残念ながら、近代以降の日本では、そういう意味での「権力犯罪者のボス」
ばかりが跋扈し始めたもので、それが兵站軽視なままでの戦線拡大による
先の大戦での自滅も同然な敗戦を招いたものだし、戦後もまたそういった
性向が正されることはなく、有事とまでは行かない世の中において、
真綿で首を締めるように緩やかな危難を招き続けているものである。
そこで、
>>334画のリーダー的な立場の人間をより尊んで、
自らがそこに及ばぬ場合には下手シタテに回ることも受け入れる神妙さが
誰しもに具わりながら、画像のボス的な立場となる者が、そこに至らぬ身の程をわきまえて、
そうである以上は万人への保護を最優先課題として行くようにもなるべきである。
今の日本で、社会的上位者に対して向けられているような敬意は、
自らこそが最大級の、切腹級の厳しさも受け入れる方々に限って向けられる
ようになるべきであり、当然今の上位者気取りのうちにそんな人間はいない。
昔なら武家や聖道門の仏僧がその役割を担っていた一方、庄屋や商家の番頭などは、
自分たちがそこまでの身の上ではないことをわきまえて、今の会社経営者
などよりは底辺の小百姓や丁稚に至るまでの最低限の保護に勤めていた。
そういったあり方が、多少の制度上の相違はあっても取り戻されて然るべきなのである。
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