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「求道か、さもなくば頽廃か」という時代
偉大なる生存の報告 Part327
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266 2025/04/21(月) 10:18:24 ID:vdUnF3IyWk

大地主のドラ息子なみの道楽者に限らず、
自らの人生と求道性なんかが全くの無縁なものであると
決め込んで来たような現代人からすれば、
人が求道的であるということには少なからず、
気違い的な印象をも抱かされかねないものである。
「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、
父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺し、始めて解脱を得ん」(臨済録)
実際には、父母への孝養をも尽くしていたという臨済和尚の事績を見ても、
これはあくまで仏道への志しの峻厳さの比喩表現であることが確かなのだが、
(故にこの言説を金閣寺放火の正当化材料にしていた三島の文学表現なども不当である)
こういう比喩が適当化してしまうほどにも、煩悩の汚濁を降してかかる域の求道には、
毒を以て毒を制すが如き怒気が時に必要なものとなるのである。
今の日本で内憂外患の徒が抱いている害心の旺盛さなどを、
さらに上回ってかかるほどの激情を以て求道に取り組んで行くぐらいで初めて、
連中のもたらす危害を撃退できるだけの武断と共にでも、心の平静さを保つに足る。
故に始めから近頃のヨガ教室のようなリラックス志向などでも許されないのである。
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