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正直であることは楽しい 偉大なる生存の報告 Part319
▼ページ最下部
ここにいる一部の連中などからすれば、
正直であることは堅苦しいこと、嘘偽りでもなんでもやり放題のほうが
楽しいことのように思われたりもするようだけれども、むしろ逆。
正直であることで、自らの思考回路から矛盾性が排されることにより、
同時に考えると破綻があらわになるような矛盾情報同士の断片化がなくなり、
デフラグの行き届いたHDDが快適に動作するのと同じように、頭でいろいろと
ものを考えることがどこまでもストレスフリーでいられるようになる。
まずそれが楽しい。
正直を尽くすことで断片化を極力排し、それにより
ストレージとしての空き容量を十分に確保した状態の思考回路は、
何かを思い出したりすることもまた容易たり、まるでRAID構築された
複数のHDDのうちの一つが故障して読み取り不能になろうとも、その他の
ディスクの分散パリティからすべての損失情報をリビルドできるのと同じように、
一度忘れてしまった記憶の復元による思い出しもまた容易となる。
それがまた楽しい。
マインドフルネスとかいうのは、なにか神秘的な意味合いを持ち合わせた話の
ように思いこまれている節があるけれども、そういった即物的な観点に即した
説明が可能な範疇の話でもあることだし(もちろんそれだけではないのだが)、
そのための手段もただ正直であったりするような、ごく身近なものだったりも
するわけで、敬遠して全く心がけもしない正当性なども基本ないのである。
正直であることは堅苦しいこと、嘘偽りでもなんでもやり放題のほうが
楽しいことのように思われたりもするようだけれども、むしろ逆。
正直であることで、自らの思考回路から矛盾性が排されることにより、
同時に考えると破綻があらわになるような矛盾情報同士の断片化がなくなり、
デフラグの行き届いたHDDが快適に動作するのと同じように、頭でいろいろと
ものを考えることがどこまでもストレスフリーでいられるようになる。
まずそれが楽しい。
正直を尽くすことで断片化を極力排し、それにより
ストレージとしての空き容量を十分に確保した状態の思考回路は、
何かを思い出したりすることもまた容易たり、まるでRAID構築された
複数のHDDのうちの一つが故障して読み取り不能になろうとも、その他の
ディスクの分散パリティからすべての損失情報をリビルドできるのと同じように、
一度忘れてしまった記憶の復元による思い出しもまた容易となる。
それがまた楽しい。
マインドフルネスとかいうのは、なにか神秘的な意味合いを持ち合わせた話の
ように思いこまれている節があるけれども、そういった即物的な観点に即した
説明が可能な範疇の話でもあることだし(もちろんそれだけではないのだが)、
そのための手段もただ正直であったりするような、ごく身近なものだったりも
するわけで、敬遠して全く心がけもしない正当性なども基本ないのである。
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「一を聞いて十を知る(公冶長第五・八)」の語源となった顔回は、
孔門の中でも修行級の勉学に打ち込み続けていたことから、
孔子にも第一の弟子と認められていた達者なわけであるが。
それほどもの勉学の積み重ねによって、大脳前頭葉に膨大な
RAID構築系の分類整理が行き届いたマインドセットが蓄積されていたわけ。
そのためにただ一つ新しいことを聞いただけでも、それを最後の1ピースと
した場合のパズルを脳内で瞬時に十個完成させてしまえるような域にあったということ。
子貢もまた孔子の高弟の一人に数えられる身ではあったものの、
顔回よりもはるかに社交的で、投機であぶく銭を稼いで孔子に咎められるような
身の上でもあったことから、勉学による長期記憶のRAID構築は顔回に大きく劣り、
一つのことを聞いただけでは、せいぜい二つのパズルを脳内で完成させるのがやっとだった。
草むらに石を投げたら、元あった石に当たってカチンと鳴った瞬間に
悟りを拓いたとかいう禅の逸話なども、それと同類なパズルの完成例であるし、
なおかつそれが仏の悟りにも通じることがあるとされる実例にもなっている。
いずれにしろ、長期記憶のRAID構築はおろか、デフラグすらおろそかに
しているような現代人のほとんどにとって縁遠すぎる話であるのには違いない。
孔門の中でも修行級の勉学に打ち込み続けていたことから、
孔子にも第一の弟子と認められていた達者なわけであるが。
それほどもの勉学の積み重ねによって、大脳前頭葉に膨大な
RAID構築系の分類整理が行き届いたマインドセットが蓄積されていたわけ。
そのためにただ一つ新しいことを聞いただけでも、それを最後の1ピースと
した場合のパズルを脳内で瞬時に十個完成させてしまえるような域にあったということ。
子貢もまた孔子の高弟の一人に数えられる身ではあったものの、
顔回よりもはるかに社交的で、投機であぶく銭を稼いで孔子に咎められるような
身の上でもあったことから、勉学による長期記憶のRAID構築は顔回に大きく劣り、
一つのことを聞いただけでは、せいぜい二つのパズルを脳内で完成させるのがやっとだった。
草むらに石を投げたら、元あった石に当たってカチンと鳴った瞬間に
悟りを拓いたとかいう禅の逸話なども、それと同類なパズルの完成例であるし、
なおかつそれが仏の悟りにも通じることがあるとされる実例にもなっている。
いずれにしろ、長期記憶のRAID構築はおろか、デフラグすらおろそかに
しているような現代人のほとんどにとって縁遠すぎる話であるのには違いない。
RAIDが一種の情報の断片化であることはとっくに認めているのに。
人の話も聞かずに、あるいは聞いても理解できずに、
すでに存在しない敵を相手にしたお人形遊びの戦いごっこを続ける始末。
もはや十を聞いて一ほども知ることがない域にある。
よく「単細胞」などといわれる、
思考回路のキャパシティが低すぎて、人と話していても、
すぐに考えが井の中の蛙状態へと化してしまう部類の人間。
そういう人間の多くは自らの頭の悪さを自覚して、
自分でもわかる並みに話の情報量を下げてくれるよう相手にお願い
したりするものだけれども。こいつなぞはその自覚もないものだから、
相手と対等以上のつもりでの物言いを試みての幼稚なお人形遊びに至ってしまう。
そのせいで、頭の悪さを自覚する者ほどにも分かり合える余地がない。
なんなら躾けの行き届いた犬猫ほどにも。哀しき人間ならではの痴態よ。
人の話も聞かずに、あるいは聞いても理解できずに、
すでに存在しない敵を相手にしたお人形遊びの戦いごっこを続ける始末。
もはや十を聞いて一ほども知ることがない域にある。
よく「単細胞」などといわれる、
思考回路のキャパシティが低すぎて、人と話していても、
すぐに考えが井の中の蛙状態へと化してしまう部類の人間。
そういう人間の多くは自らの頭の悪さを自覚して、
自分でもわかる並みに話の情報量を下げてくれるよう相手にお願い
したりするものだけれども。こいつなぞはその自覚もないものだから、
相手と対等以上のつもりでの物言いを試みての幼稚なお人形遊びに至ってしまう。
そのせいで、頭の悪さを自覚する者ほどにも分かり合える余地がない。
なんなら躾けの行き届いた犬猫ほどにも。哀しき人間ならではの痴態よ。
「人間の脳については、まず断片化情報のデフラグ的な手続きを
踏んでおくのでないと、RAID構築のような分類整理の段階に入れない」
と、>>2-3の時点ですでに断っている。
なぜかを察するのも容易なこと。
HDDによるRAIDは>>5画のように、複数の個別のディスクを用いるために
情報の振り分けが容易だけれども、脳の場合は始めから個別の記憶領域が存在
するわけではないから、脳内にまず仮想ディスクを複数組むような手続きを必要とする。
HDDのような二次元構造の記録媒体でそのような真似を試みても大した効果はないが、
脳のニューロンネットワークは三次元構造だから、それが複数のHDDによるRAIDのような高速化にも寄与する。
しかしその、脳内に複数の仮想ディスクを構成する用意のために、脳の記憶領域全体への
断片化情報の散逸を処理しておくのでなければならない。HDDでRAIDを組む場合にも一度は
フォーマットで記録をリセットする必要があるが、それと同じように、脳に空っぽな領域を作って、
そこに仮想ディスクを組むことしか脳もできない。故におもちゃが散乱した部屋状態のままではいけないのだ。
踏んでおくのでないと、RAID構築のような分類整理の段階に入れない」
と、>>2-3の時点ですでに断っている。
なぜかを察するのも容易なこと。
HDDによるRAIDは>>5画のように、複数の個別のディスクを用いるために
情報の振り分けが容易だけれども、脳の場合は始めから個別の記憶領域が存在
するわけではないから、脳内にまず仮想ディスクを複数組むような手続きを必要とする。
HDDのような二次元構造の記録媒体でそのような真似を試みても大した効果はないが、
脳のニューロンネットワークは三次元構造だから、それが複数のHDDによるRAIDのような高速化にも寄与する。
しかしその、脳内に複数の仮想ディスクを構成する用意のために、脳の記憶領域全体への
断片化情報の散逸を処理しておくのでなければならない。HDDでRAIDを組む場合にも一度は
フォーマットで記録をリセットする必要があるが、それと同じように、脳に空っぽな領域を作って、
そこに仮想ディスクを組むことしか脳もできない。故におもちゃが散乱した部屋状態のままではいけないのだ。
>>2画に即して考えるなら。
デフラグが行き届いた状態のディスクだと、1~4のような仮想ディスクを
組んだ上でのRAID構築が可能となるが、デフラグ前だとこうはいかない。
二次元の円盤状のディスク記録でこんなことをやっても高速化は見込めないが、
ニューロンネットワークは三次元構造だから、複数の円盤状のHDDを用いた
RAIDなどと同様な高速化や高信頼化を実現することが出来る。
(ニューロンが平面上の記憶構造を複数積層させることも物理的に可能なため)
脳に断片化情報が散らばっていたりしない空白領域があればこそ可能となるし、
なおかつイエスへの信仰とバラバの被害者への配慮みたいな、論理的に隣接し得ない
断片化情報同士が少なくて、記憶情報の移設が自在であればこそ務まることでもある。
デフラグが行き届いた状態のディスクだと、1~4のような仮想ディスクを
組んだ上でのRAID構築が可能となるが、デフラグ前だとこうはいかない。
二次元の円盤状のディスク記録でこんなことをやっても高速化は見込めないが、
ニューロンネットワークは三次元構造だから、複数の円盤状のHDDを用いた
RAIDなどと同様な高速化や高信頼化を実現することが出来る。
(ニューロンが平面上の記憶構造を複数積層させることも物理的に可能なため)
脳に断片化情報が散らばっていたりしない空白領域があればこそ可能となるし、
なおかつイエスへの信仰とバラバの被害者への配慮みたいな、論理的に隣接し得ない
断片化情報同士が少なくて、記憶情報の移設が自在であればこそ務まることでもある。
ただの脳内での断片化情報の散逸と、RAID構築のための分類整理が
同じものだと思い込んでしまった見当違いから未だに抜け出せないでいるせいで、
おまえ自身が話に付いて行くことができなくなってしまっているだけ。
ヒスおばあたりには極めてありがちな、強情すぎて君子豹変の逆を行く様相。
まるで暴走列車が止まって逆方向へと引き換えし始めたりするのと同じように、
過ちを反省して改めること全般があまりにも重労働の苦役となるために、
もう何も改めたりせずにどこまででも突っ走り続けたい思いばかりでいる。
いちいち全ての考えに無駄な思いがこもり過ぎている状態。
どうしてそうなってしまうのかも大体もう検討済みではあるがな。
同じものだと思い込んでしまった見当違いから未だに抜け出せないでいるせいで、
おまえ自身が話に付いて行くことができなくなってしまっているだけ。
ヒスおばあたりには極めてありがちな、強情すぎて君子豹変の逆を行く様相。
まるで暴走列車が止まって逆方向へと引き換えし始めたりするのと同じように、
過ちを反省して改めること全般があまりにも重労働の苦役となるために、
もう何も改めたりせずにどこまででも突っ走り続けたい思いばかりでいる。
いちいち全ての考えに無駄な思いがこもり過ぎている状態。
どうしてそうなってしまうのかも大体もう検討済みではあるがな。
納得のいく返答だったかどうかはともかくとして、
俺はおまえのその誤解混じりな物言いへの弁解を試みた。
そうであること自体が分からないというのだから、
おまえ自身にそもそも十分な読解力がないということだ。
「もうちょっと馬鹿でもわかるような説明お願いしますm(_ _)m💦」
というのならともかく、自らの読解力の低さのほうを棚に上げて、
「こちらの話に答えていない!」などと言い張られるんじゃあ、
もうお話にもならないよ。歩み寄って理解し合おうという気すらないんだから。
俺はおまえのその誤解混じりな物言いへの弁解を試みた。
そうであること自体が分からないというのだから、
おまえ自身にそもそも十分な読解力がないということだ。
「もうちょっと馬鹿でもわかるような説明お願いしますm(_ _)m💦」
というのならともかく、自らの読解力の低さのほうを棚に上げて、
「こちらの話に答えていない!」などと言い張られるんじゃあ、
もうお話にもならないよ。歩み寄って理解し合おうという気すらないんだから。
レスバック?
ブラウザバックの間違い?
馬鹿でも分かるような説明を、礼儀作法の内に入れるような世の中は、
馬鹿に支配され続けているのにも違いないことだし、
そりゃ若者たちも礼儀なんて糞喰らえということになってしまうわな。
別にそれで礼法一般の価値が否定されるわけでもなく。
ブラウザバックの間違い?
馬鹿でも分かるような説明を、礼儀作法の内に入れるような世の中は、
馬鹿に支配され続けているのにも違いないことだし、
そりゃ若者たちも礼儀なんて糞喰らえということになってしまうわな。
別にそれで礼法一般の価値が否定されるわけでもなく。
AIが看破できる程度の話しか理解できない。
まさにAI時代に取り残されて行く部類の典型的な旧人類だな。
まさにAI時代に取り残されて行く部類の典型的な旧人類だな。
そもそも、自らの前頭葉に収容された長期記憶に、
>>19で挙げたような矛盾情報の断片化状態での散逸が多いようなら、
脳記憶のデフラグだRAID構築だどころではなくなってしまう上に、
長期記憶からいろいろと情報を取り出したりすること全般までもが億劫になり、
なるべく側頭葉の短期記憶処理だけで何もかもを済ませたい性向ともなってしまう。
イエスへの信仰と、バラバの被害者への配慮などを同時に長期記憶から
取り出すことはできないために、まるでモノフォニックシンセサイザーのように
単一の情報しか同時に処理することができないことが多くなり、物事への多面的、
重層的な分析思考などもまともに務まらないようになってしまう。
モノフォニックシンセサイザーは、同時に複数の音が出せるポリフォニックな
シンセサイザーよりも音の厚みが増すという特徴があるために、今でもあえて好んで
用いる演奏者などが多く、そのための機能を持たせたシンセなどもあるわけだが、それは
人間でいえば、剣振り修行や農作業や念仏のような限られた業務を熱心にこなすための、
情報処理の多様化の故意なシャットダウンを脳に課するような状態に該当する。
しかしそれは、あくまで一つの手段としてなら有意義たるというだけのもので、
長期記憶に矛盾が多いせいでモノフォニックにしかものが考えられない愚か者などとは
全くわけが違い、前者は生きる充実を大いに享受する一方、後者は生きる苦しみに
苛まれてばかりでしかいられないぐらいの、雲泥の差が生ずるものである。
>>19で挙げたような矛盾情報の断片化状態での散逸が多いようなら、
脳記憶のデフラグだRAID構築だどころではなくなってしまう上に、
長期記憶からいろいろと情報を取り出したりすること全般までもが億劫になり、
なるべく側頭葉の短期記憶処理だけで何もかもを済ませたい性向ともなってしまう。
イエスへの信仰と、バラバの被害者への配慮などを同時に長期記憶から
取り出すことはできないために、まるでモノフォニックシンセサイザーのように
単一の情報しか同時に処理することができないことが多くなり、物事への多面的、
重層的な分析思考などもまともに務まらないようになってしまう。
モノフォニックシンセサイザーは、同時に複数の音が出せるポリフォニックな
シンセサイザーよりも音の厚みが増すという特徴があるために、今でもあえて好んで
用いる演奏者などが多く、そのための機能を持たせたシンセなどもあるわけだが、それは
人間でいえば、剣振り修行や農作業や念仏のような限られた業務を熱心にこなすための、
情報処理の多様化の故意なシャットダウンを脳に課するような状態に該当する。
しかしそれは、あくまで一つの手段としてなら有意義たるというだけのもので、
長期記憶に矛盾が多いせいでモノフォニックにしかものが考えられない愚か者などとは
全くわけが違い、前者は生きる充実を大いに享受する一方、後者は生きる苦しみに
苛まれてばかりでしかいられないぐらいの、雲泥の差が生ずるものである。
昔、メルギブソンがキリストの受難劇を「パッション」という名で映画化して、
それを観たアメリカのキリスト教徒がショック死したなんてこともあったものだが。
キリスト教徒が、己が信仰のせいでモノフォニックにしか物を考えられなくなった結果、
常に過剰なパッションと共にしか何事も考えることができなくなっているのも事実で、
それ故にアカデミー賞でのウィルスミスのビンタ事件などでも、当人のほうにも
そうせざるを得なかった事情があることなどにまで、繊細な配慮を利かせる
ことができない人間が多くに上っていたりもしたのである。
ここ数日ここで俺に絡んで来てるどこぞやの誰かも、キリスト教徒かどうかまでは知らないが、
それと同等な思考のモノフォニックさや、そうでしかいられないパッションの過剰さに
常日頃から囚われ続けているものだから、多面的、重層的な意味合いを帯びた
俺の物言いなどを聞いたところで、十を聞いて一を知れるかも怪しいようなザマでいる。
そういうのが、思考がモノフォニックでしかいられない人種ならではの陰惨さたる。
単純作業への打ち込みのためなどの、必要に応じてモノフォニック思考を選択する
人間にはそんな障壁はないわけで、故に両者がわずかほどに似通うことすらないのである。
それを観たアメリカのキリスト教徒がショック死したなんてこともあったものだが。
キリスト教徒が、己が信仰のせいでモノフォニックにしか物を考えられなくなった結果、
常に過剰なパッションと共にしか何事も考えることができなくなっているのも事実で、
それ故にアカデミー賞でのウィルスミスのビンタ事件などでも、当人のほうにも
そうせざるを得なかった事情があることなどにまで、繊細な配慮を利かせる
ことができない人間が多くに上っていたりもしたのである。
ここ数日ここで俺に絡んで来てるどこぞやの誰かも、キリスト教徒かどうかまでは知らないが、
それと同等な思考のモノフォニックさや、そうでしかいられないパッションの過剰さに
常日頃から囚われ続けているものだから、多面的、重層的な意味合いを帯びた
俺の物言いなどを聞いたところで、十を聞いて一を知れるかも怪しいようなザマでいる。
そういうのが、思考がモノフォニックでしかいられない人種ならではの陰惨さたる。
単純作業への打ち込みのためなどの、必要に応じてモノフォニック思考を選択する
人間にはそんな障壁はないわけで、故に両者がわずかほどに似通うことすらないのである。
都知事選は、現職が負けたことがない基本法則からも小池が当選したけれども、
その次に来たのが野党推薦の蓮舫ではなく、統一教会からの裏の支援が発覚した石丸。
魑魅と魍魎の争いな上に、今現在もっともやり玉に挙げられているような連中こそが、
未だに最大級の強勢さでいるのも、選挙政治というもの全体が、統一教会のごとき
キリスト教系カルトが得意とするようなモノフォニックの独裁に完全に取り込まれているからだ。
そもそもが、選挙政治全体が集団ヒステリー的な様相を帯びていて、そのためにヒステリー
傾向という点で特に秀でるおばさんあたりが主導権を得、そのおばさんたちをカルトや
カルト的レディーファーストで誑し込んでいる連中こそが絶対安定多数の勝利者たる
というのは前スレなどでも論じて来たことだけれども。その集団ヒステリーのせいで、
モノフォニックな思考しか誰しもができなくなった結果、勝敗が決するというのがその委細でもある。
念仏や座禅のような、モノフォニック志向を部分的に尊んでいる仏門宗派といえども、
浄土真宗本願寺派「こっちはなんも問題ないからさっさと統一教会を解散させえ」
臨済宗妙心寺派「あんな連中が取り入っているうちはこちらも政治参画なんかできん」
と共同通信のアンケートで述べていた通り、モノフォニック志向に否応なく囚われてしまって
いるような集団ヒステリー界隈では、モノフォニック志向を善用する流派ですら介入のしようがない。
その次に来たのが野党推薦の蓮舫ではなく、統一教会からの裏の支援が発覚した石丸。
魑魅と魍魎の争いな上に、今現在もっともやり玉に挙げられているような連中こそが、
未だに最大級の強勢さでいるのも、選挙政治というもの全体が、統一教会のごとき
キリスト教系カルトが得意とするようなモノフォニックの独裁に完全に取り込まれているからだ。
そもそもが、選挙政治全体が集団ヒステリー的な様相を帯びていて、そのためにヒステリー
傾向という点で特に秀でるおばさんあたりが主導権を得、そのおばさんたちをカルトや
カルト的レディーファーストで誑し込んでいる連中こそが絶対安定多数の勝利者たる
というのは前スレなどでも論じて来たことだけれども。その集団ヒステリーのせいで、
モノフォニックな思考しか誰しもができなくなった結果、勝敗が決するというのがその委細でもある。
念仏や座禅のような、モノフォニック志向を部分的に尊んでいる仏門宗派といえども、
浄土真宗本願寺派「こっちはなんも問題ないからさっさと統一教会を解散させえ」
臨済宗妙心寺派「あんな連中が取り入っているうちはこちらも政治参画なんかできん」
と共同通信のアンケートで述べていた通り、モノフォニック志向に否応なく囚われてしまって
いるような集団ヒステリー界隈では、モノフォニック志向を善用する流派ですら介入のしようがない。
[YouTubeで再生]
たとえば、一向専修念仏の浄土門といえども、
自分たちが仏辺とはまた別個な衆生辺からの仏道への傾倒に
取り組んでいるといった分別を持ち合わせている。
その故に、念仏という取り組み自体がモノフォニックだろうとも、
総体としては二次以上のポリフォニックさを帯びた姿勢となっている。
思考がポリフォニックであるということは、
モノフォニックの強情さに囚われている愚か者やカルト信者などからすれば、
ただひたすらつまらなくて億劫なことのようにしか思われないわけだが、
実際にはそのような多面的、重層的な思考形式の中に、
まるでコーラスやアンサンブルのような独自の趣向を凝らすことで、
それこそを楽しむことが可能なものである。
もちろんその中にソロパートなんかも織り交ぜて、
モノフォニックならではの情念の厚みなぞをハイライト化することも
可能なわけで、別にポリフォニックでしかあってはいけないわけではない。
人間の思考形式というものは畢竟、そこで自由自在さを極めるわけで、
その楽しみの前では、モノフォニックでしかいられない不自由さも、
完全に過去の遺物と化してしまうわけである。
たとえば、一向専修念仏の浄土門といえども、
自分たちが仏辺とはまた別個な衆生辺からの仏道への傾倒に
取り組んでいるといった分別を持ち合わせている。
その故に、念仏という取り組み自体がモノフォニックだろうとも、
総体としては二次以上のポリフォニックさを帯びた姿勢となっている。
思考がポリフォニックであるということは、
モノフォニックの強情さに囚われている愚か者やカルト信者などからすれば、
ただひたすらつまらなくて億劫なことのようにしか思われないわけだが、
実際にはそのような多面的、重層的な思考形式の中に、
まるでコーラスやアンサンブルのような独自の趣向を凝らすことで、
それこそを楽しむことが可能なものである。
もちろんその中にソロパートなんかも織り交ぜて、
モノフォニックならではの情念の厚みなぞをハイライト化することも
可能なわけで、別にポリフォニックでしかあってはいけないわけではない。
人間の思考形式というものは畢竟、そこで自由自在さを極めるわけで、
その楽しみの前では、モノフォニックでしかいられない不自由さも、
完全に過去の遺物と化してしまうわけである。
思考がポリフォニックであることには、
もちろん本人が楽しむ効果があるだけではない。
まるでガンダムシリーズでビットとかファンネルとか呼ばれている
オールレンジ兵器のように、論戦相手をあらゆる方向から攻め立てて、
相手の死角から倒してかかるようなことまでもが可能となる。
俺との論戦で、その手の論撃にやられて負けた人間などが、よく
「後だしジャンケンだ!🤬💦」などと言いがかりをつけて批判して来るけれども、
始めからそれも用意済みなうえに、ポリフォニックな思考の中で、
整合性も確認し終えていた論撃なものだから、大元の話と矛盾していたりすることがない。
もちろん論戦などに限った話ではなく、韓信や諸葛孔明のような名軍師もそういった、
ポリフォニックな思考の駆使によって本物の戦闘にまで勝利していたようだし、
なおかつもう少し軍事技術の開発が進めば、ドローンあたりで本当に、
ビットやファンネルのようなオールレンジ戦も可能となるかもしれない。
とはいえ、フィクションのガンダムの中でも、ビットやファンネルを自由自在に
駆使できる人間は「ニュータイプ」と呼ばれる一部の人種に限られ、普通の人間が
人為的な強化によってそれを試みても多くの副作用に苦しめられるものとしている。
そういった障壁もまた、現実のポリフォニック思考にもまたありがちなものである。
(おそらくはポリフォニック思考をコーラス的に楽しめるか否かが壁になるのだろう)
もちろん本人が楽しむ効果があるだけではない。
まるでガンダムシリーズでビットとかファンネルとか呼ばれている
オールレンジ兵器のように、論戦相手をあらゆる方向から攻め立てて、
相手の死角から倒してかかるようなことまでもが可能となる。
俺との論戦で、その手の論撃にやられて負けた人間などが、よく
「後だしジャンケンだ!🤬💦」などと言いがかりをつけて批判して来るけれども、
始めからそれも用意済みなうえに、ポリフォニックな思考の中で、
整合性も確認し終えていた論撃なものだから、大元の話と矛盾していたりすることがない。
もちろん論戦などに限った話ではなく、韓信や諸葛孔明のような名軍師もそういった、
ポリフォニックな思考の駆使によって本物の戦闘にまで勝利していたようだし、
なおかつもう少し軍事技術の開発が進めば、ドローンあたりで本当に、
ビットやファンネルのようなオールレンジ戦も可能となるかもしれない。
とはいえ、フィクションのガンダムの中でも、ビットやファンネルを自由自在に
駆使できる人間は「ニュータイプ」と呼ばれる一部の人種に限られ、普通の人間が
人為的な強化によってそれを試みても多くの副作用に苦しめられるものとしている。
そういった障壁もまた、現実のポリフォニック思考にもまたありがちなものである。
(おそらくはポリフォニック思考をコーラス的に楽しめるか否かが壁になるのだろう)
そもそもがおまえ、
俺のことなんか好きでも何でもないんだろ?
むしろ心の底から大嫌い、今すぐ死んでもらいたいぐらいだけど、
それ以上に自分の人生に傷がつくのが怖い。
その思いの結果が、執拗に言い寄って来ておきながら、
話す内容は俺の言うこと成すこと存在性何もかも全否定な
敵対者そのものとかいう、破綻度200%な今の振舞いだろうが?
俺のことなんか好きでも何でもないんだろ?
むしろ心の底から大嫌い、今すぐ死んでもらいたいぐらいだけど、
それ以上に自分の人生に傷がつくのが怖い。
その思いの結果が、執拗に言い寄って来ておきながら、
話す内容は俺の言うこと成すこと存在性何もかも全否定な
敵対者そのものとかいう、破綻度200%な今の振舞いだろうが?
今さらこんなことをおまえなんかに望むべくもないが。
仮におまえが、相手のことを愛しているか、そうでなくとも、
他者の思いや利害を慮れる日本人だったりするというのなら、
「私のことなんかはもうどうでもいいから」となるだろう。
日本人でもなければ、別に愛する相手がいるわけでもない上で、
とにかく自分が大事、自分さえ恵まれた人生が送れるのであれば、
寄生対象に子孫断絶級の危害を及ぼしたところで知ったことかと。
そんな思いでいればこその、今の振舞いだろう?
それこそ年がどうだ、国や人種がどうだという以上の、
絶対に寄せ付けてはいけない最大級の証拠だろうが。
仮におまえが、相手のことを愛しているか、そうでなくとも、
他者の思いや利害を慮れる日本人だったりするというのなら、
「私のことなんかはもうどうでもいいから」となるだろう。
日本人でもなければ、別に愛する相手がいるわけでもない上で、
とにかく自分が大事、自分さえ恵まれた人生が送れるのであれば、
寄生対象に子孫断絶級の危害を及ぼしたところで知ったことかと。
そんな思いでいればこその、今の振舞いだろう?
それこそ年がどうだ、国や人種がどうだという以上の、
絶対に寄せ付けてはいけない最大級の証拠だろうが。
「卵を縦に100個重ねられるほどの有能だろうとも、
男が片思いみたいな情けない真似をするな」(伊勢物語)
立派な古言であるというのみならず、
心の底から如是、如是、と大賛同するほかない
自由恋愛の基本原則だなと思うのがまず一つ。
さりとて、昔のお武家さんなどには恋愛結婚など
かえって下賤の所業とみる向きもあったものだし、
個人の恣意など抜きにした政略的な結婚などもまた、
時には受け入れて行かねばならぬものであろうとも思うが。
だからといって、子孫断絶を前提とした政略結婚なんて
聞いたこともないし、あったとしてもろくな意図がないことが
明らかな、退けてかかるべき蛮行であるのが間違いない。
要するに、恋愛面からも政略面からも、
これっぽちの妥当性もないということだ。
男が片思いみたいな情けない真似をするな」(伊勢物語)
立派な古言であるというのみならず、
心の底から如是、如是、と大賛同するほかない
自由恋愛の基本原則だなと思うのがまず一つ。
さりとて、昔のお武家さんなどには恋愛結婚など
かえって下賤の所業とみる向きもあったものだし、
個人の恣意など抜きにした政略的な結婚などもまた、
時には受け入れて行かねばならぬものであろうとも思うが。
だからといって、子孫断絶を前提とした政略結婚なんて
聞いたこともないし、あったとしてもろくな意図がないことが
明らかな、退けてかかるべき蛮行であるのが間違いない。
要するに、恋愛面からも政略面からも、
これっぽちの妥当性もないということだ。
「男女(同)室に居るは天下の大倫なり」(孟子・万章上)
普通にそこが儒学上の大命題だったりもするのでな。一方で、
「不孝に(大中小)三あり、後(裔)なきを大と為す」(離婁上)
ともあるし、色に溺れればいいという話でももちろんない。
普通にそこが儒学上の大命題だったりもするのでな。一方で、
「不孝に(大中小)三あり、後(裔)なきを大と為す」(離婁上)
ともあるし、色に溺れればいいという話でももちろんない。
[YouTubeで再生]
(>>74の続き)
人間の発声というもの自体、ホーミーのような特殊な唱法で
倍音を重ねる程度のことはできるにしても、基本モノフォニックであり、
一人の人間が一度に出せる声音は基本一つである。
そのため、思考自体もまたなるべくモノフォニックであったほうが、
その思考を滞りなく言葉として声に出すことが容易となる一方、
思考のほうがポリフォニックであるようなら、そのうちから一つの思考だけを
かいつまんで、声に出して話すという手続きが必要となってしまう。
女たちは基本、モノフォニックな思考であることが多いので、
会話もまた得意である一方、理論計算や技術開発などの業務上からも
ポリフォニックな思考を強いられることが多い理系の人間などは、
口下手でコミュ障扱いにされることが多いといった相違も見られる。
とはいえやはり、思考がモノフォニック一本ばかりであるようなら、
いわゆる単細胞ともなってしまうわけで、男伊達らにモノフォニック志向で
女並みのコミュ力を身に付けた男なぞが軒並み軽薄と化してしまうのもそのためである。
(>>74の続き)
人間の発声というもの自体、ホーミーのような特殊な唱法で
倍音を重ねる程度のことはできるにしても、基本モノフォニックであり、
一人の人間が一度に出せる声音は基本一つである。
そのため、思考自体もまたなるべくモノフォニックであったほうが、
その思考を滞りなく言葉として声に出すことが容易となる一方、
思考のほうがポリフォニックであるようなら、そのうちから一つの思考だけを
かいつまんで、声に出して話すという手続きが必要となってしまう。
女たちは基本、モノフォニックな思考であることが多いので、
会話もまた得意である一方、理論計算や技術開発などの業務上からも
ポリフォニックな思考を強いられることが多い理系の人間などは、
口下手でコミュ障扱いにされることが多いといった相違も見られる。
とはいえやはり、思考がモノフォニック一本ばかりであるようなら、
いわゆる単細胞ともなってしまうわけで、男伊達らにモノフォニック志向で
女並みのコミュ力を身に付けた男なぞが軒並み軽薄と化してしまうのもそのためである。
思考形式をポリフォニックならしめることもまた大いに得意とする一方で、
そこから単一の思考だけをかいつまんで人と話したりすることにもそれなりに
長けるような人間こそが、真にオールマイティな賢者といえるものである。
どうせポリフォニックな思考の全てをモノフォニックに置き換えることはできないのだし、
その全てを口頭で解き明かしたり、モノフォニック思考しかできないような人間にまで
全てを理解させたりすることには無理があるのも察しておかねばならない。
アインシュタインは「本当に賢い人間は難しいことも分かりやすく話せる」
といったけれども、当人も馬鹿にまで相対性理論を理解させられていたわけではなく、
ただ知能の低い相手にはそれ相応な話だけをするように心がけていただけのことである。
なるべくなら、そういう場合に、ただ馬鹿を適当な話だけであしらうにとどまらず、
単一の情報だけでも、なるべく高邁な領域へと相手を誘いあげられるような方便を凝らして
おければなおのこと良いわけで、親鸞聖人の悪人正機説などにもそれがあったもの。
人間としてより志し尊ぶべきなのは、さようなあり方であるといえよう。
そこから単一の思考だけをかいつまんで人と話したりすることにもそれなりに
長けるような人間こそが、真にオールマイティな賢者といえるものである。
どうせポリフォニックな思考の全てをモノフォニックに置き換えることはできないのだし、
その全てを口頭で解き明かしたり、モノフォニック思考しかできないような人間にまで
全てを理解させたりすることには無理があるのも察しておかねばならない。
アインシュタインは「本当に賢い人間は難しいことも分かりやすく話せる」
といったけれども、当人も馬鹿にまで相対性理論を理解させられていたわけではなく、
ただ知能の低い相手にはそれ相応な話だけをするように心がけていただけのことである。
なるべくなら、そういう場合に、ただ馬鹿を適当な話だけであしらうにとどまらず、
単一の情報だけでも、なるべく高邁な領域へと相手を誘いあげられるような方便を凝らして
おければなおのこと良いわけで、親鸞聖人の悪人正機説などにもそれがあったもの。
人間としてより志し尊ぶべきなのは、さようなあり方であるといえよう。
まあでも、医者の知識は病気や怪我の知識として専門的なだけで、
健康の知識とは全くの別物だというのが判然としてたわな。
根本原因がタンパク質不足なんだから、
もう脚気心なんかにならないためには、もっとお肉を食べましょうとか、
それ自体は素人でもすぐに思いつくような対策で、
もっと高度な手段もいくらでもあるし、逆に肉を食うというだけでは、
また別の腸内環境悪化とかの問題をも招きかねないものだしな。
医者も低レベルなほうとはいえ一応、理系の端くれだから、
自らが蓄えた医療知識から最適解を導出するための、
前頭葉での高度なマインドセット構築なり、側頭葉での
ポリフォニックな多角的考察なども働かせたりするものだろうが、
それがもう、非常に入り組んだ疾患を持ち合わせているような相手への、
鉱山労働者が目当ての鉱物を見つけ出すような診療目的ばかりに
偏っているものだから、地上にある健康の知恵などとはほぼ無縁たる。
そういう頭の使い方を健康養生のためなどに応用することもできようが、
医師志望だったりすでに医者だったりする以上は、それが片手間でしか
あり得ないために、並み以上の取り組みたることもほぼない。
ゆえに「医者の不養生」などという事態にも陥るわけである。kawaisouni😭
健康の知識とは全くの別物だというのが判然としてたわな。
根本原因がタンパク質不足なんだから、
もう脚気心なんかにならないためには、もっとお肉を食べましょうとか、
それ自体は素人でもすぐに思いつくような対策で、
もっと高度な手段もいくらでもあるし、逆に肉を食うというだけでは、
また別の腸内環境悪化とかの問題をも招きかねないものだしな。
医者も低レベルなほうとはいえ一応、理系の端くれだから、
自らが蓄えた医療知識から最適解を導出するための、
前頭葉での高度なマインドセット構築なり、側頭葉での
ポリフォニックな多角的考察なども働かせたりするものだろうが、
それがもう、非常に入り組んだ疾患を持ち合わせているような相手への、
鉱山労働者が目当ての鉱物を見つけ出すような診療目的ばかりに
偏っているものだから、地上にある健康の知恵などとはほぼ無縁たる。
そういう頭の使い方を健康養生のためなどに応用することもできようが、
医師志望だったりすでに医者だったりする以上は、それが片手間でしか
あり得ないために、並み以上の取り組みたることもほぼない。
ゆえに「医者の不養生」などという事態にも陥るわけである。kawaisouni😭
そろそろ明和への営業妨害の容疑で通報しとこうかねえ。
本人への保護も兼ねて。
本人への保護も兼ねて。
だからどうだってんだ、
「好きでありながら天邪鬼なんてこともあるさ」
とでも言いたいのか?
だったらだったでだ、
「もう私はカルト洗脳や育ちの悪さのせいで、
あなたの傍らに付き添うには到底値しない思考回路のまま
頑迷化してしまっていますので、放っといてください」
という意思表示になっているのみだろ。
今の今まで、ただの一度も口もきいたことがない
ような距離間であり続けて来た報いとして、
これからもそうであり続けることが最適化
してしまったということだな。要は鷹司孝子ルート。
「好きでありながら天邪鬼なんてこともあるさ」
とでも言いたいのか?
だったらだったでだ、
「もう私はカルト洗脳や育ちの悪さのせいで、
あなたの傍らに付き添うには到底値しない思考回路のまま
頑迷化してしまっていますので、放っといてください」
という意思表示になっているのみだろ。
今の今まで、ただの一度も口もきいたことがない
ような距離間であり続けて来た報いとして、
これからもそうであり続けることが最適化
してしまったということだな。要は鷹司孝子ルート。
>特に思い入れがなくっても、誰かに親切にすることもあるさ、違うか?
これまさに統一教会がいま石丸伸二相手に試みていることそのものなんだよな。
自民党との癒着を徹底糾弾されている昨今、
どうにか自分たちの政治的影響力を持ち保つために、無所属の政治家を、
本人もよく知らない内から担ぎ上げるような真似を試みている。
ネオナチ、ネオジオンならぬネオ壺ン。
選挙後に統一ではないがCIAの子分であることは共通している
大メディアからの取って付けたような取材攻勢も満載だったことだし、
ポスト自民な自分たちの飼い犬政権の仕立て上げをCIAも模索しているということだな。
もちろんそんな誘いには、死んでも乗らないように用心しておかねば。
これまさに統一教会がいま石丸伸二相手に試みていることそのものなんだよな。
自民党との癒着を徹底糾弾されている昨今、
どうにか自分たちの政治的影響力を持ち保つために、無所属の政治家を、
本人もよく知らない内から担ぎ上げるような真似を試みている。
ネオナチ、ネオジオンならぬネオ壺ン。
選挙後に統一ではないがCIAの子分であることは共通している
大メディアからの取って付けたような取材攻勢も満載だったことだし、
ポスト自民な自分たちの飼い犬政権の仕立て上げをCIAも模索しているということだな。
もちろんそんな誘いには、死んでも乗らないように用心しておかねば。
なんだ死戦期特有のせん妄か?
レビー小体病にも似た。ついにか
レビー小体病にも似た。ついにか
[YouTubeで再生]
人の念が生霊の鬼となって他者に襲いかかるなどといえば、
いかにもオカルトじみているけれども、実際問題、
それにも相当するような惨事が数多起きている上に、
時には本当に死傷沙汰にまで発展しているような始末。
そこにまたネット上といわず茶の間といわず、
そんな事件を起こした犯人への怒りや罵倒が巻き起これども、
さような振舞い自体が他者への愛憎のあまりに鬼の如き様相と
化してしまった犯人たち自身にも通じるものとなるわけで、
それはただの悪念の伝播、感染にしかなってないともいえるのである。
能の葵上のように、その様相全体を舞台上に客観視して、
悲哀の至りとしてしみじみと思いを致せる程度の余裕を自らが
温めればこそ、さような惨劇を無くして行く側たり得るもの。
そのための方便として、悪念が生霊の鬼となるといったような
表現のほうが便利たることもある。そういう考え方自体を
過去の遺物扱いしたがる科学至上主義者などもいようとて、
そのせいでただ人の悪念に取り込まれ放題となるようなら、
本人たちの人間としての出来は昔以下となるわけである。
人の念が生霊の鬼となって他者に襲いかかるなどといえば、
いかにもオカルトじみているけれども、実際問題、
それにも相当するような惨事が数多起きている上に、
時には本当に死傷沙汰にまで発展しているような始末。
そこにまたネット上といわず茶の間といわず、
そんな事件を起こした犯人への怒りや罵倒が巻き起これども、
さような振舞い自体が他者への愛憎のあまりに鬼の如き様相と
化してしまった犯人たち自身にも通じるものとなるわけで、
それはただの悪念の伝播、感染にしかなってないともいえるのである。
能の葵上のように、その様相全体を舞台上に客観視して、
悲哀の至りとしてしみじみと思いを致せる程度の余裕を自らが
温めればこそ、さような惨劇を無くして行く側たり得るもの。
そのための方便として、悪念が生霊の鬼となるといったような
表現のほうが便利たることもある。そういう考え方自体を
過去の遺物扱いしたがる科学至上主義者などもいようとて、
そのせいでただ人の悪念に取り込まれ放題となるようなら、
本人たちの人間としての出来は昔以下となるわけである。
何言ってんのか分かんねえな
まず以て、自称高齢無職ニートの物言いを、
本気で読み解きたいなんていう気概があるか?
本気で読み解きたいなんていう気概があるか?
(>>120の続き)
神でも仏でも鬼でも妖怪でも、実在するだしないだ以前に、
前頭葉の長期記憶上に分類処理されたRAID構築的な情報形式として活用することで、
現実の問題処理なり健康養生なり能力開発なりに貢献し得ることがあるのは事実である。
よく意味不明な妖怪の代表格として挙げられる「すねこすり」なども、
夜道で野良犬だ狐狸だにすり寄られて、狂犬病や破傷風や寄生虫のような災禍を
擦り付けられたりしないように用心するための方便としては有用であったろう。
能における鬼の描写なども同様に、なるべくならそうあるべきでない人間の悪念を
象徴的かつ演舞としては優美に描くことで、悪念への用心と、それに取り込まれない
己が心の強さの養生とを同時に兼ねるような巧みさが込められているのである。
さような方便的な表現による人間性の錬磨を、非科学的な事物は何もかも無駄扱いして
かかるような連中が、科学的な範疇だけで上回れたような試しもなく、かえって
カルト支配下に置かれたゴイム止まりな陰惨さを開き直って来たばかりである。
神でも仏でも鬼でも妖怪でも、実在するだしないだ以前に、
前頭葉の長期記憶上に分類処理されたRAID構築的な情報形式として活用することで、
現実の問題処理なり健康養生なり能力開発なりに貢献し得ることがあるのは事実である。
よく意味不明な妖怪の代表格として挙げられる「すねこすり」なども、
夜道で野良犬だ狐狸だにすり寄られて、狂犬病や破傷風や寄生虫のような災禍を
擦り付けられたりしないように用心するための方便としては有用であったろう。
能における鬼の描写なども同様に、なるべくならそうあるべきでない人間の悪念を
象徴的かつ演舞としては優美に描くことで、悪念への用心と、それに取り込まれない
己が心の強さの養生とを同時に兼ねるような巧みさが込められているのである。
さような方便的な表現による人間性の錬磨を、非科学的な事物は何もかも無駄扱いして
かかるような連中が、科学的な範疇だけで上回れたような試しもなく、かえって
カルト支配下に置かれたゴイム止まりな陰惨さを開き直って来たばかりである。
カルト信仰はといえば、基本的に唯一神なり教祖なりへの絶対的帰依によって、これまた
多神教的な多重性への配慮を否定してかかる点では科学至上主義とも全く共通しているために、
実はその手の人種との親和性のほうがより高いといった法則までもが見られるものである。
念仏や、まともな部類のイスラム教などには、一向専修的であることをポリフォニックな
思考へと無意識にいざなうような効果もあったりするもので、唯一神信仰的であることが
必ずしも即カルトだと断定できるわけではないけれども、少なくともカルトの側はすべて、
そういったドグマ的な絶対者信仰へと偏る側面が少なからずある点で必ず共通している。
思考形式を完全にモノフォニックならしめて、そこから片時も外れられないようにし、
そこでの六条御息所のごとき強情さへの酩酊に酔い痴れさせるのがカルトの基本なれば、
そのために利用される信仰もまた自然と、唯一神的存在への依存的な帰依になってしまう。
親鸞聖人の言葉を借りれば、信仰が一向専修的かつ「本願ぼこり」を帯びてしまった場合に、
そうなってしまうようだし、そこがカルトと非カルトの最も根本的な分岐点となるもの。
神仏信仰があるか否か、それが一向的か否かではなく、そのほうが決定的な部位となるのである。
多神教的な多重性への配慮を否定してかかる点では科学至上主義とも全く共通しているために、
実はその手の人種との親和性のほうがより高いといった法則までもが見られるものである。
念仏や、まともな部類のイスラム教などには、一向専修的であることをポリフォニックな
思考へと無意識にいざなうような効果もあったりするもので、唯一神信仰的であることが
必ずしも即カルトだと断定できるわけではないけれども、少なくともカルトの側はすべて、
そういったドグマ的な絶対者信仰へと偏る側面が少なからずある点で必ず共通している。
思考形式を完全にモノフォニックならしめて、そこから片時も外れられないようにし、
そこでの六条御息所のごとき強情さへの酩酊に酔い痴れさせるのがカルトの基本なれば、
そのために利用される信仰もまた自然と、唯一神的存在への依存的な帰依になってしまう。
親鸞聖人の言葉を借りれば、信仰が一向専修的かつ「本願ぼこり」を帯びてしまった場合に、
そうなってしまうようだし、そこがカルトと非カルトの最も根本的な分岐点となるもの。
神仏信仰があるか否か、それが一向的か否かではなく、そのほうが決定的な部位となるのである。
俺の言ってることにさほどのズレもないような指針に基づいたエンタメ作品が、
統一電通角川のディスカウントジャパン工作も振り切って公開された途端に、
いろんな記録を打ち立てるほどの大ヒットになってたりもする。
そこには、鬼退治や怪獣退治ならではのストレス解消要素などもあろうとて、
俺自身の言うことには、そんなスカッと要素なんかが皆無なのはなぜかというに。
そういう作品を作ったり、ストレスなき世の中を招いたりする猛者側の
心構えを説いているものであるが故に、自分たち自身がとにかくストレスを
解消したくてしたくてたまらない消費者風情の意向などとは、むしろ相反するのである。
アニメを見るほど安易に楽しいことはなく、
アニメを作るほど地獄のような労苦を強いられることはないと、
げそいくおとかも説いてたもの。そのどちら側であるかをまず自覚せよ。
統一電通角川のディスカウントジャパン工作も振り切って公開された途端に、
いろんな記録を打ち立てるほどの大ヒットになってたりもする。
そこには、鬼退治や怪獣退治ならではのストレス解消要素などもあろうとて、
俺自身の言うことには、そんなスカッと要素なんかが皆無なのはなぜかというに。
そういう作品を作ったり、ストレスなき世の中を招いたりする猛者側の
心構えを説いているものであるが故に、自分たち自身がとにかくストレスを
解消したくてしたくてたまらない消費者風情の意向などとは、むしろ相反するのである。
アニメを見るほど安易に楽しいことはなく、
アニメを作るほど地獄のような労苦を強いられることはないと、
げそいくおとかも説いてたもの。そのどちら側であるかをまず自覚せよ。
[YouTubeで再生]
https://video.fc2.com/ja/content/2015111450h6MGz...
アニメを見るほど何の才能も必要ないこともなく、
アニメを作るほど格別の才能を要することもない、ともいえるわな。
その断絶の壁を無理に乗り越えようとして起こされた惨劇が、
5年前の今頃に起きた、あの事件でもあったわけだが。
犯人もリアルガチの病人だったことだし、まず以て常人並みの判断力さえ
持ち合わせていれば、乗り越えてやろうなどと考えもしない所である。
とはいえ、できる人間にはできるのに違いなく、なおかつ
野球や将棋のプロなどよりもはるかに多くのスタッフが携わって
いればこその、世界的評価まで高まり続けている界隈でもある。
自分がそこに携わるのは無理だけど、その産物の恩恵に与っているのにも
違いないのだから、敬意を持ってその界隈を尊重して行くというのが、
超えられない壁の向こう側にいる人々へのまともな応じ方というものである。
自分自身に長期記憶のデフラグやRAID構築も、思考のポリフォニック化も
務まらないながらに、それを可能とするような人々のみが招き得る恩恵に
与ろうとするような者たちがわきまえるべきなのも、同様な姿勢であろう。
https://video.fc2.com/ja/content/2015111450h6MGz...
アニメを見るほど何の才能も必要ないこともなく、
アニメを作るほど格別の才能を要することもない、ともいえるわな。
その断絶の壁を無理に乗り越えようとして起こされた惨劇が、
5年前の今頃に起きた、あの事件でもあったわけだが。
犯人もリアルガチの病人だったことだし、まず以て常人並みの判断力さえ
持ち合わせていれば、乗り越えてやろうなどと考えもしない所である。
とはいえ、できる人間にはできるのに違いなく、なおかつ
野球や将棋のプロなどよりもはるかに多くのスタッフが携わって
いればこその、世界的評価まで高まり続けている界隈でもある。
自分がそこに携わるのは無理だけど、その産物の恩恵に与っているのにも
違いないのだから、敬意を持ってその界隈を尊重して行くというのが、
超えられない壁の向こう側にいる人々へのまともな応じ方というものである。
自分自身に長期記憶のデフラグやRAID構築も、思考のポリフォニック化も
務まらないながらに、それを可能とするような人々のみが招き得る恩恵に
与ろうとするような者たちがわきまえるべきなのも、同様な姿勢であろう。
戦後どころか、明治以降からずっと続いて来た、
無能ボンクラほど人の上に立ち、能力者はそのパシリとして
いいように引き回されて使い潰されるという悪しき潮流はいま、
もう国ごと持続不能な域に達することでの限界を来している。
戦前はイギリス、戦後はアメリカの傀儡国家としての、国としての
十分な主権なき国情であり続けて来たがために、権力中枢ほど、
好き好んでそこに取り入ってでも虚栄を博したがるような、
とびっきりの愚か者や外患スパイばかりが選別的に重用されて来た。
それは結局、総じて日本人などよりも無能や愚鈍ばかりである、
アメリカやイギリスが、植民地支配や不平等交易や奴隷使役によって
得た莫大な既得権益の嵩にかかっての、不相応な屈従的支配などを、
日本という国に対して強いてきたからこそ来した事態でもある。
唐宋代ごろまでの、本当に偉大だった時代の中国などもまた、
日本を含む周辺国全土に冊封体制のような上下関係を敷いていたものの、
それは真に文化的な上質さを、自分たちが帯びた上でのことでも
あったために、そこに留学その他の形での介入を試みた日本人の中からも、
阿倍仲麻呂や空海や道元のような偉人が多く輩出されたのである。
無能ボンクラほど人の上に立ち、能力者はそのパシリとして
いいように引き回されて使い潰されるという悪しき潮流はいま、
もう国ごと持続不能な域に達することでの限界を来している。
戦前はイギリス、戦後はアメリカの傀儡国家としての、国としての
十分な主権なき国情であり続けて来たがために、権力中枢ほど、
好き好んでそこに取り入ってでも虚栄を博したがるような、
とびっきりの愚か者や外患スパイばかりが選別的に重用されて来た。
それは結局、総じて日本人などよりも無能や愚鈍ばかりである、
アメリカやイギリスが、植民地支配や不平等交易や奴隷使役によって
得た莫大な既得権益の嵩にかかっての、不相応な屈従的支配などを、
日本という国に対して強いてきたからこそ来した事態でもある。
唐宋代ごろまでの、本当に偉大だった時代の中国などもまた、
日本を含む周辺国全土に冊封体制のような上下関係を敷いていたものの、
それは真に文化的な上質さを、自分たちが帯びた上でのことでも
あったために、そこに留学その他の形での介入を試みた日本人の中からも、
阿倍仲麻呂や空海や道元のような偉人が多く輩出されたのである。
なんだ、こちらが善行や不悪行で心を満たしていることは認めるんだ?
そうであることに気づけた時点で、自分のほうがどれだけ
無益で有害な徒労ばかりに没頭して来たのかも知れそうなものだがな。
心理面でのマッチポンプによる徒労の有無の違いに、
それを差し引いても有り余る健康被害や社会的危害の有無の違い。
俺もまた現代スポーツで患った大怪我を古流で治すような、
健康面でのマッチポンプに煩わされたのには違いないし、
そういう災難に見舞われやすい時代に生まれた者同士としての、
同病相憐れみの気持ちも多少程度にはなくもないものだが。
その辺についてはおまえもまた、否定派相手の場合などと同じで、
よりひどい境遇下にいる相手としての哀れみを抱かされるものではある。
そうであることに気づけた時点で、自分のほうがどれだけ
無益で有害な徒労ばかりに没頭して来たのかも知れそうなものだがな。
心理面でのマッチポンプによる徒労の有無の違いに、
それを差し引いても有り余る健康被害や社会的危害の有無の違い。
俺もまた現代スポーツで患った大怪我を古流で治すような、
健康面でのマッチポンプに煩わされたのには違いないし、
そういう災難に見舞われやすい時代に生まれた者同士としての、
同病相憐れみの気持ちも多少程度にはなくもないものだが。
その辺についてはおまえもまた、否定派相手の場合などと同じで、
よりひどい境遇下にいる相手としての哀れみを抱かされるものではある。
(>>136の続き)
アメリカやイギリスに対して同様な立場で来た日本人はといえば、
オノヨーコとかジャニー喜多川とか。坂本九や南部陽一郎や真鍋叔郎や
中村修二や近年の日本人メジャーリーガーなんかは、すでに日本で
醸成させた才覚をアメリカに持ち込んだ(買い取られた)だけだし、
さようなアメリカ側の虚栄への協力を拒み続けているせいで、世界的評価が
今一歩なままに置かれている、フラッシュメモリーやカーボンナノチューブの
発明者や、宇宙際タイヒミュラー理論の提唱者みたいな日本人もいるのである。
この日本という国において、上は無能、下は有能という上下関係が
限界を来しているのと全く同様に、米英が上、日本が下という上下関係
もまた限界を来しており、その両方同時の解消しか現実的にはあり得ない。
(もちろんそこにぶら下がっている韓日上下の差別などもである)
「全世界の国権、国益を尊重する」という、以前に専用スレまで立てて
その意義を説いた大命題が実現に移される所からのみ、その先もまたある。
昔の中国などもまたそれは守れていたが、米英にはそれが不可能だった
のだから、その上でのこれ以上の覇権を保つことも能わぬのである。
無理に覇権を保ち続けようとした結果が、粗悪移民の流入からの乗っ取り
という危機でもあるし、自分たちの今後のためにも、日本を含む他国に
対して国権侵害級の支配を目論むような、苦果の悪因を絶たねばならぬ。
アメリカやイギリスに対して同様な立場で来た日本人はといえば、
オノヨーコとかジャニー喜多川とか。坂本九や南部陽一郎や真鍋叔郎や
中村修二や近年の日本人メジャーリーガーなんかは、すでに日本で
醸成させた才覚をアメリカに持ち込んだ(買い取られた)だけだし、
さようなアメリカ側の虚栄への協力を拒み続けているせいで、世界的評価が
今一歩なままに置かれている、フラッシュメモリーやカーボンナノチューブの
発明者や、宇宙際タイヒミュラー理論の提唱者みたいな日本人もいるのである。
この日本という国において、上は無能、下は有能という上下関係が
限界を来しているのと全く同様に、米英が上、日本が下という上下関係
もまた限界を来しており、その両方同時の解消しか現実的にはあり得ない。
(もちろんそこにぶら下がっている韓日上下の差別などもである)
「全世界の国権、国益を尊重する」という、以前に専用スレまで立てて
その意義を説いた大命題が実現に移される所からのみ、その先もまたある。
昔の中国などもまたそれは守れていたが、米英にはそれが不可能だった
のだから、その上でのこれ以上の覇権を保つことも能わぬのである。
無理に覇権を保ち続けようとした結果が、粗悪移民の流入からの乗っ取り
という危機でもあるし、自分たちの今後のためにも、日本を含む他国に
対して国権侵害級の支配を目論むような、苦果の悪因を絶たねばならぬ。
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