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若き日の信長が、自ら先陣斬って桶狭間の今川本陣に切り込み、
一騎当千の働きで大将義元の首を討ちとり名を挙げたかの逸話なども、
それだけを見れば大変なリーダーとしての雄姿であったものだが。
天下に名を馳せる有力者となって後には、秀吉や家康らをパシリとしてこき使ってのボス三昧と
化したために独裁支配を強め、ついには謀反により志し半ばでの惨死という憂き目にあったのだった。
その後釜に半ば強奪の形で成り上がった秀吉もまた、加齢後には老耄による増長も
あっての独裁化を来たし、強引な朝鮮出兵で多くの武将からの反感なども買ったせいでの、
死後の勢力大分断からの関ケ原、大坂の陣による御家断絶にまで至らざるを得なかった。
上の二人と比べれば、パシリ同然の扱いでの臥薪嘗胆な活動が長かったために、
地味な事績ばかりしか見受けられないように見える、にもかかわらずではなくだからこそ、
家康公は生涯にわたってボス以上にリーダーたり、独裁支配の害毒を幕府に少しだって
遺すことなく生涯を終え、後の世を末永く圧制からかけ離れた心地良さたらしめたのである。
結局のところ、世の中で最上級の実権者たる者こそが、最大級の苦労人でもあればこそ、
さような健全な最終勝利者の条件をも満たすものなのであり、「苦労なんて人に押し付けてなんぼ」
が信条な不埒者などによる勝ち上がりをまず避けるのが、やはり肝要ともなるのである。
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