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正直であることは楽しい 偉大なる生存の報告 Part319
▼ページ最下部
ここにいる一部の連中などからすれば、
正直であることは堅苦しいこと、嘘偽りでもなんでもやり放題のほうが
楽しいことのように思われたりもするようだけれども、むしろ逆。
正直であることで、自らの思考回路から矛盾性が排されることにより、
同時に考えると破綻があらわになるような矛盾情報同士の断片化がなくなり、
デフラグの行き届いたHDDが快適に動作するのと同じように、頭でいろいろと
ものを考えることがどこまでもストレスフリーでいられるようになる。
まずそれが楽しい。
正直を尽くすことで断片化を極力排し、それにより
ストレージとしての空き容量を十分に確保した状態の思考回路は、
何かを思い出したりすることもまた容易たり、まるでRAID構築された
複数のHDDのうちの一つが故障して読み取り不能になろうとも、その他の
ディスクの分散パリティからすべての損失情報をリビルドできるのと同じように、
一度忘れてしまった記憶の復元による思い出しもまた容易となる。
それがまた楽しい。
マインドフルネスとかいうのは、なにか神秘的な意味合いを持ち合わせた話の
ように思いこまれている節があるけれども、そういった即物的な観点に即した
説明が可能な範疇の話でもあることだし(もちろんそれだけではないのだが)、
そのための手段もただ正直であったりするような、ごく身近なものだったりも
するわけで、敬遠して全く心がけもしない正当性なども基本ないのである。
正直であることは堅苦しいこと、嘘偽りでもなんでもやり放題のほうが
楽しいことのように思われたりもするようだけれども、むしろ逆。
正直であることで、自らの思考回路から矛盾性が排されることにより、
同時に考えると破綻があらわになるような矛盾情報同士の断片化がなくなり、
デフラグの行き届いたHDDが快適に動作するのと同じように、頭でいろいろと
ものを考えることがどこまでもストレスフリーでいられるようになる。
まずそれが楽しい。
正直を尽くすことで断片化を極力排し、それにより
ストレージとしての空き容量を十分に確保した状態の思考回路は、
何かを思い出したりすることもまた容易たり、まるでRAID構築された
複数のHDDのうちの一つが故障して読み取り不能になろうとも、その他の
ディスクの分散パリティからすべての損失情報をリビルドできるのと同じように、
一度忘れてしまった記憶の復元による思い出しもまた容易となる。
それがまた楽しい。
マインドフルネスとかいうのは、なにか神秘的な意味合いを持ち合わせた話の
ように思いこまれている節があるけれども、そういった即物的な観点に即した
説明が可能な範疇の話でもあることだし(もちろんそれだけではないのだが)、
そのための手段もただ正直であったりするような、ごく身近なものだったりも
するわけで、敬遠して全く心がけもしない正当性なども基本ないのである。
>1では脳の挙動をHDDに譬えたけれども、
もちろん脳が完全にHDDやPCそのものなんてことはく、
多少は違った挙動を見せる点もある。
「脳の空き容量が十分なら、まるでRAIDを構築したHDDのように忘れた記憶を思い出せる」
とは言ったけれども、脳の記憶容量は1ペタバイト以上もあるといわれ、その大半は
生きてる内にフル活用されることもなく終わるぐらいのものでもあるらしい。
しかし、たとえ空き容量が十分だろうとも、断片化で記憶情報が脳の記憶領域の
方々に散逸してしまった状態だと、その領域全体が使用済み領域として扱われ、
それと同等の空き領域が別にあるのでなければ、RAID構築のHDDのような
忘却記憶の再構築などもできなくなってしまうという特徴が、人間の脳にはあるようである。
もちろん脳が完全にHDDやPCそのものなんてことはく、
多少は違った挙動を見せる点もある。
「脳の空き容量が十分なら、まるでRAIDを構築したHDDのように忘れた記憶を思い出せる」
とは言ったけれども、脳の記憶容量は1ペタバイト以上もあるといわれ、その大半は
生きてる内にフル活用されることもなく終わるぐらいのものでもあるらしい。
しかし、たとえ空き容量が十分だろうとも、断片化で記憶情報が脳の記憶領域の
方々に散逸してしまった状態だと、その領域全体が使用済み領域として扱われ、
それと同等の空き領域が別にあるのでなければ、RAID構築のHDDのような
忘却記憶の再構築などもできなくなってしまうという特徴が、人間の脳にはあるようである。
RAIDにも色々あって、より高度な構築方法もある上に、
人間の脳もまたそれに近い挙動を尽くせるようだけれども、
とりあえず一番わかりやすいRAID1に譬えてみれば――
たとえば1TBのHDDが二つある場合、
両方に全く同じ情報をミラーリングによって書き込む。
これだと片方が損傷してももう一方で復元が可能なわけだが。
人間の脳の作りに即して考えるなら、
1TB×2=2TBのHDDに情報が散逸して書き込まれている状態だと、
その情報が合計1TB以内であるのだろうとも、その全ての情報の
ミラーリングは不可能となり、忘れたら思い出せない記憶だらけとなる。
たとえ脳の記憶容量が本当に1ペタバイト超えで、存命中にその半分ほども
使いきれないのだろうとも、記憶領域全体に情報が散逸して書き込まれている
状態なら、再構築による思い出しが不能な記憶だらけとなるのには変わりない。
人間がボケたりするのも、基本はそういう原理に基づくもので、
なればこそボケない人間は100歳超えてもボケないし、
逆に若年性痴呆なんかに陥ってしまうような人間もいる。
記憶を断片化させまくるような人生を送っているか否かが、まずそれを左右する。
人間の脳もまたそれに近い挙動を尽くせるようだけれども、
とりあえず一番わかりやすいRAID1に譬えてみれば――
たとえば1TBのHDDが二つある場合、
両方に全く同じ情報をミラーリングによって書き込む。
これだと片方が損傷してももう一方で復元が可能なわけだが。
人間の脳の作りに即して考えるなら、
1TB×2=2TBのHDDに情報が散逸して書き込まれている状態だと、
その情報が合計1TB以内であるのだろうとも、その全ての情報の
ミラーリングは不可能となり、忘れたら思い出せない記憶だらけとなる。
たとえ脳の記憶容量が本当に1ペタバイト超えで、存命中にその半分ほども
使いきれないのだろうとも、記憶領域全体に情報が散逸して書き込まれている
状態なら、再構築による思い出しが不能な記憶だらけとなるのには変わりない。
人間がボケたりするのも、基本はそういう原理に基づくもので、
なればこそボケない人間は100歳超えてもボケないし、
逆に若年性痴呆なんかに陥ってしまうような人間もいる。
記憶を断片化させまくるような人生を送っているか否かが、まずそれを左右する。
[YouTubeで再生]
真夜中の スゥクオオルゥ
バッ ミラ越しに のぞうきゃば
赤い 電波 背中から
君とあいつ のぞいてる
オー セックス セックス セックス
モーニカぃあ
ウー 忘れないざ うー 今年のなざ
うー ダイナマンダに きらめいて 何もきゃもが
君の性さ おー モニカーんあ
真夜中の スゥクオオルゥ
バッ ミラ越しに のぞうきゃば
赤い 電波 背中から
君とあいつ のぞいてる
オー セックス セックス セックス
モーニカぃあ
ウー 忘れないざ うー 今年のなざ
うー ダイナマンダに きらめいて 何もきゃもが
君の性さ おー モニカーんあ
ウチでも実験的にジャンクパーツ集めて、
格安でRAID5構築してみたりするんだが。
これが、ただ高信頼性なだけじゃなくて、読み書きも爆速。
eSATA接続なら、昔ながらのIDEでもUSB3.0なみの速さに。
合計2TBだと1.5TBの容量が確保できるし、
4つ以上ものHDDが必要となる点を除けば、RAID1などの完全上位互換。
脳記憶もそういった、より効率的で高容量で高信頼性な構築が可能。
無論、ここまで高度な構築を必要とする人間自体が、
相当な勉強なり修養なりを積み重ねて来た者だけに限られるだろうし、
ほとんどの記憶処理を側頭葉の短期記憶頼みで済ませてるような
ボンクラ連中からすれば、前頭葉の長期記憶にRAID的な構築を
凝らす必要性自体をあまり感じなかったりもするだろうが。
だからといって長期記憶を断片化まみれな、
おもちゃ箱をひっくり返したも同然の状態で抛っといたりすれば、
それが後々に大きな仇となって返って来ることが避けられぬ。
格安でRAID5構築してみたりするんだが。
これが、ただ高信頼性なだけじゃなくて、読み書きも爆速。
eSATA接続なら、昔ながらのIDEでもUSB3.0なみの速さに。
合計2TBだと1.5TBの容量が確保できるし、
4つ以上ものHDDが必要となる点を除けば、RAID1などの完全上位互換。
脳記憶もそういった、より効率的で高容量で高信頼性な構築が可能。
無論、ここまで高度な構築を必要とする人間自体が、
相当な勉強なり修養なりを積み重ねて来た者だけに限られるだろうし、
ほとんどの記憶処理を側頭葉の短期記憶頼みで済ませてるような
ボンクラ連中からすれば、前頭葉の長期記憶にRAID的な構築を
凝らす必要性自体をあまり感じなかったりもするだろうが。
だからといって長期記憶を断片化まみれな、
おもちゃ箱をひっくり返したも同然の状態で抛っといたりすれば、
それが後々に大きな仇となって返って来ることが避けられぬ。
今どきM2でRAID組まなくても以下省略
上記のようなRAID的情報構築の妨げになるという問題がまた別にあるために、
記憶情報の断片化の危害は、HDD以上に人間の脳の場合のほうが大きいといえる。
危害度でいえばSSD<HDD≪人間の脳とでもいった所。
SSDも多少はデフラグの効果があると言われるが、脳やHDDほどではないうえ、
読み書き回数や記憶時間に仕様上からの限界があるといった別の問題も
あるために、良くも悪しくも人間の脳からはより遠ざかったといえる。
SSDよりもHDDのほうがはるかにコスパに優れるために、
今でもサーバー構築などではHDDのほうが重宝されていることが多いけれども、
脳記憶はそのHDDの数百倍もの容量を持ちながら、データセンターなぞよりも
はるかに小さい一人一人の人間の頭の中に収まっているものなれば、
その汎用性の高さをIT技術が完全に上回るのもまだまだ先のこととなろう。
そこをうまくフル活用できるか否かで、人間がAI以上たり続けるか否かも左右される。
脳記憶の断片化をよく防いで、情報処理のストレスフリー状態やRAID構築の余裕を
確保していれば、AIにはまだできない、思いつかないようなことが可能となる一方、
記憶領域全体に断片化した記憶を散逸させているような状態なら、いつと言わず、
もうすでにAIほどの有用性もない半廃人と化していたりもしよう。
人間を有用性の如何ばかりで考えるのも冷酷に過ぎる所があろうが、そういう点を
全く無視していいわけもなく、そのせいでAIに足元をすくわれぬようにもせねばならぬ。
記憶情報の断片化の危害は、HDD以上に人間の脳の場合のほうが大きいといえる。
危害度でいえばSSD<HDD≪人間の脳とでもいった所。
SSDも多少はデフラグの効果があると言われるが、脳やHDDほどではないうえ、
読み書き回数や記憶時間に仕様上からの限界があるといった別の問題も
あるために、良くも悪しくも人間の脳からはより遠ざかったといえる。
SSDよりもHDDのほうがはるかにコスパに優れるために、
今でもサーバー構築などではHDDのほうが重宝されていることが多いけれども、
脳記憶はそのHDDの数百倍もの容量を持ちながら、データセンターなぞよりも
はるかに小さい一人一人の人間の頭の中に収まっているものなれば、
その汎用性の高さをIT技術が完全に上回るのもまだまだ先のこととなろう。
そこをうまくフル活用できるか否かで、人間がAI以上たり続けるか否かも左右される。
脳記憶の断片化をよく防いで、情報処理のストレスフリー状態やRAID構築の余裕を
確保していれば、AIにはまだできない、思いつかないようなことが可能となる一方、
記憶領域全体に断片化した記憶を散逸させているような状態なら、いつと言わず、
もうすでにAIほどの有用性もない半廃人と化していたりもしよう。
人間を有用性の如何ばかりで考えるのも冷酷に過ぎる所があろうが、そういう点を
全く無視していいわけもなく、そのせいでAIに足元をすくわれぬようにもせねばならぬ。
立目
木ノし
にきまってんだろ。
一般的なPCがHDDやSSDなどのストレージにデータを長期記憶する一方で、
そこからデータを取り出してRAMメモリに一時記憶させ、俎上の鯉のごとく
CPUで処理した上で、上書き保存などでストレージデータに戻するように、
人間の脳もまた前頭葉の長期記憶を、側頭葉のRAMやCPUに該当する部位に
一旦預けて処理させたうえで、また前頭葉に戻すといった処理を行っている。
このうちの、側頭葉での情報処理ばかりに没頭するあまりに、
前頭葉での記憶処理を疎かにする所から、長期記憶の断片化が生ずる。
女子などは特にその傾向が強いために、側頭葉頼みでの会話能力などは高い一方、
長期記憶のほうは得てしてひっくり返したおもちょ箱状態で、その手の長期記憶を
駆使する論理的で体系的な考察などは苦手で嫌がる、といった傾向もまたある。
男もまた、そんな女たちにモテたいあまりに側頭葉頼みな思考や会話などに偏り、
長期記憶を疎かにし抜いた挙句に生粋のボンクラと化したりする。しかもそれは
下衆なチャラ男などに限った話ではなく、それなりにいい学校を出ていい仕事を
得るようなインテリの部類の男すらもが、試験突破頼みなどによってそうなるもの。
今の学校や資格試験での勉強などが、長期記憶の処理を重んじているようなこともなく、
何もかもが洋学由来であるがゆえに短期記憶処理偏重に陥っているのが実情であり、
長期記憶の養生はかなり変則扱いな手段に頼らねばならないのが現状である。
木ノし
にきまってんだろ。
一般的なPCがHDDやSSDなどのストレージにデータを長期記憶する一方で、
そこからデータを取り出してRAMメモリに一時記憶させ、俎上の鯉のごとく
CPUで処理した上で、上書き保存などでストレージデータに戻するように、
人間の脳もまた前頭葉の長期記憶を、側頭葉のRAMやCPUに該当する部位に
一旦預けて処理させたうえで、また前頭葉に戻すといった処理を行っている。
このうちの、側頭葉での情報処理ばかりに没頭するあまりに、
前頭葉での記憶処理を疎かにする所から、長期記憶の断片化が生ずる。
女子などは特にその傾向が強いために、側頭葉頼みでの会話能力などは高い一方、
長期記憶のほうは得てしてひっくり返したおもちょ箱状態で、その手の長期記憶を
駆使する論理的で体系的な考察などは苦手で嫌がる、といった傾向もまたある。
男もまた、そんな女たちにモテたいあまりに側頭葉頼みな思考や会話などに偏り、
長期記憶を疎かにし抜いた挙句に生粋のボンクラと化したりする。しかもそれは
下衆なチャラ男などに限った話ではなく、それなりにいい学校を出ていい仕事を
得るようなインテリの部類の男すらもが、試験突破頼みなどによってそうなるもの。
今の学校や資格試験での勉強などが、長期記憶の処理を重んじているようなこともなく、
何もかもが洋学由来であるがゆえに短期記憶処理偏重に陥っているのが実情であり、
長期記憶の養生はかなり変則扱いな手段に頼らねばならないのが現状である。
おいおい、俺は今「嘘をついてはいけない」とか、
そんな杓子定規で単細胞な話なんかをしちゃいないぞ?
嘘をついていいか否か、つくべきか否かとはまた別の問題として、
「正直であることは楽しい、嘘をつくことはつまらない」という
人間にとっての生理法則を実感できているか否かという問題がある。
実感できた上で、方便としての必要性によって嘘をつくのならいいが、
そこもできてない未熟者が、まるで楽しいことであるかのように、
虚言を貪っての苦悶に陥ってしまったりするようなら大問題。
前者は嘘をついて記憶を断片化させるセクションをちゃんと局所化するが、
後者は脳の記憶領域全体に、嘘つきならではの断片化情報をまき散らすから。
正直であることの楽しみを享受できるか否かで天地ほどの開きが生ずる。
あ、もちろん俺は本当に高齢童貞の無職ニートだぞ。^^
「嘘をつくこともある」と言ったが、別にそこが嘘なわけじゃないから。ウンウン
そんな杓子定規で単細胞な話なんかをしちゃいないぞ?
嘘をついていいか否か、つくべきか否かとはまた別の問題として、
「正直であることは楽しい、嘘をつくことはつまらない」という
人間にとっての生理法則を実感できているか否かという問題がある。
実感できた上で、方便としての必要性によって嘘をつくのならいいが、
そこもできてない未熟者が、まるで楽しいことであるかのように、
虚言を貪っての苦悶に陥ってしまったりするようなら大問題。
前者は嘘をついて記憶を断片化させるセクションをちゃんと局所化するが、
後者は脳の記憶領域全体に、嘘つきならではの断片化情報をまき散らすから。
正直であることの楽しみを享受できるか否かで天地ほどの開きが生ずる。
あ、もちろん俺は本当に高齢童貞の無職ニートだぞ。^^
「嘘をつくこともある」と言ったが、別にそこが嘘なわけじゃないから。ウンウン
嘘をつく楽しみと、正直であることの楽しみこそは相反するもの。
正直であることの楽しみは、脳記憶のデフラグやRAID構築に依る一方、
嘘をつくことの楽しみは、脳記憶の断片化からの散逸に依るため。
何度も引き合いに出して来た譬えだけれども、
イエスが冤罪で処刑されて昇天したからといって、
強盗強姦殺人犯バラバの罪が清められたなどというかの風説なぞも、
バラバの被害者や遺族からすればたまったものではない漫言だけれども、
こういった被害者遺族への配慮にまつわる記憶を完全に切り離して、
脳内の遠方に断片化して死蔵してしまえば、それを美談のようにも思い込める。
その時、当人は自分に嘘をついて、その嘘こそを楽しんでいる。
嘘を楽しめるのはいつでも、他者だけでなく自分をも騙しているからで、
それは必ずや記憶情報の深刻な断片化に依っているものであるが故に、
正直を尽くすことでの記憶のデフラグなどとは相いれることがない。
正直であることの楽しみは、脳記憶のデフラグやRAID構築に依る一方、
嘘をつくことの楽しみは、脳記憶の断片化からの散逸に依るため。
何度も引き合いに出して来た譬えだけれども、
イエスが冤罪で処刑されて昇天したからといって、
強盗強姦殺人犯バラバの罪が清められたなどというかの風説なぞも、
バラバの被害者や遺族からすればたまったものではない漫言だけれども、
こういった被害者遺族への配慮にまつわる記憶を完全に切り離して、
脳内の遠方に断片化して死蔵してしまえば、それを美談のようにも思い込める。
その時、当人は自分に嘘をついて、その嘘こそを楽しんでいる。
嘘を楽しめるのはいつでも、他者だけでなく自分をも騙しているからで、
それは必ずや記憶情報の深刻な断片化に依っているものであるが故に、
正直を尽くすことでの記憶のデフラグなどとは相いれることがない。
カルト教義には上記の如く、自分を騙すことを楽しむ部類の大嘘が
含まれていることが常なわけだけれども、真っ当な信教はこれに反する。
大乗仏教などにも方便としての嘘らしき教説は多かれど、そのうちのどれ一つとして
嘘を楽しむことを目的としたものはなく、正直であることのほうを楽しむように
愚民までをもいざなうための工夫であることに特化したものとなっている。
(無論、カルト化した一部の流派などについてはその限りでもない)
そもそもが自力作善の仏門には、大乗といわず小乗といわず全門派共通の仏戒があり、
そこにも不妄語、不綺語、不両舌といった嘘偽りを禁じる部類の戒律がちゃんと
あるわけで、本来、仏道と正直ほど切っても切れない仲にある事物も他にないもの。
ただ、道元禅師や玄峰老師のような本格の仏者までもが、仏道はあくまで自分自身の
安楽のためにあるものだと断言されているものだし、嘘をつくことのほうが楽しい、
正直であることはつまらないというのなら、そんな言い分は成り立たないもののはず。
元より、仏道が嘘を戒めているのは、そこにこそ自らの安楽、楽しみがあるからである。
正直であることで自らのマインドフルネスが達成され、場合によっては、
虚空蔵求聞持法の会得による暗記自在の境地などにも至れるからこそ、
嘘偽りへの耽溺で自らの脳記憶を劣化させることを忌み避けんとして来たのである。
含まれていることが常なわけだけれども、真っ当な信教はこれに反する。
大乗仏教などにも方便としての嘘らしき教説は多かれど、そのうちのどれ一つとして
嘘を楽しむことを目的としたものはなく、正直であることのほうを楽しむように
愚民までをもいざなうための工夫であることに特化したものとなっている。
(無論、カルト化した一部の流派などについてはその限りでもない)
そもそもが自力作善の仏門には、大乗といわず小乗といわず全門派共通の仏戒があり、
そこにも不妄語、不綺語、不両舌といった嘘偽りを禁じる部類の戒律がちゃんと
あるわけで、本来、仏道と正直ほど切っても切れない仲にある事物も他にないもの。
ただ、道元禅師や玄峰老師のような本格の仏者までもが、仏道はあくまで自分自身の
安楽のためにあるものだと断言されているものだし、嘘をつくことのほうが楽しい、
正直であることはつまらないというのなら、そんな言い分は成り立たないもののはず。
元より、仏道が嘘を戒めているのは、そこにこそ自らの安楽、楽しみがあるからである。
正直であることで自らのマインドフルネスが達成され、場合によっては、
虚空蔵求聞持法の会得による暗記自在の境地などにも至れるからこそ、
嘘偽りへの耽溺で自らの脳記憶を劣化させることを忌み避けんとして来たのである。
暗記自在の虚空蔵求聞持法とか、
どこまで本物だったのかまでは未だ知れないけれども、
正直さを重んずる仏道修行と共にそういった、
並外れた知性の会得が実現し得た可能性も十分にある。
ただ、それはもう嘘偽りこそが楽しみとされるような、
現代の風潮ではろくに再現の目途も立たないものであるし、
なおかつそれは前頭葉の長期記憶能力を高める技法であるが故に、
側頭葉の短期記憶能力ばかりに頼る近代の学術試験などで、
必ずしも高い効果を発揮するとも限らないこととなろう。
同法を会得していたお大師様の出身地である香川が、
今でも全国最上級の学力水準でもあったりするのを見るに、
まったくの無益とまではならないだろうけれども、
些末な知識よりも深遠な知恵のほうを重んずる世においてこそ、
その部類の持法が大いなる効果を発揮することともなるだろう。
どこまで本物だったのかまでは未だ知れないけれども、
正直さを重んずる仏道修行と共にそういった、
並外れた知性の会得が実現し得た可能性も十分にある。
ただ、それはもう嘘偽りこそが楽しみとされるような、
現代の風潮ではろくに再現の目途も立たないものであるし、
なおかつそれは前頭葉の長期記憶能力を高める技法であるが故に、
側頭葉の短期記憶能力ばかりに頼る近代の学術試験などで、
必ずしも高い効果を発揮するとも限らないこととなろう。
同法を会得していたお大師様の出身地である香川が、
今でも全国最上級の学力水準でもあったりするのを見るに、
まったくの無益とまではならないだろうけれども、
些末な知識よりも深遠な知恵のほうを重んずる世においてこそ、
その部類の持法が大いなる効果を発揮することともなるだろう。
見るからに敵以外の何者でもない物言いと共に「敵ではない」などと。
自分が全く見えてない部類の狂人であることが自明な上に、
まるで一人や二人の人間程度、平気で56せるような脅しもかけてくる。
事実だった所で、この世の権力が狂人に乗っ取られていることを証する、
全人類にとっての残念な物言いでしかないな。
つまり、何一つとして人生を楽しんでいるようには見えないわけである。
自分が全く見えてない部類の狂人であることが自明な上に、
まるで一人や二人の人間程度、平気で56せるような脅しもかけてくる。
事実だった所で、この世の権力が狂人に乗っ取られていることを証する、
全人類にとっての残念な物言いでしかないな。
つまり、何一つとして人生を楽しんでいるようには見えないわけである。
バーーーカ
なんだこの火病状態な奇人は。
まず以て、RAID1は全く同じ情報を二つのHDDにミラーリング保存するだけだから、
故意な断片化も何もあったもんじゃない。それ以上に高度なRAIDもまた、
情報をより効率的かつ安全に読み書きできるようにするための、
故意の断片化であり、ただひたすら情報整理の努力も怠った挙句の、
断片化情報の散逸などとはまるでわけが違う。
先にも書いたおもちゃ箱のたとえに即するなら、
・有害無益な断片化情報の散逸=おもちゃ箱をひっくり返して部屋中に散乱させ、遊びたいおもちゃがすぐに見つからない状態
・単純な断片化情報のデフラグ=おもちゃをすべて一つの箱に片づけて、遊びたいおもちゃを比較的見つけやすくした状態
・RAID構築による故意の断片化=おもちゃを複数の箱に分類して片づけることで、より見つけやすくした状態
とでも言ったところで、RAIDはただのデフラグよりもさらに高度で効率的な情報の整理整頓である一方、
ボンクラやカルト信者が己が脳内でも来してるような断片化情報の際限なき散逸状態は、
ただのデフラグほどにも整理ができてない、しつけの悪い子供が遊んだ跡状態なだけでしかない。
まず以て、RAID1は全く同じ情報を二つのHDDにミラーリング保存するだけだから、
故意な断片化も何もあったもんじゃない。それ以上に高度なRAIDもまた、
情報をより効率的かつ安全に読み書きできるようにするための、
故意の断片化であり、ただひたすら情報整理の努力も怠った挙句の、
断片化情報の散逸などとはまるでわけが違う。
先にも書いたおもちゃ箱のたとえに即するなら、
・有害無益な断片化情報の散逸=おもちゃ箱をひっくり返して部屋中に散乱させ、遊びたいおもちゃがすぐに見つからない状態
・単純な断片化情報のデフラグ=おもちゃをすべて一つの箱に片づけて、遊びたいおもちゃを比較的見つけやすくした状態
・RAID構築による故意の断片化=おもちゃを複数の箱に分類して片づけることで、より見つけやすくした状態
とでも言ったところで、RAIDはただのデフラグよりもさらに高度で効率的な情報の整理整頓である一方、
ボンクラやカルト信者が己が脳内でも来してるような断片化情報の際限なき散逸状態は、
ただのデフラグほどにも整理ができてない、しつけの悪い子供が遊んだ跡状態なだけでしかない。
上にもすでに書いたが、現状のIT機材の情報処理速度は、
人間の脳みそをはるかに超えていて、チェスや将棋で
人間のプロがAIに敵わなくなってからもすでに久しい。
SSDだM.2だは、さらにその最新鋭に属する部類の機材だから、
もうとっくに処理速度で負けている人間の脳からは、むしろより遠ざかっている。
ゆえに「脳であればなおのこと」などという理屈は全く通らない。
ただ、人間の脳にも、体積当たりの記憶容量では現行の機材をはるかに上回っていて、
なおかつそれが人体に直結されているという長所が未だあるものだから、
主に前頭葉に貯め込まれる長期記憶のより高度な駆使が、
AIなどを上回る成果を挙げ続けられる可能性は未だに認められるものである。
そのために必要となるのは、ITでいえばデフラグとかRAIDとかの、
近年では旧態化し始めているような部類の技術に類似した嗜みのほう。
情報の処理速度ではすでに脳のほうが負けているのだから、
生身である以上はこれからもそうであり続けることには変わりない。
人間の脳みそをはるかに超えていて、チェスや将棋で
人間のプロがAIに敵わなくなってからもすでに久しい。
SSDだM.2だは、さらにその最新鋭に属する部類の機材だから、
もうとっくに処理速度で負けている人間の脳からは、むしろより遠ざかっている。
ゆえに「脳であればなおのこと」などという理屈は全く通らない。
ただ、人間の脳にも、体積当たりの記憶容量では現行の機材をはるかに上回っていて、
なおかつそれが人体に直結されているという長所が未だあるものだから、
主に前頭葉に貯め込まれる長期記憶のより高度な駆使が、
AIなどを上回る成果を挙げ続けられる可能性は未だに認められるものである。
そのために必要となるのは、ITでいえばデフラグとかRAIDとかの、
近年では旧態化し始めているような部類の技術に類似した嗜みのほう。
情報の処理速度ではすでに脳のほうが負けているのだから、
生身である以上はこれからもそうであり続けることには変わりない。
側頭葉の短期記憶処理ばかりに偏って、
前頭葉の長期記憶処理を疎かにしているような、
女型の思考回路の持ち主たちは、基本的に、
短期記憶の処理だけを楽しんでいるもので、
長期記憶の処理などを楽しめるものとは始めから見ていない。
論理的で体系的なビッグデータの解析処理などは、
基本的につまらなくて、やるとしても嫌々仕方なくやるものであると。
女同士での取り留めもない世間話のように、
あるいは子供のお手玉遊びか何かのように、
限られた範囲の情報だけを弄ぶことこそが生涯の楽しみたる。
それは、女にとっては子供をあやし育てたりするための能力として、
それなりの有効利用が可能な性向でもあるのだが、そんな傾向
ばかりを好き好むような男はあっという間にボンクラと化するし、
男女を問わずそんな人種が社会的な大業を果たせることもない。
世の中の仕事はすべからく長期記憶処理を伴うものだから、
仕事というもの全般が嫌々仕方なくやらされるものとなり、
それ故のおざなりさに陥ったりもするものである。
ある程度以上の業績はやはり、長期記憶の処理を楽しめる者のみに務まるもの。
前頭葉の長期記憶処理を疎かにしているような、
女型の思考回路の持ち主たちは、基本的に、
短期記憶の処理だけを楽しんでいるもので、
長期記憶の処理などを楽しめるものとは始めから見ていない。
論理的で体系的なビッグデータの解析処理などは、
基本的につまらなくて、やるとしても嫌々仕方なくやるものであると。
女同士での取り留めもない世間話のように、
あるいは子供のお手玉遊びか何かのように、
限られた範囲の情報だけを弄ぶことこそが生涯の楽しみたる。
それは、女にとっては子供をあやし育てたりするための能力として、
それなりの有効利用が可能な性向でもあるのだが、そんな傾向
ばかりを好き好むような男はあっという間にボンクラと化するし、
男女を問わずそんな人種が社会的な大業を果たせることもない。
世の中の仕事はすべからく長期記憶処理を伴うものだから、
仕事というもの全般が嫌々仕方なくやらされるものとなり、
それ故のおざなりさに陥ったりもするものである。
ある程度以上の業績はやはり、長期記憶の処理を楽しめる者のみに務まるもの。
孔子の高弟の顔回は一を聞いて十を知り、子貢は一を聞いて二を知ったというが、
おまえはせいぜい十を聞いて一か二を知る程度のことしかない。
そんな相手により説明を重ねた所で、
余計に分からないことが増え続けるだけでしかあるまい。
重箱の隅をつついて揚げ足を取るようなことしか言えないのも、
その程度にしか自分では理解できる領域がないからであろう。
いい加減、頭を使うことに向かない川勝人種である自覚を持てばどうか。
犬猫どころか熊ですら、さような身の程知らずさがない分だけおまえよりも可愛いものだ。
おまえはせいぜい十を聞いて一か二を知る程度のことしかない。
そんな相手により説明を重ねた所で、
余計に分からないことが増え続けるだけでしかあるまい。
重箱の隅をつついて揚げ足を取るようなことしか言えないのも、
その程度にしか自分では理解できる領域がないからであろう。
いい加減、頭を使うことに向かない川勝人種である自覚を持てばどうか。
犬猫どころか熊ですら、さような身の程知らずさがない分だけおまえよりも可愛いものだ。
「一を聞いて十を知る(公冶長第五・八)」の語源となった顔回は、
孔門の中でも修行級の勉学に打ち込み続けていたことから、
孔子にも第一の弟子と認められていた達者なわけであるが。
それほどもの勉学の積み重ねによって、大脳前頭葉に膨大な
RAID構築系の分類整理が行き届いたマインドセットが蓄積されていたわけ。
そのためにただ一つ新しいことを聞いただけでも、それを最後の1ピースと
した場合のパズルを脳内で瞬時に十個完成させてしまえるような域にあったということ。
子貢もまた孔子の高弟の一人に数えられる身ではあったものの、
顔回よりもはるかに社交的で、投機であぶく銭を稼いで孔子に咎められるような
身の上でもあったことから、勉学による長期記憶のRAID構築は顔回に大きく劣り、
一つのことを聞いただけでは、せいぜい二つのパズルを脳内で完成させるのがやっとだった。
草むらに石を投げたら、元あった石に当たってカチンと鳴った瞬間に
悟りを拓いたとかいう禅の逸話なども、それと同類なパズルの完成例であるし、
なおかつそれが仏の悟りにも通じることがあるとされる実例にもなっている。
いずれにしろ、長期記憶のRAID構築はおろか、デフラグすらおろそかに
しているような現代人のほとんどにとって縁遠すぎる話であるのには違いない。
孔門の中でも修行級の勉学に打ち込み続けていたことから、
孔子にも第一の弟子と認められていた達者なわけであるが。
それほどもの勉学の積み重ねによって、大脳前頭葉に膨大な
RAID構築系の分類整理が行き届いたマインドセットが蓄積されていたわけ。
そのためにただ一つ新しいことを聞いただけでも、それを最後の1ピースと
した場合のパズルを脳内で瞬時に十個完成させてしまえるような域にあったということ。
子貢もまた孔子の高弟の一人に数えられる身ではあったものの、
顔回よりもはるかに社交的で、投機であぶく銭を稼いで孔子に咎められるような
身の上でもあったことから、勉学による長期記憶のRAID構築は顔回に大きく劣り、
一つのことを聞いただけでは、せいぜい二つのパズルを脳内で完成させるのがやっとだった。
草むらに石を投げたら、元あった石に当たってカチンと鳴った瞬間に
悟りを拓いたとかいう禅の逸話なども、それと同類なパズルの完成例であるし、
なおかつそれが仏の悟りにも通じることがあるとされる実例にもなっている。
いずれにしろ、長期記憶のRAID構築はおろか、デフラグすらおろそかに
しているような現代人のほとんどにとって縁遠すぎる話であるのには違いない。
RAIDが一種の情報の断片化であることはとっくに認めているのに。
人の話も聞かずに、あるいは聞いても理解できずに、
すでに存在しない敵を相手にしたお人形遊びの戦いごっこを続ける始末。
もはや十を聞いて一ほども知ることがない域にある。
よく「単細胞」などといわれる、
思考回路のキャパシティが低すぎて、人と話していても、
すぐに考えが井の中の蛙状態へと化してしまう部類の人間。
そういう人間の多くは自らの頭の悪さを自覚して、
自分でもわかる並みに話の情報量を下げてくれるよう相手にお願い
したりするものだけれども。こいつなぞはその自覚もないものだから、
相手と対等以上のつもりでの物言いを試みての幼稚なお人形遊びに至ってしまう。
そのせいで、頭の悪さを自覚する者ほどにも分かり合える余地がない。
なんなら躾けの行き届いた犬猫ほどにも。哀しき人間ならではの痴態よ。
人の話も聞かずに、あるいは聞いても理解できずに、
すでに存在しない敵を相手にしたお人形遊びの戦いごっこを続ける始末。
もはや十を聞いて一ほども知ることがない域にある。
よく「単細胞」などといわれる、
思考回路のキャパシティが低すぎて、人と話していても、
すぐに考えが井の中の蛙状態へと化してしまう部類の人間。
そういう人間の多くは自らの頭の悪さを自覚して、
自分でもわかる並みに話の情報量を下げてくれるよう相手にお願い
したりするものだけれども。こいつなぞはその自覚もないものだから、
相手と対等以上のつもりでの物言いを試みての幼稚なお人形遊びに至ってしまう。
そのせいで、頭の悪さを自覚する者ほどにも分かり合える余地がない。
なんなら躾けの行き届いた犬猫ほどにも。哀しき人間ならではの痴態よ。
「人間の脳については、まず断片化情報のデフラグ的な手続きを
踏んでおくのでないと、RAID構築のような分類整理の段階に入れない」
と、>>2-3の時点ですでに断っている。
なぜかを察するのも容易なこと。
HDDによるRAIDは>>5画のように、複数の個別のディスクを用いるために
情報の振り分けが容易だけれども、脳の場合は始めから個別の記憶領域が存在
するわけではないから、脳内にまず仮想ディスクを複数組むような手続きを必要とする。
HDDのような二次元構造の記録媒体でそのような真似を試みても大した効果はないが、
脳のニューロンネットワークは三次元構造だから、それが複数のHDDによるRAIDのような高速化にも寄与する。
しかしその、脳内に複数の仮想ディスクを構成する用意のために、脳の記憶領域全体への
断片化情報の散逸を処理しておくのでなければならない。HDDでRAIDを組む場合にも一度は
フォーマットで記録をリセットする必要があるが、それと同じように、脳に空っぽな領域を作って、
そこに仮想ディスクを組むことしか脳もできない。故におもちゃが散乱した部屋状態のままではいけないのだ。
踏んでおくのでないと、RAID構築のような分類整理の段階に入れない」
と、>>2-3の時点ですでに断っている。
なぜかを察するのも容易なこと。
HDDによるRAIDは>>5画のように、複数の個別のディスクを用いるために
情報の振り分けが容易だけれども、脳の場合は始めから個別の記憶領域が存在
するわけではないから、脳内にまず仮想ディスクを複数組むような手続きを必要とする。
HDDのような二次元構造の記録媒体でそのような真似を試みても大した効果はないが、
脳のニューロンネットワークは三次元構造だから、それが複数のHDDによるRAIDのような高速化にも寄与する。
しかしその、脳内に複数の仮想ディスクを構成する用意のために、脳の記憶領域全体への
断片化情報の散逸を処理しておくのでなければならない。HDDでRAIDを組む場合にも一度は
フォーマットで記録をリセットする必要があるが、それと同じように、脳に空っぽな領域を作って、
そこに仮想ディスクを組むことしか脳もできない。故におもちゃが散乱した部屋状態のままではいけないのだ。
>>2画に即して考えるなら。
デフラグが行き届いた状態のディスクだと、1~4のような仮想ディスクを
組んだ上でのRAID構築が可能となるが、デフラグ前だとこうはいかない。
二次元の円盤状のディスク記録でこんなことをやっても高速化は見込めないが、
ニューロンネットワークは三次元構造だから、複数の円盤状のHDDを用いた
RAIDなどと同様な高速化や高信頼化を実現することが出来る。
(ニューロンが平面上の記憶構造を複数積層させることも物理的に可能なため)
脳に断片化情報が散らばっていたりしない空白領域があればこそ可能となるし、
なおかつイエスへの信仰とバラバの被害者への配慮みたいな、論理的に隣接し得ない
断片化情報同士が少なくて、記憶情報の移設が自在であればこそ務まることでもある。
デフラグが行き届いた状態のディスクだと、1~4のような仮想ディスクを
組んだ上でのRAID構築が可能となるが、デフラグ前だとこうはいかない。
二次元の円盤状のディスク記録でこんなことをやっても高速化は見込めないが、
ニューロンネットワークは三次元構造だから、複数の円盤状のHDDを用いた
RAIDなどと同様な高速化や高信頼化を実現することが出来る。
(ニューロンが平面上の記憶構造を複数積層させることも物理的に可能なため)
脳に断片化情報が散らばっていたりしない空白領域があればこそ可能となるし、
なおかつイエスへの信仰とバラバの被害者への配慮みたいな、論理的に隣接し得ない
断片化情報同士が少なくて、記憶情報の移設が自在であればこそ務まることでもある。
ただの脳内での断片化情報の散逸と、RAID構築のための分類整理が
同じものだと思い込んでしまった見当違いから未だに抜け出せないでいるせいで、
おまえ自身が話に付いて行くことができなくなってしまっているだけ。
ヒスおばあたりには極めてありがちな、強情すぎて君子豹変の逆を行く様相。
まるで暴走列車が止まって逆方向へと引き換えし始めたりするのと同じように、
過ちを反省して改めること全般があまりにも重労働の苦役となるために、
もう何も改めたりせずにどこまででも突っ走り続けたい思いばかりでいる。
いちいち全ての考えに無駄な思いがこもり過ぎている状態。
どうしてそうなってしまうのかも大体もう検討済みではあるがな。
同じものだと思い込んでしまった見当違いから未だに抜け出せないでいるせいで、
おまえ自身が話に付いて行くことができなくなってしまっているだけ。
ヒスおばあたりには極めてありがちな、強情すぎて君子豹変の逆を行く様相。
まるで暴走列車が止まって逆方向へと引き換えし始めたりするのと同じように、
過ちを反省して改めること全般があまりにも重労働の苦役となるために、
もう何も改めたりせずにどこまででも突っ走り続けたい思いばかりでいる。
いちいち全ての考えに無駄な思いがこもり過ぎている状態。
どうしてそうなってしまうのかも大体もう検討済みではあるがな。
納得のいく返答だったかどうかはともかくとして、
俺はおまえのその誤解混じりな物言いへの弁解を試みた。
そうであること自体が分からないというのだから、
おまえ自身にそもそも十分な読解力がないということだ。
「もうちょっと馬鹿でもわかるような説明お願いしますm(_ _)m💦」
というのならともかく、自らの読解力の低さのほうを棚に上げて、
「こちらの話に答えていない!」などと言い張られるんじゃあ、
もうお話にもならないよ。歩み寄って理解し合おうという気すらないんだから。
俺はおまえのその誤解混じりな物言いへの弁解を試みた。
そうであること自体が分からないというのだから、
おまえ自身にそもそも十分な読解力がないということだ。
「もうちょっと馬鹿でもわかるような説明お願いしますm(_ _)m💦」
というのならともかく、自らの読解力の低さのほうを棚に上げて、
「こちらの話に答えていない!」などと言い張られるんじゃあ、
もうお話にもならないよ。歩み寄って理解し合おうという気すらないんだから。
レスバック?
ブラウザバックの間違い?
馬鹿でも分かるような説明を、礼儀作法の内に入れるような世の中は、
馬鹿に支配され続けているのにも違いないことだし、
そりゃ若者たちも礼儀なんて糞喰らえということになってしまうわな。
別にそれで礼法一般の価値が否定されるわけでもなく。
ブラウザバックの間違い?
馬鹿でも分かるような説明を、礼儀作法の内に入れるような世の中は、
馬鹿に支配され続けているのにも違いないことだし、
そりゃ若者たちも礼儀なんて糞喰らえということになってしまうわな。
別にそれで礼法一般の価値が否定されるわけでもなく。
AIが看破できる程度の話しか理解できない。
まさにAI時代に取り残されて行く部類の典型的な旧人類だな。
まさにAI時代に取り残されて行く部類の典型的な旧人類だな。
そもそも、自らの前頭葉に収容された長期記憶に、
>>19で挙げたような矛盾情報の断片化状態での散逸が多いようなら、
脳記憶のデフラグだRAID構築だどころではなくなってしまう上に、
長期記憶からいろいろと情報を取り出したりすること全般までもが億劫になり、
なるべく側頭葉の短期記憶処理だけで何もかもを済ませたい性向ともなってしまう。
イエスへの信仰と、バラバの被害者への配慮などを同時に長期記憶から
取り出すことはできないために、まるでモノフォニックシンセサイザーのように
単一の情報しか同時に処理することができないことが多くなり、物事への多面的、
重層的な分析思考などもまともに務まらないようになってしまう。
モノフォニックシンセサイザーは、同時に複数の音が出せるポリフォニックな
シンセサイザーよりも音の厚みが増すという特徴があるために、今でもあえて好んで
用いる演奏者などが多く、そのための機能を持たせたシンセなどもあるわけだが、それは
人間でいえば、剣振り修行や農作業や念仏のような限られた業務を熱心にこなすための、
情報処理の多様化の故意なシャットダウンを脳に課するような状態に該当する。
しかしそれは、あくまで一つの手段としてなら有意義たるというだけのもので、
長期記憶に矛盾が多いせいでモノフォニックにしかものが考えられない愚か者などとは
全くわけが違い、前者は生きる充実を大いに享受する一方、後者は生きる苦しみに
苛まれてばかりでしかいられないぐらいの、雲泥の差が生ずるものである。
>>19で挙げたような矛盾情報の断片化状態での散逸が多いようなら、
脳記憶のデフラグだRAID構築だどころではなくなってしまう上に、
長期記憶からいろいろと情報を取り出したりすること全般までもが億劫になり、
なるべく側頭葉の短期記憶処理だけで何もかもを済ませたい性向ともなってしまう。
イエスへの信仰と、バラバの被害者への配慮などを同時に長期記憶から
取り出すことはできないために、まるでモノフォニックシンセサイザーのように
単一の情報しか同時に処理することができないことが多くなり、物事への多面的、
重層的な分析思考などもまともに務まらないようになってしまう。
モノフォニックシンセサイザーは、同時に複数の音が出せるポリフォニックな
シンセサイザーよりも音の厚みが増すという特徴があるために、今でもあえて好んで
用いる演奏者などが多く、そのための機能を持たせたシンセなどもあるわけだが、それは
人間でいえば、剣振り修行や農作業や念仏のような限られた業務を熱心にこなすための、
情報処理の多様化の故意なシャットダウンを脳に課するような状態に該当する。
しかしそれは、あくまで一つの手段としてなら有意義たるというだけのもので、
長期記憶に矛盾が多いせいでモノフォニックにしかものが考えられない愚か者などとは
全くわけが違い、前者は生きる充実を大いに享受する一方、後者は生きる苦しみに
苛まれてばかりでしかいられないぐらいの、雲泥の差が生ずるものである。
昔、メルギブソンがキリストの受難劇を「パッション」という名で映画化して、
それを観たアメリカのキリスト教徒がショック死したなんてこともあったものだが。
キリスト教徒が、己が信仰のせいでモノフォニックにしか物を考えられなくなった結果、
常に過剰なパッションと共にしか何事も考えることができなくなっているのも事実で、
それ故にアカデミー賞でのウィルスミスのビンタ事件などでも、当人のほうにも
そうせざるを得なかった事情があることなどにまで、繊細な配慮を利かせる
ことができない人間が多くに上っていたりもしたのである。
ここ数日ここで俺に絡んで来てるどこぞやの誰かも、キリスト教徒かどうかまでは知らないが、
それと同等な思考のモノフォニックさや、そうでしかいられないパッションの過剰さに
常日頃から囚われ続けているものだから、多面的、重層的な意味合いを帯びた
俺の物言いなどを聞いたところで、十を聞いて一を知れるかも怪しいようなザマでいる。
そういうのが、思考がモノフォニックでしかいられない人種ならではの陰惨さたる。
単純作業への打ち込みのためなどの、必要に応じてモノフォニック思考を選択する
人間にはそんな障壁はないわけで、故に両者がわずかほどに似通うことすらないのである。
それを観たアメリカのキリスト教徒がショック死したなんてこともあったものだが。
キリスト教徒が、己が信仰のせいでモノフォニックにしか物を考えられなくなった結果、
常に過剰なパッションと共にしか何事も考えることができなくなっているのも事実で、
それ故にアカデミー賞でのウィルスミスのビンタ事件などでも、当人のほうにも
そうせざるを得なかった事情があることなどにまで、繊細な配慮を利かせる
ことができない人間が多くに上っていたりもしたのである。
ここ数日ここで俺に絡んで来てるどこぞやの誰かも、キリスト教徒かどうかまでは知らないが、
それと同等な思考のモノフォニックさや、そうでしかいられないパッションの過剰さに
常日頃から囚われ続けているものだから、多面的、重層的な意味合いを帯びた
俺の物言いなどを聞いたところで、十を聞いて一を知れるかも怪しいようなザマでいる。
そういうのが、思考がモノフォニックでしかいられない人種ならではの陰惨さたる。
単純作業への打ち込みのためなどの、必要に応じてモノフォニック思考を選択する
人間にはそんな障壁はないわけで、故に両者がわずかほどに似通うことすらないのである。
都知事選は、現職が負けたことがない基本法則からも小池が当選したけれども、
その次に来たのが野党推薦の蓮舫ではなく、統一教会からの裏の支援が発覚した石丸。
魑魅と魍魎の争いな上に、今現在もっともやり玉に挙げられているような連中こそが、
未だに最大級の強勢さでいるのも、選挙政治というもの全体が、統一教会のごとき
キリスト教系カルトが得意とするようなモノフォニックの独裁に完全に取り込まれているからだ。
そもそもが、選挙政治全体が集団ヒステリー的な様相を帯びていて、そのためにヒステリー
傾向という点で特に秀でるおばさんあたりが主導権を得、そのおばさんたちをカルトや
カルト的レディーファーストで誑し込んでいる連中こそが絶対安定多数の勝利者たる
というのは前スレなどでも論じて来たことだけれども。その集団ヒステリーのせいで、
モノフォニックな思考しか誰しもができなくなった結果、勝敗が決するというのがその委細でもある。
念仏や座禅のような、モノフォニック志向を部分的に尊んでいる仏門宗派といえども、
浄土真宗本願寺派「こっちはなんも問題ないからさっさと統一教会を解散させえ」
臨済宗妙心寺派「あんな連中が取り入っているうちはこちらも政治参画なんかできん」
と共同通信のアンケートで述べていた通り、モノフォニック志向に否応なく囚われてしまって
いるような集団ヒステリー界隈では、モノフォニック志向を善用する流派ですら介入のしようがない。
その次に来たのが野党推薦の蓮舫ではなく、統一教会からの裏の支援が発覚した石丸。
魑魅と魍魎の争いな上に、今現在もっともやり玉に挙げられているような連中こそが、
未だに最大級の強勢さでいるのも、選挙政治というもの全体が、統一教会のごとき
キリスト教系カルトが得意とするようなモノフォニックの独裁に完全に取り込まれているからだ。
そもそもが、選挙政治全体が集団ヒステリー的な様相を帯びていて、そのためにヒステリー
傾向という点で特に秀でるおばさんあたりが主導権を得、そのおばさんたちをカルトや
カルト的レディーファーストで誑し込んでいる連中こそが絶対安定多数の勝利者たる
というのは前スレなどでも論じて来たことだけれども。その集団ヒステリーのせいで、
モノフォニックな思考しか誰しもができなくなった結果、勝敗が決するというのがその委細でもある。
念仏や座禅のような、モノフォニック志向を部分的に尊んでいる仏門宗派といえども、
浄土真宗本願寺派「こっちはなんも問題ないからさっさと統一教会を解散させえ」
臨済宗妙心寺派「あんな連中が取り入っているうちはこちらも政治参画なんかできん」
と共同通信のアンケートで述べていた通り、モノフォニック志向に否応なく囚われてしまって
いるような集団ヒステリー界隈では、モノフォニック志向を善用する流派ですら介入のしようがない。
[YouTubeで再生]
たとえば、一向専修念仏の浄土門といえども、
自分たちが仏辺とはまた別個な衆生辺からの仏道への傾倒に
取り組んでいるといった分別を持ち合わせている。
その故に、念仏という取り組み自体がモノフォニックだろうとも、
総体としては二次以上のポリフォニックさを帯びた姿勢となっている。
思考がポリフォニックであるということは、
モノフォニックの強情さに囚われている愚か者やカルト信者などからすれば、
ただひたすらつまらなくて億劫なことのようにしか思われないわけだが、
実際にはそのような多面的、重層的な思考形式の中に、
まるでコーラスやアンサンブルのような独自の趣向を凝らすことで、
それこそを楽しむことが可能なものである。
もちろんその中にソロパートなんかも織り交ぜて、
モノフォニックならではの情念の厚みなぞをハイライト化することも
可能なわけで、別にポリフォニックでしかあってはいけないわけではない。
人間の思考形式というものは畢竟、そこで自由自在さを極めるわけで、
その楽しみの前では、モノフォニックでしかいられない不自由さも、
完全に過去の遺物と化してしまうわけである。
たとえば、一向専修念仏の浄土門といえども、
自分たちが仏辺とはまた別個な衆生辺からの仏道への傾倒に
取り組んでいるといった分別を持ち合わせている。
その故に、念仏という取り組み自体がモノフォニックだろうとも、
総体としては二次以上のポリフォニックさを帯びた姿勢となっている。
思考がポリフォニックであるということは、
モノフォニックの強情さに囚われている愚か者やカルト信者などからすれば、
ただひたすらつまらなくて億劫なことのようにしか思われないわけだが、
実際にはそのような多面的、重層的な思考形式の中に、
まるでコーラスやアンサンブルのような独自の趣向を凝らすことで、
それこそを楽しむことが可能なものである。
もちろんその中にソロパートなんかも織り交ぜて、
モノフォニックならではの情念の厚みなぞをハイライト化することも
可能なわけで、別にポリフォニックでしかあってはいけないわけではない。
人間の思考形式というものは畢竟、そこで自由自在さを極めるわけで、
その楽しみの前では、モノフォニックでしかいられない不自由さも、
完全に過去の遺物と化してしまうわけである。
思考がポリフォニックであることには、
もちろん本人が楽しむ効果があるだけではない。
まるでガンダムシリーズでビットとかファンネルとか呼ばれている
オールレンジ兵器のように、論戦相手をあらゆる方向から攻め立てて、
相手の死角から倒してかかるようなことまでもが可能となる。
俺との論戦で、その手の論撃にやられて負けた人間などが、よく
「後だしジャンケンだ!🤬💦」などと言いがかりをつけて批判して来るけれども、
始めからそれも用意済みなうえに、ポリフォニックな思考の中で、
整合性も確認し終えていた論撃なものだから、大元の話と矛盾していたりすることがない。
もちろん論戦などに限った話ではなく、韓信や諸葛孔明のような名軍師もそういった、
ポリフォニックな思考の駆使によって本物の戦闘にまで勝利していたようだし、
なおかつもう少し軍事技術の開発が進めば、ドローンあたりで本当に、
ビットやファンネルのようなオールレンジ戦も可能となるかもしれない。
とはいえ、フィクションのガンダムの中でも、ビットやファンネルを自由自在に
駆使できる人間は「ニュータイプ」と呼ばれる一部の人種に限られ、普通の人間が
人為的な強化によってそれを試みても多くの副作用に苦しめられるものとしている。
そういった障壁もまた、現実のポリフォニック思考にもまたありがちなものである。
(おそらくはポリフォニック思考をコーラス的に楽しめるか否かが壁になるのだろう)
もちろん本人が楽しむ効果があるだけではない。
まるでガンダムシリーズでビットとかファンネルとか呼ばれている
オールレンジ兵器のように、論戦相手をあらゆる方向から攻め立てて、
相手の死角から倒してかかるようなことまでもが可能となる。
俺との論戦で、その手の論撃にやられて負けた人間などが、よく
「後だしジャンケンだ!🤬💦」などと言いがかりをつけて批判して来るけれども、
始めからそれも用意済みなうえに、ポリフォニックな思考の中で、
整合性も確認し終えていた論撃なものだから、大元の話と矛盾していたりすることがない。
もちろん論戦などに限った話ではなく、韓信や諸葛孔明のような名軍師もそういった、
ポリフォニックな思考の駆使によって本物の戦闘にまで勝利していたようだし、
なおかつもう少し軍事技術の開発が進めば、ドローンあたりで本当に、
ビットやファンネルのようなオールレンジ戦も可能となるかもしれない。
とはいえ、フィクションのガンダムの中でも、ビットやファンネルを自由自在に
駆使できる人間は「ニュータイプ」と呼ばれる一部の人種に限られ、普通の人間が
人為的な強化によってそれを試みても多くの副作用に苦しめられるものとしている。
そういった障壁もまた、現実のポリフォニック思考にもまたありがちなものである。
(おそらくはポリフォニック思考をコーラス的に楽しめるか否かが壁になるのだろう)
そもそもがおまえ、
俺のことなんか好きでも何でもないんだろ?
むしろ心の底から大嫌い、今すぐ死んでもらいたいぐらいだけど、
それ以上に自分の人生に傷がつくのが怖い。
その思いの結果が、執拗に言い寄って来ておきながら、
話す内容は俺の言うこと成すこと存在性何もかも全否定な
敵対者そのものとかいう、破綻度200%な今の振舞いだろうが?
俺のことなんか好きでも何でもないんだろ?
むしろ心の底から大嫌い、今すぐ死んでもらいたいぐらいだけど、
それ以上に自分の人生に傷がつくのが怖い。
その思いの結果が、執拗に言い寄って来ておきながら、
話す内容は俺の言うこと成すこと存在性何もかも全否定な
敵対者そのものとかいう、破綻度200%な今の振舞いだろうが?
今さらこんなことをおまえなんかに望むべくもないが。
仮におまえが、相手のことを愛しているか、そうでなくとも、
他者の思いや利害を慮れる日本人だったりするというのなら、
「私のことなんかはもうどうでもいいから」となるだろう。
日本人でもなければ、別に愛する相手がいるわけでもない上で、
とにかく自分が大事、自分さえ恵まれた人生が送れるのであれば、
寄生対象に子孫断絶級の危害を及ぼしたところで知ったことかと。
そんな思いでいればこその、今の振舞いだろう?
それこそ年がどうだ、国や人種がどうだという以上の、
絶対に寄せ付けてはいけない最大級の証拠だろうが。
仮におまえが、相手のことを愛しているか、そうでなくとも、
他者の思いや利害を慮れる日本人だったりするというのなら、
「私のことなんかはもうどうでもいいから」となるだろう。
日本人でもなければ、別に愛する相手がいるわけでもない上で、
とにかく自分が大事、自分さえ恵まれた人生が送れるのであれば、
寄生対象に子孫断絶級の危害を及ぼしたところで知ったことかと。
そんな思いでいればこその、今の振舞いだろう?
それこそ年がどうだ、国や人種がどうだという以上の、
絶対に寄せ付けてはいけない最大級の証拠だろうが。
「卵を縦に100個重ねられるほどの有能だろうとも、
男が片思いみたいな情けない真似をするな」(伊勢物語)
立派な古言であるというのみならず、
心の底から如是、如是、と大賛同するほかない
自由恋愛の基本原則だなと思うのがまず一つ。
さりとて、昔のお武家さんなどには恋愛結婚など
かえって下賤の所業とみる向きもあったものだし、
個人の恣意など抜きにした政略的な結婚などもまた、
時には受け入れて行かねばならぬものであろうとも思うが。
だからといって、子孫断絶を前提とした政略結婚なんて
聞いたこともないし、あったとしてもろくな意図がないことが
明らかな、退けてかかるべき蛮行であるのが間違いない。
要するに、恋愛面からも政略面からも、
これっぽちの妥当性もないということだ。
男が片思いみたいな情けない真似をするな」(伊勢物語)
立派な古言であるというのみならず、
心の底から如是、如是、と大賛同するほかない
自由恋愛の基本原則だなと思うのがまず一つ。
さりとて、昔のお武家さんなどには恋愛結婚など
かえって下賤の所業とみる向きもあったものだし、
個人の恣意など抜きにした政略的な結婚などもまた、
時には受け入れて行かねばならぬものであろうとも思うが。
だからといって、子孫断絶を前提とした政略結婚なんて
聞いたこともないし、あったとしてもろくな意図がないことが
明らかな、退けてかかるべき蛮行であるのが間違いない。
要するに、恋愛面からも政略面からも、
これっぽちの妥当性もないということだ。
「男女(同)室に居るは天下の大倫なり」(孟子・万章上)
普通にそこが儒学上の大命題だったりもするのでな。一方で、
「不孝に(大中小)三あり、後(裔)なきを大と為す」(離婁上)
ともあるし、色に溺れればいいという話でももちろんない。
普通にそこが儒学上の大命題だったりもするのでな。一方で、
「不孝に(大中小)三あり、後(裔)なきを大と為す」(離婁上)
ともあるし、色に溺れればいいという話でももちろんない。
[YouTubeで再生]
(>>74の続き)
人間の発声というもの自体、ホーミーのような特殊な唱法で
倍音を重ねる程度のことはできるにしても、基本モノフォニックであり、
一人の人間が一度に出せる声音は基本一つである。
そのため、思考自体もまたなるべくモノフォニックであったほうが、
その思考を滞りなく言葉として声に出すことが容易となる一方、
思考のほうがポリフォニックであるようなら、そのうちから一つの思考だけを
かいつまんで、声に出して話すという手続きが必要となってしまう。
女たちは基本、モノフォニックな思考であることが多いので、
会話もまた得意である一方、理論計算や技術開発などの業務上からも
ポリフォニックな思考を強いられることが多い理系の人間などは、
口下手でコミュ障扱いにされることが多いといった相違も見られる。
とはいえやはり、思考がモノフォニック一本ばかりであるようなら、
いわゆる単細胞ともなってしまうわけで、男伊達らにモノフォニック志向で
女並みのコミュ力を身に付けた男なぞが軒並み軽薄と化してしまうのもそのためである。
(>>74の続き)
人間の発声というもの自体、ホーミーのような特殊な唱法で
倍音を重ねる程度のことはできるにしても、基本モノフォニックであり、
一人の人間が一度に出せる声音は基本一つである。
そのため、思考自体もまたなるべくモノフォニックであったほうが、
その思考を滞りなく言葉として声に出すことが容易となる一方、
思考のほうがポリフォニックであるようなら、そのうちから一つの思考だけを
かいつまんで、声に出して話すという手続きが必要となってしまう。
女たちは基本、モノフォニックな思考であることが多いので、
会話もまた得意である一方、理論計算や技術開発などの業務上からも
ポリフォニックな思考を強いられることが多い理系の人間などは、
口下手でコミュ障扱いにされることが多いといった相違も見られる。
とはいえやはり、思考がモノフォニック一本ばかりであるようなら、
いわゆる単細胞ともなってしまうわけで、男伊達らにモノフォニック志向で
女並みのコミュ力を身に付けた男なぞが軒並み軽薄と化してしまうのもそのためである。
思考形式をポリフォニックならしめることもまた大いに得意とする一方で、
そこから単一の思考だけをかいつまんで人と話したりすることにもそれなりに
長けるような人間こそが、真にオールマイティな賢者といえるものである。
どうせポリフォニックな思考の全てをモノフォニックに置き換えることはできないのだし、
その全てを口頭で解き明かしたり、モノフォニック思考しかできないような人間にまで
全てを理解させたりすることには無理があるのも察しておかねばならない。
アインシュタインは「本当に賢い人間は難しいことも分かりやすく話せる」
といったけれども、当人も馬鹿にまで相対性理論を理解させられていたわけではなく、
ただ知能の低い相手にはそれ相応な話だけをするように心がけていただけのことである。
なるべくなら、そういう場合に、ただ馬鹿を適当な話だけであしらうにとどまらず、
単一の情報だけでも、なるべく高邁な領域へと相手を誘いあげられるような方便を凝らして
おければなおのこと良いわけで、親鸞聖人の悪人正機説などにもそれがあったもの。
人間としてより志し尊ぶべきなのは、さようなあり方であるといえよう。
そこから単一の思考だけをかいつまんで人と話したりすることにもそれなりに
長けるような人間こそが、真にオールマイティな賢者といえるものである。
どうせポリフォニックな思考の全てをモノフォニックに置き換えることはできないのだし、
その全てを口頭で解き明かしたり、モノフォニック思考しかできないような人間にまで
全てを理解させたりすることには無理があるのも察しておかねばならない。
アインシュタインは「本当に賢い人間は難しいことも分かりやすく話せる」
といったけれども、当人も馬鹿にまで相対性理論を理解させられていたわけではなく、
ただ知能の低い相手にはそれ相応な話だけをするように心がけていただけのことである。
なるべくなら、そういう場合に、ただ馬鹿を適当な話だけであしらうにとどまらず、
単一の情報だけでも、なるべく高邁な領域へと相手を誘いあげられるような方便を凝らして
おければなおのこと良いわけで、親鸞聖人の悪人正機説などにもそれがあったもの。
人間としてより志し尊ぶべきなのは、さようなあり方であるといえよう。
まあでも、医者の知識は病気や怪我の知識として専門的なだけで、
健康の知識とは全くの別物だというのが判然としてたわな。
根本原因がタンパク質不足なんだから、
もう脚気心なんかにならないためには、もっとお肉を食べましょうとか、
それ自体は素人でもすぐに思いつくような対策で、
もっと高度な手段もいくらでもあるし、逆に肉を食うというだけでは、
また別の腸内環境悪化とかの問題をも招きかねないものだしな。
医者も低レベルなほうとはいえ一応、理系の端くれだから、
自らが蓄えた医療知識から最適解を導出するための、
前頭葉での高度なマインドセット構築なり、側頭葉での
ポリフォニックな多角的考察なども働かせたりするものだろうが、
それがもう、非常に入り組んだ疾患を持ち合わせているような相手への、
鉱山労働者が目当ての鉱物を見つけ出すような診療目的ばかりに
偏っているものだから、地上にある健康の知恵などとはほぼ無縁たる。
そういう頭の使い方を健康養生のためなどに応用することもできようが、
医師志望だったりすでに医者だったりする以上は、それが片手間でしか
あり得ないために、並み以上の取り組みたることもほぼない。
ゆえに「医者の不養生」などという事態にも陥るわけである。kawaisouni😭
健康の知識とは全くの別物だというのが判然としてたわな。
根本原因がタンパク質不足なんだから、
もう脚気心なんかにならないためには、もっとお肉を食べましょうとか、
それ自体は素人でもすぐに思いつくような対策で、
もっと高度な手段もいくらでもあるし、逆に肉を食うというだけでは、
また別の腸内環境悪化とかの問題をも招きかねないものだしな。
医者も低レベルなほうとはいえ一応、理系の端くれだから、
自らが蓄えた医療知識から最適解を導出するための、
前頭葉での高度なマインドセット構築なり、側頭葉での
ポリフォニックな多角的考察なども働かせたりするものだろうが、
それがもう、非常に入り組んだ疾患を持ち合わせているような相手への、
鉱山労働者が目当ての鉱物を見つけ出すような診療目的ばかりに
偏っているものだから、地上にある健康の知恵などとはほぼ無縁たる。
そういう頭の使い方を健康養生のためなどに応用することもできようが、
医師志望だったりすでに医者だったりする以上は、それが片手間でしか
あり得ないために、並み以上の取り組みたることもほぼない。
ゆえに「医者の不養生」などという事態にも陥るわけである。kawaisouni😭
そろそろ明和への営業妨害の容疑で通報しとこうかねえ。
本人への保護も兼ねて。
本人への保護も兼ねて。
だからどうだってんだ、
「好きでありながら天邪鬼なんてこともあるさ」
とでも言いたいのか?
だったらだったでだ、
「もう私はカルト洗脳や育ちの悪さのせいで、
あなたの傍らに付き添うには到底値しない思考回路のまま
頑迷化してしまっていますので、放っといてください」
という意思表示になっているのみだろ。
今の今まで、ただの一度も口もきいたことがない
ような距離間であり続けて来た報いとして、
これからもそうであり続けることが最適化
してしまったということだな。要は鷹司孝子ルート。
「好きでありながら天邪鬼なんてこともあるさ」
とでも言いたいのか?
だったらだったでだ、
「もう私はカルト洗脳や育ちの悪さのせいで、
あなたの傍らに付き添うには到底値しない思考回路のまま
頑迷化してしまっていますので、放っといてください」
という意思表示になっているのみだろ。
今の今まで、ただの一度も口もきいたことがない
ような距離間であり続けて来た報いとして、
これからもそうであり続けることが最適化
してしまったということだな。要は鷹司孝子ルート。
>特に思い入れがなくっても、誰かに親切にすることもあるさ、違うか?
これまさに統一教会がいま石丸伸二相手に試みていることそのものなんだよな。
自民党との癒着を徹底糾弾されている昨今、
どうにか自分たちの政治的影響力を持ち保つために、無所属の政治家を、
本人もよく知らない内から担ぎ上げるような真似を試みている。
ネオナチ、ネオジオンならぬネオ壺ン。
選挙後に統一ではないがCIAの子分であることは共通している
大メディアからの取って付けたような取材攻勢も満載だったことだし、
ポスト自民な自分たちの飼い犬政権の仕立て上げをCIAも模索しているということだな。
もちろんそんな誘いには、死んでも乗らないように用心しておかねば。
これまさに統一教会がいま石丸伸二相手に試みていることそのものなんだよな。
自民党との癒着を徹底糾弾されている昨今、
どうにか自分たちの政治的影響力を持ち保つために、無所属の政治家を、
本人もよく知らない内から担ぎ上げるような真似を試みている。
ネオナチ、ネオジオンならぬネオ壺ン。
選挙後に統一ではないがCIAの子分であることは共通している
大メディアからの取って付けたような取材攻勢も満載だったことだし、
ポスト自民な自分たちの飼い犬政権の仕立て上げをCIAも模索しているということだな。
もちろんそんな誘いには、死んでも乗らないように用心しておかねば。
なんだ死戦期特有のせん妄か?
レビー小体病にも似た。ついにか
レビー小体病にも似た。ついにか
[YouTubeで再生]
人の念が生霊の鬼となって他者に襲いかかるなどといえば、
いかにもオカルトじみているけれども、実際問題、
それにも相当するような惨事が数多起きている上に、
時には本当に死傷沙汰にまで発展しているような始末。
そこにまたネット上といわず茶の間といわず、
そんな事件を起こした犯人への怒りや罵倒が巻き起これども、
さような振舞い自体が他者への愛憎のあまりに鬼の如き様相と
化してしまった犯人たち自身にも通じるものとなるわけで、
それはただの悪念の伝播、感染にしかなってないともいえるのである。
能の葵上のように、その様相全体を舞台上に客観視して、
悲哀の至りとしてしみじみと思いを致せる程度の余裕を自らが
温めればこそ、さような惨劇を無くして行く側たり得るもの。
そのための方便として、悪念が生霊の鬼となるといったような
表現のほうが便利たることもある。そういう考え方自体を
過去の遺物扱いしたがる科学至上主義者などもいようとて、
そのせいでただ人の悪念に取り込まれ放題となるようなら、
本人たちの人間としての出来は昔以下となるわけである。
人の念が生霊の鬼となって他者に襲いかかるなどといえば、
いかにもオカルトじみているけれども、実際問題、
それにも相当するような惨事が数多起きている上に、
時には本当に死傷沙汰にまで発展しているような始末。
そこにまたネット上といわず茶の間といわず、
そんな事件を起こした犯人への怒りや罵倒が巻き起これども、
さような振舞い自体が他者への愛憎のあまりに鬼の如き様相と
化してしまった犯人たち自身にも通じるものとなるわけで、
それはただの悪念の伝播、感染にしかなってないともいえるのである。
能の葵上のように、その様相全体を舞台上に客観視して、
悲哀の至りとしてしみじみと思いを致せる程度の余裕を自らが
温めればこそ、さような惨劇を無くして行く側たり得るもの。
そのための方便として、悪念が生霊の鬼となるといったような
表現のほうが便利たることもある。そういう考え方自体を
過去の遺物扱いしたがる科学至上主義者などもいようとて、
そのせいでただ人の悪念に取り込まれ放題となるようなら、
本人たちの人間としての出来は昔以下となるわけである。
何言ってんのか分かんねえな
まず以て、自称高齢無職ニートの物言いを、
本気で読み解きたいなんていう気概があるか?
本気で読み解きたいなんていう気概があるか?
(>>120の続き)
神でも仏でも鬼でも妖怪でも、実在するだしないだ以前に、
前頭葉の長期記憶上に分類処理されたRAID構築的な情報形式として活用することで、
現実の問題処理なり健康養生なり能力開発なりに貢献し得ることがあるのは事実である。
よく意味不明な妖怪の代表格として挙げられる「すねこすり」なども、
夜道で野良犬だ狐狸だにすり寄られて、狂犬病や破傷風や寄生虫のような災禍を
擦り付けられたりしないように用心するための方便としては有用であったろう。
能における鬼の描写なども同様に、なるべくならそうあるべきでない人間の悪念を
象徴的かつ演舞としては優美に描くことで、悪念への用心と、それに取り込まれない
己が心の強さの養生とを同時に兼ねるような巧みさが込められているのである。
さような方便的な表現による人間性の錬磨を、非科学的な事物は何もかも無駄扱いして
かかるような連中が、科学的な範疇だけで上回れたような試しもなく、かえって
カルト支配下に置かれたゴイム止まりな陰惨さを開き直って来たばかりである。
神でも仏でも鬼でも妖怪でも、実在するだしないだ以前に、
前頭葉の長期記憶上に分類処理されたRAID構築的な情報形式として活用することで、
現実の問題処理なり健康養生なり能力開発なりに貢献し得ることがあるのは事実である。
よく意味不明な妖怪の代表格として挙げられる「すねこすり」なども、
夜道で野良犬だ狐狸だにすり寄られて、狂犬病や破傷風や寄生虫のような災禍を
擦り付けられたりしないように用心するための方便としては有用であったろう。
能における鬼の描写なども同様に、なるべくならそうあるべきでない人間の悪念を
象徴的かつ演舞としては優美に描くことで、悪念への用心と、それに取り込まれない
己が心の強さの養生とを同時に兼ねるような巧みさが込められているのである。
さような方便的な表現による人間性の錬磨を、非科学的な事物は何もかも無駄扱いして
かかるような連中が、科学的な範疇だけで上回れたような試しもなく、かえって
カルト支配下に置かれたゴイム止まりな陰惨さを開き直って来たばかりである。
カルト信仰はといえば、基本的に唯一神なり教祖なりへの絶対的帰依によって、これまた
多神教的な多重性への配慮を否定してかかる点では科学至上主義とも全く共通しているために、
実はその手の人種との親和性のほうがより高いといった法則までもが見られるものである。
念仏や、まともな部類のイスラム教などには、一向専修的であることをポリフォニックな
思考へと無意識にいざなうような効果もあったりするもので、唯一神信仰的であることが
必ずしも即カルトだと断定できるわけではないけれども、少なくともカルトの側はすべて、
そういったドグマ的な絶対者信仰へと偏る側面が少なからずある点で必ず共通している。
思考形式を完全にモノフォニックならしめて、そこから片時も外れられないようにし、
そこでの六条御息所のごとき強情さへの酩酊に酔い痴れさせるのがカルトの基本なれば、
そのために利用される信仰もまた自然と、唯一神的存在への依存的な帰依になってしまう。
親鸞聖人の言葉を借りれば、信仰が一向専修的かつ「本願ぼこり」を帯びてしまった場合に、
そうなってしまうようだし、そこがカルトと非カルトの最も根本的な分岐点となるもの。
神仏信仰があるか否か、それが一向的か否かではなく、そのほうが決定的な部位となるのである。
多神教的な多重性への配慮を否定してかかる点では科学至上主義とも全く共通しているために、
実はその手の人種との親和性のほうがより高いといった法則までもが見られるものである。
念仏や、まともな部類のイスラム教などには、一向専修的であることをポリフォニックな
思考へと無意識にいざなうような効果もあったりするもので、唯一神信仰的であることが
必ずしも即カルトだと断定できるわけではないけれども、少なくともカルトの側はすべて、
そういったドグマ的な絶対者信仰へと偏る側面が少なからずある点で必ず共通している。
思考形式を完全にモノフォニックならしめて、そこから片時も外れられないようにし、
そこでの六条御息所のごとき強情さへの酩酊に酔い痴れさせるのがカルトの基本なれば、
そのために利用される信仰もまた自然と、唯一神的存在への依存的な帰依になってしまう。
親鸞聖人の言葉を借りれば、信仰が一向専修的かつ「本願ぼこり」を帯びてしまった場合に、
そうなってしまうようだし、そこがカルトと非カルトの最も根本的な分岐点となるもの。
神仏信仰があるか否か、それが一向的か否かではなく、そのほうが決定的な部位となるのである。
俺の言ってることにさほどのズレもないような指針に基づいたエンタメ作品が、
統一電通角川のディスカウントジャパン工作も振り切って公開された途端に、
いろんな記録を打ち立てるほどの大ヒットになってたりもする。
そこには、鬼退治や怪獣退治ならではのストレス解消要素などもあろうとて、
俺自身の言うことには、そんなスカッと要素なんかが皆無なのはなぜかというに。
そういう作品を作ったり、ストレスなき世の中を招いたりする猛者側の
心構えを説いているものであるが故に、自分たち自身がとにかくストレスを
解消したくてしたくてたまらない消費者風情の意向などとは、むしろ相反するのである。
アニメを見るほど安易に楽しいことはなく、
アニメを作るほど地獄のような労苦を強いられることはないと、
げそいくおとかも説いてたもの。そのどちら側であるかをまず自覚せよ。
統一電通角川のディスカウントジャパン工作も振り切って公開された途端に、
いろんな記録を打ち立てるほどの大ヒットになってたりもする。
そこには、鬼退治や怪獣退治ならではのストレス解消要素などもあろうとて、
俺自身の言うことには、そんなスカッと要素なんかが皆無なのはなぜかというに。
そういう作品を作ったり、ストレスなき世の中を招いたりする猛者側の
心構えを説いているものであるが故に、自分たち自身がとにかくストレスを
解消したくてしたくてたまらない消費者風情の意向などとは、むしろ相反するのである。
アニメを見るほど安易に楽しいことはなく、
アニメを作るほど地獄のような労苦を強いられることはないと、
げそいくおとかも説いてたもの。そのどちら側であるかをまず自覚せよ。
[YouTubeで再生]
https://video.fc2.com/ja/content/2015111450h6MGz...
アニメを見るほど何の才能も必要ないこともなく、
アニメを作るほど格別の才能を要することもない、ともいえるわな。
その断絶の壁を無理に乗り越えようとして起こされた惨劇が、
5年前の今頃に起きた、あの事件でもあったわけだが。
犯人もリアルガチの病人だったことだし、まず以て常人並みの判断力さえ
持ち合わせていれば、乗り越えてやろうなどと考えもしない所である。
とはいえ、できる人間にはできるのに違いなく、なおかつ
野球や将棋のプロなどよりもはるかに多くのスタッフが携わって
いればこその、世界的評価まで高まり続けている界隈でもある。
自分がそこに携わるのは無理だけど、その産物の恩恵に与っているのにも
違いないのだから、敬意を持ってその界隈を尊重して行くというのが、
超えられない壁の向こう側にいる人々へのまともな応じ方というものである。
自分自身に長期記憶のデフラグやRAID構築も、思考のポリフォニック化も
務まらないながらに、それを可能とするような人々のみが招き得る恩恵に
与ろうとするような者たちがわきまえるべきなのも、同様な姿勢であろう。
https://video.fc2.com/ja/content/2015111450h6MGz...
アニメを見るほど何の才能も必要ないこともなく、
アニメを作るほど格別の才能を要することもない、ともいえるわな。
その断絶の壁を無理に乗り越えようとして起こされた惨劇が、
5年前の今頃に起きた、あの事件でもあったわけだが。
犯人もリアルガチの病人だったことだし、まず以て常人並みの判断力さえ
持ち合わせていれば、乗り越えてやろうなどと考えもしない所である。
とはいえ、できる人間にはできるのに違いなく、なおかつ
野球や将棋のプロなどよりもはるかに多くのスタッフが携わって
いればこその、世界的評価まで高まり続けている界隈でもある。
自分がそこに携わるのは無理だけど、その産物の恩恵に与っているのにも
違いないのだから、敬意を持ってその界隈を尊重して行くというのが、
超えられない壁の向こう側にいる人々へのまともな応じ方というものである。
自分自身に長期記憶のデフラグやRAID構築も、思考のポリフォニック化も
務まらないながらに、それを可能とするような人々のみが招き得る恩恵に
与ろうとするような者たちがわきまえるべきなのも、同様な姿勢であろう。
戦後どころか、明治以降からずっと続いて来た、
無能ボンクラほど人の上に立ち、能力者はそのパシリとして
いいように引き回されて使い潰されるという悪しき潮流はいま、
もう国ごと持続不能な域に達することでの限界を来している。
戦前はイギリス、戦後はアメリカの傀儡国家としての、国としての
十分な主権なき国情であり続けて来たがために、権力中枢ほど、
好き好んでそこに取り入ってでも虚栄を博したがるような、
とびっきりの愚か者や外患スパイばかりが選別的に重用されて来た。
それは結局、総じて日本人などよりも無能や愚鈍ばかりである、
アメリカやイギリスが、植民地支配や不平等交易や奴隷使役によって
得た莫大な既得権益の嵩にかかっての、不相応な屈従的支配などを、
日本という国に対して強いてきたからこそ来した事態でもある。
唐宋代ごろまでの、本当に偉大だった時代の中国などもまた、
日本を含む周辺国全土に冊封体制のような上下関係を敷いていたものの、
それは真に文化的な上質さを、自分たちが帯びた上でのことでも
あったために、そこに留学その他の形での介入を試みた日本人の中からも、
阿倍仲麻呂や空海や道元のような偉人が多く輩出されたのである。
無能ボンクラほど人の上に立ち、能力者はそのパシリとして
いいように引き回されて使い潰されるという悪しき潮流はいま、
もう国ごと持続不能な域に達することでの限界を来している。
戦前はイギリス、戦後はアメリカの傀儡国家としての、国としての
十分な主権なき国情であり続けて来たがために、権力中枢ほど、
好き好んでそこに取り入ってでも虚栄を博したがるような、
とびっきりの愚か者や外患スパイばかりが選別的に重用されて来た。
それは結局、総じて日本人などよりも無能や愚鈍ばかりである、
アメリカやイギリスが、植民地支配や不平等交易や奴隷使役によって
得た莫大な既得権益の嵩にかかっての、不相応な屈従的支配などを、
日本という国に対して強いてきたからこそ来した事態でもある。
唐宋代ごろまでの、本当に偉大だった時代の中国などもまた、
日本を含む周辺国全土に冊封体制のような上下関係を敷いていたものの、
それは真に文化的な上質さを、自分たちが帯びた上でのことでも
あったために、そこに留学その他の形での介入を試みた日本人の中からも、
阿倍仲麻呂や空海や道元のような偉人が多く輩出されたのである。
なんだ、こちらが善行や不悪行で心を満たしていることは認めるんだ?
そうであることに気づけた時点で、自分のほうがどれだけ
無益で有害な徒労ばかりに没頭して来たのかも知れそうなものだがな。
心理面でのマッチポンプによる徒労の有無の違いに、
それを差し引いても有り余る健康被害や社会的危害の有無の違い。
俺もまた現代スポーツで患った大怪我を古流で治すような、
健康面でのマッチポンプに煩わされたのには違いないし、
そういう災難に見舞われやすい時代に生まれた者同士としての、
同病相憐れみの気持ちも多少程度にはなくもないものだが。
その辺についてはおまえもまた、否定派相手の場合などと同じで、
よりひどい境遇下にいる相手としての哀れみを抱かされるものではある。
そうであることに気づけた時点で、自分のほうがどれだけ
無益で有害な徒労ばかりに没頭して来たのかも知れそうなものだがな。
心理面でのマッチポンプによる徒労の有無の違いに、
それを差し引いても有り余る健康被害や社会的危害の有無の違い。
俺もまた現代スポーツで患った大怪我を古流で治すような、
健康面でのマッチポンプに煩わされたのには違いないし、
そういう災難に見舞われやすい時代に生まれた者同士としての、
同病相憐れみの気持ちも多少程度にはなくもないものだが。
その辺についてはおまえもまた、否定派相手の場合などと同じで、
よりひどい境遇下にいる相手としての哀れみを抱かされるものではある。
(>>136の続き)
アメリカやイギリスに対して同様な立場で来た日本人はといえば、
オノヨーコとかジャニー喜多川とか。坂本九や南部陽一郎や真鍋叔郎や
中村修二や近年の日本人メジャーリーガーなんかは、すでに日本で
醸成させた才覚をアメリカに持ち込んだ(買い取られた)だけだし、
さようなアメリカ側の虚栄への協力を拒み続けているせいで、世界的評価が
今一歩なままに置かれている、フラッシュメモリーやカーボンナノチューブの
発明者や、宇宙際タイヒミュラー理論の提唱者みたいな日本人もいるのである。
この日本という国において、上は無能、下は有能という上下関係が
限界を来しているのと全く同様に、米英が上、日本が下という上下関係
もまた限界を来しており、その両方同時の解消しか現実的にはあり得ない。
(もちろんそこにぶら下がっている韓日上下の差別などもである)
「全世界の国権、国益を尊重する」という、以前に専用スレまで立てて
その意義を説いた大命題が実現に移される所からのみ、その先もまたある。
昔の中国などもまたそれは守れていたが、米英にはそれが不可能だった
のだから、その上でのこれ以上の覇権を保つことも能わぬのである。
無理に覇権を保ち続けようとした結果が、粗悪移民の流入からの乗っ取り
という危機でもあるし、自分たちの今後のためにも、日本を含む他国に
対して国権侵害級の支配を目論むような、苦果の悪因を絶たねばならぬ。
アメリカやイギリスに対して同様な立場で来た日本人はといえば、
オノヨーコとかジャニー喜多川とか。坂本九や南部陽一郎や真鍋叔郎や
中村修二や近年の日本人メジャーリーガーなんかは、すでに日本で
醸成させた才覚をアメリカに持ち込んだ(買い取られた)だけだし、
さようなアメリカ側の虚栄への協力を拒み続けているせいで、世界的評価が
今一歩なままに置かれている、フラッシュメモリーやカーボンナノチューブの
発明者や、宇宙際タイヒミュラー理論の提唱者みたいな日本人もいるのである。
この日本という国において、上は無能、下は有能という上下関係が
限界を来しているのと全く同様に、米英が上、日本が下という上下関係
もまた限界を来しており、その両方同時の解消しか現実的にはあり得ない。
(もちろんそこにぶら下がっている韓日上下の差別などもである)
「全世界の国権、国益を尊重する」という、以前に専用スレまで立てて
その意義を説いた大命題が実現に移される所からのみ、その先もまたある。
昔の中国などもまたそれは守れていたが、米英にはそれが不可能だった
のだから、その上でのこれ以上の覇権を保つことも能わぬのである。
無理に覇権を保ち続けようとした結果が、粗悪移民の流入からの乗っ取り
という危機でもあるし、自分たちの今後のためにも、日本を含む他国に
対して国権侵害級の支配を目論むような、苦果の悪因を絶たねばならぬ。
(大したこと言ってないことにしないと、自分並みの所まで引きずりおろせない;;)
そもそもが、考え方や発言の内容がただ「中庸」に適っているだけでも、
もはやどんなにそれを簡潔に要約したところで、
一つ覚えの徒がスカッと理解できるような話になることはない。
>>136>>139の話で、すでに一つの不当差別ではなく、複数の不当差別を同時に
解消してこそといった、結論を一つ覚えに絞らない話に終始しているものだから、
「これさえやっとけばそれでヨシ!」的な結論を探している者からすれば、
どこか煮え切らない、言いたいことが良く分からない話止まりたるのである。
俺の話の中では、まだ入り組みようがそれほどでもない、二つや三つ程度の事象に
ついて話ではあるけれども、その時点でもう聞く者にも二重以上のポリフォニックな
思考形式を要求しているものだから、モノフォニックな思考しかできない人間や、
一応できた所で何もかもをモノフォニックな思考でも理解できるような領域にまで
引きずり下ろしたい欲求に駆られているような連中には理解できないか、
理解できたところで大したことを言ってないことにしたい思いに駆られるのである。
そもそもが、考え方や発言の内容がただ「中庸」に適っているだけでも、
もはやどんなにそれを簡潔に要約したところで、
一つ覚えの徒がスカッと理解できるような話になることはない。
>>136>>139の話で、すでに一つの不当差別ではなく、複数の不当差別を同時に
解消してこそといった、結論を一つ覚えに絞らない話に終始しているものだから、
「これさえやっとけばそれでヨシ!」的な結論を探している者からすれば、
どこか煮え切らない、言いたいことが良く分からない話止まりたるのである。
俺の話の中では、まだ入り組みようがそれほどでもない、二つや三つ程度の事象に
ついて話ではあるけれども、その時点でもう聞く者にも二重以上のポリフォニックな
思考形式を要求しているものだから、モノフォニックな思考しかできない人間や、
一応できた所で何もかもをモノフォニックな思考でも理解できるような領域にまで
引きずり下ろしたい欲求に駆られているような連中には理解できないか、
理解できたところで大したことを言ってないことにしたい思いに駆られるのである。
どこかの誰かは、俺のことをどうにか貶めてかかりたいあまりに、
「瘡痔は人として薄っぺらい!ドヤァ」というレッテルを貼って来たことがあったが。
お大師様の説く十住心の中では、最下等にあたる異生羝羊心はおろか、
下から二番目の愚童持斎心といえども、そんなに重厚さを帯びるような段階ではない。
その愚童持斎心に属する儒学の範疇に即することを念頭に置いた俺の物言いが、
異生羝羊心に甘んじているような連中からすれば、大して荘重なことを
言ってるようにも思われないように受け止められることもまたあり得よう。
それでいながら、自分たちには何を言ってるのかよく分からない側面までもが
多々あるという、最もアレルギー的に受け付け難い発言様式となっているもの。
しかし、それこそが最低劣の一つ覚え状態から、ただの一段階程度にランクアップした、
最も初歩的な人間精神の成長段階=とりあえず中庸をわきまえた段階なのである。
ここまでの話に即するなら、モノフォニック思考一辺倒だったのが、
とりあえず二重のポリフォニック思考程度は可能となった段階だともいえる。
そして
「中庸をわきまえた者にはそれ以上も教えられる。否なら否」(雍也第六・二一)
とも。まずその関門を乗り越えねば、重厚な領域などは夢のまた夢にも等しいのである。
「瘡痔は人として薄っぺらい!ドヤァ」というレッテルを貼って来たことがあったが。
お大師様の説く十住心の中では、最下等にあたる異生羝羊心はおろか、
下から二番目の愚童持斎心といえども、そんなに重厚さを帯びるような段階ではない。
その愚童持斎心に属する儒学の範疇に即することを念頭に置いた俺の物言いが、
異生羝羊心に甘んじているような連中からすれば、大して荘重なことを
言ってるようにも思われないように受け止められることもまたあり得よう。
それでいながら、自分たちには何を言ってるのかよく分からない側面までもが
多々あるという、最もアレルギー的に受け付け難い発言様式となっているもの。
しかし、それこそが最低劣の一つ覚え状態から、ただの一段階程度にランクアップした、
最も初歩的な人間精神の成長段階=とりあえず中庸をわきまえた段階なのである。
ここまでの話に即するなら、モノフォニック思考一辺倒だったのが、
とりあえず二重のポリフォニック思考程度は可能となった段階だともいえる。
そして
「中庸をわきまえた者にはそれ以上も教えられる。否なら否」(雍也第六・二一)
とも。まずその関門を乗り越えねば、重厚な領域などは夢のまた夢にも等しいのである。
単なる中庸以上に、重厚で荘厳な領域にまで踏み入って来た者と、
あえて初歩的な中庸に踏みとどまって来た者とが、こうして
横並びで名君に進言するようなこともまたあったもの。
何しろ、相手は最低限の中庸も解さぬような、
政商カルト含みの手合い。中以上の者同士でのみ分かり合えるような
高説よりも、「中人以下には以て上を語るべからず」を前提とした、
より実力行使的な領域を専科とする言葉が役に立つこともあるが故に。
今や、その最初等級の中庸すら世を挙げて見失われている時代なれば、
儒者も仏者もと共に無力化されているのにも違いはないが、
そこからまた復権を実現して行くようなことがあろうとも、
やはり同様に、初歩中の初歩の牙城の領主としての儒者や、
あるいは念仏者などが適材適所な要員として、
より活躍の場を得るようなこともまたあり得よう。
より重厚な領域に属する達者たちと比べれば、
薄っぺらいように思われることもあろうし、事実、
四書五経や浄土経も大蔵経よりははるかに些少で薄いながらに、
さらにそれ未満な連中をあしらう急先鋒としての役柄に与ろうぞ。
あえて初歩的な中庸に踏みとどまって来た者とが、こうして
横並びで名君に進言するようなこともまたあったもの。
何しろ、相手は最低限の中庸も解さぬような、
政商カルト含みの手合い。中以上の者同士でのみ分かり合えるような
高説よりも、「中人以下には以て上を語るべからず」を前提とした、
より実力行使的な領域を専科とする言葉が役に立つこともあるが故に。
今や、その最初等級の中庸すら世を挙げて見失われている時代なれば、
儒者も仏者もと共に無力化されているのにも違いはないが、
そこからまた復権を実現して行くようなことがあろうとも、
やはり同様に、初歩中の初歩の牙城の領主としての儒者や、
あるいは念仏者などが適材適所な要員として、
より活躍の場を得るようなこともまたあり得よう。
より重厚な領域に属する達者たちと比べれば、
薄っぺらいように思われることもあろうし、事実、
四書五経や浄土経も大蔵経よりははるかに些少で薄いながらに、
さらにそれ未満な連中をあしらう急先鋒としての役柄に与ろうぞ。
竹中平蔵「日本は弱者の保護を簡単に認めてしまう。それが国全体を弱くしている」「全ては増税や借金でまかなわれる」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f370d31b59df7d4a2d6ed...
こいつ、この記事では最低賃金も払えない弱小企業への保護をその実例として取り上げてるけど、
「国のお荷物化している弱者保護」の最たるものといえば、他国ならとっくの昔に死んでるような
健康状態の年寄りを、何千万人と生かし続けてやっている皆保険医療のほうであるのを、ごっそり見落としてるだろ。
こいつ自身を含む団塊世代こそは、全世界におけるビートルズのリアルタイム世代でもあるわけだが、
他国ではとっくの昔にその大多数が死んで少数派と化しているものだから、
日本以外のほぼすべての国で、ビートルズも世界一のロックバンドの座から陥落している。
とうの昔から半死半生状態な年寄りを、毎年何十兆円もかけて生き延びさせているからこそ、
医療介護以外の市場に出回る資本も低減し、以て国全体の経済を弱くしているのが最大最凶の問題だというのに、
そこから目を背けて末節の問題ばかりを他人事のように叩いている。やはりこれも単細胞ゆえの所業ではあろう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f370d31b59df7d4a2d6ed...
こいつ、この記事では最低賃金も払えない弱小企業への保護をその実例として取り上げてるけど、
「国のお荷物化している弱者保護」の最たるものといえば、他国ならとっくの昔に死んでるような
健康状態の年寄りを、何千万人と生かし続けてやっている皆保険医療のほうであるのを、ごっそり見落としてるだろ。
こいつ自身を含む団塊世代こそは、全世界におけるビートルズのリアルタイム世代でもあるわけだが、
他国ではとっくの昔にその大多数が死んで少数派と化しているものだから、
日本以外のほぼすべての国で、ビートルズも世界一のロックバンドの座から陥落している。
とうの昔から半死半生状態な年寄りを、毎年何十兆円もかけて生き延びさせているからこそ、
医療介護以外の市場に出回る資本も低減し、以て国全体の経済を弱くしているのが最大最凶の問題だというのに、
そこから目を背けて末節の問題ばかりを他人事のように叩いている。やはりこれも単細胞ゆえの所業ではあろう。
たとえ若者が全員選挙に行った所で、
絶対安定多数たる年寄りの投票に数で敵うことはない。
最低でも、年寄りからは選挙権を剥奪するなみに
非民主的な手段を講ずるのでもなければ、
弱者保護の過剰による自滅の進行を食い止めることも能わぬ。
元来ならとうに引退、他国なら大多数がとっくに
死んでいる年代である団塊竹中の発言力なんかも
なくなるところからのみ、それが可能となる。
絶対安定多数たる年寄りの投票に数で敵うことはない。
最低でも、年寄りからは選挙権を剥奪するなみに
非民主的な手段を講ずるのでもなければ、
弱者保護の過剰による自滅の進行を食い止めることも能わぬ。
元来ならとうに引退、他国なら大多数がとっくに
死んでいる年代である団塊竹中の発言力なんかも
なくなるところからのみ、それが可能となる。
ここにもこうやって、竹中と全く同じような単細胞さ加減によって、
毎年何十兆円もかけて、健康寿命の尽きた年寄りを何千万人と
生き延びさせてやっているという、最大最凶の内政問題から目を背けたまま、
それと比べれば毛筋ほどの社会的危害もない無職ニートだナマポだに
非難を浴びせかけることで、鬼の首を取ったように囃し立ててる連中がいるだろ。
それもまた、一つのことを考えている時には、他のことへの配慮が全くできない、
思考形式のモノフォニック止まりさこそが、恥知らずにも成し得ていることである。
竹中あたりだと、「自分は医療介護の専門家じゃないから」とか言い訳するかもしれないが、
何か別の分野の専門家であるあまりに、他の分野への配慮を完全に見落として、
全く筋違いな物言いにまで及んだりするようなら、それこそ「専門家である」という
こと自体が人としての恥知らずさをより助長する痴態であるとも言えることとなろう。
傾国の最大元凶となっている皆保険医療の中枢付近にいる医者などもまた、
「経済は自分の専門じゃないから」などと言い訳して言い逃れする話かもしれんが、
これまた人の命を救う聖職であることを差し引いても余りある恥知らずさであるといえよう。
いずれもやはり、洋学の経済学や医学の専門家であるならではの大馬鹿さ加減なだけで、
儒学や仏学のような正学の専門家には決して許されることがない振舞いなのである。
毎年何十兆円もかけて、健康寿命の尽きた年寄りを何千万人と
生き延びさせてやっているという、最大最凶の内政問題から目を背けたまま、
それと比べれば毛筋ほどの社会的危害もない無職ニートだナマポだに
非難を浴びせかけることで、鬼の首を取ったように囃し立ててる連中がいるだろ。
それもまた、一つのことを考えている時には、他のことへの配慮が全くできない、
思考形式のモノフォニック止まりさこそが、恥知らずにも成し得ていることである。
竹中あたりだと、「自分は医療介護の専門家じゃないから」とか言い訳するかもしれないが、
何か別の分野の専門家であるあまりに、他の分野への配慮を完全に見落として、
全く筋違いな物言いにまで及んだりするようなら、それこそ「専門家である」という
こと自体が人としての恥知らずさをより助長する痴態であるとも言えることとなろう。
傾国の最大元凶となっている皆保険医療の中枢付近にいる医者などもまた、
「経済は自分の専門じゃないから」などと言い訳して言い逃れする話かもしれんが、
これまた人の命を救う聖職であることを差し引いても余りある恥知らずさであるといえよう。
いずれもやはり、洋学の経済学や医学の専門家であるならではの大馬鹿さ加減なだけで、
儒学や仏学のような正学の専門家には決して許されることがない振舞いなのである。
とかいった話はあくまで、「弱者保護は一概に有害無益」という、
竹中自身の物言いに応じて提示してやった話であるだけで、
そもそもその大前提からして間違っている、ということもいえる。
国内に中下層の経済水準の人間も多ければこそ、生産人口などが保たれることで
国力が盤石たるというのは、中国やインドはおろかアメリカすらもが
それなりに認めていて、あえてさような国情を保たせている法則でもある。
世の中を完全に経済的強者だけで占めさせようたって、それでは国の運営も
ままならなくなるものだから、欧州諸国なども大量の移民を受け入れての
多人種国家化に至らざるを得なかった。その後を追うような真似を今さら主張
している竹中の物言いなんざ自体が、もう何も見えてない暗愚老耄の極みだともいえる。
ただ、弱者保護にも「過ぎたるは猶及ばざるが如し」となる事例はあり得るもので、
それこそ、皆保険医療で何千万人という年寄りを毎年何十兆円もかけて
生き延びさせている今の日本の医療福祉なんぞが、まさにそれに該当するものである。
それにより、肉体的強者たる中若年から活躍の場を奪い続けているが故に
日本社会も低迷に追い込まれているわけで、要は「弱者保護が過ぎたあまりの強者冷遇」
こそが今の日本における最大最凶の問題であると言えるわけである。
竹中自身の物言いに応じて提示してやった話であるだけで、
そもそもその大前提からして間違っている、ということもいえる。
国内に中下層の経済水準の人間も多ければこそ、生産人口などが保たれることで
国力が盤石たるというのは、中国やインドはおろかアメリカすらもが
それなりに認めていて、あえてさような国情を保たせている法則でもある。
世の中を完全に経済的強者だけで占めさせようたって、それでは国の運営も
ままならなくなるものだから、欧州諸国なども大量の移民を受け入れての
多人種国家化に至らざるを得なかった。その後を追うような真似を今さら主張
している竹中の物言いなんざ自体が、もう何も見えてない暗愚老耄の極みだともいえる。
ただ、弱者保護にも「過ぎたるは猶及ばざるが如し」となる事例はあり得るもので、
それこそ、皆保険医療で何千万人という年寄りを毎年何十兆円もかけて
生き延びさせている今の日本の医療福祉なんぞが、まさにそれに該当するものである。
それにより、肉体的強者たる中若年から活躍の場を奪い続けているが故に
日本社会も低迷に追い込まれているわけで、要は「弱者保護が過ぎたあまりの強者冷遇」
こそが今の日本における最大最凶の問題であると言えるわけである。
「親があくまで過ちを犯し続けるようなら、泣き叫びながらこれに従え」(孝経)
自分の親もまた少なからず加担してしまっている過ちであればこそ、
こんな所でくだを巻くだけで、なんら実行にも移さず、
その他力本願な実現ですら、むしろ憂えているのだろうが。
別にこれで、トランプが善政を敷いて行くことが決まったわけでもなし。
むしろ国内外から多くの反発を集める極右政策の急進が確約されたのみ。
その先にあるのはやはり、Attack On Titanのラストとも見まがうような大破綻。
「トランプは本当にアメリカの擬人化そのものだよな」
と俺も評したことがあったが、なればこそ、
アメリカ「わが生涯に一片の悔いなし!!」
な絵面だったともいえるわな。
米英の崩壊もまたいつかは避けられぬことと予期しているのとはまた別に、
親の余命を案じる身として、なにも悦べるところはなかった事件だったといえる。
ゆえにここですら、安倍銃撃の時のようにはやし立てることもできなかったものだ。
自分の親もまた少なからず加担してしまっている過ちであればこそ、
こんな所でくだを巻くだけで、なんら実行にも移さず、
その他力本願な実現ですら、むしろ憂えているのだろうが。
別にこれで、トランプが善政を敷いて行くことが決まったわけでもなし。
むしろ国内外から多くの反発を集める極右政策の急進が確約されたのみ。
その先にあるのはやはり、Attack On Titanのラストとも見まがうような大破綻。
「トランプは本当にアメリカの擬人化そのものだよな」
と俺も評したことがあったが、なればこそ、
アメリカ「わが生涯に一片の悔いなし!!」
な絵面だったともいえるわな。
米英の崩壊もまたいつかは避けられぬことと予期しているのとはまた別に、
親の余命を案じる身として、なにも悦べるところはなかった事件だったといえる。
ゆえにここですら、安倍銃撃の時のようにはやし立てることもできなかったものだ。
別に革命が本当に勃発したところで、自らがその後の新政権の重鎮にでもなるのなら、
自分自身の親親族を入念な保護下に置くことぐらいはわけもないだろうが。
それでも、もう自分がこの世に要らなくなった存在と化してしまったことを、
如実に思い知らされたがためのショック死や衰弱までもが避けられるとは限らない。
特に俺の親父なんかに限れば、自らもまた良かれと思って従事して来た甚大な国土開発が、
持続可能化のために大量に間引かれて自然状態に引き戻されて行ったりするのを見て、
それがショックで寿命を縮めるようなことにもなりかねない。
なおかつ、自分の親だけを特権によって保護下に置いたところで、
大多数の一般人の親が、皆保険の廃絶などのせいで極度に寿命を縮められることまで
避けられるわけではなく、そんな中で自らの親だけ手厚い保護下に置いたり
しようものなら、自らの親を項羽に人質に取られても臆することなく戦い続けた
高祖劉邦の風上にも置けない下郎だ、ということにもなってしまいかねないからな。
自分自身の親親族を入念な保護下に置くことぐらいはわけもないだろうが。
それでも、もう自分がこの世に要らなくなった存在と化してしまったことを、
如実に思い知らされたがためのショック死や衰弱までもが避けられるとは限らない。
特に俺の親父なんかに限れば、自らもまた良かれと思って従事して来た甚大な国土開発が、
持続可能化のために大量に間引かれて自然状態に引き戻されて行ったりするのを見て、
それがショックで寿命を縮めるようなことにもなりかねない。
なおかつ、自分の親だけを特権によって保護下に置いたところで、
大多数の一般人の親が、皆保険の廃絶などのせいで極度に寿命を縮められることまで
避けられるわけではなく、そんな中で自らの親だけ手厚い保護下に置いたり
しようものなら、自らの親を項羽に人質に取られても臆することなく戦い続けた
高祖劉邦の風上にも置けない下郎だ、ということにもなってしまいかねないからな。
俺も別に、いちいち四書五経や孝経などの言葉を思い出しながら、
その実践に取り組んでいるのではなく、十住心論でいえば
愚童持斎心に該当するような心持ちの修練によって、
自然とその実践が務まるように仕向けているものである。
仏説における十住心であるとか、六道十界であるとかが、
各種のRAID構築のごときマインドセットの段階に該当し、
愚童持斎心なら六道のうちの人道と等価になるような法則性も持ち合わせている。
仏の悟りとまでは行かないながらに、儒学=愚童持斎心=人道程度の
境地を持ち保っているような人間もまた、浩然の気(孟子)と呼ばれるような
ある種の心の安定を得、その安定を損なわないような言動に務めてさえいれば、
いちいち儒書の言葉を参照したりするまでもなく、その矩ノリを超えることがなくなる。
畢竟、それが「正直であることは楽しい」の初歩中の初歩でもあり、
RAID構築的なマインドセットの蓄積のための大前提としての、
嘘をつくことを楽しむような邪念による記憶情報の断片化からの散逸
ぐらいは避けるようになった、最低よりもマシな段階に該当するのである。
その実践に取り組んでいるのではなく、十住心論でいえば
愚童持斎心に該当するような心持ちの修練によって、
自然とその実践が務まるように仕向けているものである。
仏説における十住心であるとか、六道十界であるとかが、
各種のRAID構築のごときマインドセットの段階に該当し、
愚童持斎心なら六道のうちの人道と等価になるような法則性も持ち合わせている。
仏の悟りとまでは行かないながらに、儒学=愚童持斎心=人道程度の
境地を持ち保っているような人間もまた、浩然の気(孟子)と呼ばれるような
ある種の心の安定を得、その安定を損なわないような言動に務めてさえいれば、
いちいち儒書の言葉を参照したりするまでもなく、その矩ノリを超えることがなくなる。
畢竟、それが「正直であることは楽しい」の初歩中の初歩でもあり、
RAID構築的なマインドセットの蓄積のための大前提としての、
嘘をつくことを楽しむような邪念による記憶情報の断片化からの散逸
ぐらいは避けるようになった、最低よりもマシな段階に該当するのである。
「君子は独りを慎み、小人は閑居して不善を為す」(大学)
誰も見てないのなら、別に罰せられたり不評を買ったりしないのなら、
嘘でも盗みでも出歯亀でもなんでもしてやりたいというような邪念に
駆られたりするのは、それこそを楽しむ段階にまだ自分がいるからである。
自らの記憶情報が断片化して、前頭葉全体におもちゃ箱をひっくり返したように
散逸する所にもまた、匹夫小人ならではの下衆な陶酔があるのも確かなこと。
バラバの犠牲者への配慮も疎かなままにイエスの昇天を賛美したり、
進化論の妥当性も無視しての、アダムとイヴの素っ裸創世神話を信じたり
することでこそ得られる、知能低下、論理破綻の楽しみというものも事実ある。
人が生きて行く上では。多くの怒りや悲しみが付き物で、その最たるものたるや、
自らや親愛なる相手の死であったりもするものだが、多くの下等動物が
死なんてものを理解していないが故に、そこへの恐怖も苦悩も抱かないが如く、
下等動物なみに知能を低下させた人間もまた疑似的にその安楽を得る。
記憶情報の断片化からの散逸を必要とするような論理破綻のむさぼりこそが、
人間に対してその機会を付与するが故に、悪趣味な愛好の対象とされるもの。
ただ、それはもちろん正直であることこそを楽しむ、浩然の気以上の上質な
精神的安楽とは相容れないものであるために、同時に人間精神を最低劣の
領域に止め置いて幽閉する、頑強な檻ともなってしまうのである。
誰も見てないのなら、別に罰せられたり不評を買ったりしないのなら、
嘘でも盗みでも出歯亀でもなんでもしてやりたいというような邪念に
駆られたりするのは、それこそを楽しむ段階にまだ自分がいるからである。
自らの記憶情報が断片化して、前頭葉全体におもちゃ箱をひっくり返したように
散逸する所にもまた、匹夫小人ならではの下衆な陶酔があるのも確かなこと。
バラバの犠牲者への配慮も疎かなままにイエスの昇天を賛美したり、
進化論の妥当性も無視しての、アダムとイヴの素っ裸創世神話を信じたり
することでこそ得られる、知能低下、論理破綻の楽しみというものも事実ある。
人が生きて行く上では。多くの怒りや悲しみが付き物で、その最たるものたるや、
自らや親愛なる相手の死であったりもするものだが、多くの下等動物が
死なんてものを理解していないが故に、そこへの恐怖も苦悩も抱かないが如く、
下等動物なみに知能を低下させた人間もまた疑似的にその安楽を得る。
記憶情報の断片化からの散逸を必要とするような論理破綻のむさぼりこそが、
人間に対してその機会を付与するが故に、悪趣味な愛好の対象とされるもの。
ただ、それはもちろん正直であることこそを楽しむ、浩然の気以上の上質な
精神的安楽とは相容れないものであるために、同時に人間精神を最低劣の
領域に止め置いて幽閉する、頑強な檻ともなってしまうのである。
嘘偽りその他の悪行にまったく罪悪感の一つも抱かないでいられる人間を、
近年の精神医学ではサイコパス(精神病質」などと呼んだりもするし、
なおかつサイコパスには高知能が多いなどとも言われているものだが。
前頭葉の長期記憶の整理を蔑ろにする代わりに、側頭葉の情報処理能力だけは
高め抜くという人種がその手の素養を身に付けるようなことが事実ありはする。
ユダヤ人などはまさにその手の人種が最も多いカルト集団であるために、
数多の天才を輩出して来た一方で、総体としてのその振舞いは、暴利を巻き上げる
悪徳金融などを本業とするあまりに、勢力圏では必ずと言っていいほど多くの
アンチを生み出しては迫害されるような目に遭い続けて来たのである。
そのうちの一人であるアインシュタインなども、宗教全般を否定するような
物言いを繰り返しながら、自身がユダヤ教徒であることはやめないといった
自己破綻加減であったものだが、さような欺瞞こそが欠陥相殺的に側頭葉の
情報処理能力を格段に高めるものでもあるし、またそのユダヤ教徒が幼少期から
徹底的に叩き込まれる旧約聖書の記述こそは、科学理論によってもまともな
道徳学によっても全否定する他ないような邪説暴言の塊であればこそ、長期記憶の
整理を徹底拒絶させることを引き換えにした、脳の情報処理能力の高さを育むのである。
近年の精神医学ではサイコパス(精神病質」などと呼んだりもするし、
なおかつサイコパスには高知能が多いなどとも言われているものだが。
前頭葉の長期記憶の整理を蔑ろにする代わりに、側頭葉の情報処理能力だけは
高め抜くという人種がその手の素養を身に付けるようなことが事実ありはする。
ユダヤ人などはまさにその手の人種が最も多いカルト集団であるために、
数多の天才を輩出して来た一方で、総体としてのその振舞いは、暴利を巻き上げる
悪徳金融などを本業とするあまりに、勢力圏では必ずと言っていいほど多くの
アンチを生み出しては迫害されるような目に遭い続けて来たのである。
そのうちの一人であるアインシュタインなども、宗教全般を否定するような
物言いを繰り返しながら、自身がユダヤ教徒であることはやめないといった
自己破綻加減であったものだが、さような欺瞞こそが欠陥相殺的に側頭葉の
情報処理能力を格段に高めるものでもあるし、またそのユダヤ教徒が幼少期から
徹底的に叩き込まれる旧約聖書の記述こそは、科学理論によってもまともな
道徳学によっても全否定する他ないような邪説暴言の塊であればこそ、長期記憶の
整理を徹底拒絶させることを引き換えにした、脳の情報処理能力の高さを育むのである。
モーセの十戒なども、一見してまともな道徳教条のように思われる後6条の上に、
唯一神への絶対服従を強いる前4条を置いた上で、その神はといえば、
服従心を示すために我が子を殺そうとしたアブラハムを救うような、
人間道徳に根本から反する真似を平気で強いるような代物である。
(まさにこれが現代日本で致命的な問題となっている、子愛の欠如と符合する事例でもある)
ユダヤ系哲学者のベルクソンも「道徳と宗教の二源泉」という自著で、
その冒頭で旧約聖書の創世神話への賛美を掲げながら、題名の通りに道徳と宗教の
相反性を説いていたものだけれども、そんな個別性が通用しているように思い込むこと自体が、
ユダヤ教やキリスト教のような生粋のカルト信仰の界隈でしかあり得ないことである。
お大師様や源信僧都が、十住心論や往生要集でただの人間道徳止まりな儒学の境地などを、
仏門よりも低い境地と見なしていたのも、あくまで自分たちが正当と見なしている
仏神への信仰や仏道修行などが、単なる道徳の完全な上位互換たり、以て人間道徳が
実践や実現を企図する所のものをより一層助成して行くものだと考えていたからである。
そうではなく、神への信仰が時に人間道徳を損ね、それ未満の退廃へと人々を陥れるのを
定立するのがカルト信仰であるが故に、人々を浩然の気以上の、正直であることの楽しみ
などへと導くことなく、むしろそれを徹底的に禁じてかかるような真似に及ぶのである。
唯一神への絶対服従を強いる前4条を置いた上で、その神はといえば、
服従心を示すために我が子を殺そうとしたアブラハムを救うような、
人間道徳に根本から反する真似を平気で強いるような代物である。
(まさにこれが現代日本で致命的な問題となっている、子愛の欠如と符合する事例でもある)
ユダヤ系哲学者のベルクソンも「道徳と宗教の二源泉」という自著で、
その冒頭で旧約聖書の創世神話への賛美を掲げながら、題名の通りに道徳と宗教の
相反性を説いていたものだけれども、そんな個別性が通用しているように思い込むこと自体が、
ユダヤ教やキリスト教のような生粋のカルト信仰の界隈でしかあり得ないことである。
お大師様や源信僧都が、十住心論や往生要集でただの人間道徳止まりな儒学の境地などを、
仏門よりも低い境地と見なしていたのも、あくまで自分たちが正当と見なしている
仏神への信仰や仏道修行などが、単なる道徳の完全な上位互換たり、以て人間道徳が
実践や実現を企図する所のものをより一層助成して行くものだと考えていたからである。
そうではなく、神への信仰が時に人間道徳を損ね、それ未満の退廃へと人々を陥れるのを
定立するのがカルト信仰であるが故に、人々を浩然の気以上の、正直であることの楽しみ
などへと導くことなく、むしろそれを徹底的に禁じてかかるような真似に及ぶのである。
正直であることによる浩然の気以上の楽しみと、
嘘偽りなどの不善にまみれることによる楽しみとでは、
いろいろと位相が食い違ってくるもので、端的に言って、
一方にとって面白い物事が、もう一方にとっては面白くもなんともない、
なんて事例が無数に上るようなことにもなる。
前者は地道であることを楽しみ、後者は手っ取り早いことを楽しむ、
前者は世のため人のためになるような仕事こそをもっとも楽しむ一方で、
後者は人と世を害してでも自分だけがいい思いをするような真似を楽しむなど、
根本的な所から枝葉末節に至るまで、生理的といってもいいぐらいの相反性を帯びる。
ただ、どちらのほうがより満足度が高いかといえば、
それは正直であることを楽しむ側のほうであるために、
たとえば不毛な水掛け論のレスバなどに遭遇しようものなら、
たとえ自分が負けたことになるような体裁になってしまうのだろうとも、
さしたる不満もないために、先に撤退するようなこともまた容易なわけである。
それにより自らは早寝による滋養にも与る一方、
邪念を楽しむ輩は寝不足で寿命を縮めるようなことともなり、
以て身体的な健康面などへの禍福の結実もまた顕著な相違を見せることとなる。
正直を楽しむ側こそがより大いなる善因楽果に与り、不善を楽しむ側のほうが、
その少なさと悪因苦果の多さに苛まれるという絶対法則もまた実在するわけである。
嘘偽りなどの不善にまみれることによる楽しみとでは、
いろいろと位相が食い違ってくるもので、端的に言って、
一方にとって面白い物事が、もう一方にとっては面白くもなんともない、
なんて事例が無数に上るようなことにもなる。
前者は地道であることを楽しみ、後者は手っ取り早いことを楽しむ、
前者は世のため人のためになるような仕事こそをもっとも楽しむ一方で、
後者は人と世を害してでも自分だけがいい思いをするような真似を楽しむなど、
根本的な所から枝葉末節に至るまで、生理的といってもいいぐらいの相反性を帯びる。
ただ、どちらのほうがより満足度が高いかといえば、
それは正直であることを楽しむ側のほうであるために、
たとえば不毛な水掛け論のレスバなどに遭遇しようものなら、
たとえ自分が負けたことになるような体裁になってしまうのだろうとも、
さしたる不満もないために、先に撤退するようなこともまた容易なわけである。
それにより自らは早寝による滋養にも与る一方、
邪念を楽しむ輩は寝不足で寿命を縮めるようなことともなり、
以て身体的な健康面などへの禍福の結実もまた顕著な相違を見せることとなる。
正直を楽しむ側こそがより大いなる善因楽果に与り、不善を楽しむ側のほうが、
その少なさと悪因苦果の多さに苛まれるという絶対法則もまた実在するわけである。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1720191770/9...
見合いも野合も結婚も、等しく縁遠い夢物語であることには変わりない、
江戸時代の半分以下な所得水準の世代の大多数にとっては、
未だ無縁にもほどがあり過ぎる話でしかないがな。
見合いも野合も結婚も、等しく縁遠い夢物語であることには変わりない、
江戸時代の半分以下な所得水準の世代の大多数にとっては、
未だ無縁にもほどがあり過ぎる話でしかないがな。
「父母(健)在なれば遠くに遊ばず。遊ぶにも必ず方(正さ)あり」
(里仁第四・一九)
これなどはまさに、正直さを楽しんでいる側でなければ決して楽しめない、
嘘偽りを楽しんでいる側などには苦痛の極みにしかならないような教条であろう。
道徳性を帯びた教条としてそれなりの妥当さを帯びたものであることぐらいは
察せようとて、それこそを楽しむなんて想像もつかず、逆に道徳なんて
堅苦しいだけでなんの楽しみにもならないものだと思い込む材料とのみなろう。
ファザコン、マザコンだから楽しめるという場合もあるかもしれないが、
儒学は子孫繁栄を尊ぶ教えでもあるから、親への病的な依存心で己が妻子を
蔑ろにしたりするようでもいけないわけで、別にそれを楽しめというのでもない。
かような教えまで守り抜くことで、浩然の気が高められて行くことこそを楽しむ。
その内実たるやこのスレでも色々と書いて来た通りで、外的な現象ではなく、
内面からの納得によってのみそれを理解できるところがあるのでもある。
(里仁第四・一九)
これなどはまさに、正直さを楽しんでいる側でなければ決して楽しめない、
嘘偽りを楽しんでいる側などには苦痛の極みにしかならないような教条であろう。
道徳性を帯びた教条としてそれなりの妥当さを帯びたものであることぐらいは
察せようとて、それこそを楽しむなんて想像もつかず、逆に道徳なんて
堅苦しいだけでなんの楽しみにもならないものだと思い込む材料とのみなろう。
ファザコン、マザコンだから楽しめるという場合もあるかもしれないが、
儒学は子孫繁栄を尊ぶ教えでもあるから、親への病的な依存心で己が妻子を
蔑ろにしたりするようでもいけないわけで、別にそれを楽しめというのでもない。
かような教えまで守り抜くことで、浩然の気が高められて行くことこそを楽しむ。
その内実たるやこのスレでも色々と書いて来た通りで、外的な現象ではなく、
内面からの納得によってのみそれを理解できるところがあるのでもある。
戦後の日本などは、最長老の団塊世代の頃から、
西洋的な個人主義の浸透のせいもあって、伝統文化の家元でもない限りは、
親が健在なうちから独り立ちして新たな家族を育むのが、より健全な人間の在り方だ
などとまで思い込まれるようになり、大人になっても実家に留まるような者は、
長男だろうが嫡子だろうがお構いなしに脛齧り、こどおじなどと呼ばれて蔑まれるようになったもの。
それはもう、戦後日本に浸透して行った西洋文化(特にアメリカ文化)が、
力道山が八百長で木村政彦に勝つことを持て囃すような、まさに嘘を楽しむことこそを
本流とし始めたがために、そうである以上は招かれざるを得なかった潮流なのである。
能や歌舞伎のような古来の劇作などにもフィクション自体は多くあれど、
それはあくまで嘘な部分は嘘だとちゃんとわきまえた上で楽しむ部類のものだから、
自己欺瞞などまで強いられることはないのだけれども、件のプロレス試合などは、
嘘であることを本当であるかのように思い込む部類の迫真さまでをも加味させていたがために、
人々に自己欺瞞による脳内記憶の断片化からの散逸までをも強いることとなったのである。
そういった、自己を偽ることまで強いる部類の欺瞞文化の押し付けによって、
日本人の大多数もまた嘘偽りこそを楽しむ悪趣味に脳を侵され、正直を楽しむことのほうは完全に絶えた
とまでは行かないが、古来の遺伝によって無意識に残存している程度のものにまでなり果ててしまっているのである。
西洋的な個人主義の浸透のせいもあって、伝統文化の家元でもない限りは、
親が健在なうちから独り立ちして新たな家族を育むのが、より健全な人間の在り方だ
などとまで思い込まれるようになり、大人になっても実家に留まるような者は、
長男だろうが嫡子だろうがお構いなしに脛齧り、こどおじなどと呼ばれて蔑まれるようになったもの。
それはもう、戦後日本に浸透して行った西洋文化(特にアメリカ文化)が、
力道山が八百長で木村政彦に勝つことを持て囃すような、まさに嘘を楽しむことこそを
本流とし始めたがために、そうである以上は招かれざるを得なかった潮流なのである。
能や歌舞伎のような古来の劇作などにもフィクション自体は多くあれど、
それはあくまで嘘な部分は嘘だとちゃんとわきまえた上で楽しむ部類のものだから、
自己欺瞞などまで強いられることはないのだけれども、件のプロレス試合などは、
嘘であることを本当であるかのように思い込む部類の迫真さまでをも加味させていたがために、
人々に自己欺瞞による脳内記憶の断片化からの散逸までをも強いることとなったのである。
そういった、自己を偽ることまで強いる部類の欺瞞文化の押し付けによって、
日本人の大多数もまた嘘偽りこそを楽しむ悪趣味に脳を侵され、正直を楽しむことのほうは完全に絶えた
とまでは行かないが、古来の遺伝によって無意識に残存している程度のものにまでなり果ててしまっているのである。
嘘偽りそのものを楽しむことと、
楽しみの中に手段としての嘘が加味されていることとは
根本的に別物であるというのが、
たとえば日本とアメリカの二次元描写の差異などからも知れる。
アメリカ文化というのは、キリスト教圏であることもあって、
嘘偽りによる自己欺瞞そのものを楽しむことがいつも主体になっている。
そのためディズニーなどのカートゥーンにおける人物描写なども、
それなりに崩してはいるのに、どこかリアルに寄せとかないと気が済まない
といった傾向を帯びている一方、日本の漫画アニメなどは、それはあくまで
虚構の領域だと割り切っているからこそ、より大胆な崩しを多用する。
それが逆に二次元の範疇でのキャラの魅力を引き立たせたりもしている。
世界中でディズニーやマーベルの人気が凋落の一途を辿っている一方、
日本の漫画アニメは上り調子一本だったりすることからもわかるように、
普通に誰しも嘘は嘘だと割りきっている創作の健全さのほうをより楽しみ、
嘘を本当のように思い込む不健全さには拒絶感を抱き始めているのが現状である。
楽しみの中に手段としての嘘が加味されていることとは
根本的に別物であるというのが、
たとえば日本とアメリカの二次元描写の差異などからも知れる。
アメリカ文化というのは、キリスト教圏であることもあって、
嘘偽りによる自己欺瞞そのものを楽しむことがいつも主体になっている。
そのためディズニーなどのカートゥーンにおける人物描写なども、
それなりに崩してはいるのに、どこかリアルに寄せとかないと気が済まない
といった傾向を帯びている一方、日本の漫画アニメなどは、それはあくまで
虚構の領域だと割り切っているからこそ、より大胆な崩しを多用する。
それが逆に二次元の範疇でのキャラの魅力を引き立たせたりもしている。
世界中でディズニーやマーベルの人気が凋落の一途を辿っている一方、
日本の漫画アニメは上り調子一本だったりすることからもわかるように、
普通に誰しも嘘は嘘だと割りきっている創作の健全さのほうをより楽しみ、
嘘を本当のように思い込む不健全さには拒絶感を抱き始めているのが現状である。
とはいえ、遠出の遊興で親に心配をかけないことを楽しむような、
本式の正学にも乗っ取った域の楽しみにまで与れているような人間は未だ
皆無に等しいのもまた事実であり、正直であることそのものを楽しむよりは下の、
嘘は嘘だと割り切って楽しむのが最善状態なのが、近年の世界中での傾向だといえる。
古来の漢籍の等級分けも経>史>子>集で、>>164で引用した論語を含む経のほうが、
フィクション全般が該当する集よりもはるかに高等なものとされていたものだし、
その差別化自体は決して過去の遺物扱いしていいものでもなく、やはり正直であること
そのものを楽しむことやそのための教えのほうが、嘘偽りもまた方便としながら
楽しむことやその材料などよりも格上である程度のわきまえもまたあるべきである。
ただ、今の時代にはあまりにも正直であること自体を楽しむことが難関すぎるが故に、
論孟も史記漢書も老荘も、漫画アニメなどより上質な「楽しみの糧」たるという所
にまではなかなか察知が及びにくいものではある。現状ではそれが無理であるにしても、
なればこそ経史子も集以上たるのだということを、参考程度には覚えておくべきものである。
本式の正学にも乗っ取った域の楽しみにまで与れているような人間は未だ
皆無に等しいのもまた事実であり、正直であることそのものを楽しむよりは下の、
嘘は嘘だと割り切って楽しむのが最善状態なのが、近年の世界中での傾向だといえる。
古来の漢籍の等級分けも経>史>子>集で、>>164で引用した論語を含む経のほうが、
フィクション全般が該当する集よりもはるかに高等なものとされていたものだし、
その差別化自体は決して過去の遺物扱いしていいものでもなく、やはり正直であること
そのものを楽しむことやそのための教えのほうが、嘘偽りもまた方便としながら
楽しむことやその材料などよりも格上である程度のわきまえもまたあるべきである。
ただ、今の時代にはあまりにも正直であること自体を楽しむことが難関すぎるが故に、
論孟も史記漢書も老荘も、漫画アニメなどより上質な「楽しみの糧」たるという所
にまではなかなか察知が及びにくいものではある。現状ではそれが無理であるにしても、
なればこそ経史子も集以上たるのだということを、参考程度には覚えておくべきものである。
トランプの就任受諾演説の日に合わせての、史上最大規模のWindowsシステム障害。
原因になったセキュリティソフトを使ってなかったんでウチは無事だったけれども、
これがWindowsOSそのものに組み込まれた障害だった日には、
全世界の何もかものインフラがダウンする壊滅的事態に陥ることが免れ得ない。
マイクロソフトも近ごろまでポリコレ雇用枠なんざを用意していたようだし、
そこにスパイが紛れ込んでKADOKAWAドワンゴのサーバに埋め込んだような
ランサムウェアをOSに埋め込んだりも、絶対にあり得ないことではなかろうて。
米民主党側であるCIAや中韓にとって、あまりにも都合の悪い政策を推し進めるようなら、
一昨日以上の大規模障害の誘発も辞さないという恫喝の一つだったかもしれないが、
さりとて今のトランプが及び腰なんかになることもなかろうし、ITインフラも概ね
ダウンした状態での南北戦争ふたたび、なんて事態も想定しておかねばなるまいな。
原因になったセキュリティソフトを使ってなかったんでウチは無事だったけれども、
これがWindowsOSそのものに組み込まれた障害だった日には、
全世界の何もかものインフラがダウンする壊滅的事態に陥ることが免れ得ない。
マイクロソフトも近ごろまでポリコレ雇用枠なんざを用意していたようだし、
そこにスパイが紛れ込んでKADOKAWAドワンゴのサーバに埋め込んだような
ランサムウェアをOSに埋め込んだりも、絶対にあり得ないことではなかろうて。
米民主党側であるCIAや中韓にとって、あまりにも都合の悪い政策を推し進めるようなら、
一昨日以上の大規模障害の誘発も辞さないという恫喝の一つだったかもしれないが、
さりとて今のトランプが及び腰なんかになることもなかろうし、ITインフラも概ね
ダウンした状態での南北戦争ふたたび、なんて事態も想定しておかねばなるまいな。
日ごろからネットを敵視している大メディアの、
この鬼の首を取ったようなはやし立てよう。
仮に全世界のWindowsがダウンするなみの障害が起きた場合に、
大メディアがその役割を肩代わりできるのかというと、
もちろんそんなことはなく、逆に関東大震災時に自警団気取りで暴れ回ってた
早慶連中みたいなヤカラをはやし立てるような真似にすら及びかねない。
Xのダウンなどによって、ネット上での相互監視が不全化した途端に、
「小人閑居して不善を為す」の真似に及び始めるようなならず者が、
この日本ですら相当数現れかねないし、しかもそれはいま大メディアや
政財界に取り入っているような連中の中にこそ多かろうとも察せられる。
警察もその手の連中には頭が上がらないから半ば黙認状態となり、
自衛隊も今の員数や弾数だけでは制圧がままならず、上からの
謎の圧力で待機を強いられるようなことにもなり得よう。
ーーなどと、台湾どころか日本まで中露からの侵攻で乗っ取られかねない
ような事態への陥りを、在日米軍も指をくわえて見ているだけでいるのを
大前提とした、適当なシミュレーションをひけらかしてみたり。
まあ本当にどうなるかなどは、知っててもまだ言わないわけだが。
それよりも悪い場合まで想定しておいてこその万全というものよ。
この鬼の首を取ったようなはやし立てよう。
仮に全世界のWindowsがダウンするなみの障害が起きた場合に、
大メディアがその役割を肩代わりできるのかというと、
もちろんそんなことはなく、逆に関東大震災時に自警団気取りで暴れ回ってた
早慶連中みたいなヤカラをはやし立てるような真似にすら及びかねない。
Xのダウンなどによって、ネット上での相互監視が不全化した途端に、
「小人閑居して不善を為す」の真似に及び始めるようなならず者が、
この日本ですら相当数現れかねないし、しかもそれはいま大メディアや
政財界に取り入っているような連中の中にこそ多かろうとも察せられる。
警察もその手の連中には頭が上がらないから半ば黙認状態となり、
自衛隊も今の員数や弾数だけでは制圧がままならず、上からの
謎の圧力で待機を強いられるようなことにもなり得よう。
ーーなどと、台湾どころか日本まで中露からの侵攻で乗っ取られかねない
ような事態への陥りを、在日米軍も指をくわえて見ているだけでいるのを
大前提とした、適当なシミュレーションをひけらかしてみたり。
まあ本当にどうなるかなどは、知っててもまだ言わないわけだが。
それよりも悪い場合まで想定しておいてこその万全というものよ。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1721532065/2...
たとえば今の関東地方なども、利根川東遷に代表されるような治水事業に
徳川が長年をかけて取り組んで来たからこそ世界最大の都市圏たるように、
すでに儒学や仏道を統治原理から排した後の東アジア社会においても、
古来の仁政こそが今に至るまでの国力の源となり続けている。
一方で、キリスト教圏もすでに政教分離を基本としているといえども、
人々が本物の仁慈を抱いての善政に取り組める可能性などを始めから見限っての、
不埒な金儲けこそを公共善だと思い込んで推進するような蒙昧が横行しているからこそ、
どんなにあがいても人類80億のうちの1/4程度の勢力でしかいられていない上に、
未だにロシアやイスラエル(を名乗るアメリカの衛星国)のような戦乱の元凶となったり、
土人社会未満な再貧困の飢餓国だらけであるブラックアフリカの宗主であったりする。
人間という生き物が個人レベルで公共善を会得してその実践を国家規模で成し遂げる
ことも可能であればこそ、それに取り組んで来た者と、諦めて来た者の雌雄が決したわけである。
たとえば今の関東地方なども、利根川東遷に代表されるような治水事業に
徳川が長年をかけて取り組んで来たからこそ世界最大の都市圏たるように、
すでに儒学や仏道を統治原理から排した後の東アジア社会においても、
古来の仁政こそが今に至るまでの国力の源となり続けている。
一方で、キリスト教圏もすでに政教分離を基本としているといえども、
人々が本物の仁慈を抱いての善政に取り組める可能性などを始めから見限っての、
不埒な金儲けこそを公共善だと思い込んで推進するような蒙昧が横行しているからこそ、
どんなにあがいても人類80億のうちの1/4程度の勢力でしかいられていない上に、
未だにロシアやイスラエル(を名乗るアメリカの衛星国)のような戦乱の元凶となったり、
土人社会未満な再貧困の飢餓国だらけであるブラックアフリカの宗主であったりする。
人間という生き物が個人レベルで公共善を会得してその実践を国家規模で成し遂げる
ことも可能であればこそ、それに取り組んで来た者と、諦めて来た者の雌雄が決したわけである。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1721562653...
そりゃあ、ここには次世代からの介護よりも、
AIや移民による安楽死のほうがマシぐらいに考えてる年寄りのほうが多かろうからな。
それほどにも、自分たちが次世代に対して鬼畜のような仕打ちばかりを
積み重ねて来たという自覚があるものだから。
なんなら、AI未満であってくれた方がマシぐらいに思ってるだろうさ。
それ以前に、まず外人未満であって欲しい舶来かぶれも多かろう。
そういう風に、戦後日本の支配者であるアメリカが育てたのだから、当たり前。
そりゃあ、ここには次世代からの介護よりも、
AIや移民による安楽死のほうがマシぐらいに考えてる年寄りのほうが多かろうからな。
それほどにも、自分たちが次世代に対して鬼畜のような仕打ちばかりを
積み重ねて来たという自覚があるものだから。
なんなら、AI未満であってくれた方がマシぐらいに思ってるだろうさ。
それ以前に、まず外人未満であって欲しい舶来かぶれも多かろう。
そういう風に、戦後日本の支配者であるアメリカが育てたのだから、当たり前。
(>>174の続き)
元自衛隊芸人やす子24時間マラソンに挑戦
https://news.mynavi.jp/article/20240717-2987010...
「いくらでも偽善呼ばわりしてください。それも養分にするんで」
偽善も何も、募金より出演者のギャラのほうが多いうえに、
その募金すら着服されまくってることが発覚している純粋悪状態なのが
今の24時間テレビなのに、それを開き直ることに協賛する元自衛官。
山上烈士が海自に入隊した経緯も大概だったものだが、
この女も食うや食わずの極貧状態からの養護施設入りからの陸自入隊と、
やはりちょっと普通ではない域の不遇さからの軍隊入りという、
アメリカなら除隊後ホームレスにでもなってそうな域の身の上である。
旧日本軍も、貧農の次男坊三男坊を「白い米たくさん食わしてやるから」
と釣って徴兵し、喜び勇んで死地に赴かせていたようだけれども、
自衛隊もまた残念ながらそれと似たような体制を少なからず帯びているらしい。
そしてそんな形で軍役に参画した者たるや、容易く自我を喪失させての、
上からの操り人形ともなり下がるもので、一端の武士や武将はおろか、
下剋上の野望と共に従軍していた足軽ほどの自尊心ももはやない。
そこにまず何かを期待するようなことは無駄にしかなるまいし、なるべくなら
そんな陰惨な軍役自体、この世からなるべく無くして然るべきものである。
(もちろん軍備放棄なんて意味ではなく、武家並みの尊厳と共にあれという意味)
元自衛隊芸人やす子24時間マラソンに挑戦
https://news.mynavi.jp/article/20240717-2987010...
「いくらでも偽善呼ばわりしてください。それも養分にするんで」
偽善も何も、募金より出演者のギャラのほうが多いうえに、
その募金すら着服されまくってることが発覚している純粋悪状態なのが
今の24時間テレビなのに、それを開き直ることに協賛する元自衛官。
山上烈士が海自に入隊した経緯も大概だったものだが、
この女も食うや食わずの極貧状態からの養護施設入りからの陸自入隊と、
やはりちょっと普通ではない域の不遇さからの軍隊入りという、
アメリカなら除隊後ホームレスにでもなってそうな域の身の上である。
旧日本軍も、貧農の次男坊三男坊を「白い米たくさん食わしてやるから」
と釣って徴兵し、喜び勇んで死地に赴かせていたようだけれども、
自衛隊もまた残念ながらそれと似たような体制を少なからず帯びているらしい。
そしてそんな形で軍役に参画した者たるや、容易く自我を喪失させての、
上からの操り人形ともなり下がるもので、一端の武士や武将はおろか、
下剋上の野望と共に従軍していた足軽ほどの自尊心ももはやない。
そこにまず何かを期待するようなことは無駄にしかなるまいし、なるべくなら
そんな陰惨な軍役自体、この世からなるべく無くして然るべきものである。
(もちろん軍備放棄なんて意味ではなく、武家並みの尊厳と共にあれという意味)
フジの27時間テレビも、純粋悪丸出しの募金キャンペーンまではしないながらに、
超低視聴率かつ出演者の不遜な態度からの顰蹙だけ買って終了。
ネットネイティブの次世代どころか、旧世代の年寄りにまで、
テレビがつまらなさ過ぎてYouTubeやゲームに走る者が続出している昨今。
前から言ってるが、その主因は何と言っても提供している情報量の少なさにあり、
報道や教養番組でもネットの1/10、バラエティやテレビショッピングに至っては
ネットの1/50以下の提供速度なんてのがザラなのが、内容の良し悪しにかかわらず、
見る者を辟易させざるを得ない事態に陥っているのである。
ただそれ自体が、視聴者を些少な情報の享受だけで雁字搦めにすることによって、
プロパガンダにも容易に引っかかりやすくするための愚民化洗脳の一環なれば、
どんなに視聴率が落ちようとも改めようとする気配すら見られない。
ゆえに、テレビが提供する情報というのは、もはやモノフォニックであることで
完全に一本化されており、多面的、重層的な考え方を損なわしめる程度には、
人々を低脳化させることが決して免れ得ないようにもなっているものである。
そこで提供されている情報自体がそれなりに有意義なものだろうとも、
あまりにも情報量が少なくて提供速度が遅いという、それだけの理由でもはや、
人々の思考形式がポリフォニックたることを阻害する害悪性を帯びているのである。
超低視聴率かつ出演者の不遜な態度からの顰蹙だけ買って終了。
ネットネイティブの次世代どころか、旧世代の年寄りにまで、
テレビがつまらなさ過ぎてYouTubeやゲームに走る者が続出している昨今。
前から言ってるが、その主因は何と言っても提供している情報量の少なさにあり、
報道や教養番組でもネットの1/10、バラエティやテレビショッピングに至っては
ネットの1/50以下の提供速度なんてのがザラなのが、内容の良し悪しにかかわらず、
見る者を辟易させざるを得ない事態に陥っているのである。
ただそれ自体が、視聴者を些少な情報の享受だけで雁字搦めにすることによって、
プロパガンダにも容易に引っかかりやすくするための愚民化洗脳の一環なれば、
どんなに視聴率が落ちようとも改めようとする気配すら見られない。
ゆえに、テレビが提供する情報というのは、もはやモノフォニックであることで
完全に一本化されており、多面的、重層的な考え方を損なわしめる程度には、
人々を低脳化させることが決して免れ得ないようにもなっているものである。
そこで提供されている情報自体がそれなりに有意義なものだろうとも、
あまりにも情報量が少なくて提供速度が遅いという、それだけの理由でもはや、
人々の思考形式がポリフォニックたることを阻害する害悪性を帯びているのである。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1721532065/3...
イスラムも形而上信仰であるアブラハム教の一派だから、教義の
体裁が汎神論的なわけではないが、形而上から形而下を見下す偽託信仰
の典型であるユダヤやキリストの教義を打ち消してかかった関係で、
自然と汎神論的となり、そういう風に解釈することも可能となっている。
ボーアやシュレディンガーのような物理学者もその妥当性を認めるような形で、
全世界全宇宙の基本法則を説いている易経を、孔孟も最も根本的な所からの人間社会への
理解のための典拠としていたし、その教えを実践した周漢や唐宋や平安朝や江戸幕府もまた、
数百年単位の無内戦状態を実現して来た。それこそ、まさに万有と公共の類似性、同一性を
実証している証拠だといえるし、逆に万有と公を全く別個のものとして捉えようとしている
その妄念こそが、おまえのような人種が公共善の会得を致命的に不能ならしめている、
最たる原因であるのだろうとも知れたものだな。反面教師としての勉強材料ありがとう。人
イスラムも形而上信仰であるアブラハム教の一派だから、教義の
体裁が汎神論的なわけではないが、形而上から形而下を見下す偽託信仰
の典型であるユダヤやキリストの教義を打ち消してかかった関係で、
自然と汎神論的となり、そういう風に解釈することも可能となっている。
ボーアやシュレディンガーのような物理学者もその妥当性を認めるような形で、
全世界全宇宙の基本法則を説いている易経を、孔孟も最も根本的な所からの人間社会への
理解のための典拠としていたし、その教えを実践した周漢や唐宋や平安朝や江戸幕府もまた、
数百年単位の無内戦状態を実現して来た。それこそ、まさに万有と公共の類似性、同一性を
実証している証拠だといえるし、逆に万有と公を全く別個のものとして捉えようとしている
その妄念こそが、おまえのような人種が公共善の会得を致命的に不能ならしめている、
最たる原因であるのだろうとも知れたものだな。反面教師としての勉強材料ありがとう。人
むしろあいつのほうが、公共性が万有の化身であることが
受け入れられなくて狼狽してるんだろ?
洋学小僧たちが世界の中心だったと思い込んでいるローマ帝国も、
四分五裂状態だった時代の中国の一国程度の国力しかなかったわけだが。
そういう時代の中国などでも、真の公共性が見損なわれて、国を挙げての
我田引水からの争乱などがひっきりなしに繰り返されていたもので、それが、
洋学小僧が真の公共性など人間が把握することなど不可能だと思い込むのと
全く同じ、「井の中の蛙大海を知らず」の法則に基づいた現象なのである。
そのローマ帝国を模範にして建国運営されているアメリカなどもまた、
どこまで行っても井中蛙の集まり止まりなせいで、3億やそこらの人口だけでも、
いがみ合いからの大分裂に陥らざるを得ないような事態にも陥っている。
3億でも古代の中華帝国などよりは大きいが、10億超えの大国もすでにある
ような中での3億ゆえに、やはり全体を見渡す見識を養うのに十分たり得ない。
それゆえの視野の狭量さがやはり、万有と公の共通性を見失わせたままに置く。
全体の中のごく一部を全体だなどと思い込む迷妄からまず抜け出さないことには、
公についてどうこう語るだけ烏滸がましい身の上のままであり続けるしかないわけだ。
もちろん天下万人ではなく、そういう人種だけに限った病理として。
受け入れられなくて狼狽してるんだろ?
洋学小僧たちが世界の中心だったと思い込んでいるローマ帝国も、
四分五裂状態だった時代の中国の一国程度の国力しかなかったわけだが。
そういう時代の中国などでも、真の公共性が見損なわれて、国を挙げての
我田引水からの争乱などがひっきりなしに繰り返されていたもので、それが、
洋学小僧が真の公共性など人間が把握することなど不可能だと思い込むのと
全く同じ、「井の中の蛙大海を知らず」の法則に基づいた現象なのである。
そのローマ帝国を模範にして建国運営されているアメリカなどもまた、
どこまで行っても井中蛙の集まり止まりなせいで、3億やそこらの人口だけでも、
いがみ合いからの大分裂に陥らざるを得ないような事態にも陥っている。
3億でも古代の中華帝国などよりは大きいが、10億超えの大国もすでにある
ような中での3億ゆえに、やはり全体を見渡す見識を養うのに十分たり得ない。
それゆえの視野の狭量さがやはり、万有と公の共通性を見失わせたままに置く。
全体の中のごく一部を全体だなどと思い込む迷妄からまず抜け出さないことには、
公についてどうこう語るだけ烏滸がましい身の上のままであり続けるしかないわけだ。
もちろん天下万人ではなく、そういう人種だけに限った病理として。
自分が「世界」だと思い込んでいる領域が、全体に対して十分に矮小であるようなら、
公共性を意識して仁政に取り組んだりするよりも、外界への暴力や詐欺による侵害によって
暴利を巻き上げるような真似に及んだ方が、手っ取り早く「世界」を豊かにできる場合がある。
だから、公なんかいちいち意識したりするまでもなく、私的な金儲けでも突き進めた方が
公共性に適うなんてまで、井の中の蛙止まりな世界観の持ち主が思い込んだりもするわけだ。
欧米人なんて太古の昔からそれ止まりで来たために、アレクサンドロス東征だ十字軍遠征だ
大航海時代だと、ほとんど侵略頼みでの歴史ばかりを積み重ねて来たものだけれども。
それで欧米人が豊かになれたりしたのは、自分たちが全世界においては十分以上に矮小な
勢力でしかなかったからなのであり、故に今も世界の1/4程度の規模でしかいられてはいない。
アレクサンドロスが打ち破って勝ち誇っていたペルシャ帝国も、実は春秋時代の斉一国にも
劣る程度の規模でしかなかった、その頃からずっと続いて来てる、矮小だからこその好き勝手。
そんな連中だから公共性を会得=仁徳を抱くことも出来ないだけなのであって、
全人類の中では極めて奇特な、精神の不具者たちならではの病状でしかないのである。
公共性を意識して仁政に取り組んだりするよりも、外界への暴力や詐欺による侵害によって
暴利を巻き上げるような真似に及んだ方が、手っ取り早く「世界」を豊かにできる場合がある。
だから、公なんかいちいち意識したりするまでもなく、私的な金儲けでも突き進めた方が
公共性に適うなんてまで、井の中の蛙止まりな世界観の持ち主が思い込んだりもするわけだ。
欧米人なんて太古の昔からそれ止まりで来たために、アレクサンドロス東征だ十字軍遠征だ
大航海時代だと、ほとんど侵略頼みでの歴史ばかりを積み重ねて来たものだけれども。
それで欧米人が豊かになれたりしたのは、自分たちが全世界においては十分以上に矮小な
勢力でしかなかったからなのであり、故に今も世界の1/4程度の規模でしかいられてはいない。
アレクサンドロスが打ち破って勝ち誇っていたペルシャ帝国も、実は春秋時代の斉一国にも
劣る程度の規模でしかなかった、その頃からずっと続いて来てる、矮小だからこその好き勝手。
そんな連中だから公共性を会得=仁徳を抱くことも出来ないだけなのであって、
全人類の中では極めて奇特な、精神の不具者たちならではの病状でしかないのである。
どうしておまえらは、人前に敵対者として立ちはだかることで、
何かいい思いができるなんていう妄念を抱かずにはいられないんだろうな?
それこそ、上に書いたような害為正法外道としての性分を、
意識的か否かに関わらず、くすぶらせたままでいるからなのだろうに。
寄生虫や病原菌や癌細胞あたりもみな持ち合わせている性向。
それが悪性の因子としてこの世に遍在することまで否定する気もないのにな。
ただそこにこそ「主体性」があると思い込む顛倒だけが致命問題なだけで。
何かいい思いができるなんていう妄念を抱かずにはいられないんだろうな?
それこそ、上に書いたような害為正法外道としての性分を、
意識的か否かに関わらず、くすぶらせたままでいるからなのだろうに。
寄生虫や病原菌や癌細胞あたりもみな持ち合わせている性向。
それが悪性の因子としてこの世に遍在することまで否定する気もないのにな。
ただそこにこそ「主体性」があると思い込む顛倒だけが致命問題なだけで。
(>>179の続き)
世間に対して募金キャンペーンを張っときながら、
それよりも多くのギャラを得て、募金まで着服。
自分たちが持て囃してる野球選手の身を危険にさらすような
個人情報暴露のパパラッチ報道をしておきながら、ろくに反省の色もなし。
どう見てもまともな日本人とは思えない域な悪党どものあり様だけれども、
こんな自己破綻、自己欺瞞にまみれた腐敗組織なればこそ、
放送する番組の情報なども極めて些少でモノフォニックでしかあり得ない
ということが、このスレで述べて来た話からも容易に知れるわけである。
昔はまだそれをフォローするための下働き要員などもかませていたが、
出来る限り自分たちだけで予算を牛耳っておきたいがために、
そんな要員も年を重ねるごとに減らし、フジデモや高橋まつりの自殺沙汰
以降には、もはやフォローしてくれる相手もいなくなっての暴走状態でいる。
最末期の信長や秀吉も、もはやフォローしてくれる相手もいなくなった
ところからの暴走を来たした上での暗殺や、死後の家門断絶に見舞われたもの。
「小人始めありて終わりなし(晋書)」とはまさに、不相応な権益の掌握に
及んだ場合のそれこそが、見るに明らかな醜態で示し出す現象であるといえる。
世間に対して募金キャンペーンを張っときながら、
それよりも多くのギャラを得て、募金まで着服。
自分たちが持て囃してる野球選手の身を危険にさらすような
個人情報暴露のパパラッチ報道をしておきながら、ろくに反省の色もなし。
どう見てもまともな日本人とは思えない域な悪党どものあり様だけれども、
こんな自己破綻、自己欺瞞にまみれた腐敗組織なればこそ、
放送する番組の情報なども極めて些少でモノフォニックでしかあり得ない
ということが、このスレで述べて来た話からも容易に知れるわけである。
昔はまだそれをフォローするための下働き要員などもかませていたが、
出来る限り自分たちだけで予算を牛耳っておきたいがために、
そんな要員も年を重ねるごとに減らし、フジデモや高橋まつりの自殺沙汰
以降には、もはやフォローしてくれる相手もいなくなっての暴走状態でいる。
最末期の信長や秀吉も、もはやフォローしてくれる相手もいなくなった
ところからの暴走を来たした上での暗殺や、死後の家門断絶に見舞われたもの。
「小人始めありて終わりなし(晋書)」とはまさに、不相応な権益の掌握に
及んだ場合のそれこそが、見るに明らかな醜態で示し出す現象であるといえる。
もうスレを消して逃亡したようだけれども、
俺の話をAIに読み取らせた上での会話シミュレート、
見事なまでに含蓄の部分がゴッソリ抜け落ちた上での、
上辺だけなうえに間違いだらけとかいう結果になってたな。
話の裏側に控えている知恵の蓄積が、すべて文面上に示し出されているわけ
ではないものだから、文面だけ解釈してみてもそういうことになってしまう。
じゃあ人間なら理解できるのかというと、やはり同等以上のマインドセットを
前頭葉に蓄積しているか、もしくは他力本願であることにかけて入念な
篤信を持ち合わせているかでもない限りは難しいこととなる。
そういうのがなくても誰にでも理解できる話といえば、それは、
飲酒喫煙で代表を辞退した体操選手とか、奈良の鹿を蹴り飛ばした犯人とかに
御意見番気取りで横槍の意見を述べ立ててる連中の話とかがそれに該当しよう。
賛同を取り付けて人気が得られそうな反面、その背景の含蓄なんか何もない。
なんなら橋下徹みたいな法律の専門家でも、専門外のことにかけてはそうなる。
そういうのはAIにも解釈が容易な上に、AIのほうがより最適解を導けたりもするもんだ。
俺の話をAIに読み取らせた上での会話シミュレート、
見事なまでに含蓄の部分がゴッソリ抜け落ちた上での、
上辺だけなうえに間違いだらけとかいう結果になってたな。
話の裏側に控えている知恵の蓄積が、すべて文面上に示し出されているわけ
ではないものだから、文面だけ解釈してみてもそういうことになってしまう。
じゃあ人間なら理解できるのかというと、やはり同等以上のマインドセットを
前頭葉に蓄積しているか、もしくは他力本願であることにかけて入念な
篤信を持ち合わせているかでもない限りは難しいこととなる。
そういうのがなくても誰にでも理解できる話といえば、それは、
飲酒喫煙で代表を辞退した体操選手とか、奈良の鹿を蹴り飛ばした犯人とかに
御意見番気取りで横槍の意見を述べ立ててる連中の話とかがそれに該当しよう。
賛同を取り付けて人気が得られそうな反面、その背景の含蓄なんか何もない。
なんなら橋下徹みたいな法律の専門家でも、専門外のことにかけてはそうなる。
そういうのはAIにも解釈が容易な上に、AIのほうがより最適解を導けたりもするもんだ。
「この事件に対して、こういう意見を述べておけば、
多くの人々からの喝采(や反発)が得られて人気を博せるだろうな」
と見込んでの発言などには、発言者自身の独自の知恵だ含蓄だは
何もないし、むしろあえてなからしめているぐらいのもの。
だからこそ、その手の発言をインフルエンサーだなんだのいかがわしい立場から
試みている界隈全体が、子供にも見限られるほどの浅ましさでいるわけだけれども。
たとえば、ウィルスミスのアカデミー賞ビンタ事件などに対しては、
多くの日本人がアメリカ平均などよりも多面的な見方ができていたように、
情報を享受する一般人側の民度や知見の高低によって、より人気を
博するような意見というのがそれなりに変わって来るものである。
日本人が共通して持ち合わせているような是非意識は、
かなり劣化しているとはいえやはり現世界最上級のものでもあり、
そこに同化しておくだけでもそれなりの品性でいられるところがある。
一方で、それもやはり昔の日本人や賢聖のそれには遠く及ばないものだから、
そんな所に同じたりする以上に、己が知見を深化させて行くべきなのでもある。
ただそれは当然、人気取り目的の発言などよりも理解されることが少なくなり、
究極的にはほとんどの人間が理解できなくなることすらあるのである。
ゆえに「巧言令色すくなき仁」ともなるのである。
多くの人々からの喝采(や反発)が得られて人気を博せるだろうな」
と見込んでの発言などには、発言者自身の独自の知恵だ含蓄だは
何もないし、むしろあえてなからしめているぐらいのもの。
だからこそ、その手の発言をインフルエンサーだなんだのいかがわしい立場から
試みている界隈全体が、子供にも見限られるほどの浅ましさでいるわけだけれども。
たとえば、ウィルスミスのアカデミー賞ビンタ事件などに対しては、
多くの日本人がアメリカ平均などよりも多面的な見方ができていたように、
情報を享受する一般人側の民度や知見の高低によって、より人気を
博するような意見というのがそれなりに変わって来るものである。
日本人が共通して持ち合わせているような是非意識は、
かなり劣化しているとはいえやはり現世界最上級のものでもあり、
そこに同化しておくだけでもそれなりの品性でいられるところがある。
一方で、それもやはり昔の日本人や賢聖のそれには遠く及ばないものだから、
そんな所に同じたりする以上に、己が知見を深化させて行くべきなのでもある。
ただそれは当然、人気取り目的の発言などよりも理解されることが少なくなり、
究極的にはほとんどの人間が理解できなくなることすらあるのである。
ゆえに「巧言令色すくなき仁」ともなるのである。
犯人は斬りつけられた女性の夫、笠地蔵より格上みたいだぞ^^
[YouTubeで再生]
すんげえ嬉しそう。まず自分がうれしいのが第一。
女が喜ぶと書いて嬉しい。
汚言を並べ立てて来たトランプのほうがまだ、
自分よりも世の中のほうを見渡して来たように見える。
カレー味のうんことうんこ味のカレー、
乱世の偽善と悪の頂上決戦よ。
すんげえ嬉しそう。まず自分がうれしいのが第一。
女が喜ぶと書いて嬉しい。
汚言を並べ立てて来たトランプのほうがまだ、
自分よりも世の中のほうを見渡して来たように見える。
カレー味のうんことうんこ味のカレー、
乱世の偽善と悪の頂上決戦よ。
俺の話なども、世間一般でコミュ強扱いされるような人間の物言いと比べれば、
ネガティブな側面が非常に多いために、それが不興を買う原因になって来たものだが。
誓って、人のことを実質以上に悪く言うような真似を試みたことは一度もなく、
全ては澄んだ水面に月がありのままの姿で映り込むような、
現実そのもののありのままな把握、形容のみを目的として来たものである。
ただ、それにしたってやはり、人々の痴態醜態狂態ばかりが溢れ返っている乱世に
そんな真似を試みただけでも、相当量の憎まれ口が含まれることになってしまう。
なればこそ、「人の悪を称する者を悪む(陽貨第十七・二四)」
と自ら述べていた孔子にもまた、他者への悪し様な発言が見られたというし、
(「史記」仲尼列伝。「論語」にもそれらしき発言が若干数見受けられる)
近年だと玄峰老師やその弟子たちのような本格参禅者たちもまた、戦後日本の権力者などを
歯に衣着せず非難するようなことを仲間内ではよく繰り返していたというのである。
それもやはり、あえて人をより悪く言おうとしていたのではなく、
悪い時代の悪い現実をありのままに指摘した結果だったのには違いない。
それがまた、現実の問題こそを着実に解消して行こうとする人々こそが嫌われる
原因となったりするもので、乱世にこそ彼らもまた巧言令色から最も遠ざかるのである。
ネガティブな側面が非常に多いために、それが不興を買う原因になって来たものだが。
誓って、人のことを実質以上に悪く言うような真似を試みたことは一度もなく、
全ては澄んだ水面に月がありのままの姿で映り込むような、
現実そのもののありのままな把握、形容のみを目的として来たものである。
ただ、それにしたってやはり、人々の痴態醜態狂態ばかりが溢れ返っている乱世に
そんな真似を試みただけでも、相当量の憎まれ口が含まれることになってしまう。
なればこそ、「人の悪を称する者を悪む(陽貨第十七・二四)」
と自ら述べていた孔子にもまた、他者への悪し様な発言が見られたというし、
(「史記」仲尼列伝。「論語」にもそれらしき発言が若干数見受けられる)
近年だと玄峰老師やその弟子たちのような本格参禅者たちもまた、戦後日本の権力者などを
歯に衣着せず非難するようなことを仲間内ではよく繰り返していたというのである。
それもやはり、あえて人をより悪く言おうとしていたのではなく、
悪い時代の悪い現実をありのままに指摘した結果だったのには違いない。
それがまた、現実の問題こそを着実に解消して行こうとする人々こそが嫌われる
原因となったりするもので、乱世にこそ彼らもまた巧言令色から最も遠ざかるのである。
今まさに、ここで誰かをここから追い出そうとしているのは誰であろう?
俺ではなく、おまえである。
今の日本社会で、有能な人材をできる限り表社会から追い出して、
無能だけで占めさせようとしているのはだれであろう?
俺みたいな人間である可能性はないが、
おまえみたいな人間である可能性はある。
今この世界で、自分個人の身勝手な好き嫌いのために、
人様をどうこうしてやろうなんていう侵害意欲を滾らせて、
その実践にまで及んでいるのは、おまえであって俺ではないから。
どこでもおまえみたいなのがそうであることで、凋落腐敗の元凶となってるんだ。
俺一人のためだけではなく、世の中のためにもそんな連中の言うことは聞くべきでない。
俺ではなく、おまえである。
今の日本社会で、有能な人材をできる限り表社会から追い出して、
無能だけで占めさせようとしているのはだれであろう?
俺みたいな人間である可能性はないが、
おまえみたいな人間である可能性はある。
今この世界で、自分個人の身勝手な好き嫌いのために、
人様をどうこうしてやろうなんていう侵害意欲を滾らせて、
その実践にまで及んでいるのは、おまえであって俺ではないから。
どこでもおまえみたいなのがそうであることで、凋落腐敗の元凶となってるんだ。
俺一人のためだけではなく、世の中のためにもそんな連中の言うことは聞くべきでない。
「今みたいな時代に率先して人事権を行使したがってる時点で」
という自明な論証なのに、どうしてカルトじみてるものか。
そこからの結論も、ただ言うことを聞かないというだけ。
誰に圧力をかけてるわけでもないのに、なぜ恫喝なものか。
傷害罪の不正医療行為にもあたる、他者へのキジルシ認定からの
退場勧告なんかを惜しげもなく繰り返す姿こそは、まさにそれであろうに。
という自明な論証なのに、どうしてカルトじみてるものか。
そこからの結論も、ただ言うことを聞かないというだけ。
誰に圧力をかけてるわけでもないのに、なぜ恫喝なものか。
傷害罪の不正医療行為にもあたる、他者へのキジルシ認定からの
退場勧告なんかを惜しげもなく繰り返す姿こそは、まさにそれであろうに。
>>206
>1>2
嘘をつくと矛盾した情報同士を共に記憶に取り入れる必要があるが、
それはイエスへの信仰とバラバの被害者への配慮のように、同時に想起し得ないものだから、
記憶としては断片化させて前頭葉のなるべく遠い場所同士に配置し、
一方を想起する時にはもう一方が想起できないようにしなければならない。
それが思考の鈍重さを招き、断片化の多いHDDへの読み書きが遅くなるのと
同じような事態に陥ってストレスになる一方、正直であればそれがなくて済むから楽しい。
>3
この文章は完全に破綻してて意味のある問題提起になってないな。
俺がマインドフルネスと正直さが相反するなどと主張したような事実自体がないし。
>4
正直であることの楽しみのほかに、嘘をつくことの楽しみもまた不健全ながらある。
なおかつ両者は両立し得ないために、嘘をつく楽しみに溺れている者たちが、
正直であることの楽しみのほうを敬遠したり、その存在性から否定したりする。
俺のいうことをまずまともに理解してない上での、明後日の方向への戦いごっこお人形遊び。
こういう手合いが今までに何度、俺のアンチとして立ちはだかって来たものか。
まあ理解したうえで非を唱えられるようなことなど言ってないから、自然とそうなるのだろうが。
>1>2
嘘をつくと矛盾した情報同士を共に記憶に取り入れる必要があるが、
それはイエスへの信仰とバラバの被害者への配慮のように、同時に想起し得ないものだから、
記憶としては断片化させて前頭葉のなるべく遠い場所同士に配置し、
一方を想起する時にはもう一方が想起できないようにしなければならない。
それが思考の鈍重さを招き、断片化の多いHDDへの読み書きが遅くなるのと
同じような事態に陥ってストレスになる一方、正直であればそれがなくて済むから楽しい。
>3
この文章は完全に破綻してて意味のある問題提起になってないな。
俺がマインドフルネスと正直さが相反するなどと主張したような事実自体がないし。
>4
正直であることの楽しみのほかに、嘘をつくことの楽しみもまた不健全ながらある。
なおかつ両者は両立し得ないために、嘘をつく楽しみに溺れている者たちが、
正直であることの楽しみのほうを敬遠したり、その存在性から否定したりする。
俺のいうことをまずまともに理解してない上での、明後日の方向への戦いごっこお人形遊び。
こういう手合いが今までに何度、俺のアンチとして立ちはだかって来たものか。
まあ理解したうえで非を唱えられるようなことなど言ってないから、自然とそうなるのだろうが。
>>203みたいな妄言も、5chにおける氷河期叩きのスレなどで無数に見かけて来たものだが。
当然そこには、自分たち年寄りこそが国富の9割がたを牛耳って、次世代を江戸平均の
半分以下の生活水準に陥れている張本人であることへの配慮などもない。
そこまで克明に把握できているわけでなくとも、東大卒でも中小企業ぐらいしか就職先が
なかったような世の中側の冷遇を差し置いて、自己責任、努力不足の一点張りで
自分たちへの糾弾を突っぱねようとしたりするところにはやはり、
現実を直視する冷静さや、多角的にモノを見る視点が致命的に欠けている。
非ネットネイティブかつテレビ漬けが当たり前で来た世代のこと、>>179に書いたような
大メディアの情報提供姿勢の劣悪さにあてられて、マインドフルネスとは真逆な
精神や思考の不具さを植え付けられているのにも違いなかろうし、
また年齢的にももうそこから脱却することも能わぬのに違いない。
それは俺自身の親などを見ても知れたことだし、もはや手遅れであることを前提とした上での
処断に取り組んで行くしかないことは重々承知している所。なおかつそれが病人虐待の域
などに陥ったりもしないように匙加減を加えて行くことが、こちらの使命ともなろう。
当然そこには、自分たち年寄りこそが国富の9割がたを牛耳って、次世代を江戸平均の
半分以下の生活水準に陥れている張本人であることへの配慮などもない。
そこまで克明に把握できているわけでなくとも、東大卒でも中小企業ぐらいしか就職先が
なかったような世の中側の冷遇を差し置いて、自己責任、努力不足の一点張りで
自分たちへの糾弾を突っぱねようとしたりするところにはやはり、
現実を直視する冷静さや、多角的にモノを見る視点が致命的に欠けている。
非ネットネイティブかつテレビ漬けが当たり前で来た世代のこと、>>179に書いたような
大メディアの情報提供姿勢の劣悪さにあてられて、マインドフルネスとは真逆な
精神や思考の不具さを植え付けられているのにも違いなかろうし、
また年齢的にももうそこから脱却することも能わぬのに違いない。
それは俺自身の親などを見ても知れたことだし、もはや手遅れであることを前提とした上での
処断に取り組んで行くしかないことは重々承知している所。なおかつそれが病人虐待の域
などに陥ったりもしないように匙加減を加えて行くことが、こちらの使命ともなろう。
(>>197の続き)
現実ありのままの指摘を試みた結果憎まれ口になるのと、
現実以上に人や物事をあえて悪く言ったりするのとでは、
「正直か嘘か」という点で全くの相違が生じるために、
憎まれ口という点では似たり寄ったりであるにもかかわらず、
このスレで述べて来たような楽しみの有無もまた生じるわけである。
前者は正直であることを楽しみ、後者は嘘を楽しんでいるが故に、
長期記憶のデフラグやRAID構築や思考形式のポリフォニック化を楽しめる一方、
後者はそれらを蔑ろにした記憶情報の散逸による半痴呆化こそを楽しんでいる。
正直にモノを言おうとした結果憎まれ口を叩いているような人間が、
たまたま間違えて事実無根の悪口にまで及んでしまうようなこともあれば、
間違いでもいいから悪口雑言そのものを並べ立ててやろうとしているような
ならず者が、たまたま事実に即した論難を行うようなこともある。
(軽装甲機動車はもう今の普通免許では運転できないぞ、など)
ただ、それでもやはり正直であることを楽しもうとしていることと、
嘘八百のほうを楽しもうとしていることとの間には天地ほどの開きが
あり続けるもので、正直さこそを楽しもうとしている側であれば、
「過ちては改むるに憚ること勿れ(学而第一・八)」というフォロー
によって、さような過ちをも乗り越えながらその道を行き続けるわけである。
現実ありのままの指摘を試みた結果憎まれ口になるのと、
現実以上に人や物事をあえて悪く言ったりするのとでは、
「正直か嘘か」という点で全くの相違が生じるために、
憎まれ口という点では似たり寄ったりであるにもかかわらず、
このスレで述べて来たような楽しみの有無もまた生じるわけである。
前者は正直であることを楽しみ、後者は嘘を楽しんでいるが故に、
長期記憶のデフラグやRAID構築や思考形式のポリフォニック化を楽しめる一方、
後者はそれらを蔑ろにした記憶情報の散逸による半痴呆化こそを楽しんでいる。
正直にモノを言おうとした結果憎まれ口を叩いているような人間が、
たまたま間違えて事実無根の悪口にまで及んでしまうようなこともあれば、
間違いでもいいから悪口雑言そのものを並べ立ててやろうとしているような
ならず者が、たまたま事実に即した論難を行うようなこともある。
(軽装甲機動車はもう今の普通免許では運転できないぞ、など)
ただ、それでもやはり正直であることを楽しもうとしていることと、
嘘八百のほうを楽しもうとしていることとの間には天地ほどの開きが
あり続けるもので、正直さこそを楽しもうとしている側であれば、
「過ちては改むるに憚ること勿れ(学而第一・八)」というフォロー
によって、さような過ちをも乗り越えながらその道を行き続けるわけである。
まあ、昨日はアベマの一挙無料にかこつけて、
MAL評価世界一アニメのフリーレンを今さら見通してたわけだが。
前評判から察してたことだが、やっぱりこれは青葉のいう「魔性の作品」だな。
人間ができてないうちから見てはまると、もう帰って来られなくなる危険のある。
「洗脳級」というとカルト的に思われるだろうけど、内容にカルト的な意味は
ないにしても、現実逃避者を幻想に取り込んで行く効果自体は十分に洗脳級で、
ブレイバーンみたいに割り切って見られる予防線なんかもちゃんと張ってない。
何千何万年と続く、本物の人類の歴史のほうをそれなりにちゃんと学んだ上でなら、
フィクションとして割り切ることもできようが、無学だったり、勉強したところで
先祖たちが悪逆の限りを尽くして来た魔族級の身の上だったりすれば、
「もうあっち側でいいや」となりかねない誘引力を持ち合わせている。
これでまた、第二第三の青葉が現れないとも限らないし、しかもそれがハルヒなんかと
違って全世界規模にまで上ろうとしている。ファンタジーの向こう側にしか救いが
ないような人々への、現実からの救いがない限りは、それも免れ得ないことである。
MAL評価世界一アニメのフリーレンを今さら見通してたわけだが。
前評判から察してたことだが、やっぱりこれは青葉のいう「魔性の作品」だな。
人間ができてないうちから見てはまると、もう帰って来られなくなる危険のある。
「洗脳級」というとカルト的に思われるだろうけど、内容にカルト的な意味は
ないにしても、現実逃避者を幻想に取り込んで行く効果自体は十分に洗脳級で、
ブレイバーンみたいに割り切って見られる予防線なんかもちゃんと張ってない。
何千何万年と続く、本物の人類の歴史のほうをそれなりにちゃんと学んだ上でなら、
フィクションとして割り切ることもできようが、無学だったり、勉強したところで
先祖たちが悪逆の限りを尽くして来た魔族級の身の上だったりすれば、
「もうあっち側でいいや」となりかねない誘引力を持ち合わせている。
これでまた、第二第三の青葉が現れないとも限らないし、しかもそれがハルヒなんかと
違って全世界規模にまで上ろうとしている。ファンタジーの向こう側にしか救いが
ないような人々への、現実からの救いがない限りは、それも免れ得ないことである。
(>>214の続き)
>「朱に交われば赤くなる」や「泥中の蓮」的な意味で、
>病人に同調していれば病人となり、健常者に同調していれば健常者となる。
>健常者に反目していれば病人となり、病人に反目していれば、
>逆方向への病人となるか、中庸の併修によって健常者となる。
というようなことをアンチスレに書いておいてやったけれども。
この中の特に「中庸と共に病人に反目して健常者たる」というのが、
俺が嘘を楽しむ部類の痴れ者との付き合いなどの中で試みて来たものだったな。
前言の通り、ごくたまにそういう連中も真実らしきことを言うが、
概ねのところで精神衛生をも害するような不埒な志向性を持ち合わせているのには違いない。
またそちらへと誘いこむために、わざと正直者をめかしこむようなこともある。
そういった言動姿勢全体が、正直であることを楽しんでいる側からすれば、
どこか鼻につくような雰囲気の異臭を漂わせ続けているために、やはりそれと分かる。
そうして正直めいた発言などもそれなりにいなしてやりながら、
完全にまでは迎合したりすることがない、中庸を保った付き合いを守り抜く。
>「朱に交われば赤くなる」や「泥中の蓮」的な意味で、
>病人に同調していれば病人となり、健常者に同調していれば健常者となる。
>健常者に反目していれば病人となり、病人に反目していれば、
>逆方向への病人となるか、中庸の併修によって健常者となる。
というようなことをアンチスレに書いておいてやったけれども。
この中の特に「中庸と共に病人に反目して健常者たる」というのが、
俺が嘘を楽しむ部類の痴れ者との付き合いなどの中で試みて来たものだったな。
前言の通り、ごくたまにそういう連中も真実らしきことを言うが、
概ねのところで精神衛生をも害するような不埒な志向性を持ち合わせているのには違いない。
またそちらへと誘いこむために、わざと正直者をめかしこむようなこともある。
そういった言動姿勢全体が、正直であることを楽しんでいる側からすれば、
どこか鼻につくような雰囲気の異臭を漂わせ続けているために、やはりそれと分かる。
そうして正直めいた発言などもそれなりにいなしてやりながら、
完全にまでは迎合したりすることがない、中庸を保った付き合いを守り抜く。
「宰我『仁者は井の底に仁があるといえば、そこに赴きますでしょうか』
孔子『そんなことはあり得ない。君子を多少欺いて誘う程度のことはできても、
陥れて強いるようなことまでは決してできないものだ』」(雍也第六・二六)
これもそういう理由に基づくもので、そもそもが楽しんでいる物事が根本的に
相容れないからこそ、小人が君子を誘って小人の道に陥れることも能わぬのである。
正直であることと嘘をつくことほど、論理面から相容れない行為も他になく、
ゆえにそれは相容れない者同士の代表格としてよく挙げられる、水と油や、
呉と越ほどにも同調する所がなく、ゆえに善悪味噌糞の偽善が横行している
ような時代にはすぐ、正直であることを楽しむ儒仏のような思想体系が完全に
正規教育などから排されて日の目を見なくなるようなことにもなってしまう。
さりとて、やはり仁者こそがその正直さゆえに、嘘偽りを楽しもうとするような
輩よりも普遍的にその人生を楽しみ尽くすものであることには変わりないが故に、
まるで水が高い所から低い所へと下って行くようにして、嘘偽りに満ちた世の中の
つまらなさに耐えかねての反正なども、いずれは来さざるを得なくなるのである。
孔子『そんなことはあり得ない。君子を多少欺いて誘う程度のことはできても、
陥れて強いるようなことまでは決してできないものだ』」(雍也第六・二六)
これもそういう理由に基づくもので、そもそもが楽しんでいる物事が根本的に
相容れないからこそ、小人が君子を誘って小人の道に陥れることも能わぬのである。
正直であることと嘘をつくことほど、論理面から相容れない行為も他になく、
ゆえにそれは相容れない者同士の代表格としてよく挙げられる、水と油や、
呉と越ほどにも同調する所がなく、ゆえに善悪味噌糞の偽善が横行している
ような時代にはすぐ、正直であることを楽しむ儒仏のような思想体系が完全に
正規教育などから排されて日の目を見なくなるようなことにもなってしまう。
さりとて、やはり仁者こそがその正直さゆえに、嘘偽りを楽しもうとするような
輩よりも普遍的にその人生を楽しみ尽くすものであることには変わりないが故に、
まるで水が高い所から低い所へと下って行くようにして、嘘偽りに満ちた世の中の
つまらなさに耐えかねての反正なども、いずれは来さざるを得なくなるのである。
昨日、フリーレン一気見しながら、
久しぶりに酒飲み過ぎて二日酔い気味。
「酒は飲んでも乱れるとこまで行くな」(郷党第十・八)
という教えなどにも即して、30歳も過ぎた頃にはもう、
酒乱という所まで飲み過ぎることはほぼ控えるようになったんだが、
昨日は久しぶりに飲み過ぎたのはなぜかを考えてみるに。
ベルセルクや進撃の巨人みたいに1000年級の物語を扱ってる上に、
現在と古代と数十年前とをより自由に行き来するフリーレンの作風が、
自分自身の脳内に架空とはいえ、大きな歴史を想像させる。
それが、人類の歴史などについてもまだよく知らなかった、
若い頃の無鉄砲さ加減をも同時に誘起させたように思われる。
今はもう1000年どころか、何千何万年という本物の人類の歴史の積み重ねの、
どの辺でどういうことがあって今に至っているのかといったことについて、
概ね程度にはほぼもれなく頭に入っているために、それが心の安定を支えて
飲み過ぎに及んだりさせないようになっていたのが、一度リセットされた感覚。
精進修行で酒を断つなんて真似にまで及ばずとも、人間にはそういうこともできる。
ただ、それもやはりちゃんと歴史の勉強などの手順を踏まねばままならないこと。
久しぶりに酒飲み過ぎて二日酔い気味。
「酒は飲んでも乱れるとこまで行くな」(郷党第十・八)
という教えなどにも即して、30歳も過ぎた頃にはもう、
酒乱という所まで飲み過ぎることはほぼ控えるようになったんだが、
昨日は久しぶりに飲み過ぎたのはなぜかを考えてみるに。
ベルセルクや進撃の巨人みたいに1000年級の物語を扱ってる上に、
現在と古代と数十年前とをより自由に行き来するフリーレンの作風が、
自分自身の脳内に架空とはいえ、大きな歴史を想像させる。
それが、人類の歴史などについてもまだよく知らなかった、
若い頃の無鉄砲さ加減をも同時に誘起させたように思われる。
今はもう1000年どころか、何千何万年という本物の人類の歴史の積み重ねの、
どの辺でどういうことがあって今に至っているのかといったことについて、
概ね程度にはほぼもれなく頭に入っているために、それが心の安定を支えて
飲み過ぎに及んだりさせないようになっていたのが、一度リセットされた感覚。
精進修行で酒を断つなんて真似にまで及ばずとも、人間にはそういうこともできる。
ただ、それもやはりちゃんと歴史の勉強などの手順を踏まねばままならないこと。
かなり血の濃い純日本人の血筋として、
日本や世界の歴史を概括的に把握して来たことは、
紛れもなくより健全な心の安定を支える術になって来た。
それによりヤケ酒級に飲んだりすることもなくなって来たものだが、
上にも書いた通り、それが誰しもにとってそうたり得るとも言えはしない。
自らの先祖や民族や国が、悪逆非道の限りを尽くして来たものだから、
そういった歴史の積み重ねを無視して、捏造史や、フリーレンや
スターウォーズみたいなフィクション上の歴史あたりにでも浸かってた
方がより心が安定する、なんていう人種もまた実際、いるであろう。
そうでなくたって、ちゃんと歴史を勉強したりするのは苦痛だから、
安易なほうに流れて、砂上の楼閣な心の安定に止まったりもしよう。
当然のことながら、正しい歴史認識と捏造史の弄びもまた、
ここに書いて来た正直の楽しみと嘘偽りの楽しみにそれぞれ割り振られる
ものであるが故に相容れないものだし、嘘を嘘だと割り切ってフィクションの
歴史を楽しんだりすることもまた、上のような理由で本物の歴史への楽しみを
負かしてしまい、現実逃避へと人々をいざなってしまうことにもなりかねない。
日本や世界の歴史を概括的に把握して来たことは、
紛れもなくより健全な心の安定を支える術になって来た。
それによりヤケ酒級に飲んだりすることもなくなって来たものだが、
上にも書いた通り、それが誰しもにとってそうたり得るとも言えはしない。
自らの先祖や民族や国が、悪逆非道の限りを尽くして来たものだから、
そういった歴史の積み重ねを無視して、捏造史や、フリーレンや
スターウォーズみたいなフィクション上の歴史あたりにでも浸かってた
方がより心が安定する、なんていう人種もまた実際、いるであろう。
そうでなくたって、ちゃんと歴史を勉強したりするのは苦痛だから、
安易なほうに流れて、砂上の楼閣な心の安定に止まったりもしよう。
当然のことながら、正しい歴史認識と捏造史の弄びもまた、
ここに書いて来た正直の楽しみと嘘偽りの楽しみにそれぞれ割り振られる
ものであるが故に相容れないものだし、嘘を嘘だと割り切ってフィクションの
歴史を楽しんだりすることもまた、上のような理由で本物の歴史への楽しみを
負かしてしまい、現実逃避へと人々をいざなってしまうことにもなりかねない。
中には、ユダヤ人や部落出身者や多くの韓国人などのように、
自分たちへの迫害史を捏造することで保護利権にたかることを
食い物にしているような連中までもがいるものだし、そこまでいくと、
心の部分だけ嘘偽りの楽しみから正直の楽しみへと鞍替えすることも能わない。
嘘偽りを楽しむこと全般を諦めて、正直を楽しんで行こうとすること自体が、
麻薬中毒からの脱却並みに大いなる苦悩を伴うものだというのに、
さらにそこに二重三重の障壁が畳み掛けられて来るとあっては、
完全に諦め去ってそういう楽しみを敵視しとくほうがマシ、とすらなる。
自分たちへの迫害史を捏造することで保護利権にたかることを
食い物にしているような連中までもがいるものだし、そこまでいくと、
心の部分だけ嘘偽りの楽しみから正直の楽しみへと鞍替えすることも能わない。
嘘偽りを楽しむこと全般を諦めて、正直を楽しんで行こうとすること自体が、
麻薬中毒からの脱却並みに大いなる苦悩を伴うものだというのに、
さらにそこに二重三重の障壁が畳み掛けられて来るとあっては、
完全に諦め去ってそういう楽しみを敵視しとくほうがマシ、とすらなる。
たとえ正しい歴史を正しく勉強したつもりでも、長年悪逆非道を増長させる
ことばかりで一貫して来た西洋史あたりにより主眼をおいて、仁政を本位と
して来た東洋史を蔑ろにしたりしようものなら、その優先順位の取り違え
ひとつで「人類の歴史は暗黒史」「歴史からの解放こそが人類の解放!」
なんていう思い込みに至ったりもしてしまいかねず、それにより本人自身も、
歴史の積み重ねの中に心の安定の拠り所を見出すこともシャットアウト、
自分と同道たらんとする他者にまでそれを推奨したりまですることになる。
他力本願の浄土門ですら、大水と大火の間に一本だけ存在する白道を
渡ることでのみ極楽往生が可能であるとしているものだけれども、
まさにそれと同じように、人が酒を飲んでも飲まれない程度に心の恒常的な
安定を得る手段もまた、いくらでもありそうでいながら、多くの間違った
選択肢の中から正しいものだけを選び取らねばならない所があるのである。
ことばかりで一貫して来た西洋史あたりにより主眼をおいて、仁政を本位と
して来た東洋史を蔑ろにしたりしようものなら、その優先順位の取り違え
ひとつで「人類の歴史は暗黒史」「歴史からの解放こそが人類の解放!」
なんていう思い込みに至ったりもしてしまいかねず、それにより本人自身も、
歴史の積み重ねの中に心の安定の拠り所を見出すこともシャットアウト、
自分と同道たらんとする他者にまでそれを推奨したりまですることになる。
他力本願の浄土門ですら、大水と大火の間に一本だけ存在する白道を
渡ることでのみ極楽往生が可能であるとしているものだけれども、
まさにそれと同じように、人が酒を飲んでも飲まれない程度に心の恒常的な
安定を得る手段もまた、いくらでもありそうでいながら、多くの間違った
選択肢の中から正しいものだけを選び取らねばならない所があるのである。
(>>230の続き)
本物の歴史を正しく勉強して、なおかつそこに一定数存在する賢聖たちの
意志を受け継ぎ、なるべくならその実現にも勤めて行こうとする心境こそが、
最低でも酒乱を避けられる程度の心の安定をもたらしてくれるものである。
「儒学」という学問は、特にその修養を最大級の本懐としているもので、
故に根本聖典たる四書五経にも、書経や春秋のような世界最古級の歴史書が含まれている。
堯舜禹や高宗武丁、文王武王や周公といった、当時から見ても古えの聖王賢臣たちの
言行に孔子や孟子も思いを馳せ、その魂の会得に臨んでいたのだった。
しかし、孔孟は春秋戦国時代という極度の乱世に生きたために、
その才覚を政治の場で十分に発揮することは叶わず、あまり実務に携わることが
できないでいるのに乗じての、権力道徳学の体系化のほうにより尽力したのだった。
それもまた一つの、古えの賢聖たちの魂の継承であったのには違いなく、
故にこそその教えを入念な参考にしたいくつもの大帝国が、後に治世を実現して行けた。
歴史上の聖王賢臣なみの大功業を誰しもが挙げられるとは限らないが、
その意志を受け継ぐことはそこまで限られた人々だけの特権ではなく、
為政の主導などとはまた別の形でそれを賛助して行けることもあるし、
ほとんど何もできなかった所で、自らの心の安定という功徳ぐらいには与れる。
ゆえに「舜も人、我も人なり(孟子)」という心がけを持ち保たない手はないのである。
本物の歴史を正しく勉強して、なおかつそこに一定数存在する賢聖たちの
意志を受け継ぎ、なるべくならその実現にも勤めて行こうとする心境こそが、
最低でも酒乱を避けられる程度の心の安定をもたらしてくれるものである。
「儒学」という学問は、特にその修養を最大級の本懐としているもので、
故に根本聖典たる四書五経にも、書経や春秋のような世界最古級の歴史書が含まれている。
堯舜禹や高宗武丁、文王武王や周公といった、当時から見ても古えの聖王賢臣たちの
言行に孔子や孟子も思いを馳せ、その魂の会得に臨んでいたのだった。
しかし、孔孟は春秋戦国時代という極度の乱世に生きたために、
その才覚を政治の場で十分に発揮することは叶わず、あまり実務に携わることが
できないでいるのに乗じての、権力道徳学の体系化のほうにより尽力したのだった。
それもまた一つの、古えの賢聖たちの魂の継承であったのには違いなく、
故にこそその教えを入念な参考にしたいくつもの大帝国が、後に治世を実現して行けた。
歴史上の聖王賢臣なみの大功業を誰しもが挙げられるとは限らないが、
その意志を受け継ぐことはそこまで限られた人々だけの特権ではなく、
為政の主導などとはまた別の形でそれを賛助して行けることもあるし、
ほとんど何もできなかった所で、自らの心の安定という功徳ぐらいには与れる。
ゆえに「舜も人、我も人なり(孟子)」という心がけを持ち保たない手はないのである。
漫画は結構読み込んで来たほうだとは思うが、
アニメ方面がミーハーなのはちげえねえや。
勉強や修行のほうがより忙しかったんでな。
だいたい、漫画は同人というプロとアマのグレーゾーンがあるけど、
アニメはもう本当に精鋭のプロばかりで成り立ってる分野だから、
中川翔子なみに知識豊富で絵や歌がそれなりにうまくても、プロとまでは
行かないのに出しゃばったせいで煙たがられて追い出されたような界隈だからな。
毎月何十と出てる新作を全部観たりするのも絶対に無理だし、
最高権威の岡田斗司夫でも手のひら返しのプロ呼ばわりされてるような有様だし、
個人的に好きなのはいいとしても、専門家気取りなんかはやめといたほうがいいぜ。
アニメ方面がミーハーなのはちげえねえや。
勉強や修行のほうがより忙しかったんでな。
だいたい、漫画は同人というプロとアマのグレーゾーンがあるけど、
アニメはもう本当に精鋭のプロばかりで成り立ってる分野だから、
中川翔子なみに知識豊富で絵や歌がそれなりにうまくても、プロとまでは
行かないのに出しゃばったせいで煙たがられて追い出されたような界隈だからな。
毎月何十と出てる新作を全部観たりするのも絶対に無理だし、
最高権威の岡田斗司夫でも手のひら返しのプロ呼ばわりされてるような有様だし、
個人的に好きなのはいいとしても、専門家気取りなんかはやめといたほうがいいぜ。
(>>238の続き)
90過ぎまで10兆円以上の資産を持ち越した挙句に、
今の自分には無貯金20歳の若者ほどの価値もないことを
思い知らされているバフェットなみの小人にとっては、
惨めな老後より盛大な早死にのほうがマシ、なんてこともあり得ようが。
長寿の孤独も仏僧的な精進によって福徳に代えることが可能だし、
そうでなくたって、仁政を目的とした歴史の勉強などによって、
人類史全体をわが人生と等価なものならしめて、そこにいる数多の
賢聖たちとの魂の交流を通じて、孤独を霧消させることもまた可能たる。
フィクション上の架空キャラなどと違って、間違いなく実在していた上に、
その教えに倣うことでの現実的な功徳もまた本当に期待できる大丈夫たち。
そこに親交の思いを馳せることは、大いに健全なことであるが故に、
なんらの副作用を来たすこともなく、己が浩然の気の養生による
心の安定や人生の充実をももたらしてくれるものである。
日本のフィクション作品などの中には、そういった古人の教えを
あの手この手を使って埋め込んだようなものも多いために、
フィクションでも似たような体験がある程度はできたりするものだけれども、
それもやはり水増しだったり、阿世の汚濁との味噌糞だったりするのが
常であるが故に、実在の賢聖に親しむほどの純正さには及ばぬものである。
90過ぎまで10兆円以上の資産を持ち越した挙句に、
今の自分には無貯金20歳の若者ほどの価値もないことを
思い知らされているバフェットなみの小人にとっては、
惨めな老後より盛大な早死にのほうがマシ、なんてこともあり得ようが。
長寿の孤独も仏僧的な精進によって福徳に代えることが可能だし、
そうでなくたって、仁政を目的とした歴史の勉強などによって、
人類史全体をわが人生と等価なものならしめて、そこにいる数多の
賢聖たちとの魂の交流を通じて、孤独を霧消させることもまた可能たる。
フィクション上の架空キャラなどと違って、間違いなく実在していた上に、
その教えに倣うことでの現実的な功徳もまた本当に期待できる大丈夫たち。
そこに親交の思いを馳せることは、大いに健全なことであるが故に、
なんらの副作用を来たすこともなく、己が浩然の気の養生による
心の安定や人生の充実をももたらしてくれるものである。
日本のフィクション作品などの中には、そういった古人の教えを
あの手この手を使って埋め込んだようなものも多いために、
フィクションでも似たような体験がある程度はできたりするものだけれども、
それもやはり水増しだったり、阿世の汚濁との味噌糞だったりするのが
常であるが故に、実在の賢聖に親しむほどの純正さには及ばぬものである。
漫画アニメの話ばっかじゃやっぱりつまらん。
それは読んで観て楽しむまでのものであって、それ以上のことはないから。
でもそこにばかり食い付いてくるような奴もいるし、
その他に特に多いのが、前にも書いた「個人止まりの話」ばかりに食い付いてくる奴。
俺個人やおまえ個人、おまえはおまえが~わたしはわたしが~ばかりで、
まったく全体の俯瞰からの社会規模の話にまで及ぶことがない。
人生経験に乏しいか、あったところでそういった視野の広さを育む経験はなかった。
発達障害などとも大差ないような了見の狭さの中だけでやって来たのが見るに明らか。
だがそれは別に、今の世で必ずしも病気扱いにまでされるような障りではなく、
むしろその狭量さと共に、盲目に邁進して行く部類の人材のほうが好まれるといったあり様。
年寄りの中には、漫画アニメやゲームばかりに飛びついている若者を幼稚扱いする
者も未だ多かろうとて、自分たちこそがそのレベルの人材を欲して来たのだから、
当然の末路なのだと知るべきである。まさに蛙の子は蛙というやつだ。
それは読んで観て楽しむまでのものであって、それ以上のことはないから。
でもそこにばかり食い付いてくるような奴もいるし、
その他に特に多いのが、前にも書いた「個人止まりの話」ばかりに食い付いてくる奴。
俺個人やおまえ個人、おまえはおまえが~わたしはわたしが~ばかりで、
まったく全体の俯瞰からの社会規模の話にまで及ぶことがない。
人生経験に乏しいか、あったところでそういった視野の広さを育む経験はなかった。
発達障害などとも大差ないような了見の狭さの中だけでやって来たのが見るに明らか。
だがそれは別に、今の世で必ずしも病気扱いにまでされるような障りではなく、
むしろその狭量さと共に、盲目に邁進して行く部類の人材のほうが好まれるといったあり様。
年寄りの中には、漫画アニメやゲームばかりに飛びついている若者を幼稚扱いする
者も未だ多かろうとて、自分たちこそがそのレベルの人材を欲して来たのだから、
当然の末路なのだと知るべきである。まさに蛙の子は蛙というやつだ。
権力道徳や人類の歴史を学んで、賢聖との魂の交流に与るといった楽しみもまた、
前記の通り正直であることの楽しみの延長だから、嘘偽りへの耽溺こそを
楽しんでいるような者たちには到底能わないし、あまりにも理解不能でその実在性が
疑わしいために、>>253のように賢聖の実在を否定するような者までもが現れる始末だが。
そういう楽しみもまた人類という生き物にとっての普遍的な楽しみであればこそ、
それに近い体験をさせてくれるような一部のフィクション作品などに、
世界中の人々が感化されて多大なる賛美を寄せていたりもするのである。
「人間の本性は善なるも、汚濁によって覆い隠されることあり」(孟子)
本当はその性善さによって、今までにこのスレで書いて来たような正直さによる楽しみを
欲しているのだけれども、それを阻害するような後付けの差し障りのせいで不全たり、
酷い場合にはさような本性からの本意を忘れ去った、虚構の自我こそを己れとまで思い込む。
今の世の中が荒廃を極めていることは多くの人々が察している所だが、
それを固定化してしまっている一番の元凶もまた、さような精神性の荒廃なのであり、
そこからどんな手を使っての世直しを試みようとも、同じ過ちを繰り返すのみとなる。
なんならAIですらそういう人間が扱う以上は、俺の話がまともに解読できなかったりする
のと同じように、古えの賢聖が成し得たなみの治世をもたらすことも能わぬのである。
前記の通り正直であることの楽しみの延長だから、嘘偽りへの耽溺こそを
楽しんでいるような者たちには到底能わないし、あまりにも理解不能でその実在性が
疑わしいために、>>253のように賢聖の実在を否定するような者までもが現れる始末だが。
そういう楽しみもまた人類という生き物にとっての普遍的な楽しみであればこそ、
それに近い体験をさせてくれるような一部のフィクション作品などに、
世界中の人々が感化されて多大なる賛美を寄せていたりもするのである。
「人間の本性は善なるも、汚濁によって覆い隠されることあり」(孟子)
本当はその性善さによって、今までにこのスレで書いて来たような正直さによる楽しみを
欲しているのだけれども、それを阻害するような後付けの差し障りのせいで不全たり、
酷い場合にはさような本性からの本意を忘れ去った、虚構の自我こそを己れとまで思い込む。
今の世の中が荒廃を極めていることは多くの人々が察している所だが、
それを固定化してしまっている一番の元凶もまた、さような精神性の荒廃なのであり、
そこからどんな手を使っての世直しを試みようとも、同じ過ちを繰り返すのみとなる。
なんならAIですらそういう人間が扱う以上は、俺の話がまともに解読できなかったりする
のと同じように、古えの賢聖が成し得たなみの治世をもたらすことも能わぬのである。
俺の発言が、一部のノイジーマイノリティに多大なる嫌悪感を抱かせているのも、
正直であることをめいっぱい楽しもうとするあまりに、その内容がえてして
「馬鹿正直」の域に達している場合が多いからでもあるのに違いない。
ものを言うことに、間違いがないようにする慎重さなどはそれなりにあるにしろ、
嘘をひた隠しているような界隈にありがちな、「察しろ」的な空気を読む気は全くない。
別に面と向かってまでズケズケと言うつもりもないが、女の生理なんかについてですら、
話の上で必要とあらば、ここでは平然と述べ立てている。そういった、秘事がある
相手への配慮に欠けるような発言姿勢全般が、嘘偽りへの惑溺こそを楽しんでいる
ような連中にとっても、きわめて不都合で大いなる拒絶感を催させることにもなっている。
ただ、俺もまた決して隠し立てを何もかも暴き出してやりたいなんていうガサツさで
いるわけではなく、方便や戦略としての嘘への配慮なども決してできないわけではない。
しかし、そういった配慮を、嘘偽りを楽しもうとするような不埒者たち相手にまで
適用したりする気はなく、故にそこにピンポイントな歯に衣着せなさでいるものでもある。
その手の心がけは、できることならここに限らず、世の中で広く通用して行くべきだ
とすら思っている。悪人正機説が改めて広く周知され直すだけでもさような効果があろうし、
それに準ずるような欺瞞中毒への牽制キャンペーンが世に溢れ返るようになればいいのである。
正直であることをめいっぱい楽しもうとするあまりに、その内容がえてして
「馬鹿正直」の域に達している場合が多いからでもあるのに違いない。
ものを言うことに、間違いがないようにする慎重さなどはそれなりにあるにしろ、
嘘をひた隠しているような界隈にありがちな、「察しろ」的な空気を読む気は全くない。
別に面と向かってまでズケズケと言うつもりもないが、女の生理なんかについてですら、
話の上で必要とあらば、ここでは平然と述べ立てている。そういった、秘事がある
相手への配慮に欠けるような発言姿勢全般が、嘘偽りへの惑溺こそを楽しんでいる
ような連中にとっても、きわめて不都合で大いなる拒絶感を催させることにもなっている。
ただ、俺もまた決して隠し立てを何もかも暴き出してやりたいなんていうガサツさで
いるわけではなく、方便や戦略としての嘘への配慮なども決してできないわけではない。
しかし、そういった配慮を、嘘偽りを楽しもうとするような不埒者たち相手にまで
適用したりする気はなく、故にそこにピンポイントな歯に衣着せなさでいるものでもある。
その手の心がけは、できることならここに限らず、世の中で広く通用して行くべきだ
とすら思っている。悪人正機説が改めて広く周知され直すだけでもさような効果があろうし、
それに準ずるような欺瞞中毒への牽制キャンペーンが世に溢れ返るようになればいいのである。
「言葉を飾るな」今度思いついた言いがかりはこれか。
ほとんど読んでも意味が分からないと自分らで言ってるくせにな。
飾ってるように見えるほど、構文が立派に見えるのなら、
それも結構なことだね。どちらかといえば手抜き気味に書いてるのに。
別に物書きを生業とする気でもない。いずれは行いで示して行くことをも
大前提とした身の上なれば、文筆ばかりで体力を消耗する気もないのでな。
それでも飾ってるように見えるほどよく書けてるのなら、素晴らしいことだね。^^
ほとんど読んでも意味が分からないと自分らで言ってるくせにな。
飾ってるように見えるほど、構文が立派に見えるのなら、
それも結構なことだね。どちらかといえば手抜き気味に書いてるのに。
別に物書きを生業とする気でもない。いずれは行いで示して行くことをも
大前提とした身の上なれば、文筆ばかりで体力を消耗する気もないのでな。
それでも飾ってるように見えるほどよく書けてるのなら、素晴らしいことだね。^^
最長老の団塊からしてとっちゃん坊やだらけな戦後世代に、
人様への心からの敬意を抱けるほど成熟した精神性などは基本ない。
そのせいで、世の中が幼稚な子供ばかりで溢れ返っているのがあからさまに
なってしまう醜態を避けようとして、戦後の日本にはスポーツ崇拝があてがわれた。
大した実用性もないお遊戯運動なんかに、いい年になっても躍起でいるような
連中を持て囃して英雄扱いしたりするところに、自分たち自身の幼稚さを
ひた隠すための大人ごっことしての、偽りのリスペクトをもあてがって来た。
これもまた一種の自己欺瞞の楽しみであるが故に、こうしてその内実を暴露しようものなら、
そのせいでスカートをまくられた女子の如き不快感を抱く者が多くいるのにも違いない。
しかし、これが別にセクハラ的な不埒さを帯びた指摘なわけでもないうえに、
正直であることを楽しむのとは相容れない自己欺瞞の楽しみであるが故に、
世のため人のため自分のために、その内実を暴き出すことにも臆面を抱くことはない。
なるべくなら世の中全体がそれを奨励する風潮になって行くことで、
世の中から自己欺瞞の楽しみが排除や隔離されて行くようになって行くべきなのである。
人様への心からの敬意を抱けるほど成熟した精神性などは基本ない。
そのせいで、世の中が幼稚な子供ばかりで溢れ返っているのがあからさまに
なってしまう醜態を避けようとして、戦後の日本にはスポーツ崇拝があてがわれた。
大した実用性もないお遊戯運動なんかに、いい年になっても躍起でいるような
連中を持て囃して英雄扱いしたりするところに、自分たち自身の幼稚さを
ひた隠すための大人ごっことしての、偽りのリスペクトをもあてがって来た。
これもまた一種の自己欺瞞の楽しみであるが故に、こうしてその内実を暴露しようものなら、
そのせいでスカートをまくられた女子の如き不快感を抱く者が多くいるのにも違いない。
しかし、これが別にセクハラ的な不埒さを帯びた指摘なわけでもないうえに、
正直であることを楽しむのとは相容れない自己欺瞞の楽しみであるが故に、
世のため人のため自分のために、その内実を暴き出すことにも臆面を抱くことはない。
なるべくなら世の中全体がそれを奨励する風潮になって行くことで、
世の中から自己欺瞞の楽しみが排除や隔離されて行くようになって行くべきなのである。
バカじゃないか
誓って、世のため人のための便宜として必要な嘘や秘事までをも暴いてやろう
なんていう不躾さまでをも、正当化して押し通そうなんて言う気はない。
ただ、もはや欺瞞中毒を保護してやるためばかりに蔓延してしまっているような、
「察しろ」的な空気などはあえて読まず、そこにあえて、正直であることのほうを
楽しむ愉悦を鉄槌として叩き込んで行ってやるぐらいの心意気でいるものである。
この日本という国から諜報機関を完全に取り上げてのスパイ天国化なども、
特に韓国系のスパイの自己欺瞞による愉悦を増長させ続けて久しい。
それも、戦前世代の日本人が健在で、十分に牽制が行き届いていたうちは
致命的な害悪にまではならなかった所、無防備な戦後世代だけで世の中が
占められるようになって後には、日本どころか米韓までをも共に破滅に陥れる
害悪の元凶になりつつあることだし、やはりその暴露的な非難を躊躇することはない。
必要な嘘ぐらいには理解を示すが、不必要な嘘はただそうであるだけでなく、
正直であることの楽しみのほうを阻害する邪魔にもなるために、許さない。
そこにこそ世の中を健全に営んで行くための最善の指針もまたあるのに
違いないために、臆して控えたりする必要性が少しも見つからないのである。
なんていう不躾さまでをも、正当化して押し通そうなんて言う気はない。
ただ、もはや欺瞞中毒を保護してやるためばかりに蔓延してしまっているような、
「察しろ」的な空気などはあえて読まず、そこにあえて、正直であることのほうを
楽しむ愉悦を鉄槌として叩き込んで行ってやるぐらいの心意気でいるものである。
この日本という国から諜報機関を完全に取り上げてのスパイ天国化なども、
特に韓国系のスパイの自己欺瞞による愉悦を増長させ続けて久しい。
それも、戦前世代の日本人が健在で、十分に牽制が行き届いていたうちは
致命的な害悪にまではならなかった所、無防備な戦後世代だけで世の中が
占められるようになって後には、日本どころか米韓までをも共に破滅に陥れる
害悪の元凶になりつつあることだし、やはりその暴露的な非難を躊躇することはない。
必要な嘘ぐらいには理解を示すが、不必要な嘘はただそうであるだけでなく、
正直であることの楽しみのほうを阻害する邪魔にもなるために、許さない。
そこにこそ世の中を健全に営んで行くための最善の指針もまたあるのに
違いないために、臆して控えたりする必要性が少しも見つからないのである。
仮に日本で中野学校のような諜報機関が再開されれば、
そこでも戦略上どうしても必要な嘘偽りや秘匿を凝らすかもしれない。
ただそれもやはりそこまでのものとし、決して今の韓流スパイやその親分のように、
自己欺瞞に溺れて暴走を来たしたりするようなことは許さないようにして行くもの。
ただ、それはただひたすら法規で取り締まろうたってむりなことであるのが、
それこそ上記のような連中の非合法級のやりたい放題からも知れたものである。
「自分は正直であることのほうを楽しみたいから、自己欺瞞を楽しむのは避ける」
そういう人材こそがそこに従事して行くことでさような暴走もまた抑えられようし、
それは仏道修行級の嗜みまでもがあって然るべきところでもあるために、
戦前までの邦人スパイには中村天風や沖正弘のようなヨガ行者までもがいたのである。
(小野田寛郎なども結果的に修行級の経験と共にその務めを果たしていた一人である)
そういった諜報機関の健全な運営のためにこそ、仏門の復興が並行されて然るべきでもある。
ここではスパイ要員かつ仏教嫌いらしき輩も相当数見かけるけれども、そういった連中が二度と
その手の仕事に近寄りもできなくなるぐらいに、諜報と仏道が一如たるべきなぐらいだといえる。
そこでも戦略上どうしても必要な嘘偽りや秘匿を凝らすかもしれない。
ただそれもやはりそこまでのものとし、決して今の韓流スパイやその親分のように、
自己欺瞞に溺れて暴走を来たしたりするようなことは許さないようにして行くもの。
ただ、それはただひたすら法規で取り締まろうたってむりなことであるのが、
それこそ上記のような連中の非合法級のやりたい放題からも知れたものである。
「自分は正直であることのほうを楽しみたいから、自己欺瞞を楽しむのは避ける」
そういう人材こそがそこに従事して行くことでさような暴走もまた抑えられようし、
それは仏道修行級の嗜みまでもがあって然るべきところでもあるために、
戦前までの邦人スパイには中村天風や沖正弘のようなヨガ行者までもがいたのである。
(小野田寛郎なども結果的に修行級の経験と共にその務めを果たしていた一人である)
そういった諜報機関の健全な運営のためにこそ、仏門の復興が並行されて然るべきでもある。
ここではスパイ要員かつ仏教嫌いらしき輩も相当数見かけるけれども、そういった連中が二度と
その手の仕事に近寄りもできなくなるぐらいに、諜報と仏道が一如たるべきなぐらいだといえる。
まず以て、近世までの日本における最大最高の諜報機関って、高野山だったんだろうなって。
武家時代の主たる武将が、敵味方を問わずみな骨を分けて埋葬されているのからも知れる。
とりあえずあそこには情報を分けといて、最後の頼みの綱にしておこうとかしてたんだろうな、と。
それだけの役割を担えた諜報機関なんて、CIAを含めて他にないだろう。
むしろ自分たちのほうがやりたい放題の魔性に駆られての暴走ばかりに明け暮れて来たのだし、
全体を俯瞰するより、どちらかに加担することでの焼け太りのほうを優先しないでいられたはずもない。
そこに従事する個々人が勝手に自己欺瞞に溺れて来たところもあろうが、それ以上に、
始めからその程度の体裁でしかなかったというのもあろう。仏も儒も排してかかった時代には。
武家時代の主たる武将が、敵味方を問わずみな骨を分けて埋葬されているのからも知れる。
とりあえずあそこには情報を分けといて、最後の頼みの綱にしておこうとかしてたんだろうな、と。
それだけの役割を担えた諜報機関なんて、CIAを含めて他にないだろう。
むしろ自分たちのほうがやりたい放題の魔性に駆られての暴走ばかりに明け暮れて来たのだし、
全体を俯瞰するより、どちらかに加担することでの焼け太りのほうを優先しないでいられたはずもない。
そこに従事する個々人が勝手に自己欺瞞に溺れて来たところもあろうが、それ以上に、
始めからその程度の体裁でしかなかったというのもあろう。仏も儒も排してかかった時代には。
当然のこととして、自己欺瞞への陶酔こそを固着化させるカルト組織なんかを、
諜報機関の一端に組み込んだりすることも許されないようになるであろう。
近代以降はキリスト教の実質的解禁などを通じて、それが野放しになり始めたために、
それと引き換えに仏も儒も諜報的な活動に携わることがほとんど不可能になって行った。
最も急進的に政治顧問などに携わり続けて来た臨済宗妙心寺派なども、
自民政権が完全にカルトに乗っ取られた近ごろは政治への関りを絶っていると、
以前の共同通信のアンケートでも明言していたものであるが。
そうせざるを得ない最も根本的な原因もまた、政治家たちが完全に
自己欺瞞の陶酔に溺れて、正直さの楽しみを見失ってしまった処にある。
物理的な政治腐敗だけなら、田中角栄の時代などにも「毒を以て毒を制す」的な
範囲で横行していたものだが、そこではまだ多少の関わり合いも可能であったのが、
精神性までもが完全に自己欺瞞への惑溺に溺れ果ててしまったところでついに、
品行方正の楽しみこそを柱とする部類の流派が多少ほど政治に関わることも能わなくなった。
仏教は哲学的には唯心論であるともされるが、それが世にも広く通じる真理たればこそ、
すでに物質化した政治腐敗以上に、それこそを楽しむ部類の低劣極まる精神性こそが、
この世の汚濁を致命的ならしめる最大最凶の病巣となることが明らかとなったのである。
諜報機関の一端に組み込んだりすることも許されないようになるであろう。
近代以降はキリスト教の実質的解禁などを通じて、それが野放しになり始めたために、
それと引き換えに仏も儒も諜報的な活動に携わることがほとんど不可能になって行った。
最も急進的に政治顧問などに携わり続けて来た臨済宗妙心寺派なども、
自民政権が完全にカルトに乗っ取られた近ごろは政治への関りを絶っていると、
以前の共同通信のアンケートでも明言していたものであるが。
そうせざるを得ない最も根本的な原因もまた、政治家たちが完全に
自己欺瞞の陶酔に溺れて、正直さの楽しみを見失ってしまった処にある。
物理的な政治腐敗だけなら、田中角栄の時代などにも「毒を以て毒を制す」的な
範囲で横行していたものだが、そこではまだ多少の関わり合いも可能であったのが、
精神性までもが完全に自己欺瞞への惑溺に溺れ果ててしまったところでついに、
品行方正の楽しみこそを柱とする部類の流派が多少ほど政治に関わることも能わなくなった。
仏教は哲学的には唯心論であるともされるが、それが世にも広く通じる真理たればこそ、
すでに物質化した政治腐敗以上に、それこそを楽しむ部類の低劣極まる精神性こそが、
この世の汚濁を致命的ならしめる最大最凶の病巣となることが明らかとなったのである。
分かる人間もいた上で、おまえには分からない。
分かるようになるための手続きも踏んでないし、
多少なりとも分かるようになる方向への努力をした試しもない。
まるで生徒の文章を添削する先生のような、
上から目線での査読などを不相応にも試みているものだから、
そのせいで余計に分からなくなる。そこでどんなに自分なりの
努力をしてみた所で、むしろ理解からはより遠ざかって行く。
まるで自分の頭上よりも高い場所にいる相手を見下そうとして、
その足元すら見えなくなるように。理解できなくなる努力ばかりしている。
分かるようになるための手続きも踏んでないし、
多少なりとも分かるようになる方向への努力をした試しもない。
まるで生徒の文章を添削する先生のような、
上から目線での査読などを不相応にも試みているものだから、
そのせいで余計に分からなくなる。そこでどんなに自分なりの
努力をしてみた所で、むしろ理解からはより遠ざかって行く。
まるで自分の頭上よりも高い場所にいる相手を見下そうとして、
その足元すら見えなくなるように。理解できなくなる努力ばかりしている。
俺もまた、そこまでしなければ分からないような相手に
おせっかいを焼いて、余計につけ上がらせたりする気がないから。
「是什麼物恁麼来」なみに抽象的な提唱だけでも、
分かり合える流れに乗っている相手にこそ話しかけていることである。
分からないなら分からないで、その程度な身の程を知ればいいだけだ。
そして分かり合える界隈の邪魔ぐらいはしないように。
おせっかいを焼いて、余計につけ上がらせたりする気がないから。
「是什麼物恁麼来」なみに抽象的な提唱だけでも、
分かり合える流れに乗っている相手にこそ話しかけていることである。
分からないなら分からないで、その程度な身の程を知ればいいだけだ。
そして分かり合える界隈の邪魔ぐらいはしないように。
俺は暑すぎるからなるべく部屋でじっとしてるだけだが、
おまえらのこの必死さ加減は、ひょっとして株価カナ?
おまえらのこの必死さ加減は、ひょっとして株価カナ?
前世紀まで、仏門と政治を繋ぐ最後の砦としての役割をも果たしていた四元義隆氏が、
当時の政情を「狂人走れば不狂人も走る」という禅語でよく表していたらしいが。
それはつまり、正直さこそを楽しめるような正気の持ち主たちも未だ多くいた上で、
それが不能な一部の狂人たちが扇動者となることで、乱世が進行していたという意味であろう。
今や、政治に携わる人間なんかは、そういう意味での狂人であることしか許されないために、
狂人につられて一緒に走ってしまいそうな不狂人を引き留めるような真似によって、
乱世の進行を多少程度に防ぎとめて行くことすら不可能になってしまった状態である。
故にもはや臨済宗のような、乱世に政治に携わって行くことすら昔から厭わないで来たような
仏門宗派ですら、完全にかかわりを絶ってかかることしかできなくなったのである。
当時の政情を「狂人走れば不狂人も走る」という禅語でよく表していたらしいが。
それはつまり、正直さこそを楽しめるような正気の持ち主たちも未だ多くいた上で、
それが不能な一部の狂人たちが扇動者となることで、乱世が進行していたという意味であろう。
今や、政治に携わる人間なんかは、そういう意味での狂人であることしか許されないために、
狂人につられて一緒に走ってしまいそうな不狂人を引き留めるような真似によって、
乱世の進行を多少程度に防ぎとめて行くことすら不可能になってしまった状態である。
故にもはや臨済宗のような、乱世に政治に携わって行くことすら昔から厭わないで来たような
仏門宗派ですら、完全にかかわりを絶ってかかることしかできなくなったのである。
戦国期にも、仏門嫌いの信長が比叡山や快川和尚を焼き討ちするようなあり様で、
仏門の政治介入を断絶させたのはつとに有名で、同じように仏門を敵に回している今の日本の
権力者などからも肯定的に取り上げられることがままあるけれども。その先にあったのは
朝廷や足利将軍相手にも専横の限りを尽くすような暴慢であったために、朝廷からの密命をも
受けていたらしい明智光秀からの討伐によって自決せざるを得ない破目にも陥ったのだった。
いつの時代も、仏門とのかかわりを完全に絶ってかからねば済まないような政治ーー
仏滅の政治などが早急な自滅に見舞われずに済んだことがないのもまた、やはりその精神性
の部分が、ここで書いてきたような正直さの楽しみを完全に見失った状態となるからである。
そこで独自にマインドフルネスを試みようたって、全くの徒労に終わってしまうのは、
廃仏毀釈後に仏門の精進修行を部分的に真似てみた捏造神道などが、大日本帝国の崩壊や、
近年のような国家破綻しか招けなかった事例などからも、自明に知れたものとなっている。
仏門の政治介入を断絶させたのはつとに有名で、同じように仏門を敵に回している今の日本の
権力者などからも肯定的に取り上げられることがままあるけれども。その先にあったのは
朝廷や足利将軍相手にも専横の限りを尽くすような暴慢であったために、朝廷からの密命をも
受けていたらしい明智光秀からの討伐によって自決せざるを得ない破目にも陥ったのだった。
いつの時代も、仏門とのかかわりを完全に絶ってかからねば済まないような政治ーー
仏滅の政治などが早急な自滅に見舞われずに済んだことがないのもまた、やはりその精神性
の部分が、ここで書いてきたような正直さの楽しみを完全に見失った状態となるからである。
そこで独自にマインドフルネスを試みようたって、全くの徒労に終わってしまうのは、
廃仏毀釈後に仏門の精進修行を部分的に真似てみた捏造神道などが、大日本帝国の崩壊や、
近年のような国家破綻しか招けなかった事例などからも、自明に知れたものとなっている。
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仏門が政治に介入し過ぎるとまた別の問題を招きだすのも、
奈良時代の道教の事例などから知れたものだけれども、
その内実はといえば、仁政の競い合いによる政争が行き過ぎる
といったものだったのだから、今の世相などとは真逆といってもいい。
道教も称徳天皇も恵美押勝も藤原氏も、みんな自分の手で仁政を推進したい
があまりのひしめき合いからの、収拾不能化からの、やむなき遷都に。
以前に「この世で最高のイデオロギーは無為自然である」というスレでも
詳述したが、仏道もまたそういった弊害を来たしてしまう危険があるために、
俗世での政治行為などからはある程度の距離を置いた上での顧問などに徹したほうが良い。
ただ、健全な為政たるや、仏門との連携が不能と化してしまうなんてことだけは
まずあり得ないことで、それは遅かれ早かれ無残な自滅へと陥ることが免れ得ない。
その理由はここに書いて来た通り、脳の使い方という人間にとって最も根本的な
部分からの法則であるがために、後付けでの揺るがしようなども決してないのである。
仏門が政治に介入し過ぎるとまた別の問題を招きだすのも、
奈良時代の道教の事例などから知れたものだけれども、
その内実はといえば、仁政の競い合いによる政争が行き過ぎる
といったものだったのだから、今の世相などとは真逆といってもいい。
道教も称徳天皇も恵美押勝も藤原氏も、みんな自分の手で仁政を推進したい
があまりのひしめき合いからの、収拾不能化からの、やむなき遷都に。
以前に「この世で最高のイデオロギーは無為自然である」というスレでも
詳述したが、仏道もまたそういった弊害を来たしてしまう危険があるために、
俗世での政治行為などからはある程度の距離を置いた上での顧問などに徹したほうが良い。
ただ、健全な為政たるや、仏門との連携が不能と化してしまうなんてことだけは
まずあり得ないことで、それは遅かれ早かれ無残な自滅へと陥ることが免れ得ない。
その理由はここに書いて来た通り、脳の使い方という人間にとって最も根本的な
部分からの法則であるがために、後付けでの揺るがしようなども決してないのである。
お釈迦様ですら一字不説、悟りの境地を十分に言葉として言い表しきることが
できなかったというのに、どうして肉食飲酒の俺ごときがそれを上回れようか?
言い表せないからといってないわけでもないし、誰にも理解できないわけでもない。
言い表しきれてないような言葉からでも、聞く者の素養と共に理解できることもある。
その条件を満たせていないようなら、聞くことよりも精進のほうにまず勤めた方がよかろう。
上を見るべき時に、下を見てしまうような悪癖を矯正する程度にだけでも。
できなかったというのに、どうして肉食飲酒の俺ごときがそれを上回れようか?
言い表せないからといってないわけでもないし、誰にも理解できないわけでもない。
言い表しきれてないような言葉からでも、聞く者の素養と共に理解できることもある。
その条件を満たせていないようなら、聞くことよりも精進のほうにまず勤めた方がよかろう。
上を見るべき時に、下を見てしまうような悪癖を矯正する程度にだけでも。
これ以上、巧言令色でより分かりやすいように説明して、
匹婦小人からの上から目線な理解を得るような、人間的退化なんかに及びたくもない。
性欲もまだいくらでもあるが、女の尻に敷かれてでもヤりたいとかいった、
若気の至り級の妄念にまでは囚われたりしないでいられるだけの老成も、すでにある。
子供の産める年代の女なども、すでに自分よりもはるか年下だけに限られるが。
それもまた、マウント合戦をあらかじめ控えさせられる牽制材料として好都合なぐらいだ。
もう一生、争い交じりの異性関係にかかずらわされたりするのも、真っ平御免なので。
匹婦小人からの上から目線な理解を得るような、人間的退化なんかに及びたくもない。
性欲もまだいくらでもあるが、女の尻に敷かれてでもヤりたいとかいった、
若気の至り級の妄念にまでは囚われたりしないでいられるだけの老成も、すでにある。
子供の産める年代の女なども、すでに自分よりもはるか年下だけに限られるが。
それもまた、マウント合戦をあらかじめ控えさせられる牽制材料として好都合なぐらいだ。
もう一生、争い交じりの異性関係にかかずらわされたりするのも、真っ平御免なので。
史実は史実で正確に把握しておいた上で、
そこにさらにドラスティックな論考での仁政への探り当てをも試みて行く。
客観か主観かの二者択一でしかあり得ない者たちには、
これまた分かりそうで全く分かることがない中庸の心がけであろうか。
そこにさらにドラスティックな論考での仁政への探り当てをも試みて行く。
客観か主観かの二者択一でしかあり得ない者たちには、
これまた分かりそうで全く分かることがない中庸の心がけであろうか。
命がけの仁政に取り組んでいた先人たちへの思いを
「中身がない」とか言っちゃってる時点で、いろいろと知れ過ぎるわけだ。
血筋だ境遇だ以上に、何よりもダメな今のおまえ自身。
仁政の主導者どころか、その伴侶や従者たり得ることもない自白なわけだ。
「中身がない」とか言っちゃってる時点で、いろいろと知れ過ぎるわけだ。
血筋だ境遇だ以上に、何よりもダメな今のおまえ自身。
仁政の主導者どころか、その伴侶や従者たり得ることもない自白なわけだ。
他スレでも書いてたことだけれども、脳もどんなに養生を尽くそうとも
多少の老化は来すものであり、特に側頭葉の短期記憶処理能力は、
誰でも20代あたりがピークとなるために、そのあたりの年代で
キャリアハイを迎える数学者やeスポーツ選手なども非常に多いもの。
(そのためフィールズ賞の対象年齢が40歳以下だったりもする)
さりとて、前頭葉の長期記憶の能力は、痴呆などで脳が完全に壊れ切って
しまうのでもない限りは終身にわたって成長を続けられるものであり、
(だから年寄りも昔の記憶だけは鮮明に残っていたりするのである)
そのためこのスレで書いてきたような、正直さ由来の長期記憶処理による
楽しみや能力向上もまた、半永久的に続けて行けるものとなっているのである。
側頭葉の情報処理能力のほか、体力一般も30前後でピークを迎えるのが
普通であるわけだけれども、上記のような長期記憶の処理能力と、
身体や手先をうまく操る技術力は終身にわたる向上が可能であるために、
心技体の総合力で人間が終身にわたる向上を続けて行くことも可能となっている。
老化は多くの人間が忌み嫌うものではあるが、やりようによっては超克も
可能であるものだし、特に正直さを楽しむ者が殊更に恐れるべきものではない。
無根拠なイキリでまだまだ若い!とか思い込んだりするのは控えるべきであるにしろ。
多少の老化は来すものであり、特に側頭葉の短期記憶処理能力は、
誰でも20代あたりがピークとなるために、そのあたりの年代で
キャリアハイを迎える数学者やeスポーツ選手なども非常に多いもの。
(そのためフィールズ賞の対象年齢が40歳以下だったりもする)
さりとて、前頭葉の長期記憶の能力は、痴呆などで脳が完全に壊れ切って
しまうのでもない限りは終身にわたって成長を続けられるものであり、
(だから年寄りも昔の記憶だけは鮮明に残っていたりするのである)
そのためこのスレで書いてきたような、正直さ由来の長期記憶処理による
楽しみや能力向上もまた、半永久的に続けて行けるものとなっているのである。
側頭葉の情報処理能力のほか、体力一般も30前後でピークを迎えるのが
普通であるわけだけれども、上記のような長期記憶の処理能力と、
身体や手先をうまく操る技術力は終身にわたる向上が可能であるために、
心技体の総合力で人間が終身にわたる向上を続けて行くことも可能となっている。
老化は多くの人間が忌み嫌うものではあるが、やりようによっては超克も
可能であるものだし、特に正直さを楽しむ者が殊更に恐れるべきものではない。
無根拠なイキリでまだまだ若い!とか思い込んだりするのは控えるべきであるにしろ。
Mも、もう字幕がないとアニメも観きれなくなってるんだろ?
耳が悪くなってる場合もあるが、よくても側頭葉の言語処理能力
のほうが衰えてて、即座に言葉が理解できなくなったりするんだよな。
俺も人の言うことを聞き落とすようなことがたまにあるが、
即座に
何を言ってたかを洞察して補完し、それに沿った返事を
かえすとちゃんと会話として成立している、なんてことがあってな。
劇作のセリフの聞き取りなんかでも同様なことがあったり。
そうやって言語処理能力の衰えを、長期記憶の知恵で補完したり
することもできるわけだけれども、これもやっぱり嘘欺瞞を楽しんで、
長期記憶をとっ散らからせてる連中には難しいことなんだろうね。
耳が悪くなってる場合もあるが、よくても側頭葉の言語処理能力
のほうが衰えてて、即座に言葉が理解できなくなったりするんだよな。
俺も人の言うことを聞き落とすようなことがたまにあるが、
即座に
何を言ってたかを洞察して補完し、それに沿った返事を
かえすとちゃんと会話として成立している、なんてことがあってな。
劇作のセリフの聞き取りなんかでも同様なことがあったり。
そうやって言語処理能力の衰えを、長期記憶の知恵で補完したり
することもできるわけだけれども、これもやっぱり嘘欺瞞を楽しんで、
長期記憶をとっ散らからせてる連中には難しいことなんだろうね。
俺が今ここでやっていることについて言えば、
己が考えを備忘録的に文面にも起こしてみていることが、
長期記憶の知恵をより深めて行く一助になっているというのはある。
一方で、そういった知恵の向上ばかりを目的とした文筆は、他者にとっては、
時を重ねるほどにより難読化することはあっても、まず読みやすくなることはない。
読者の側にも、長期記憶を最適化して行く取り組みが独自にあるのでもなければ、
知恵の深さにより差が開いて行くのみで、そのせいでの読みにくさも一入たる。
そこで、巧言令色でより文章を読みやすくするという取り組みをかませようとも、
それは車のアクセルとブレーキを同時に踏み込むようなもので、まず虻蜂取らずとなる。
かつ、さような巧言令色の能力もまた、側頭葉の言語処理能力などに
由来するものであり、これも老化による劣化がある程度は避けられないもの。
そうでなくたって見た目の老化などで、人に好まれづらくなったりもするものだし、
いい年したおっさんなんかに期待したところでキモい思いしかさせられないものと知るべきである。
故に俺なども、もうそんな方向への努力などはあえて避けるのである。
己が考えを備忘録的に文面にも起こしてみていることが、
長期記憶の知恵をより深めて行く一助になっているというのはある。
一方で、そういった知恵の向上ばかりを目的とした文筆は、他者にとっては、
時を重ねるほどにより難読化することはあっても、まず読みやすくなることはない。
読者の側にも、長期記憶を最適化して行く取り組みが独自にあるのでもなければ、
知恵の深さにより差が開いて行くのみで、そのせいでの読みにくさも一入たる。
そこで、巧言令色でより文章を読みやすくするという取り組みをかませようとも、
それは車のアクセルとブレーキを同時に踏み込むようなもので、まず虻蜂取らずとなる。
かつ、さような巧言令色の能力もまた、側頭葉の言語処理能力などに
由来するものであり、これも老化による劣化がある程度は避けられないもの。
そうでなくたって見た目の老化などで、人に好まれづらくなったりもするものだし、
いい年したおっさんなんかに期待したところでキモい思いしかさせられないものと知るべきである。
故に俺なども、もうそんな方向への努力などはあえて避けるのである。
長期記憶の最適化と共なる蓄積という知恵の深化が、
たとえば自分自身の健康養生や体力の維持向上に資するようなこともまた当然ある。
人間にとっての老化速度というのも、身体の前後左右上下内外本末といった
要所〃の対称性の確保具合に大きく左右されるもので、「体にガタ」などという表現が
よくされる不具合も、この対称性の崩れそのものないしその派生である場合がほとんどである。
適正なストレッチなり運動なりによって、筋肉の配列を整えて行くことで
より一層の対称性の高さを確保することができれば、場合によっては
若い頃以上の健康や体力を中年以降に獲得することまでもが可能となる。
俺なんかは特に、若い頃に不正なスポーツ運動で、体の対称性が致命傷級にボロボロに
成り果てていたのを、年を重ねるごとに矯正していったものだから、未だに生涯のうちで
体調最悪だったのは20代前半、そこからずっと復調を続けているといった具合ではあるのだが。
身体の対称性も図の如く五種類以上あり、あっちを正すとこっちが崩れるといった、
ルービックキューブ的な難点をも帯びているものであるために、単純な試みで体の対称性を高めて
行ったりすることもまず不可能で、自らの深遠な知恵の構築があって初めて実現できるものであった。
たとえば自分自身の健康養生や体力の維持向上に資するようなこともまた当然ある。
人間にとっての老化速度というのも、身体の前後左右上下内外本末といった
要所〃の対称性の確保具合に大きく左右されるもので、「体にガタ」などという表現が
よくされる不具合も、この対称性の崩れそのものないしその派生である場合がほとんどである。
適正なストレッチなり運動なりによって、筋肉の配列を整えて行くことで
より一層の対称性の高さを確保することができれば、場合によっては
若い頃以上の健康や体力を中年以降に獲得することまでもが可能となる。
俺なんかは特に、若い頃に不正なスポーツ運動で、体の対称性が致命傷級にボロボロに
成り果てていたのを、年を重ねるごとに矯正していったものだから、未だに生涯のうちで
体調最悪だったのは20代前半、そこからずっと復調を続けているといった具合ではあるのだが。
身体の対称性も図の如く五種類以上あり、あっちを正すとこっちが崩れるといった、
ルービックキューブ的な難点をも帯びているものであるために、単純な試みで体の対称性を高めて
行ったりすることもまず不可能で、自らの深遠な知恵の構築があって初めて実現できるものであった。
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ルービックキューブの解法にもいろいろあるようだけれども、
どれをとってもそう簡単なものではなく、長い手順を間違いなくこなすのでなければならない。
五面そろえば完成するわけだから、対称性を5つ以上同時にそろえる必要がある
身体の対称性向上の難易度は紛れもなく、ルービックキューブの解法並み以上たるものである。
しかもその操作対象は掌中のキューブなどではなく、自らの全身たるのだから、
そこへの空間認知による把握の難易度などもより上であり、もちろん強力なストレッチで
場合によってはかなり痛い思いなどもしなければならないような難儀をも介するもの。
それはまさに、精進修行と呼ぶべきほどの取り組みによってのみ達成されるものであり、
なおかつそこではここで書いてきたような長期記憶の知恵の深化もまた不可分なものたる。
近年の人間が「修行」と聞いて思い浮かべるような闇雲さなどでは決して務まらず、
むしろ座学の勉強など以上に頭をフル活用させねばならぬのが、真に有意義な修行なのである。
ルービックキューブの解法にもいろいろあるようだけれども、
どれをとってもそう簡単なものではなく、長い手順を間違いなくこなすのでなければならない。
五面そろえば完成するわけだから、対称性を5つ以上同時にそろえる必要がある
身体の対称性向上の難易度は紛れもなく、ルービックキューブの解法並み以上たるものである。
しかもその操作対象は掌中のキューブなどではなく、自らの全身たるのだから、
そこへの空間認知による把握の難易度などもより上であり、もちろん強力なストレッチで
場合によってはかなり痛い思いなどもしなければならないような難儀をも介するもの。
それはまさに、精進修行と呼ぶべきほどの取り組みによってのみ達成されるものであり、
なおかつそこではここで書いてきたような長期記憶の知恵の深化もまた不可分なものたる。
近年の人間が「修行」と聞いて思い浮かべるような闇雲さなどでは決して務まらず、
むしろ座学の勉強など以上に頭をフル活用させねばならぬのが、真に有意義な修行なのである。
そこで深化を尽くした知恵は、もはや座学の知識のような明白さもなく、
RAIDで各HDDに記録された情報が、個別には必ずしも有意な情報ではなくなって
しまっていたりするのと同じように、不立文字の域にまで達しているのが常である。
あくまでそれを明示しようとすれば、文字ではなく曼荼羅図のような抽象的な
図示にでも頼るしかなくなるほどに、あえて隠そうとせずとも密法的でしかあり得ぬ。
だからといって本当に完全に意味がないというのでもなく、そこから
満濃池の造成のような、極めて具体的な社会的事業の実現までもが果たされる。
知恵そのものが深遠すぎて明示不能であろうとも、それが有意義であるのには変わりなく、
その微妙不可思議さを信認さえできるのなら、他力本願での功徳に与ることも容易たる。
そこには、近年のIT技術などと照らし合わせても、不立文字でしかあり得ない
自明な法則性があるのだから、それをあくまで許そうとせず、誰にでもわかるように
説明できる、してくれる範囲のものしか信認しまいとする、オッカムの剃刀的な怠慢的論理
の持ち主のほうが、科学法則にも逆行したがるカルト側だと見なされねばならないのである。
RAIDで各HDDに記録された情報が、個別には必ずしも有意な情報ではなくなって
しまっていたりするのと同じように、不立文字の域にまで達しているのが常である。
あくまでそれを明示しようとすれば、文字ではなく曼荼羅図のような抽象的な
図示にでも頼るしかなくなるほどに、あえて隠そうとせずとも密法的でしかあり得ぬ。
だからといって本当に完全に意味がないというのでもなく、そこから
満濃池の造成のような、極めて具体的な社会的事業の実現までもが果たされる。
知恵そのものが深遠すぎて明示不能であろうとも、それが有意義であるのには変わりなく、
その微妙不可思議さを信認さえできるのなら、他力本願での功徳に与ることも容易たる。
そこには、近年のIT技術などと照らし合わせても、不立文字でしかあり得ない
自明な法則性があるのだから、それをあくまで許そうとせず、誰にでもわかるように
説明できる、してくれる範囲のものしか信認しまいとする、オッカムの剃刀的な怠慢的論理
の持ち主のほうが、科学法則にも逆行したがるカルト側だと見なされねばならないのである。
健康養生や能力開発だけでなく、日々の生活における些細な過ちの解消からの
ストレスフリーさのような、ごく身近な功徳もまた正直さによって得られるもの。
自分の部屋のどこに何があるかなんてのも、結局は長期記憶頼みになる所があり、
たとえ整理整頓を行き届かせたのであっても、自らの脳内がとっ散らかったまま
であるようなら無用の長物でしかないために、汚部屋へと逆戻りなどにもなる。
どうしてもそれが嫌で、徹底的に物を捨ててかかるミニマリズム生活なんかに
走るような人間もまた近年多いようだけれども。人間が生きて行く上ではある程度
以上の物品に頼らねばならないのもまた事実であるが故に、さような試みが
行き過ぎた挙句の不便さに苦しめられるようなことにもなるものである。
ちゃんと頭を使って生活しようとしない怠惰さは、どんな方向からでも当人を
苦しめてかかるもので、最悪の場合には自らの体の使い方すら十分に分からなく
なった挙句の、パーキンソン病のような神経障害にまで陥りかねないものである。
(生活上の作業を何もかも人任せにするセレブなどにそういう事例が多いようである)
ストレスフリーさのような、ごく身近な功徳もまた正直さによって得られるもの。
自分の部屋のどこに何があるかなんてのも、結局は長期記憶頼みになる所があり、
たとえ整理整頓を行き届かせたのであっても、自らの脳内がとっ散らかったまま
であるようなら無用の長物でしかないために、汚部屋へと逆戻りなどにもなる。
どうしてもそれが嫌で、徹底的に物を捨ててかかるミニマリズム生活なんかに
走るような人間もまた近年多いようだけれども。人間が生きて行く上ではある程度
以上の物品に頼らねばならないのもまた事実であるが故に、さような試みが
行き過ぎた挙句の不便さに苦しめられるようなことにもなるものである。
ちゃんと頭を使って生活しようとしない怠惰さは、どんな方向からでも当人を
苦しめてかかるもので、最悪の場合には自らの体の使い方すら十分に分からなく
なった挙句の、パーキンソン病のような神経障害にまで陥りかねないものである。
(生活上の作業を何もかも人任せにするセレブなどにそういう事例が多いようである)
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座禅行のみならず、日々の生活作業までをも修行の一環であると厳格に定めている
曹洞宗の取り組みなども、さような差し障りとは逆方向にあるマインドフルネスを
最大限に実現して行くことこそを目的としたものであるのにも違いない。
それは別に今のような荒れ果てた時代のみならず、それなりに徳化の行き届いた時代でも、
在俗のままでは十分に果たしきれないほどの奥深さを帯びた領域であるがために、
禅門のような最大級の精進修行に勤める門派においてこそ専攻されて来たのでもある。
禅寺並みに清潔で整理整頓の行き届いた住環境などを独自に家で実現したりすることも
不可能ではないにしろ、自らもまたそこに一体化できるだけの心中からの清廉さを
帯びたりすることが極めて難しいために、逆にそんな環境を守り続けての生活
なんかのほうがストレスになることにすらなりかねないものである。
精進料理なみの食生活や、早寝早起きなんかも全く同様で、ただやるだけでなく、
そこにマインドフルネスの増進が伴えばこその、やったほうがマシ以上たるのである。
座禅行のみならず、日々の生活作業までをも修行の一環であると厳格に定めている
曹洞宗の取り組みなども、さような差し障りとは逆方向にあるマインドフルネスを
最大限に実現して行くことこそを目的としたものであるのにも違いない。
それは別に今のような荒れ果てた時代のみならず、それなりに徳化の行き届いた時代でも、
在俗のままでは十分に果たしきれないほどの奥深さを帯びた領域であるがために、
禅門のような最大級の精進修行に勤める門派においてこそ専攻されて来たのでもある。
禅寺並みに清潔で整理整頓の行き届いた住環境などを独自に家で実現したりすることも
不可能ではないにしろ、自らもまたそこに一体化できるだけの心中からの清廉さを
帯びたりすることが極めて難しいために、逆にそんな環境を守り続けての生活
なんかのほうがストレスになることにすらなりかねないものである。
精進料理なみの食生活や、早寝早起きなんかも全く同様で、ただやるだけでなく、
そこにマインドフルネスの増進が伴えばこその、やったほうがマシ以上たるのである。
こうして仏門を引き合いに出した話をすることも幾度となく繰り返して来たものだが、
別に自分自身が本格の仏者なわけではなく、若い頃に負った大怪我の治癒のために
修行級の荒行もまた繰り返して来たにしろ、それもまた肉食飲酒などと共にだし、
決して自分自身が聖道門の奥義にも通暁した達者であるとまで自負するものでもない。
さりとて、自己欺瞞への陶酔に惑溺するほどの、最低級の度し難さからぐらいは
すでに脱却できているという自覚もあるがために、儒家や道家と同等の域での、
最低限程度の善徳への安楽に与れている側であるという認識もまたあるもの。
自らよりもさらに上等な仏道などの存在もあれば、下等なカルトや異学邪見などもある。
両者にまつわる専門書などもそれなりに読み漁って来た上で、それぞれを自分自身が
安住している境地とはまた別個の域にある言説として、脳内でも適当な区域に
カテゴライズして収め、その間に四書五経や老荘のような自分並みへの知識も据えている。
その分類整理が適切であるがために、より上等から下等に至るまで、今までに得て来た
あらゆる知識が教師的、反面教師的、対等な友人からの教え的な相応さを帯びた形での
活用が可能なものともなっている。自分が本格の仏者以上だなどと思い上がってたり、
あるいは邪学邪教こそを上質な教学だなどと思い込んだりするような顛倒が少しでも
介在しているようなら、いくら知識を貯め込んだ所でさような有用さはないままに終わる。
別に自分自身が本格の仏者なわけではなく、若い頃に負った大怪我の治癒のために
修行級の荒行もまた繰り返して来たにしろ、それもまた肉食飲酒などと共にだし、
決して自分自身が聖道門の奥義にも通暁した達者であるとまで自負するものでもない。
さりとて、自己欺瞞への陶酔に惑溺するほどの、最低級の度し難さからぐらいは
すでに脱却できているという自覚もあるがために、儒家や道家と同等の域での、
最低限程度の善徳への安楽に与れている側であるという認識もまたあるもの。
自らよりもさらに上等な仏道などの存在もあれば、下等なカルトや異学邪見などもある。
両者にまつわる専門書などもそれなりに読み漁って来た上で、それぞれを自分自身が
安住している境地とはまた別個の域にある言説として、脳内でも適当な区域に
カテゴライズして収め、その間に四書五経や老荘のような自分並みへの知識も据えている。
その分類整理が適切であるがために、より上等から下等に至るまで、今までに得て来た
あらゆる知識が教師的、反面教師的、対等な友人からの教え的な相応さを帯びた形での
活用が可能なものともなっている。自分が本格の仏者以上だなどと思い上がってたり、
あるいは邪学邪教こそを上質な教学だなどと思い込んだりするような顛倒が少しでも
介在しているようなら、いくら知識を貯め込んだ所でさような有用さはないままに終わる。
ヒトラーの「わが闘争」などは、西洋史上で初めて
政商の国への危害を大々的に暴露した文献である点などが、
部分的には大変画期的な著述ではあったわけだけれども。
ヒトラー自身が害為正法外道たるキリスト教圏の人間であることもあって、
「政商」という活動自体の害悪性をピンポイントに見定めることが出来ずに、
当時のドイツで主に政商活動を担っていたユダヤ教徒への特別な糾弾や
憎悪ばかりを募らせるような事態にも陥っていたのだった。
他にも過剰な女性進出の弊害についてなど、現代社会にとっての
預言書ともなるような論説が多く見られる一方で、ヒトラー自身が
それを分相応な身の程のわきまえから、的確に披露して行く用意を
欠いていたために、不適切な表現や結論が多く入り混じることとなったのである。
結果、ヒトラー自身もまた、口述筆記で「わが闘争」に書かせたようなことは、
吐き出した途端に自分の中からはゴッソリと抜け落ちてなくなってしまった
とも後年に述べていたという。知識の分類整理が疎かだったりするようならば、
たとえ正論交じりだろうとも水子止まりな見識と化してしまう典型例となったのである。
政商の国への危害を大々的に暴露した文献である点などが、
部分的には大変画期的な著述ではあったわけだけれども。
ヒトラー自身が害為正法外道たるキリスト教圏の人間であることもあって、
「政商」という活動自体の害悪性をピンポイントに見定めることが出来ずに、
当時のドイツで主に政商活動を担っていたユダヤ教徒への特別な糾弾や
憎悪ばかりを募らせるような事態にも陥っていたのだった。
他にも過剰な女性進出の弊害についてなど、現代社会にとっての
預言書ともなるような論説が多く見られる一方で、ヒトラー自身が
それを分相応な身の程のわきまえから、的確に披露して行く用意を
欠いていたために、不適切な表現や結論が多く入り混じることとなったのである。
結果、ヒトラー自身もまた、口述筆記で「わが闘争」に書かせたようなことは、
吐き出した途端に自分の中からはゴッソリと抜け落ちてなくなってしまった
とも後年に述べていたという。知識の分類整理が疎かだったりするようならば、
たとえ正論交じりだろうとも水子止まりな見識と化してしまう典型例となったのである。
日本以外のG7大使、長崎の原爆式典を一斉に欠席へ イスラエル不招待を受け
https://news.yahoo.co.jp/articles/f3e89a0b4867f478af354...
これほどにもユダヤとベッタリで一蓮托生な身の上でいながら、
ヒトラーみたいな反意を催そうとも、自滅行為を兼ねることにしかならない。
最低でもキリスト信仰のほうをまず清算しておかねばならないが、それもまた
全くの我流止まりであるようなら、ニーチェのような発狂にも陥りかねない。
近年は信仰心の薄いキリスト教圏の人間なども多かろうとて、それも所詮は、
自己欺瞞への惑溺に酔い痴れるレベルの心境に止まりながらのことでしかなく、
それゆえの政商活動などへの黙認意識などを払拭してかかることも能わない。
マインドセットというもの自体、知恵深くはないようなところである種の低迷と
共に固着してしまいやすい事物であるために、そこからの脱却にもキリスト教の
洗礼を上回る域の徹底的な覚悟を以て取り組まねば済まない所があるものである。
そしてまたそこから、童子の足下を拝む並みの、一からのやり直しに取り組んで
行かねばならぬ。心中に少しでも怠慢の種火がくすぶっていてはいけないのである。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f3e89a0b4867f478af354...
これほどにもユダヤとベッタリで一蓮托生な身の上でいながら、
ヒトラーみたいな反意を催そうとも、自滅行為を兼ねることにしかならない。
最低でもキリスト信仰のほうをまず清算しておかねばならないが、それもまた
全くの我流止まりであるようなら、ニーチェのような発狂にも陥りかねない。
近年は信仰心の薄いキリスト教圏の人間なども多かろうとて、それも所詮は、
自己欺瞞への惑溺に酔い痴れるレベルの心境に止まりながらのことでしかなく、
それゆえの政商活動などへの黙認意識などを払拭してかかることも能わない。
マインドセットというもの自体、知恵深くはないようなところである種の低迷と
共に固着してしまいやすい事物であるために、そこからの脱却にもキリスト教の
洗礼を上回る域の徹底的な覚悟を以て取り組まねば済まない所があるものである。
そしてまたそこから、童子の足下を拝む並みの、一からのやり直しに取り組んで
行かねばならぬ。心中に少しでも怠慢の種火がくすぶっていてはいけないのである。
ただ寝るという行為もまた、シャヴァーサナとか寝禅とかいった形で、
一応は求道行為のうちに数えられることがあるものだけれども、それがまた
「最も簡単だとも、最も難しいともいえる」(ハタヨガの真髄)ともいわれる。
「睡眠の質」なんてものもまた、近年ではわりと重視されているけれども、
特に加齢後にいくら寝ても疲れが取れないなんていう事態に見舞われる
不摂生者が非常に多いのを鑑みるに、十全に疲れを解消できるだけの睡眠を
保ち続けるという所まで行けば、最高難易度の所業であるとも思われるものである。
さらにひどい場合には、睡眠で十分に疲労回復できているわけでもないのに、
そういう睡眠が面白くもない、苦痛であるにかこつけて、寝ることを疎かにし始め、
ショートスリープや極端な早起きが習慣化して、そんな自分を偉いように思い込む。
老い先短くもなれば、寝て余生を過ごすのが勿体ないとなって、さらにその傾向が
増して行く、そういうのはちっとも求道者としての上達に近似するものですらない、
未熟者が年だけ食ってしまったせいでの醜態でしかないというほかない。
>>306に書いたような体の対称性が崩れているせいで睡眠の質が下がるということも
もちろんあるし、その解消のためにはやはり絶大な知恵の深化やその実践を要する。
さような取り組みを重ね抜いた先にのみ会得される、もうそのまま死んでもいい
と思えるほど完璧な睡眠こそは、人間にとっての最終奥義であるとすらいえよう。
一応は求道行為のうちに数えられることがあるものだけれども、それがまた
「最も簡単だとも、最も難しいともいえる」(ハタヨガの真髄)ともいわれる。
「睡眠の質」なんてものもまた、近年ではわりと重視されているけれども、
特に加齢後にいくら寝ても疲れが取れないなんていう事態に見舞われる
不摂生者が非常に多いのを鑑みるに、十全に疲れを解消できるだけの睡眠を
保ち続けるという所まで行けば、最高難易度の所業であるとも思われるものである。
さらにひどい場合には、睡眠で十分に疲労回復できているわけでもないのに、
そういう睡眠が面白くもない、苦痛であるにかこつけて、寝ることを疎かにし始め、
ショートスリープや極端な早起きが習慣化して、そんな自分を偉いように思い込む。
老い先短くもなれば、寝て余生を過ごすのが勿体ないとなって、さらにその傾向が
増して行く、そういうのはちっとも求道者としての上達に近似するものですらない、
未熟者が年だけ食ってしまったせいでの醜態でしかないというほかない。
>>306に書いたような体の対称性が崩れているせいで睡眠の質が下がるということも
もちろんあるし、その解消のためにはやはり絶大な知恵の深化やその実践を要する。
さような取り組みを重ね抜いた先にのみ会得される、もうそのまま死んでもいい
と思えるほど完璧な睡眠こそは、人間にとっての最終奥義であるとすらいえよう。
たとえば、末期ガンの終末期医療などに際しては、
大麻の服用まで徹底的に取り締まられている日本のような国でも、
最強クラスの麻薬であるフェンタニルの服用が公認されているほど、
人が死に臨むに際しての苦痛というものは、往々にして絶大たるものである。
なればこそ、若い頃には「年老いる前に死にたい!」なんて粋がってた者までもが、
保険医療や年金の使い込みででも、生き延びられるものならできる限り生き延びたいとなり、
そのせいで国の財政を傾けて、亡国の危機を招くことすら時には厭わなくなるもの。
見栄を張りたがる小人だらけの世の中ともなれば、自らが心中で本当は死への恐怖に
苦しめられ抜いていることを、表向きには隠し込んでの達観者気取りでいるような者が
多くに上るがために、気付きづらくもなることだが、死の苦しみ、死を意識してしまう苦しみに、
否定派並みかそれ以上に苛まれているものが本当は多数であればこそ、さような事態が招かれる。
健康養生や精神修養その他の嗜みによって、死への恐怖や死の苦しみを解消、
低減させて行くことは、自らと世の中、両方にとっての福祉となる試みであるからには、
保身的だ臆病だなどと決めつけて見下すことなく、誰しもが重んじて行くべきところだといえよう。
大麻の服用まで徹底的に取り締まられている日本のような国でも、
最強クラスの麻薬であるフェンタニルの服用が公認されているほど、
人が死に臨むに際しての苦痛というものは、往々にして絶大たるものである。
なればこそ、若い頃には「年老いる前に死にたい!」なんて粋がってた者までもが、
保険医療や年金の使い込みででも、生き延びられるものならできる限り生き延びたいとなり、
そのせいで国の財政を傾けて、亡国の危機を招くことすら時には厭わなくなるもの。
見栄を張りたがる小人だらけの世の中ともなれば、自らが心中で本当は死への恐怖に
苦しめられ抜いていることを、表向きには隠し込んでの達観者気取りでいるような者が
多くに上るがために、気付きづらくもなることだが、死の苦しみ、死を意識してしまう苦しみに、
否定派並みかそれ以上に苛まれているものが本当は多数であればこそ、さような事態が招かれる。
健康養生や精神修養その他の嗜みによって、死への恐怖や死の苦しみを解消、
低減させて行くことは、自らと世の中、両方にとっての福祉となる試みであるからには、
保身的だ臆病だなどと決めつけて見下すことなく、誰しもが重んじて行くべきところだといえよう。
自分のことを言われた気がしてキレ散らかしてるのか知らんが、🎯
おまえはそんなことはとうの昔に開き直ってるクチではないのか?
まさか、自分が「世の中を支えてる側」だなんて本気で思い込んでる
夢想家なわけでもなく、無職ニートなんかよりもはるかに多くのものを
世の中から奪うことで個人的な富裕を謳歌して来た、その悪党としての
虚栄加減によって俺などにマウントを取ろうと試みてきたのではないのか?
なればこそ、俺もおまえの「医者」という自称が本当である場合を
見越した上でも、心の底からの軽蔑ゴホウビと共に接して来てやったわけだが。
いつの時代にも、その手の部類の匹夫小人が絶えることはなし。
ただそんな人種に絶大な権益を与えすぎてしまっている今の世の中
のほうがゴミ溜めに過ぎるというばかりのことなれば、おまえの虚栄に
殊更な怒りなぞを募らせたりするようなことまでは、ついぞなかったのだがな。
おまえはそんなことはとうの昔に開き直ってるクチではないのか?
まさか、自分が「世の中を支えてる側」だなんて本気で思い込んでる
夢想家なわけでもなく、無職ニートなんかよりもはるかに多くのものを
世の中から奪うことで個人的な富裕を謳歌して来た、その悪党としての
虚栄加減によって俺などにマウントを取ろうと試みてきたのではないのか?
なればこそ、俺もおまえの「医者」という自称が本当である場合を
見越した上でも、心の底からの軽蔑ゴホウビと共に接して来てやったわけだが。
いつの時代にも、その手の部類の匹夫小人が絶えることはなし。
ただそんな人種に絶大な権益を与えすぎてしまっている今の世の中
のほうがゴミ溜めに過ぎるというばかりのことなれば、おまえの虚栄に
殊更な怒りなぞを募らせたりするようなことまでは、ついぞなかったのだがな。
おまえが費やして来たそれらと比べれば微々たるものとて、
別にそれを開き直ることもなく、
「君子は易に居て以て命を待つ(中庸)」
以上の邪侈に及んだ程度のペナルティは受ける所存である。
あまり身に覚えもないがな。
別にそれを開き直ることもなく、
「君子は易に居て以て命を待つ(中庸)」
以上の邪侈に及んだ程度のペナルティは受ける所存である。
あまり身に覚えもないがな。
(>>319の続き)
しこたま稼いで老後に備えたりするよりも、さような取り組みに熱心であるほうが
はるかに世のため人のため自分のため、全てのためになるものだというのに、
大多数の人間から後者を取り上げて、前者ばかりをあてがった資本主義の愚かしさと来たら。
両者は大いに相容れない側面があればこそ、日本も近代以降の資本主義の取り入れに際して、
後者のような生き方の指針を示す仏門などを世の一線から排除せざるをも得なくなったのだった。
資本主義の導入によって得られたものよりも、さような理由で失ったもののほうが大きければこそ、
近代以降の日本社会もまた江戸時代ほどの平和状態も世相の安定も確立できず、部分的には
当時を上回るほどの貧窮までをも招かないではいられないようなあり様でいるのである。
資本主義の発祥元である欧米には、それよりも上等な統治システムなんかがあり得た試しが
ないために、今のイスラエルなんかを支持させられながらでも、それが選択され続けている
わけだけれども、日本などは、人と世をよりうまく治めて行く既存の方法を知っている
国なものだから、今までの歴史から目を背けるのでもなければ、資本主義なんかを
半永久的に堅持したりすることに妥当性のかけらも見出すことができないものである。
しこたま稼いで老後に備えたりするよりも、さような取り組みに熱心であるほうが
はるかに世のため人のため自分のため、全てのためになるものだというのに、
大多数の人間から後者を取り上げて、前者ばかりをあてがった資本主義の愚かしさと来たら。
両者は大いに相容れない側面があればこそ、日本も近代以降の資本主義の取り入れに際して、
後者のような生き方の指針を示す仏門などを世の一線から排除せざるをも得なくなったのだった。
資本主義の導入によって得られたものよりも、さような理由で失ったもののほうが大きければこそ、
近代以降の日本社会もまた江戸時代ほどの平和状態も世相の安定も確立できず、部分的には
当時を上回るほどの貧窮までをも招かないではいられないようなあり様でいるのである。
資本主義の発祥元である欧米には、それよりも上等な統治システムなんかがあり得た試しが
ないために、今のイスラエルなんかを支持させられながらでも、それが選択され続けている
わけだけれども、日本などは、人と世をよりうまく治めて行く既存の方法を知っている
国なものだから、今までの歴史から目を背けるのでもなければ、資本主義なんかを
半永久的に堅持したりすることに妥当性のかけらも見出すことができないものである。
世界中の国々に、資本主義側について金満の腐敗に明け暮れるか、敵に回して戦乱や極貧に
見舞われるかの二者択一が強いられている反SDGsたけなわな現状においては、どちらを選んでも
どっちもどっちという所もあるけれども、それ以上たることが人類にとっていくらでも可能である
証拠材料が山積しているのが全人類にとっての真実なれば、そこに永続性などを認められることはない。
そこでヒトラーやニーチェのような、精神面から西洋文化側にドップリ浸かり切ったままでいる
人間が新たな時代を切り開く主導者になれることもないにしろ、別にそんな人間しかいない
わけでもない。非常に低い立場や境遇に追い込まれていることも多かれど、それは不遇に
追い込まれていた頃の高祖劉邦や頼朝公、家康公などでも変わらなかったことだし、
浮雲なみに儚い富貴の如何などで、見込みの有無などを判断すべき余地などもないものだ。
見舞われるかの二者択一が強いられている反SDGsたけなわな現状においては、どちらを選んでも
どっちもどっちという所もあるけれども、それ以上たることが人類にとっていくらでも可能である
証拠材料が山積しているのが全人類にとっての真実なれば、そこに永続性などを認められることはない。
そこでヒトラーやニーチェのような、精神面から西洋文化側にドップリ浸かり切ったままでいる
人間が新たな時代を切り開く主導者になれることもないにしろ、別にそんな人間しかいない
わけでもない。非常に低い立場や境遇に追い込まれていることも多かれど、それは不遇に
追い込まれていた頃の高祖劉邦や頼朝公、家康公などでも変わらなかったことだし、
浮雲なみに儚い富貴の如何などで、見込みの有無などを判断すべき余地などもないものだ。
バングラディシュが度重なる暴動からの首相国外逃亡で、国家破綻の様相。
数年前にも似たようなことが起きていたが、この国はただでさえ人口密度が高い
日本のさらに4倍以上の密度とかいう、世界最悪の人口過密国家。
それがたびたびこんな事態を招いているのは、
これが人口過剰で人間社会が破綻に陥る初の事例だからなのだろうとも思われる。
未だに人口爆発が収まる気配も見せないすべての人類社会にとっての、
薄暗い未来絵図。逆に移民抜きでは人口減少に陥っている資本主義国などにとっては
高みの見物なんて話ではなく、こういう世界に自分たちまで呑み込まれて行くというのみ。
パンデミックでも核戦争でも、世界人口を削減するとまでの効果を持ち合わせる
ようなことまではなく、ただそこにより一層の荒廃という拍車をかけるのみとなる。
資本主義国や富裕層が、世界中の大多数の人々から巨万の富を奪い去り、
土人状態以上の苦難を強いているという現状からの脱却がないことには、
そこへの報復攻撃としての人口爆発による破綻が収まることも決してないのである。
数年前にも似たようなことが起きていたが、この国はただでさえ人口密度が高い
日本のさらに4倍以上の密度とかいう、世界最悪の人口過密国家。
それがたびたびこんな事態を招いているのは、
これが人口過剰で人間社会が破綻に陥る初の事例だからなのだろうとも思われる。
未だに人口爆発が収まる気配も見せないすべての人類社会にとっての、
薄暗い未来絵図。逆に移民抜きでは人口減少に陥っている資本主義国などにとっては
高みの見物なんて話ではなく、こういう世界に自分たちまで呑み込まれて行くというのみ。
パンデミックでも核戦争でも、世界人口を削減するとまでの効果を持ち合わせる
ようなことまではなく、ただそこにより一層の荒廃という拍車をかけるのみとなる。
資本主義国や富裕層が、世界中の大多数の人々から巨万の富を奪い去り、
土人状態以上の苦難を強いているという現状からの脱却がないことには、
そこへの報復攻撃としての人口爆発による破綻が収まることも決してないのである。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1721873492...
こっちのスレでそれなりに述べて来たことだが。
(聞く耳持たない詭弁論者が占拠中なのでこちらに書くが)
人間社会には、古来から奴隷制という支配制度が広く存在していて、
日本では鎌倉時代に、世界ではおおむね19~20世紀ごろに制度上は廃止
されて今に至っているものの、未だに奴隷に対するのと同レベルかそれ以上な、
民衆への奴隷的待遇というものがまま横行しているのが実情である。
それこそが、人間という生き物に対して土人状態以上の苦役を強いる
所業となっているがために、人口爆発や少子化のような人口動態の
不全化をも世界中にもたらす、最たる元凶となっているものである。
元来が、朝廷の奴隷として生じた身分である武家が、自分たちの尊厳を守るために、
武家政権の擁立とほぼ同時に奴隷制を廃止し、その後も奴隷的使役をなるべく
低減させて行くことに尽力し、後期の江戸時代ともなれば、そのお武家様の
装束に習って誰しもが髷を結うようにまでなった。そんな武家時代の完成形たる
江戸時代の人口動態が極めて安定していたのとは、真逆の状態にあるのが今である。
こっちのスレでそれなりに述べて来たことだが。
(聞く耳持たない詭弁論者が占拠中なのでこちらに書くが)
人間社会には、古来から奴隷制という支配制度が広く存在していて、
日本では鎌倉時代に、世界ではおおむね19~20世紀ごろに制度上は廃止
されて今に至っているものの、未だに奴隷に対するのと同レベルかそれ以上な、
民衆への奴隷的待遇というものがまま横行しているのが実情である。
それこそが、人間という生き物に対して土人状態以上の苦役を強いる
所業となっているがために、人口爆発や少子化のような人口動態の
不全化をも世界中にもたらす、最たる元凶となっているものである。
元来が、朝廷の奴隷として生じた身分である武家が、自分たちの尊厳を守るために、
武家政権の擁立とほぼ同時に奴隷制を廃止し、その後も奴隷的使役をなるべく
低減させて行くことに尽力し、後期の江戸時代ともなれば、そのお武家様の
装束に習って誰しもが髷を結うようにまでなった。そんな武家時代の完成形たる
江戸時代の人口動態が極めて安定していたのとは、真逆の状態にあるのが今である。
自分たち自身がほとんど生産を担わなくなった資本主義の富裕国でも、
莫大な生産を担わされている貧国でも、とかく何かと理由をつけて人々に奴隷級の
苛烈な労役を課し、心身ともなる極度の疲弊状態に追い込むことが常態化している。
富裕国ではそれが人々の子を産み育てる意欲を損ね、貧国では逆に過剰化させる。
人間という生き物に対して人間未満、モノやモノ以下の扱いを繰り返すという、
悪行の無理が祟っての、自業自得での破綻に見舞われている点では全く共通すること。
土人社会にしろ、江戸時代のようなそれなりに発展しながらも、文明水準が
今ほどではなかった時代の人間社会にしろ、今以上に飢饉や疫病、天災などの
外的な苦難に直面して大きな被害を受けることはそれなりにあったわけだけれども。
今の人間社会が「奴隷的使役の蔓延による破綻」という人災に見舞われることで
苦しめられている度合いもそれと同等か、場合によってはそれ以上たるものである。
文明発展が人間社会を昔以上に幸福にさせられない、挙句には致命的な破綻を招く
元凶にまでなるのならば、もはや無用の長物というほかないのであり、さような状態にある、
人災ありきで発展を続けて行く暴挙にまではいい加減、終止符を打たねばならないのである。
莫大な生産を担わされている貧国でも、とかく何かと理由をつけて人々に奴隷級の
苛烈な労役を課し、心身ともなる極度の疲弊状態に追い込むことが常態化している。
富裕国ではそれが人々の子を産み育てる意欲を損ね、貧国では逆に過剰化させる。
人間という生き物に対して人間未満、モノやモノ以下の扱いを繰り返すという、
悪行の無理が祟っての、自業自得での破綻に見舞われている点では全く共通すること。
土人社会にしろ、江戸時代のようなそれなりに発展しながらも、文明水準が
今ほどではなかった時代の人間社会にしろ、今以上に飢饉や疫病、天災などの
外的な苦難に直面して大きな被害を受けることはそれなりにあったわけだけれども。
今の人間社会が「奴隷的使役の蔓延による破綻」という人災に見舞われることで
苦しめられている度合いもそれと同等か、場合によってはそれ以上たるものである。
文明発展が人間社会を昔以上に幸福にさせられない、挙句には致命的な破綻を招く
元凶にまでなるのならば、もはや無用の長物というほかないのであり、さような状態にある、
人災ありきで発展を続けて行く暴挙にまではいい加減、終止符を打たねばならないのである。
不動産系の話には、何か身に覚えでもあったかな?
このスレの主題で話したいようなことは一通り話したし、
もうそんなに俺のレスだけで満たさせようなんてせいでもなのにな。
よほど恥ずかしくて消さないではいられないようなレスばかりなのだと見える。
このスレの主題で話したいようなことは一通り話したし、
もうそんなに俺のレスだけで満たさせようなんてせいでもなのにな。
よほど恥ずかしくて消さないではいられないようなレスばかりなのだと見える。
そんなばかりの話ではないが、それも間違いではないな。
「道は近きにあり、しかるにこれを遠きに求む。
事は易きにあり、しかるにこれを難きに求む。(人の悪癖)
めいめいその親を親とし、その長を長とす、しかれば天下平らかなり」
(「孟子」離婁上)
正直たることも特別に難しいことだなどとは考えずに、
むしろそれこそを楽しむぐらいの心意気たれ、ともいえようぞ。
自己欺瞞への惑溺からの脱却が、その前に必要だとはいえ
「道は近きにあり、しかるにこれを遠きに求む。
事は易きにあり、しかるにこれを難きに求む。(人の悪癖)
めいめいその親を親とし、その長を長とす、しかれば天下平らかなり」
(「孟子」離婁上)
正直たることも特別に難しいことだなどとは考えずに、
むしろそれこそを楽しむぐらいの心意気たれ、ともいえようぞ。
自己欺瞞への惑溺からの脱却が、その前に必要だとはいえ
なんだと、笠地蔵のスレが6つだと!
ちゃんと始末しろ、だらしないやつめ!
ちゃんと始末しろ、だらしないやつめ!
誰が保守ageなんて頼んだよ?
アンチに蠅取り紙にされてしまったスレもあるというのに。
まあ、くんぬちんのスレぐらいは、
板トップに花を添えるぐらいのつもりで上げてくれてもいいとは思うがな。🌻🤗
アンチに蠅取り紙にされてしまったスレもあるというのに。
まあ、くんぬちんのスレぐらいは、
板トップに花を添えるぐらいのつもりで上げてくれてもいいとは思うがな。🌻🤗
おまえが上げるのをやめればいいだけなのを、何をほざくか。
そうやって自分たちの罪過を人に擦り付けるのも、
大昔からのおまえらの手口でもあったことだし、
そこに「山のように動かず」からの責任放棄一点張りで来たのもまた、
あの手にはこの手という適材適所の戦法なばかりであったものよ。
そこから俺が怠け者だの、責任意識に欠けるだのと
思い込んでくれたとしても、それもまた思う壺ではあるにしろ、
そこにそうであると断じるだけの証拠なども何もなかったわけで、
そうだと思い込んだ検討誤りがおまえらの身の滅ぼすのだろうとも、
それもまたさもありなん、という範囲のことでしかないといえるわけだ。
そうやって自分たちの罪過を人に擦り付けるのも、
大昔からのおまえらの手口でもあったことだし、
そこに「山のように動かず」からの責任放棄一点張りで来たのもまた、
あの手にはこの手という適材適所の戦法なばかりであったものよ。
そこから俺が怠け者だの、責任意識に欠けるだのと
思い込んでくれたとしても、それもまた思う壺ではあるにしろ、
そこにそうであると断じるだけの証拠なども何もなかったわけで、
そうだと思い込んだ検討誤りがおまえらの身の滅ぼすのだろうとも、
それもまたさもありなん、という範囲のことでしかないといえるわけだ。
打ち克つべき悪魔、乗り越えるべき試練ーー
なりたくてなるような立場なわけもないし、
まあ口車に載せられて、いつの間にか成り果てていたのだろうが。
その口車が甘い言葉だったからといって、責任者に怒りを向けることができず、
いま眼前でキツい言葉を述べているからといって、俺への憎悪ばかりを募らせる。
なんていう、カルト洗脳級の迷妄から抜け出せないままである以上は、
おまえ自身もまた隔離病棟行きあたりが至適な廃人であるのにも違いないし、
もはや俺が直接、救いの手を差し伸べてどうこう、なんていう段階にはないな。
いつから手遅れだったものか、始めからだろうかな?
なりたくてなるような立場なわけもないし、
まあ口車に載せられて、いつの間にか成り果てていたのだろうが。
その口車が甘い言葉だったからといって、責任者に怒りを向けることができず、
いま眼前でキツい言葉を述べているからといって、俺への憎悪ばかりを募らせる。
なんていう、カルト洗脳級の迷妄から抜け出せないままである以上は、
おまえ自身もまた隔離病棟行きあたりが至適な廃人であるのにも違いないし、
もはや俺が直接、救いの手を差し伸べてどうこう、なんていう段階にはないな。
いつから手遅れだったものか、始めからだろうかな?
嘘つき野郎
詐欺師!!
嘘つきウザ
虚言癖!!
詐欺!!!!!
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