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正直であることは楽しい 偉大なる生存の報告 Part319
▼ページ最下部
ここにいる一部の連中などからすれば、
正直であることは堅苦しいこと、嘘偽りでもなんでもやり放題のほうが
楽しいことのように思われたりもするようだけれども、むしろ逆。
正直であることで、自らの思考回路から矛盾性が排されることにより、
同時に考えると破綻があらわになるような矛盾情報同士の断片化がなくなり、
デフラグの行き届いたHDDが快適に動作するのと同じように、頭でいろいろと
ものを考えることがどこまでもストレスフリーでいられるようになる。
まずそれが楽しい。
正直を尽くすことで断片化を極力排し、それにより
ストレージとしての空き容量を十分に確保した状態の思考回路は、
何かを思い出したりすることもまた容易たり、まるでRAID構築された
複数のHDDのうちの一つが故障して読み取り不能になろうとも、その他の
ディスクの分散パリティからすべての損失情報をリビルドできるのと同じように、
一度忘れてしまった記憶の復元による思い出しもまた容易となる。
それがまた楽しい。
マインドフルネスとかいうのは、なにか神秘的な意味合いを持ち合わせた話の
ように思いこまれている節があるけれども、そういった即物的な観点に即した
説明が可能な範疇の話でもあることだし(もちろんそれだけではないのだが)、
そのための手段もただ正直であったりするような、ごく身近なものだったりも
するわけで、敬遠して全く心がけもしない正当性なども基本ないのである。
正直であることは堅苦しいこと、嘘偽りでもなんでもやり放題のほうが
楽しいことのように思われたりもするようだけれども、むしろ逆。
正直であることで、自らの思考回路から矛盾性が排されることにより、
同時に考えると破綻があらわになるような矛盾情報同士の断片化がなくなり、
デフラグの行き届いたHDDが快適に動作するのと同じように、頭でいろいろと
ものを考えることがどこまでもストレスフリーでいられるようになる。
まずそれが楽しい。
正直を尽くすことで断片化を極力排し、それにより
ストレージとしての空き容量を十分に確保した状態の思考回路は、
何かを思い出したりすることもまた容易たり、まるでRAID構築された
複数のHDDのうちの一つが故障して読み取り不能になろうとも、その他の
ディスクの分散パリティからすべての損失情報をリビルドできるのと同じように、
一度忘れてしまった記憶の復元による思い出しもまた容易となる。
それがまた楽しい。
マインドフルネスとかいうのは、なにか神秘的な意味合いを持ち合わせた話の
ように思いこまれている節があるけれども、そういった即物的な観点に即した
説明が可能な範疇の話でもあることだし(もちろんそれだけではないのだが)、
そのための手段もただ正直であったりするような、ごく身近なものだったりも
するわけで、敬遠して全く心がけもしない正当性なども基本ないのである。
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そもそも、自らの前頭葉に収容された長期記憶に、
>>19で挙げたような矛盾情報の断片化状態での散逸が多いようなら、
脳記憶のデフラグだRAID構築だどころではなくなってしまう上に、
長期記憶からいろいろと情報を取り出したりすること全般までもが億劫になり、
なるべく側頭葉の短期記憶処理だけで何もかもを済ませたい性向ともなってしまう。
イエスへの信仰と、バラバの被害者への配慮などを同時に長期記憶から
取り出すことはできないために、まるでモノフォニックシンセサイザーのように
単一の情報しか同時に処理することができないことが多くなり、物事への多面的、
重層的な分析思考などもまともに務まらないようになってしまう。
モノフォニックシンセサイザーは、同時に複数の音が出せるポリフォニックな
シンセサイザーよりも音の厚みが増すという特徴があるために、今でもあえて好んで
用いる演奏者などが多く、そのための機能を持たせたシンセなどもあるわけだが、それは
人間でいえば、剣振り修行や農作業や念仏のような限られた業務を熱心にこなすための、
情報処理の多様化の故意なシャットダウンを脳に課するような状態に該当する。
しかしそれは、あくまで一つの手段としてなら有意義たるというだけのもので、
長期記憶に矛盾が多いせいでモノフォニックにしかものが考えられない愚か者などとは
全くわけが違い、前者は生きる充実を大いに享受する一方、後者は生きる苦しみに
苛まれてばかりでしかいられないぐらいの、雲泥の差が生ずるものである。
>>19で挙げたような矛盾情報の断片化状態での散逸が多いようなら、
脳記憶のデフラグだRAID構築だどころではなくなってしまう上に、
長期記憶からいろいろと情報を取り出したりすること全般までもが億劫になり、
なるべく側頭葉の短期記憶処理だけで何もかもを済ませたい性向ともなってしまう。
イエスへの信仰と、バラバの被害者への配慮などを同時に長期記憶から
取り出すことはできないために、まるでモノフォニックシンセサイザーのように
単一の情報しか同時に処理することができないことが多くなり、物事への多面的、
重層的な分析思考などもまともに務まらないようになってしまう。
モノフォニックシンセサイザーは、同時に複数の音が出せるポリフォニックな
シンセサイザーよりも音の厚みが増すという特徴があるために、今でもあえて好んで
用いる演奏者などが多く、そのための機能を持たせたシンセなどもあるわけだが、それは
人間でいえば、剣振り修行や農作業や念仏のような限られた業務を熱心にこなすための、
情報処理の多様化の故意なシャットダウンを脳に課するような状態に該当する。
しかしそれは、あくまで一つの手段としてなら有意義たるというだけのもので、
長期記憶に矛盾が多いせいでモノフォニックにしかものが考えられない愚か者などとは
全くわけが違い、前者は生きる充実を大いに享受する一方、後者は生きる苦しみに
苛まれてばかりでしかいられないぐらいの、雲泥の差が生ずるものである。
昔、メルギブソンがキリストの受難劇を「パッション」という名で映画化して、
それを観たアメリカのキリスト教徒がショック死したなんてこともあったものだが。
キリスト教徒が、己が信仰のせいでモノフォニックにしか物を考えられなくなった結果、
常に過剰なパッションと共にしか何事も考えることができなくなっているのも事実で、
それ故にアカデミー賞でのウィルスミスのビンタ事件などでも、当人のほうにも
そうせざるを得なかった事情があることなどにまで、繊細な配慮を利かせる
ことができない人間が多くに上っていたりもしたのである。
ここ数日ここで俺に絡んで来てるどこぞやの誰かも、キリスト教徒かどうかまでは知らないが、
それと同等な思考のモノフォニックさや、そうでしかいられないパッションの過剰さに
常日頃から囚われ続けているものだから、多面的、重層的な意味合いを帯びた
俺の物言いなどを聞いたところで、十を聞いて一を知れるかも怪しいようなザマでいる。
そういうのが、思考がモノフォニックでしかいられない人種ならではの陰惨さたる。
単純作業への打ち込みのためなどの、必要に応じてモノフォニック思考を選択する
人間にはそんな障壁はないわけで、故に両者がわずかほどに似通うことすらないのである。
それを観たアメリカのキリスト教徒がショック死したなんてこともあったものだが。
キリスト教徒が、己が信仰のせいでモノフォニックにしか物を考えられなくなった結果、
常に過剰なパッションと共にしか何事も考えることができなくなっているのも事実で、
それ故にアカデミー賞でのウィルスミスのビンタ事件などでも、当人のほうにも
そうせざるを得なかった事情があることなどにまで、繊細な配慮を利かせる
ことができない人間が多くに上っていたりもしたのである。
ここ数日ここで俺に絡んで来てるどこぞやの誰かも、キリスト教徒かどうかまでは知らないが、
それと同等な思考のモノフォニックさや、そうでしかいられないパッションの過剰さに
常日頃から囚われ続けているものだから、多面的、重層的な意味合いを帯びた
俺の物言いなどを聞いたところで、十を聞いて一を知れるかも怪しいようなザマでいる。
そういうのが、思考がモノフォニックでしかいられない人種ならではの陰惨さたる。
単純作業への打ち込みのためなどの、必要に応じてモノフォニック思考を選択する
人間にはそんな障壁はないわけで、故に両者がわずかほどに似通うことすらないのである。
都知事選は、現職が負けたことがない基本法則からも小池が当選したけれども、
その次に来たのが野党推薦の蓮舫ではなく、統一教会からの裏の支援が発覚した石丸。
魑魅と魍魎の争いな上に、今現在もっともやり玉に挙げられているような連中こそが、
未だに最大級の強勢さでいるのも、選挙政治というもの全体が、統一教会のごとき
キリスト教系カルトが得意とするようなモノフォニックの独裁に完全に取り込まれているからだ。
そもそもが、選挙政治全体が集団ヒステリー的な様相を帯びていて、そのためにヒステリー
傾向という点で特に秀でるおばさんあたりが主導権を得、そのおばさんたちをカルトや
カルト的レディーファーストで誑し込んでいる連中こそが絶対安定多数の勝利者たる
というのは前スレなどでも論じて来たことだけれども。その集団ヒステリーのせいで、
モノフォニックな思考しか誰しもができなくなった結果、勝敗が決するというのがその委細でもある。
念仏や座禅のような、モノフォニック志向を部分的に尊んでいる仏門宗派といえども、
浄土真宗本願寺派「こっちはなんも問題ないからさっさと統一教会を解散させえ」
臨済宗妙心寺派「あんな連中が取り入っているうちはこちらも政治参画なんかできん」
と共同通信のアンケートで述べていた通り、モノフォニック志向に否応なく囚われてしまって
いるような集団ヒステリー界隈では、モノフォニック志向を善用する流派ですら介入のしようがない。
その次に来たのが野党推薦の蓮舫ではなく、統一教会からの裏の支援が発覚した石丸。
魑魅と魍魎の争いな上に、今現在もっともやり玉に挙げられているような連中こそが、
未だに最大級の強勢さでいるのも、選挙政治というもの全体が、統一教会のごとき
キリスト教系カルトが得意とするようなモノフォニックの独裁に完全に取り込まれているからだ。
そもそもが、選挙政治全体が集団ヒステリー的な様相を帯びていて、そのためにヒステリー
傾向という点で特に秀でるおばさんあたりが主導権を得、そのおばさんたちをカルトや
カルト的レディーファーストで誑し込んでいる連中こそが絶対安定多数の勝利者たる
というのは前スレなどでも論じて来たことだけれども。その集団ヒステリーのせいで、
モノフォニックな思考しか誰しもができなくなった結果、勝敗が決するというのがその委細でもある。
念仏や座禅のような、モノフォニック志向を部分的に尊んでいる仏門宗派といえども、
浄土真宗本願寺派「こっちはなんも問題ないからさっさと統一教会を解散させえ」
臨済宗妙心寺派「あんな連中が取り入っているうちはこちらも政治参画なんかできん」
と共同通信のアンケートで述べていた通り、モノフォニック志向に否応なく囚われてしまって
いるような集団ヒステリー界隈では、モノフォニック志向を善用する流派ですら介入のしようがない。
[YouTubeで再生]
たとえば、一向専修念仏の浄土門といえども、
自分たちが仏辺とはまた別個な衆生辺からの仏道への傾倒に
取り組んでいるといった分別を持ち合わせている。
その故に、念仏という取り組み自体がモノフォニックだろうとも、
総体としては二次以上のポリフォニックさを帯びた姿勢となっている。
思考がポリフォニックであるということは、
モノフォニックの強情さに囚われている愚か者やカルト信者などからすれば、
ただひたすらつまらなくて億劫なことのようにしか思われないわけだが、
実際にはそのような多面的、重層的な思考形式の中に、
まるでコーラスやアンサンブルのような独自の趣向を凝らすことで、
それこそを楽しむことが可能なものである。
もちろんその中にソロパートなんかも織り交ぜて、
モノフォニックならではの情念の厚みなぞをハイライト化することも
可能なわけで、別にポリフォニックでしかあってはいけないわけではない。
人間の思考形式というものは畢竟、そこで自由自在さを極めるわけで、
その楽しみの前では、モノフォニックでしかいられない不自由さも、
完全に過去の遺物と化してしまうわけである。
たとえば、一向専修念仏の浄土門といえども、
自分たちが仏辺とはまた別個な衆生辺からの仏道への傾倒に
取り組んでいるといった分別を持ち合わせている。
その故に、念仏という取り組み自体がモノフォニックだろうとも、
総体としては二次以上のポリフォニックさを帯びた姿勢となっている。
思考がポリフォニックであるということは、
モノフォニックの強情さに囚われている愚か者やカルト信者などからすれば、
ただひたすらつまらなくて億劫なことのようにしか思われないわけだが、
実際にはそのような多面的、重層的な思考形式の中に、
まるでコーラスやアンサンブルのような独自の趣向を凝らすことで、
それこそを楽しむことが可能なものである。
もちろんその中にソロパートなんかも織り交ぜて、
モノフォニックならではの情念の厚みなぞをハイライト化することも
可能なわけで、別にポリフォニックでしかあってはいけないわけではない。
人間の思考形式というものは畢竟、そこで自由自在さを極めるわけで、
その楽しみの前では、モノフォニックでしかいられない不自由さも、
完全に過去の遺物と化してしまうわけである。
思考がポリフォニックであることには、
もちろん本人が楽しむ効果があるだけではない。
まるでガンダムシリーズでビットとかファンネルとか呼ばれている
オールレンジ兵器のように、論戦相手をあらゆる方向から攻め立てて、
相手の死角から倒してかかるようなことまでもが可能となる。
俺との論戦で、その手の論撃にやられて負けた人間などが、よく
「後だしジャンケンだ!🤬💦」などと言いがかりをつけて批判して来るけれども、
始めからそれも用意済みなうえに、ポリフォニックな思考の中で、
整合性も確認し終えていた論撃なものだから、大元の話と矛盾していたりすることがない。
もちろん論戦などに限った話ではなく、韓信や諸葛孔明のような名軍師もそういった、
ポリフォニックな思考の駆使によって本物の戦闘にまで勝利していたようだし、
なおかつもう少し軍事技術の開発が進めば、ドローンあたりで本当に、
ビットやファンネルのようなオールレンジ戦も可能となるかもしれない。
とはいえ、フィクションのガンダムの中でも、ビットやファンネルを自由自在に
駆使できる人間は「ニュータイプ」と呼ばれる一部の人種に限られ、普通の人間が
人為的な強化によってそれを試みても多くの副作用に苦しめられるものとしている。
そういった障壁もまた、現実のポリフォニック思考にもまたありがちなものである。
(おそらくはポリフォニック思考をコーラス的に楽しめるか否かが壁になるのだろう)
もちろん本人が楽しむ効果があるだけではない。
まるでガンダムシリーズでビットとかファンネルとか呼ばれている
オールレンジ兵器のように、論戦相手をあらゆる方向から攻め立てて、
相手の死角から倒してかかるようなことまでもが可能となる。
俺との論戦で、その手の論撃にやられて負けた人間などが、よく
「後だしジャンケンだ!🤬💦」などと言いがかりをつけて批判して来るけれども、
始めからそれも用意済みなうえに、ポリフォニックな思考の中で、
整合性も確認し終えていた論撃なものだから、大元の話と矛盾していたりすることがない。
もちろん論戦などに限った話ではなく、韓信や諸葛孔明のような名軍師もそういった、
ポリフォニックな思考の駆使によって本物の戦闘にまで勝利していたようだし、
なおかつもう少し軍事技術の開発が進めば、ドローンあたりで本当に、
ビットやファンネルのようなオールレンジ戦も可能となるかもしれない。
とはいえ、フィクションのガンダムの中でも、ビットやファンネルを自由自在に
駆使できる人間は「ニュータイプ」と呼ばれる一部の人種に限られ、普通の人間が
人為的な強化によってそれを試みても多くの副作用に苦しめられるものとしている。
そういった障壁もまた、現実のポリフォニック思考にもまたありがちなものである。
(おそらくはポリフォニック思考をコーラス的に楽しめるか否かが壁になるのだろう)
そもそもがおまえ、
俺のことなんか好きでも何でもないんだろ?
むしろ心の底から大嫌い、今すぐ死んでもらいたいぐらいだけど、
それ以上に自分の人生に傷がつくのが怖い。
その思いの結果が、執拗に言い寄って来ておきながら、
話す内容は俺の言うこと成すこと存在性何もかも全否定な
敵対者そのものとかいう、破綻度200%な今の振舞いだろうが?
俺のことなんか好きでも何でもないんだろ?
むしろ心の底から大嫌い、今すぐ死んでもらいたいぐらいだけど、
それ以上に自分の人生に傷がつくのが怖い。
その思いの結果が、執拗に言い寄って来ておきながら、
話す内容は俺の言うこと成すこと存在性何もかも全否定な
敵対者そのものとかいう、破綻度200%な今の振舞いだろうが?
今さらこんなことをおまえなんかに望むべくもないが。
仮におまえが、相手のことを愛しているか、そうでなくとも、
他者の思いや利害を慮れる日本人だったりするというのなら、
「私のことなんかはもうどうでもいいから」となるだろう。
日本人でもなければ、別に愛する相手がいるわけでもない上で、
とにかく自分が大事、自分さえ恵まれた人生が送れるのであれば、
寄生対象に子孫断絶級の危害を及ぼしたところで知ったことかと。
そんな思いでいればこその、今の振舞いだろう?
それこそ年がどうだ、国や人種がどうだという以上の、
絶対に寄せ付けてはいけない最大級の証拠だろうが。
仮におまえが、相手のことを愛しているか、そうでなくとも、
他者の思いや利害を慮れる日本人だったりするというのなら、
「私のことなんかはもうどうでもいいから」となるだろう。
日本人でもなければ、別に愛する相手がいるわけでもない上で、
とにかく自分が大事、自分さえ恵まれた人生が送れるのであれば、
寄生対象に子孫断絶級の危害を及ぼしたところで知ったことかと。
そんな思いでいればこその、今の振舞いだろう?
それこそ年がどうだ、国や人種がどうだという以上の、
絶対に寄せ付けてはいけない最大級の証拠だろうが。
「卵を縦に100個重ねられるほどの有能だろうとも、
男が片思いみたいな情けない真似をするな」(伊勢物語)
立派な古言であるというのみならず、
心の底から如是、如是、と大賛同するほかない
自由恋愛の基本原則だなと思うのがまず一つ。
さりとて、昔のお武家さんなどには恋愛結婚など
かえって下賤の所業とみる向きもあったものだし、
個人の恣意など抜きにした政略的な結婚などもまた、
時には受け入れて行かねばならぬものであろうとも思うが。
だからといって、子孫断絶を前提とした政略結婚なんて
聞いたこともないし、あったとしてもろくな意図がないことが
明らかな、退けてかかるべき蛮行であるのが間違いない。
要するに、恋愛面からも政略面からも、
これっぽちの妥当性もないということだ。
男が片思いみたいな情けない真似をするな」(伊勢物語)
立派な古言であるというのみならず、
心の底から如是、如是、と大賛同するほかない
自由恋愛の基本原則だなと思うのがまず一つ。
さりとて、昔のお武家さんなどには恋愛結婚など
かえって下賤の所業とみる向きもあったものだし、
個人の恣意など抜きにした政略的な結婚などもまた、
時には受け入れて行かねばならぬものであろうとも思うが。
だからといって、子孫断絶を前提とした政略結婚なんて
聞いたこともないし、あったとしてもろくな意図がないことが
明らかな、退けてかかるべき蛮行であるのが間違いない。
要するに、恋愛面からも政略面からも、
これっぽちの妥当性もないということだ。
「男女(同)室に居るは天下の大倫なり」(孟子・万章上)
普通にそこが儒学上の大命題だったりもするのでな。一方で、
「不孝に(大中小)三あり、後(裔)なきを大と為す」(離婁上)
ともあるし、色に溺れればいいという話でももちろんない。
普通にそこが儒学上の大命題だったりもするのでな。一方で、
「不孝に(大中小)三あり、後(裔)なきを大と為す」(離婁上)
ともあるし、色に溺れればいいという話でももちろんない。
[YouTubeで再生]
(>>74の続き)
人間の発声というもの自体、ホーミーのような特殊な唱法で
倍音を重ねる程度のことはできるにしても、基本モノフォニックであり、
一人の人間が一度に出せる声音は基本一つである。
そのため、思考自体もまたなるべくモノフォニックであったほうが、
その思考を滞りなく言葉として声に出すことが容易となる一方、
思考のほうがポリフォニックであるようなら、そのうちから一つの思考だけを
かいつまんで、声に出して話すという手続きが必要となってしまう。
女たちは基本、モノフォニックな思考であることが多いので、
会話もまた得意である一方、理論計算や技術開発などの業務上からも
ポリフォニックな思考を強いられることが多い理系の人間などは、
口下手でコミュ障扱いにされることが多いといった相違も見られる。
とはいえやはり、思考がモノフォニック一本ばかりであるようなら、
いわゆる単細胞ともなってしまうわけで、男伊達らにモノフォニック志向で
女並みのコミュ力を身に付けた男なぞが軒並み軽薄と化してしまうのもそのためである。
(>>74の続き)
人間の発声というもの自体、ホーミーのような特殊な唱法で
倍音を重ねる程度のことはできるにしても、基本モノフォニックであり、
一人の人間が一度に出せる声音は基本一つである。
そのため、思考自体もまたなるべくモノフォニックであったほうが、
その思考を滞りなく言葉として声に出すことが容易となる一方、
思考のほうがポリフォニックであるようなら、そのうちから一つの思考だけを
かいつまんで、声に出して話すという手続きが必要となってしまう。
女たちは基本、モノフォニックな思考であることが多いので、
会話もまた得意である一方、理論計算や技術開発などの業務上からも
ポリフォニックな思考を強いられることが多い理系の人間などは、
口下手でコミュ障扱いにされることが多いといった相違も見られる。
とはいえやはり、思考がモノフォニック一本ばかりであるようなら、
いわゆる単細胞ともなってしまうわけで、男伊達らにモノフォニック志向で
女並みのコミュ力を身に付けた男なぞが軒並み軽薄と化してしまうのもそのためである。
思考形式をポリフォニックならしめることもまた大いに得意とする一方で、
そこから単一の思考だけをかいつまんで人と話したりすることにもそれなりに
長けるような人間こそが、真にオールマイティな賢者といえるものである。
どうせポリフォニックな思考の全てをモノフォニックに置き換えることはできないのだし、
その全てを口頭で解き明かしたり、モノフォニック思考しかできないような人間にまで
全てを理解させたりすることには無理があるのも察しておかねばならない。
アインシュタインは「本当に賢い人間は難しいことも分かりやすく話せる」
といったけれども、当人も馬鹿にまで相対性理論を理解させられていたわけではなく、
ただ知能の低い相手にはそれ相応な話だけをするように心がけていただけのことである。
なるべくなら、そういう場合に、ただ馬鹿を適当な話だけであしらうにとどまらず、
単一の情報だけでも、なるべく高邁な領域へと相手を誘いあげられるような方便を凝らして
おければなおのこと良いわけで、親鸞聖人の悪人正機説などにもそれがあったもの。
人間としてより志し尊ぶべきなのは、さようなあり方であるといえよう。
そこから単一の思考だけをかいつまんで人と話したりすることにもそれなりに
長けるような人間こそが、真にオールマイティな賢者といえるものである。
どうせポリフォニックな思考の全てをモノフォニックに置き換えることはできないのだし、
その全てを口頭で解き明かしたり、モノフォニック思考しかできないような人間にまで
全てを理解させたりすることには無理があるのも察しておかねばならない。
アインシュタインは「本当に賢い人間は難しいことも分かりやすく話せる」
といったけれども、当人も馬鹿にまで相対性理論を理解させられていたわけではなく、
ただ知能の低い相手にはそれ相応な話だけをするように心がけていただけのことである。
なるべくなら、そういう場合に、ただ馬鹿を適当な話だけであしらうにとどまらず、
単一の情報だけでも、なるべく高邁な領域へと相手を誘いあげられるような方便を凝らして
おければなおのこと良いわけで、親鸞聖人の悪人正機説などにもそれがあったもの。
人間としてより志し尊ぶべきなのは、さようなあり方であるといえよう。
まあでも、医者の知識は病気や怪我の知識として専門的なだけで、
健康の知識とは全くの別物だというのが判然としてたわな。
根本原因がタンパク質不足なんだから、
もう脚気心なんかにならないためには、もっとお肉を食べましょうとか、
それ自体は素人でもすぐに思いつくような対策で、
もっと高度な手段もいくらでもあるし、逆に肉を食うというだけでは、
また別の腸内環境悪化とかの問題をも招きかねないものだしな。
医者も低レベルなほうとはいえ一応、理系の端くれだから、
自らが蓄えた医療知識から最適解を導出するための、
前頭葉での高度なマインドセット構築なり、側頭葉での
ポリフォニックな多角的考察なども働かせたりするものだろうが、
それがもう、非常に入り組んだ疾患を持ち合わせているような相手への、
鉱山労働者が目当ての鉱物を見つけ出すような診療目的ばかりに
偏っているものだから、地上にある健康の知恵などとはほぼ無縁たる。
そういう頭の使い方を健康養生のためなどに応用することもできようが、
医師志望だったりすでに医者だったりする以上は、それが片手間でしか
あり得ないために、並み以上の取り組みたることもほぼない。
ゆえに「医者の不養生」などという事態にも陥るわけである。kawaisouni😭
健康の知識とは全くの別物だというのが判然としてたわな。
根本原因がタンパク質不足なんだから、
もう脚気心なんかにならないためには、もっとお肉を食べましょうとか、
それ自体は素人でもすぐに思いつくような対策で、
もっと高度な手段もいくらでもあるし、逆に肉を食うというだけでは、
また別の腸内環境悪化とかの問題をも招きかねないものだしな。
医者も低レベルなほうとはいえ一応、理系の端くれだから、
自らが蓄えた医療知識から最適解を導出するための、
前頭葉での高度なマインドセット構築なり、側頭葉での
ポリフォニックな多角的考察なども働かせたりするものだろうが、
それがもう、非常に入り組んだ疾患を持ち合わせているような相手への、
鉱山労働者が目当ての鉱物を見つけ出すような診療目的ばかりに
偏っているものだから、地上にある健康の知恵などとはほぼ無縁たる。
そういう頭の使い方を健康養生のためなどに応用することもできようが、
医師志望だったりすでに医者だったりする以上は、それが片手間でしか
あり得ないために、並み以上の取り組みたることもほぼない。
ゆえに「医者の不養生」などという事態にも陥るわけである。kawaisouni😭
そろそろ明和への営業妨害の容疑で通報しとこうかねえ。
本人への保護も兼ねて。
本人への保護も兼ねて。
だからどうだってんだ、
「好きでありながら天邪鬼なんてこともあるさ」
とでも言いたいのか?
だったらだったでだ、
「もう私はカルト洗脳や育ちの悪さのせいで、
あなたの傍らに付き添うには到底値しない思考回路のまま
頑迷化してしまっていますので、放っといてください」
という意思表示になっているのみだろ。
今の今まで、ただの一度も口もきいたことがない
ような距離間であり続けて来た報いとして、
これからもそうであり続けることが最適化
してしまったということだな。要は鷹司孝子ルート。
「好きでありながら天邪鬼なんてこともあるさ」
とでも言いたいのか?
だったらだったでだ、
「もう私はカルト洗脳や育ちの悪さのせいで、
あなたの傍らに付き添うには到底値しない思考回路のまま
頑迷化してしまっていますので、放っといてください」
という意思表示になっているのみだろ。
今の今まで、ただの一度も口もきいたことがない
ような距離間であり続けて来た報いとして、
これからもそうであり続けることが最適化
してしまったということだな。要は鷹司孝子ルート。
>特に思い入れがなくっても、誰かに親切にすることもあるさ、違うか?
これまさに統一教会がいま石丸伸二相手に試みていることそのものなんだよな。
自民党との癒着を徹底糾弾されている昨今、
どうにか自分たちの政治的影響力を持ち保つために、無所属の政治家を、
本人もよく知らない内から担ぎ上げるような真似を試みている。
ネオナチ、ネオジオンならぬネオ壺ン。
選挙後に統一ではないがCIAの子分であることは共通している
大メディアからの取って付けたような取材攻勢も満載だったことだし、
ポスト自民な自分たちの飼い犬政権の仕立て上げをCIAも模索しているということだな。
もちろんそんな誘いには、死んでも乗らないように用心しておかねば。
これまさに統一教会がいま石丸伸二相手に試みていることそのものなんだよな。
自民党との癒着を徹底糾弾されている昨今、
どうにか自分たちの政治的影響力を持ち保つために、無所属の政治家を、
本人もよく知らない内から担ぎ上げるような真似を試みている。
ネオナチ、ネオジオンならぬネオ壺ン。
選挙後に統一ではないがCIAの子分であることは共通している
大メディアからの取って付けたような取材攻勢も満載だったことだし、
ポスト自民な自分たちの飼い犬政権の仕立て上げをCIAも模索しているということだな。
もちろんそんな誘いには、死んでも乗らないように用心しておかねば。
なんだ死戦期特有のせん妄か?
レビー小体病にも似た。ついにか
レビー小体病にも似た。ついにか
[YouTubeで再生]
人の念が生霊の鬼となって他者に襲いかかるなどといえば、
いかにもオカルトじみているけれども、実際問題、
それにも相当するような惨事が数多起きている上に、
時には本当に死傷沙汰にまで発展しているような始末。
そこにまたネット上といわず茶の間といわず、
そんな事件を起こした犯人への怒りや罵倒が巻き起これども、
さような振舞い自体が他者への愛憎のあまりに鬼の如き様相と
化してしまった犯人たち自身にも通じるものとなるわけで、
それはただの悪念の伝播、感染にしかなってないともいえるのである。
能の葵上のように、その様相全体を舞台上に客観視して、
悲哀の至りとしてしみじみと思いを致せる程度の余裕を自らが
温めればこそ、さような惨劇を無くして行く側たり得るもの。
そのための方便として、悪念が生霊の鬼となるといったような
表現のほうが便利たることもある。そういう考え方自体を
過去の遺物扱いしたがる科学至上主義者などもいようとて、
そのせいでただ人の悪念に取り込まれ放題となるようなら、
本人たちの人間としての出来は昔以下となるわけである。
人の念が生霊の鬼となって他者に襲いかかるなどといえば、
いかにもオカルトじみているけれども、実際問題、
それにも相当するような惨事が数多起きている上に、
時には本当に死傷沙汰にまで発展しているような始末。
そこにまたネット上といわず茶の間といわず、
そんな事件を起こした犯人への怒りや罵倒が巻き起これども、
さような振舞い自体が他者への愛憎のあまりに鬼の如き様相と
化してしまった犯人たち自身にも通じるものとなるわけで、
それはただの悪念の伝播、感染にしかなってないともいえるのである。
能の葵上のように、その様相全体を舞台上に客観視して、
悲哀の至りとしてしみじみと思いを致せる程度の余裕を自らが
温めればこそ、さような惨劇を無くして行く側たり得るもの。
そのための方便として、悪念が生霊の鬼となるといったような
表現のほうが便利たることもある。そういう考え方自体を
過去の遺物扱いしたがる科学至上主義者などもいようとて、
そのせいでただ人の悪念に取り込まれ放題となるようなら、
本人たちの人間としての出来は昔以下となるわけである。
何言ってんのか分かんねえな
まず以て、自称高齢無職ニートの物言いを、
本気で読み解きたいなんていう気概があるか?
本気で読み解きたいなんていう気概があるか?
(>>120の続き)
神でも仏でも鬼でも妖怪でも、実在するだしないだ以前に、
前頭葉の長期記憶上に分類処理されたRAID構築的な情報形式として活用することで、
現実の問題処理なり健康養生なり能力開発なりに貢献し得ることがあるのは事実である。
よく意味不明な妖怪の代表格として挙げられる「すねこすり」なども、
夜道で野良犬だ狐狸だにすり寄られて、狂犬病や破傷風や寄生虫のような災禍を
擦り付けられたりしないように用心するための方便としては有用であったろう。
能における鬼の描写なども同様に、なるべくならそうあるべきでない人間の悪念を
象徴的かつ演舞としては優美に描くことで、悪念への用心と、それに取り込まれない
己が心の強さの養生とを同時に兼ねるような巧みさが込められているのである。
さような方便的な表現による人間性の錬磨を、非科学的な事物は何もかも無駄扱いして
かかるような連中が、科学的な範疇だけで上回れたような試しもなく、かえって
カルト支配下に置かれたゴイム止まりな陰惨さを開き直って来たばかりである。
神でも仏でも鬼でも妖怪でも、実在するだしないだ以前に、
前頭葉の長期記憶上に分類処理されたRAID構築的な情報形式として活用することで、
現実の問題処理なり健康養生なり能力開発なりに貢献し得ることがあるのは事実である。
よく意味不明な妖怪の代表格として挙げられる「すねこすり」なども、
夜道で野良犬だ狐狸だにすり寄られて、狂犬病や破傷風や寄生虫のような災禍を
擦り付けられたりしないように用心するための方便としては有用であったろう。
能における鬼の描写なども同様に、なるべくならそうあるべきでない人間の悪念を
象徴的かつ演舞としては優美に描くことで、悪念への用心と、それに取り込まれない
己が心の強さの養生とを同時に兼ねるような巧みさが込められているのである。
さような方便的な表現による人間性の錬磨を、非科学的な事物は何もかも無駄扱いして
かかるような連中が、科学的な範疇だけで上回れたような試しもなく、かえって
カルト支配下に置かれたゴイム止まりな陰惨さを開き直って来たばかりである。
カルト信仰はといえば、基本的に唯一神なり教祖なりへの絶対的帰依によって、これまた
多神教的な多重性への配慮を否定してかかる点では科学至上主義とも全く共通しているために、
実はその手の人種との親和性のほうがより高いといった法則までもが見られるものである。
念仏や、まともな部類のイスラム教などには、一向専修的であることをポリフォニックな
思考へと無意識にいざなうような効果もあったりするもので、唯一神信仰的であることが
必ずしも即カルトだと断定できるわけではないけれども、少なくともカルトの側はすべて、
そういったドグマ的な絶対者信仰へと偏る側面が少なからずある点で必ず共通している。
思考形式を完全にモノフォニックならしめて、そこから片時も外れられないようにし、
そこでの六条御息所のごとき強情さへの酩酊に酔い痴れさせるのがカルトの基本なれば、
そのために利用される信仰もまた自然と、唯一神的存在への依存的な帰依になってしまう。
親鸞聖人の言葉を借りれば、信仰が一向専修的かつ「本願ぼこり」を帯びてしまった場合に、
そうなってしまうようだし、そこがカルトと非カルトの最も根本的な分岐点となるもの。
神仏信仰があるか否か、それが一向的か否かではなく、そのほうが決定的な部位となるのである。
多神教的な多重性への配慮を否定してかかる点では科学至上主義とも全く共通しているために、
実はその手の人種との親和性のほうがより高いといった法則までもが見られるものである。
念仏や、まともな部類のイスラム教などには、一向専修的であることをポリフォニックな
思考へと無意識にいざなうような効果もあったりするもので、唯一神信仰的であることが
必ずしも即カルトだと断定できるわけではないけれども、少なくともカルトの側はすべて、
そういったドグマ的な絶対者信仰へと偏る側面が少なからずある点で必ず共通している。
思考形式を完全にモノフォニックならしめて、そこから片時も外れられないようにし、
そこでの六条御息所のごとき強情さへの酩酊に酔い痴れさせるのがカルトの基本なれば、
そのために利用される信仰もまた自然と、唯一神的存在への依存的な帰依になってしまう。
親鸞聖人の言葉を借りれば、信仰が一向専修的かつ「本願ぼこり」を帯びてしまった場合に、
そうなってしまうようだし、そこがカルトと非カルトの最も根本的な分岐点となるもの。
神仏信仰があるか否か、それが一向的か否かではなく、そのほうが決定的な部位となるのである。
俺の言ってることにさほどのズレもないような指針に基づいたエンタメ作品が、
統一電通角川のディスカウントジャパン工作も振り切って公開された途端に、
いろんな記録を打ち立てるほどの大ヒットになってたりもする。
そこには、鬼退治や怪獣退治ならではのストレス解消要素などもあろうとて、
俺自身の言うことには、そんなスカッと要素なんかが皆無なのはなぜかというに。
そういう作品を作ったり、ストレスなき世の中を招いたりする猛者側の
心構えを説いているものであるが故に、自分たち自身がとにかくストレスを
解消したくてしたくてたまらない消費者風情の意向などとは、むしろ相反するのである。
アニメを見るほど安易に楽しいことはなく、
アニメを作るほど地獄のような労苦を強いられることはないと、
げそいくおとかも説いてたもの。そのどちら側であるかをまず自覚せよ。
統一電通角川のディスカウントジャパン工作も振り切って公開された途端に、
いろんな記録を打ち立てるほどの大ヒットになってたりもする。
そこには、鬼退治や怪獣退治ならではのストレス解消要素などもあろうとて、
俺自身の言うことには、そんなスカッと要素なんかが皆無なのはなぜかというに。
そういう作品を作ったり、ストレスなき世の中を招いたりする猛者側の
心構えを説いているものであるが故に、自分たち自身がとにかくストレスを
解消したくてしたくてたまらない消費者風情の意向などとは、むしろ相反するのである。
アニメを見るほど安易に楽しいことはなく、
アニメを作るほど地獄のような労苦を強いられることはないと、
げそいくおとかも説いてたもの。そのどちら側であるかをまず自覚せよ。
[YouTubeで再生]
https://video.fc2.com/ja/content/2015111450h6MGz...
アニメを見るほど何の才能も必要ないこともなく、
アニメを作るほど格別の才能を要することもない、ともいえるわな。
その断絶の壁を無理に乗り越えようとして起こされた惨劇が、
5年前の今頃に起きた、あの事件でもあったわけだが。
犯人もリアルガチの病人だったことだし、まず以て常人並みの判断力さえ
持ち合わせていれば、乗り越えてやろうなどと考えもしない所である。
とはいえ、できる人間にはできるのに違いなく、なおかつ
野球や将棋のプロなどよりもはるかに多くのスタッフが携わって
いればこその、世界的評価まで高まり続けている界隈でもある。
自分がそこに携わるのは無理だけど、その産物の恩恵に与っているのにも
違いないのだから、敬意を持ってその界隈を尊重して行くというのが、
超えられない壁の向こう側にいる人々へのまともな応じ方というものである。
自分自身に長期記憶のデフラグやRAID構築も、思考のポリフォニック化も
務まらないながらに、それを可能とするような人々のみが招き得る恩恵に
与ろうとするような者たちがわきまえるべきなのも、同様な姿勢であろう。
https://video.fc2.com/ja/content/2015111450h6MGz...
アニメを見るほど何の才能も必要ないこともなく、
アニメを作るほど格別の才能を要することもない、ともいえるわな。
その断絶の壁を無理に乗り越えようとして起こされた惨劇が、
5年前の今頃に起きた、あの事件でもあったわけだが。
犯人もリアルガチの病人だったことだし、まず以て常人並みの判断力さえ
持ち合わせていれば、乗り越えてやろうなどと考えもしない所である。
とはいえ、できる人間にはできるのに違いなく、なおかつ
野球や将棋のプロなどよりもはるかに多くのスタッフが携わって
いればこその、世界的評価まで高まり続けている界隈でもある。
自分がそこに携わるのは無理だけど、その産物の恩恵に与っているのにも
違いないのだから、敬意を持ってその界隈を尊重して行くというのが、
超えられない壁の向こう側にいる人々へのまともな応じ方というものである。
自分自身に長期記憶のデフラグやRAID構築も、思考のポリフォニック化も
務まらないながらに、それを可能とするような人々のみが招き得る恩恵に
与ろうとするような者たちがわきまえるべきなのも、同様な姿勢であろう。
戦後どころか、明治以降からずっと続いて来た、
無能ボンクラほど人の上に立ち、能力者はそのパシリとして
いいように引き回されて使い潰されるという悪しき潮流はいま、
もう国ごと持続不能な域に達することでの限界を来している。
戦前はイギリス、戦後はアメリカの傀儡国家としての、国としての
十分な主権なき国情であり続けて来たがために、権力中枢ほど、
好き好んでそこに取り入ってでも虚栄を博したがるような、
とびっきりの愚か者や外患スパイばかりが選別的に重用されて来た。
それは結局、総じて日本人などよりも無能や愚鈍ばかりである、
アメリカやイギリスが、植民地支配や不平等交易や奴隷使役によって
得た莫大な既得権益の嵩にかかっての、不相応な屈従的支配などを、
日本という国に対して強いてきたからこそ来した事態でもある。
唐宋代ごろまでの、本当に偉大だった時代の中国などもまた、
日本を含む周辺国全土に冊封体制のような上下関係を敷いていたものの、
それは真に文化的な上質さを、自分たちが帯びた上でのことでも
あったために、そこに留学その他の形での介入を試みた日本人の中からも、
阿倍仲麻呂や空海や道元のような偉人が多く輩出されたのである。
無能ボンクラほど人の上に立ち、能力者はそのパシリとして
いいように引き回されて使い潰されるという悪しき潮流はいま、
もう国ごと持続不能な域に達することでの限界を来している。
戦前はイギリス、戦後はアメリカの傀儡国家としての、国としての
十分な主権なき国情であり続けて来たがために、権力中枢ほど、
好き好んでそこに取り入ってでも虚栄を博したがるような、
とびっきりの愚か者や外患スパイばかりが選別的に重用されて来た。
それは結局、総じて日本人などよりも無能や愚鈍ばかりである、
アメリカやイギリスが、植民地支配や不平等交易や奴隷使役によって
得た莫大な既得権益の嵩にかかっての、不相応な屈従的支配などを、
日本という国に対して強いてきたからこそ来した事態でもある。
唐宋代ごろまでの、本当に偉大だった時代の中国などもまた、
日本を含む周辺国全土に冊封体制のような上下関係を敷いていたものの、
それは真に文化的な上質さを、自分たちが帯びた上でのことでも
あったために、そこに留学その他の形での介入を試みた日本人の中からも、
阿倍仲麻呂や空海や道元のような偉人が多く輩出されたのである。
なんだ、こちらが善行や不悪行で心を満たしていることは認めるんだ?
そうであることに気づけた時点で、自分のほうがどれだけ
無益で有害な徒労ばかりに没頭して来たのかも知れそうなものだがな。
心理面でのマッチポンプによる徒労の有無の違いに、
それを差し引いても有り余る健康被害や社会的危害の有無の違い。
俺もまた現代スポーツで患った大怪我を古流で治すような、
健康面でのマッチポンプに煩わされたのには違いないし、
そういう災難に見舞われやすい時代に生まれた者同士としての、
同病相憐れみの気持ちも多少程度にはなくもないものだが。
その辺についてはおまえもまた、否定派相手の場合などと同じで、
よりひどい境遇下にいる相手としての哀れみを抱かされるものではある。
そうであることに気づけた時点で、自分のほうがどれだけ
無益で有害な徒労ばかりに没頭して来たのかも知れそうなものだがな。
心理面でのマッチポンプによる徒労の有無の違いに、
それを差し引いても有り余る健康被害や社会的危害の有無の違い。
俺もまた現代スポーツで患った大怪我を古流で治すような、
健康面でのマッチポンプに煩わされたのには違いないし、
そういう災難に見舞われやすい時代に生まれた者同士としての、
同病相憐れみの気持ちも多少程度にはなくもないものだが。
その辺についてはおまえもまた、否定派相手の場合などと同じで、
よりひどい境遇下にいる相手としての哀れみを抱かされるものではある。
(>>136の続き)
アメリカやイギリスに対して同様な立場で来た日本人はといえば、
オノヨーコとかジャニー喜多川とか。坂本九や南部陽一郎や真鍋叔郎や
中村修二や近年の日本人メジャーリーガーなんかは、すでに日本で
醸成させた才覚をアメリカに持ち込んだ(買い取られた)だけだし、
さようなアメリカ側の虚栄への協力を拒み続けているせいで、世界的評価が
今一歩なままに置かれている、フラッシュメモリーやカーボンナノチューブの
発明者や、宇宙際タイヒミュラー理論の提唱者みたいな日本人もいるのである。
この日本という国において、上は無能、下は有能という上下関係が
限界を来しているのと全く同様に、米英が上、日本が下という上下関係
もまた限界を来しており、その両方同時の解消しか現実的にはあり得ない。
(もちろんそこにぶら下がっている韓日上下の差別などもである)
「全世界の国権、国益を尊重する」という、以前に専用スレまで立てて
その意義を説いた大命題が実現に移される所からのみ、その先もまたある。
昔の中国などもまたそれは守れていたが、米英にはそれが不可能だった
のだから、その上でのこれ以上の覇権を保つことも能わぬのである。
無理に覇権を保ち続けようとした結果が、粗悪移民の流入からの乗っ取り
という危機でもあるし、自分たちの今後のためにも、日本を含む他国に
対して国権侵害級の支配を目論むような、苦果の悪因を絶たねばならぬ。
アメリカやイギリスに対して同様な立場で来た日本人はといえば、
オノヨーコとかジャニー喜多川とか。坂本九や南部陽一郎や真鍋叔郎や
中村修二や近年の日本人メジャーリーガーなんかは、すでに日本で
醸成させた才覚をアメリカに持ち込んだ(買い取られた)だけだし、
さようなアメリカ側の虚栄への協力を拒み続けているせいで、世界的評価が
今一歩なままに置かれている、フラッシュメモリーやカーボンナノチューブの
発明者や、宇宙際タイヒミュラー理論の提唱者みたいな日本人もいるのである。
この日本という国において、上は無能、下は有能という上下関係が
限界を来しているのと全く同様に、米英が上、日本が下という上下関係
もまた限界を来しており、その両方同時の解消しか現実的にはあり得ない。
(もちろんそこにぶら下がっている韓日上下の差別などもである)
「全世界の国権、国益を尊重する」という、以前に専用スレまで立てて
その意義を説いた大命題が実現に移される所からのみ、その先もまたある。
昔の中国などもまたそれは守れていたが、米英にはそれが不可能だった
のだから、その上でのこれ以上の覇権を保つことも能わぬのである。
無理に覇権を保ち続けようとした結果が、粗悪移民の流入からの乗っ取り
という危機でもあるし、自分たちの今後のためにも、日本を含む他国に
対して国権侵害級の支配を目論むような、苦果の悪因を絶たねばならぬ。
(大したこと言ってないことにしないと、自分並みの所まで引きずりおろせない;;)
そもそもが、考え方や発言の内容がただ「中庸」に適っているだけでも、
もはやどんなにそれを簡潔に要約したところで、
一つ覚えの徒がスカッと理解できるような話になることはない。
>>136>>139の話で、すでに一つの不当差別ではなく、複数の不当差別を同時に
解消してこそといった、結論を一つ覚えに絞らない話に終始しているものだから、
「これさえやっとけばそれでヨシ!」的な結論を探している者からすれば、
どこか煮え切らない、言いたいことが良く分からない話止まりたるのである。
俺の話の中では、まだ入り組みようがそれほどでもない、二つや三つ程度の事象に
ついて話ではあるけれども、その時点でもう聞く者にも二重以上のポリフォニックな
思考形式を要求しているものだから、モノフォニックな思考しかできない人間や、
一応できた所で何もかもをモノフォニックな思考でも理解できるような領域にまで
引きずり下ろしたい欲求に駆られているような連中には理解できないか、
理解できたところで大したことを言ってないことにしたい思いに駆られるのである。
そもそもが、考え方や発言の内容がただ「中庸」に適っているだけでも、
もはやどんなにそれを簡潔に要約したところで、
一つ覚えの徒がスカッと理解できるような話になることはない。
>>136>>139の話で、すでに一つの不当差別ではなく、複数の不当差別を同時に
解消してこそといった、結論を一つ覚えに絞らない話に終始しているものだから、
「これさえやっとけばそれでヨシ!」的な結論を探している者からすれば、
どこか煮え切らない、言いたいことが良く分からない話止まりたるのである。
俺の話の中では、まだ入り組みようがそれほどでもない、二つや三つ程度の事象に
ついて話ではあるけれども、その時点でもう聞く者にも二重以上のポリフォニックな
思考形式を要求しているものだから、モノフォニックな思考しかできない人間や、
一応できた所で何もかもをモノフォニックな思考でも理解できるような領域にまで
引きずり下ろしたい欲求に駆られているような連中には理解できないか、
理解できたところで大したことを言ってないことにしたい思いに駆られるのである。
どこかの誰かは、俺のことをどうにか貶めてかかりたいあまりに、
「瘡痔は人として薄っぺらい!ドヤァ」というレッテルを貼って来たことがあったが。
お大師様の説く十住心の中では、最下等にあたる異生羝羊心はおろか、
下から二番目の愚童持斎心といえども、そんなに重厚さを帯びるような段階ではない。
その愚童持斎心に属する儒学の範疇に即することを念頭に置いた俺の物言いが、
異生羝羊心に甘んじているような連中からすれば、大して荘重なことを
言ってるようにも思われないように受け止められることもまたあり得よう。
それでいながら、自分たちには何を言ってるのかよく分からない側面までもが
多々あるという、最もアレルギー的に受け付け難い発言様式となっているもの。
しかし、それこそが最低劣の一つ覚え状態から、ただの一段階程度にランクアップした、
最も初歩的な人間精神の成長段階=とりあえず中庸をわきまえた段階なのである。
ここまでの話に即するなら、モノフォニック思考一辺倒だったのが、
とりあえず二重のポリフォニック思考程度は可能となった段階だともいえる。
そして
「中庸をわきまえた者にはそれ以上も教えられる。否なら否」(雍也第六・二一)
とも。まずその関門を乗り越えねば、重厚な領域などは夢のまた夢にも等しいのである。
「瘡痔は人として薄っぺらい!ドヤァ」というレッテルを貼って来たことがあったが。
お大師様の説く十住心の中では、最下等にあたる異生羝羊心はおろか、
下から二番目の愚童持斎心といえども、そんなに重厚さを帯びるような段階ではない。
その愚童持斎心に属する儒学の範疇に即することを念頭に置いた俺の物言いが、
異生羝羊心に甘んじているような連中からすれば、大して荘重なことを
言ってるようにも思われないように受け止められることもまたあり得よう。
それでいながら、自分たちには何を言ってるのかよく分からない側面までもが
多々あるという、最もアレルギー的に受け付け難い発言様式となっているもの。
しかし、それこそが最低劣の一つ覚え状態から、ただの一段階程度にランクアップした、
最も初歩的な人間精神の成長段階=とりあえず中庸をわきまえた段階なのである。
ここまでの話に即するなら、モノフォニック思考一辺倒だったのが、
とりあえず二重のポリフォニック思考程度は可能となった段階だともいえる。
そして
「中庸をわきまえた者にはそれ以上も教えられる。否なら否」(雍也第六・二一)
とも。まずその関門を乗り越えねば、重厚な領域などは夢のまた夢にも等しいのである。
単なる中庸以上に、重厚で荘厳な領域にまで踏み入って来た者と、
あえて初歩的な中庸に踏みとどまって来た者とが、こうして
横並びで名君に進言するようなこともまたあったもの。
何しろ、相手は最低限の中庸も解さぬような、
政商カルト含みの手合い。中以上の者同士でのみ分かり合えるような
高説よりも、「中人以下には以て上を語るべからず」を前提とした、
より実力行使的な領域を専科とする言葉が役に立つこともあるが故に。
今や、その最初等級の中庸すら世を挙げて見失われている時代なれば、
儒者も仏者もと共に無力化されているのにも違いはないが、
そこからまた復権を実現して行くようなことがあろうとも、
やはり同様に、初歩中の初歩の牙城の領主としての儒者や、
あるいは念仏者などが適材適所な要員として、
より活躍の場を得るようなこともまたあり得よう。
より重厚な領域に属する達者たちと比べれば、
薄っぺらいように思われることもあろうし、事実、
四書五経や浄土経も大蔵経よりははるかに些少で薄いながらに、
さらにそれ未満な連中をあしらう急先鋒としての役柄に与ろうぞ。
あえて初歩的な中庸に踏みとどまって来た者とが、こうして
横並びで名君に進言するようなこともまたあったもの。
何しろ、相手は最低限の中庸も解さぬような、
政商カルト含みの手合い。中以上の者同士でのみ分かり合えるような
高説よりも、「中人以下には以て上を語るべからず」を前提とした、
より実力行使的な領域を専科とする言葉が役に立つこともあるが故に。
今や、その最初等級の中庸すら世を挙げて見失われている時代なれば、
儒者も仏者もと共に無力化されているのにも違いはないが、
そこからまた復権を実現して行くようなことがあろうとも、
やはり同様に、初歩中の初歩の牙城の領主としての儒者や、
あるいは念仏者などが適材適所な要員として、
より活躍の場を得るようなこともまたあり得よう。
より重厚な領域に属する達者たちと比べれば、
薄っぺらいように思われることもあろうし、事実、
四書五経や浄土経も大蔵経よりははるかに些少で薄いながらに、
さらにそれ未満な連中をあしらう急先鋒としての役柄に与ろうぞ。
竹中平蔵「日本は弱者の保護を簡単に認めてしまう。それが国全体を弱くしている」「全ては増税や借金でまかなわれる」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f370d31b59df7d4a2d6ed...
こいつ、この記事では最低賃金も払えない弱小企業への保護をその実例として取り上げてるけど、
「国のお荷物化している弱者保護」の最たるものといえば、他国ならとっくの昔に死んでるような
健康状態の年寄りを、何千万人と生かし続けてやっている皆保険医療のほうであるのを、ごっそり見落としてるだろ。
こいつ自身を含む団塊世代こそは、全世界におけるビートルズのリアルタイム世代でもあるわけだが、
他国ではとっくの昔にその大多数が死んで少数派と化しているものだから、
日本以外のほぼすべての国で、ビートルズも世界一のロックバンドの座から陥落している。
とうの昔から半死半生状態な年寄りを、毎年何十兆円もかけて生き延びさせているからこそ、
医療介護以外の市場に出回る資本も低減し、以て国全体の経済を弱くしているのが最大最凶の問題だというのに、
そこから目を背けて末節の問題ばかりを他人事のように叩いている。やはりこれも単細胞ゆえの所業ではあろう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f370d31b59df7d4a2d6ed...
こいつ、この記事では最低賃金も払えない弱小企業への保護をその実例として取り上げてるけど、
「国のお荷物化している弱者保護」の最たるものといえば、他国ならとっくの昔に死んでるような
健康状態の年寄りを、何千万人と生かし続けてやっている皆保険医療のほうであるのを、ごっそり見落としてるだろ。
こいつ自身を含む団塊世代こそは、全世界におけるビートルズのリアルタイム世代でもあるわけだが、
他国ではとっくの昔にその大多数が死んで少数派と化しているものだから、
日本以外のほぼすべての国で、ビートルズも世界一のロックバンドの座から陥落している。
とうの昔から半死半生状態な年寄りを、毎年何十兆円もかけて生き延びさせているからこそ、
医療介護以外の市場に出回る資本も低減し、以て国全体の経済を弱くしているのが最大最凶の問題だというのに、
そこから目を背けて末節の問題ばかりを他人事のように叩いている。やはりこれも単細胞ゆえの所業ではあろう。
たとえ若者が全員選挙に行った所で、
絶対安定多数たる年寄りの投票に数で敵うことはない。
最低でも、年寄りからは選挙権を剥奪するなみに
非民主的な手段を講ずるのでもなければ、
弱者保護の過剰による自滅の進行を食い止めることも能わぬ。
元来ならとうに引退、他国なら大多数がとっくに
死んでいる年代である団塊竹中の発言力なんかも
なくなるところからのみ、それが可能となる。
絶対安定多数たる年寄りの投票に数で敵うことはない。
最低でも、年寄りからは選挙権を剥奪するなみに
非民主的な手段を講ずるのでもなければ、
弱者保護の過剰による自滅の進行を食い止めることも能わぬ。
元来ならとうに引退、他国なら大多数がとっくに
死んでいる年代である団塊竹中の発言力なんかも
なくなるところからのみ、それが可能となる。
ここにもこうやって、竹中と全く同じような単細胞さ加減によって、
毎年何十兆円もかけて、健康寿命の尽きた年寄りを何千万人と
生き延びさせてやっているという、最大最凶の内政問題から目を背けたまま、
それと比べれば毛筋ほどの社会的危害もない無職ニートだナマポだに
非難を浴びせかけることで、鬼の首を取ったように囃し立ててる連中がいるだろ。
それもまた、一つのことを考えている時には、他のことへの配慮が全くできない、
思考形式のモノフォニック止まりさこそが、恥知らずにも成し得ていることである。
竹中あたりだと、「自分は医療介護の専門家じゃないから」とか言い訳するかもしれないが、
何か別の分野の専門家であるあまりに、他の分野への配慮を完全に見落として、
全く筋違いな物言いにまで及んだりするようなら、それこそ「専門家である」という
こと自体が人としての恥知らずさをより助長する痴態であるとも言えることとなろう。
傾国の最大元凶となっている皆保険医療の中枢付近にいる医者などもまた、
「経済は自分の専門じゃないから」などと言い訳して言い逃れする話かもしれんが、
これまた人の命を救う聖職であることを差し引いても余りある恥知らずさであるといえよう。
いずれもやはり、洋学の経済学や医学の専門家であるならではの大馬鹿さ加減なだけで、
儒学や仏学のような正学の専門家には決して許されることがない振舞いなのである。
毎年何十兆円もかけて、健康寿命の尽きた年寄りを何千万人と
生き延びさせてやっているという、最大最凶の内政問題から目を背けたまま、
それと比べれば毛筋ほどの社会的危害もない無職ニートだナマポだに
非難を浴びせかけることで、鬼の首を取ったように囃し立ててる連中がいるだろ。
それもまた、一つのことを考えている時には、他のことへの配慮が全くできない、
思考形式のモノフォニック止まりさこそが、恥知らずにも成し得ていることである。
竹中あたりだと、「自分は医療介護の専門家じゃないから」とか言い訳するかもしれないが、
何か別の分野の専門家であるあまりに、他の分野への配慮を完全に見落として、
全く筋違いな物言いにまで及んだりするようなら、それこそ「専門家である」という
こと自体が人としての恥知らずさをより助長する痴態であるとも言えることとなろう。
傾国の最大元凶となっている皆保険医療の中枢付近にいる医者などもまた、
「経済は自分の専門じゃないから」などと言い訳して言い逃れする話かもしれんが、
これまた人の命を救う聖職であることを差し引いても余りある恥知らずさであるといえよう。
いずれもやはり、洋学の経済学や医学の専門家であるならではの大馬鹿さ加減なだけで、
儒学や仏学のような正学の専門家には決して許されることがない振舞いなのである。
とかいった話はあくまで、「弱者保護は一概に有害無益」という、
竹中自身の物言いに応じて提示してやった話であるだけで、
そもそもその大前提からして間違っている、ということもいえる。
国内に中下層の経済水準の人間も多ければこそ、生産人口などが保たれることで
国力が盤石たるというのは、中国やインドはおろかアメリカすらもが
それなりに認めていて、あえてさような国情を保たせている法則でもある。
世の中を完全に経済的強者だけで占めさせようたって、それでは国の運営も
ままならなくなるものだから、欧州諸国なども大量の移民を受け入れての
多人種国家化に至らざるを得なかった。その後を追うような真似を今さら主張
している竹中の物言いなんざ自体が、もう何も見えてない暗愚老耄の極みだともいえる。
ただ、弱者保護にも「過ぎたるは猶及ばざるが如し」となる事例はあり得るもので、
それこそ、皆保険医療で何千万人という年寄りを毎年何十兆円もかけて
生き延びさせている今の日本の医療福祉なんぞが、まさにそれに該当するものである。
それにより、肉体的強者たる中若年から活躍の場を奪い続けているが故に
日本社会も低迷に追い込まれているわけで、要は「弱者保護が過ぎたあまりの強者冷遇」
こそが今の日本における最大最凶の問題であると言えるわけである。
竹中自身の物言いに応じて提示してやった話であるだけで、
そもそもその大前提からして間違っている、ということもいえる。
国内に中下層の経済水準の人間も多ければこそ、生産人口などが保たれることで
国力が盤石たるというのは、中国やインドはおろかアメリカすらもが
それなりに認めていて、あえてさような国情を保たせている法則でもある。
世の中を完全に経済的強者だけで占めさせようたって、それでは国の運営も
ままならなくなるものだから、欧州諸国なども大量の移民を受け入れての
多人種国家化に至らざるを得なかった。その後を追うような真似を今さら主張
している竹中の物言いなんざ自体が、もう何も見えてない暗愚老耄の極みだともいえる。
ただ、弱者保護にも「過ぎたるは猶及ばざるが如し」となる事例はあり得るもので、
それこそ、皆保険医療で何千万人という年寄りを毎年何十兆円もかけて
生き延びさせている今の日本の医療福祉なんぞが、まさにそれに該当するものである。
それにより、肉体的強者たる中若年から活躍の場を奪い続けているが故に
日本社会も低迷に追い込まれているわけで、要は「弱者保護が過ぎたあまりの強者冷遇」
こそが今の日本における最大最凶の問題であると言えるわけである。
「親があくまで過ちを犯し続けるようなら、泣き叫びながらこれに従え」(孝経)
自分の親もまた少なからず加担してしまっている過ちであればこそ、
こんな所でくだを巻くだけで、なんら実行にも移さず、
その他力本願な実現ですら、むしろ憂えているのだろうが。
別にこれで、トランプが善政を敷いて行くことが決まったわけでもなし。
むしろ国内外から多くの反発を集める極右政策の急進が確約されたのみ。
その先にあるのはやはり、Attack On Titanのラストとも見まがうような大破綻。
「トランプは本当にアメリカの擬人化そのものだよな」
と俺も評したことがあったが、なればこそ、
アメリカ「わが生涯に一片の悔いなし!!」
な絵面だったともいえるわな。
米英の崩壊もまたいつかは避けられぬことと予期しているのとはまた別に、
親の余命を案じる身として、なにも悦べるところはなかった事件だったといえる。
ゆえにここですら、安倍銃撃の時のようにはやし立てることもできなかったものだ。
自分の親もまた少なからず加担してしまっている過ちであればこそ、
こんな所でくだを巻くだけで、なんら実行にも移さず、
その他力本願な実現ですら、むしろ憂えているのだろうが。
別にこれで、トランプが善政を敷いて行くことが決まったわけでもなし。
むしろ国内外から多くの反発を集める極右政策の急進が確約されたのみ。
その先にあるのはやはり、Attack On Titanのラストとも見まがうような大破綻。
「トランプは本当にアメリカの擬人化そのものだよな」
と俺も評したことがあったが、なればこそ、
アメリカ「わが生涯に一片の悔いなし!!」
な絵面だったともいえるわな。
米英の崩壊もまたいつかは避けられぬことと予期しているのとはまた別に、
親の余命を案じる身として、なにも悦べるところはなかった事件だったといえる。
ゆえにここですら、安倍銃撃の時のようにはやし立てることもできなかったものだ。
別に革命が本当に勃発したところで、自らがその後の新政権の重鎮にでもなるのなら、
自分自身の親親族を入念な保護下に置くことぐらいはわけもないだろうが。
それでも、もう自分がこの世に要らなくなった存在と化してしまったことを、
如実に思い知らされたがためのショック死や衰弱までもが避けられるとは限らない。
特に俺の親父なんかに限れば、自らもまた良かれと思って従事して来た甚大な国土開発が、
持続可能化のために大量に間引かれて自然状態に引き戻されて行ったりするのを見て、
それがショックで寿命を縮めるようなことにもなりかねない。
なおかつ、自分の親だけを特権によって保護下に置いたところで、
大多数の一般人の親が、皆保険の廃絶などのせいで極度に寿命を縮められることまで
避けられるわけではなく、そんな中で自らの親だけ手厚い保護下に置いたり
しようものなら、自らの親を項羽に人質に取られても臆することなく戦い続けた
高祖劉邦の風上にも置けない下郎だ、ということにもなってしまいかねないからな。
自分自身の親親族を入念な保護下に置くことぐらいはわけもないだろうが。
それでも、もう自分がこの世に要らなくなった存在と化してしまったことを、
如実に思い知らされたがためのショック死や衰弱までもが避けられるとは限らない。
特に俺の親父なんかに限れば、自らもまた良かれと思って従事して来た甚大な国土開発が、
持続可能化のために大量に間引かれて自然状態に引き戻されて行ったりするのを見て、
それがショックで寿命を縮めるようなことにもなりかねない。
なおかつ、自分の親だけを特権によって保護下に置いたところで、
大多数の一般人の親が、皆保険の廃絶などのせいで極度に寿命を縮められることまで
避けられるわけではなく、そんな中で自らの親だけ手厚い保護下に置いたり
しようものなら、自らの親を項羽に人質に取られても臆することなく戦い続けた
高祖劉邦の風上にも置けない下郎だ、ということにもなってしまいかねないからな。
俺も別に、いちいち四書五経や孝経などの言葉を思い出しながら、
その実践に取り組んでいるのではなく、十住心論でいえば
愚童持斎心に該当するような心持ちの修練によって、
自然とその実践が務まるように仕向けているものである。
仏説における十住心であるとか、六道十界であるとかが、
各種のRAID構築のごときマインドセットの段階に該当し、
愚童持斎心なら六道のうちの人道と等価になるような法則性も持ち合わせている。
仏の悟りとまでは行かないながらに、儒学=愚童持斎心=人道程度の
境地を持ち保っているような人間もまた、浩然の気(孟子)と呼ばれるような
ある種の心の安定を得、その安定を損なわないような言動に務めてさえいれば、
いちいち儒書の言葉を参照したりするまでもなく、その矩ノリを超えることがなくなる。
畢竟、それが「正直であることは楽しい」の初歩中の初歩でもあり、
RAID構築的なマインドセットの蓄積のための大前提としての、
嘘をつくことを楽しむような邪念による記憶情報の断片化からの散逸
ぐらいは避けるようになった、最低よりもマシな段階に該当するのである。
その実践に取り組んでいるのではなく、十住心論でいえば
愚童持斎心に該当するような心持ちの修練によって、
自然とその実践が務まるように仕向けているものである。
仏説における十住心であるとか、六道十界であるとかが、
各種のRAID構築のごときマインドセットの段階に該当し、
愚童持斎心なら六道のうちの人道と等価になるような法則性も持ち合わせている。
仏の悟りとまでは行かないながらに、儒学=愚童持斎心=人道程度の
境地を持ち保っているような人間もまた、浩然の気(孟子)と呼ばれるような
ある種の心の安定を得、その安定を損なわないような言動に務めてさえいれば、
いちいち儒書の言葉を参照したりするまでもなく、その矩ノリを超えることがなくなる。
畢竟、それが「正直であることは楽しい」の初歩中の初歩でもあり、
RAID構築的なマインドセットの蓄積のための大前提としての、
嘘をつくことを楽しむような邪念による記憶情報の断片化からの散逸
ぐらいは避けるようになった、最低よりもマシな段階に該当するのである。
「君子は独りを慎み、小人は閑居して不善を為す」(大学)
誰も見てないのなら、別に罰せられたり不評を買ったりしないのなら、
嘘でも盗みでも出歯亀でもなんでもしてやりたいというような邪念に
駆られたりするのは、それこそを楽しむ段階にまだ自分がいるからである。
自らの記憶情報が断片化して、前頭葉全体におもちゃ箱をひっくり返したように
散逸する所にもまた、匹夫小人ならではの下衆な陶酔があるのも確かなこと。
バラバの犠牲者への配慮も疎かなままにイエスの昇天を賛美したり、
進化論の妥当性も無視しての、アダムとイヴの素っ裸創世神話を信じたり
することでこそ得られる、知能低下、論理破綻の楽しみというものも事実ある。
人が生きて行く上では。多くの怒りや悲しみが付き物で、その最たるものたるや、
自らや親愛なる相手の死であったりもするものだが、多くの下等動物が
死なんてものを理解していないが故に、そこへの恐怖も苦悩も抱かないが如く、
下等動物なみに知能を低下させた人間もまた疑似的にその安楽を得る。
記憶情報の断片化からの散逸を必要とするような論理破綻のむさぼりこそが、
人間に対してその機会を付与するが故に、悪趣味な愛好の対象とされるもの。
ただ、それはもちろん正直であることこそを楽しむ、浩然の気以上の上質な
精神的安楽とは相容れないものであるために、同時に人間精神を最低劣の
領域に止め置いて幽閉する、頑強な檻ともなってしまうのである。
誰も見てないのなら、別に罰せられたり不評を買ったりしないのなら、
嘘でも盗みでも出歯亀でもなんでもしてやりたいというような邪念に
駆られたりするのは、それこそを楽しむ段階にまだ自分がいるからである。
自らの記憶情報が断片化して、前頭葉全体におもちゃ箱をひっくり返したように
散逸する所にもまた、匹夫小人ならではの下衆な陶酔があるのも確かなこと。
バラバの犠牲者への配慮も疎かなままにイエスの昇天を賛美したり、
進化論の妥当性も無視しての、アダムとイヴの素っ裸創世神話を信じたり
することでこそ得られる、知能低下、論理破綻の楽しみというものも事実ある。
人が生きて行く上では。多くの怒りや悲しみが付き物で、その最たるものたるや、
自らや親愛なる相手の死であったりもするものだが、多くの下等動物が
死なんてものを理解していないが故に、そこへの恐怖も苦悩も抱かないが如く、
下等動物なみに知能を低下させた人間もまた疑似的にその安楽を得る。
記憶情報の断片化からの散逸を必要とするような論理破綻のむさぼりこそが、
人間に対してその機会を付与するが故に、悪趣味な愛好の対象とされるもの。
ただ、それはもちろん正直であることこそを楽しむ、浩然の気以上の上質な
精神的安楽とは相容れないものであるために、同時に人間精神を最低劣の
領域に止め置いて幽閉する、頑強な檻ともなってしまうのである。
嘘偽りその他の悪行にまったく罪悪感の一つも抱かないでいられる人間を、
近年の精神医学ではサイコパス(精神病質」などと呼んだりもするし、
なおかつサイコパスには高知能が多いなどとも言われているものだが。
前頭葉の長期記憶の整理を蔑ろにする代わりに、側頭葉の情報処理能力だけは
高め抜くという人種がその手の素養を身に付けるようなことが事実ありはする。
ユダヤ人などはまさにその手の人種が最も多いカルト集団であるために、
数多の天才を輩出して来た一方で、総体としてのその振舞いは、暴利を巻き上げる
悪徳金融などを本業とするあまりに、勢力圏では必ずと言っていいほど多くの
アンチを生み出しては迫害されるような目に遭い続けて来たのである。
そのうちの一人であるアインシュタインなども、宗教全般を否定するような
物言いを繰り返しながら、自身がユダヤ教徒であることはやめないといった
自己破綻加減であったものだが、さような欺瞞こそが欠陥相殺的に側頭葉の
情報処理能力を格段に高めるものでもあるし、またそのユダヤ教徒が幼少期から
徹底的に叩き込まれる旧約聖書の記述こそは、科学理論によってもまともな
道徳学によっても全否定する他ないような邪説暴言の塊であればこそ、長期記憶の
整理を徹底拒絶させることを引き換えにした、脳の情報処理能力の高さを育むのである。
近年の精神医学ではサイコパス(精神病質」などと呼んだりもするし、
なおかつサイコパスには高知能が多いなどとも言われているものだが。
前頭葉の長期記憶の整理を蔑ろにする代わりに、側頭葉の情報処理能力だけは
高め抜くという人種がその手の素養を身に付けるようなことが事実ありはする。
ユダヤ人などはまさにその手の人種が最も多いカルト集団であるために、
数多の天才を輩出して来た一方で、総体としてのその振舞いは、暴利を巻き上げる
悪徳金融などを本業とするあまりに、勢力圏では必ずと言っていいほど多くの
アンチを生み出しては迫害されるような目に遭い続けて来たのである。
そのうちの一人であるアインシュタインなども、宗教全般を否定するような
物言いを繰り返しながら、自身がユダヤ教徒であることはやめないといった
自己破綻加減であったものだが、さような欺瞞こそが欠陥相殺的に側頭葉の
情報処理能力を格段に高めるものでもあるし、またそのユダヤ教徒が幼少期から
徹底的に叩き込まれる旧約聖書の記述こそは、科学理論によってもまともな
道徳学によっても全否定する他ないような邪説暴言の塊であればこそ、長期記憶の
整理を徹底拒絶させることを引き換えにした、脳の情報処理能力の高さを育むのである。
モーセの十戒なども、一見してまともな道徳教条のように思われる後6条の上に、
唯一神への絶対服従を強いる前4条を置いた上で、その神はといえば、
服従心を示すために我が子を殺そうとしたアブラハムを救うような、
人間道徳に根本から反する真似を平気で強いるような代物である。
(まさにこれが現代日本で致命的な問題となっている、子愛の欠如と符合する事例でもある)
ユダヤ系哲学者のベルクソンも「道徳と宗教の二源泉」という自著で、
その冒頭で旧約聖書の創世神話への賛美を掲げながら、題名の通りに道徳と宗教の
相反性を説いていたものだけれども、そんな個別性が通用しているように思い込むこと自体が、
ユダヤ教やキリスト教のような生粋のカルト信仰の界隈でしかあり得ないことである。
お大師様や源信僧都が、十住心論や往生要集でただの人間道徳止まりな儒学の境地などを、
仏門よりも低い境地と見なしていたのも、あくまで自分たちが正当と見なしている
仏神への信仰や仏道修行などが、単なる道徳の完全な上位互換たり、以て人間道徳が
実践や実現を企図する所のものをより一層助成して行くものだと考えていたからである。
そうではなく、神への信仰が時に人間道徳を損ね、それ未満の退廃へと人々を陥れるのを
定立するのがカルト信仰であるが故に、人々を浩然の気以上の、正直であることの楽しみ
などへと導くことなく、むしろそれを徹底的に禁じてかかるような真似に及ぶのである。
唯一神への絶対服従を強いる前4条を置いた上で、その神はといえば、
服従心を示すために我が子を殺そうとしたアブラハムを救うような、
人間道徳に根本から反する真似を平気で強いるような代物である。
(まさにこれが現代日本で致命的な問題となっている、子愛の欠如と符合する事例でもある)
ユダヤ系哲学者のベルクソンも「道徳と宗教の二源泉」という自著で、
その冒頭で旧約聖書の創世神話への賛美を掲げながら、題名の通りに道徳と宗教の
相反性を説いていたものだけれども、そんな個別性が通用しているように思い込むこと自体が、
ユダヤ教やキリスト教のような生粋のカルト信仰の界隈でしかあり得ないことである。
お大師様や源信僧都が、十住心論や往生要集でただの人間道徳止まりな儒学の境地などを、
仏門よりも低い境地と見なしていたのも、あくまで自分たちが正当と見なしている
仏神への信仰や仏道修行などが、単なる道徳の完全な上位互換たり、以て人間道徳が
実践や実現を企図する所のものをより一層助成して行くものだと考えていたからである。
そうではなく、神への信仰が時に人間道徳を損ね、それ未満の退廃へと人々を陥れるのを
定立するのがカルト信仰であるが故に、人々を浩然の気以上の、正直であることの楽しみ
などへと導くことなく、むしろそれを徹底的に禁じてかかるような真似に及ぶのである。
正直であることによる浩然の気以上の楽しみと、
嘘偽りなどの不善にまみれることによる楽しみとでは、
いろいろと位相が食い違ってくるもので、端的に言って、
一方にとって面白い物事が、もう一方にとっては面白くもなんともない、
なんて事例が無数に上るようなことにもなる。
前者は地道であることを楽しみ、後者は手っ取り早いことを楽しむ、
前者は世のため人のためになるような仕事こそをもっとも楽しむ一方で、
後者は人と世を害してでも自分だけがいい思いをするような真似を楽しむなど、
根本的な所から枝葉末節に至るまで、生理的といってもいいぐらいの相反性を帯びる。
ただ、どちらのほうがより満足度が高いかといえば、
それは正直であることを楽しむ側のほうであるために、
たとえば不毛な水掛け論のレスバなどに遭遇しようものなら、
たとえ自分が負けたことになるような体裁になってしまうのだろうとも、
さしたる不満もないために、先に撤退するようなこともまた容易なわけである。
それにより自らは早寝による滋養にも与る一方、
邪念を楽しむ輩は寝不足で寿命を縮めるようなことともなり、
以て身体的な健康面などへの禍福の結実もまた顕著な相違を見せることとなる。
正直を楽しむ側こそがより大いなる善因楽果に与り、不善を楽しむ側のほうが、
その少なさと悪因苦果の多さに苛まれるという絶対法則もまた実在するわけである。
嘘偽りなどの不善にまみれることによる楽しみとでは、
いろいろと位相が食い違ってくるもので、端的に言って、
一方にとって面白い物事が、もう一方にとっては面白くもなんともない、
なんて事例が無数に上るようなことにもなる。
前者は地道であることを楽しみ、後者は手っ取り早いことを楽しむ、
前者は世のため人のためになるような仕事こそをもっとも楽しむ一方で、
後者は人と世を害してでも自分だけがいい思いをするような真似を楽しむなど、
根本的な所から枝葉末節に至るまで、生理的といってもいいぐらいの相反性を帯びる。
ただ、どちらのほうがより満足度が高いかといえば、
それは正直であることを楽しむ側のほうであるために、
たとえば不毛な水掛け論のレスバなどに遭遇しようものなら、
たとえ自分が負けたことになるような体裁になってしまうのだろうとも、
さしたる不満もないために、先に撤退するようなこともまた容易なわけである。
それにより自らは早寝による滋養にも与る一方、
邪念を楽しむ輩は寝不足で寿命を縮めるようなことともなり、
以て身体的な健康面などへの禍福の結実もまた顕著な相違を見せることとなる。
正直を楽しむ側こそがより大いなる善因楽果に与り、不善を楽しむ側のほうが、
その少なさと悪因苦果の多さに苛まれるという絶対法則もまた実在するわけである。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1720191770/9...
見合いも野合も結婚も、等しく縁遠い夢物語であることには変わりない、
江戸時代の半分以下な所得水準の世代の大多数にとっては、
未だ無縁にもほどがあり過ぎる話でしかないがな。
見合いも野合も結婚も、等しく縁遠い夢物語であることには変わりない、
江戸時代の半分以下な所得水準の世代の大多数にとっては、
未だ無縁にもほどがあり過ぎる話でしかないがな。
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