時代が進んでも日本人が長い間持ち続けてきた米信仰の意識はいまだに根強く、
生産農家も消費者も米に対しては特別の思いがあるようです。
平成5~6年に起こった冷夏による米の不作に対して消費者は過剰反応を起こし、
政府も外国米輸入の道を開かざるを得なかったのも国民の米へのこだわりからです。
一方、長い間忌避されてきた肉の消費量は、戦後の国民経済の発展と
食の洋風化に伴い急速に拡大し、今では年間一人45kgまで高まっています。
しかし、これだけ肉食が一般化しても、家畜の屠殺や血に対する穢れ意識は強く、
欧米や中国のように豚の頭が店頭に並んだり鳥がぶら下がっている光景は日本では
避けられています。
外国で栄養豊かとして店頭に並ぶ「血液」も、日本では目にすることはありません。
家庭の中でも子供たちが、お米を作ってくれたお百姓さんに感謝の手を合わすことがあっても、
牛肉を作るために牛を殺してくれた人に感謝をする姿はありません。
まだまだ日本人の意識の中には米信仰と肉にたいする穢れ意識が生き続けているのです。
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