特級に下衆な悪党や、在日ばかりが権力中枢を牛耳るようになってしまった。
だからこそ、一般的な日本人もまた他者に臆したりしない我欲の強さを持ち合わせるべきだ
などとされて、日本人らしい貞節な性向の持ち主を陰キャなどと呼んでこき下ろし、
他者を踏み台にしてでものし上がろうとするような不埒さの持主ほど陽キャ扱いで
持て囃すといった取り組みが庶民に至るまで強要されているのが現状なのだが。
本当に必要なのはそんなことではなく、権力中枢ほど「意なく、必なく、固なく、我なし」
(子罕第九・四)な虚静さの持主しか立ち入れないようにして行くことである。
何のことはない、ごく普通の一般的な日本人にありがちな姿だけれども、
そこにこそ古来の良質な精神文化による教化の精髄があったものだし、
西洋化や大陸化によってあえて棄損したりもすべきではなかった所である。
ただ、ほとんどの日本人が未だそのような良俗の把持者でいながら、
近代以降には自由化や民主化を通じて、俺は俺は、私は私はな我欲の発露の達者ほど
評価されて重用される風潮が蔓延し始めたために(選挙政治もその代表格である)、
日本人の中では特級に下衆な悪党や、在日ばかりが権力中枢を牛耳るようになってしまった。
だからこそ、一般的な日本人もまた他者に臆したりしない我欲の強さを持ち合わせるべきだ
などとされて、日本人らしい貞節な性向の持ち主を陰キャなどと呼んでこき下ろし、
他者を踏み台にしてでものし上がろうとするような不埒さの持主ほど陽キャ扱いで
持て囃すといった取り組みが庶民に至るまで強要されているのが現状なのだが。
本当に必要なのはそんなことではなく、権力中枢ほど「意なく、必なく、固なく、我なし」
(子罕第九・四)な虚静さの持主しか立ち入れないようにして行くことである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330154.jpg)
そのための重大な方針転換となるだろうし、もちろんただそれだけには止まらず、
いま権力機構に巣食っているような、日本在住者の中でも特級に我欲たらたらな下郎ほど、
権力には近づけないようにするための具体的な施策もまた講じられるべきである。
その一つには、この日本こそが近世という比較的近年まで存続させることができていた、
封建社会の支配者すらをも引責自殺に追い込める強度の監察制度の再興なども挙げられる。
古くは魏志倭人伝にも「刺史のような職あり」という記述でその存在が指摘され、
その後も勘解由使や目付などと名称だけは変わりながら存続していた、厳格な監察職。
大陸では刺史から州牧などへと名称を変えながら、北宋の代で士大夫と地主や豪商の
癒着が横行し始めると同時に致命的な形骸化を来たしたのが、蒙古のごとき蛮族による
侵略征服と共に、政治腐敗からの文化荒廃を決定づける最大級の要因ともなったもの。
日本でも、近代以降は同様な事態を招いたし(そもそも地主が政治家を歴任し始めた)、
西洋に至っては始めからそんな職分はなく、フランス革命まで王侯=大地主でもあった。
さような傾向のある社会ほど国家権力=ごみ溜めという常識までもがまかり通り始める
ものであるけれども、イデオロギーゼロや監察職の充実と共に廃せる風潮なのでもある。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330155.jpg)
儒学や仏教の到来以前からそれがあったということ。
弥生系の日本人が箕子朝魚羊からの渡来者であるという俺の予測が正しければ、
孔子による体系化以前に存在した古代儒教の影響を受けていた可能性もなくはないが、
それもまた体系的な思想性まではまだ持ち合わせてはいなかったわけで、監察制度の充実で
国の自浄作用を保とうとする試み自体、特定の思想信条を発祥とするとも言えないものである。
もう1000年来政治腐敗が蔓延し続けている中国においても、監察制度がまだ実効性を
保っていた漢代などには不祥事にかけての引責自殺が多発し、以て政治の清浄さもまた
保たれていたと「漢書」などにあるのだけれども、その漢帝国がどういう経緯でそんな
自浄作用を保てていたのかを鑑みるに、高祖劉邦から五代文帝に至るまでの道家的な
無為自然統治からの結果だろうということが、文帝の代で世相の清浄さが極まったとされる
(前漢の国力が最高潮に達したのは七代武帝から十代宣帝にかけての頃だといわれる)
ことからも察せられるわけで、やはりイデオロギーゼロこそがその源泉になるのだと思われる。
箕子朝魚羊や邪馬台国では、未だ体系的な政治腐敗を試みるならず者による侵害なども
なかったことから、自然と監察制度の充実なども見られたのだけれども、漢帝国などでは、
すでにそういう連中が山ほどいたために、ある程度は道家思想のような故意によってそれらを
撃退して行く必要があった。今の世界などもどちらかといえば漢帝国のほうに事情が似ているわけで、
イデオロギーゼロの実現のためにこそ、腐敗の対消滅目的の無為自然の強調が必要ともなるであろう。
(前漢の国力が最高潮に達したのは七代武帝から十代宣帝にかけての頃だといわれる)
ことからも察せられるわけで、やはりイデオロギーゼロこそがその源泉になるのだと思われる。
箕子朝魚羊や邪馬台国では、未だ体系的な政治腐敗を試みるならず者による侵害なども
なかったことから、自然と監察制度の充実なども見られたのだけれども、漢帝国などでは、
すでにそういう連中が山ほどいたために、ある程度は道家思想のような故意によってそれらを
撃退して行く必要があった。今の世界などもどちらかといえば漢帝国のほうに事情が似ているわけで、
イデオロギーゼロの実現のためにこそ、腐敗の対消滅目的の無為自然の強調が必要ともなるであろう。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330157.jpg)
怒涛のクリスマスソング特集を始めたので、聴くのをやめたのだが。
日本の12月はもはや、クリスマスに乗っ取られた状態にある。
件のラジオ局でもその他のメディアでも、スーパーでもデパートでもその他の商店でも、
「年末商戦=クリスマス」という既成概念が固定化されて、当たり前のように丸々1か月間、
延々とクリスマス一色で何もかもを塗り固めてしまおうとする。
日本におけるクリスマス文化の強制と、ライオンズやロータリーのような政商クラブの
全国への侵出がほぼ時期を一にしているし、おそらくは連中の仕業が発端なのだろうが。
日本の伝統行事にも、全国民に丸一か月間帰服を強いるようなものは存在しない。
いま禅門で行われている臘八接心でも1日から8日までの8日間だし、千日回峰のような
より長期の修行もまた一個人が自己責任で執り行うものでしかない。
国家規模の大集団が丸一か月程度の帰服を強いられる行事といえば、
たとえばイスラム教のラマダンとかがあるし、それは紛れもなく、
国家社会を完全な服従支配下に置くことを目的とした思想信教のみが試みるものである。
クリスマスもまたキリスト教に組み込まれている行事であるために(発祥は別だが)、
それと似たような志向性をともないながら、日本のような非キリスト教国にまで侵入して来ている。
別に昼夜を問わず座禅を続ける臘八接心のような苦行性を帯びているわけでもないが、
やはりそれはイデオロギーゼロの社会的達成のためには廃絶されなければならないもの。
寺社級の部分的組織で閉鎖的に行われるのならともかく、世の中全体を征服下に置くような
干渉性と共に執り行われることは、一見無害で簡易なものだろうとも禁制とせねばならない。
たとえばイスラム教のラマダンとかがあるし、それは紛れもなく、
国家社会を完全な服従支配下に置くことを目的とした思想信教のみが試みるものである。
クリスマスもまたキリスト教に組み込まれている行事であるために(発祥は別だが)、
それと似たような志向性をともないながら、日本のような非キリスト教国にまで侵入して来ている。
別に昼夜を問わず座禅を続ける臘八接心のような苦行性を帯びているわけでもないが、
やはりそれはイデオロギーゼロの社会的達成のためには廃絶されなければならないもの。
寺社級の部分的組織で閉鎖的に行われるのならともかく、世の中全体を征服下に置くような
干渉性と共に執り行われることは、一見無害で簡易なものだろうとも禁制とせねばならない。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330159.jpg)
行事の横行を認めないことには、大メディアの解体などと同様に、
世の中の過度の中央集権化を防ぐ効果もまた見込まれる。
人口25万人やそこらの小都市である徳島市に、100万人以上の観光客を集める阿波踊りなども、
もはや全体の制御ができずに、毎年のように諸問題を頻発させている状態にあるように、
地方のイベントなどがあまりにも大規模すぎることには致命的なほどの負担がかかるもの。
年末商戦の一律なクリスマス化なども、大企業や政商クラブが全国規模のネットワークを
駆使してキャンペーンのテンプレなども流布しているからこそ維持されているものであり、
まるで金太郎飴のようにどこを切っても似たようなもの止まりであることが、
地方の特色性を損ねる文化荒廃の一大原因にもなっているものである。
地方に限らず、今の東京の渋谷や秋葉原などもまた、再開発で外見だけは未来都市然となりながらも、
文化的には画一化が進んでつまらない街へと化してしまっているように、事業が大規模である
ということがかえって、角を矯めて牛を殺すような弊害を世の中にもたらすものであるが故に、
あまりにもイベント行事が大規模化しすぎることなどにも歯止めをかけて行くべきなのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330161.jpg)
元々が西洋かぶれな旧世代であるうちの親ですら、あの乱痴気騒ぎなどを見せられて、
地方の伝統の祭りの意義深さなどを見直し始めている始末ではあるのだが。
如何せん、世の中の利権の大半以上は、そんな祭よりもクリスマスやハロウィンや
バレンタインのほうを偏重し、大メディアもまたその辺のイベントの特集ばかりを
組んで広告し、地方の祭りなどまるでないもののように扱っているのが現状である。
古来の祭りは地域密着すぎて、無責任な金儲けの具材などにしようものなら苦情が
巻き起こるのにも違いないから、舶来物の由緒なきイベントのほうをあえて重用する。
それで日本社会が潤うのならまだしも、中央集権、東京一極化で地方の衰退を招き、かえって
国力を低迷させる原因にまでなってしまっているのだから、功利面でも褒められたものではない。
諸藩の独立性が高い、緩やかな連邦制とでも呼ぶべき状態だった幕藩体制の日本だと、
江戸がやはり日本一の大都市ではあったにしろ、人口密度日本一は金沢だったりもしたというし、
その頃の地方に至るまでの国力の養生こそが、近代以降の日本の世界的な躍進の原動力となった一方、
その貯金を崩し切って、地方どころか大阪京都あたりまで冷遇下においた挙句に
人口減のマイナス成長にまで至らしめてしまったのが今という時代なのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330164.jpg)
日本全体、誰しもがその言葉に慣れ親しんでいたかのような体裁での、
画一化な形式で発表しているものだから、野球偏重などが批判を浴びているわけで、
これが「老人流行語大賞」とでも銘打たれていれば少しも文句なんか出ないのである。
でも、それは嫌だし許せない連中がやっているからこそ、そうしない。
世の中を自分たちの思惑通りの一色に塗り固められなければ気が済まないような、
不埒さの持ち主たちによるイベントだから、分不相応なゴリ押しありきとなっている。
現代の大メディアが絡むところ、いくらでもそのような悪念が潜在しているし、
何ならまったく覇権的な恣意のない広告活動など、全国規模では皆無なぐらいのもの。
ゆえに、全国全土全年齢に年月レベルでの従属を強いるような試み自体、
見てくれの害悪度の高低などとも無関係に、排除されて行くべきなのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330165.jpg)
今のユーキャン流行語大賞を、仮に「老人流行語大賞」などと呼べば、
それは自動的に「名を正す」ということになるし、それによって、
自分たちの思惑で世の中を征服下に置きたがるようなプロパガンダの意図も挫かれることになる。
野球好きの老人のためだけにやっているようなイベントなどを、
全国全土に当たり前のように強制流布している現状などにも非難の目が向けられて、
これまた自動的に、その規模を縮小して行くような必要にも駆られて行くであろう。
孔子が政治を任されれば、まず実行に移すとまで明言していた施策なだけあって、
それさえ厳格に執り行えば自動的に、今ここで論じているようなことも実現されてしまう。
つまり、純正な儒学の実践もまた、イデオロギーゼロの実現に資するものである。
儒者と仏僧と道者が同じ酢を吸えば、やはり全員が酸っぱがるように(三聖吸酸)、
その目指すところは同じであり、イデオロギーゼロを体制の根幹に据えるのもまたその内となるのである。
(もちろんカルト化した仏教や儒教などにはその条件を満たさないものもある)
笠地蔵のスレは、立てて盛り上げようと思えばできるんだよなあ。
ただ、ここではそれをなるべく避けているだけで。Q.E.D.
ただ、ここではそれをなるべく避けているだけで。Q.E.D.
プチ強制sage
来たのかな、と
来たのかな、と
赤の他人のお見合い話なんぞが
逆鱗に触れたのはどこの誰ぞや?
山姥か?
山姥か?
[YouTubeで再生]
新作のゴジラ映画が、世界規模ではシンゴジラ以上の人気を獲得。
邦画なんでポリコレ色が薄い上に、長年呪縛となって来たジャニーズの影もない
というプレーンさがそれだけでもウケやすそうな所に、作品の出来もいいと。
かつ朝ドラ「らんまん」でも人気を博した神木・浜辺コンビが主役でもあり。
この映画はまだ観てないけれども、神木隆之介はジャニタレみたいに
変に色男ぶってないのが、出演作品を非常に観やすくしてくれている。
ちゃんとジャニーズ出演作品には性加害を元凶とした不埒さが影を落として
いるが故に観づらくて不興を買って来たのだとも気づかされる。
らんまんのインタビューで、神木は友人で共演者の「志尊と身長を代わって欲しい」
なんて平気でいうぐらいに身長コンプレックスを惜しげもなく公言してたし、
超絶厚底のシークレットブーツを履いて人前に出て来るキムタクの
イキリ加減などとも対照的なところである。
元子役という、非常に失敗しやすい立場をわきまえて貞淑な活動に
徹しているようでもあるし、大メディア級の広告を介するコンテンツが、
多少大人しさを帯びただけでもこれだけマシになるのかと実感させられるもの。
人間、イキリなんてものは本来、未成年で卒業すべきなのであり、それができずに
とっちゃん坊やでいるような輩にいい思いをさせてやるようなことは避けるべきなのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330172.jpg)
邦画なんでポリコレ色が薄い上に、長年呪縛となって来たジャニーズの影もない
というプレーンさがそれだけでもウケやすそうな所に、作品の出来もいいと。
かつ朝ドラ「らんまん」でも人気を博した神木・浜辺コンビが主役でもあり。
この映画はまだ観てないけれども、神木隆之介はジャニタレみたいに
変に色男ぶってないのが、出演作品を非常に観やすくしてくれている。
ちゃんとジャニーズ出演作品には性加害を元凶とした不埒さが影を落として
いるが故に観づらくて不興を買って来たのだとも気づかされる。
らんまんのインタビューで、神木は友人で共演者の「志尊と身長を代わって欲しい」
なんて平気でいうぐらいに身長コンプレックスを惜しげもなく公言してたし、
超絶厚底のシークレットブーツを履いて人前に出て来るキムタクの
イキリ加減などとも対照的なところである。
元子役という、非常に失敗しやすい立場をわきまえて貞淑な活動に
徹しているようでもあるし、大メディア級の広告を介するコンテンツが、
多少大人しさを帯びただけでもこれだけマシになるのかと実感させられるもの。
人間、イキリなんてものは本来、未成年で卒業すべきなのであり、それができずに
とっちゃん坊やでいるような輩にいい思いをさせてやるようなことは避けるべきなのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330173.jpg)
あれも監督である庵野のオールドオタクならではの鉄オタ的な
イキリ回りが作品全体を覆っていたようには思われる。
ただ、それはエヴァンゲリオンというカルト的人気を博した作品で、
相応の支持を得ていたものであるために結構なヒットにも結び付いた一方、
もうこれだけでお腹いっぱいだから、同様な実写リメイクの試みを
ウルトラマン、仮面ライダーと繰り返して行くほど尻すぼみになったもの。
麻生政権+電車男あたりから始まった、オタク文化にもそれなりの保護を試みる
という方向性の残滓で、メイド喫茶やAKB劇場でにぎわせた秋葉が風俗街化
したのなどと同様、そんなに良好な影響ばかりを与えたとも言えないもの。
自分もオーディオなどに入れ込んでいたオールドオタクだから、
最初はオタク文化が世間からの厄介者扱いを払拭して行くことに多少の好意を
抱いたりもしたものだが、それも「過ぎたるは猶及ばざるが如し」だったわけで、
渋谷の中心街にまでアニメの広告が爛々と輝いているような画一化のせいで、
日本社会がまたある種の閉塞を帯びてしまっていることも認めざるを得ない。
比較的、自分が親しみを抱いて来たオタク文化といえども、
やはり全国全土を征服する域の大メディアによる助けなどは必要ないと知るものである。
あくまでどうしようもないゴミ男だと決めつけておきながら、
どうしてお見合いだけは成功するような論調でいるんだろうねえ?
ひょっとしておまえらが仕組んでる?
まあ、墓場のような結婚生活を自分たちが送らされているからこその、
「そこだけは成功しちまえwww」という怨念の発露かもしれないがなあ。
どうしてお見合いだけは成功するような論調でいるんだろうねえ?
ひょっとしておまえらが仕組んでる?
まあ、墓場のような結婚生活を自分たちが送らされているからこその、
「そこだけは成功しちまえwww」という怨念の発露かもしれないがなあ。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330175.jpg)
という所があり、何もかもを万人に露出的に押し付けて行こうとするプロパガンダ的な
姿勢自体が自明に、文化荒廃を呼び込む害悪性を帯びているものである。
寺社なども古来より一般人立ち入り禁止の秘奥区域の存在によって神秘性を保って来たものだし、
それはただ単に雰囲気だけのことではない。一般人には見学者として立ち会うことも許されないほど
センシティブな秘法ーーごく分かりやすい所でいえば人権無視級に厳しい精進修行などもまた
介することで初めて達せられる奥義などもまた実在するために、秘することにも実用的な価値があるもの。
今でもそういう禁域を守っている流派などもなくはないけれども、今や勿体ぶって隠し立てを
しているような所に価値を見出そうともしない、潜在意識からオッカムの剃刀の論理に囚われた
単細胞の衆愚が大多数と化してしまっているが故に、その意義もさほど尊ばれることはない。
それは別に戦後に限ったことではない。
フェロノサと岡倉天心が法隆寺の秘仏を強制的に暴き出し、神社合祀令で日本中の自然が大破壊を
被っていた明治以降にはすでに始まっていたことであり、その元凶にはやはり、何もかもを顕教に
諫言することにしか価値を見出さない西洋的価値観に基づく悪癖があったのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330176.jpg)
何でもかんでも暴き出してなんぼなんていう下衆さに囚われている者は
心底見下されるのが当たり前な世の中の実現こそは、多くの思想信条がお互いへの
十全な尊重意識を持ち合わせて、順当な距離感を保つ融和のための基本条件ともなる。
しかし、西洋的価値観は宗教的か学術的かを問わずそれを許さない侵害性を
帯びているために、今のように無制限に受容している状態では決して済まされない。
江戸時代の洋学、蘭学なみに十分な警戒意識と共に制限的に受容されて、
時には大きな改変を迫られるようなこともありながらであって初めて、
他の思想信条を当たり前のように侵害して行く不埒さもまた廃されて、
お寺の秘仏を暴き出すような蛮行に義務感を抱くようなこともなくなるものである。
西洋文化というもの自体、法人税の免除目当てでやってるような新興宗教が
課税対象になった途端に雲散霧消するのと同じように、他者への侵害性を損ねられたら
もはややって行けないような劣悪さを帯びてしまっている側面もまたあるのには違いない。
うるささと共に人々を魅了して来たロック音楽などが、音量を絞ることを迫られれば、
ソフトな音楽以上に魅力をなくしてしまうが如く、西洋文化もまた侵害性の牙を
抜かれた途端に萎縮して、中には衰弱死するようなジャンルもまた出かねない。
(ロックという音楽分野自体が実際、すでにそれに近い様相を呈しているが)
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330177.jpg)
マスゴミ「憧れるのをやめるな」
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1700041833...
本当の流行語大賞は「憧れるのをやめましょう」
https://news.yahoo.co.jp/articles/667fff61d7c3667662bed...
自分たちの自己顕示による征服支配の試みを挫くような不都合さを帯びているようなら、
自分たちこそがゴリ押しして来た野球の、その中でも第一のゴリ押し対象だった
大谷の名言ですら推薦対象から外してかかるのだから、そもそも野球ですらない。
ナチスや共産党による独裁支配などと同じく、最低限の文化性すら劣後しての、
独裁のための独裁、支配のための支配にこそ、プロパガンダ志向は集約される。
洋学やキリスト教もまた、潜在的なプロパガンダ志向を帯びているが故に、
それを無制限に受容し抜いた先にあるのは、人間文化そのものの否定であるからこそ、
この世の文化文明の豊潤さの保全のために、そこへの制限を怖れてはならないのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330178.jpg)
(日本のお猪口はちびちび吸うように飲むための道具)」
(四書五経・礼記・郷飲酒儀第四十五より)
近世までは改変のひどい似非儒教による支配、
日本への併合以降も似非神道による支配とかいう、
極度に劣悪な部類の文化的教化ばかりを受けて来た朝魚羊半島こそは、
今でも最も過激派な部類のキリスト教や共産主義の極東における牙城と化しているように、
西洋文化は文化として似非、虚構であることを本質としているものである。
今でも北魚羊の報道などでよく見られる、無機質で薄ら寒い全体主義志向こそは、
他者への侵害性をほとんど不可分なまでに帯びてきた、全ての西洋文化の行き着く先である。
故にこそ、文化的な多様性を謳う自由主義諸国といえども、
ポリコレへの忖度で似たような全体主義に陥り、ハリウッドのエンタメも
世界的人気度で日本産に負けるほどの低迷に見舞われたりしているのである。
共産主義、マルクス主義は旧東側諸国だけが確信的に取り入れたものだけれども、
マルクスが弁証法を借用したヘーゲル哲学は、欧米全体が共通で受容しているもの。
そのヘーゲルの主著である「精神現象学」に、「この試みの先には大きな穴がある」
という旨の記述があるのだけれども、その晦渋な観念主義志向の記述を現実に落とし込んだ
先にあったのもそういった、「もはや文化ですらない不毛」という大穴だったわけである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330179.jpg)
その内に覇権主義的な不埒さがある以上は、こうなってしまう。
反ポリコレのロシアと、ポリコレ先進国のイスラエルなどもまた、
国を挙げて侵略、虐殺級の暴行などに及べば、全く同じ穴の狢でしかない。
しかもそれは、ポリコレを偏重するような意識こそが招来するものでもある。
必要なのは、核の炎で全世界を焼き殺すことも可能なほどの文明を持ち合わせている
人類が決して持ち合わせてはならない域の、精神の根源からの不埒さを棄てることである。
それさえ実現されたならば、ポリコレなんぞを謳わずとも、そこで被虐者扱いを
されているような人々への過度の蹂躙などもまた自然と立ちやむもの。
戦争での破壊行為などに限らず、イデオロギーやカルト信仰やプロパガンダで
他者を平和裏の征服下に置いてやろうとするような試みから控えて行けば、
それで自然と、そんなものでどうにかしてやろうとしたがるような問題から消え去る。
全ては自分たちの不埒さが招いているマッチポンプに過ぎないのだと知るべきなのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330181.jpg)
https://www.bbc.com/culture/article/20231205-godzi...
何かにかけて世の中の征服支配を渇望する志向性の蔓延の先には、もはや「娯楽」すらもがなくなる。
スターリンや毛沢東や金正恩の説教に耳を傾けるのが国一番の幸福とされるが如く、
アメコミや大長編ドラマへの苦行じみた勉強が楽しみ扱いになる。
勉強は勉強ですべき一方、そんな事柄とは無関係なはずの領域にまで勉強級の苦行を強いる。
近年に限らず、もうアメリカのエンタメなどはかなり前からそれに似た傾向を帯びているようで、
メジャーリーグの試合観戦のために大渋滞や大行列を何時間も我慢し続けるようなことも常識化している。
そこで支配者たちは、大衆に「憧れるのをやめるな」を守るための嬉しがり洗脳などもまた強いる。
本当に面白いものだけを楽しみ、そうでないものには公然と批判の声を挙げるような正直者は、
社会性の低い陰キャだなどといったレッテルを貼っての、つまらなさへの気付きへの妨害に躍起となる。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330182.jpg)
招くように示唆していたけれども、監視自体は古来の目付のような清廉さと共にであれば、むしろ
文化的繁栄の立役者となるもの。そうではなく、監視によって人々の活動を極度の統制下に置こうと
するような支配欲の実現こそが、世の中の文化荒廃級の閉塞を招くのであり、それは監視行為などに
限らず、表向きエンタメを振興して行こうとするような姿勢と共にであろうとも招き得るものである。
相変わらずポリコレ忖度満載なディズニーの新作映画も爆死して、
制作陣は「何がいけなかったのかてんで分からない」とも述べているという。
ポリコレによる画一化が原因なのは分かり切っているのに、それを明言しようものなら自分自身が、
共産主義下の思想改造時のような糾弾を受けて地位を追われてしまうものだから、口が裂けても言えない。
>>115の経団連会長の「なぜ岸田政権が支持されないのか分からない」という痴呆じみた発言なども、
「大衆と利害が相反している経団連の言うことばかり聞いてるからだろ」などと指摘できるような人間が
周囲に一人もいないからこそ、こんなままでいる。自由主義経済を無制限に促進しているはずの勢力といえども、
その姿勢が征服支配的である以上は恐怖政治の様相を呈し、自分たちが望んでいるはずの経済の活性化までもが
滞る本末転倒に陥ってしまう。娯楽といいこれといい、軟派なはずの志向性までもがそうなってしまうのである。
[YouTubeで再生]
世界一番人気のビデオゲームGTA最新作のトレーラー動画、一瞬で一億再生超え。
強盗殺人やりたい放題という、低俗の極みな内容であることから批判も
多く受けて来ているが、これ以外で世界的な人気を誇っているゲームにも、
出来る限り銃撃戦をリアルにシミュレートしたFPSなんかが近年は非常に多いし、
日本人が創意工夫に満ちたゲームを打ち出しては世界トップ級の人気を博していた
昔と比べると、ただただグラフィックのリアルさばかりが発展し続けているだけで、
肝心の内容については、人々の原始的な暴力性を追従するばかりへと陥っているように思われる。
ただ、それもまた他者への合法非合法を問わぬ侵害侵略、征服支配こそを本分としている
西洋文化文明に何もかもが集約されているような時代にとっての、必然なのでもある。
表向き、西洋にも平和主義を訴えるような人間は多く、米民主党なども銃規制の推進を
訴えていたりはするけれども、自分は自分は、自分が自分がな我の張り通し合いで
何もかもを塗り固めてかかる西洋的な精神性の下衆さにまで反省が試みられるようなことは
未だかつてなく、譲り合いの精神に長ける日本人などに対してまで、もっと自分を主張
してかかることを勧めたりするようなお節介に及ぶことも日常茶飯事なままであるもの。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330183.jpg)
強盗殺人やりたい放題という、低俗の極みな内容であることから批判も
多く受けて来ているが、これ以外で世界的な人気を誇っているゲームにも、
出来る限り銃撃戦をリアルにシミュレートしたFPSなんかが近年は非常に多いし、
日本人が創意工夫に満ちたゲームを打ち出しては世界トップ級の人気を博していた
昔と比べると、ただただグラフィックのリアルさばかりが発展し続けているだけで、
肝心の内容については、人々の原始的な暴力性を追従するばかりへと陥っているように思われる。
ただ、それもまた他者への合法非合法を問わぬ侵害侵略、征服支配こそを本分としている
西洋文化文明に何もかもが集約されているような時代にとっての、必然なのでもある。
表向き、西洋にも平和主義を訴えるような人間は多く、米民主党なども銃規制の推進を
訴えていたりはするけれども、自分は自分は、自分が自分がな我の張り通し合いで
何もかもを塗り固めてかかる西洋的な精神性の下衆さにまで反省が試みられるようなことは
未だかつてなく、譲り合いの精神に長ける日本人などに対してまで、もっと自分を主張
してかかることを勧めたりするようなお節介に及ぶことも日常茶飯事なままであるもの。
そこを反省もせずに平和なんかを訴えたところで、アクセルとブレーキを一緒に踏んでいる
ようなものでしかなく、犯罪行為にまで及ばない内でも犯罪ゲームが流行るようなことになるし、
無理にそこにだけ規制をかけたりしたところで、本物の犯罪に手を染める人間が増えたりもする。
親に連れられて唐招提寺に見学旅行に来たカナダの少年が、つまらなさ過ぎて金堂に傷をつけた
のと同じような心持ちでいる人間を増やしこそすれど、減らそうともしていない現状において、
その最終的な目的地点に、ロシアやイスラエルが今けしかけているような本物の戦争がないとも言えない。
ほとんどの人間はそれを忌み嫌ってはいるけれども、行いや姿勢は嫌でもそっちに向かった状態でいる。
人間、主張してなんぼ、行動してなんぼなんていうイキリ回りからして幼稚で忌まわしい様態であり、
何もしないのでも、何もしないまま生涯を終えるのでも満足なままでいられるぐらいの達観こそを
第一の尊重対象とし、それでもしなければならないこと、したほうがいいことに限ってやって行く
堅実さが世の中の本流に据えられるのであって初めて、行いもまた戦争や犯罪を目指しもしないことになる。
本物の犯罪は避けたいから犯罪のゲームで済ませるなんていう、ある意味では惨めな域のもどかしさに
世界中の人々が囚われている現状よりかは、武勇の側面などでもより上質な姿が期待できるあり方となる。
ようなものでしかなく、犯罪行為にまで及ばない内でも犯罪ゲームが流行るようなことになるし、
無理にそこにだけ規制をかけたりしたところで、本物の犯罪に手を染める人間が増えたりもする。
親に連れられて唐招提寺に見学旅行に来たカナダの少年が、つまらなさ過ぎて金堂に傷をつけた
のと同じような心持ちでいる人間を増やしこそすれど、減らそうともしていない現状において、
その最終的な目的地点に、ロシアやイスラエルが今けしかけているような本物の戦争がないとも言えない。
ほとんどの人間はそれを忌み嫌ってはいるけれども、行いや姿勢は嫌でもそっちに向かった状態でいる。
人間、主張してなんぼ、行動してなんぼなんていうイキリ回りからして幼稚で忌まわしい様態であり、
何もしないのでも、何もしないまま生涯を終えるのでも満足なままでいられるぐらいの達観こそを
第一の尊重対象とし、それでもしなければならないこと、したほうがいいことに限ってやって行く
堅実さが世の中の本流に据えられるのであって初めて、行いもまた戦争や犯罪を目指しもしないことになる。
本物の犯罪は避けたいから犯罪のゲームで済ませるなんていう、ある意味では惨めな域のもどかしさに
世界中の人々が囚われている現状よりかは、武勇の側面などでもより上質な姿が期待できるあり方となる。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330185.jpg)
自民党が地方の公民館みたいな場所で接待したことにも批判が上がっていたけれども。
(時価総額では日本一のトヨタをはるかに上回る準GAFA級の企業でもある)
世界中が殺し合いのリアリティを追求し抜いたゲームばかりに熱狂している実情も
ろくに知らないままでいるからこその所業。今や日本では若者も貧乏過ぎて本格的な
ビデオゲーム等にはあまり参入できず、スマホでのソシャゲに食い付いてるような状態だし、
(SONYも市場規模の貧相さから、国内でのPS5の販促に消極的であり続けていたもの)
日本全体が世界から最も乗り越されている部類のジャンルだからこその狂態にも違いないのだが。
ここから日本人までもが、殺し合い級の侵害行為ばかりに全ての志向性が集約されている
世界の潮流にそのまま乗って行くよりかは、今一度平和性にこそ魅力を感じられるような
分野の開拓者としての先導を切って行くべきであるのに違いない。
任天堂あたりは今でもそれを心がけてはいるようだが、如何せん子供向けにとどまる。
いい年しても任天堂のゲームで遊んでるようなのは幼稚、FPSでガンガン殺し合ってこそ
大人という陰惨きわまる序列関係をひっくり返せるぐらいであってこそ、
大人が子供に敬われる世の中の再来もまた叶うはずである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330186.jpg)
基本的な操作は思ったほど難しくない。ただ、近年のハイエンドゲームや
洋画で駆使されているような高精細CGの作製には、膨大な作業量が
必要になるのがすぐに分かるんで、やはり生半ではいかないんだなと感じる。
あれは、膨大な人数のインド人や中国人のモデラーを動員することで
初めて形になっているものであって、日本ではそのような下請けの人海戦術を駆使する体制が整っては
いないものだから、ゲームにしろその他の映像作品にしろ、CGクオリティが段違いに低いままでいる。
仮に、ハリウッドなどでは整っているその手の下請けインフラを日本人が駆使できるようになれば、
邦画や国産ゲーム等のクオリティも息を吹き返しての、世界トップ級の人気を取り戻せるだろうけれども、
安易な殺し合いやそれに準ずるような争いばかりに多くの人間が心酔している現状の世界的潮流に
そのまま乗っかてみたところで、別に今作られているもの以上の何かが得られることもないだろう。
(せいぜい美少年美少女キャラの人数が増えるぐらいのことである)
別に、戦いを一切否定した上での創作ばかりに勤めるべきだというのでもない。
戦いの中にも、最終的な平和や繁栄の実現こそを企図して行くような仁義を伴わせることで、
人々に冷酷な現実の中においてもその心を失わせない情操を養わせて行くようにするなど。
今のハリウッド映画などでも多少は試みられているが、あまりにも取って付けたような
偽善止まりに終始するあまり、説教臭くて見てられないなどという批判を受ける原因にもなっている。
そこにこそ最大級のエンターテイメント性を盛り込んで、人々を楽しませながら篤実な性向へと
導くことができるのはひとえに、本物の仁慈、菩提心を帯びた者だけであるのだし、今でもまだその素養に
日本人こそが世界一級に長けているといえども、今以上への精進もまた怠ってはならないものである。
現状のCG関係の下請けインフラなどは英語の人間関係で構築されているものだから、
まずは英語を勉強しなければならないなんていう義務感にも駆られかねないが、
NVIDIAのCEOをボロ部屋に招いた岸田も英語ペラペラなことだし、
そんなことよりもはるかに心がけるべきことが他にあるとも知れるわけである。
戦いの中にも、最終的な平和や繁栄の実現こそを企図して行くような仁義を伴わせることで、
人々に冷酷な現実の中においてもその心を失わせない情操を養わせて行くようにするなど。
今のハリウッド映画などでも多少は試みられているが、あまりにも取って付けたような
偽善止まりに終始するあまり、説教臭くて見てられないなどという批判を受ける原因にもなっている。
そこにこそ最大級のエンターテイメント性を盛り込んで、人々を楽しませながら篤実な性向へと
導くことができるのはひとえに、本物の仁慈、菩提心を帯びた者だけであるのだし、今でもまだその素養に
日本人こそが世界一級に長けているといえども、今以上への精進もまた怠ってはならないものである。
現状のCG関係の下請けインフラなどは英語の人間関係で構築されているものだから、
まずは英語を勉強しなければならないなんていう義務感にも駆られかねないが、
NVIDIAのCEOをボロ部屋に招いた岸田も英語ペラペラなことだし、
そんなことよりもはるかに心がけるべきことが他にあるとも知れるわけである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330188.jpg)
特別変なメッセージ性などもないプレーンさがウケているというけれども、
その自然に入って来てただ面白いという感覚自体、他者への侵害志向を滾らせる
不埒さを十全に抑制してかかるという篤実さによってこそ実現されているものである。
黒澤映画なども、今でこそ歴史的名作扱いで権威性まで認められているものだが、
いざ観てみれば別に説教臭い所などもなく、ただただ面白いエンタメ作品としての条件
までをも満たしているものばかりである。しかしそのストレートな面白さのためにこそ、
監督脚本や出演者たちの、不埒な域の我欲の自制がなければならないのである。
まず以て、変な意図を持たずにシラフで物事を見定められることが、何が面白くて
なにがつまらないのかを厳格に見極めて、面白いものを抽出するための大前提ともなる。
黒澤明も画像のような、古流の居合術由来の剣技などを見た目にも格好いいものと認めて
殺陣に取り入れたりしたのだけれども。今の武道連盟系(元締めは統一教会の弁護士)の
居合道などは、居合からもなるべく実戦性をそぎ落としたいがために、刀を上に抜くような
技法を排し、本物の居合では必須とされているような神速の動きなども禁止している始末。
だからこそ格好悪く、ヨボヨボの年寄りが金カネで段位を買うのが本位みたいな醜態にも
陥っているのだが、それは本質的に殺し合いの技法であるものに対してまで、場違いな
戦闘アレルギーを持ち込むような不埒な意図が込められているがゆえの自業自得なのである。
戦いのための技法にはそれなりの実戦性を持たせて、その扱い方が殊更に好戦的だったりしない
ように勤めることのほうが真に平和への貢献ともなるのであり、その条件は今の居合道や剣道
なんかよりも、黒澤映画や鬼滅みたいな漫画アニメのほうがまだ満たしているものである。
だからこそ純粋に格好良くて面白い上に、日本の世界的評価を高める貢献者としての
度合いでも、バラマキしか能がない統一自民などをはるかに上回るものとなっている。
いま普通に「武道精神」とか呼ばれているものには、武術をあえて無力化したがるような、
不埒な意図が込められているのがデフォであるために、それと比べると暴力的な側面が
強かったりもして、体力の衰え切った年寄りなどが眉を顰めるような面もあるのだけれども、
それでもこの世における殺し合いの連鎖を断ち切ろうとする側が、増長させようとする側に
立ち向かって行く姿こそを主体的に描き抜いているような点では、今いう武道精神の持主などを
はるかに上回るものであり、現実的な平和や繁栄への貢献度でも上であり、なおかつ純粋に
格好良くて面白い。いいとこづくめといいとこなしの雌雄しか、そこには見当たらないのである。
陥っているのだが、それは本質的に殺し合いの技法であるものに対してまで、場違いな
戦闘アレルギーを持ち込むような不埒な意図が込められているがゆえの自業自得なのである。
戦いのための技法にはそれなりの実戦性を持たせて、その扱い方が殊更に好戦的だったりしない
ように勤めることのほうが真に平和への貢献ともなるのであり、その条件は今の居合道や剣道
なんかよりも、黒澤映画や鬼滅みたいな漫画アニメのほうがまだ満たしているものである。
だからこそ純粋に格好良くて面白い上に、日本の世界的評価を高める貢献者としての
度合いでも、バラマキしか能がない統一自民などをはるかに上回るものとなっている。
いま普通に「武道精神」とか呼ばれているものには、武術をあえて無力化したがるような、
不埒な意図が込められているのがデフォであるために、それと比べると暴力的な側面が
強かったりもして、体力の衰え切った年寄りなどが眉を顰めるような面もあるのだけれども、
それでもこの世における殺し合いの連鎖を断ち切ろうとする側が、増長させようとする側に
立ち向かって行く姿こそを主体的に描き抜いているような点では、今いう武道精神の持主などを
はるかに上回るものであり、現実的な平和や繁栄への貢献度でも上であり、なおかつ純粋に
格好良くて面白い。いいとこづくめといいとこなしの雌雄しか、そこには見当たらないのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330191.jpg)
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/6086434.htm...
このヒトの予見がだいたい当たってた上で、その危惧が現実化した結果、
高精細の「映画みたいなゲーム」と、課金廃人を量産するスマホゲーなんかに
大人向けのゲームが集約されて、任天堂は子供向けに特化するようになったわけだ。
大人のほうが余計にろくでもないゲームだけやってるぐらいだから、
子供が大人を敬うこともなければ、大人になりたがることもない。
そもそも大人がゲームなんかに夢中になることが幼稚だとも言えなくもないが、
世界中がVRの開発を一大事業と見なしたりもしている中で、もうそんなことも
言ってられない事情もあった上でのことなのだから、陰惨窮まるものである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330192.jpg)
「(経営が好きなんですねと言われて)好きなんじゃなくて、
得意だからやってる。好きでやるのはロクな事にならない」というので、
これもまた戦後世代の日本人には根こそぎ奪われ去ってしまったような感覚。
何もかもを好き嫌いに還元すれば、嫌な仕事をする人間がいなくなる上に、
世の中全体が私は俺がな我の張り通し合いからの不毛な争いにも見舞われる。
その結果が、戦後世代で占められた日本社会の30年にわたる低迷の上に、
世界規模でもろくでもない殺人ゲーばかりが流行るような事態となっている。
大人向けで創意工夫にあふれた面白いゲームなどもなくなった結果、
ゲーマーも退屈さのせいでストレスを溜め、そのストレスの発散のために、
どぎつい殺人などを主体とした過激なゲームばかりを求めるようになる悪循環。
宮崎駿もアニメ制作を「好きだからって出来るもんじゃない。才能がないと」
と言っていたものだし、それぞれの才覚による適材適所以上に、個人的な好き嫌いばかりが
優先された先にあったのが、たとえばゲーム業界においてはそのような暗転だったのである。
死ぬ直前のご老人がちょっとだけ元気になる現象、あれなんだろうね?
何かやり残したことがある未練からの…?
何かやり残したことがある未練からの…?
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330194.jpg)
「愛してその悪を知り、憎んでその善を知る(礼記)」というほどにも、
愛憎を突き放して物事を考えられる冷徹さこそが、世の秩序を安定させるのみならず、
適材適所な人事によるエンタメ振興で、世の中をより楽しくする原動力ともなる。
高祖劉邦が楚漢戦争後の群臣への論功行賞に悩んでいた時に、
張良が「陛下が最も嫌いな者から恩賞を与えてみてください」と助言し、
劉邦もそれに従って、最も嫌いで裏切り経験もある雍歯への褒賞を最優先したという。
それにより朝廷や諸国もまたよく治まり、誰しもが圧政に苦しんでいた秦代などとは
打って変わって、日夜市中での宴会までもが繰り広げられるようになったという。
街頭での飲酒なんかは基本、世界中で禁止されているし、近年では日本でも渋谷などで
部分的に規制する動きがあるわけだが、世の中じゅうが悪念でまみれているせいで、
路上飲酒なんて認めようものなら暴動にでも発展しかねないような世相では、やむなきこと。
全国総出でのヘイトコントロールが十分な世の中でもなければ認められることではない。
それは、愛憎に囚われない責務を最上級の支配者から最大限に果たし抜いた世の中においてのみ
実現されることで、もはや世界一平和な国であるここ日本ですら損なわれてしまった条件。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330195.jpg)
信者間でも全国規模でも憎悪まみれの人間関係ばかりをもたらしたように、
むしろそのせいで、大多数一般の社会構造は憎悪による荒廃のほうが主流となる。
反ベトナム戦争に端を欲したウッドストック世代のロックミュージシャンなどもまた、
ラブ&ピースを一番の理念に掲げていたわけだが、いつまでも自分たちだけで
名声利権を牛耳り続けたために、時代を重ねるほど後継者が育たなくて、
ロックというジャンル自体が尻すぼみの窮状に見舞われ、ブッシュJr.政権による
イラク戦争の強行と共にほぼ死滅したが如く、愛による世の征服を謳う者は、
その酩酊による視野の狭量さのせいで多くの人々の権益を蔑ろにし、
自業自得での衰亡に見舞われることが免れ得ないもの。
それよりはむしろ、最大級の嫌悪の対象となるような相手にまで最低限以上の権益を
保証するような姿勢のほうが、平和や繁栄を着実に実現して行く手立てとなるもの。
愛でも酒でも、まず自分が酔うより、赤の他人や嫌いな相手までその楽しみに与れることを
尊ぶことで、初めて誰しもに行き渡るものであるが故、むしろ本位からは遠ざけるのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330196.jpg)
全国でもトップ級の奴隷労働の本場と化してしまっているといった現象も見られる。
個人的に、愛媛の人々とはそこそこの交流経験があるのだが、
実際、県名のせいか「愛」を信条に掲げて生きているような人間も多い。
それは、内輪に対しては大変な親睦を育む原動力ともなっているようで、愛媛県こそは
日本でもトップ級に公立校に至るまでの教育が充実し、県民総出を挙げて頭がよく、
47都府県中最も人口当たりのノーベル賞受賞者数が多い県ともなっているのだが。
その性向が、いざ愛し合いの範疇から外れた途端に並外れた冷酷さへと転じ、
外国人実習生への死傷級のブラック労役のほか、詐欺じみたセミナーなどで他所の人間を
たぶらかして暴利を巻き上げるような知能的悪行にも結び付いている場合が多い。
今の日本は、全国的には逆に社会規模での仁愛が極度に殺がれている状態だから、
愛を重んずる地方の人々が、総出での教育の充実で平均知能を相対的に高めていたりもするわけで、
そこにある程度は見習うべき所もまたあるのだけれども、それが内輪だけの狭隘さに止まって
いるせいで、よそ者への危害を増長させてしまっていたりするのはやはり考えものである。
社会全体に通用する愛もまた、扱いようによっては好影響をもたらし得るものではあるが、
その弊害もまた大きいものであるために、全てを愛に還元するなどとまで行くのは
避けるべきであり、少なからず限定的である心がけもまたあって然るべきなのである。
愛を重んずる地方の人々が、総出での教育の充実で平均知能を相対的に高めていたりもするわけで、
そこにある程度は見習うべき所もまたあるのだけれども、それが内輪だけの狭隘さに止まって
いるせいで、よそ者への危害を増長させてしまっていたりするのはやはり考えものである。
社会全体に通用する愛もまた、扱いようによっては好影響をもたらし得るものではあるが、
その弊害もまた大きいものであるために、全てを愛に還元するなどとまで行くのは
避けるべきであり、少なからず限定的である心がけもまたあって然るべきなのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330198.jpg)
神の愛を謳うキリスト教の創始者であるイエスもまた、当人自身の言動にも反社会的な
要素が多く見られるうえ、自らが冤罪で処刑されるのと引き換えに強盗強姦殺人犯のバラバ等を
無罪放免にさせて世に解き放つという、反社会性極まる暴挙で多くからの支持を得たもの。
愛が世の全てを覆い尽くしたりする所には必ずや、私で公を蔑ろにする反社会性が伴うもの。
最低賃金を下回るようなブラック労働や、信者を破産に追い込むような巨額の教団への献金
などもまた、闇バイトや教団関係者への暗殺をも正当化させかねないような公共の秩序への
挑戦になっている上、それらこそは愛を並外れて偏重する者たちが企てる暴挙でもある。
キリスト教国の南米諸国やブラックアフリカ諸国こそは、世界でもトップ級に凶悪犯罪や
戦乱の蔓延る地域ともなっているし、愛という名目による社会への支配には反社会性が
付き物であるが故に、その恩恵もまたなくはないにしたって控えるべきだと言えるのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330199.jpg)
批判的視聴の対象とする目的で初めて観てみたんだが(もちろん受信料抜きで)、
思いのほか上の話とも符合しまくってる内容だったんで、寸評してみよう。
(以下ネタバレ注意)
今風に言えば、母親からの遺伝で強度行動障害系の発達障害を患っている次男が、
敬虔なキリスト教徒である父親に溺愛されている長男を乗り越えて行くお話。
当時はまだ精神病理への理解も進んでいなかった(今も大してだが)ことから、
主人公の無鉄砲さがヤンキーの根本聖典としての熱狂的な支持を得ていたわけだが、
そこにあやかった団塊以下の戦後日本人もろくな人種にならなかったわけで、
ちゃんとあれも病気の一種だったのだと断罪され直す必要があるといえる。
ただ、主人公が反発していた父親の「正しさ」もまた、キリスト教のような
カルト信仰に基づく独善性を帯びていたわけで、そこが五十歩百歩だというのもまた
確かなことだし、団塊からバブル世代あたりにとっての親世代である戦前世代の
日本人もまた、国家神道によってカルト的な独善性を植え付けられていたのを思えば、
当時はそこに十全な配慮の行き届いた裁きを下せなかった側面があるのも分かる。
ただその結果、戦後日本人の多くに似たような行動障害が植え付けられた上に、
それこそがヤンキーとしての格好いい在り方だなどと正当化される原因ともなった。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330200.jpg)
分別のなさが加われば、もはや有害鳥獣に毛が生えたような暴徒止まりとなるわけで、
日本人にとって特別に相性の悪い情操があえて植え付けられたものだともしれる。
この作品の主要なテーマはやはり「愛」であり、主人公の父親の子愛のなさが
親子の軋轢の元凶だったように描かれているけれども、その原因となっていたはずの
キリスト信仰はむしろ愛を重んじている部類の宗教である。にもかかわらずではなく
だからこそ、狂信者が長男ばかりを偏愛して次男を冷遇するような事態をも呈しているもの。
愛を主たるポリシーに据える者ほど、偏愛で疎外の対象を増すものであるが故に、
この世には愛もまた必要なものであるといえども、全ての本尊にまで据えるべきではない。
どうしてもそうせざるを得ないような人間は、人の上に立とうともすべきではない。
WWⅠ中に地元で徴兵事務を任されていた父親が、戦争特需への投資で儲けた
主人公からの金カネをもらうことに拒絶感を示すシーンなどは、主人公の発達ならではの
思慮のなさも問題なら、そんな重大な仕事を請け負うにも値しないほど人間ができてない、
カルト信者としての父親のあり方も問題という、両成敗事案だったわけである(ネタバレ終わり)。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330203.jpg)
http://blog.livedoor.jp/rbkyn844/archives/10486956.htm...
ここでも嫌というほど思い知らされているこの現象。
ネットの普及と共に人類の平均知能も下がったらしいという試算もあるし、
元来が学術振興を目的としていたネットの一般社会への普及が、
むしろ低能同士の馴れ合いばかりを促進してしまったのは皮肉なものである。
他でも少し話したけれども、たとえばYouTubeで学術動画なんかを漁ってみても、
視聴者の奇をてらうような特殊な知識の動画ばかりが目に付いて、
深海魚に対する魚一般のような基礎知識のほうがいつまでも育たない。
結果、知識を単なるトリビア以上のものとして有効活用するための知恵も育まれない。
そのため、本当に知的好奇心もなくただ馴れ合いを好んでいるだけの愚者に限らず、
それなりに勉強意欲のあるような人間までもが「小人の学」に終始する小物となってしまう。
(体力的に劣勢な男が昔は知恵者となっていた一方、今は弱者男性止まりの場合が多いように)
Windows95や初期iPhoneの発売時には、夢と希望ばかりと共に迎えられていたネット文化も、
GAFAMが超国家規模の大権を確立した頃にはもはや食傷の域に達したものであるが、
かといって未だに「ポストIT」が本気で模索される動きがみられているわけでもない。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330204.jpg)
一部で推奨されていたりもするけれども、別にそこで真新しいことをやってみるわけでもなく、
だいたいが児戯止まりとなっての、ネットの泥沼への出戻りに陥ってしまうものである。
ネットから距離を置けて、なおかつ文武両面において高度であることに取り組むことで
初めて、情報共有の道具としてのネットの適正な扱いにもまた立ち戻れるところがある。
ただ遊ぶ、スポーツで体を動かすなんかではなく、逆にネットでの情報検索が部分的な助けに
なるほど知的な高度さをも帯びながら、ディスプレイから目をそらしている必要性もまた
相応に存在するような取り組みこそが、ネットが存在する時代における健全性の極みとなる。
実践性が高い良書の読書でも、よく頭を使わなければ出来ない部類の運動でも、その条件を
満たしている取り組みはいくらでもあるけれども、やはり古来の東洋文化に特に多い物でもある。
未だに非ネットネイティブの旧世代が幅を利かせているせいで、逆により一層のデジタル化
なんてものが国を挙げて謳われている日本などからすれば周回遅れで一等賞になれそうな話
ではあるけれども、その旧世代が西洋かぶれだらけなものだからそうもいかないところである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330205.jpg)
そこそこ程度には試みられているものだが、それも決して十分なものではなく、
まさに「焼け石に水」という段階でしかないのが実情である。
まず以て、だからこそ「スマホを棄てて~」的な謳い文句と共に試みられる。
それ自体がネット漬けよりも本当に面白くて有意義であるようなら、
ネットから距離を置いたりせずとも、鉄がより強い磁石に引き付けられる
ようにしてそちらへと乗り移って行くものだが、そこまでの魅力はないと
暗に認めているが故に、まずネット絶ちを大前提とするのでもなければならない。
ネット禁止級の求道もまた、それはそれで試みられていいものではあるが、
もはやそれはデジタルデトックスなんて域ではなく、求道の原器の確立のためのもの。
本格の出家者でもない一般人が試みるべきなのはむしろ、ネット利用などとも
並行することで、ネット以上の領域が存在することに気づくことである。
それは、可能か不可能かでいえば可能なことである。
特に、ネットのせいで馬鹿が増えているような時代であることもまた、
その実現を後押しする気概になってくれるものであるけれども。
ただ、やはり簡単とまでは行かない。
特に文武分裂、文科系か体育会系かばかりに全ての人間性を還元する性分が
心底根付いてしまっているような現代人にとっては、その性分からの脱却を
まず要求される領域であるために、大変な困難をも伴うのに違いない。
また、本格の出家修行者とまで行かずとも、ポストITの領域にネット以上の意義を
見出すためには、時に自らへの人権無視級の荒行までもが必要となるものである。
真っ当なヨガ行や武芸の技法に基づけば、悪性の致命傷を負ったりすることはないにしろ、
自分自身を殺してかかるぐらいの覇気を持って荒行に取り組むことで、初めてそれが
会得されるようなこともあるし、そこでやり方を間違えて大怪我をするようなこともある。
そこでいちいち人権尊重社会ならではの心情的な甘やかしまでをも保ってはいられないし、
なおかつそこで十分な求道を果たせるのは、残念ながら男女のうちでは男だけだから、
男を女以上の生き物として尊ばねばならないような反現代的側面までをも帯びるものである。
特に文武分裂、文科系か体育会系かばかりに全ての人間性を還元する性分が
心底根付いてしまっているような現代人にとっては、その性分からの脱却を
まず要求される領域であるために、大変な困難をも伴うのに違いない。
また、本格の出家修行者とまで行かずとも、ポストITの領域にネット以上の意義を
見出すためには、時に自らへの人権無視級の荒行までもが必要となるものである。
真っ当なヨガ行や武芸の技法に基づけば、悪性の致命傷を負ったりすることはないにしろ、
自分自身を殺してかかるぐらいの覇気を持って荒行に取り組むことで、初めてそれが
会得されるようなこともあるし、そこでやり方を間違えて大怪我をするようなこともある。
そこでいちいち人権尊重社会ならではの心情的な甘やかしまでをも保ってはいられないし、
なおかつそこで十分な求道を果たせるのは、残念ながら男女のうちでは男だけだから、
男を女以上の生き物として尊ばねばならないような反現代的側面までをも帯びるものである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330207.jpg)
本物のヨガや武芸などは、男にしかできないような強度の荒行なども踏まえた上で、
そこで男たちが蓄えた知見を女たちにも分け与えて行くような指針を持ち合わせているために、
どうしたって男尊女卑的な雰囲気を帯びてしまうのだが、カルトはあえてそれを排するために、
男への尊敬なんか抱きたくもない自意識過剰に駆られた女たちを格好のカモとしてたぶらかし、
甘い言葉で誘ってはろくな効果もない技法などを教示し、それで巨額の対価をせしめようとする。
そういう連中が世に危害をもたらすのみならず、所詮はネット未満でしかないような実物文化で
世の中を蔓延させ、「これならネット漬けでもいたほうがマシだ」という風潮までをももたらす。
統一教会の弁護士が元締めを務めている、今の武道協会下での剣道柔道や相撲などもその実例で、
やったら余計に体を壊すような不正な技法などをあえて取り入れているせいで、そんなものに
没頭するぐらいなら、ネットで古流の動画でも漁ってたほうがまだマシ、ということにもなる。
(残念ながら振興が局地的で、実際に入門しようにも遠くてできなかったりもすることだし)
[YouTubeで再生]
このたびめでたくというか、日大アメフト部の廃部も決定したわけだけれども。
体育会系とあらば、男たちが野蛮な暴行に及ぶのも茶飯事であり続けて来た上、
それを徹底的に規制してみた所で、そこにあるのはルール通りにやった所で
身体を壊すような不合理性を帯びた運動技法だらけのスポーツでしかない。
そんなものに男たちが没頭している手前、より体の弱い女たちにその姿を倣えなどと
いうのも無理があり過ぎることで、無理にやっても例の宝塚みたいなことにしかならない。
高度な求道行為で、男たちが男でなければ務まらないほど難儀な荒行に邁進し、
その成果を女子供にも回向してかかったりするのは、それとは全く別次元のことで、
それはあくまで精神的肉体的な合理性を追求するものであるために、たとえば
合気道技法などのように健康長寿にもより資するものとなるし、薬物乱用に及びたく
なるような心の貧しさなどもおのずと解消されて行くものとなるのである。
近頃では、日大アメフト部に限らぬ若者のオーバードーズなども問題化しているし、
文科系か体育会系かなどによらず、精神的な貧困もまた危険水域に達していることが多い。
それはネットでもスポーツでもクスリでもなく、壮健な益荒男でもなければ務まらない域の、
合理性を極めや求道やその回向によってのみ埋め合わされ得る、心の隙間なのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330208.jpg)
体育会系とあらば、男たちが野蛮な暴行に及ぶのも茶飯事であり続けて来た上、
それを徹底的に規制してみた所で、そこにあるのはルール通りにやった所で
身体を壊すような不合理性を帯びた運動技法だらけのスポーツでしかない。
そんなものに男たちが没頭している手前、より体の弱い女たちにその姿を倣えなどと
いうのも無理があり過ぎることで、無理にやっても例の宝塚みたいなことにしかならない。
高度な求道行為で、男たちが男でなければ務まらないほど難儀な荒行に邁進し、
その成果を女子供にも回向してかかったりするのは、それとは全く別次元のことで、
それはあくまで精神的肉体的な合理性を追求するものであるために、たとえば
合気道技法などのように健康長寿にもより資するものとなるし、薬物乱用に及びたく
なるような心の貧しさなどもおのずと解消されて行くものとなるのである。
近頃では、日大アメフト部に限らぬ若者のオーバードーズなども問題化しているし、
文科系か体育会系かなどによらず、精神的な貧困もまた危険水域に達していることが多い。
それはネットでもスポーツでもクスリでもなく、壮健な益荒男でもなければ務まらない域の、
合理性を極めや求道やその回向によってのみ埋め合わされ得る、心の隙間なのである。
[YouTubeで再生]
合気道も、出来る人間にはできるが、出来ない人間には全くできないとよく言われる。
「頭を使いながら体の動かし方を工夫する」という取り組みが全くできなくて、
その積み重ねで技法を体得して行く部類の運動が全く手に付かない人種。
それは、座学ばかりに終始して来た文弱のみならず、頭を使わずに体を動かすこと
ばかりに没頭して来た体育会系でも務まらないものであるために、運動が苦手だからとも限らず、
むしろスポーツマンやスポーツ好きのほうがよりとっつきづらいといった傾向も見られる。
しかも、現代の正規教育は文科系であれ体育会系であれ、そういった人種ばかりを増産する
ことを念頭に置いているために、合気道的な体遣いの工夫の適格者もより減っている。
医者や運動機能学者が健康法として人々に教示する体操など、合気道技法と比べれば児戯にも
等しいような低レベルさのものばかりではあるけれども、頭と体を同時に駆使する修練を
子供の頃から怠り抜いている現代人一般のレベルに合わせると、否応なくそうなってしまう。
さような、文武分裂の劣悪な教育の流布による、良質な求道行為への妨害というのもあり、
そのせいで現代日本人なども昔以上に、合理的な体遣いや思考から遠ざかってしまっているもの。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330209.jpg)
「頭を使いながら体の動かし方を工夫する」という取り組みが全くできなくて、
その積み重ねで技法を体得して行く部類の運動が全く手に付かない人種。
それは、座学ばかりに終始して来た文弱のみならず、頭を使わずに体を動かすこと
ばかりに没頭して来た体育会系でも務まらないものであるために、運動が苦手だからとも限らず、
むしろスポーツマンやスポーツ好きのほうがよりとっつきづらいといった傾向も見られる。
しかも、現代の正規教育は文科系であれ体育会系であれ、そういった人種ばかりを増産する
ことを念頭に置いているために、合気道的な体遣いの工夫の適格者もより減っている。
医者や運動機能学者が健康法として人々に教示する体操など、合気道技法と比べれば児戯にも
等しいような低レベルさのものばかりではあるけれども、頭と体を同時に駆使する修練を
子供の頃から怠り抜いている現代人一般のレベルに合わせると、否応なくそうなってしまう。
さような、文武分裂の劣悪な教育の流布による、良質な求道行為への妨害というのもあり、
そのせいで現代日本人なども昔以上に、合理的な体遣いや思考から遠ざかってしまっているもの。
ほとんどの現代人は、自分たちがそのような精神的身体的な劣化工作の被害下にあることに
気付いてすらおらず、文武両道の取り組みが苦手なのも生まれ持っての性分だなどと思い込み、
そんな自分の正当化のために、文武両道なんて大した価値がないなどとすら決めつけてかかる。
世の中全体への、特定の思想信条による征服支配は、別にナチスのように明示的なものとは限らない。
むしろ知らず知らずのうちからそこにからめ取られている場合がほとんどであり、自分ではそんな
干渉も受けずに自由に振舞っているつもりでいながら、多くの良質な選択肢を取り上げられての、
ほとんど一つか二つだけの最低劣な領域にのみくすぶり続けることを強いられていたりするもの。
つまり、「偽りの無為自然による統治」というものもこの世にはいくらでも実在するものであり、
まるで人々になんらの拘束、干渉もしていないような風でいながら、その実徹底的な洗脳支配下に
置いてしまうといった部類の作為までをも排することで初めて、真の無為自然による統治ともなる。
太古の昔から、それはやはり世の中の支配層が自主的に心がけるのでなければまず不可能なことで、
所詮は深くものを考える余裕もなくあくせくと働かされる人生を送らされるしかない被治民などに、
選挙権を与えてまで実現を促したところで、決して実現されるようなことはないものなのである。
気付いてすらおらず、文武両道の取り組みが苦手なのも生まれ持っての性分だなどと思い込み、
そんな自分の正当化のために、文武両道なんて大した価値がないなどとすら決めつけてかかる。
世の中全体への、特定の思想信条による征服支配は、別にナチスのように明示的なものとは限らない。
むしろ知らず知らずのうちからそこにからめ取られている場合がほとんどであり、自分ではそんな
干渉も受けずに自由に振舞っているつもりでいながら、多くの良質な選択肢を取り上げられての、
ほとんど一つか二つだけの最低劣な領域にのみくすぶり続けることを強いられていたりするもの。
つまり、「偽りの無為自然による統治」というものもこの世にはいくらでも実在するものであり、
まるで人々になんらの拘束、干渉もしていないような風でいながら、その実徹底的な洗脳支配下に
置いてしまうといった部類の作為までをも排することで初めて、真の無為自然による統治ともなる。
太古の昔から、それはやはり世の中の支配層が自主的に心がけるのでなければまず不可能なことで、
所詮は深くものを考える余裕もなくあくせくと働かされる人生を送らされるしかない被治民などに、
選挙権を与えてまで実現を促したところで、決して実現されるようなことはないものなのである。
洋学やスポーツ振興による文武分裂の文化的退廃は、
日本だと近代以降、すでに150年以上も続いて来たことであり、
もはや誰しもが生まれた頃にはすでに深刻化していたものである。
それ以前に振興されていたような、文武両道の良質な運動文化や学問文化に
深く親しんだ上で、それらが長年にわたって妨害による凋落を被って来たことまでをも、
歴史の研究などで突き詰めることで初めて、劣悪な運動や学術による文武分裂の
文化退廃に歯止めをかけて行ける人材としての、自らの準備もまた初めて整うもの。
そんなことは、少なくとも世の中の大多数の人間に務まることではないし、
最大級にその機会に恵まれた人間が、有志としての気概を最大限に増幅させることで、
やっと務まるかどうかといった所だし、多数決の選挙などがその助けになることももちろんあり得ない。
要するに、乱世における自力での反正などはまず不可能に等しいことであり、
乱世のほうが「もうこんなのイヤだ!」と音を上げて縋り付いてくる所からぐらいしか、
腐敗を極めた時代の転換というのもあり得ないこと、というわけである。
日本だと近代以降、すでに150年以上も続いて来たことであり、
もはや誰しもが生まれた頃にはすでに深刻化していたものである。
それ以前に振興されていたような、文武両道の良質な運動文化や学問文化に
深く親しんだ上で、それらが長年にわたって妨害による凋落を被って来たことまでをも、
歴史の研究などで突き詰めることで初めて、劣悪な運動や学術による文武分裂の
文化退廃に歯止めをかけて行ける人材としての、自らの準備もまた初めて整うもの。
そんなことは、少なくとも世の中の大多数の人間に務まることではないし、
最大級にその機会に恵まれた人間が、有志としての気概を最大限に増幅させることで、
やっと務まるかどうかといった所だし、多数決の選挙などがその助けになることももちろんあり得ない。
要するに、乱世における自力での反正などはまず不可能に等しいことであり、
乱世のほうが「もうこんなのイヤだ!」と音を上げて縋り付いてくる所からぐらいしか、
腐敗を極めた時代の転換というのもあり得ないこと、というわけである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330213.jpg)
https://news.yahoo.co.jp/articles/3936a48bfeb98f8295703...
この男が大阪府政の改革時に、公営の合気道クラブの存続に難色を示していたのもよく覚えてる。
60、70でもピョンピョン飛び回ってる人たちがいくらでもいる運動クラブに対して、
「なんでこんなものを公費でやらなきゃいけないのか」と。そんな無理解の結果が、
おそらくは医療費の公費負担にも頼っての大怪我の治療であったと。
紛れもなくこの男の信条でもある法治主義と、古流の武芸のような文武両道の運動もまた、非常に相性が悪い。
なぜかというに、ただのスポーツや筋トレはほぼ何も考えずに体を動かすだけだが、武芸は頭も使う上に、
臨機応変に体の使い方を変化させて行く工夫もまた上達のために必要となるから。成文化された法律を
杓子定規に守ってさえいればそれでヨシ!というような怠惰性で凝り固まってしまっているような
者にとっては、並みの人間以上に苦手極まる分野となってしまうものなのである。
ただ、その工夫に工夫を重ねて行く運動こそが60、70の老人にも壮健な運動能力を保たせる一方、
ただの筋トレやスポーツは50やそこらの若僧にも大怪我を負わせるほどの不合理性を帯びている。
文武両道の工夫など到底務まらない心の怠惰の亡者にとってのみ、そうでしかあり得ないだけで、
人間たるもの、本当はそんな低い所ばかりにくすぶってしかいられない生き物ではないのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330214.jpg)
橋下と同じような精神の怠慢を帯びてしまっているが故に、
人間としての可能性を無駄に引き下げてしまっているような人間も非常に多いわけである、
徳治主義の江戸時代などにももちろん法律はあったし、
「十両盗めば斬首」のように、今以上にその取り決めもまた厳酷であったわけだが、
さりとて当時は「法治主義」というものを国是として掲げていた世の中ではなかったから、
そんな状態ならではの怠惰性などが人々に植え付けられるようなこともなく、
誰しもが法律頼みではない工夫、工夫の積み重ねによって社会を営んでいたのである。
確かにそこには、公衆浴場での混浴を何度取り締まってもいつの間にか再開されてるような不法性
もまたそれなりに帯びていたのだが、それ以上に「法律以上」たるための精進もまた多かったのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330215.jpg)
丁稚出身の松下幸之助が実質創始者である終身雇用制が盤石だった頃には、まだ十二分な
カバーもまた方々に遍在し、重労働に相応な昇給昇進なども可能だったのが、ガチガチの
法治主義者である橋下徹が新進気鋭の政治家として持て囃されたりしているような時代ともなると、
そのカバーのほうだけがなくなって、ブラック労働のほうはゴキブリのように生き延びている始末。
法治主義こそがそのような、法律以上の取り組みによるカバーを失った、合法と違法しかない
世の中を招かざるを得ないものであり、エントロピー増大則のような普遍的な物理法則にもよって、
世相を隆盛以上の荒廃ばかりへと追い込んで行くことが免れ得ないものとなってしまう。故に、
法治主義というものを世に対して征服支配的なイデオロギーならしめることも好ましくないのである。
だいたいが法治主義というもの自体、孔子による儒学の体系化よりも前から幾度も繰り返されては、
その問題性が確認されての徳治への修正が繰り返されて来ているものなのに、それも無視して、
むしろ法治主義のほうが革新的なイデオロギーだなどと思い込んで進取する所からして無知の極みだし、
その程度の知見しか持ち合わせていない分際であるが故の失政もまた当然、免れ得ないものである。
近ごろちょっとだけ元気だなあ。
末期の痴ほう老人が寒さも感じなくなってはしゃぎ出すっていう、あれか?
末期の痴ほう老人が寒さも感じなくなってはしゃぎ出すっていう、あれか?
図星だと腹が立つ
大外れだと腹も立たない
大外れだと腹も立たない
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330218.jpg)
ここなどで、人に「認められて嬉しい!」と思われるだけの人間に
自分がなろうともしないまま、他者への非難に及んでいるような連中の、
天に向かって唾を吐いているがごとき不毛さを論じてはいたけれども、
やはり、長年そんな真似を続けて来ておきながら、その痴態さ加減にまったく
気付かないままでいられているような連中の自己欺瞞までは未だに解かれないでいる。
なぜいつまでもその恥ずかしさに気づかないのかというと、
自意識過剰のあまりにまったく自分が見えていないからだ。
あまりにも他者にとって、人の価値をどうこういう能力も資格もないことが明白である
現状の自らの身の程にまったく気づかないままでいればこそ、そんな自分が他者を
非難することに、相手に対して反省や苦悩を促すような効果があるなどと思い込んでいる。
鏡を見て、それが自分だと理解できる鏡映認知能力もないような状態であるが故に、
IQでいえば60未満、チンパンジー未満、知的障碍者なみの知能と化しているのが紛れもない
わけだけれども、そんな人間もまたどこかで常人のフリをして生活しているのが今の日本である。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330219.jpg)
今でも世界の9割以上の人間がその存在も知らないような玉遊びやボードゲームの覇者を
国一、二の大英雄として持て囃したりしているほどにも、人を見る目など皆無でいながら、
そんな自分たちの身の程もわきまえずに選挙制を支持し続けているのが今の大多数の日本人でもある。
「たとえ自分に人を見る目などがないのだろうとも、人を評価せねばならない」というのが、
選挙制を導入している民主主義国の万民にとっての本分であるために、自らの評価能力の低さから
目を背けてかかる部類の自己欺瞞というのも、国を挙げて増強されている状態にあるわけだ。
仮に、人間という生き物の恒常的な知能がIQ60未満の知的障碍者なみであるにも関わらず、
場合によってはIQ100以上にまで引き上げることで健常者のフリをしているような状態もまた、
一種の精神障害であると見なせるのであれば、国を挙げてそれを蔓延させている状態だともいえる。
そういう人間こそはこの国で生きろ、模範的な国民としての誇りを抱けというような欺瞞までをも
国を挙げて流布しているわけだから、それ故に、自らが他者を非難さえすれば、それで相手は
必ず凹むなどと思い込んでいる者もいれば、実際にそれで凹んで自殺までしてしまう者もいる。
これは未熟な民主主義とかではなく、民主主義一般が自明に帯びているイデオロギーとしての病理なのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330220.jpg)
まったく恐れ一つなく猪突猛進であることに特化されているため、
基本的には逃げながらの対応に専念すべきだともいう。
柳生連也「私は飼い主に忠実な犬達なんだなと思ってます」
(以下作品のネタバレ注意)
なるべくなら犬たちには危害を加えたくない一心で、
逃げの一手でいるにもかかわらず、やはり数匹の犬を斬殺してしまいながら、
漸く伊賀者でもある飼い主の元にたどり着き、その首を刎ねた途端に
犬たちはピタリとその攻撃を止め、散り散りに去っていったというお話。
(ネタバレ終わり)
犬はそういう生き物だし、犬並みの品性の持ち主と化してしまっているような、
人としては恵まれない境遇の部類の人種もまた、そうである以上はそうであろう。
「六韜」虎の巻に、あくまで首魁の撃滅に専念せよとあるのも、
きっとそのような乱世ならではの人間心理を突いているからなのだろう。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330222.jpg)
これは、すでに丸々一スレ割いて語り込んだことだから、
もうそれほど長く詳述する気はないが。
人間という生き物には基本、「人を見る目」というものはない。
世界史上最大級の天才である諸葛孔明といえども、
弁舌ばかりに長けて実力のない馬謖を戦線に投入しては大敗を喫させて、
やむなくその責任を取って死なせねばならないような事態に見舞われたことが
あったように、基本、人間という生き物には理想的な人事を実現できるだけの
十分な他者への評価能力などは持ち合わせていないのが普通なのである。
故に、自分が特別無能である場合などに限らず、それなりに人から評価されるような
能力なり地位や資格なりの持主だろうとも、別にだからといって自分に人様の能力を
公正に評価して適材適所に配置する能力があるなどと断じてかかるべきではない。
にもかかわらず、選挙制込みの民主主義は人々に、自らの能力に応じた参政人事権のみならず、
最低劣の無能に至るまでのそれをあえて認めてかかるという暴挙に及んでいるものである。
それでは、最大限に有能な人間が、自らの至らなさを自覚しながら慎重を尽くして
人事に取り組んだ場合とはまさに真逆な、この世の大多数を構成している無能こそが
身勝手な恣意で行使したならではの、最低最悪級の人選が政治で横行するのも必然とのみなる。
「選挙制で政治家に首輪を付けておくのでなければ、プーチンみたいな暴君が生まれてしまう」?
プーチンだって体裁上は選挙制によって政治家であり続けているのだし、
仮にそれが上辺だけの不正な選挙によるのだろうとも、公正な選挙で
イスラエルの首長となったはずのネタニヤフと五十歩百歩である。
公正な選挙によってこそ、カルトの手先が30年にわたって政権を牛耳り続けて来たことが
この日本でも露呈したし、イギリスでも公正な選挙でインド人やムスリムが首相やロンドン市長
になってるし、アメリカでもまた公正な選挙でトランプなんかが大統領に当選しようとしている。
人を見る目などないはずの人間が、その暗愚さを開き直って直接政治家を選んでかかるような、
IQ60未満チンパン未満な知能による為政がついに完全破綻の域に達しつつあるのが、今である。
民主制によって、人を評価する資格などない部類の人間がその権限を行使することを公認して行く
試みもまた、イデオロギーとして劣悪に過ぎるが故に、好ましいだ好ましくないだ以上に、もはや
続けて行こうにも行けない事態に差し掛かっているのが今という時だし、それで共産制やその他の
専制に移行するのが嫌なのだったら、あとはイデオロギーゼロを選択する以外に余地はないのである。
プーチンだって体裁上は選挙制によって政治家であり続けているのだし、
仮にそれが上辺だけの不正な選挙によるのだろうとも、公正な選挙で
イスラエルの首長となったはずのネタニヤフと五十歩百歩である。
公正な選挙によってこそ、カルトの手先が30年にわたって政権を牛耳り続けて来たことが
この日本でも露呈したし、イギリスでも公正な選挙でインド人やムスリムが首相やロンドン市長
になってるし、アメリカでもまた公正な選挙でトランプなんかが大統領に当選しようとしている。
人を見る目などないはずの人間が、その暗愚さを開き直って直接政治家を選んでかかるような、
IQ60未満チンパン未満な知能による為政がついに完全破綻の域に達しつつあるのが、今である。
民主制によって、人を評価する資格などない部類の人間がその権限を行使することを公認して行く
試みもまた、イデオロギーとして劣悪に過ぎるが故に、好ましいだ好ましくないだ以上に、もはや
続けて行こうにも行けない事態に差し掛かっているのが今という時だし、それで共産制やその他の
専制に移行するのが嫌なのだったら、あとはイデオロギーゼロを選択する以外に余地はないのである。
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これの伯父も、金丸と一緒に天皇訪中をゴリ押しして、
皇室にまで中共忖度を強いていたことが外交文書の公開からも発覚してたり。
ろくでもない連中ほど、世襲によってまで中枢権力を代々牛耳りながら、
腐敗の大元凶となっている現状に多くの人々があきれ返るあまりに、
「世襲政治こそは腐敗の元凶、即刻規制せよ!」などとの声もよく聞かれる。
ただ、世襲自体は江戸時代のような平和で安定的かつ政治腐敗が極限まで
排されていた時代にも今以上に盤石であったものだし、時に引責自殺も辞さないような
清廉な権力機構の世襲はかえって良好な結果を招く一方、汚職続きでもだれも責任を
取らないような腐れ切った権力の世襲はただひたすら壊乱を極めるという、
真逆方向への振り切れの法則があることを、前から俺も指摘して来たものである。
世襲を人事の本位とすることによってこそ、「人を見る目など基本、人間にはない」
という普遍法則に即した無理のない人事が実現されて行くものであるが故に、
昔の人々は世間がなるべく世襲で形成されて行くことをより尊んでいたのである。
ただそれはやはり、あくまで権力機構が清廉さを競い合うほどの風潮と共にある場合に限ってのことであり、
腐敗を競い合うような状態ならもはや権力全体を刷新してしまったほうがマシだということにもなる。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330226.jpg)
そんなこともなく、ただ腐敗を競い合う政権が交代するだけに終わるようなことになる。
権力機構が清廉を競い合う状態にあるか、腐敗を競い合う状態にあるかは、
そこに在職している人間の才覚の如何以前に、権力機構全体の構造体質がまず決するものであり、
どんなにひどい汚職を重ねようとも、最大級の引責手段は辞職なんていう状態であろうものなら、
(仮にそこで自殺などしようとも、ただの暴挙扱いで、偉業として評価されたりすることもない)
松平定信なみに清廉な為政者が介入しようとも、その腐敗を引き留められることはないのである。
然れども、引責自殺も辞さないような清廉さを帯びた権力機構が、民主制の体裁をも
両立できるのかといえば、まずそんなことはあり得ない。どうせ自分たち自身は無責任な傍観者
でしかないような民衆が、いざとなれば腹を切って薄皮一枚残して首を落とされるような方々を
上から目線で選ぶなど失礼にもほどがあるし、仮にそんな無礼をあえて強行しようものなら、
選挙への立候補者なども絶無と化してしまうのに違いないから、民主制の政治家というのは、
どうあっても引責辞職程度までしか責任を取らなくていい待遇でしかあり得ないのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330227.jpg)
させた北宋時代以降の中国や朝魚羊が、腐敗まみれの専制なんていう最悪の政情に陥っていたこと
(さらにいえば欧州なども王権神授説頼みで延々と腐敗まみれの専制であり続けていたこと)
を思えば、それよりはまだ腐敗まみれの民主制のほうがマシなのではないかとも思われがちである。
ただ、民主制は上記のような理由で、政治機構が恒常的に腐敗状態でしかあり得ない一方、
引責自殺を競い合うような制度上からの構造改革によって、それを予防することも事実可能であり、
残念ながらそれは民主制などと共にはまず成り立ち得ないものであるという現実があるのみである。
江戸時代の日本や漢代の中国並みに、権力機構が構造面から腐敗を予防して行く徹底さを
帯びることを担保として民主制を廃し、仮にその構造が瓦解するようなら、民衆による新たな
体制革命も可とするのが、今以上に政治腐敗が予防されて、なおかつその弊害が排される最善の
選択肢となることであろう。なんのことはない、古来の世界史上にままあった慣例ではあるが。
(無論、西欧などごく一部の辺境地域では歴史上、そのような事例が皆無でもあったわけだが)
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330228.jpg)
江戸時代などもまた、何度も混浴場が禁止されては勝手に横行するようなユルさでいながらも、
平民が公職者たる武士に土下座させられるほどにも官民の上下関係が徹底されていた側面も
あったことを以て、ひとからげに旧態依然とした専制のうちに入れて済ませられるのが現状である。
ただ、官民の上下関係が民主化によってなくなったからといって、この世からあらゆる上下関係が
なくなったなんてことは決してなく、むしろお上が非道な派遣労働の斡旋(口利き)などを
固く禁じて取り締まっていた江戸時代など以上にも、民間での上下関係は極大化し、
企業内での上司と部下、大企業と中小企業などの間での格差は天地の如く開き、
今しがたもトヨタの横暴に振り回されてのダイハツの大不正が発覚したが如き、
民間での昔以上に絶大な腐乱を来たしているのが、昨今の日本の実情である。
だから、俺も皮肉を込めて、今という時代を「民間封建制の時代」などと前から称しているもの。
民主化が別に人間社会の本質的な平等化なんかに貢献したなんてことは全くなくて、ただ、
差別構造が官民間から民間一本に絞られた上に、総合的な差別度はむしろ増したぐらいのものである。
ゆえに、仮に今の日本社会から民主制が撤廃される代わりに、江戸時代並みに民間での差別構造が
公職者によって厳重に取り締まられるーーなおかつ公職者たちもまた清廉潔白、清貧を旨とする
世の中へと移行するのであれば、それが専制への逆戻りになるなどとは、少なくとも俺は認めない。
日本以上に民主主義の先進国であるアメリカや英仏などを含め、この世の中において民主制が、
少なくとも江戸期の日本などよりも世の中の平等化を実現したなどということは全くなくて、
むしろ所得格差や学歴やそれに基づく代々の血筋からの差別度はより拡大してしまったうえに、
底辺層には家族を築いて一人前の人生を歩んで行く程度の待遇すら保証されないという、
どこを見ても完全によりひどい差別構造を蔓延させてしまっただけなのだと結論付ける外ない。
だからこそ、民主制の撤廃がほんの少しだって、人間社会の平等化にとっての退歩になるなどと
認めることもできない。無論、民主制なみにひどい差別構造を世の中にもたらす専制なども実在する
といえども、それこそ民主制との五十歩百歩、目糞鼻糞であって、人間社会を司る体制としての
品質面で最低最悪級のド底辺からの脱却のためには、その両方からの卒業が必須となるのである。
公職者によって厳重に取り締まられるーーなおかつ公職者たちもまた清廉潔白、清貧を旨とする
世の中へと移行するのであれば、それが専制への逆戻りになるなどとは、少なくとも俺は認めない。
日本以上に民主主義の先進国であるアメリカや英仏などを含め、この世の中において民主制が、
少なくとも江戸期の日本などよりも世の中の平等化を実現したなどということは全くなくて、
むしろ所得格差や学歴やそれに基づく代々の血筋からの差別度はより拡大してしまったうえに、
底辺層には家族を築いて一人前の人生を歩んで行く程度の待遇すら保証されないという、
どこを見ても完全によりひどい差別構造を蔓延させてしまっただけなのだと結論付ける外ない。
だからこそ、民主制の撤廃がほんの少しだって、人間社会の平等化にとっての退歩になるなどと
認めることもできない。無論、民主制なみにひどい差別構造を世の中にもたらす専制なども実在する
といえども、それこそ民主制との五十歩百歩、目糞鼻糞であって、人間社会を司る体制としての
品質面で最低最悪級のド底辺からの脱却のためには、その両方からの卒業が必須となるのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330230.jpg)
大金持ちの民間人といえども下士の株を買って底辺の武家になることぐらいしか
許されていなかったのは、特にその辺の問題を偏向的に描き立てている反幕系の
創作が多い、坂本龍馬関係の情報に詳しい人間などがよく知るところだろうが。
そのような、官民の絶対的な上下関係が撤廃された今は、どうであろう?
政官に誰でも好きに介入できる体裁となり、実際に田中角栄みたいな、血筋も学歴もド底辺な
新潟人までもが首相になれるようになった時代にも、政治家なんてただ批判されるばかりで、
割に合わない立場だからと、まともな判断力の持主ほど寄り付かず、官僚も激務のわりに
稼げないからと、大企業の重役などよりもあえてやる価値などない職分扱いされている始末。
結局、官民の体裁上からの断絶などがあろうがなかろうが、政官なんぞなるべくなら誰も
請け負いたくもない立場であることには変わりなく、ただ、断絶の上での公職者への高い地位や
名誉が保証されていた時代には、それ相応の責任を背負って職務に取り組もうとする君子士人もまた
いた一方で、民主化の時代にはそれが丸ごと撤廃され、誰もやりたがらない仕事を嫌々やる上に、
不祥事を起こそうが誰も責任も取らないという、完全下位互換の政府人事のみが招かれたのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330231.jpg)
済まない所もあるから(儒学や仏学を本分としていた時代の公人にも当然、それ以上の知能があった)、
どちらにしたって、世襲込みでもなければできる人間がいなくなってしまうのも同じことで、ただ、
政官に地位と名誉のあった時代には、責任意識の高さと共に世襲されていた一方、民主制の時代には、
どうやって責任を逃れるかを模索する卑屈さばかりと共に世襲が繰り返されているという相違がある。
そこで世襲される血筋もまた、大脳の前頭葉に良質な知恵が蓄積されることに長けた血筋だったり、
側頭葉で悪知恵を凝らすことに長けた血筋だったりして、遺伝子面からもまったく別の生き物となる。
都合の悪いことはすぐに忘れて、心の底から「記憶にございません!」と答弁できるようになるために、
前頭葉の長期記憶能力は人並み以上に萎縮したりと、人として常人未満な負の能力開発込みでの世襲が
繰り返された結果、ちょっとその辺にはいないような兇徒ばかりがそこに代々駐在する血筋になったりと、
負の世襲は紛れもなく権力腐敗をより盤石ならしめる元凶となるために、当然排されるべきには違いないが、
そこだけを排しようたってまず無理なほどに、その時点ですでにその政府はまず手遅れと化しているのである。
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所詮はその東大が洋学の教育機関止まりでしかないのだから、
逆に、それだけではまだ為政者の資質として不足とすらいえるものである。
洋学の試験勉強などは、ほぼ大脳の側頭葉だけで済ませられる所があるから、
側頭葉だけは並外れて発達しているような、偏った脳構造の人種ばかりが長ずることとなる。
(そのため試験が終われば勉強したことをゴッソリ忘れてしまったり、
「一切記憶にございません」の責任逃れ系忘却能力に秀でたりもする)
儒学や仏学の体得級の勉強のためには、死ぬまで忘れることがない前頭葉の長期記憶域に
その教えをしっかりと刻み付けて行く必要があるために、そんな人種にはまず務まらないもの。
なおかつ、世の中には側頭葉での悪巧みを凝らすような悪党もまた絶えないものだから、
儒仏の教えを現実社会の統治のために有効活用する上では、そんな連中を上回るほどの、
側頭葉の稼働能力もまた用心として持ち合わせておくのでなければならない。
(そのため古来の仏門も、あらゆる学問への通暁者を入門資格者としていたのである)
つまり、洋学の勉強止まりなら、側頭葉頼みのカタワな脳活用だけでも済むが、
儒学や仏学のような正学の勉強のためには、脳のフル活用が本当に必要になるということ。
それは、脳の使い方がヘタな人間にとっては難儀で受け付け難いこととなるが、
逆言すれば、正しい脳の使い方の修練を通じて精神の障害を克服、予防して行く手立てともなる。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330233.jpg)
おそらくは当人もまたいうほど脳の使い方がうまいわけではなく、ただ洋学の試験勉強には
大変向いている部類の、側頭葉活性型の人種ではあったのだろうとは見受けられる。
そのために、誰でも努力さえすれば東大ぐらい入れるように自分尺度では思われるけれども、
そもそもが大学の入学試験なんてもの自体が相対評価で、受かる人間もいれば落ちる人間も
いるように調整されるものである上に、この世の中には側頭葉の活用にかけてはさほど秀でて
いないような部類の人間もまたいくらでもいて、そういう人々にとっては、洋学の試験勉強だけは
どんなに努力したところで落とされる側に回される他ない、諦めの対象となってしまうのである。
別に、そういう人間が必ずしもあらゆる面で東大生よりも格下だなんてわけでもなく、
側頭葉以外の脳の部位の活用能力ではより秀でていて、ある種の分野で秀でることもあるし、
そうでなくたって脳の使い方が特別、東大生などよりも劣っているとも限らないのである。
側頭葉であれ後頭葉であれ、右脳であれ左脳であれ、脳の活性域が偏っているような人間は
所詮、脳の扱い方がヘタな人間である点では同じ穴の狢で、件の東大出身アイドルなども、
自分もまたその範疇の人種でしかないからこそ、勉強で努力できない部類の人間を嫌悪するような、
他者の個人事情を十分に推し量ることも出来ない心の余裕のなさのままでいるのである。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330234.jpg)
学生たちに極端な側頭葉のフル活用ばかりを強いるあまりに、
そこまでの側頭葉の活用なんかを必要ともしない世の中の大多数の仕事に対して、
学生たちを無能なままで置かせる上に、そんなままで世の中の支配層に居座ることで
無闇に世の中をひっかき回し、世の中を余計にダメにさせるような事態ばかりを招いている。
江戸時代に佐幕派の武士だった人々の多くは、渋沢栄一が興した傾倒の実業系企業や、
ヤマハのような技術系企業でも辣腕を発揮していたように、側頭葉だけに限らない、
脳のフル活用を儒学や仏道や武芸の修練などによって心がけているようであれば、
それがそのまま各種の社会的な実務にかけての高い能力にも結実するものである。
ただ、そこまで潤沢な教育、修練の機会に恵まれる人間というのは、やはりどうしても
世の中の少数派に限られるもので、江戸時代といえども百姓は側頭葉が弱くて前頭葉が強い、
町人や庄屋は前頭葉が弱くて側頭葉が強いとかいった脳機能の偏りがあったのである。
高度情報化の時代といえども、そういった傾向は変わらないどころか、
むしろ脳のフル活用の能力者など高学歴に至るまで減少の限りを尽くしていて、
ネットの普及も少しだってその後押しにもなっていないと断じる外ないのである。
現状においても、脳のフル活用に長ける万能超人の増産なんてのは夢のまた夢
でしかないとした上で、偏った脳機能の持ち主に対しては適材適所への順応を尽くし、
そのうえで副次的にフル活用の達者の増員にもまた取り組んで行くようにするしかない。
ただ気を付けるべきなのは、世の中の支配層にまで側頭葉偏向型の人種などが群がろうものなら、
今の世の中のような閉塞からの衰亡が免れ得ない実情をも反面教師として、権力機構には
なるべく脳機能の偏りの持主などを寄せ付けず、万能超人級のマインドフルネスの会得者が
そこに携わるのであればこの上なし、そこまで行かずとも、特定の脳機能偏向型の人間ばかりに
世の中が支配下に置かれ続けるような事態だけは避けるように取り組んで行くべきなのである。
特に、側頭葉偏向型の人間というのは、他人種よりも悪巧みの能力に長ける場合が多いために、
権力腐敗の元凶になりがちなものだから、そういう人種のわりことしに歯止めをかけるために、
人々の虚栄欲をできる限り抑え込んで行くための、知足の教育なども充実させて行くべきである。
成熟した人間社会というものには、悪党の蠢動もまた付き物であるために、それらによる破滅級の
侵害を防ぎ、その先に特定の思想信条なんかが絶対的な支配者などにはならない、無為自然本位の
世の中をもたらそうとする上でも、やはり相殺目的の作為が必要となるものである。だからこそ、
より積極的な虚静志向である仏道が、無為自然そのものを尊ぶ道家より広く振興されて来たのでもある。
でしかないとした上で、偏った脳機能の持ち主に対しては適材適所への順応を尽くし、
そのうえで副次的にフル活用の達者の増員にもまた取り組んで行くようにするしかない。
ただ気を付けるべきなのは、世の中の支配層にまで側頭葉偏向型の人種などが群がろうものなら、
今の世の中のような閉塞からの衰亡が免れ得ない実情をも反面教師として、権力機構には
なるべく脳機能の偏りの持主などを寄せ付けず、万能超人級のマインドフルネスの会得者が
そこに携わるのであればこの上なし、そこまで行かずとも、特定の脳機能偏向型の人間ばかりに
世の中が支配下に置かれ続けるような事態だけは避けるように取り組んで行くべきなのである。
特に、側頭葉偏向型の人間というのは、他人種よりも悪巧みの能力に長ける場合が多いために、
権力腐敗の元凶になりがちなものだから、そういう人種のわりことしに歯止めをかけるために、
人々の虚栄欲をできる限り抑え込んで行くための、知足の教育なども充実させて行くべきである。
成熟した人間社会というものには、悪党の蠢動もまた付き物であるために、それらによる破滅級の
侵害を防ぎ、その先に特定の思想信条なんかが絶対的な支配者などにはならない、無為自然本位の
世の中をもたらそうとする上でも、やはり相殺目的の作為が必要となるものである。だからこそ、
より積極的な虚静志向である仏道が、無為自然そのものを尊ぶ道家より広く振興されて来たのでもある。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330236.jpg)
なくなったからここに返答を書いとくが。
もちろん、「新作ゴジラの作者が俺のアイデアをパクりやがった!」
なんていう誇大妄想の話ではなく、あの映画のシナリオに相当するようなものを
俺が先に思いついたなんてこともなければ、夢にも思い描いたことはない。
ただ、現代のエンタメといえども、電通案件や製作委員会方式の呪縛から免れて、
より面白いものを作ろうとなれば自然と、おまえらの好き好むような悪趣味から
かけ離れてみた分だけ、俺の好みに少なからず近づく側面がある、というだけのこと。
だいたいが、俺が産まれる前に作られた時代劇や歌舞伎なんかにも、
俺好みの作劇なんていくらでもあるわけだし、そちらに近づけた可能性はもちろんある。
「鬼平犯科帳」にも、鬼平の初恋相手が盗賊に手籠めにされた挙句、
自分も盗賊の一味になって、捕まって島流しにされる話なんかがあるし、
「女もひどい目に遭え」「悪いことをしたら懲らしめる」というのも、
別に俺のオリジナルな発想ではなく、ハードボイルド系の勧善懲悪劇の定石として、
昔からそれなりに観られて来たものでもある。
![](http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/img2/17000418330238.jpg)
ひろゆき「日本の大学入試は戦士に”かしこさ”のテスト、魔法使いに”つよさ”のテストをしてる」
http://news4wide.net/article/posttime-202312250845....
言いたいことはまずまず俺と同じなんだろうけど、実際はもっとひどい。
誰しもに実用性のない勉強ばかりを強いて、世の中を無能であふれ返らせるような
真似にまで及んでいるのだから、適材適所に反しているどころで済む話でもない。
生きて行くうえで何の価値もないような勉強ばかりを強いられた結果、その憂さ晴らしのために
大学も飲んで遊ぶのが主目的な「人生の休日の場」となり、大学に通う上でほぼ唯一の実利
ともなる、コネ作りによる人脈のスクラムだけはダイヤモンドのようにガッチリと固められて、
学閥による利権の奪い合いや寡占が過当競争化しての、社会の閉鎖性もまた深刻化させる始末。
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スレッドタイトル:この世で最高の"イデオロギー"は「無為自然」である