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この世で最高の"イデオロギー"は「無為自然」である 偉大なる生存の報告 Part313
▼ページ最下部
思想哲学宗教一般としては、仏教などのほうが優れた側面があるし、
体系的な政治思想としても、儒学などのほうが資料豊富で勉強のし甲斐があるが。
ことに、自由主義や民主主義や独裁主義や資本主義や共産主義のように、
世の中全体を司る役割を担わせるイデオロギーとしては、
老子荘子列子のような道家が謳っている「無為自然」が最も優れているといえる。
言い換えれば、世の中を作為的なイデオロギーによって支配しようなどとすること
自体を放棄してかかる、アンチイデオロギズムこそが最も優れているともいえる。
いま世界最高の理想として欧米が無制限に推し進めようとしている
自由主義や民主主義なども、カタにはまった秩序の中で生活を営んだり、
求道的な修練に取り組んだりしたい人々にとっては、かえって邪魔にしかならない。
一方で、社会秩序こそを最優先しようとして、共産主義や独裁主義のほか、
儒教を絶対的な国の支配原理に据えた場合などでも、酷刑の乱発や
被差別民の増大のような問題性を来たしてきたものである。
仏教を無上の支配原理に据えた東南アジア諸国なども、自国の平和は確立された一方で、
文明発展が滞り、諸外国からの侵略支配をほしいままにするような問題を招いたもの。
この世の全てを司るイデオロギーなんてものは、そもそもないのが一番であり、
神仏儒など多くの思想信教に司られながらも、唯一無二に絶対的な支配原理たる
イデオロギーなんてものは別になかった、昔の日本のようであるのが理想なのである。
体系的な政治思想としても、儒学などのほうが資料豊富で勉強のし甲斐があるが。
ことに、自由主義や民主主義や独裁主義や資本主義や共産主義のように、
世の中全体を司る役割を担わせるイデオロギーとしては、
老子荘子列子のような道家が謳っている「無為自然」が最も優れているといえる。
言い換えれば、世の中を作為的なイデオロギーによって支配しようなどとすること
自体を放棄してかかる、アンチイデオロギズムこそが最も優れているともいえる。
いま世界最高の理想として欧米が無制限に推し進めようとしている
自由主義や民主主義なども、カタにはまった秩序の中で生活を営んだり、
求道的な修練に取り組んだりしたい人々にとっては、かえって邪魔にしかならない。
一方で、社会秩序こそを最優先しようとして、共産主義や独裁主義のほか、
儒教を絶対的な国の支配原理に据えた場合などでも、酷刑の乱発や
被差別民の増大のような問題性を来たしてきたものである。
仏教を無上の支配原理に据えた東南アジア諸国なども、自国の平和は確立された一方で、
文明発展が滞り、諸外国からの侵略支配をほしいままにするような問題を招いたもの。
この世の全てを司るイデオロギーなんてものは、そもそもないのが一番であり、
神仏儒など多くの思想信教に司られながらも、唯一無二に絶対的な支配原理たる
イデオロギーなんてものは別になかった、昔の日本のようであるのが理想なのである。
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(>>39の続き)
ただ、そのような極度の武断主義者たちによって、元寇と共に日本社会の儒教一色化が
防がれたし、朱子学を重んずる徳川家康が江戸幕府を開いて泰平の世を実現した後にも、
信仰的な儒教に支配された明清時代の中国や李氏朝魚羊が極度の政治腐敗に陥っていた
のとは裏腹に、切腹や斬り捨て御免のような武家ならではの勇壮なたしなみによって、
政治腐敗による壊乱を決して許さない世相を守り続けることができたのである。
武家時代は当然、武家が日本全国を支配下に置いていた時代ではあるけれども、
鎌倉期から室町期にかけては、熾烈な勢力争いが繰り返され続けることを通じて、
世の中全体が特定のイデオロギー的な支配に染め上げられることが避けられたし、
(中華属国の国王として全国に君臨しようとした足利義満の試みなども挫かれた)
そこで醸成されていた修羅道寄りの武士道と、人道寄りの朱子学の両道的な拮抗によって、
江戸時代の日本が儒教のドグマ的な支配下に置かれることもなくて済んだのだった。
あくまで、国を司るイデオロギー的なものが中空であり続けられた背景にはやはり、
万世一系の皇統をいただく朝廷や神道の、体裁程度だけでもの存続が欠かせなかったものだし、
そこにまで官位からの干渉を試み始めていた織田や豊臣が覇権を握り続けようものなら、
国が一党独裁的なイデオロギー支配に陥ることにもなってしまっていたかもしれない。
信長秀吉を家康公以上に敬愛する人間が多い今日なども、それに近い危機を帯びているものである。
ただ、そのような極度の武断主義者たちによって、元寇と共に日本社会の儒教一色化が
防がれたし、朱子学を重んずる徳川家康が江戸幕府を開いて泰平の世を実現した後にも、
信仰的な儒教に支配された明清時代の中国や李氏朝魚羊が極度の政治腐敗に陥っていた
のとは裏腹に、切腹や斬り捨て御免のような武家ならではの勇壮なたしなみによって、
政治腐敗による壊乱を決して許さない世相を守り続けることができたのである。
武家時代は当然、武家が日本全国を支配下に置いていた時代ではあるけれども、
鎌倉期から室町期にかけては、熾烈な勢力争いが繰り返され続けることを通じて、
世の中全体が特定のイデオロギー的な支配に染め上げられることが避けられたし、
(中華属国の国王として全国に君臨しようとした足利義満の試みなども挫かれた)
そこで醸成されていた修羅道寄りの武士道と、人道寄りの朱子学の両道的な拮抗によって、
江戸時代の日本が儒教のドグマ的な支配下に置かれることもなくて済んだのだった。
あくまで、国を司るイデオロギー的なものが中空であり続けられた背景にはやはり、
万世一系の皇統をいただく朝廷や神道の、体裁程度だけでもの存続が欠かせなかったものだし、
そこにまで官位からの干渉を試み始めていた織田や豊臣が覇権を握り続けようものなら、
国が一党独裁的なイデオロギー支配に陥ることにもなってしまっていたかもしれない。
信長秀吉を家康公以上に敬愛する人間が多い今日なども、それに近い危機を帯びているものである。
創価系のアンチは消沈状態な一方で、統一系と国賊神道系は居残り。
どこと言わず、日本中のカルト勢力が総攻撃を仕掛けていたのだと知れる。
どれだけ法人税免除で美味い思いをして来たものか。
子供の落書きのようにつたない信仰自体はともかくとして、
銭ゲバのための必死さまでをも見くびってはなるまい。
どこと言わず、日本中のカルト勢力が総攻撃を仕掛けていたのだと知れる。
どれだけ法人税免除で美味い思いをして来たものか。
子供の落書きのようにつたない信仰自体はともかくとして、
銭ゲバのための必死さまでをも見くびってはなるまい。
思えば創価学会も、仏教勢力として確信的に国家権力に干渉して来たあたりが、
東大寺や比叡山や一向宗を上回るほどのアンチイデオロギーゼロっぷりだったな。
それを可能とした背景には、宗教団体への一律な法人税免除という悪法がある。
近世までの日本においては、肉食妻帯金儲けも一切断ち切っての戒律厳守で、
山寺での精進修行に励むような仏門宗派に限って免税特権を付与した一方、
その条件を満たさないような宗派に対しては普通に税金を課していたのだが。
(創価源流の日蓮宗は両方いたのでそれぞれに相応な税制が講じられていた)
政教分離なんてものを政治理念として掲げた所で、あらゆる宗教団体が宗教というだけで
免税措置を受けられるような状態では、まともな戒律や精進修行もないような世俗主義の
宗派ほど金満で肥え太り、直接間接織り交ぜての政治干渉に及んでくることが避けられない。
必要なのはそんな机上の空論を掲げることではなく、宗教団体なんかが政治権力に
干渉するような真似が原理的に不可能となるような、税制からの実力行使を講じることである。
それでこそ、国是がイデオロギーゼロであることもまた守られるのに違いないのだし。
東大寺や比叡山や一向宗を上回るほどのアンチイデオロギーゼロっぷりだったな。
それを可能とした背景には、宗教団体への一律な法人税免除という悪法がある。
近世までの日本においては、肉食妻帯金儲けも一切断ち切っての戒律厳守で、
山寺での精進修行に励むような仏門宗派に限って免税特権を付与した一方、
その条件を満たさないような宗派に対しては普通に税金を課していたのだが。
(創価源流の日蓮宗は両方いたのでそれぞれに相応な税制が講じられていた)
政教分離なんてものを政治理念として掲げた所で、あらゆる宗教団体が宗教というだけで
免税措置を受けられるような状態では、まともな戒律や精進修行もないような世俗主義の
宗派ほど金満で肥え太り、直接間接織り交ぜての政治干渉に及んでくることが避けられない。
必要なのはそんな机上の空論を掲げることではなく、宗教団体なんかが政治権力に
干渉するような真似が原理的に不可能となるような、税制からの実力行使を講じることである。
それでこそ、国是がイデオロギーゼロであることもまた守られるのに違いないのだし。
俺が色々、批判的なことを言った時に、
「おまえはそれ以下www」と反発してかかる論法を、
おまえらも数限りなく積み重ねて来たものだが。
それもまた、悪因苦果による苦悩の原因になって来たものだな。
俺のことが怖くて恐くて仕方がなくなるほどもの。
そのような細密な人間心理全般への配慮もまた、
放辟邪侈を至上と見なす、自由主義というイデオロギーの
誰しもへの強制を通じて、損なわれて来たものだなあ。
人様をどこまでも見下してかかる自由の行使で、自分までもが
それ並みに見下されることへの恐怖を際限なく募らせての苦悩とか。
イデオロギーゼロの常人なら始めから抱くこともないような
苦悩までもが、自由主義というイデオロギーによって付与される。
未熟者の自滅行為まで許すような心理的自由への、世を挙げての抑止なども、
それを犯してしまいかねないような連中のためにあって然るべきなのだが。
こういうこと話すとアカの思想改造とかにからませての難癖が容易に
想定される輩でもあることだし、自由主義の副作用もまた生半可なものではないな。
「おまえはそれ以下www」と反発してかかる論法を、
おまえらも数限りなく積み重ねて来たものだが。
それもまた、悪因苦果による苦悩の原因になって来たものだな。
俺のことが怖くて恐くて仕方がなくなるほどもの。
そのような細密な人間心理全般への配慮もまた、
放辟邪侈を至上と見なす、自由主義というイデオロギーの
誰しもへの強制を通じて、損なわれて来たものだなあ。
人様をどこまでも見下してかかる自由の行使で、自分までもが
それ並みに見下されることへの恐怖を際限なく募らせての苦悩とか。
イデオロギーゼロの常人なら始めから抱くこともないような
苦悩までもが、自由主義というイデオロギーによって付与される。
未熟者の自滅行為まで許すような心理的自由への、世を挙げての抑止なども、
それを犯してしまいかねないような連中のためにあって然るべきなのだが。
こういうこと話すとアカの思想改造とかにからませての難癖が容易に
想定される輩でもあることだし、自由主義の副作用もまた生半可なものではないな。
「自由」という言葉は本来、禅語で、
イデオロギーとしての自由主義が殊更に物質的な自由ばかりを
追い求めているのとは逆に、禅門における自由は、人間精神そのものの自由自在さを、
物質的な自制などと共に克ち得て行くことだと、これまでに何度が論じたことがあるのだが。
人間精神、心そのものもまた、ただひたすら無鉄砲に自由であろうなどとしたところで、
ADHD的な差し障りを帯びて、「止まる自由」を損ねてしまうといった弊害を帯びるもの。
所謂スポーツという運動体系なども、ことさらに「動く運動」ばかりを競うものであるために、
その手の運動に秀でる人間はみなADHD系の性向を帯びて、よく立ち止まって深くものを考える
能力を損ねるのみならず、しっかりと自分自身がひとところに止まって狙いを定めるような、
「止まる運動」にかけても人並みより劣ってしまうような弊害を帯びてしまうものである。
(各種のスポーツ運動に秀でる黒人が、狙いを定める動きの多い軍事行動には秀でないように)
それと同じように、心もまた動くことの自由ばかりを追い求めれば、止まることの自由が
蔑ろにされて人並み以下に陥るという現象が付き物であるために、心の自由の追求のためにこそ、
心そのものの動きをあえて制止してかかるような、制限的な取り組みが必要ともなるのである。
イデオロギーとしての自由主義が殊更に物質的な自由ばかりを
追い求めているのとは逆に、禅門における自由は、人間精神そのものの自由自在さを、
物質的な自制などと共に克ち得て行くことだと、これまでに何度が論じたことがあるのだが。
人間精神、心そのものもまた、ただひたすら無鉄砲に自由であろうなどとしたところで、
ADHD的な差し障りを帯びて、「止まる自由」を損ねてしまうといった弊害を帯びるもの。
所謂スポーツという運動体系なども、ことさらに「動く運動」ばかりを競うものであるために、
その手の運動に秀でる人間はみなADHD系の性向を帯びて、よく立ち止まって深くものを考える
能力を損ねるのみならず、しっかりと自分自身がひとところに止まって狙いを定めるような、
「止まる運動」にかけても人並みより劣ってしまうような弊害を帯びてしまうものである。
(各種のスポーツ運動に秀でる黒人が、狙いを定める動きの多い軍事行動には秀でないように)
それと同じように、心もまた動くことの自由ばかりを追い求めれば、止まることの自由が
蔑ろにされて人並み以下に陥るという現象が付き物であるために、心の自由の追求のためにこそ、
心そのものの動きをあえて制止してかかるような、制限的な取り組みが必要ともなるのである。
故に、禅門において追求されている心の自由の獲得のために、
殊更に精神の放逸ばかりが認められるなどということもなく、
そういった「動く自由」こそを心の自由の全てだなどと思い込んでいる人間からすれば、
心そのものに抑制をかけて行くように思える精進修行までをも強いられることになるわけである。
それこそ、イデオロギーの自由主義によって、自由一般への渇望を過度に滾らせた
人間のみならず、自由主義などに世の中が覆われていない社会の人間といえども、
大多数がその自得はおろか、自得に取り組むことすらままならぬ部類の自由ともなる。
なぜなら、人間という生き物の大多数は、働きアリや働きバチのような労働によって
動き回り続けることを強いられることを通じて、人間社会というものもまた成り立っているが故に、
その内側に取り込まれている大多数の人間は決して、「止まる自由」の十分な享受には与れないからだ。
そのため、止まる自由と動く自由、両面における最大級の心の自由の獲得を追求する
禅門の取り組みなども、本当は誰しもが心がけて然るべきものであるにもかかわらず、
世の中のほとんどの人間はまともに付き合うこともできない領域の存在であることを自覚して、
社会全体への征服的な野心などは、道元禅師などと同じように棄ててかからねばならないのである。
殊更に精神の放逸ばかりが認められるなどということもなく、
そういった「動く自由」こそを心の自由の全てだなどと思い込んでいる人間からすれば、
心そのものに抑制をかけて行くように思える精進修行までをも強いられることになるわけである。
それこそ、イデオロギーの自由主義によって、自由一般への渇望を過度に滾らせた
人間のみならず、自由主義などに世の中が覆われていない社会の人間といえども、
大多数がその自得はおろか、自得に取り組むことすらままならぬ部類の自由ともなる。
なぜなら、人間という生き物の大多数は、働きアリや働きバチのような労働によって
動き回り続けることを強いられることを通じて、人間社会というものもまた成り立っているが故に、
その内側に取り込まれている大多数の人間は決して、「止まる自由」の十分な享受には与れないからだ。
そのため、止まる自由と動く自由、両面における最大級の心の自由の獲得を追求する
禅門の取り組みなども、本当は誰しもが心がけて然るべきものであるにもかかわらず、
世の中のほとんどの人間はまともに付き合うこともできない領域の存在であることを自覚して、
社会全体への征服的な野心などは、道元禅師などと同じように棄ててかからねばならないのである。
ビートたけし、年金額の低さに不平
https://sirabee.com/2023/11/19/20163199968...
近頃この人は、芸人なのに面白いことを言おうとすらしなくなって、
(だいぶ前からフガフガ言うだけで何も面白くないとは言われてたが)
殊更に世の中への不平を垂れ流すような真似ばかりになってしまってる。
いい加減、大脳新皮質が死に絶えて、ユーモアの思いつきようも
なくなってしまったのかも知れないが、ただ今いってるような不平不満も、
一応は自分だけでなく、芸能界なり世の中全体なりを憂えて言って
いることだという程度の義侠心は保とうとしているようでもある。
それにしたって、本人の世代である団塊特有の見識の狭さの範囲でしか
ものを考えられないせいで、今の老人にとっての年金の少なさや、
芸能界内の待遇の悪さみたいな、世の中全体からすればごく一部の利益のための
問題性を取り上げるにとどまり、老人や芸能界の優遇のためにより
酷い思いをさせられているような人々にまでは配慮が及ばないままでいる。
https://sirabee.com/2023/11/19/20163199968...
近頃この人は、芸人なのに面白いことを言おうとすらしなくなって、
(だいぶ前からフガフガ言うだけで何も面白くないとは言われてたが)
殊更に世の中への不平を垂れ流すような真似ばかりになってしまってる。
いい加減、大脳新皮質が死に絶えて、ユーモアの思いつきようも
なくなってしまったのかも知れないが、ただ今いってるような不平不満も、
一応は自分だけでなく、芸能界なり世の中全体なりを憂えて言って
いることだという程度の義侠心は保とうとしているようでもある。
それにしたって、本人の世代である団塊特有の見識の狭さの範囲でしか
ものを考えられないせいで、今の老人にとっての年金の少なさや、
芸能界内の待遇の悪さみたいな、世の中全体からすればごく一部の利益のための
問題性を取り上げるにとどまり、老人や芸能界の優遇のためにより
酷い思いをさせられているような人々にまでは配慮が及ばないままでいる。
後期高齢者になるまで休む間もなく働き詰めて来た者ともなれば、
天才扱いの億万長者といえども、しっかりと立ち止まって、全体に視野を
行き渡らせて考慮を働かせられるような、心の自由にまでは与れないもの。
天才でも金持ちでもなければなおのことで、世の中の大多数の人間はいつの時代も、
進むも止まるも思いのままな心の自由などには十分に与れないままに終わる。
それ故の暴走による破綻を食い止めるための有志こそが、特別に禅門などでの
最大級の心の自由の会得にも取り組むべきなのであり、誰しもが取り組むべきとか、
誰も取り組む必要などないとかの一つ覚えで片づけてはならないのである。
天才扱いの億万長者といえども、しっかりと立ち止まって、全体に視野を
行き渡らせて考慮を働かせられるような、心の自由にまでは与れないもの。
天才でも金持ちでもなければなおのことで、世の中の大多数の人間はいつの時代も、
進むも止まるも思いのままな心の自由などには十分に与れないままに終わる。
それ故の暴走による破綻を食い止めるための有志こそが、特別に禅門などでの
最大級の心の自由の会得にも取り組むべきなのであり、誰しもが取り組むべきとか、
誰も取り組む必要などないとかの一つ覚えで片づけてはならないのである。
ビートたけしもそうである団塊世代には、左翼老人が多く、
野人のような粗暴さでいながら、米軍基地建設反対などの、
平和主義を掲げた運動に多く勤しんできているわけだが。
団塊こそは、心の動きが激しすぎてろくに止まっていられない、
ADHD系の比率が最も高い部類の戦後世代でもあることだし、
黒人などとも同様、体育会系でいながらミリタリーは性に合わない、
苦手だという人種がその大部分を占めているものである。
それ自体があまり悪いことのようには思われないかも知れないが、
「平和を愛するから」ではなく、「軍事が嫌いだから」という理由で、
平和主義的な運動に取り組んでいるだけの人間の挙げられる功績なんてのも
たかが知れたもので、実際問題、軍事も多く絡む国際問題の現実などを
まともに直視もしないままでの盲目な平和への訴えなどがかえって、
米中北の対立などを後押ししたり、日本の若者の左翼アレルギーからの
平和へのくそみそな軽視をも助長して来たきらいがあるのである。
野人のような粗暴さでいながら、米軍基地建設反対などの、
平和主義を掲げた運動に多く勤しんできているわけだが。
団塊こそは、心の動きが激しすぎてろくに止まっていられない、
ADHD系の比率が最も高い部類の戦後世代でもあることだし、
黒人などとも同様、体育会系でいながらミリタリーは性に合わない、
苦手だという人種がその大部分を占めているものである。
それ自体があまり悪いことのようには思われないかも知れないが、
「平和を愛するから」ではなく、「軍事が嫌いだから」という理由で、
平和主義的な運動に取り組んでいるだけの人間の挙げられる功績なんてのも
たかが知れたもので、実際問題、軍事も多く絡む国際問題の現実などを
まともに直視もしないままでの盲目な平和への訴えなどがかえって、
米中北の対立などを後押ししたり、日本の若者の左翼アレルギーからの
平和へのくそみそな軽視をも助長して来たきらいがあるのである。
要するに、盲目で独善的な平和主義というものもまた、ろくなものではない。
「兵は不祥の器~なるも、已む得ずしてこれを用うるには、恬惔なるを上とす」
という老子の教えの如く、消極的な兵事への配慮ぐらいは尽くしておくのが平和の
実現への最善なるあり方のため、そこにも一概なイデオロギーなどがあるべきではない。
同様な事例はたとえば、欧米の環境活動家などが提唱しているような、
知性や配慮に欠けた環境保護主義などについても言えることである。
https://bbs77.meiwasuisan.com/thought/1696046607/14-1...参照
「兵は不祥の器~なるも、已む得ずしてこれを用うるには、恬惔なるを上とす」
という老子の教えの如く、消極的な兵事への配慮ぐらいは尽くしておくのが平和の
実現への最善なるあり方のため、そこにも一概なイデオロギーなどがあるべきではない。
同様な事例はたとえば、欧米の環境活動家などが提唱しているような、
知性や配慮に欠けた環境保護主義などについても言えることである。
https://bbs77.meiwasuisan.com/thought/1696046607/14-1...参照
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1700400389...
まるで俺を支持するような体裁で立てられているスレだが、
「新宗教などを立ち上げる気は一切ない」と明言しているこの俺を、
あくまで宗教家として片づけようとしているあたりが、まだ不埒な所だな。
・自分たちと同じカルトの沼に笠も引きずり込みたい。
・儒学や仏学や玄学を洋学並みに純然たる学問として認める気はない。
・無宗教的な実権者として活躍することなんか絶対に許さない。
そういった魂胆が透けて見える。
あと、あくまで巧言令色で人々をたぶらかして信者を囲い込む
カルト教祖としての素質などを自分たちが俺に要求しているからこそ、
そのような取り組みに欠けている俺を叩かざるを得ないだけだろうが。
相手が望んでもいないことを相手に要求して、それが叶わないから叩くとかいう、
カルト信者か精神病患者かその両方でもなければあり得ない域の独り善がりさよ。
まるで俺を支持するような体裁で立てられているスレだが、
「新宗教などを立ち上げる気は一切ない」と明言しているこの俺を、
あくまで宗教家として片づけようとしているあたりが、まだ不埒な所だな。
・自分たちと同じカルトの沼に笠も引きずり込みたい。
・儒学や仏学や玄学を洋学並みに純然たる学問として認める気はない。
・無宗教的な実権者として活躍することなんか絶対に許さない。
そういった魂胆が透けて見える。
あと、あくまで巧言令色で人々をたぶらかして信者を囲い込む
カルト教祖としての素質などを自分たちが俺に要求しているからこそ、
そのような取り組みに欠けている俺を叩かざるを得ないだけだろうが。
相手が望んでもいないことを相手に要求して、それが叶わないから叩くとかいう、
カルト信者か精神病患者かその両方でもなければあり得ない域の独り善がりさよ。
(>>55の続き)
先がた持病もあって、振武館宗家を跡目に相続した
黒田鉄山氏の名付け基にもにもなっている、永田鉄山陸軍中将。
黒田氏も戦後生まれだし、戦後直後に帝国軍人の名前を付けるとか、
名付け親の祖父泰治氏もよほどの反骨精神の持ち主だったと見える。のだが。
ただ、この永田鉄山はどちらかといえば軍部の中でも穏健派で、
東条英機らが推し進める大陸侵攻にも反対し続けていたのが、
弱腰だとの反感を買って、内ゲバからの暗殺の憂き目に遭ったものである。
今となっては、永田中将の意向が通っていれば、日本軍も不相応に戦線を
拡大しての自滅のような事態にも陥らず、アメリカにも勝つとまで行かずとも、
負けずに講和程度で済んだのではないかとも見受けられるわけである。
(「歴史にたらればは禁物」なんてのは洋学の歴史学の悪癖なので無視)
ただ、当時の日本は「軍国主義」だったから、軍部にしろ国民の世論にしろ、
そのような消極的な施策を多数が支持する方向に持って行くのも不可能だった。
世の中が軍国主義というイデオロギー一色に染まった結果、自滅を来たした
典型例であるわけで、最後の剣客、黒田泰治氏もそのような過ちを二度と
犯さない思いをも込めて、永田中将の名を孫に付けたのだろうとも思われる。
先がた持病もあって、振武館宗家を跡目に相続した
黒田鉄山氏の名付け基にもにもなっている、永田鉄山陸軍中将。
黒田氏も戦後生まれだし、戦後直後に帝国軍人の名前を付けるとか、
名付け親の祖父泰治氏もよほどの反骨精神の持ち主だったと見える。のだが。
ただ、この永田鉄山はどちらかといえば軍部の中でも穏健派で、
東条英機らが推し進める大陸侵攻にも反対し続けていたのが、
弱腰だとの反感を買って、内ゲバからの暗殺の憂き目に遭ったものである。
今となっては、永田中将の意向が通っていれば、日本軍も不相応に戦線を
拡大しての自滅のような事態にも陥らず、アメリカにも勝つとまで行かずとも、
負けずに講和程度で済んだのではないかとも見受けられるわけである。
(「歴史にたらればは禁物」なんてのは洋学の歴史学の悪癖なので無視)
ただ、当時の日本は「軍国主義」だったから、軍部にしろ国民の世論にしろ、
そのような消極的な施策を多数が支持する方向に持って行くのも不可能だった。
世の中が軍国主義というイデオロギー一色に染まった結果、自滅を来たした
典型例であるわけで、最後の剣客、黒田泰治氏もそのような過ちを二度と
犯さない思いをも込めて、永田中将の名を孫に付けたのだろうとも思われる。
>>56
主義はいつも、自分のためだろう。
自意識過剰の女ほど「私は~」「私が~」の大攻勢でいたりする、
その方向性を少なからず帯びている人間が偏重するもの=主義。
強火で調理したほうがいい料理もあれば、弱火のほうがいい料理もあるが、
「私は強火で調理する主義なの!」で、なんでも強火で調理して、
水気が飛んでパサパサの鶏肉しか食えなくて鶏肉嫌いになったりする。
我欲による主義の偏重で、無駄に選択肢を狭めて行く実例。
人間、主義主義者、イデオロギストなんかでなくたって、
多くの囚われと共に生きて行くことを強いられがちなもので、
むしろそこからの脱却にこそ取り組んで行くべきなのに、
イデオロギストであることでそれを断固拒絶し、逆に
自分らしさと見なした囚われで何もかもを塗り固めて行こうとする。
仏道が重んじられている時代には、在俗といえども避けられる志向性。
今やそれもなく、女子や小人がこれでもかとイデオロギズムによる
自分らしさの楼閣を築き上げて行くのがトレンドと化してしまってるがな。
主義はいつも、自分のためだろう。
自意識過剰の女ほど「私は~」「私が~」の大攻勢でいたりする、
その方向性を少なからず帯びている人間が偏重するもの=主義。
強火で調理したほうがいい料理もあれば、弱火のほうがいい料理もあるが、
「私は強火で調理する主義なの!」で、なんでも強火で調理して、
水気が飛んでパサパサの鶏肉しか食えなくて鶏肉嫌いになったりする。
我欲による主義の偏重で、無駄に選択肢を狭めて行く実例。
人間、主義主義者、イデオロギストなんかでなくたって、
多くの囚われと共に生きて行くことを強いられがちなもので、
むしろそこからの脱却にこそ取り組んで行くべきなのに、
イデオロギストであることでそれを断固拒絶し、逆に
自分らしさと見なした囚われで何もかもを塗り固めて行こうとする。
仏道が重んじられている時代には、在俗といえども避けられる志向性。
今やそれもなく、女子や小人がこれでもかとイデオロギズムによる
自分らしさの楼閣を築き上げて行くのがトレンドと化してしまってるがな。
>>65
人様に主義主張を押し付けて、拒まれたら叩くことにも後ろめたさの一つ
抱かないでいられるような、病的な執着対象としての主義主張などはない。
強いて言えば、そういった囚われを逐次
見つけ次第なくしていく、主義の否定の重畳こそが我が主義である。
そこで精神の平穏を保っていられる感覚が、おまえらには理解できないのだろうが、
人間はむしろ、こちらでこそ最大級の平穏を克ち得るようにできているものである。
内なる精神不安を補うために多動たり、他者への征服意欲や蹂躙欲求までをも滾らせる、
それもまたありがちな人間模様ではあるが、本質的に苦悩の塊であればこそ、
俺ももう二度とそこには戻りたくないと心から思うものである。
人様に主義主張を押し付けて、拒まれたら叩くことにも後ろめたさの一つ
抱かないでいられるような、病的な執着対象としての主義主張などはない。
強いて言えば、そういった囚われを逐次
見つけ次第なくしていく、主義の否定の重畳こそが我が主義である。
そこで精神の平穏を保っていられる感覚が、おまえらには理解できないのだろうが、
人間はむしろ、こちらでこそ最大級の平穏を克ち得るようにできているものである。
内なる精神不安を補うために多動たり、他者への征服意欲や蹂躙欲求までをも滾らせる、
それもまたありがちな人間模様ではあるが、本質的に苦悩の塊であればこそ、
俺ももう二度とそこには戻りたくないと心から思うものである。
おまえのいう「こっち」っていうのは、どうやら現代社会の全てらしいが、
そこまで自分たちの覇権が確立されていると思い込んでいるのも、
イデオロギストを兼ねるような自意識過剰ならではの勘違いだな。
実際問題、それは事実ではない。
今の日本では憲法に勤労義務が規定されているが、不労罪はない。
従業員を雑巾のように使い潰しては捨て去りたい悪徳経営者どもへの
保護のためにも、立法基準たる憲法に即した法整備ができないままでいる。
だからこそ俺も摘発を受けたりすることなく、言いたい放題のままでいる。
江戸時代なら不労罪があったから処罰されてたが、今だからこそ平気でいられる。
この世の全てを征服下に置いているというおまえの考えが、所詮は虚妄に過ぎない
からこそそのようである、ありのままの真実をおまえのほうが受け入れるべきなのだ。
そこまで自分たちの覇権が確立されていると思い込んでいるのも、
イデオロギストを兼ねるような自意識過剰ならではの勘違いだな。
実際問題、それは事実ではない。
今の日本では憲法に勤労義務が規定されているが、不労罪はない。
従業員を雑巾のように使い潰しては捨て去りたい悪徳経営者どもへの
保護のためにも、立法基準たる憲法に即した法整備ができないままでいる。
だからこそ俺も摘発を受けたりすることなく、言いたい放題のままでいる。
江戸時代なら不労罪があったから処罰されてたが、今だからこそ平気でいられる。
この世の全てを征服下に置いているというおまえの考えが、所詮は虚妄に過ぎない
からこそそのようである、ありのままの真実をおまえのほうが受け入れるべきなのだ。
昔なら、超俗からの物言いにも正規の僧籍などを必要としたものだが、
今だからこそただの無職ニートでも言いたい放題でいられる。
50代以上の旧世代が国富の8割以上を独占し、
40代以下の次世代はまともに自活もできない事態に追い込まれているような
世相だからこそ、高齢まで親の脛かじりを続けようとも、親の懐も痛まない。
俺こそは、おまえらよりも遥かに、今の世の中に順応し尽くした存在。
おまえらのほうがアウトローのつまはじき者止まりであるがために、
たとえ総理大臣を配下に置けたところで、ろくな結果も招けないのである。
今だからこそただの無職ニートでも言いたい放題でいられる。
50代以上の旧世代が国富の8割以上を独占し、
40代以下の次世代はまともに自活もできない事態に追い込まれているような
世相だからこそ、高齢まで親の脛かじりを続けようとも、親の懐も痛まない。
俺こそは、おまえらよりも遥かに、今の世の中に順応し尽くした存在。
おまえらのほうがアウトローのつまはじき者止まりであるがために、
たとえ総理大臣を配下に置けたところで、ろくな結果も招けないのである。
最終回が放映された進撃の巨人、ほぼ全世界でテレビ視聴率一位を獲得。
おそらく、一番視聴率が低いのがこの日本なぐらい。
世界ではもう死に絶え始めてるような旧世代の年寄りばかりが、
主たるテレビ視聴者であり続けている結果。
未だに日本で世界一扱いのロックバンドといえばビートルズだが、
アメリカなどではすでにリアルタイム世代の年寄りがほとんど死に絶えてるので、
いま主要な年配世代にとってのリアルタイムだったボンジョビやガンズのほうが世界一扱いだと。
(全世界でも、ボーカルがインド系だったクイーンのほうが人口面からの支持で世界一という)
ChatGPTの作者も30代だし、世界ではもう旧世代の覇権など終わっている。
日本だけがまだな代わりに、脛かじりの高齢ニートが言いたい放題できる。
そこが世界に追いつくというのならそれもそれだが、おまえらにとってはご愁傷様だな。
おそらく、一番視聴率が低いのがこの日本なぐらい。
世界ではもう死に絶え始めてるような旧世代の年寄りばかりが、
主たるテレビ視聴者であり続けている結果。
未だに日本で世界一扱いのロックバンドといえばビートルズだが、
アメリカなどではすでにリアルタイム世代の年寄りがほとんど死に絶えてるので、
いま主要な年配世代にとってのリアルタイムだったボンジョビやガンズのほうが世界一扱いだと。
(全世界でも、ボーカルがインド系だったクイーンのほうが人口面からの支持で世界一という)
ChatGPTの作者も30代だし、世界ではもう旧世代の覇権など終わっている。
日本だけがまだな代わりに、脛かじりの高齢ニートが言いたい放題できる。
そこが世界に追いつくというのならそれもそれだが、おまえらにとってはご愁傷様だな。
なら後者を実践しとけ、タコw
はよしろな~
はよしろな~
50代まで、信長秀吉に抑圧されてのパシリ働き。
家臣たちの前であえて土下座させられるような真似まで
強いられておいて、60間近の関ヶ原でやっと名誉挽回。
60でようやく征夷大将軍として天下を取るも、即座に二代秀忠に跡目を譲って隠居。
そんな家康公の生涯にこそ、幼稚な死にたがりなどには決して真似も
出来ない域の、卓越したハードボイルドさを感じられるもの。
この、疋田文五郎の描写はフィクションであるにしろ、
実際にこういうこともあったかもしれないし、これまた若いうちから
乱交放題な好色オスなぞには決してあり得ない域の凄みを感じられる。
(長年剣術修行に一筋でいたからこそ、老翁となっても精力絶倫なままなのだし)
あまりにも、若いうちに犠牲にしているものが多すぎるために、
あえてそうなりたいとまでも思わないにしろ、すでに成り行きで自分も似たような
生き方を現時点までしてしまっていることだし、嫌でもそこにあやかるしかない。
もちろん別に嫌でもないから、その実現にも全力で臨んで行く所存だな。^^
家臣たちの前であえて土下座させられるような真似まで
強いられておいて、60間近の関ヶ原でやっと名誉挽回。
60でようやく征夷大将軍として天下を取るも、即座に二代秀忠に跡目を譲って隠居。
そんな家康公の生涯にこそ、幼稚な死にたがりなどには決して真似も
出来ない域の、卓越したハードボイルドさを感じられるもの。
この、疋田文五郎の描写はフィクションであるにしろ、
実際にこういうこともあったかもしれないし、これまた若いうちから
乱交放題な好色オスなぞには決してあり得ない域の凄みを感じられる。
(長年剣術修行に一筋でいたからこそ、老翁となっても精力絶倫なままなのだし)
あまりにも、若いうちに犠牲にしているものが多すぎるために、
あえてそうなりたいとまでも思わないにしろ、すでに成り行きで自分も似たような
生き方を現時点までしてしまっていることだし、嫌でもそこにあやかるしかない。
もちろん別に嫌でもないから、その実現にも全力で臨んで行く所存だな。^^
いやイデオロギーって思いっきり「為」だからw
>>80
そりゃあ、10年後や20年後にも、日本における世界一扱いの
ロックバンドがビートルズのままであり続けてるか否かによるなあ。
もはや世界でも唯一と化してしまってるわけだが。
>>81
進撃の巨人はたしかに漫画アニメだが、
それがイスラム20億を含む全世界で同時に一番人気を獲得した、
おそらく歴史上初の文学作品だっていうのは、現実だ。
(イスラム圏は西洋文化をシャットアウトしているため)
そこの区別が付いてないあたり、それこそ言ってることが自己紹介じゃないか?
日本の本当にすごい所は、どんなに紛う方なき真実だろうとも、目を背ける。
おそらく世界でも日本と北朝魚羊の人間だけが受けている徹底洗脳のせいでなあ。
(韓国人もパクるためには結構いい所にまで察知を及ばせているので)
>>82
普通の老人はそうだろうねえ。
>79の疋田文五郎もそうだし、ヨガ行者には70代で20代並みの体力を
持ち合わせたままでいたアイアンガー師みたいな人物も実在することだし、
(だからこそ漫画のフィクション描写でも現実に通ずるものとして引用している)
あくまで特殊な訓練を受けて来た部類の老人に限ることだね。
>>83
イデオロギーなんて虚構だつったら、そりゃその通りだけれども。
すでに俺自身が>>62で述べていることだし、だからこそ、イデオロギーは
「虚勢恬淡寂寞無為(荘子)」であることを至上とすべきだと言ってるわけでな。
そりゃあ、10年後や20年後にも、日本における世界一扱いの
ロックバンドがビートルズのままであり続けてるか否かによるなあ。
もはや世界でも唯一と化してしまってるわけだが。
>>81
進撃の巨人はたしかに漫画アニメだが、
それがイスラム20億を含む全世界で同時に一番人気を獲得した、
おそらく歴史上初の文学作品だっていうのは、現実だ。
(イスラム圏は西洋文化をシャットアウトしているため)
そこの区別が付いてないあたり、それこそ言ってることが自己紹介じゃないか?
日本の本当にすごい所は、どんなに紛う方なき真実だろうとも、目を背ける。
おそらく世界でも日本と北朝魚羊の人間だけが受けている徹底洗脳のせいでなあ。
(韓国人もパクるためには結構いい所にまで察知を及ばせているので)
>>82
普通の老人はそうだろうねえ。
>79の疋田文五郎もそうだし、ヨガ行者には70代で20代並みの体力を
持ち合わせたままでいたアイアンガー師みたいな人物も実在することだし、
(だからこそ漫画のフィクション描写でも現実に通ずるものとして引用している)
あくまで特殊な訓練を受けて来た部類の老人に限ることだね。
>>83
イデオロギーなんて虚構だつったら、そりゃその通りだけれども。
すでに俺自身が>>62で述べていることだし、だからこそ、イデオロギーは
「虚勢恬淡寂寞無為(荘子)」であることを至上とすべきだと言ってるわけでな。
とみ新蔵氏の作品は、本物の武芸をできる限り忠実に描写することに
特化している作品ばかりだし、それをただのフィクションだなどと片づけて、
こういった本物の超人的な健康長寿と分断して考えたりするほうが、むしろ失礼なものだ。
進撃の巨人も、異世界SF物ではあるにしたって、現実の戦争などでもありがちな
修羅場の実相をよく忠実に描写した作品だからこそ、中東やウクライナのような、
今まさに戦争のさなかにあるような地域でも熱狂的な支持を受けているもの。
フィクションにも、現実の物事をより分かりやすく、面白く表現することを目的としたものと、
完全に現実逃避ばかりを目的としたものとの両方がある。自分が後者ばかりが好きだからといって、
全てのフィクションをそうだなどと決めつけるのも、自意識過剰の思い上がりによる僭越が過ぎるといえよう。
特化している作品ばかりだし、それをただのフィクションだなどと片づけて、
こういった本物の超人的な健康長寿と分断して考えたりするほうが、むしろ失礼なものだ。
進撃の巨人も、異世界SF物ではあるにしたって、現実の戦争などでもありがちな
修羅場の実相をよく忠実に描写した作品だからこそ、中東やウクライナのような、
今まさに戦争のさなかにあるような地域でも熱狂的な支持を受けているもの。
フィクションにも、現実の物事をより分かりやすく、面白く表現することを目的としたものと、
完全に現実逃避ばかりを目的としたものとの両方がある。自分が後者ばかりが好きだからといって、
全てのフィクションをそうだなどと決めつけるのも、自意識過剰の思い上がりによる僭越が過ぎるといえよう。
W杯優勝、紛れもない世界一のスポーツ大国である
アルゼンチンの大統領が、あろうことか"チェンソーマン"に。
未だに、日本の否定派似の30代男性(諌山創)が、ビートルズやボブディランを
上回るような広域人気の世界的ムーブメントを巻き起こしたことも知らないでいる
旧世代の老人らが、自分で体を動かすからこそ最も実地的な文化だと決め込んでいる
スポーツが現実だというのなら、これもまた現実であることを思い知るべきである。
イタリアのメローニ首相などもだが、日本の漫画アニメはポリコレ色が薄いことから、
反ポリコレを謳う欧米の勢力が旗印にする上での、現実的な利用価値もまたあるもの。
奇遇にもチェンソーマンもまた、愛のない女からの支配を乗り越える物語だったことだし、
そういう物語性を世界中の人々もまた渇望していて、フィクションの範囲に留まることなく
それが現実化までするのであれば、これまた大きな羨望を以て迎えられるに違いないのだ。
アルゼンチンの大統領が、あろうことか"チェンソーマン"に。
未だに、日本の否定派似の30代男性(諌山創)が、ビートルズやボブディランを
上回るような広域人気の世界的ムーブメントを巻き起こしたことも知らないでいる
旧世代の老人らが、自分で体を動かすからこそ最も実地的な文化だと決め込んでいる
スポーツが現実だというのなら、これもまた現実であることを思い知るべきである。
イタリアのメローニ首相などもだが、日本の漫画アニメはポリコレ色が薄いことから、
反ポリコレを謳う欧米の勢力が旗印にする上での、現実的な利用価値もまたあるもの。
奇遇にもチェンソーマンもまた、愛のない女からの支配を乗り越える物語だったことだし、
そういう物語性を世界中の人々もまた渇望していて、フィクションの範囲に留まることなく
それが現実化までするのであれば、これまた大きな羨望を以て迎えられるに違いないのだ。
いちいちキチガイのあげあし取って喜んでどうすんだ
バカか
バカか
いうほど揚げ足を取れてるか?
自分で勝手に一つ覚えの極論から極論へと振り切れてるだけなのに。
愛もないのに(愛がないから)相手への支配欲ばかり募らせてる女なんて、
生姜焼きにでもして食っちまえというのが、わりと好色男も多そうな
南米国の多数派までもが支持する、これからの現実誘導の指針だとさ?
まあ、現実には「出家か収容所か」などのより実地的な仕置きへと移行したりも
するだろうし、現実が厳密にフィクションそのものであるべきだなんてことはないが、
誰しもがこうあってほしい、あるいはこうあって欲しくないから反面教師にしようと
思うようなフィクション作品を、よりよい現実のための参考にしたりもするわけだ。
それもせずに、フィクションをただただ現実逃避の材料にばかりしたりするような
姿勢のほうがむしろ不健全なものだし、その先にあったのがあの京アニの事件でもあった。
そういう心がけしかできない者こそは、どんなに嫌でも青葉サイドの人間ではないか。
自分で勝手に一つ覚えの極論から極論へと振り切れてるだけなのに。
愛もないのに(愛がないから)相手への支配欲ばかり募らせてる女なんて、
生姜焼きにでもして食っちまえというのが、わりと好色男も多そうな
南米国の多数派までもが支持する、これからの現実誘導の指針だとさ?
まあ、現実には「出家か収容所か」などのより実地的な仕置きへと移行したりも
するだろうし、現実が厳密にフィクションそのものであるべきだなんてことはないが、
誰しもがこうあってほしい、あるいはこうあって欲しくないから反面教師にしようと
思うようなフィクション作品を、よりよい現実のための参考にしたりもするわけだ。
それもせずに、フィクションをただただ現実逃避の材料にばかりしたりするような
姿勢のほうがむしろ不健全なものだし、その先にあったのがあの京アニの事件でもあった。
そういう心がけしかできない者こそは、どんなに嫌でも青葉サイドの人間ではないか。
よくできていて、なおかつ現実との付かず離れずなリンクも絶妙な作品こそが、
全世界を巻き込むほどの一大ムーブメントを巻き起こすわけで、
進撃や鬼滅やチェンソーマンなどはやはり、その条件を満たしているもの。
近ごろその域から外れてしまって暴走してるのが、たとえばガンダムシリーズとかで、
元々はバブル全盛期にテクノロジー大国としての日本の将来に警鐘を鳴らす目的で、
巨大ロボット(正しくはモビルスーツ)が介入して行く未来の戦争の恐ろしさを、
出来る限り露骨な非道さなども絡めながら作り込まれ始めた作品なのだが。
バブル崩壊からの、在日カルトによる中央権力の乗っ取り以降、
日本は産業スパイの大攻勢でテクノロジー大国からも引きずりおろされ、
派遣や研修生の奴隷使役による中抜きピンハネや老人介護ばかりが主要産業と
化してしまい、さらにそこでの人権軽視による死傷者も多発させるとかいう、
ガンダム制作陣の想像を桁外れに下回るような未来しか現状、到来してはいない。
全世界を巻き込むほどの一大ムーブメントを巻き起こすわけで、
進撃や鬼滅やチェンソーマンなどはやはり、その条件を満たしているもの。
近ごろその域から外れてしまって暴走してるのが、たとえばガンダムシリーズとかで、
元々はバブル全盛期にテクノロジー大国としての日本の将来に警鐘を鳴らす目的で、
巨大ロボット(正しくはモビルスーツ)が介入して行く未来の戦争の恐ろしさを、
出来る限り露骨な非道さなども絡めながら作り込まれ始めた作品なのだが。
バブル崩壊からの、在日カルトによる中央権力の乗っ取り以降、
日本は産業スパイの大攻勢でテクノロジー大国からも引きずりおろされ、
派遣や研修生の奴隷使役による中抜きピンハネや老人介護ばかりが主要産業と
化してしまい、さらにそこでの人権軽視による死傷者も多発させるとかいう、
ガンダム制作陣の想像を桁外れに下回るような未来しか現状、到来してはいない。
あまりにも現実とのリンクを失いすぎたために、若者や子供からの羨望対象
としての支持も失い、昔好きだったジジババの慰み物としてばかり生き延び、
転売ヤー御用達なガンプラのクオリティだけは進化を続けているという有様。
どちらかといえば、上で書いた内での不健全な部類に当たる、
現実逃避目的のフィクションへの転向を強いられながらやって行ってる状態。
前にやってた新シリーズも一応、観てはみたがやっぱりそれ止まりなものだったし、
これが世界的な支持を得ずに、ロボットではなく完全なファンタジー上の巨人が
出て来る進撃のほうが一大人気を博したのにも、納得せざるを得ないところがある。
全高20m前後の人型ロボットとかいう、実用化できそうでできない未来技術に
もどかしい夢を馳せるよりは、第一次大戦時程度の技術水準の異世界や、
大正時代や平成中期の日本が舞台+徹頭徹尾ファンタジー要素とかいうほうが、
今の世界の現実にもリンクさせやすい背景設定だからこそ、国内外でウケている。
フィクションも現実ありきであることのほうをより好むのが、大多数の人間なのである。
としての支持も失い、昔好きだったジジババの慰み物としてばかり生き延び、
転売ヤー御用達なガンプラのクオリティだけは進化を続けているという有様。
どちらかといえば、上で書いた内での不健全な部類に当たる、
現実逃避目的のフィクションへの転向を強いられながらやって行ってる状態。
前にやってた新シリーズも一応、観てはみたがやっぱりそれ止まりなものだったし、
これが世界的な支持を得ずに、ロボットではなく完全なファンタジー上の巨人が
出て来る進撃のほうが一大人気を博したのにも、納得せざるを得ないところがある。
全高20m前後の人型ロボットとかいう、実用化できそうでできない未来技術に
もどかしい夢を馳せるよりは、第一次大戦時程度の技術水準の異世界や、
大正時代や平成中期の日本が舞台+徹頭徹尾ファンタジー要素とかいうほうが、
今の世界の現実にもリンクさせやすい背景設定だからこそ、国内外でウケている。
フィクションも現実ありきであることのほうをより好むのが、大多数の人間なのである。
よくここで貼っている>>79画の疋田文五郎は実在の剣豪で、
画像右、作品主人公の柳生兵庫助も実在の新陰流宗家だ。
両者が直接対決した記録はないが、兵庫助の祖父で、
宮本武蔵以上の達人だったとも言われている
柳生石舟斎宗厳を試合で敗ったという公式記録も残っている。
この描写も、文五郎が編み出した記録が残っている
剣術奥義の忠実な描写になっていて、種明かしを見ればそれと分かるが、
この時点ではまだ兵庫助もその種には気づいていないほどにも難解。
種明かしを読んでみた所で、やっぱり達人でないと
使いこなすこともできない奥義なのだとも知れる。
と
み新蔵氏自身が剣術修行に明け暮れてきた身の上である上に、
80近い今でも旺盛に執筆活動を続けているような超人だからこそ、
近ごろの現実ではほとんどあり得ないような、古き良き現実の描写になっているのだろうな。
画像右、作品主人公の柳生兵庫助も実在の新陰流宗家だ。
両者が直接対決した記録はないが、兵庫助の祖父で、
宮本武蔵以上の達人だったとも言われている
柳生石舟斎宗厳を試合で敗ったという公式記録も残っている。
この描写も、文五郎が編み出した記録が残っている
剣術奥義の忠実な描写になっていて、種明かしを見ればそれと分かるが、
この時点ではまだ兵庫助もその種には気づいていないほどにも難解。
種明かしを読んでみた所で、やっぱり達人でないと
使いこなすこともできない奥義なのだとも知れる。
と
み新蔵氏自身が剣術修行に明け暮れてきた身の上である上に、
80近い今でも旺盛に執筆活動を続けているような超人だからこそ、
近ごろの現実ではほとんどあり得ないような、古き良き現実の描写になっているのだろうな。
>>90
俺が文系を自称した覚えなんてないし、
洋学の文系こそは、まずこの世から権威を剥奪してかかるべき最優先対象だぞ。
東大跡地の寺であれば、駒場キャンパスの教養学部跡地で、とりあえず
存在性ぐらいは知っておくべき教養中の雑学講習扱い止まりにまで左遷されるもの。
(もちろんそれだけでなんの学位にもならない)
まず以て、完璧フィクションの新旧約聖書が一番の元手である洋学の文系なんざが、
世界や日本の支配層を占めているのが、この世の不幸の最たるものだよな。
文系の発想はできる限り、フィクションによる現実逃避のために。
そこに満たないものは、文系だったところで劣等な大衆文学以下の扱い。
そういう大前提があるからこそ、文系として高尚ぶっている者ほど、
現実を見るのであればフィクションは見るなともなる。
そういった最低劣な外道としての、自己紹介を続けているのは誰ぞや?
俺が文系を自称した覚えなんてないし、
洋学の文系こそは、まずこの世から権威を剥奪してかかるべき最優先対象だぞ。
東大跡地の寺であれば、駒場キャンパスの教養学部跡地で、とりあえず
存在性ぐらいは知っておくべき教養中の雑学講習扱い止まりにまで左遷されるもの。
(もちろんそれだけでなんの学位にもならない)
まず以て、完璧フィクションの新旧約聖書が一番の元手である洋学の文系なんざが、
世界や日本の支配層を占めているのが、この世の不幸の最たるものだよな。
文系の発想はできる限り、フィクションによる現実逃避のために。
そこに満たないものは、文系だったところで劣等な大衆文学以下の扱い。
そういう大前提があるからこそ、文系として高尚ぶっている者ほど、
現実を見るのであればフィクションは見るなともなる。
そういった最低劣な外道としての、自己紹介を続けているのは誰ぞや?
いまだに自分が悪い、自分たちのほうが悪いという自覚のかけらも
なさそうなあたり、上等にカルト級の迷妄の真っ只中にあると知れる。
それこそは、フィクションによる現実逃避に全力全霊であり続けて来た
後遺症ないし、未だにそれを辞めようともしていない者のそれである。
普通、刑務所での子作りなど許されないのを見ても分かる通り、
罪をまだ償ってもいない犯罪者には。子孫をつなぐ権利もないと
されるのが人間社会一般の常識。償うどころかまだ罪の自覚もない
というのならばなおのことで、そこにまともな家庭を築き上げる
余地などがなかったのもまた必定。俺ではなく、おまえこそが。
警察司法も野放し状態な、超国家規模の権力犯罪だったところで、
本質的にそうであることには変わりないのだし、言い逃れの材料にはならない。
世界規模で世の中を持ち直させて行くための胎動の一環だというのなら、
なおのこと、今まで許されていたものも許してはならないのだ。
なさそうなあたり、上等にカルト級の迷妄の真っ只中にあると知れる。
それこそは、フィクションによる現実逃避に全力全霊であり続けて来た
後遺症ないし、未だにそれを辞めようともしていない者のそれである。
普通、刑務所での子作りなど許されないのを見ても分かる通り、
罪をまだ償ってもいない犯罪者には。子孫をつなぐ権利もないと
されるのが人間社会一般の常識。償うどころかまだ罪の自覚もない
というのならばなおのことで、そこにまともな家庭を築き上げる
余地などがなかったのもまた必定。俺ではなく、おまえこそが。
警察司法も野放し状態な、超国家規模の権力犯罪だったところで、
本質的にそうであることには変わりないのだし、言い逃れの材料にはならない。
世界規模で世の中を持ち直させて行くための胎動の一環だというのなら、
なおのこと、今まで許されていたものも許してはならないのだ。
「なぜ岸田内閣の支持率が上向かないのか不思議」 経団連・十倉雅和会長は政策を評価
https://www.tokyo-np.co.jp/article/29122...
これも東大経済学部という、法学部に次ぐ文系最トップ級の学歴の持ち主だが。
だからといって、自分たち経営者側と、世間一般大多数の労働者側が、
利害相反の搾取関係にあるという現実を受け入れられてなどはいないものだから、
自分たちにとって都合のいい政策をどんどん打ち出してくれる岸田政権が、
どうして国民からの大きな反発や不支持ばかりに見舞われているのかも、本当にわからないままでいる。
経済学部だから、マルクス思想などもさわり程度には学んできているのだろうが。
マルクスの、資本家と労働者が搾取関係にあるという、現実の社会法則への指摘と、
「その問題解消のためには、共産革命による商業の廃絶が必要である」という、
極論すぎて実態に沿わないフィクションな主張とを味噌糞な批判的研究の対象とした結果、
自分たちと労働者の搾取関係なんてものもまた、存在しないかのように思い込んでいるのだろう。
搾取するどころか、むしろ自分たちのほうが労働者に恵んでやっている側なのだから、
どうして自分たちを利する政策を、一般国民たちも共に喜ぼうとしないのか、となる。
もはや認知症すら疑われているような蒙昧状態ではあるけれども、
カルトのみならず、カルトなみにフィクションでの現実逃避を促しているような邪学
などにかぶれるだけでも、これほどもの痴態に陥るものなのだと思い知るべきなのである。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/29122...
これも東大経済学部という、法学部に次ぐ文系最トップ級の学歴の持ち主だが。
だからといって、自分たち経営者側と、世間一般大多数の労働者側が、
利害相反の搾取関係にあるという現実を受け入れられてなどはいないものだから、
自分たちにとって都合のいい政策をどんどん打ち出してくれる岸田政権が、
どうして国民からの大きな反発や不支持ばかりに見舞われているのかも、本当にわからないままでいる。
経済学部だから、マルクス思想などもさわり程度には学んできているのだろうが。
マルクスの、資本家と労働者が搾取関係にあるという、現実の社会法則への指摘と、
「その問題解消のためには、共産革命による商業の廃絶が必要である」という、
極論すぎて実態に沿わないフィクションな主張とを味噌糞な批判的研究の対象とした結果、
自分たちと労働者の搾取関係なんてものもまた、存在しないかのように思い込んでいるのだろう。
搾取するどころか、むしろ自分たちのほうが労働者に恵んでやっている側なのだから、
どうして自分たちを利する政策を、一般国民たちも共に喜ぼうとしないのか、となる。
もはや認知症すら疑われているような蒙昧状態ではあるけれども、
カルトのみならず、カルトなみにフィクションでの現実逃避を促しているような邪学
などにかぶれるだけでも、これほどもの痴態に陥るものなのだと思い知るべきなのである。
経済学は、理系寄りの文系だなどと称されることもあるが、
所詮は理科学としての条件を満たしていないために、文系止まりのものである。
文系だから、そこで学ぶ内容への意見の是非も、学ぶ側の主観に左右される。
結果、マルクス思想みたいな、正しい面もあれば間違った面もある思想を
一概に全否定した結果、経営者と労働者の搾取関係みたいな、中卒でも実感して
いることが多い普遍法則すらも、東大を出ることで見失うようなことになる。
俺が書いたこの図などもまた、今の経済学の範疇で取り沙汰されるのであれば、
マルクスのように批判的研究の材料扱い止まりとされて、余計にここから
目を背けた蒙昧な活動を助長するようなことにもなりかねないもの。
(近ごろだとピケティのr>gなどもそれに似た扱いを受けていたりする)
しかし、たとえば理系であれば、理工学部で学んだ内容を全く無視しながら、
土建や電機の設計施工などを試みようものなら、命を危ぶむほどの大事故にまで
直結しかねないものだから、嫌でも必ず勉強内容に沿って行かなければならない。
文系でそのような厳守的勉強を強いれば、それは即、宗教的だということで
非難排撃の対象となってしまうのが、洋学における基本原則なのだが。
所詮は理科学としての条件を満たしていないために、文系止まりのものである。
文系だから、そこで学ぶ内容への意見の是非も、学ぶ側の主観に左右される。
結果、マルクス思想みたいな、正しい面もあれば間違った面もある思想を
一概に全否定した結果、経営者と労働者の搾取関係みたいな、中卒でも実感して
いることが多い普遍法則すらも、東大を出ることで見失うようなことになる。
俺が書いたこの図などもまた、今の経済学の範疇で取り沙汰されるのであれば、
マルクスのように批判的研究の材料扱い止まりとされて、余計にここから
目を背けた蒙昧な活動を助長するようなことにもなりかねないもの。
(近ごろだとピケティのr>gなどもそれに似た扱いを受けていたりする)
しかし、たとえば理系であれば、理工学部で学んだ内容を全く無視しながら、
土建や電機の設計施工などを試みようものなら、命を危ぶむほどの大事故にまで
直結しかねないものだから、嫌でも必ず勉強内容に沿って行かなければならない。
文系でそのような厳守的勉強を強いれば、それは即、宗教的だということで
非難排撃の対象となってしまうのが、洋学における基本原則なのだが。
儒学や仏学や玄学にかけては、そうではない。
「悪いことをするぐらいなら何もしないほうがマシ」
「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」なみに、
論理的に自明な判断だけを厳格に積み重ねて行った人文学的論考を、
理系の勉強材料なみに厳守する対象として学んで行くものである。
それは別に、正しいか間違っているかに関わらず信じ込むようなカルト的狂信に
基づいているのではないし、むしろそうであってはならない。あくまで論理的、物理的に
正しいからこそ守る、間違っているようなら即座に改めるシラフさと共にのみ務まるもの。
(念仏などは、カルトではないがこの条件を満たしてはいないから、やはり信仰止まりである)
それでもやはり、洋学の理系なみに数学的帰納法への準拠や反証可能性の確保を
厳格に守ったものとは限らないから、洋学の経済学などと同様、「理系か文系か」
という二者択一を迫られるのであれば、文系のうちに入れられることになるわけだが。
かといって、洋学の文系のようなぞんざいな扱い方をしていいわけでもない。
洋学の文系や理系とは全くの別物な、文理統合の正学としての権威こそを付与すべきなのだ。
(結果、文理分裂止まりな洋学全体の権威が比較的、損なわれることになるのだろうとも)
「悪いことをするぐらいなら何もしないほうがマシ」
「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」なみに、
論理的に自明な判断だけを厳格に積み重ねて行った人文学的論考を、
理系の勉強材料なみに厳守する対象として学んで行くものである。
それは別に、正しいか間違っているかに関わらず信じ込むようなカルト的狂信に
基づいているのではないし、むしろそうであってはならない。あくまで論理的、物理的に
正しいからこそ守る、間違っているようなら即座に改めるシラフさと共にのみ務まるもの。
(念仏などは、カルトではないがこの条件を満たしてはいないから、やはり信仰止まりである)
それでもやはり、洋学の理系なみに数学的帰納法への準拠や反証可能性の確保を
厳格に守ったものとは限らないから、洋学の経済学などと同様、「理系か文系か」
という二者択一を迫られるのであれば、文系のうちに入れられることになるわけだが。
かといって、洋学の文系のようなぞんざいな扱い方をしていいわけでもない。
洋学の文系や理系とは全くの別物な、文理統合の正学としての権威こそを付与すべきなのだ。
(結果、文理分裂止まりな洋学全体の権威が比較的、損なわれることになるのだろうとも)
書き貯め放出
(>>59の続き)
永田中将が訴えていたような、消極的な軍事政策こそが支持されて
実現に移されるためには、世の中が軍国主義などであってはならないし、
軍事全般をアレルギー的に否定してかかる盲目な平和主義などでもいけない。
たとえば元寇撃退時の、防衛戦にかけてこそ「驀直進前」の奮闘を見せた
鎌倉武士のあり方などはその理想に近かったが、その戦闘方針を教示したのも
本職の武士ではなく、無学祖元という禅僧であった。そこには軍国主義ほど
武断一辺倒でもなければ、戦後左翼ほどにアレルギー的な軍事嫌いでもない、
中正に適った超俗の視点からの微妙繊細な見識による采配があったわけである。
廃仏毀釈で超俗の精進を否定した近代の日本ではあり得なかったことだし、
もちろんそれは戦後に至るまでそのままであり続けているところである。
(>>59の続き)
永田中将が訴えていたような、消極的な軍事政策こそが支持されて
実現に移されるためには、世の中が軍国主義などであってはならないし、
軍事全般をアレルギー的に否定してかかる盲目な平和主義などでもいけない。
たとえば元寇撃退時の、防衛戦にかけてこそ「驀直進前」の奮闘を見せた
鎌倉武士のあり方などはその理想に近かったが、その戦闘方針を教示したのも
本職の武士ではなく、無学祖元という禅僧であった。そこには軍国主義ほど
武断一辺倒でもなければ、戦後左翼ほどにアレルギー的な軍事嫌いでもない、
中正に適った超俗の視点からの微妙繊細な見識による采配があったわけである。
廃仏毀釈で超俗の精進を否定した近代の日本ではあり得なかったことだし、
もちろんそれは戦後に至るまでそのままであり続けているところである。
「禅門での修行などは、いつの時代も世間一般大多数の人間に務まるものではない」
とも上で述べたけれども、故にこそ禅師からの教示の尊重などは、多数派の意見を
蔑ろにしてまで少数や個人の意見を支持するようなこともなければならない。
故に、多数決が原則の民主主義が絶対であるようなら、それが叶うこともない。
戦前の軍国主義もまた、国民の大多数が(プロパガンダに乗せられてとはいえ)
熱狂的な支持で暴走を激化させて行ったものだし、そこに歯止めをかけるための、
降伏処理の日本側の主導者となったのもまた、玄峰老師という当時随一の禅僧だった。
禅門勢力は決して世の多数などを占めない上に、自分たちからもそれを拒むぐらいだが、
故にこそ多動で盲目な大衆のそれをはるかに上回るような見識の深さで、世の中を
着実な平和や繁栄へと導けるものでもあるし、民主主義も自由主義も独裁主義も、
軍国主義も平和主義も世の中への完全支配を許さないとした上でさらに、それ自体もまた
独裁支配などを目論んだりすることがない禅門の意向に耳を傾けるようなところにこそ、
イデオロギーゼロの世の中ならではの、慧眼による最善の施策の実現が見込まれるのである。
放出ここまで
とも上で述べたけれども、故にこそ禅師からの教示の尊重などは、多数派の意見を
蔑ろにしてまで少数や個人の意見を支持するようなこともなければならない。
故に、多数決が原則の民主主義が絶対であるようなら、それが叶うこともない。
戦前の軍国主義もまた、国民の大多数が(プロパガンダに乗せられてとはいえ)
熱狂的な支持で暴走を激化させて行ったものだし、そこに歯止めをかけるための、
降伏処理の日本側の主導者となったのもまた、玄峰老師という当時随一の禅僧だった。
禅門勢力は決して世の多数などを占めない上に、自分たちからもそれを拒むぐらいだが、
故にこそ多動で盲目な大衆のそれをはるかに上回るような見識の深さで、世の中を
着実な平和や繁栄へと導けるものでもあるし、民主主義も自由主義も独裁主義も、
軍国主義も平和主義も世の中への完全支配を許さないとした上でさらに、それ自体もまた
独裁支配などを目論んだりすることがない禅門の意向に耳を傾けるようなところにこそ、
イデオロギーゼロの世の中ならではの、慧眼による最善の施策の実現が見込まれるのである。
放出ここまで
>>118で、「念仏はやはり学問とまでは行かない信教止まりだが、カルトではない」
と注釈した所について、もう少し釈明しておけば。
念仏もまた、
「たとえ間違っていたとしても信じる(親鸞聖人の法然上人への言)」である一方、
「間違っていたせいで地獄に堕ちるのだとしてもかまわない(同)」というほどにも、
信仰そのものが虚妄を排し去っての、今現在の現実を受け入れたものになっている。
カルトやカルト的思想はこれに違い、
現状への満足などは決してなく、まるで目の前に人参をぶら下げられた馬が、
眼前の人参を求めて走り回るようにして、永続的な現状への不満と、
永遠に達成されることのない理想への渇望だけで成り立ち続けるものである。
「自分が信じているものが間違っていたとしても信じる」というほどにも狂信的で
ある一方、信じているものに即して自分が幸福へと導かれることの方は決して疑わず、
信仰対象に根源的な誤りがあった結果、地獄の苦難に落としいられようものなら普通に、
「なんで自分がこんな目に遭わなければならないのか?」などという不平をも募らせて行く。
その根本的な破綻性こそが、カルトやカルト的思想への中毒者が欲求不満のせいで、
他者への侵害的な征服欲求などをも募らせてしまう原因となるものであり、
それが致命的であったからこそ江戸時代に、キリシタンや日蓮宗不受不施派などは
禁制をも被ることとなった一方、一向宗含む念仏宗派は許容が続けられたのである。
と注釈した所について、もう少し釈明しておけば。
念仏もまた、
「たとえ間違っていたとしても信じる(親鸞聖人の法然上人への言)」である一方、
「間違っていたせいで地獄に堕ちるのだとしてもかまわない(同)」というほどにも、
信仰そのものが虚妄を排し去っての、今現在の現実を受け入れたものになっている。
カルトやカルト的思想はこれに違い、
現状への満足などは決してなく、まるで目の前に人参をぶら下げられた馬が、
眼前の人参を求めて走り回るようにして、永続的な現状への不満と、
永遠に達成されることのない理想への渇望だけで成り立ち続けるものである。
「自分が信じているものが間違っていたとしても信じる」というほどにも狂信的で
ある一方、信じているものに即して自分が幸福へと導かれることの方は決して疑わず、
信仰対象に根源的な誤りがあった結果、地獄の苦難に落としいられようものなら普通に、
「なんで自分がこんな目に遭わなければならないのか?」などという不平をも募らせて行く。
その根本的な破綻性こそが、カルトやカルト的思想への中毒者が欲求不満のせいで、
他者への侵害的な征服欲求などをも募らせてしまう原因となるものであり、
それが致命的であったからこそ江戸時代に、キリシタンや日蓮宗不受不施派などは
禁制をも被ることとなった一方、一向宗含む念仏宗派は許容が続けられたのである。
まず以て、現時点でまだ俺を怨もうとしている時点で、頭がおかしい。
カルトでもアメリカでもどっかの医者でも、
真に怨みを向けるべき相手はいくらでもいるというのに、
ただ心情的に怨みやすい相手を怨んで、怨みづらい相手は怨むまいとしている、
その時点でまだ頭がいかれたままでいるという他ない。
具体的に言えば、喜多川にグルーミングされたままでいるジャニタレなどと同じ心理状態。
仮に、本当に自分のほうに落ち度があるのなら、その怨みも受け容れて、
統一自民みたいな平謝りで済ますこともなく、ちゃんと責任も取るべきだが。
そうでない上に、巨悪の冤罪を押し付けられて無実の責任を取らされるぐらいなら、
逆に死への覚悟をも以て、断固として拒絶してかかる以外に道義的余地もありはしない。
「それでも二人を結びつける愛」とかも、あった所で真の愛ではない。
それこそ、巨悪にいいように玩ばれて利用されるだけの、偽りの愛でしかないのだからな。
カルトでもアメリカでもどっかの医者でも、
真に怨みを向けるべき相手はいくらでもいるというのに、
ただ心情的に怨みやすい相手を怨んで、怨みづらい相手は怨むまいとしている、
その時点でまだ頭がいかれたままでいるという他ない。
具体的に言えば、喜多川にグルーミングされたままでいるジャニタレなどと同じ心理状態。
仮に、本当に自分のほうに落ち度があるのなら、その怨みも受け容れて、
統一自民みたいな平謝りで済ますこともなく、ちゃんと責任も取るべきだが。
そうでない上に、巨悪の冤罪を押し付けられて無実の責任を取らされるぐらいなら、
逆に死への覚悟をも以て、断固として拒絶してかかる以外に道義的余地もありはしない。
「それでも二人を結びつける愛」とかも、あった所で真の愛ではない。
それこそ、巨悪にいいように玩ばれて利用されるだけの、偽りの愛でしかないのだからな。
よもや、そいつらはどうせ、どうにかすることもできないような
連中なのだから、代わりに俺を怨んでいるというのなら。
所詮は俺もまた、そいつらをどうすることもできない止まりのままで
生涯を終えるに違いない相手なのだと、見込んでいるということ。
その範囲内での「結果」なんてものは、何もしないままでいる以上の
何の価値もないのに違いないし、それこそこちらから願い下げってもんだな。
連中なのだから、代わりに俺を怨んでいるというのなら。
所詮は俺もまた、そいつらをどうすることもできない止まりのままで
生涯を終えるに違いない相手なのだと、見込んでいるということ。
その範囲内での「結果」なんてものは、何もしないままでいる以上の
何の価値もないのに違いないし、それこそこちらから願い下げってもんだな。
地獄の亡者の阿鼻叫喚に、こちらが割を食う形で付き合ってやった所で、
こちらのためにも、相手のためにもなることはあり得ないでな。
大体わかったのは、もう何もかもおしまいだっていう察しもあった上で、
やり場のない怒りを八つ当たり、逆恨み止まりでもいいから
ぶつけておきたい衝動に駆られてるらしいってことだな。
現時点まで、ただの一度も直接口をきいたこともないなんていう時点で、
鷹司孝子を軽く上回るような関係の険悪さであることも確定してるわけだし、
そこでさらに毒を吐くぐらいなんだから、もうそちらも諦めきってるってことだろう。
さりとて、落ち度はあくまでそちら側のみにある。
この世に呪いに該当するような現象もあろうとて、それはあくまで、
正念をくじかれた者のみが精神現象的にもこの世に発現させ得るものだし、
その条件を満たさない自分たちには人に、呪いをかけて逝くような資格もないからこそ、
今ここで不満をぶつけられるだけぶつけておこうっていう算段なんだろう。
一応、見てぐらいはおいてやるから、自称負け犬スレのほうでせいぜい吠えとくことだな。
こちらのためにも、相手のためにもなることはあり得ないでな。
大体わかったのは、もう何もかもおしまいだっていう察しもあった上で、
やり場のない怒りを八つ当たり、逆恨み止まりでもいいから
ぶつけておきたい衝動に駆られてるらしいってことだな。
現時点まで、ただの一度も直接口をきいたこともないなんていう時点で、
鷹司孝子を軽く上回るような関係の険悪さであることも確定してるわけだし、
そこでさらに毒を吐くぐらいなんだから、もうそちらも諦めきってるってことだろう。
さりとて、落ち度はあくまでそちら側のみにある。
この世に呪いに該当するような現象もあろうとて、それはあくまで、
正念をくじかれた者のみが精神現象的にもこの世に発現させ得るものだし、
その条件を満たさない自分たちには人に、呪いをかけて逝くような資格もないからこそ、
今ここで不満をぶつけられるだけぶつけておこうっていう算段なんだろう。
一応、見てぐらいはおいてやるから、自称負け犬スレのほうでせいぜい吠えとくことだな。
いい加減、スレの主題に話を戻して行くとしてーー
イデオロギーゼロの世の中といえども、多様な思想信教の流布を損ねるような真似はせず、
それぞれの志向性が分をわきまえた活動に取り組むことは大いに許容して行くのが、
イデオロギーゼロそのものによる征服的支配などよりも忠実なそれの実践になるのだと、
>>8などでもすでに述べたところだけれども。
特に信教については、殊更に侵害的であるか否かで、そこでも許容されるか否かが決まり、
念仏や普通の題目までは可だが、極度に和を欠いた日蓮宗派やキリシタンなどについては、
さすがに禁制の対象としていった江戸時代の施策あたりが、その模範例にもなっているといえる。
キリシタン禁制後にも、洋学、蘭学という形での西洋の学術の振興は続き、
その許容度もまた時代によって絶妙な調整が働かされるといった有様だった。
東芝創業者のからくり時計や、平賀源内のエレキテルよろしく、先進的な電機文明への
探求もごくごく一部では試みられながらも、それがあまりにも矮小に過ぎたことが、
文明発展の面で日本が西洋に後れを取る原因になってしまったなどと考えられているが。
イデオロギーゼロの世の中といえども、多様な思想信教の流布を損ねるような真似はせず、
それぞれの志向性が分をわきまえた活動に取り組むことは大いに許容して行くのが、
イデオロギーゼロそのものによる征服的支配などよりも忠実なそれの実践になるのだと、
>>8などでもすでに述べたところだけれども。
特に信教については、殊更に侵害的であるか否かで、そこでも許容されるか否かが決まり、
念仏や普通の題目までは可だが、極度に和を欠いた日蓮宗派やキリシタンなどについては、
さすがに禁制の対象としていった江戸時代の施策あたりが、その模範例にもなっているといえる。
キリシタン禁制後にも、洋学、蘭学という形での西洋の学術の振興は続き、
その許容度もまた時代によって絶妙な調整が働かされるといった有様だった。
東芝創業者のからくり時計や、平賀源内のエレキテルよろしく、先進的な電機文明への
探求もごくごく一部では試みられながらも、それがあまりにも矮小に過ぎたことが、
文明発展の面で日本が西洋に後れを取る原因になってしまったなどと考えられているが。
西洋側の発展はといえば、それは単なる学術振興だけによって実現されたものではない。
大航海時代以降、全世界へと侵略征服の魔の手を広げ、世界中を土人状態以上の荒廃に
陥れながら巨万の富を自分たちの元へと集積し、それを元手とした研究開発によって、
産業革命のような劇的な発展をも遂げたわけで、決して学術発展だけで成し得たことではない。
世界中の人々の平穏な生活を侵害してまで、自分たちの元に富を集積して行った弊害もまた生半な
ものではなく、その最終章として、英欧もまた世界中からの移民に乗っ取られようとしているし、
工業生産やIT産業の依存先となった中国やインドの世界的覇権にも呑み込まれようとしている。
それと似たような因果応報を、日本もまた近代以降に欧米の猿真似で侵略征服などを
繰り広げてしまった程度には被っているけれども、それ以前に、侵略行為なども途絶して、
金満や洋学への依存も最小限に止めて行く国の営み方をよく研鑽し抜いていた程度には、
文明発展による因果応報の災禍以降の、世界のあり方を模索して行く主役ともなり得るものである。
近代文明に依存しきりでもなければ、殊更な反文明主義に振り切れるのでもなく、
文明や洋学を無覆無記に該当するような、無害な範囲だけで適切に取り扱って行く指針。
西洋かぶれにも懐古趣味にも振り切れない、中庸精神の復興と共にそれも培われて行くのである。
大航海時代以降、全世界へと侵略征服の魔の手を広げ、世界中を土人状態以上の荒廃に
陥れながら巨万の富を自分たちの元へと集積し、それを元手とした研究開発によって、
産業革命のような劇的な発展をも遂げたわけで、決して学術発展だけで成し得たことではない。
世界中の人々の平穏な生活を侵害してまで、自分たちの元に富を集積して行った弊害もまた生半な
ものではなく、その最終章として、英欧もまた世界中からの移民に乗っ取られようとしているし、
工業生産やIT産業の依存先となった中国やインドの世界的覇権にも呑み込まれようとしている。
それと似たような因果応報を、日本もまた近代以降に欧米の猿真似で侵略征服などを
繰り広げてしまった程度には被っているけれども、それ以前に、侵略行為なども途絶して、
金満や洋学への依存も最小限に止めて行く国の営み方をよく研鑽し抜いていた程度には、
文明発展による因果応報の災禍以降の、世界のあり方を模索して行く主役ともなり得るものである。
近代文明に依存しきりでもなければ、殊更な反文明主義に振り切れるのでもなく、
文明や洋学を無覆無記に該当するような、無害な範囲だけで適切に取り扱って行く指針。
西洋かぶれにも懐古趣味にも振り切れない、中庸精神の復興と共にそれも培われて行くのである。
羽生結弦の祖母「ゆづはまだまだ子供」
https://news.yahoo.co.jp/articles/be17335dc1ae5f127b8f0...
そりゃそうなんだろうけど、そのやんちゃで幼稚っぽい所まで含めて、
当人の女性人気の糧であり続けてきたわけで、そこから脱却した所にあるのは、
今の日本人の多くが「おっさん」などと呼んで唾棄する、魅力なし扱いな男のみなんよ。
結婚するにも、子を持つにも値しない域の、少年的な側面を持ち越したままの
男こそを女たちが欲して、男たちもまたそれに合わせて幼稚化して来てるのだし、
女たちの不埒な色男嗜好のほうに鉄槌を下さないことには、どうにもならないものだね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/be17335dc1ae5f127b8f0...
そりゃそうなんだろうけど、そのやんちゃで幼稚っぽい所まで含めて、
当人の女性人気の糧であり続けてきたわけで、そこから脱却した所にあるのは、
今の日本人の多くが「おっさん」などと呼んで唾棄する、魅力なし扱いな男のみなんよ。
結婚するにも、子を持つにも値しない域の、少年的な側面を持ち越したままの
男こそを女たちが欲して、男たちもまたそれに合わせて幼稚化して来てるのだし、
女たちの不埒な色男嗜好のほうに鉄槌を下さないことには、どうにもならないものだね。
(>>129の続き)
洋学のうちの、文系の学術については、あまりにも劣悪なものが多すぎることから、
軒並みその権威を剥奪して行くに越したことはないとも言い切れるものだが。
理系については、今現在の社会インフラのほか、先進医療で数多の人々の命運を支えて
いるような状態にもあるために、とうてい即座に破棄し去っていいような状態にはない。
そのため当面は保護の対象としながら、人々の依存度を少しずつ下げて行くことが、
医療保険による国の借金の山積で傾いている日本などにとっての指針となるであろうが。
だいたいが、洋学の文系派閥がすでに理系の派閥を抑圧していたりもすることだし、
逆に日本などでは、医学系以外の理系の学術振興がより復調される可能性も高い。
理系の洋学研究は、参加者たちにASD系的な沈鬱志向を強いるものであることから、
アメリカのように国策でそういう人種をシリコンバレー等で保護するぐらいの真似に
及ぶのでもなければ、洋学の権威を認める範疇においても委縮しかねないものである。
洋学のうちの、文系の学術については、あまりにも劣悪なものが多すぎることから、
軒並みその権威を剥奪して行くに越したことはないとも言い切れるものだが。
理系については、今現在の社会インフラのほか、先進医療で数多の人々の命運を支えて
いるような状態にもあるために、とうてい即座に破棄し去っていいような状態にはない。
そのため当面は保護の対象としながら、人々の依存度を少しずつ下げて行くことが、
医療保険による国の借金の山積で傾いている日本などにとっての指針となるであろうが。
だいたいが、洋学の文系派閥がすでに理系の派閥を抑圧していたりもすることだし、
逆に日本などでは、医学系以外の理系の学術振興がより復調される可能性も高い。
理系の洋学研究は、参加者たちにASD系的な沈鬱志向を強いるものであることから、
アメリカのように国策でそういう人種をシリコンバレー等で保護するぐらいの真似に
及ぶのでもなければ、洋学の権威を認める範疇においても委縮しかねないものである。
近年の日本などでは、アキバ系のオタク文化への評価などと共に理系を保護しようなどと
試みられた所もあったが、そんなものも焼け石に水としかならず、慶応閥の文系リア充
あたりにいいようにピンハネのカモにされ尽くした挙句、その総数から減って行ったのだった。
文系の洋学には、学究者の徳性を育む効果もなければ、現実社会の実相を俯瞰する
広い視野を得させる効果もなく、ただひたすら弱肉強食下での勝ち組となることへの野心
ばかりを蓄えさせる代物であるのだと、近年日本などでも多くの事例から察せられるものだが。
それは結局、文系の洋学もまた、江戸期に禁制扱いとなった日蓮宗派やキリシタンなどと同様、
イデオロギーゼロの社会に順応できないほどもの侵害性を帯びているということでもあるし、
ただ権威を剥奪するだけでも十分な改善が期待できないようなら、禁制の対象と
することまでをも考慮の内に入れておく必要があるだろう。
さながらそれは、前漢の武帝が儒学を完了登用のための純正科目に指定したのと引き換えに、
法家や縦横家の素養などをそこから排除したのとも似た機縁となるであろうが。そこから
結果的に中国は儒教一辺倒への道をひた走り始めることともなったわけで、そこで対照的に
儒学の権威が絶対化し過ぎたりすることにも十全な警戒を尽くして行くのでなければなるまい。
試みられた所もあったが、そんなものも焼け石に水としかならず、慶応閥の文系リア充
あたりにいいようにピンハネのカモにされ尽くした挙句、その総数から減って行ったのだった。
文系の洋学には、学究者の徳性を育む効果もなければ、現実社会の実相を俯瞰する
広い視野を得させる効果もなく、ただひたすら弱肉強食下での勝ち組となることへの野心
ばかりを蓄えさせる代物であるのだと、近年日本などでも多くの事例から察せられるものだが。
それは結局、文系の洋学もまた、江戸期に禁制扱いとなった日蓮宗派やキリシタンなどと同様、
イデオロギーゼロの社会に順応できないほどもの侵害性を帯びているということでもあるし、
ただ権威を剥奪するだけでも十分な改善が期待できないようなら、禁制の対象と
することまでをも考慮の内に入れておく必要があるだろう。
さながらそれは、前漢の武帝が儒学を完了登用のための純正科目に指定したのと引き換えに、
法家や縦横家の素養などをそこから排除したのとも似た機縁となるであろうが。そこから
結果的に中国は儒教一辺倒への道をひた走り始めることともなったわけで、そこで対照的に
儒学の権威が絶対化し過ぎたりすることにも十全な警戒を尽くして行くのでなければなるまい。
仮に、洋学(特に文系)がその権威を剥奪されて、儒学や仏学のような
正学が学歴の依拠材料としての正規教育科目に据えられ直すのだとしても、
そこで現代なみの学歴主義に基づくような、頑なな差別などがあってはならない。
近代以降の日本社会における学歴主義というのも、時代を追うごとに深刻化しながら、
世の中全体を低迷に陥らせる一大原因になって来たところがある。
戦前までは、小学校中退の牧野富太郎が東大の研究室に入り浸りながら
超絶飛び級で理学博士号を取得するようなこともあれど、戦後にはなくなった上に、
時を重ねるごとに、高度の洋学教育など必要もないような業界に至るまで、
全ての人事をまず学歴準拠で取り仕切るような事態をより深刻化させていったもの。
一橋卒の大塚久美子よりも、高卒の父親のほうが会社経営の手腕も普遍的に上だったと
すでに確認されたりもしているものだけれども、それ以前にまず、世の中の人事が
学歴ばかりで左右されなかった時代の日本のほうが活況を呈していた一方、ほとんど学歴だけで
全国民の価値が計られるようになると共に「失われた30年」が到来したという実情もまたある。
それはおそらく、儒学に基づく学歴至上主義の世相などが到来した場合にも招かれるに
違いない停滞であるのに違いないのは、儒教時代の中朝の様相などを鑑みても知れることである。
正学が学歴の依拠材料としての正規教育科目に据えられ直すのだとしても、
そこで現代なみの学歴主義に基づくような、頑なな差別などがあってはならない。
近代以降の日本社会における学歴主義というのも、時代を追うごとに深刻化しながら、
世の中全体を低迷に陥らせる一大原因になって来たところがある。
戦前までは、小学校中退の牧野富太郎が東大の研究室に入り浸りながら
超絶飛び級で理学博士号を取得するようなこともあれど、戦後にはなくなった上に、
時を重ねるごとに、高度の洋学教育など必要もないような業界に至るまで、
全ての人事をまず学歴準拠で取り仕切るような事態をより深刻化させていったもの。
一橋卒の大塚久美子よりも、高卒の父親のほうが会社経営の手腕も普遍的に上だったと
すでに確認されたりもしているものだけれども、それ以前にまず、世の中の人事が
学歴ばかりで左右されなかった時代の日本のほうが活況を呈していた一方、ほとんど学歴だけで
全国民の価値が計られるようになると共に「失われた30年」が到来したという実情もまたある。
それはおそらく、儒学に基づく学歴至上主義の世相などが到来した場合にも招かれるに
違いない停滞であるのに違いないのは、儒教時代の中朝の様相などを鑑みても知れることである。
「金持ちしか子供を作らなくなったから少子化になってしまった」と、
この前ひろゆきも言ってたけれども、「金持ちでなければ人にあらず」という風潮と同様、
「高学歴でなければ人にあらず」という風潮もまた世に蔓延した結果、低学歴はもはや
妻子も持てない域の貧窮に追い込まれても仕方がないという常識が定着してしまったもの。
今や、新卒採用でそこそこの会社に就職できるのでもなければ、闇バイトにでも手を出した
ほうがまだ稼げるというのが当たり前と化してしまったことから、Z世代の若者たちも、
ろくに世の中への不満も漏らすことなく、粛々と強盗や特殊詐欺に勤しむ事態ともなっている。
いつの時代も「~でなければ人にあらず」の域の過当競争が蔓延する世の中は自業自得での
衰滅に苛まれるものであり、貧富の格差がその原因になるのはある程度察知されているために
それなりの施策が講じられたりもする一方、学歴差別のほうはまだその試みすら疎かなままである。
みんな勉強ができないよりはできたほうがいい。大学に行く選択肢もないよりはあったほうが
いいということで、泡沫級の低ランク大学なども乱立させた結果、逆に誰しもが、まずは学歴で
その真価を図られるような差別性が蔓延して今に至る。これもまた「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
の結果であり、生きて行く上で必要もないような勉強に全てが支配されるのも不健全なのである。
この前ひろゆきも言ってたけれども、「金持ちでなければ人にあらず」という風潮と同様、
「高学歴でなければ人にあらず」という風潮もまた世に蔓延した結果、低学歴はもはや
妻子も持てない域の貧窮に追い込まれても仕方がないという常識が定着してしまったもの。
今や、新卒採用でそこそこの会社に就職できるのでもなければ、闇バイトにでも手を出した
ほうがまだ稼げるというのが当たり前と化してしまったことから、Z世代の若者たちも、
ろくに世の中への不満も漏らすことなく、粛々と強盗や特殊詐欺に勤しむ事態ともなっている。
いつの時代も「~でなければ人にあらず」の域の過当競争が蔓延する世の中は自業自得での
衰滅に苛まれるものであり、貧富の格差がその原因になるのはある程度察知されているために
それなりの施策が講じられたりもする一方、学歴差別のほうはまだその試みすら疎かなままである。
みんな勉強ができないよりはできたほうがいい。大学に行く選択肢もないよりはあったほうが
いいということで、泡沫級の低ランク大学なども乱立させた結果、逆に誰しもが、まずは学歴で
その真価を図られるような差別性が蔓延して今に至る。これもまた「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
の結果であり、生きて行く上で必要もないような勉強に全てが支配されるのも不健全なのである。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1700858297...
このスレの8などで多少述べていた、俺個人の洋学から正学への転向にかけての体験談で、
完全に心の重心から乗り換えることには大変な逡巡があったことをも独白しているのだが。
それこそは、当時の俺を含む今の日本や世界の大多数の人々が、
洋学至上主義と学歴至上主義の相乗への心理的屈服を強いられている証拠にもなっているといえる。
世の中には勉強嫌いや低学歴の人間も多かれど、それが即座にコンプレックスを抱かされる
原因となり、人並み以上に卑屈であったりすることを強いられる要因ともなる。それが、
洋学も学歴も必要ないような業務を、プライドを持って取り組んだりすることをも阻害し、
この世のあらゆる仕事をいい加減で適当なものならしめての荒廃をも招いてしまう。
(結果、学歴ぐらいでしか人の真価を量ることもできない事態がより強化される)
今だと正規教育扱いの洋学がその主たる元凶となっているが、儒教時代の中朝などでは、
儒学が全く同様な問題を招いていたことだし、学歴至上主義による征服は必ずそれを招くもの。
老子も「絶学無憂」を謳い、荘子や列子も儒家の勉強志向をこっぴどく非難するような
論弁を遺しているが、それをただ反知性主義の正当化材料にしたりするのは誤りで、
この世が学歴至上主義で覆い尽くされたりしないようにするための牽制材料として
尊重することこそが、イデオロギーゼロの達成のためにも純正な利用方法となるであろう。
このスレの8などで多少述べていた、俺個人の洋学から正学への転向にかけての体験談で、
完全に心の重心から乗り換えることには大変な逡巡があったことをも独白しているのだが。
それこそは、当時の俺を含む今の日本や世界の大多数の人々が、
洋学至上主義と学歴至上主義の相乗への心理的屈服を強いられている証拠にもなっているといえる。
世の中には勉強嫌いや低学歴の人間も多かれど、それが即座にコンプレックスを抱かされる
原因となり、人並み以上に卑屈であったりすることを強いられる要因ともなる。それが、
洋学も学歴も必要ないような業務を、プライドを持って取り組んだりすることをも阻害し、
この世のあらゆる仕事をいい加減で適当なものならしめての荒廃をも招いてしまう。
(結果、学歴ぐらいでしか人の真価を量ることもできない事態がより強化される)
今だと正規教育扱いの洋学がその主たる元凶となっているが、儒教時代の中朝などでは、
儒学が全く同様な問題を招いていたことだし、学歴至上主義による征服は必ずそれを招くもの。
老子も「絶学無憂」を謳い、荘子や列子も儒家の勉強志向をこっぴどく非難するような
論弁を遺しているが、それをただ反知性主義の正当化材料にしたりするのは誤りで、
この世が学歴至上主義で覆い尽くされたりしないようにするための牽制材料として
尊重することこそが、イデオロギーゼロの達成のためにも純正な利用方法となるであろう。
学歴至上主義に限らず、特定の思想信教によるイデオロギー支配が
深刻化してしまっている所には必ずや、文武両道の嗜みの不全化が存在する。
洋学はそれ自体が文弱による机上の空論に特化しているために、
そのような事態を世の中にもたらす傾向が特に顕著であるけれども、
洋学の原産地である西洋にはスポーツという運動文化もまたあり、
儒教時代の中朝などと比べればまだ体育を重んじている傾向もある。
しかし、西洋における運動体系は、体育会系にしろ軍事行動にしろ、
少なからず頭を使わずに体だけを動かすことを要求する志向性を帯びているために、
たとえ洋学とスポーツを共に受容したからといって、真の文武両道たるわけではなく、
ただ単に二足の草鞋を履いているだけの域に止まることとなる。
今の日本だと、体育会系でスポーツマンを兼ねる医者や商社マンなども多かれど、
それが学歴至上主義の蔓延の歯止め役になるどころか、むしろ助長役に
なってしまっていたりすることからもわかるように、そういう人種は文弱の領域では
純粋に文弱たる上に、スポーツ競技の感覚で社会的な弱肉強食をも激化させるような
より一層の悲惨さを招くことしかできないために、少しも文武両道として尊ぶには値しない。
深刻化してしまっている所には必ずや、文武両道の嗜みの不全化が存在する。
洋学はそれ自体が文弱による机上の空論に特化しているために、
そのような事態を世の中にもたらす傾向が特に顕著であるけれども、
洋学の原産地である西洋にはスポーツという運動文化もまたあり、
儒教時代の中朝などと比べればまだ体育を重んじている傾向もある。
しかし、西洋における運動体系は、体育会系にしろ軍事行動にしろ、
少なからず頭を使わずに体だけを動かすことを要求する志向性を帯びているために、
たとえ洋学とスポーツを共に受容したからといって、真の文武両道たるわけではなく、
ただ単に二足の草鞋を履いているだけの域に止まることとなる。
今の日本だと、体育会系でスポーツマンを兼ねる医者や商社マンなども多かれど、
それが学歴至上主義の蔓延の歯止め役になるどころか、むしろ助長役に
なってしまっていたりすることからもわかるように、そういう人種は文弱の領域では
純粋に文弱たる上に、スポーツ競技の感覚で社会的な弱肉強食をも激化させるような
より一層の悲惨さを招くことしかできないために、少しも文武両道として尊ぶには値しない。
スポーツ化した戦後の剣道や柔道を必修科目としている警察官が、
並外れた低能だらけと化してしまっていたりすることからも分かるように、
頭をちゃんと使わない体育会系の運動こそは、知性を鈍麻させるという弊害もある。
真の文武両道と呼ぶべきなのは、古来の武芸や仏道修行なみに、
身体の端々に至るまで知恵を巡らせて完璧な制御下に置く部類の運動と、
それに基づく叡智の獲得のほうであり、それは机上の空論止まりな脳化の知性と、
頭を使わずに体だけ動かしていようとするような運動の両立などとは全くの別物である。
それは実際、大変に困難な嗜みであるために、世の中の大多数の人間には務まらない。
武士も武芸者も仏僧も、いつの時代も世の多数派だったりまではしないでいながら、
そういった取り組みに専念し、人並み以上の崇敬対象としての地位を得ていたわけで、
故にこそ、世の中全体を執拗な支配下に置く全体主義の体現などでもあり得ないのである。
文化系一辺倒や体育会系一辺倒に権威を付与すると、さほどの域にもないような愚か者が
大勢力化しながら世の中全体を強権的な支配下に置くような真似を試み始めるために、それを禁止し、
難儀で少数しか十分に上達できない真の文武両道を、だからこそ権威の拠り所として行くのである。
並外れた低能だらけと化してしまっていたりすることからも分かるように、
頭をちゃんと使わない体育会系の運動こそは、知性を鈍麻させるという弊害もある。
真の文武両道と呼ぶべきなのは、古来の武芸や仏道修行なみに、
身体の端々に至るまで知恵を巡らせて完璧な制御下に置く部類の運動と、
それに基づく叡智の獲得のほうであり、それは机上の空論止まりな脳化の知性と、
頭を使わずに体だけ動かしていようとするような運動の両立などとは全くの別物である。
それは実際、大変に困難な嗜みであるために、世の中の大多数の人間には務まらない。
武士も武芸者も仏僧も、いつの時代も世の多数派だったりまではしないでいながら、
そういった取り組みに専念し、人並み以上の崇敬対象としての地位を得ていたわけで、
故にこそ、世の中全体を執拗な支配下に置く全体主義の体現などでもあり得ないのである。
文化系一辺倒や体育会系一辺倒に権威を付与すると、さほどの域にもないような愚か者が
大勢力化しながら世の中全体を強権的な支配下に置くような真似を試み始めるために、それを禁止し、
難儀で少数しか十分に上達できない真の文武両道を、だからこそ権威の拠り所として行くのである。
真の文武両道は、大多数の人間には務まらない上に、十分な理解もできない。
>>110で引き合いに出した疋田文五郎秘伝の剣術奥義なども、
常人にはまともに活用もできない上に、その凄さも十分には分からない。
まず重心を下げる沈の姿勢での剣術技巧が、実戦性を重んずる流派に重用されて来た
古来の武芸の常識があった上で、裏技としての直ぐ立ちでの攻撃の凄さが強調されているのを
聞き知らされたりした所で、そもそも実戦性を無視して始めから直立で競技している
今の剣道などを剣技の基本だと思い込んでいる現代人からすれば、全くの意味不明となる。
相手の裏の裏の裏をかいて行くような、知恵比べの極北に存在する奥義などを、
常人が理解できないのは当たり前のことであって、必要なのはそこにまで理解を及ばせる
ことではなく、理解できないものをそうであるままに敬い尊べるだけの篤実さなのである。
>>110で引き合いに出した疋田文五郎秘伝の剣術奥義なども、
常人にはまともに活用もできない上に、その凄さも十分には分からない。
まず重心を下げる沈の姿勢での剣術技巧が、実戦性を重んずる流派に重用されて来た
古来の武芸の常識があった上で、裏技としての直ぐ立ちでの攻撃の凄さが強調されているのを
聞き知らされたりした所で、そもそも実戦性を無視して始めから直立で競技している
今の剣道などを剣技の基本だと思い込んでいる現代人からすれば、全くの意味不明となる。
相手の裏の裏の裏をかいて行くような、知恵比べの極北に存在する奥義などを、
常人が理解できないのは当たり前のことであって、必要なのはそこにまで理解を及ばせる
ことではなく、理解できないものをそうであるままに敬い尊べるだけの篤実さなのである。
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スレッドタイトル:この世で最高の"イデオロギー"は「無為自然」である