レス数が 200 を超えています。残念ながら全部は表示しません。

「うまくやってる死刑囚」だらけの世 偉大なる生存の報告 Part324


▼ページ最下部
001 2024/12/04(水) 13:04:57 ID:g.14t/VdbA
直接手にかけて殺しているわけでも、組織犯罪の上部から間接的に殺させているわけでも
なくとも、完ぺきな科学的検証が不可能なほど多重にわたる域に至るまでの因果関係まで
厳密に精査してみれば、あまりにも傲岸不遜で傍若無人な迷惑行為によって、結果的に
人様を窮乏死などに追い込んでいる人間が、そこら中に溢れ返っているのが今の世である。

今の日本ではおおむね、2人殺せば死刑の見込みが立つものだが、
それぐらいの条件はゆうに満たしている人間がいくらでもいるものだし、
まだ気づかれていない悪徳医者などのように、マッチポンプのヤブ医療で患者の寿命を
縮めながら儲けを得て、なおかつ偉人としての尊敬を集めているような者すらいなくはない。

有り金溶かした人間がしょっちゅう飛び込みで電車を止めている株やFXでの投機なども、
やはりそういう連中がいるからこそ死者を出し続けているものだし、弱肉強食が間接殺人の
域に達することが、合法的に認められていることが非常に多いのが自由主義社会の実情である。

そういう領域にまで厳格に立ち入って、実定の法律だけでは絶やしきれない域に至るまで、
うまくやってる殺人犯を絶やすことに勤めていたのが、諸法因果を重んずる古来の仏門でもある。
その完ぺきな復興まではなかなか難しいにしても、その精神性ぐらいは汲みたいものである。

返信する

002 2024/12/04(水) 13:26:26 ID:uZ.aaIiQpY
次はションベンだ

返信する

003 2024/12/04(水) 17:08:31 ID:oGV9Aj2Ixs
屁理屈ダンス

返信する

007 2024/12/05(木) 09:36:21 ID:Ov..nBYlGo
竹中小泉安倍だとか、歴代の経団連会長や財務事務次官なんて、
一人一人が何万人ずつ殺して来たか知れないぐらいの虐殺犯だということになるし、
合法的な権力者界隈ほどそんな連中ばかりで占められている世の中がそのまま、
本格的に仏門に帰依して行ったりするのも不可能に等しいことである。

明治期の廃仏毀釈自体、多重で複合的な因果関係の厳密な精査を重んずる
仏門なんかに帰服したままでは、資本主義や自由主義なんかをまともに
受容して行く目途も立たないからこそ講じられたものであるし、そこから
今に至るまで、昔ほどには物事の因果を重んじない風潮が持ち越されたままでいる。

逆にキリスト教なんかは、物事の因果関係の圧倒的な破綻こそが信仰対象と
なっている宗教なものだから、近代以降の日本で一般人以上な成功を目論む
連中にとってこそより受容されて行くものとなった。(そのため今の石破を含む、
歴代総理大臣のキリスト信者率も、全国平均の1%未満を大きく上回っている)

返信する

008 2024/12/05(木) 09:38:47 ID:Ov..nBYlGo
キリスト教以外の、国家神道や創価やオウムのようなカルトが伝統宗教以上に
猛威を奮って来たのも同様な理由で、日本古来の宗教は仏教に限らず、物事の
因果関係をよく重んずるものばかりであるが故にこそ近代以降は抑圧下に置かれ、
あえて因果応報を否定してかかるような新宗教ばかりが権力に食い入り始めた。

大多数の平民はカルトを生理的に忌み嫌う一方で、権力界隈はカルト信者だらけ
なんていう地獄絵図と化しているのもそのため。さような信教文化の奇形化全体が、
物事の因果関係を深く重んじているか否かという点にその源流を集約させているのである。

返信する

009 2024/12/05(木) 09:59:51 ID:Ov..nBYlGo
思想書「孟子」の冒頭は、当時の中国の有力者たちに、
孟子が真っ当な政治のあり方を説く所から始まるが。
そこで「六韜」の虎の巻の格言なみに、格別の重要さを帯びた教えとして
掲げられているのが、「人を殺すことを嗜まざる者、之(天下)を一にせん」という言葉である。

この前に孟子は、「人を殺すに杖を以てするも、刃物を以てするも、
失政を以てするも、何ら変わりはないことである」という話も述べている。
まさに刑法違反の殺人と、権力者の横暴による合法的な殺人も、人殺しであることには
変わりないという因果の共通性を元手に、上のような言葉をも述べたわけである。

さらには、斉の宣王が供儀で用いる牛をより小さな羊に変えさせたことを、
そのための第一歩となるような試みの一つであるとも述べている。
極めて些細で、牛も羊も命ある動物には変わりないのだから偽善のようにも思われかねないが、
牛よりも羊のほうが畜産物としての経費はだいぶ安くて済む。その分だけ財政圧迫も免れて、
重税に苦しんで窮死に追い込まれるような民もまた少なくて済むことにもなり得るわけで、
非常に多重で微妙不可思議な領域に至るまでの因果関係の尊重に基づいて、
人を殺すことを嗜まざることの重要さを孟子も説いていることがわかる。

返信する

010 2024/12/05(木) 10:11:35 ID:Ov..nBYlGo
かつ、孟子がさような話を当時の中国の王君たちに熱心に説いていたのは、
儒家の教えがまともに実践もできないほどの乱世でもあった当時の有力者たちが、
「人を殺すことを嗜まざる」程度のわきまえもないような横暴を働いていたからであるのにも違いない。

今の日本や世界にも、「権力者なんてのは人を殺すを嗜んでこそなんぼ、
十人殺せば殺人犯、十万人殺せば大英雄!」なんていう不届きさを内面に持ち合わせている者が多かろうし、
それが戦争行為とまでもいかないような平時の文治の範疇に止まるようなら、むしろそれぐらいの
殺伐さも持ち合わせているのでないと権力者ではいられない!ぐらいの義務意識でいたりもするもの。

現実問題、国家規模の治政などには、実際問題としての殺人行為が付き物であり、その最たるものが死刑でもある。
戦時中でもないような平常の国家でも凶悪犯への死刑は承認されるものだし、無理に死刑を廃してみたところで、
結局は凶悪犯罪の現場で犯人を射殺するような代替の殺人に頼らざるを得ないようなことになる。

だからといって、「権力界隈に人を殺すを嗜むは付き物」などと開き直る所に、乱世の進行を招く
最たる元凶もまた存在するのであり、牛か羊を供儀に用いるのなら、せめて小さくて安上がりな羊で
済ませるなみに些細な所からでも、実際問題あり得る殺人行為をもできる限り最小限ならしめて行こうとする、
「たしなまざる」心がけはやはりなければならないものなのである。

返信する

011 2024/12/05(木) 10:40:26 ID:Myo75XRsjQ
長えよっ! 「貴子は自分のパンチィを下げ」まで読んだ〜

返信する

013 2024/12/05(木) 11:11:15 ID:sjuA1W1pjg
(^3^)/
(^3^)/
(^3^)/
(^3^)/

返信する

014 2024/12/05(木) 14:03:22 ID:Ov..nBYlGo
それで、おまえらもあいつの後を追うのか?

あいつこそが身を以てその覿面さを証明してくれた、
「瘡痔への反目」という手段によって。

返信する

015 2024/12/05(木) 15:01:43 ID:vSbSxZ5I2E
>>逆にキリスト教なんかは、物事の因果関係の圧倒的な破綻こそが信仰対象となっている宗教
これどういう意味なん?

返信する

016 2024/12/05(木) 17:18:27 ID:Ov..nBYlGo
妾腹の私生児イエスの、身代わりの刑死と引き換えに、強盗強姦殺人犯のバラバは放免、
イエスも死後によみがえって天国に召されたという。
人類史上、これほどにもピンポイントかつ徹底的に許すべからざる、
因果応報の否定の限りを尽くした逸話も他にない。

そんなものを信仰すればこそ、犯罪被害者への配慮なども十分たれるような、
人の心を失うのと引き換えに、あらゆる罪悪感による苦しみをも喪失してかかることができる。

かように、物事の因果というのは、愚か者によって見失われがちなものであるのみならず、
カルト信仰などによってあえて目を背けることまでもが時に講じられるものなわけである。

返信する

017 2024/12/05(木) 17:47:49 ID:vSbSxZ5I2E
バラバは助けられた後、熱心なキリスト教徒に生まれ変わったという話ですよ

返信する

018 2024/12/05(木) 19:45:28 ID:vSbSxZ5I2E
キリストが死ぬときに発した「我が神、我が神。なぜ私をお見捨てになったのですか?」って言葉は
とんでもない矛盾を抱えてるけど、よくこれをキリスト教徒は受け入れてるよなって
すごい不思議ですわ
そらムハンマドの言葉のほうが信じられるってもんだ

返信する

019 2024/12/05(木) 20:48:52 ID:sots/QgVnw
明治の始めに、キリスト教の伝道がようやく黙認された中、活発に伝道がなされていきましたが、
それに反発する仏教徒の間で、キリスト教を批判するための数え歌のようなものが作られました。

その中には、キリストは死に臨んで神に泣き言を言った。
そんな奴を信じている連中は何と愚かなことか、という一節があったのです。

それはまさにこの「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉のことです。

死に臨んでも泰然自若、従容として死を受け入れるということをよしとする感覚が強いこの国において、
この主イエスの最後の言葉は、見苦しく情けない死に様と受け取られたのです。

そういう感覚は今も、私たちの中にもあるでしょう。
だからこの言葉に戸惑いを覚えるのです。

返信する

020 2024/12/05(木) 22:15:56 ID:Ov..nBYlGo
エリエリレマ砂漠谷
そこは信仰による心神喪失を欲している者たちからすれば、
より共感を得られる場面である一方で、
正気こそが楽しみな側からすれば、
よりいかがわしい痴態にしか思われないハイライトだからな。

その向こう側でこそウカれ狂いたい痴れ者たちにとっては、
すでに越えた障壁扱いともされてきたのだ。

返信する

021 2024/12/06(金) 10:51:23 ID:YPa1GpNxIY
>>10の続き)
孟子の大師匠の孔子も、士官中に無礼者を職分に沿って処刑させたことがあるし、
孟子自身だって別に死刑廃止論者などであったわけではないが、
それでも、死刑と「人を殺すことを嗜まざる」もまた両立し得るものである。

近年の日本だと、宮崎宅間大月加藤青葉級の凶悪犯への死刑などに対して、
外野からやんややんやと殺意を露わにするような連中が無数にい続けて来たものだが、
当然のこととして、こういう連中たちへの死刑は免れ得ない一方で、
まさに自らが処刑の責任を負うような立場の者までもが、そんな軽率さであってもいけない。

被害者や遺族の気持ちを思えばとか、それなりに殺意を正当化することもできるが、
それでも、自分自身までもが人殺し好みと化することの不義を思えば、
明らかに許されない罪状の凶悪犯への処刑といえども、好き好むことまでは許されない。

それは結局、自らもまた死刑囚たちにメンタルを取り込まれているということでもあり、
引いては自分までもが、どこかで必要もなく人を殺す悪因悪果の取っ掛かりとも
なり得るものであるが故に、「あんな奴らと同類になってたまるか」という
気高さによってでも、避けて通るべき途なのである。

返信する

022 2024/12/06(金) 12:00:00 ID:YPa1GpNxIY
死刑どころか、戦時の大量殺人が絡む領域においてですら、
「人を殺すことを嗜まざる」は決して不可能とまで言えることではない。

3000年以上前の太古には、「武」という文字も「矛を持って勢いよく進軍する」
という意味を持ち合わせていたのが、すでに征服が行き届いた領地の切り取り合戦が主体となった
春秋時代以降には「矛を止める」という意味にあえて読み替えられたが如く(「左伝」宣公十二年など)、
戦禍の中にもあえて殺傷を貪る道と、できる限り控えて争いを終わらせて行こうとする道とがあり得る。

すでに戦争すら起きてしまっているような乱世においても、後者の矛を止める武に専念するのであれば、
平時に失政などで不要な殺人を繰り返しているような者よりも「人を殺すを嗜まざる」に近いといえる。

孟子の子孫とされる竹林唯七が、かの赤穂浪士の討入で吉良に刀刃を突き立てる一番手ともなったように、
不穏な争いを収拾させることにかけて人一倍急進的たる、ということもあり得るし、必ずしも戦闘行為が
消極的でなければならないということすらなく、ゆえに武勇もまたそれなりに重んじねばならない。
これもまた文弱の臆病者こそが、平時の間接殺人級の腐敗を進行させるのとは裏腹な点だといえる。

返信する

023 2024/12/06(金) 17:14:57 ID:YPa1GpNxIY
近代以降の反幕政府によるプロパガンダもあって、
武士といえばとかく血みどろの殺伐を好き好む野蛮人だった
かのように広く思い込まれているものだが、それがほぼそのまま
事実だったといえるのは鎌倉初期ぐらいまでで、そこからずっと武士たちも
戦乱の中に道義性を模索して行く求道性を兼ねた軍政を積み重ねて行き、
戦国時代ごろには矛を止める武者ならではの英雄性を標榜するのが
各国の武将たちの嗜みとなった上で、ついには天下が平定され、
江戸時代以降は近現代以上に、この世における文武を問わぬ実質的な
殺傷行為の総量が厳しく制限されて行く世をも実現するに至ったのである。

いざとなれば、自らが血しぶきを浴びるような接近戦も辞さなかった上で、
介錯人や目付役でもないような部外者が、妄りに切腹の場に居合わせない
ようにするなどの、血の穢れを不必要に好き好んだりしないわきまえもあった。
それは結局、最遠方からの間接殺人を平気で貪る現代の権力者などよりもはるかに、
直接間接を問わぬあらゆる殺人行為を最小限に留めて行く心がけにも直結していたのである。

返信する

024 2024/12/06(金) 18:58:52 ID:YPa1GpNxIY
俺自身は、人の死について語るに際しても、
つとめて真摯であるよう心掛けているというのに、
そんな人の考えも無視してのレッテル貼りもまた、
相手のことなんか何も理解していない、する気もない上でのストローマン論法。

あるいは、自分たち自身が人の死なんかについて語ろうとすれば、
正常性バイアスと共にふざけ気味にしか何も語ることもできないぐらいに
心が弱いものだから、そんな自分たちと照らし合わせた結果、人の死について
語った相手を即、不埒者と決めつけて叩かないではいられないのだろうかな?

返信する

026 2024/12/06(金) 22:38:44 ID:YPa1GpNxIY
本当に、もう命を粗末にしないで、自分の。

返信する

027 2024/12/07(土) 10:41:02 ID:4lBkBoVi82
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/obs/159219...
指名手配犯、八田與一の目撃情報が8367件を突破。
あまりにも多すぎてかえって参考にならないほどにも、
日本中が人殺しに十分な罪悪感も抱けないような
オナメン顔貌の持ち主ばかりで占められている証拠。

それらが皆、スレの主題のような間接殺人に手を染めているわけでなくとも、
いざとなれば闇バイトでの強殺などにも平気で手を染められるほどの予備加減でいる。

ここ30年の日本でそんな人種ばかりを殖やし続けて来た
統一自民やオールドメディアの振舞いこそは不埒さの極みでもあることだし、
それは紛れもなく支配層からのトップダウンな統制によって招かれた事態である。

他人に厳しい一方で自分には甘く、肉体労働の一つも忌み嫌うほどの惰弱さ
だったりもするために、他社への危害で儲けをせしめるような度し難さだけでなく、
真面目に働こうとした所でろくな生産力にもならないといった救いのなさもまた
兼ね備えている。それもまた今の世の権力者たちの生き写しな所であろうし、
上に立ってはいけない部類の人種が上に立つことの害たるや、
最底辺の下々に至るまで行き渡ることが決して免れ得ないのである。

返信する

028 2024/12/07(土) 21:33:22 ID:4lBkBoVi82
近代以降の日本もまた、それ以前に取った杵柄としての民度の高さを
人材面での資本として発展躍進して来た一方で、権力機構はむしろ、
常人以下の下衆ばかりに乗っ取られて、戦前にもすでに孟子のいうような
失政での間接殺人などが、特に地方への極度の冷遇などによって数多
繰り返されていたもので、戦後もさような風潮は全く是正されることもなく、
そのせいで、近世までに培っていた民度の高さもついには、国のこれ以上の成長や
維持までは担保できる残量ではなくなった挙句の、破綻の危機に至ったのである。

今でも日本の一般庶民が、人を殺すことを嗜まざる傾向で世界最高水準にあるのは
変わりないために、法治の強化などに頼るまでもない犯罪発生率の低さなどが
かろうじて維持されているものではあるが、なればこそ、権力者たちがそこに甘えての、
なみの国以上の虐政に及ぶことにすら余念がない。ゆえに近代以降の日本という国は、
政治行為だけに限れば世界最底辺、なんなら無政府状態のソマリア未満といっても
過言ではないほどの有害無益さばかりであり続けて来たということすら言えるのである。

返信する

029 2024/12/07(土) 21:35:39 ID:4lBkBoVi82
近代以降の日本もまた、それ以前に取った杵柄としての民度の高さを
人材面での資本として発展躍進して来た一方で、権力機構はむしろ、
常人以下の下衆ばかりに乗っ取られて、戦前にもすでに孟子のいうような
失政での間接殺人などが、特に地方への極度の冷遇などによって数多
繰り返されていたもので、戦後もさような風潮は全く是正されることもなく、
そのせいで、近世までに培っていた民度の高さもついには、国のこれ以上の成長や
維持までは担保できる残量ではなくなった挙句の、破綻の危機に至ったのである。

今でも日本の一般庶民が、人を殺すことを嗜まざる傾向で世界最高水準にあるのは
変わりないために、法治の強化などに頼るまでもない犯罪発生率の低さなどが
かろうじて維持されているものではあるが、なればこそ、権力者たちがそこに甘えての、
なみの国以上の虐政に及ぶことにすら余念がない。ゆえに近代以降の日本という国は、
政治行為だけに限れば世界最底辺、なんなら無政府状態のソマリア未満といっても
過言ではないほどの有害無益さばかりであり続けて来たということすら言えるのである。

返信する

030 2024/12/08(日) 12:36:15 ID:9PAHyKntUs
日本の政治家たちも統一教会経由で見習わされて来ただけあって、
まるで日本のよう且つ、日本以上に茶番の様相を極める韓国政治。

茶番だからといって人が死なないわけではなく、むしろ日本以上に死ぬ。
平時の文治が人の命を軽んじることと、茶番まみれであることは少しも
相反することではなく、むしろ同一不可分と言っていいものですらある。

近ごろオナニーメンタル、オナメンという言葉で特に表現することが多い
不埒さこそが、人間社会における無益な死や不幸をより増大させる最たる
元凶であるが故に、それが政治行為などとしては眉を顰めたくなるほど
醜悪で見苦しい茶番として表出するものでもある。

そこで傍観者側までもがその、つまらないバラエティ番組のような
腰砕けさに取り込まれて、真面目にものを考えることもできなくなったり
する所に、オナメンの感染からの世間中での蔓延までもが招かれるもので、
すでにそれが相当に深刻な域に達しているからこそ、指名手配犯八田與一の
ようなオナメン顔貌の持ち主もそこら中に溢れ返ることとなってしまっている。

返信する

031 2024/12/08(日) 12:49:10 ID:9PAHyKntUs
自分がオナメンやオナメン顔貌に成り果ててしまったに際して、
特に直接的な人殺しへの覚悟などを抱いたこともなければ、
そういう殺伐さの現実社会での蔓延などを好んだこともないという
人間がほとんどに上るだろうが、にもかかわらずではなくだからこそ、
お武家さまのような厳粛さに欠けるが故の、この世における緩慢な
間接殺人を増長させて行く側の人種と化してしまっているものである。

文鮮明や一部の在日パチ屋なども、長らく平和主義者を標榜して来たように、
そういったオナメン加減こそが平和の象徴だなどとまで顛倒しての傲り高ぶり
にまで及んだりすることすらあるもので、そこから直接的な斬った張ったも
辞さないでいた昔の武家や帝国軍人や武闘派のヤクザなどを卑しみつつ、
自分たちこそを模範的で先進的な文明人であるなどとも思い込む。

その先にあったのが、おまえらこそは平時の文治を、国の持続も不能なほどの
壊乱に陥れる間接殺人好みの兇徒だったという事実の露呈である。そこに
武士や軍人はおろか、昭和あたりのヤクザ以上に人の命を粗末に扱う最悪の
殺伐さが潜在していることにこそ、恥を知らねばならぬのである。

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:323 KB 有効レス数:201 削除レス数:803





とりあえず掲示板に戻る 全部 次100 最新50

スレッドタイトル:「うまくやってる死刑囚」だらけの世

レス投稿