
高畑勲も宮崎駿も、手塚治虫ですらディズニーの猿真似止まりに留めていた
日本のアニメをそれ以上の芸術作品ならしめた、国内外を問わぬ
史上最高峰のアニメーターであるのには違いないのだが。
如何せん、まだアニメーターが漫画家の兼業扱いで、
ちゃんとした仕事のうちにも入れられていなかった頃からの叩き上げなせいで、
自分たちがアニメという媒体で成し得ようとしていたもののハードル自体が低い。
火垂るの墓における高畑であれば、あくまで日本人向けの反戦平和志向。
宮崎駿が各作品に織り交ぜて来たのも、日本国内に向けた環境保護志向。
非常にドメスティックで、日本という国にアイデンティティを持ち合わせている
ような人間でもなければ深く感じ入れられないような形でそれらのメッセージを
作品に込めているものだから、外人が見ても、映像表現やシナリオの作りの良さに
感嘆させられるようなことはあっても、件のようなメッセージ性まではうまく伝わらない。
そのため、多くのアメリカ人らが火垂るの墓に泣かされようとも、そこから本気で
国を挙げての反戦平和に取り組んで行くようなこともないし、ジブリの作品を
アニメのお手本として崇めてている中国人なども、絶大な環境破壊を伴う工業生産で、
世界規模での温暖化などを劇的に加速させて行くことに躊躇も抱かないでいる。
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