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正直であることは楽しい 偉大なる生存の報告 Part319
▼ページ最下部
ここにいる一部の連中などからすれば、
正直であることは堅苦しいこと、嘘偽りでもなんでもやり放題のほうが
楽しいことのように思われたりもするようだけれども、むしろ逆。
正直であることで、自らの思考回路から矛盾性が排されることにより、
同時に考えると破綻があらわになるような矛盾情報同士の断片化がなくなり、
デフラグの行き届いたHDDが快適に動作するのと同じように、頭でいろいろと
ものを考えることがどこまでもストレスフリーでいられるようになる。
まずそれが楽しい。
正直を尽くすことで断片化を極力排し、それにより
ストレージとしての空き容量を十分に確保した状態の思考回路は、
何かを思い出したりすることもまた容易たり、まるでRAID構築された
複数のHDDのうちの一つが故障して読み取り不能になろうとも、その他の
ディスクの分散パリティからすべての損失情報をリビルドできるのと同じように、
一度忘れてしまった記憶の復元による思い出しもまた容易となる。
それがまた楽しい。
マインドフルネスとかいうのは、なにか神秘的な意味合いを持ち合わせた話の
ように思いこまれている節があるけれども、そういった即物的な観点に即した
説明が可能な範疇の話でもあることだし(もちろんそれだけではないのだが)、
そのための手段もただ正直であったりするような、ごく身近なものだったりも
するわけで、敬遠して全く心がけもしない正当性なども基本ないのである。
正直であることは堅苦しいこと、嘘偽りでもなんでもやり放題のほうが
楽しいことのように思われたりもするようだけれども、むしろ逆。
正直であることで、自らの思考回路から矛盾性が排されることにより、
同時に考えると破綻があらわになるような矛盾情報同士の断片化がなくなり、
デフラグの行き届いたHDDが快適に動作するのと同じように、頭でいろいろと
ものを考えることがどこまでもストレスフリーでいられるようになる。
まずそれが楽しい。
正直を尽くすことで断片化を極力排し、それにより
ストレージとしての空き容量を十分に確保した状態の思考回路は、
何かを思い出したりすることもまた容易たり、まるでRAID構築された
複数のHDDのうちの一つが故障して読み取り不能になろうとも、その他の
ディスクの分散パリティからすべての損失情報をリビルドできるのと同じように、
一度忘れてしまった記憶の復元による思い出しもまた容易となる。
それがまた楽しい。
マインドフルネスとかいうのは、なにか神秘的な意味合いを持ち合わせた話の
ように思いこまれている節があるけれども、そういった即物的な観点に即した
説明が可能な範疇の話でもあることだし(もちろんそれだけではないのだが)、
そのための手段もただ正直であったりするような、ごく身近なものだったりも
するわけで、敬遠して全く心がけもしない正当性なども基本ないのである。
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(大したこと言ってないことにしないと、自分並みの所まで引きずりおろせない;;)
そもそもが、考え方や発言の内容がただ「中庸」に適っているだけでも、
もはやどんなにそれを簡潔に要約したところで、
一つ覚えの徒がスカッと理解できるような話になることはない。
>>136>>139の話で、すでに一つの不当差別ではなく、複数の不当差別を同時に
解消してこそといった、結論を一つ覚えに絞らない話に終始しているものだから、
「これさえやっとけばそれでヨシ!」的な結論を探している者からすれば、
どこか煮え切らない、言いたいことが良く分からない話止まりたるのである。
俺の話の中では、まだ入り組みようがそれほどでもない、二つや三つ程度の事象に
ついて話ではあるけれども、その時点でもう聞く者にも二重以上のポリフォニックな
思考形式を要求しているものだから、モノフォニックな思考しかできない人間や、
一応できた所で何もかもをモノフォニックな思考でも理解できるような領域にまで
引きずり下ろしたい欲求に駆られているような連中には理解できないか、
理解できたところで大したことを言ってないことにしたい思いに駆られるのである。
そもそもが、考え方や発言の内容がただ「中庸」に適っているだけでも、
もはやどんなにそれを簡潔に要約したところで、
一つ覚えの徒がスカッと理解できるような話になることはない。
>>136>>139の話で、すでに一つの不当差別ではなく、複数の不当差別を同時に
解消してこそといった、結論を一つ覚えに絞らない話に終始しているものだから、
「これさえやっとけばそれでヨシ!」的な結論を探している者からすれば、
どこか煮え切らない、言いたいことが良く分からない話止まりたるのである。
俺の話の中では、まだ入り組みようがそれほどでもない、二つや三つ程度の事象に
ついて話ではあるけれども、その時点でもう聞く者にも二重以上のポリフォニックな
思考形式を要求しているものだから、モノフォニックな思考しかできない人間や、
一応できた所で何もかもをモノフォニックな思考でも理解できるような領域にまで
引きずり下ろしたい欲求に駆られているような連中には理解できないか、
理解できたところで大したことを言ってないことにしたい思いに駆られるのである。
どこかの誰かは、俺のことをどうにか貶めてかかりたいあまりに、
「瘡痔は人として薄っぺらい!ドヤァ」というレッテルを貼って来たことがあったが。
お大師様の説く十住心の中では、最下等にあたる異生羝羊心はおろか、
下から二番目の愚童持斎心といえども、そんなに重厚さを帯びるような段階ではない。
その愚童持斎心に属する儒学の範疇に即することを念頭に置いた俺の物言いが、
異生羝羊心に甘んじているような連中からすれば、大して荘重なことを
言ってるようにも思われないように受け止められることもまたあり得よう。
それでいながら、自分たちには何を言ってるのかよく分からない側面までもが
多々あるという、最もアレルギー的に受け付け難い発言様式となっているもの。
しかし、それこそが最低劣の一つ覚え状態から、ただの一段階程度にランクアップした、
最も初歩的な人間精神の成長段階=とりあえず中庸をわきまえた段階なのである。
ここまでの話に即するなら、モノフォニック思考一辺倒だったのが、
とりあえず二重のポリフォニック思考程度は可能となった段階だともいえる。
そして
「中庸をわきまえた者にはそれ以上も教えられる。否なら否」(雍也第六・二一)
とも。まずその関門を乗り越えねば、重厚な領域などは夢のまた夢にも等しいのである。
「瘡痔は人として薄っぺらい!ドヤァ」というレッテルを貼って来たことがあったが。
お大師様の説く十住心の中では、最下等にあたる異生羝羊心はおろか、
下から二番目の愚童持斎心といえども、そんなに重厚さを帯びるような段階ではない。
その愚童持斎心に属する儒学の範疇に即することを念頭に置いた俺の物言いが、
異生羝羊心に甘んじているような連中からすれば、大して荘重なことを
言ってるようにも思われないように受け止められることもまたあり得よう。
それでいながら、自分たちには何を言ってるのかよく分からない側面までもが
多々あるという、最もアレルギー的に受け付け難い発言様式となっているもの。
しかし、それこそが最低劣の一つ覚え状態から、ただの一段階程度にランクアップした、
最も初歩的な人間精神の成長段階=とりあえず中庸をわきまえた段階なのである。
ここまでの話に即するなら、モノフォニック思考一辺倒だったのが、
とりあえず二重のポリフォニック思考程度は可能となった段階だともいえる。
そして
「中庸をわきまえた者にはそれ以上も教えられる。否なら否」(雍也第六・二一)
とも。まずその関門を乗り越えねば、重厚な領域などは夢のまた夢にも等しいのである。
単なる中庸以上に、重厚で荘厳な領域にまで踏み入って来た者と、
あえて初歩的な中庸に踏みとどまって来た者とが、こうして
横並びで名君に進言するようなこともまたあったもの。
何しろ、相手は最低限の中庸も解さぬような、
政商カルト含みの手合い。中以上の者同士でのみ分かり合えるような
高説よりも、「中人以下には以て上を語るべからず」を前提とした、
より実力行使的な領域を専科とする言葉が役に立つこともあるが故に。
今や、その最初等級の中庸すら世を挙げて見失われている時代なれば、
儒者も仏者もと共に無力化されているのにも違いはないが、
そこからまた復権を実現して行くようなことがあろうとも、
やはり同様に、初歩中の初歩の牙城の領主としての儒者や、
あるいは念仏者などが適材適所な要員として、
より活躍の場を得るようなこともまたあり得よう。
より重厚な領域に属する達者たちと比べれば、
薄っぺらいように思われることもあろうし、事実、
四書五経や浄土経も大蔵経よりははるかに些少で薄いながらに、
さらにそれ未満な連中をあしらう急先鋒としての役柄に与ろうぞ。
あえて初歩的な中庸に踏みとどまって来た者とが、こうして
横並びで名君に進言するようなこともまたあったもの。
何しろ、相手は最低限の中庸も解さぬような、
政商カルト含みの手合い。中以上の者同士でのみ分かり合えるような
高説よりも、「中人以下には以て上を語るべからず」を前提とした、
より実力行使的な領域を専科とする言葉が役に立つこともあるが故に。
今や、その最初等級の中庸すら世を挙げて見失われている時代なれば、
儒者も仏者もと共に無力化されているのにも違いはないが、
そこからまた復権を実現して行くようなことがあろうとも、
やはり同様に、初歩中の初歩の牙城の領主としての儒者や、
あるいは念仏者などが適材適所な要員として、
より活躍の場を得るようなこともまたあり得よう。
より重厚な領域に属する達者たちと比べれば、
薄っぺらいように思われることもあろうし、事実、
四書五経や浄土経も大蔵経よりははるかに些少で薄いながらに、
さらにそれ未満な連中をあしらう急先鋒としての役柄に与ろうぞ。
竹中平蔵「日本は弱者の保護を簡単に認めてしまう。それが国全体を弱くしている」「全ては増税や借金でまかなわれる」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f370d31b59df7d4a2d6ed...
こいつ、この記事では最低賃金も払えない弱小企業への保護をその実例として取り上げてるけど、
「国のお荷物化している弱者保護」の最たるものといえば、他国ならとっくの昔に死んでるような
健康状態の年寄りを、何千万人と生かし続けてやっている皆保険医療のほうであるのを、ごっそり見落としてるだろ。
こいつ自身を含む団塊世代こそは、全世界におけるビートルズのリアルタイム世代でもあるわけだが、
他国ではとっくの昔にその大多数が死んで少数派と化しているものだから、
日本以外のほぼすべての国で、ビートルズも世界一のロックバンドの座から陥落している。
とうの昔から半死半生状態な年寄りを、毎年何十兆円もかけて生き延びさせているからこそ、
医療介護以外の市場に出回る資本も低減し、以て国全体の経済を弱くしているのが最大最凶の問題だというのに、
そこから目を背けて末節の問題ばかりを他人事のように叩いている。やはりこれも単細胞ゆえの所業ではあろう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f370d31b59df7d4a2d6ed...
こいつ、この記事では最低賃金も払えない弱小企業への保護をその実例として取り上げてるけど、
「国のお荷物化している弱者保護」の最たるものといえば、他国ならとっくの昔に死んでるような
健康状態の年寄りを、何千万人と生かし続けてやっている皆保険医療のほうであるのを、ごっそり見落としてるだろ。
こいつ自身を含む団塊世代こそは、全世界におけるビートルズのリアルタイム世代でもあるわけだが、
他国ではとっくの昔にその大多数が死んで少数派と化しているものだから、
日本以外のほぼすべての国で、ビートルズも世界一のロックバンドの座から陥落している。
とうの昔から半死半生状態な年寄りを、毎年何十兆円もかけて生き延びさせているからこそ、
医療介護以外の市場に出回る資本も低減し、以て国全体の経済を弱くしているのが最大最凶の問題だというのに、
そこから目を背けて末節の問題ばかりを他人事のように叩いている。やはりこれも単細胞ゆえの所業ではあろう。
たとえ若者が全員選挙に行った所で、
絶対安定多数たる年寄りの投票に数で敵うことはない。
最低でも、年寄りからは選挙権を剥奪するなみに
非民主的な手段を講ずるのでもなければ、
弱者保護の過剰による自滅の進行を食い止めることも能わぬ。
元来ならとうに引退、他国なら大多数がとっくに
死んでいる年代である団塊竹中の発言力なんかも
なくなるところからのみ、それが可能となる。
絶対安定多数たる年寄りの投票に数で敵うことはない。
最低でも、年寄りからは選挙権を剥奪するなみに
非民主的な手段を講ずるのでもなければ、
弱者保護の過剰による自滅の進行を食い止めることも能わぬ。
元来ならとうに引退、他国なら大多数がとっくに
死んでいる年代である団塊竹中の発言力なんかも
なくなるところからのみ、それが可能となる。
ここにもこうやって、竹中と全く同じような単細胞さ加減によって、
毎年何十兆円もかけて、健康寿命の尽きた年寄りを何千万人と
生き延びさせてやっているという、最大最凶の内政問題から目を背けたまま、
それと比べれば毛筋ほどの社会的危害もない無職ニートだナマポだに
非難を浴びせかけることで、鬼の首を取ったように囃し立ててる連中がいるだろ。
それもまた、一つのことを考えている時には、他のことへの配慮が全くできない、
思考形式のモノフォニック止まりさこそが、恥知らずにも成し得ていることである。
竹中あたりだと、「自分は医療介護の専門家じゃないから」とか言い訳するかもしれないが、
何か別の分野の専門家であるあまりに、他の分野への配慮を完全に見落として、
全く筋違いな物言いにまで及んだりするようなら、それこそ「専門家である」という
こと自体が人としての恥知らずさをより助長する痴態であるとも言えることとなろう。
傾国の最大元凶となっている皆保険医療の中枢付近にいる医者などもまた、
「経済は自分の専門じゃないから」などと言い訳して言い逃れする話かもしれんが、
これまた人の命を救う聖職であることを差し引いても余りある恥知らずさであるといえよう。
いずれもやはり、洋学の経済学や医学の専門家であるならではの大馬鹿さ加減なだけで、
儒学や仏学のような正学の専門家には決して許されることがない振舞いなのである。
毎年何十兆円もかけて、健康寿命の尽きた年寄りを何千万人と
生き延びさせてやっているという、最大最凶の内政問題から目を背けたまま、
それと比べれば毛筋ほどの社会的危害もない無職ニートだナマポだに
非難を浴びせかけることで、鬼の首を取ったように囃し立ててる連中がいるだろ。
それもまた、一つのことを考えている時には、他のことへの配慮が全くできない、
思考形式のモノフォニック止まりさこそが、恥知らずにも成し得ていることである。
竹中あたりだと、「自分は医療介護の専門家じゃないから」とか言い訳するかもしれないが、
何か別の分野の専門家であるあまりに、他の分野への配慮を完全に見落として、
全く筋違いな物言いにまで及んだりするようなら、それこそ「専門家である」という
こと自体が人としての恥知らずさをより助長する痴態であるとも言えることとなろう。
傾国の最大元凶となっている皆保険医療の中枢付近にいる医者などもまた、
「経済は自分の専門じゃないから」などと言い訳して言い逃れする話かもしれんが、
これまた人の命を救う聖職であることを差し引いても余りある恥知らずさであるといえよう。
いずれもやはり、洋学の経済学や医学の専門家であるならではの大馬鹿さ加減なだけで、
儒学や仏学のような正学の専門家には決して許されることがない振舞いなのである。
とかいった話はあくまで、「弱者保護は一概に有害無益」という、
竹中自身の物言いに応じて提示してやった話であるだけで、
そもそもその大前提からして間違っている、ということもいえる。
国内に中下層の経済水準の人間も多ければこそ、生産人口などが保たれることで
国力が盤石たるというのは、中国やインドはおろかアメリカすらもが
それなりに認めていて、あえてさような国情を保たせている法則でもある。
世の中を完全に経済的強者だけで占めさせようたって、それでは国の運営も
ままならなくなるものだから、欧州諸国なども大量の移民を受け入れての
多人種国家化に至らざるを得なかった。その後を追うような真似を今さら主張
している竹中の物言いなんざ自体が、もう何も見えてない暗愚老耄の極みだともいえる。
ただ、弱者保護にも「過ぎたるは猶及ばざるが如し」となる事例はあり得るもので、
それこそ、皆保険医療で何千万人という年寄りを毎年何十兆円もかけて
生き延びさせている今の日本の医療福祉なんぞが、まさにそれに該当するものである。
それにより、肉体的強者たる中若年から活躍の場を奪い続けているが故に
日本社会も低迷に追い込まれているわけで、要は「弱者保護が過ぎたあまりの強者冷遇」
こそが今の日本における最大最凶の問題であると言えるわけである。
竹中自身の物言いに応じて提示してやった話であるだけで、
そもそもその大前提からして間違っている、ということもいえる。
国内に中下層の経済水準の人間も多ければこそ、生産人口などが保たれることで
国力が盤石たるというのは、中国やインドはおろかアメリカすらもが
それなりに認めていて、あえてさような国情を保たせている法則でもある。
世の中を完全に経済的強者だけで占めさせようたって、それでは国の運営も
ままならなくなるものだから、欧州諸国なども大量の移民を受け入れての
多人種国家化に至らざるを得なかった。その後を追うような真似を今さら主張
している竹中の物言いなんざ自体が、もう何も見えてない暗愚老耄の極みだともいえる。
ただ、弱者保護にも「過ぎたるは猶及ばざるが如し」となる事例はあり得るもので、
それこそ、皆保険医療で何千万人という年寄りを毎年何十兆円もかけて
生き延びさせている今の日本の医療福祉なんぞが、まさにそれに該当するものである。
それにより、肉体的強者たる中若年から活躍の場を奪い続けているが故に
日本社会も低迷に追い込まれているわけで、要は「弱者保護が過ぎたあまりの強者冷遇」
こそが今の日本における最大最凶の問題であると言えるわけである。
「親があくまで過ちを犯し続けるようなら、泣き叫びながらこれに従え」(孝経)
自分の親もまた少なからず加担してしまっている過ちであればこそ、
こんな所でくだを巻くだけで、なんら実行にも移さず、
その他力本願な実現ですら、むしろ憂えているのだろうが。
別にこれで、トランプが善政を敷いて行くことが決まったわけでもなし。
むしろ国内外から多くの反発を集める極右政策の急進が確約されたのみ。
その先にあるのはやはり、Attack On Titanのラストとも見まがうような大破綻。
「トランプは本当にアメリカの擬人化そのものだよな」
と俺も評したことがあったが、なればこそ、
アメリカ「わが生涯に一片の悔いなし!!」
な絵面だったともいえるわな。
米英の崩壊もまたいつかは避けられぬことと予期しているのとはまた別に、
親の余命を案じる身として、なにも悦べるところはなかった事件だったといえる。
ゆえにここですら、安倍銃撃の時のようにはやし立てることもできなかったものだ。
自分の親もまた少なからず加担してしまっている過ちであればこそ、
こんな所でくだを巻くだけで、なんら実行にも移さず、
その他力本願な実現ですら、むしろ憂えているのだろうが。
別にこれで、トランプが善政を敷いて行くことが決まったわけでもなし。
むしろ国内外から多くの反発を集める極右政策の急進が確約されたのみ。
その先にあるのはやはり、Attack On Titanのラストとも見まがうような大破綻。
「トランプは本当にアメリカの擬人化そのものだよな」
と俺も評したことがあったが、なればこそ、
アメリカ「わが生涯に一片の悔いなし!!」
な絵面だったともいえるわな。
米英の崩壊もまたいつかは避けられぬことと予期しているのとはまた別に、
親の余命を案じる身として、なにも悦べるところはなかった事件だったといえる。
ゆえにここですら、安倍銃撃の時のようにはやし立てることもできなかったものだ。
別に革命が本当に勃発したところで、自らがその後の新政権の重鎮にでもなるのなら、
自分自身の親親族を入念な保護下に置くことぐらいはわけもないだろうが。
それでも、もう自分がこの世に要らなくなった存在と化してしまったことを、
如実に思い知らされたがためのショック死や衰弱までもが避けられるとは限らない。
特に俺の親父なんかに限れば、自らもまた良かれと思って従事して来た甚大な国土開発が、
持続可能化のために大量に間引かれて自然状態に引き戻されて行ったりするのを見て、
それがショックで寿命を縮めるようなことにもなりかねない。
なおかつ、自分の親だけを特権によって保護下に置いたところで、
大多数の一般人の親が、皆保険の廃絶などのせいで極度に寿命を縮められることまで
避けられるわけではなく、そんな中で自らの親だけ手厚い保護下に置いたり
しようものなら、自らの親を項羽に人質に取られても臆することなく戦い続けた
高祖劉邦の風上にも置けない下郎だ、ということにもなってしまいかねないからな。
自分自身の親親族を入念な保護下に置くことぐらいはわけもないだろうが。
それでも、もう自分がこの世に要らなくなった存在と化してしまったことを、
如実に思い知らされたがためのショック死や衰弱までもが避けられるとは限らない。
特に俺の親父なんかに限れば、自らもまた良かれと思って従事して来た甚大な国土開発が、
持続可能化のために大量に間引かれて自然状態に引き戻されて行ったりするのを見て、
それがショックで寿命を縮めるようなことにもなりかねない。
なおかつ、自分の親だけを特権によって保護下に置いたところで、
大多数の一般人の親が、皆保険の廃絶などのせいで極度に寿命を縮められることまで
避けられるわけではなく、そんな中で自らの親だけ手厚い保護下に置いたり
しようものなら、自らの親を項羽に人質に取られても臆することなく戦い続けた
高祖劉邦の風上にも置けない下郎だ、ということにもなってしまいかねないからな。
俺も別に、いちいち四書五経や孝経などの言葉を思い出しながら、
その実践に取り組んでいるのではなく、十住心論でいえば
愚童持斎心に該当するような心持ちの修練によって、
自然とその実践が務まるように仕向けているものである。
仏説における十住心であるとか、六道十界であるとかが、
各種のRAID構築のごときマインドセットの段階に該当し、
愚童持斎心なら六道のうちの人道と等価になるような法則性も持ち合わせている。
仏の悟りとまでは行かないながらに、儒学=愚童持斎心=人道程度の
境地を持ち保っているような人間もまた、浩然の気(孟子)と呼ばれるような
ある種の心の安定を得、その安定を損なわないような言動に務めてさえいれば、
いちいち儒書の言葉を参照したりするまでもなく、その矩ノリを超えることがなくなる。
畢竟、それが「正直であることは楽しい」の初歩中の初歩でもあり、
RAID構築的なマインドセットの蓄積のための大前提としての、
嘘をつくことを楽しむような邪念による記憶情報の断片化からの散逸
ぐらいは避けるようになった、最低よりもマシな段階に該当するのである。
その実践に取り組んでいるのではなく、十住心論でいえば
愚童持斎心に該当するような心持ちの修練によって、
自然とその実践が務まるように仕向けているものである。
仏説における十住心であるとか、六道十界であるとかが、
各種のRAID構築のごときマインドセットの段階に該当し、
愚童持斎心なら六道のうちの人道と等価になるような法則性も持ち合わせている。
仏の悟りとまでは行かないながらに、儒学=愚童持斎心=人道程度の
境地を持ち保っているような人間もまた、浩然の気(孟子)と呼ばれるような
ある種の心の安定を得、その安定を損なわないような言動に務めてさえいれば、
いちいち儒書の言葉を参照したりするまでもなく、その矩ノリを超えることがなくなる。
畢竟、それが「正直であることは楽しい」の初歩中の初歩でもあり、
RAID構築的なマインドセットの蓄積のための大前提としての、
嘘をつくことを楽しむような邪念による記憶情報の断片化からの散逸
ぐらいは避けるようになった、最低よりもマシな段階に該当するのである。
「君子は独りを慎み、小人は閑居して不善を為す」(大学)
誰も見てないのなら、別に罰せられたり不評を買ったりしないのなら、
嘘でも盗みでも出歯亀でもなんでもしてやりたいというような邪念に
駆られたりするのは、それこそを楽しむ段階にまだ自分がいるからである。
自らの記憶情報が断片化して、前頭葉全体におもちゃ箱をひっくり返したように
散逸する所にもまた、匹夫小人ならではの下衆な陶酔があるのも確かなこと。
バラバの犠牲者への配慮も疎かなままにイエスの昇天を賛美したり、
進化論の妥当性も無視しての、アダムとイヴの素っ裸創世神話を信じたり
することでこそ得られる、知能低下、論理破綻の楽しみというものも事実ある。
人が生きて行く上では。多くの怒りや悲しみが付き物で、その最たるものたるや、
自らや親愛なる相手の死であったりもするものだが、多くの下等動物が
死なんてものを理解していないが故に、そこへの恐怖も苦悩も抱かないが如く、
下等動物なみに知能を低下させた人間もまた疑似的にその安楽を得る。
記憶情報の断片化からの散逸を必要とするような論理破綻のむさぼりこそが、
人間に対してその機会を付与するが故に、悪趣味な愛好の対象とされるもの。
ただ、それはもちろん正直であることこそを楽しむ、浩然の気以上の上質な
精神的安楽とは相容れないものであるために、同時に人間精神を最低劣の
領域に止め置いて幽閉する、頑強な檻ともなってしまうのである。
誰も見てないのなら、別に罰せられたり不評を買ったりしないのなら、
嘘でも盗みでも出歯亀でもなんでもしてやりたいというような邪念に
駆られたりするのは、それこそを楽しむ段階にまだ自分がいるからである。
自らの記憶情報が断片化して、前頭葉全体におもちゃ箱をひっくり返したように
散逸する所にもまた、匹夫小人ならではの下衆な陶酔があるのも確かなこと。
バラバの犠牲者への配慮も疎かなままにイエスの昇天を賛美したり、
進化論の妥当性も無視しての、アダムとイヴの素っ裸創世神話を信じたり
することでこそ得られる、知能低下、論理破綻の楽しみというものも事実ある。
人が生きて行く上では。多くの怒りや悲しみが付き物で、その最たるものたるや、
自らや親愛なる相手の死であったりもするものだが、多くの下等動物が
死なんてものを理解していないが故に、そこへの恐怖も苦悩も抱かないが如く、
下等動物なみに知能を低下させた人間もまた疑似的にその安楽を得る。
記憶情報の断片化からの散逸を必要とするような論理破綻のむさぼりこそが、
人間に対してその機会を付与するが故に、悪趣味な愛好の対象とされるもの。
ただ、それはもちろん正直であることこそを楽しむ、浩然の気以上の上質な
精神的安楽とは相容れないものであるために、同時に人間精神を最低劣の
領域に止め置いて幽閉する、頑強な檻ともなってしまうのである。
嘘偽りその他の悪行にまったく罪悪感の一つも抱かないでいられる人間を、
近年の精神医学ではサイコパス(精神病質」などと呼んだりもするし、
なおかつサイコパスには高知能が多いなどとも言われているものだが。
前頭葉の長期記憶の整理を蔑ろにする代わりに、側頭葉の情報処理能力だけは
高め抜くという人種がその手の素養を身に付けるようなことが事実ありはする。
ユダヤ人などはまさにその手の人種が最も多いカルト集団であるために、
数多の天才を輩出して来た一方で、総体としてのその振舞いは、暴利を巻き上げる
悪徳金融などを本業とするあまりに、勢力圏では必ずと言っていいほど多くの
アンチを生み出しては迫害されるような目に遭い続けて来たのである。
そのうちの一人であるアインシュタインなども、宗教全般を否定するような
物言いを繰り返しながら、自身がユダヤ教徒であることはやめないといった
自己破綻加減であったものだが、さような欺瞞こそが欠陥相殺的に側頭葉の
情報処理能力を格段に高めるものでもあるし、またそのユダヤ教徒が幼少期から
徹底的に叩き込まれる旧約聖書の記述こそは、科学理論によってもまともな
道徳学によっても全否定する他ないような邪説暴言の塊であればこそ、長期記憶の
整理を徹底拒絶させることを引き換えにした、脳の情報処理能力の高さを育むのである。
近年の精神医学ではサイコパス(精神病質」などと呼んだりもするし、
なおかつサイコパスには高知能が多いなどとも言われているものだが。
前頭葉の長期記憶の整理を蔑ろにする代わりに、側頭葉の情報処理能力だけは
高め抜くという人種がその手の素養を身に付けるようなことが事実ありはする。
ユダヤ人などはまさにその手の人種が最も多いカルト集団であるために、
数多の天才を輩出して来た一方で、総体としてのその振舞いは、暴利を巻き上げる
悪徳金融などを本業とするあまりに、勢力圏では必ずと言っていいほど多くの
アンチを生み出しては迫害されるような目に遭い続けて来たのである。
そのうちの一人であるアインシュタインなども、宗教全般を否定するような
物言いを繰り返しながら、自身がユダヤ教徒であることはやめないといった
自己破綻加減であったものだが、さような欺瞞こそが欠陥相殺的に側頭葉の
情報処理能力を格段に高めるものでもあるし、またそのユダヤ教徒が幼少期から
徹底的に叩き込まれる旧約聖書の記述こそは、科学理論によってもまともな
道徳学によっても全否定する他ないような邪説暴言の塊であればこそ、長期記憶の
整理を徹底拒絶させることを引き換えにした、脳の情報処理能力の高さを育むのである。
モーセの十戒なども、一見してまともな道徳教条のように思われる後6条の上に、
唯一神への絶対服従を強いる前4条を置いた上で、その神はといえば、
服従心を示すために我が子を殺そうとしたアブラハムを救うような、
人間道徳に根本から反する真似を平気で強いるような代物である。
(まさにこれが現代日本で致命的な問題となっている、子愛の欠如と符合する事例でもある)
ユダヤ系哲学者のベルクソンも「道徳と宗教の二源泉」という自著で、
その冒頭で旧約聖書の創世神話への賛美を掲げながら、題名の通りに道徳と宗教の
相反性を説いていたものだけれども、そんな個別性が通用しているように思い込むこと自体が、
ユダヤ教やキリスト教のような生粋のカルト信仰の界隈でしかあり得ないことである。
お大師様や源信僧都が、十住心論や往生要集でただの人間道徳止まりな儒学の境地などを、
仏門よりも低い境地と見なしていたのも、あくまで自分たちが正当と見なしている
仏神への信仰や仏道修行などが、単なる道徳の完全な上位互換たり、以て人間道徳が
実践や実現を企図する所のものをより一層助成して行くものだと考えていたからである。
そうではなく、神への信仰が時に人間道徳を損ね、それ未満の退廃へと人々を陥れるのを
定立するのがカルト信仰であるが故に、人々を浩然の気以上の、正直であることの楽しみ
などへと導くことなく、むしろそれを徹底的に禁じてかかるような真似に及ぶのである。
唯一神への絶対服従を強いる前4条を置いた上で、その神はといえば、
服従心を示すために我が子を殺そうとしたアブラハムを救うような、
人間道徳に根本から反する真似を平気で強いるような代物である。
(まさにこれが現代日本で致命的な問題となっている、子愛の欠如と符合する事例でもある)
ユダヤ系哲学者のベルクソンも「道徳と宗教の二源泉」という自著で、
その冒頭で旧約聖書の創世神話への賛美を掲げながら、題名の通りに道徳と宗教の
相反性を説いていたものだけれども、そんな個別性が通用しているように思い込むこと自体が、
ユダヤ教やキリスト教のような生粋のカルト信仰の界隈でしかあり得ないことである。
お大師様や源信僧都が、十住心論や往生要集でただの人間道徳止まりな儒学の境地などを、
仏門よりも低い境地と見なしていたのも、あくまで自分たちが正当と見なしている
仏神への信仰や仏道修行などが、単なる道徳の完全な上位互換たり、以て人間道徳が
実践や実現を企図する所のものをより一層助成して行くものだと考えていたからである。
そうではなく、神への信仰が時に人間道徳を損ね、それ未満の退廃へと人々を陥れるのを
定立するのがカルト信仰であるが故に、人々を浩然の気以上の、正直であることの楽しみ
などへと導くことなく、むしろそれを徹底的に禁じてかかるような真似に及ぶのである。
正直であることによる浩然の気以上の楽しみと、
嘘偽りなどの不善にまみれることによる楽しみとでは、
いろいろと位相が食い違ってくるもので、端的に言って、
一方にとって面白い物事が、もう一方にとっては面白くもなんともない、
なんて事例が無数に上るようなことにもなる。
前者は地道であることを楽しみ、後者は手っ取り早いことを楽しむ、
前者は世のため人のためになるような仕事こそをもっとも楽しむ一方で、
後者は人と世を害してでも自分だけがいい思いをするような真似を楽しむなど、
根本的な所から枝葉末節に至るまで、生理的といってもいいぐらいの相反性を帯びる。
ただ、どちらのほうがより満足度が高いかといえば、
それは正直であることを楽しむ側のほうであるために、
たとえば不毛な水掛け論のレスバなどに遭遇しようものなら、
たとえ自分が負けたことになるような体裁になってしまうのだろうとも、
さしたる不満もないために、先に撤退するようなこともまた容易なわけである。
それにより自らは早寝による滋養にも与る一方、
邪念を楽しむ輩は寝不足で寿命を縮めるようなことともなり、
以て身体的な健康面などへの禍福の結実もまた顕著な相違を見せることとなる。
正直を楽しむ側こそがより大いなる善因楽果に与り、不善を楽しむ側のほうが、
その少なさと悪因苦果の多さに苛まれるという絶対法則もまた実在するわけである。
嘘偽りなどの不善にまみれることによる楽しみとでは、
いろいろと位相が食い違ってくるもので、端的に言って、
一方にとって面白い物事が、もう一方にとっては面白くもなんともない、
なんて事例が無数に上るようなことにもなる。
前者は地道であることを楽しみ、後者は手っ取り早いことを楽しむ、
前者は世のため人のためになるような仕事こそをもっとも楽しむ一方で、
後者は人と世を害してでも自分だけがいい思いをするような真似を楽しむなど、
根本的な所から枝葉末節に至るまで、生理的といってもいいぐらいの相反性を帯びる。
ただ、どちらのほうがより満足度が高いかといえば、
それは正直であることを楽しむ側のほうであるために、
たとえば不毛な水掛け論のレスバなどに遭遇しようものなら、
たとえ自分が負けたことになるような体裁になってしまうのだろうとも、
さしたる不満もないために、先に撤退するようなこともまた容易なわけである。
それにより自らは早寝による滋養にも与る一方、
邪念を楽しむ輩は寝不足で寿命を縮めるようなことともなり、
以て身体的な健康面などへの禍福の結実もまた顕著な相違を見せることとなる。
正直を楽しむ側こそがより大いなる善因楽果に与り、不善を楽しむ側のほうが、
その少なさと悪因苦果の多さに苛まれるという絶対法則もまた実在するわけである。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1720191770/9...
見合いも野合も結婚も、等しく縁遠い夢物語であることには変わりない、
江戸時代の半分以下な所得水準の世代の大多数にとっては、
未だ無縁にもほどがあり過ぎる話でしかないがな。
見合いも野合も結婚も、等しく縁遠い夢物語であることには変わりない、
江戸時代の半分以下な所得水準の世代の大多数にとっては、
未だ無縁にもほどがあり過ぎる話でしかないがな。
「父母(健)在なれば遠くに遊ばず。遊ぶにも必ず方(正さ)あり」
(里仁第四・一九)
これなどはまさに、正直さを楽しんでいる側でなければ決して楽しめない、
嘘偽りを楽しんでいる側などには苦痛の極みにしかならないような教条であろう。
道徳性を帯びた教条としてそれなりの妥当さを帯びたものであることぐらいは
察せようとて、それこそを楽しむなんて想像もつかず、逆に道徳なんて
堅苦しいだけでなんの楽しみにもならないものだと思い込む材料とのみなろう。
ファザコン、マザコンだから楽しめるという場合もあるかもしれないが、
儒学は子孫繁栄を尊ぶ教えでもあるから、親への病的な依存心で己が妻子を
蔑ろにしたりするようでもいけないわけで、別にそれを楽しめというのでもない。
かような教えまで守り抜くことで、浩然の気が高められて行くことこそを楽しむ。
その内実たるやこのスレでも色々と書いて来た通りで、外的な現象ではなく、
内面からの納得によってのみそれを理解できるところがあるのでもある。
(里仁第四・一九)
これなどはまさに、正直さを楽しんでいる側でなければ決して楽しめない、
嘘偽りを楽しんでいる側などには苦痛の極みにしかならないような教条であろう。
道徳性を帯びた教条としてそれなりの妥当さを帯びたものであることぐらいは
察せようとて、それこそを楽しむなんて想像もつかず、逆に道徳なんて
堅苦しいだけでなんの楽しみにもならないものだと思い込む材料とのみなろう。
ファザコン、マザコンだから楽しめるという場合もあるかもしれないが、
儒学は子孫繁栄を尊ぶ教えでもあるから、親への病的な依存心で己が妻子を
蔑ろにしたりするようでもいけないわけで、別にそれを楽しめというのでもない。
かような教えまで守り抜くことで、浩然の気が高められて行くことこそを楽しむ。
その内実たるやこのスレでも色々と書いて来た通りで、外的な現象ではなく、
内面からの納得によってのみそれを理解できるところがあるのでもある。
戦後の日本などは、最長老の団塊世代の頃から、
西洋的な個人主義の浸透のせいもあって、伝統文化の家元でもない限りは、
親が健在なうちから独り立ちして新たな家族を育むのが、より健全な人間の在り方だ
などとまで思い込まれるようになり、大人になっても実家に留まるような者は、
長男だろうが嫡子だろうがお構いなしに脛齧り、こどおじなどと呼ばれて蔑まれるようになったもの。
それはもう、戦後日本に浸透して行った西洋文化(特にアメリカ文化)が、
力道山が八百長で木村政彦に勝つことを持て囃すような、まさに嘘を楽しむことこそを
本流とし始めたがために、そうである以上は招かれざるを得なかった潮流なのである。
能や歌舞伎のような古来の劇作などにもフィクション自体は多くあれど、
それはあくまで嘘な部分は嘘だとちゃんとわきまえた上で楽しむ部類のものだから、
自己欺瞞などまで強いられることはないのだけれども、件のプロレス試合などは、
嘘であることを本当であるかのように思い込む部類の迫真さまでをも加味させていたがために、
人々に自己欺瞞による脳内記憶の断片化からの散逸までをも強いることとなったのである。
そういった、自己を偽ることまで強いる部類の欺瞞文化の押し付けによって、
日本人の大多数もまた嘘偽りこそを楽しむ悪趣味に脳を侵され、正直を楽しむことのほうは完全に絶えた
とまでは行かないが、古来の遺伝によって無意識に残存している程度のものにまでなり果ててしまっているのである。
西洋的な個人主義の浸透のせいもあって、伝統文化の家元でもない限りは、
親が健在なうちから独り立ちして新たな家族を育むのが、より健全な人間の在り方だ
などとまで思い込まれるようになり、大人になっても実家に留まるような者は、
長男だろうが嫡子だろうがお構いなしに脛齧り、こどおじなどと呼ばれて蔑まれるようになったもの。
それはもう、戦後日本に浸透して行った西洋文化(特にアメリカ文化)が、
力道山が八百長で木村政彦に勝つことを持て囃すような、まさに嘘を楽しむことこそを
本流とし始めたがために、そうである以上は招かれざるを得なかった潮流なのである。
能や歌舞伎のような古来の劇作などにもフィクション自体は多くあれど、
それはあくまで嘘な部分は嘘だとちゃんとわきまえた上で楽しむ部類のものだから、
自己欺瞞などまで強いられることはないのだけれども、件のプロレス試合などは、
嘘であることを本当であるかのように思い込む部類の迫真さまでをも加味させていたがために、
人々に自己欺瞞による脳内記憶の断片化からの散逸までをも強いることとなったのである。
そういった、自己を偽ることまで強いる部類の欺瞞文化の押し付けによって、
日本人の大多数もまた嘘偽りこそを楽しむ悪趣味に脳を侵され、正直を楽しむことのほうは完全に絶えた
とまでは行かないが、古来の遺伝によって無意識に残存している程度のものにまでなり果ててしまっているのである。
嘘偽りそのものを楽しむことと、
楽しみの中に手段としての嘘が加味されていることとは
根本的に別物であるというのが、
たとえば日本とアメリカの二次元描写の差異などからも知れる。
アメリカ文化というのは、キリスト教圏であることもあって、
嘘偽りによる自己欺瞞そのものを楽しむことがいつも主体になっている。
そのためディズニーなどのカートゥーンにおける人物描写なども、
それなりに崩してはいるのに、どこかリアルに寄せとかないと気が済まない
といった傾向を帯びている一方、日本の漫画アニメなどは、それはあくまで
虚構の領域だと割り切っているからこそ、より大胆な崩しを多用する。
それが逆に二次元の範疇でのキャラの魅力を引き立たせたりもしている。
世界中でディズニーやマーベルの人気が凋落の一途を辿っている一方、
日本の漫画アニメは上り調子一本だったりすることからもわかるように、
普通に誰しも嘘は嘘だと割りきっている創作の健全さのほうをより楽しみ、
嘘を本当のように思い込む不健全さには拒絶感を抱き始めているのが現状である。
楽しみの中に手段としての嘘が加味されていることとは
根本的に別物であるというのが、
たとえば日本とアメリカの二次元描写の差異などからも知れる。
アメリカ文化というのは、キリスト教圏であることもあって、
嘘偽りによる自己欺瞞そのものを楽しむことがいつも主体になっている。
そのためディズニーなどのカートゥーンにおける人物描写なども、
それなりに崩してはいるのに、どこかリアルに寄せとかないと気が済まない
といった傾向を帯びている一方、日本の漫画アニメなどは、それはあくまで
虚構の領域だと割り切っているからこそ、より大胆な崩しを多用する。
それが逆に二次元の範疇でのキャラの魅力を引き立たせたりもしている。
世界中でディズニーやマーベルの人気が凋落の一途を辿っている一方、
日本の漫画アニメは上り調子一本だったりすることからもわかるように、
普通に誰しも嘘は嘘だと割りきっている創作の健全さのほうをより楽しみ、
嘘を本当のように思い込む不健全さには拒絶感を抱き始めているのが現状である。
とはいえ、遠出の遊興で親に心配をかけないことを楽しむような、
本式の正学にも乗っ取った域の楽しみにまで与れているような人間は未だ
皆無に等しいのもまた事実であり、正直であることそのものを楽しむよりは下の、
嘘は嘘だと割り切って楽しむのが最善状態なのが、近年の世界中での傾向だといえる。
古来の漢籍の等級分けも経>史>子>集で、>>164で引用した論語を含む経のほうが、
フィクション全般が該当する集よりもはるかに高等なものとされていたものだし、
その差別化自体は決して過去の遺物扱いしていいものでもなく、やはり正直であること
そのものを楽しむことやそのための教えのほうが、嘘偽りもまた方便としながら
楽しむことやその材料などよりも格上である程度のわきまえもまたあるべきである。
ただ、今の時代にはあまりにも正直であること自体を楽しむことが難関すぎるが故に、
論孟も史記漢書も老荘も、漫画アニメなどより上質な「楽しみの糧」たるという所
にまではなかなか察知が及びにくいものではある。現状ではそれが無理であるにしても、
なればこそ経史子も集以上たるのだということを、参考程度には覚えておくべきものである。
本式の正学にも乗っ取った域の楽しみにまで与れているような人間は未だ
皆無に等しいのもまた事実であり、正直であることそのものを楽しむよりは下の、
嘘は嘘だと割り切って楽しむのが最善状態なのが、近年の世界中での傾向だといえる。
古来の漢籍の等級分けも経>史>子>集で、>>164で引用した論語を含む経のほうが、
フィクション全般が該当する集よりもはるかに高等なものとされていたものだし、
その差別化自体は決して過去の遺物扱いしていいものでもなく、やはり正直であること
そのものを楽しむことやそのための教えのほうが、嘘偽りもまた方便としながら
楽しむことやその材料などよりも格上である程度のわきまえもまたあるべきである。
ただ、今の時代にはあまりにも正直であること自体を楽しむことが難関すぎるが故に、
論孟も史記漢書も老荘も、漫画アニメなどより上質な「楽しみの糧」たるという所
にまではなかなか察知が及びにくいものではある。現状ではそれが無理であるにしても、
なればこそ経史子も集以上たるのだということを、参考程度には覚えておくべきものである。
トランプの就任受諾演説の日に合わせての、史上最大規模のWindowsシステム障害。
原因になったセキュリティソフトを使ってなかったんでウチは無事だったけれども、
これがWindowsOSそのものに組み込まれた障害だった日には、
全世界の何もかものインフラがダウンする壊滅的事態に陥ることが免れ得ない。
マイクロソフトも近ごろまでポリコレ雇用枠なんざを用意していたようだし、
そこにスパイが紛れ込んでKADOKAWAドワンゴのサーバに埋め込んだような
ランサムウェアをOSに埋め込んだりも、絶対にあり得ないことではなかろうて。
米民主党側であるCIAや中韓にとって、あまりにも都合の悪い政策を推し進めるようなら、
一昨日以上の大規模障害の誘発も辞さないという恫喝の一つだったかもしれないが、
さりとて今のトランプが及び腰なんかになることもなかろうし、ITインフラも概ね
ダウンした状態での南北戦争ふたたび、なんて事態も想定しておかねばなるまいな。
原因になったセキュリティソフトを使ってなかったんでウチは無事だったけれども、
これがWindowsOSそのものに組み込まれた障害だった日には、
全世界の何もかものインフラがダウンする壊滅的事態に陥ることが免れ得ない。
マイクロソフトも近ごろまでポリコレ雇用枠なんざを用意していたようだし、
そこにスパイが紛れ込んでKADOKAWAドワンゴのサーバに埋め込んだような
ランサムウェアをOSに埋め込んだりも、絶対にあり得ないことではなかろうて。
米民主党側であるCIAや中韓にとって、あまりにも都合の悪い政策を推し進めるようなら、
一昨日以上の大規模障害の誘発も辞さないという恫喝の一つだったかもしれないが、
さりとて今のトランプが及び腰なんかになることもなかろうし、ITインフラも概ね
ダウンした状態での南北戦争ふたたび、なんて事態も想定しておかねばなるまいな。
日ごろからネットを敵視している大メディアの、
この鬼の首を取ったようなはやし立てよう。
仮に全世界のWindowsがダウンするなみの障害が起きた場合に、
大メディアがその役割を肩代わりできるのかというと、
もちろんそんなことはなく、逆に関東大震災時に自警団気取りで暴れ回ってた
早慶連中みたいなヤカラをはやし立てるような真似にすら及びかねない。
Xのダウンなどによって、ネット上での相互監視が不全化した途端に、
「小人閑居して不善を為す」の真似に及び始めるようなならず者が、
この日本ですら相当数現れかねないし、しかもそれはいま大メディアや
政財界に取り入っているような連中の中にこそ多かろうとも察せられる。
警察もその手の連中には頭が上がらないから半ば黙認状態となり、
自衛隊も今の員数や弾数だけでは制圧がままならず、上からの
謎の圧力で待機を強いられるようなことにもなり得よう。
ーーなどと、台湾どころか日本まで中露からの侵攻で乗っ取られかねない
ような事態への陥りを、在日米軍も指をくわえて見ているだけでいるのを
大前提とした、適当なシミュレーションをひけらかしてみたり。
まあ本当にどうなるかなどは、知っててもまだ言わないわけだが。
それよりも悪い場合まで想定しておいてこその万全というものよ。
この鬼の首を取ったようなはやし立てよう。
仮に全世界のWindowsがダウンするなみの障害が起きた場合に、
大メディアがその役割を肩代わりできるのかというと、
もちろんそんなことはなく、逆に関東大震災時に自警団気取りで暴れ回ってた
早慶連中みたいなヤカラをはやし立てるような真似にすら及びかねない。
Xのダウンなどによって、ネット上での相互監視が不全化した途端に、
「小人閑居して不善を為す」の真似に及び始めるようなならず者が、
この日本ですら相当数現れかねないし、しかもそれはいま大メディアや
政財界に取り入っているような連中の中にこそ多かろうとも察せられる。
警察もその手の連中には頭が上がらないから半ば黙認状態となり、
自衛隊も今の員数や弾数だけでは制圧がままならず、上からの
謎の圧力で待機を強いられるようなことにもなり得よう。
ーーなどと、台湾どころか日本まで中露からの侵攻で乗っ取られかねない
ような事態への陥りを、在日米軍も指をくわえて見ているだけでいるのを
大前提とした、適当なシミュレーションをひけらかしてみたり。
まあ本当にどうなるかなどは、知っててもまだ言わないわけだが。
それよりも悪い場合まで想定しておいてこその万全というものよ。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1721532065/2...
たとえば今の関東地方なども、利根川東遷に代表されるような治水事業に
徳川が長年をかけて取り組んで来たからこそ世界最大の都市圏たるように、
すでに儒学や仏道を統治原理から排した後の東アジア社会においても、
古来の仁政こそが今に至るまでの国力の源となり続けている。
一方で、キリスト教圏もすでに政教分離を基本としているといえども、
人々が本物の仁慈を抱いての善政に取り組める可能性などを始めから見限っての、
不埒な金儲けこそを公共善だと思い込んで推進するような蒙昧が横行しているからこそ、
どんなにあがいても人類80億のうちの1/4程度の勢力でしかいられていない上に、
未だにロシアやイスラエル(を名乗るアメリカの衛星国)のような戦乱の元凶となったり、
土人社会未満な再貧困の飢餓国だらけであるブラックアフリカの宗主であったりする。
人間という生き物が個人レベルで公共善を会得してその実践を国家規模で成し遂げる
ことも可能であればこそ、それに取り組んで来た者と、諦めて来た者の雌雄が決したわけである。
たとえば今の関東地方なども、利根川東遷に代表されるような治水事業に
徳川が長年をかけて取り組んで来たからこそ世界最大の都市圏たるように、
すでに儒学や仏道を統治原理から排した後の東アジア社会においても、
古来の仁政こそが今に至るまでの国力の源となり続けている。
一方で、キリスト教圏もすでに政教分離を基本としているといえども、
人々が本物の仁慈を抱いての善政に取り組める可能性などを始めから見限っての、
不埒な金儲けこそを公共善だと思い込んで推進するような蒙昧が横行しているからこそ、
どんなにあがいても人類80億のうちの1/4程度の勢力でしかいられていない上に、
未だにロシアやイスラエル(を名乗るアメリカの衛星国)のような戦乱の元凶となったり、
土人社会未満な再貧困の飢餓国だらけであるブラックアフリカの宗主であったりする。
人間という生き物が個人レベルで公共善を会得してその実践を国家規模で成し遂げる
ことも可能であればこそ、それに取り組んで来た者と、諦めて来た者の雌雄が決したわけである。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1721562653...
そりゃあ、ここには次世代からの介護よりも、
AIや移民による安楽死のほうがマシぐらいに考えてる年寄りのほうが多かろうからな。
それほどにも、自分たちが次世代に対して鬼畜のような仕打ちばかりを
積み重ねて来たという自覚があるものだから。
なんなら、AI未満であってくれた方がマシぐらいに思ってるだろうさ。
それ以前に、まず外人未満であって欲しい舶来かぶれも多かろう。
そういう風に、戦後日本の支配者であるアメリカが育てたのだから、当たり前。
そりゃあ、ここには次世代からの介護よりも、
AIや移民による安楽死のほうがマシぐらいに考えてる年寄りのほうが多かろうからな。
それほどにも、自分たちが次世代に対して鬼畜のような仕打ちばかりを
積み重ねて来たという自覚があるものだから。
なんなら、AI未満であってくれた方がマシぐらいに思ってるだろうさ。
それ以前に、まず外人未満であって欲しい舶来かぶれも多かろう。
そういう風に、戦後日本の支配者であるアメリカが育てたのだから、当たり前。
(>>174の続き)
元自衛隊芸人やす子24時間マラソンに挑戦
https://news.mynavi.jp/article/20240717-2987010...
「いくらでも偽善呼ばわりしてください。それも養分にするんで」
偽善も何も、募金より出演者のギャラのほうが多いうえに、
その募金すら着服されまくってることが発覚している純粋悪状態なのが
今の24時間テレビなのに、それを開き直ることに協賛する元自衛官。
山上烈士が海自に入隊した経緯も大概だったものだが、
この女も食うや食わずの極貧状態からの養護施設入りからの陸自入隊と、
やはりちょっと普通ではない域の不遇さからの軍隊入りという、
アメリカなら除隊後ホームレスにでもなってそうな域の身の上である。
旧日本軍も、貧農の次男坊三男坊を「白い米たくさん食わしてやるから」
と釣って徴兵し、喜び勇んで死地に赴かせていたようだけれども、
自衛隊もまた残念ながらそれと似たような体制を少なからず帯びているらしい。
そしてそんな形で軍役に参画した者たるや、容易く自我を喪失させての、
上からの操り人形ともなり下がるもので、一端の武士や武将はおろか、
下剋上の野望と共に従軍していた足軽ほどの自尊心ももはやない。
そこにまず何かを期待するようなことは無駄にしかなるまいし、なるべくなら
そんな陰惨な軍役自体、この世からなるべく無くして然るべきものである。
(もちろん軍備放棄なんて意味ではなく、武家並みの尊厳と共にあれという意味)
元自衛隊芸人やす子24時間マラソンに挑戦
https://news.mynavi.jp/article/20240717-2987010...
「いくらでも偽善呼ばわりしてください。それも養分にするんで」
偽善も何も、募金より出演者のギャラのほうが多いうえに、
その募金すら着服されまくってることが発覚している純粋悪状態なのが
今の24時間テレビなのに、それを開き直ることに協賛する元自衛官。
山上烈士が海自に入隊した経緯も大概だったものだが、
この女も食うや食わずの極貧状態からの養護施設入りからの陸自入隊と、
やはりちょっと普通ではない域の不遇さからの軍隊入りという、
アメリカなら除隊後ホームレスにでもなってそうな域の身の上である。
旧日本軍も、貧農の次男坊三男坊を「白い米たくさん食わしてやるから」
と釣って徴兵し、喜び勇んで死地に赴かせていたようだけれども、
自衛隊もまた残念ながらそれと似たような体制を少なからず帯びているらしい。
そしてそんな形で軍役に参画した者たるや、容易く自我を喪失させての、
上からの操り人形ともなり下がるもので、一端の武士や武将はおろか、
下剋上の野望と共に従軍していた足軽ほどの自尊心ももはやない。
そこにまず何かを期待するようなことは無駄にしかなるまいし、なるべくなら
そんな陰惨な軍役自体、この世からなるべく無くして然るべきものである。
(もちろん軍備放棄なんて意味ではなく、武家並みの尊厳と共にあれという意味)
フジの27時間テレビも、純粋悪丸出しの募金キャンペーンまではしないながらに、
超低視聴率かつ出演者の不遜な態度からの顰蹙だけ買って終了。
ネットネイティブの次世代どころか、旧世代の年寄りにまで、
テレビがつまらなさ過ぎてYouTubeやゲームに走る者が続出している昨今。
前から言ってるが、その主因は何と言っても提供している情報量の少なさにあり、
報道や教養番組でもネットの1/10、バラエティやテレビショッピングに至っては
ネットの1/50以下の提供速度なんてのがザラなのが、内容の良し悪しにかかわらず、
見る者を辟易させざるを得ない事態に陥っているのである。
ただそれ自体が、視聴者を些少な情報の享受だけで雁字搦めにすることによって、
プロパガンダにも容易に引っかかりやすくするための愚民化洗脳の一環なれば、
どんなに視聴率が落ちようとも改めようとする気配すら見られない。
ゆえに、テレビが提供する情報というのは、もはやモノフォニックであることで
完全に一本化されており、多面的、重層的な考え方を損なわしめる程度には、
人々を低脳化させることが決して免れ得ないようにもなっているものである。
そこで提供されている情報自体がそれなりに有意義なものだろうとも、
あまりにも情報量が少なくて提供速度が遅いという、それだけの理由でもはや、
人々の思考形式がポリフォニックたることを阻害する害悪性を帯びているのである。
超低視聴率かつ出演者の不遜な態度からの顰蹙だけ買って終了。
ネットネイティブの次世代どころか、旧世代の年寄りにまで、
テレビがつまらなさ過ぎてYouTubeやゲームに走る者が続出している昨今。
前から言ってるが、その主因は何と言っても提供している情報量の少なさにあり、
報道や教養番組でもネットの1/10、バラエティやテレビショッピングに至っては
ネットの1/50以下の提供速度なんてのがザラなのが、内容の良し悪しにかかわらず、
見る者を辟易させざるを得ない事態に陥っているのである。
ただそれ自体が、視聴者を些少な情報の享受だけで雁字搦めにすることによって、
プロパガンダにも容易に引っかかりやすくするための愚民化洗脳の一環なれば、
どんなに視聴率が落ちようとも改めようとする気配すら見られない。
ゆえに、テレビが提供する情報というのは、もはやモノフォニックであることで
完全に一本化されており、多面的、重層的な考え方を損なわしめる程度には、
人々を低脳化させることが決して免れ得ないようにもなっているものである。
そこで提供されている情報自体がそれなりに有意義なものだろうとも、
あまりにも情報量が少なくて提供速度が遅いという、それだけの理由でもはや、
人々の思考形式がポリフォニックたることを阻害する害悪性を帯びているのである。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1721532065/3...
イスラムも形而上信仰であるアブラハム教の一派だから、教義の
体裁が汎神論的なわけではないが、形而上から形而下を見下す偽託信仰
の典型であるユダヤやキリストの教義を打ち消してかかった関係で、
自然と汎神論的となり、そういう風に解釈することも可能となっている。
ボーアやシュレディンガーのような物理学者もその妥当性を認めるような形で、
全世界全宇宙の基本法則を説いている易経を、孔孟も最も根本的な所からの人間社会への
理解のための典拠としていたし、その教えを実践した周漢や唐宋や平安朝や江戸幕府もまた、
数百年単位の無内戦状態を実現して来た。それこそ、まさに万有と公共の類似性、同一性を
実証している証拠だといえるし、逆に万有と公を全く別個のものとして捉えようとしている
その妄念こそが、おまえのような人種が公共善の会得を致命的に不能ならしめている、
最たる原因であるのだろうとも知れたものだな。反面教師としての勉強材料ありがとう。人
イスラムも形而上信仰であるアブラハム教の一派だから、教義の
体裁が汎神論的なわけではないが、形而上から形而下を見下す偽託信仰
の典型であるユダヤやキリストの教義を打ち消してかかった関係で、
自然と汎神論的となり、そういう風に解釈することも可能となっている。
ボーアやシュレディンガーのような物理学者もその妥当性を認めるような形で、
全世界全宇宙の基本法則を説いている易経を、孔孟も最も根本的な所からの人間社会への
理解のための典拠としていたし、その教えを実践した周漢や唐宋や平安朝や江戸幕府もまた、
数百年単位の無内戦状態を実現して来た。それこそ、まさに万有と公共の類似性、同一性を
実証している証拠だといえるし、逆に万有と公を全く別個のものとして捉えようとしている
その妄念こそが、おまえのような人種が公共善の会得を致命的に不能ならしめている、
最たる原因であるのだろうとも知れたものだな。反面教師としての勉強材料ありがとう。人
むしろあいつのほうが、公共性が万有の化身であることが
受け入れられなくて狼狽してるんだろ?
洋学小僧たちが世界の中心だったと思い込んでいるローマ帝国も、
四分五裂状態だった時代の中国の一国程度の国力しかなかったわけだが。
そういう時代の中国などでも、真の公共性が見損なわれて、国を挙げての
我田引水からの争乱などがひっきりなしに繰り返されていたもので、それが、
洋学小僧が真の公共性など人間が把握することなど不可能だと思い込むのと
全く同じ、「井の中の蛙大海を知らず」の法則に基づいた現象なのである。
そのローマ帝国を模範にして建国運営されているアメリカなどもまた、
どこまで行っても井中蛙の集まり止まりなせいで、3億やそこらの人口だけでも、
いがみ合いからの大分裂に陥らざるを得ないような事態にも陥っている。
3億でも古代の中華帝国などよりは大きいが、10億超えの大国もすでにある
ような中での3億ゆえに、やはり全体を見渡す見識を養うのに十分たり得ない。
それゆえの視野の狭量さがやはり、万有と公の共通性を見失わせたままに置く。
全体の中のごく一部を全体だなどと思い込む迷妄からまず抜け出さないことには、
公についてどうこう語るだけ烏滸がましい身の上のままであり続けるしかないわけだ。
もちろん天下万人ではなく、そういう人種だけに限った病理として。
受け入れられなくて狼狽してるんだろ?
洋学小僧たちが世界の中心だったと思い込んでいるローマ帝国も、
四分五裂状態だった時代の中国の一国程度の国力しかなかったわけだが。
そういう時代の中国などでも、真の公共性が見損なわれて、国を挙げての
我田引水からの争乱などがひっきりなしに繰り返されていたもので、それが、
洋学小僧が真の公共性など人間が把握することなど不可能だと思い込むのと
全く同じ、「井の中の蛙大海を知らず」の法則に基づいた現象なのである。
そのローマ帝国を模範にして建国運営されているアメリカなどもまた、
どこまで行っても井中蛙の集まり止まりなせいで、3億やそこらの人口だけでも、
いがみ合いからの大分裂に陥らざるを得ないような事態にも陥っている。
3億でも古代の中華帝国などよりは大きいが、10億超えの大国もすでにある
ような中での3億ゆえに、やはり全体を見渡す見識を養うのに十分たり得ない。
それゆえの視野の狭量さがやはり、万有と公の共通性を見失わせたままに置く。
全体の中のごく一部を全体だなどと思い込む迷妄からまず抜け出さないことには、
公についてどうこう語るだけ烏滸がましい身の上のままであり続けるしかないわけだ。
もちろん天下万人ではなく、そういう人種だけに限った病理として。
自分が「世界」だと思い込んでいる領域が、全体に対して十分に矮小であるようなら、
公共性を意識して仁政に取り組んだりするよりも、外界への暴力や詐欺による侵害によって
暴利を巻き上げるような真似に及んだ方が、手っ取り早く「世界」を豊かにできる場合がある。
だから、公なんかいちいち意識したりするまでもなく、私的な金儲けでも突き進めた方が
公共性に適うなんてまで、井の中の蛙止まりな世界観の持ち主が思い込んだりもするわけだ。
欧米人なんて太古の昔からそれ止まりで来たために、アレクサンドロス東征だ十字軍遠征だ
大航海時代だと、ほとんど侵略頼みでの歴史ばかりを積み重ねて来たものだけれども。
それで欧米人が豊かになれたりしたのは、自分たちが全世界においては十分以上に矮小な
勢力でしかなかったからなのであり、故に今も世界の1/4程度の規模でしかいられてはいない。
アレクサンドロスが打ち破って勝ち誇っていたペルシャ帝国も、実は春秋時代の斉一国にも
劣る程度の規模でしかなかった、その頃からずっと続いて来てる、矮小だからこその好き勝手。
そんな連中だから公共性を会得=仁徳を抱くことも出来ないだけなのであって、
全人類の中では極めて奇特な、精神の不具者たちならではの病状でしかないのである。
公共性を意識して仁政に取り組んだりするよりも、外界への暴力や詐欺による侵害によって
暴利を巻き上げるような真似に及んだ方が、手っ取り早く「世界」を豊かにできる場合がある。
だから、公なんかいちいち意識したりするまでもなく、私的な金儲けでも突き進めた方が
公共性に適うなんてまで、井の中の蛙止まりな世界観の持ち主が思い込んだりもするわけだ。
欧米人なんて太古の昔からそれ止まりで来たために、アレクサンドロス東征だ十字軍遠征だ
大航海時代だと、ほとんど侵略頼みでの歴史ばかりを積み重ねて来たものだけれども。
それで欧米人が豊かになれたりしたのは、自分たちが全世界においては十分以上に矮小な
勢力でしかなかったからなのであり、故に今も世界の1/4程度の規模でしかいられてはいない。
アレクサンドロスが打ち破って勝ち誇っていたペルシャ帝国も、実は春秋時代の斉一国にも
劣る程度の規模でしかなかった、その頃からずっと続いて来てる、矮小だからこその好き勝手。
そんな連中だから公共性を会得=仁徳を抱くことも出来ないだけなのであって、
全人類の中では極めて奇特な、精神の不具者たちならではの病状でしかないのである。
どうしておまえらは、人前に敵対者として立ちはだかることで、
何かいい思いができるなんていう妄念を抱かずにはいられないんだろうな?
それこそ、上に書いたような害為正法外道としての性分を、
意識的か否かに関わらず、くすぶらせたままでいるからなのだろうに。
寄生虫や病原菌や癌細胞あたりもみな持ち合わせている性向。
それが悪性の因子としてこの世に遍在することまで否定する気もないのにな。
ただそこにこそ「主体性」があると思い込む顛倒だけが致命問題なだけで。
何かいい思いができるなんていう妄念を抱かずにはいられないんだろうな?
それこそ、上に書いたような害為正法外道としての性分を、
意識的か否かに関わらず、くすぶらせたままでいるからなのだろうに。
寄生虫や病原菌や癌細胞あたりもみな持ち合わせている性向。
それが悪性の因子としてこの世に遍在することまで否定する気もないのにな。
ただそこにこそ「主体性」があると思い込む顛倒だけが致命問題なだけで。
(>>179の続き)
世間に対して募金キャンペーンを張っときながら、
それよりも多くのギャラを得て、募金まで着服。
自分たちが持て囃してる野球選手の身を危険にさらすような
個人情報暴露のパパラッチ報道をしておきながら、ろくに反省の色もなし。
どう見てもまともな日本人とは思えない域な悪党どものあり様だけれども、
こんな自己破綻、自己欺瞞にまみれた腐敗組織なればこそ、
放送する番組の情報なども極めて些少でモノフォニックでしかあり得ない
ということが、このスレで述べて来た話からも容易に知れるわけである。
昔はまだそれをフォローするための下働き要員などもかませていたが、
出来る限り自分たちだけで予算を牛耳っておきたいがために、
そんな要員も年を重ねるごとに減らし、フジデモや高橋まつりの自殺沙汰
以降には、もはやフォローしてくれる相手もいなくなっての暴走状態でいる。
最末期の信長や秀吉も、もはやフォローしてくれる相手もいなくなった
ところからの暴走を来たした上での暗殺や、死後の家門断絶に見舞われたもの。
「小人始めありて終わりなし(晋書)」とはまさに、不相応な権益の掌握に
及んだ場合のそれこそが、見るに明らかな醜態で示し出す現象であるといえる。
世間に対して募金キャンペーンを張っときながら、
それよりも多くのギャラを得て、募金まで着服。
自分たちが持て囃してる野球選手の身を危険にさらすような
個人情報暴露のパパラッチ報道をしておきながら、ろくに反省の色もなし。
どう見てもまともな日本人とは思えない域な悪党どものあり様だけれども、
こんな自己破綻、自己欺瞞にまみれた腐敗組織なればこそ、
放送する番組の情報なども極めて些少でモノフォニックでしかあり得ない
ということが、このスレで述べて来た話からも容易に知れるわけである。
昔はまだそれをフォローするための下働き要員などもかませていたが、
出来る限り自分たちだけで予算を牛耳っておきたいがために、
そんな要員も年を重ねるごとに減らし、フジデモや高橋まつりの自殺沙汰
以降には、もはやフォローしてくれる相手もいなくなっての暴走状態でいる。
最末期の信長や秀吉も、もはやフォローしてくれる相手もいなくなった
ところからの暴走を来たした上での暗殺や、死後の家門断絶に見舞われたもの。
「小人始めありて終わりなし(晋書)」とはまさに、不相応な権益の掌握に
及んだ場合のそれこそが、見るに明らかな醜態で示し出す現象であるといえる。
もうスレを消して逃亡したようだけれども、
俺の話をAIに読み取らせた上での会話シミュレート、
見事なまでに含蓄の部分がゴッソリ抜け落ちた上での、
上辺だけなうえに間違いだらけとかいう結果になってたな。
話の裏側に控えている知恵の蓄積が、すべて文面上に示し出されているわけ
ではないものだから、文面だけ解釈してみてもそういうことになってしまう。
じゃあ人間なら理解できるのかというと、やはり同等以上のマインドセットを
前頭葉に蓄積しているか、もしくは他力本願であることにかけて入念な
篤信を持ち合わせているかでもない限りは難しいこととなる。
そういうのがなくても誰にでも理解できる話といえば、それは、
飲酒喫煙で代表を辞退した体操選手とか、奈良の鹿を蹴り飛ばした犯人とかに
御意見番気取りで横槍の意見を述べ立ててる連中の話とかがそれに該当しよう。
賛同を取り付けて人気が得られそうな反面、その背景の含蓄なんか何もない。
なんなら橋下徹みたいな法律の専門家でも、専門外のことにかけてはそうなる。
そういうのはAIにも解釈が容易な上に、AIのほうがより最適解を導けたりもするもんだ。
俺の話をAIに読み取らせた上での会話シミュレート、
見事なまでに含蓄の部分がゴッソリ抜け落ちた上での、
上辺だけなうえに間違いだらけとかいう結果になってたな。
話の裏側に控えている知恵の蓄積が、すべて文面上に示し出されているわけ
ではないものだから、文面だけ解釈してみてもそういうことになってしまう。
じゃあ人間なら理解できるのかというと、やはり同等以上のマインドセットを
前頭葉に蓄積しているか、もしくは他力本願であることにかけて入念な
篤信を持ち合わせているかでもない限りは難しいこととなる。
そういうのがなくても誰にでも理解できる話といえば、それは、
飲酒喫煙で代表を辞退した体操選手とか、奈良の鹿を蹴り飛ばした犯人とかに
御意見番気取りで横槍の意見を述べ立ててる連中の話とかがそれに該当しよう。
賛同を取り付けて人気が得られそうな反面、その背景の含蓄なんか何もない。
なんなら橋下徹みたいな法律の専門家でも、専門外のことにかけてはそうなる。
そういうのはAIにも解釈が容易な上に、AIのほうがより最適解を導けたりもするもんだ。
「この事件に対して、こういう意見を述べておけば、
多くの人々からの喝采(や反発)が得られて人気を博せるだろうな」
と見込んでの発言などには、発言者自身の独自の知恵だ含蓄だは
何もないし、むしろあえてなからしめているぐらいのもの。
だからこそ、その手の発言をインフルエンサーだなんだのいかがわしい立場から
試みている界隈全体が、子供にも見限られるほどの浅ましさでいるわけだけれども。
たとえば、ウィルスミスのアカデミー賞ビンタ事件などに対しては、
多くの日本人がアメリカ平均などよりも多面的な見方ができていたように、
情報を享受する一般人側の民度や知見の高低によって、より人気を
博するような意見というのがそれなりに変わって来るものである。
日本人が共通して持ち合わせているような是非意識は、
かなり劣化しているとはいえやはり現世界最上級のものでもあり、
そこに同化しておくだけでもそれなりの品性でいられるところがある。
一方で、それもやはり昔の日本人や賢聖のそれには遠く及ばないものだから、
そんな所に同じたりする以上に、己が知見を深化させて行くべきなのでもある。
ただそれは当然、人気取り目的の発言などよりも理解されることが少なくなり、
究極的にはほとんどの人間が理解できなくなることすらあるのである。
ゆえに「巧言令色すくなき仁」ともなるのである。
多くの人々からの喝采(や反発)が得られて人気を博せるだろうな」
と見込んでの発言などには、発言者自身の独自の知恵だ含蓄だは
何もないし、むしろあえてなからしめているぐらいのもの。
だからこそ、その手の発言をインフルエンサーだなんだのいかがわしい立場から
試みている界隈全体が、子供にも見限られるほどの浅ましさでいるわけだけれども。
たとえば、ウィルスミスのアカデミー賞ビンタ事件などに対しては、
多くの日本人がアメリカ平均などよりも多面的な見方ができていたように、
情報を享受する一般人側の民度や知見の高低によって、より人気を
博するような意見というのがそれなりに変わって来るものである。
日本人が共通して持ち合わせているような是非意識は、
かなり劣化しているとはいえやはり現世界最上級のものでもあり、
そこに同化しておくだけでもそれなりの品性でいられるところがある。
一方で、それもやはり昔の日本人や賢聖のそれには遠く及ばないものだから、
そんな所に同じたりする以上に、己が知見を深化させて行くべきなのでもある。
ただそれは当然、人気取り目的の発言などよりも理解されることが少なくなり、
究極的にはほとんどの人間が理解できなくなることすらあるのである。
ゆえに「巧言令色すくなき仁」ともなるのである。
犯人は斬りつけられた女性の夫、笠地蔵より格上みたいだぞ^^
[YouTubeで再生]
すんげえ嬉しそう。まず自分がうれしいのが第一。
女が喜ぶと書いて嬉しい。
汚言を並べ立てて来たトランプのほうがまだ、
自分よりも世の中のほうを見渡して来たように見える。
カレー味のうんことうんこ味のカレー、
乱世の偽善と悪の頂上決戦よ。
すんげえ嬉しそう。まず自分がうれしいのが第一。
女が喜ぶと書いて嬉しい。
汚言を並べ立てて来たトランプのほうがまだ、
自分よりも世の中のほうを見渡して来たように見える。
カレー味のうんことうんこ味のカレー、
乱世の偽善と悪の頂上決戦よ。
俺の話なども、世間一般でコミュ強扱いされるような人間の物言いと比べれば、
ネガティブな側面が非常に多いために、それが不興を買う原因になって来たものだが。
誓って、人のことを実質以上に悪く言うような真似を試みたことは一度もなく、
全ては澄んだ水面に月がありのままの姿で映り込むような、
現実そのもののありのままな把握、形容のみを目的として来たものである。
ただ、それにしたってやはり、人々の痴態醜態狂態ばかりが溢れ返っている乱世に
そんな真似を試みただけでも、相当量の憎まれ口が含まれることになってしまう。
なればこそ、「人の悪を称する者を悪む(陽貨第十七・二四)」
と自ら述べていた孔子にもまた、他者への悪し様な発言が見られたというし、
(「史記」仲尼列伝。「論語」にもそれらしき発言が若干数見受けられる)
近年だと玄峰老師やその弟子たちのような本格参禅者たちもまた、戦後日本の権力者などを
歯に衣着せず非難するようなことを仲間内ではよく繰り返していたというのである。
それもやはり、あえて人をより悪く言おうとしていたのではなく、
悪い時代の悪い現実をありのままに指摘した結果だったのには違いない。
それがまた、現実の問題こそを着実に解消して行こうとする人々こそが嫌われる
原因となったりするもので、乱世にこそ彼らもまた巧言令色から最も遠ざかるのである。
ネガティブな側面が非常に多いために、それが不興を買う原因になって来たものだが。
誓って、人のことを実質以上に悪く言うような真似を試みたことは一度もなく、
全ては澄んだ水面に月がありのままの姿で映り込むような、
現実そのもののありのままな把握、形容のみを目的として来たものである。
ただ、それにしたってやはり、人々の痴態醜態狂態ばかりが溢れ返っている乱世に
そんな真似を試みただけでも、相当量の憎まれ口が含まれることになってしまう。
なればこそ、「人の悪を称する者を悪む(陽貨第十七・二四)」
と自ら述べていた孔子にもまた、他者への悪し様な発言が見られたというし、
(「史記」仲尼列伝。「論語」にもそれらしき発言が若干数見受けられる)
近年だと玄峰老師やその弟子たちのような本格参禅者たちもまた、戦後日本の権力者などを
歯に衣着せず非難するようなことを仲間内ではよく繰り返していたというのである。
それもやはり、あえて人をより悪く言おうとしていたのではなく、
悪い時代の悪い現実をありのままに指摘した結果だったのには違いない。
それがまた、現実の問題こそを着実に解消して行こうとする人々こそが嫌われる
原因となったりするもので、乱世にこそ彼らもまた巧言令色から最も遠ざかるのである。
今まさに、ここで誰かをここから追い出そうとしているのは誰であろう?
俺ではなく、おまえである。
今の日本社会で、有能な人材をできる限り表社会から追い出して、
無能だけで占めさせようとしているのはだれであろう?
俺みたいな人間である可能性はないが、
おまえみたいな人間である可能性はある。
今この世界で、自分個人の身勝手な好き嫌いのために、
人様をどうこうしてやろうなんていう侵害意欲を滾らせて、
その実践にまで及んでいるのは、おまえであって俺ではないから。
どこでもおまえみたいなのがそうであることで、凋落腐敗の元凶となってるんだ。
俺一人のためだけではなく、世の中のためにもそんな連中の言うことは聞くべきでない。
俺ではなく、おまえである。
今の日本社会で、有能な人材をできる限り表社会から追い出して、
無能だけで占めさせようとしているのはだれであろう?
俺みたいな人間である可能性はないが、
おまえみたいな人間である可能性はある。
今この世界で、自分個人の身勝手な好き嫌いのために、
人様をどうこうしてやろうなんていう侵害意欲を滾らせて、
その実践にまで及んでいるのは、おまえであって俺ではないから。
どこでもおまえみたいなのがそうであることで、凋落腐敗の元凶となってるんだ。
俺一人のためだけではなく、世の中のためにもそんな連中の言うことは聞くべきでない。
「今みたいな時代に率先して人事権を行使したがってる時点で」
という自明な論証なのに、どうしてカルトじみてるものか。
そこからの結論も、ただ言うことを聞かないというだけ。
誰に圧力をかけてるわけでもないのに、なぜ恫喝なものか。
傷害罪の不正医療行為にもあたる、他者へのキジルシ認定からの
退場勧告なんかを惜しげもなく繰り返す姿こそは、まさにそれであろうに。
という自明な論証なのに、どうしてカルトじみてるものか。
そこからの結論も、ただ言うことを聞かないというだけ。
誰に圧力をかけてるわけでもないのに、なぜ恫喝なものか。
傷害罪の不正医療行為にもあたる、他者へのキジルシ認定からの
退場勧告なんかを惜しげもなく繰り返す姿こそは、まさにそれであろうに。
>>206
>1>2
嘘をつくと矛盾した情報同士を共に記憶に取り入れる必要があるが、
それはイエスへの信仰とバラバの被害者への配慮のように、同時に想起し得ないものだから、
記憶としては断片化させて前頭葉のなるべく遠い場所同士に配置し、
一方を想起する時にはもう一方が想起できないようにしなければならない。
それが思考の鈍重さを招き、断片化の多いHDDへの読み書きが遅くなるのと
同じような事態に陥ってストレスになる一方、正直であればそれがなくて済むから楽しい。
>3
この文章は完全に破綻してて意味のある問題提起になってないな。
俺がマインドフルネスと正直さが相反するなどと主張したような事実自体がないし。
>4
正直であることの楽しみのほかに、嘘をつくことの楽しみもまた不健全ながらある。
なおかつ両者は両立し得ないために、嘘をつく楽しみに溺れている者たちが、
正直であることの楽しみのほうを敬遠したり、その存在性から否定したりする。
俺のいうことをまずまともに理解してない上での、明後日の方向への戦いごっこお人形遊び。
こういう手合いが今までに何度、俺のアンチとして立ちはだかって来たものか。
まあ理解したうえで非を唱えられるようなことなど言ってないから、自然とそうなるのだろうが。
>1>2
嘘をつくと矛盾した情報同士を共に記憶に取り入れる必要があるが、
それはイエスへの信仰とバラバの被害者への配慮のように、同時に想起し得ないものだから、
記憶としては断片化させて前頭葉のなるべく遠い場所同士に配置し、
一方を想起する時にはもう一方が想起できないようにしなければならない。
それが思考の鈍重さを招き、断片化の多いHDDへの読み書きが遅くなるのと
同じような事態に陥ってストレスになる一方、正直であればそれがなくて済むから楽しい。
>3
この文章は完全に破綻してて意味のある問題提起になってないな。
俺がマインドフルネスと正直さが相反するなどと主張したような事実自体がないし。
>4
正直であることの楽しみのほかに、嘘をつくことの楽しみもまた不健全ながらある。
なおかつ両者は両立し得ないために、嘘をつく楽しみに溺れている者たちが、
正直であることの楽しみのほうを敬遠したり、その存在性から否定したりする。
俺のいうことをまずまともに理解してない上での、明後日の方向への戦いごっこお人形遊び。
こういう手合いが今までに何度、俺のアンチとして立ちはだかって来たものか。
まあ理解したうえで非を唱えられるようなことなど言ってないから、自然とそうなるのだろうが。
>>203みたいな妄言も、5chにおける氷河期叩きのスレなどで無数に見かけて来たものだが。
当然そこには、自分たち年寄りこそが国富の9割がたを牛耳って、次世代を江戸平均の
半分以下の生活水準に陥れている張本人であることへの配慮などもない。
そこまで克明に把握できているわけでなくとも、東大卒でも中小企業ぐらいしか就職先が
なかったような世の中側の冷遇を差し置いて、自己責任、努力不足の一点張りで
自分たちへの糾弾を突っぱねようとしたりするところにはやはり、
現実を直視する冷静さや、多角的にモノを見る視点が致命的に欠けている。
非ネットネイティブかつテレビ漬けが当たり前で来た世代のこと、>>179に書いたような
大メディアの情報提供姿勢の劣悪さにあてられて、マインドフルネスとは真逆な
精神や思考の不具さを植え付けられているのにも違いなかろうし、
また年齢的にももうそこから脱却することも能わぬのに違いない。
それは俺自身の親などを見ても知れたことだし、もはや手遅れであることを前提とした上での
処断に取り組んで行くしかないことは重々承知している所。なおかつそれが病人虐待の域
などに陥ったりもしないように匙加減を加えて行くことが、こちらの使命ともなろう。
当然そこには、自分たち年寄りこそが国富の9割がたを牛耳って、次世代を江戸平均の
半分以下の生活水準に陥れている張本人であることへの配慮などもない。
そこまで克明に把握できているわけでなくとも、東大卒でも中小企業ぐらいしか就職先が
なかったような世の中側の冷遇を差し置いて、自己責任、努力不足の一点張りで
自分たちへの糾弾を突っぱねようとしたりするところにはやはり、
現実を直視する冷静さや、多角的にモノを見る視点が致命的に欠けている。
非ネットネイティブかつテレビ漬けが当たり前で来た世代のこと、>>179に書いたような
大メディアの情報提供姿勢の劣悪さにあてられて、マインドフルネスとは真逆な
精神や思考の不具さを植え付けられているのにも違いなかろうし、
また年齢的にももうそこから脱却することも能わぬのに違いない。
それは俺自身の親などを見ても知れたことだし、もはや手遅れであることを前提とした上での
処断に取り組んで行くしかないことは重々承知している所。なおかつそれが病人虐待の域
などに陥ったりもしないように匙加減を加えて行くことが、こちらの使命ともなろう。
(>>197の続き)
現実ありのままの指摘を試みた結果憎まれ口になるのと、
現実以上に人や物事をあえて悪く言ったりするのとでは、
「正直か嘘か」という点で全くの相違が生じるために、
憎まれ口という点では似たり寄ったりであるにもかかわらず、
このスレで述べて来たような楽しみの有無もまた生じるわけである。
前者は正直であることを楽しみ、後者は嘘を楽しんでいるが故に、
長期記憶のデフラグやRAID構築や思考形式のポリフォニック化を楽しめる一方、
後者はそれらを蔑ろにした記憶情報の散逸による半痴呆化こそを楽しんでいる。
正直にモノを言おうとした結果憎まれ口を叩いているような人間が、
たまたま間違えて事実無根の悪口にまで及んでしまうようなこともあれば、
間違いでもいいから悪口雑言そのものを並べ立ててやろうとしているような
ならず者が、たまたま事実に即した論難を行うようなこともある。
(軽装甲機動車はもう今の普通免許では運転できないぞ、など)
ただ、それでもやはり正直であることを楽しもうとしていることと、
嘘八百のほうを楽しもうとしていることとの間には天地ほどの開きが
あり続けるもので、正直さこそを楽しもうとしている側であれば、
「過ちては改むるに憚ること勿れ(学而第一・八)」というフォロー
によって、さような過ちをも乗り越えながらその道を行き続けるわけである。
現実ありのままの指摘を試みた結果憎まれ口になるのと、
現実以上に人や物事をあえて悪く言ったりするのとでは、
「正直か嘘か」という点で全くの相違が生じるために、
憎まれ口という点では似たり寄ったりであるにもかかわらず、
このスレで述べて来たような楽しみの有無もまた生じるわけである。
前者は正直であることを楽しみ、後者は嘘を楽しんでいるが故に、
長期記憶のデフラグやRAID構築や思考形式のポリフォニック化を楽しめる一方、
後者はそれらを蔑ろにした記憶情報の散逸による半痴呆化こそを楽しんでいる。
正直にモノを言おうとした結果憎まれ口を叩いているような人間が、
たまたま間違えて事実無根の悪口にまで及んでしまうようなこともあれば、
間違いでもいいから悪口雑言そのものを並べ立ててやろうとしているような
ならず者が、たまたま事実に即した論難を行うようなこともある。
(軽装甲機動車はもう今の普通免許では運転できないぞ、など)
ただ、それでもやはり正直であることを楽しもうとしていることと、
嘘八百のほうを楽しもうとしていることとの間には天地ほどの開きが
あり続けるもので、正直さこそを楽しもうとしている側であれば、
「過ちては改むるに憚ること勿れ(学而第一・八)」というフォロー
によって、さような過ちをも乗り越えながらその道を行き続けるわけである。
まあ、昨日はアベマの一挙無料にかこつけて、
MAL評価世界一アニメのフリーレンを今さら見通してたわけだが。
前評判から察してたことだが、やっぱりこれは青葉のいう「魔性の作品」だな。
人間ができてないうちから見てはまると、もう帰って来られなくなる危険のある。
「洗脳級」というとカルト的に思われるだろうけど、内容にカルト的な意味は
ないにしても、現実逃避者を幻想に取り込んで行く効果自体は十分に洗脳級で、
ブレイバーンみたいに割り切って見られる予防線なんかもちゃんと張ってない。
何千何万年と続く、本物の人類の歴史のほうをそれなりにちゃんと学んだ上でなら、
フィクションとして割り切ることもできようが、無学だったり、勉強したところで
先祖たちが悪逆の限りを尽くして来た魔族級の身の上だったりすれば、
「もうあっち側でいいや」となりかねない誘引力を持ち合わせている。
これでまた、第二第三の青葉が現れないとも限らないし、しかもそれがハルヒなんかと
違って全世界規模にまで上ろうとしている。ファンタジーの向こう側にしか救いが
ないような人々への、現実からの救いがない限りは、それも免れ得ないことである。
MAL評価世界一アニメのフリーレンを今さら見通してたわけだが。
前評判から察してたことだが、やっぱりこれは青葉のいう「魔性の作品」だな。
人間ができてないうちから見てはまると、もう帰って来られなくなる危険のある。
「洗脳級」というとカルト的に思われるだろうけど、内容にカルト的な意味は
ないにしても、現実逃避者を幻想に取り込んで行く効果自体は十分に洗脳級で、
ブレイバーンみたいに割り切って見られる予防線なんかもちゃんと張ってない。
何千何万年と続く、本物の人類の歴史のほうをそれなりにちゃんと学んだ上でなら、
フィクションとして割り切ることもできようが、無学だったり、勉強したところで
先祖たちが悪逆の限りを尽くして来た魔族級の身の上だったりすれば、
「もうあっち側でいいや」となりかねない誘引力を持ち合わせている。
これでまた、第二第三の青葉が現れないとも限らないし、しかもそれがハルヒなんかと
違って全世界規模にまで上ろうとしている。ファンタジーの向こう側にしか救いが
ないような人々への、現実からの救いがない限りは、それも免れ得ないことである。
(>>214の続き)
>「朱に交われば赤くなる」や「泥中の蓮」的な意味で、
>病人に同調していれば病人となり、健常者に同調していれば健常者となる。
>健常者に反目していれば病人となり、病人に反目していれば、
>逆方向への病人となるか、中庸の併修によって健常者となる。
というようなことをアンチスレに書いておいてやったけれども。
この中の特に「中庸と共に病人に反目して健常者たる」というのが、
俺が嘘を楽しむ部類の痴れ者との付き合いなどの中で試みて来たものだったな。
前言の通り、ごくたまにそういう連中も真実らしきことを言うが、
概ねのところで精神衛生をも害するような不埒な志向性を持ち合わせているのには違いない。
またそちらへと誘いこむために、わざと正直者をめかしこむようなこともある。
そういった言動姿勢全体が、正直であることを楽しんでいる側からすれば、
どこか鼻につくような雰囲気の異臭を漂わせ続けているために、やはりそれと分かる。
そうして正直めいた発言などもそれなりにいなしてやりながら、
完全にまでは迎合したりすることがない、中庸を保った付き合いを守り抜く。
>「朱に交われば赤くなる」や「泥中の蓮」的な意味で、
>病人に同調していれば病人となり、健常者に同調していれば健常者となる。
>健常者に反目していれば病人となり、病人に反目していれば、
>逆方向への病人となるか、中庸の併修によって健常者となる。
というようなことをアンチスレに書いておいてやったけれども。
この中の特に「中庸と共に病人に反目して健常者たる」というのが、
俺が嘘を楽しむ部類の痴れ者との付き合いなどの中で試みて来たものだったな。
前言の通り、ごくたまにそういう連中も真実らしきことを言うが、
概ねのところで精神衛生をも害するような不埒な志向性を持ち合わせているのには違いない。
またそちらへと誘いこむために、わざと正直者をめかしこむようなこともある。
そういった言動姿勢全体が、正直であることを楽しんでいる側からすれば、
どこか鼻につくような雰囲気の異臭を漂わせ続けているために、やはりそれと分かる。
そうして正直めいた発言などもそれなりにいなしてやりながら、
完全にまでは迎合したりすることがない、中庸を保った付き合いを守り抜く。
「宰我『仁者は井の底に仁があるといえば、そこに赴きますでしょうか』
孔子『そんなことはあり得ない。君子を多少欺いて誘う程度のことはできても、
陥れて強いるようなことまでは決してできないものだ』」(雍也第六・二六)
これもそういう理由に基づくもので、そもそもが楽しんでいる物事が根本的に
相容れないからこそ、小人が君子を誘って小人の道に陥れることも能わぬのである。
正直であることと嘘をつくことほど、論理面から相容れない行為も他になく、
ゆえにそれは相容れない者同士の代表格としてよく挙げられる、水と油や、
呉と越ほどにも同調する所がなく、ゆえに善悪味噌糞の偽善が横行している
ような時代にはすぐ、正直であることを楽しむ儒仏のような思想体系が完全に
正規教育などから排されて日の目を見なくなるようなことにもなってしまう。
さりとて、やはり仁者こそがその正直さゆえに、嘘偽りを楽しもうとするような
輩よりも普遍的にその人生を楽しみ尽くすものであることには変わりないが故に、
まるで水が高い所から低い所へと下って行くようにして、嘘偽りに満ちた世の中の
つまらなさに耐えかねての反正なども、いずれは来さざるを得なくなるのである。
孔子『そんなことはあり得ない。君子を多少欺いて誘う程度のことはできても、
陥れて強いるようなことまでは決してできないものだ』」(雍也第六・二六)
これもそういう理由に基づくもので、そもそもが楽しんでいる物事が根本的に
相容れないからこそ、小人が君子を誘って小人の道に陥れることも能わぬのである。
正直であることと嘘をつくことほど、論理面から相容れない行為も他になく、
ゆえにそれは相容れない者同士の代表格としてよく挙げられる、水と油や、
呉と越ほどにも同調する所がなく、ゆえに善悪味噌糞の偽善が横行している
ような時代にはすぐ、正直であることを楽しむ儒仏のような思想体系が完全に
正規教育などから排されて日の目を見なくなるようなことにもなってしまう。
さりとて、やはり仁者こそがその正直さゆえに、嘘偽りを楽しもうとするような
輩よりも普遍的にその人生を楽しみ尽くすものであることには変わりないが故に、
まるで水が高い所から低い所へと下って行くようにして、嘘偽りに満ちた世の中の
つまらなさに耐えかねての反正なども、いずれは来さざるを得なくなるのである。
昨日、フリーレン一気見しながら、
久しぶりに酒飲み過ぎて二日酔い気味。
「酒は飲んでも乱れるとこまで行くな」(郷党第十・八)
という教えなどにも即して、30歳も過ぎた頃にはもう、
酒乱という所まで飲み過ぎることはほぼ控えるようになったんだが、
昨日は久しぶりに飲み過ぎたのはなぜかを考えてみるに。
ベルセルクや進撃の巨人みたいに1000年級の物語を扱ってる上に、
現在と古代と数十年前とをより自由に行き来するフリーレンの作風が、
自分自身の脳内に架空とはいえ、大きな歴史を想像させる。
それが、人類の歴史などについてもまだよく知らなかった、
若い頃の無鉄砲さ加減をも同時に誘起させたように思われる。
今はもう1000年どころか、何千何万年という本物の人類の歴史の積み重ねの、
どの辺でどういうことがあって今に至っているのかといったことについて、
概ね程度にはほぼもれなく頭に入っているために、それが心の安定を支えて
飲み過ぎに及んだりさせないようになっていたのが、一度リセットされた感覚。
精進修行で酒を断つなんて真似にまで及ばずとも、人間にはそういうこともできる。
ただ、それもやはりちゃんと歴史の勉強などの手順を踏まねばままならないこと。
久しぶりに酒飲み過ぎて二日酔い気味。
「酒は飲んでも乱れるとこまで行くな」(郷党第十・八)
という教えなどにも即して、30歳も過ぎた頃にはもう、
酒乱という所まで飲み過ぎることはほぼ控えるようになったんだが、
昨日は久しぶりに飲み過ぎたのはなぜかを考えてみるに。
ベルセルクや進撃の巨人みたいに1000年級の物語を扱ってる上に、
現在と古代と数十年前とをより自由に行き来するフリーレンの作風が、
自分自身の脳内に架空とはいえ、大きな歴史を想像させる。
それが、人類の歴史などについてもまだよく知らなかった、
若い頃の無鉄砲さ加減をも同時に誘起させたように思われる。
今はもう1000年どころか、何千何万年という本物の人類の歴史の積み重ねの、
どの辺でどういうことがあって今に至っているのかといったことについて、
概ね程度にはほぼもれなく頭に入っているために、それが心の安定を支えて
飲み過ぎに及んだりさせないようになっていたのが、一度リセットされた感覚。
精進修行で酒を断つなんて真似にまで及ばずとも、人間にはそういうこともできる。
ただ、それもやはりちゃんと歴史の勉強などの手順を踏まねばままならないこと。
かなり血の濃い純日本人の血筋として、
日本や世界の歴史を概括的に把握して来たことは、
紛れもなくより健全な心の安定を支える術になって来た。
それによりヤケ酒級に飲んだりすることもなくなって来たものだが、
上にも書いた通り、それが誰しもにとってそうたり得るとも言えはしない。
自らの先祖や民族や国が、悪逆非道の限りを尽くして来たものだから、
そういった歴史の積み重ねを無視して、捏造史や、フリーレンや
スターウォーズみたいなフィクション上の歴史あたりにでも浸かってた
方がより心が安定する、なんていう人種もまた実際、いるであろう。
そうでなくたって、ちゃんと歴史を勉強したりするのは苦痛だから、
安易なほうに流れて、砂上の楼閣な心の安定に止まったりもしよう。
当然のことながら、正しい歴史認識と捏造史の弄びもまた、
ここに書いて来た正直の楽しみと嘘偽りの楽しみにそれぞれ割り振られる
ものであるが故に相容れないものだし、嘘を嘘だと割り切ってフィクションの
歴史を楽しんだりすることもまた、上のような理由で本物の歴史への楽しみを
負かしてしまい、現実逃避へと人々をいざなってしまうことにもなりかねない。
日本や世界の歴史を概括的に把握して来たことは、
紛れもなくより健全な心の安定を支える術になって来た。
それによりヤケ酒級に飲んだりすることもなくなって来たものだが、
上にも書いた通り、それが誰しもにとってそうたり得るとも言えはしない。
自らの先祖や民族や国が、悪逆非道の限りを尽くして来たものだから、
そういった歴史の積み重ねを無視して、捏造史や、フリーレンや
スターウォーズみたいなフィクション上の歴史あたりにでも浸かってた
方がより心が安定する、なんていう人種もまた実際、いるであろう。
そうでなくたって、ちゃんと歴史を勉強したりするのは苦痛だから、
安易なほうに流れて、砂上の楼閣な心の安定に止まったりもしよう。
当然のことながら、正しい歴史認識と捏造史の弄びもまた、
ここに書いて来た正直の楽しみと嘘偽りの楽しみにそれぞれ割り振られる
ものであるが故に相容れないものだし、嘘を嘘だと割り切ってフィクションの
歴史を楽しんだりすることもまた、上のような理由で本物の歴史への楽しみを
負かしてしまい、現実逃避へと人々をいざなってしまうことにもなりかねない。
中には、ユダヤ人や部落出身者や多くの韓国人などのように、
自分たちへの迫害史を捏造することで保護利権にたかることを
食い物にしているような連中までもがいるものだし、そこまでいくと、
心の部分だけ嘘偽りの楽しみから正直の楽しみへと鞍替えすることも能わない。
嘘偽りを楽しむこと全般を諦めて、正直を楽しんで行こうとすること自体が、
麻薬中毒からの脱却並みに大いなる苦悩を伴うものだというのに、
さらにそこに二重三重の障壁が畳み掛けられて来るとあっては、
完全に諦め去ってそういう楽しみを敵視しとくほうがマシ、とすらなる。
自分たちへの迫害史を捏造することで保護利権にたかることを
食い物にしているような連中までもがいるものだし、そこまでいくと、
心の部分だけ嘘偽りの楽しみから正直の楽しみへと鞍替えすることも能わない。
嘘偽りを楽しむこと全般を諦めて、正直を楽しんで行こうとすること自体が、
麻薬中毒からの脱却並みに大いなる苦悩を伴うものだというのに、
さらにそこに二重三重の障壁が畳み掛けられて来るとあっては、
完全に諦め去ってそういう楽しみを敵視しとくほうがマシ、とすらなる。
たとえ正しい歴史を正しく勉強したつもりでも、長年悪逆非道を増長させる
ことばかりで一貫して来た西洋史あたりにより主眼をおいて、仁政を本位と
して来た東洋史を蔑ろにしたりしようものなら、その優先順位の取り違え
ひとつで「人類の歴史は暗黒史」「歴史からの解放こそが人類の解放!」
なんていう思い込みに至ったりもしてしまいかねず、それにより本人自身も、
歴史の積み重ねの中に心の安定の拠り所を見出すこともシャットアウト、
自分と同道たらんとする他者にまでそれを推奨したりまですることになる。
他力本願の浄土門ですら、大水と大火の間に一本だけ存在する白道を
渡ることでのみ極楽往生が可能であるとしているものだけれども、
まさにそれと同じように、人が酒を飲んでも飲まれない程度に心の恒常的な
安定を得る手段もまた、いくらでもありそうでいながら、多くの間違った
選択肢の中から正しいものだけを選び取らねばならない所があるのである。
ことばかりで一貫して来た西洋史あたりにより主眼をおいて、仁政を本位と
して来た東洋史を蔑ろにしたりしようものなら、その優先順位の取り違え
ひとつで「人類の歴史は暗黒史」「歴史からの解放こそが人類の解放!」
なんていう思い込みに至ったりもしてしまいかねず、それにより本人自身も、
歴史の積み重ねの中に心の安定の拠り所を見出すこともシャットアウト、
自分と同道たらんとする他者にまでそれを推奨したりまですることになる。
他力本願の浄土門ですら、大水と大火の間に一本だけ存在する白道を
渡ることでのみ極楽往生が可能であるとしているものだけれども、
まさにそれと同じように、人が酒を飲んでも飲まれない程度に心の恒常的な
安定を得る手段もまた、いくらでもありそうでいながら、多くの間違った
選択肢の中から正しいものだけを選び取らねばならない所があるのである。
(>>230の続き)
本物の歴史を正しく勉強して、なおかつそこに一定数存在する賢聖たちの
意志を受け継ぎ、なるべくならその実現にも勤めて行こうとする心境こそが、
最低でも酒乱を避けられる程度の心の安定をもたらしてくれるものである。
「儒学」という学問は、特にその修養を最大級の本懐としているもので、
故に根本聖典たる四書五経にも、書経や春秋のような世界最古級の歴史書が含まれている。
堯舜禹や高宗武丁、文王武王や周公といった、当時から見ても古えの聖王賢臣たちの
言行に孔子や孟子も思いを馳せ、その魂の会得に臨んでいたのだった。
しかし、孔孟は春秋戦国時代という極度の乱世に生きたために、
その才覚を政治の場で十分に発揮することは叶わず、あまり実務に携わることが
できないでいるのに乗じての、権力道徳学の体系化のほうにより尽力したのだった。
それもまた一つの、古えの賢聖たちの魂の継承であったのには違いなく、
故にこそその教えを入念な参考にしたいくつもの大帝国が、後に治世を実現して行けた。
歴史上の聖王賢臣なみの大功業を誰しもが挙げられるとは限らないが、
その意志を受け継ぐことはそこまで限られた人々だけの特権ではなく、
為政の主導などとはまた別の形でそれを賛助して行けることもあるし、
ほとんど何もできなかった所で、自らの心の安定という功徳ぐらいには与れる。
ゆえに「舜も人、我も人なり(孟子)」という心がけを持ち保たない手はないのである。
本物の歴史を正しく勉強して、なおかつそこに一定数存在する賢聖たちの
意志を受け継ぎ、なるべくならその実現にも勤めて行こうとする心境こそが、
最低でも酒乱を避けられる程度の心の安定をもたらしてくれるものである。
「儒学」という学問は、特にその修養を最大級の本懐としているもので、
故に根本聖典たる四書五経にも、書経や春秋のような世界最古級の歴史書が含まれている。
堯舜禹や高宗武丁、文王武王や周公といった、当時から見ても古えの聖王賢臣たちの
言行に孔子や孟子も思いを馳せ、その魂の会得に臨んでいたのだった。
しかし、孔孟は春秋戦国時代という極度の乱世に生きたために、
その才覚を政治の場で十分に発揮することは叶わず、あまり実務に携わることが
できないでいるのに乗じての、権力道徳学の体系化のほうにより尽力したのだった。
それもまた一つの、古えの賢聖たちの魂の継承であったのには違いなく、
故にこそその教えを入念な参考にしたいくつもの大帝国が、後に治世を実現して行けた。
歴史上の聖王賢臣なみの大功業を誰しもが挙げられるとは限らないが、
その意志を受け継ぐことはそこまで限られた人々だけの特権ではなく、
為政の主導などとはまた別の形でそれを賛助して行けることもあるし、
ほとんど何もできなかった所で、自らの心の安定という功徳ぐらいには与れる。
ゆえに「舜も人、我も人なり(孟子)」という心がけを持ち保たない手はないのである。
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