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>>170の続き)
自分が平静よりも興奮に心の救いをみい出してしまったり、
もはや興奮にしか救いがみい出せなくなってしまったりしているか否かが、
三悪道以下と三善道以上、異生羝羊と愚童持斎以上へと人々の
心のステータスを分断する一大特徴になっているとも言える。
愚童持斎以上でも興奮に楽しみを感じることぐらいはあるし、
異生羝羊でも心の健康のためにと平静を尊ぼうとすることはあるが、
心の底から最も尊重するのが平静か興奮か、という点で致命的な相違がある。
たとえば、日本古来の神仏崇拝に基づく伝統的な祭りの中には、
喧嘩神輿のように相当な荒くれ加減で興奮を喚起するようなものまでもがあるが、
そういうのは、平静のほうをより重んじたうえでの「厄落とし」として営まれて来たもの。
それ故に、異生羝羊なみの心持ちの人間などは、そんな一過性の興奮だけで満足できる
こともなく、年がら年中同程度以上の興奮を提供してくれるテレビのスポーツ観戦だ
バラエティだパチンコだに入れ込むことのほうに、より魅力を感じたりすることにもなる。
ただ、そういった不健全なほどに興奮を貪りたがる異生羝羊向けのコンテンツというのが、
あまりにも下劣すぎてつまらないというのが近年は知れ渡り始めたために、テレビなども
オールドメディア呼ばわりで村八分扱いを受けるのが常態化している。平静も興奮も
どちらもあれど、平静が主、興奮は副という処に、人としての最大の楽しみもまたあるが故に。
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