仏門であるにもかかわらず、さしたる求道を志すわけでもなく、
キリスト教などとも同じ来世信仰でもあるというその奇異さから、
R.ベネディクトなども「仏教ではない」とまで断じた念仏信仰もまた、
人々の信じる力全般を育み、それによって世の中を篤い信頼関係で満たしていた
程度にはカルトではないし、その点カルトなどとは真逆の側面をも帯びている。
指定した本尊への信心のみならず、信者たち自身の諸事諸物への信心全般を
高めてやるという効果は、カルトにはないし(逆効果はあるが)、科学にもない。
廃仏毀釈以降の日本で、仏教信仰の代替となったある種の神道信仰などにもない。
もちろん今の大メディアなどにもなく、一部の有名人への限られた崇拝意識だけを
殊更に煽り立てている有り様はむしろ、よりカルト寄りな様相であるともいえる。
体なら大谷、知なら藤井並みの素養の持ち主しか信認の対象としない域の、
信じる力の弱さを植え付けられた人間が、たとえば企業経営者だったりしようものなら、
そのせいで大谷や藤井に準ずる素養の持ち主すら嫌がってその企業に近づくことはなくなり、
とりあえず就職さえできればそれでいいようなボンクラしか面接にも来なくなったりする。
そういう信じる力の弱さが原因での、世の中の機能不全化こそが今の日本社会を破綻の危機
にまで陥らせているのだし、科学振興なぞ以上にまずどうにかしないといけない所である。
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