
西洋においては、英雄的で勇猛な人間というのは少なからず
「残虐すぎて弱い」という性向を持ち合わせてしまうのが当たり前という
価値観が通用して来たために、それを前提とした「ペンは剣よりも強し」的な
文弱正当化の文化性もまた別個に育てて来たし、その実践として文民統治を
政治体制の根幹に据えるような取り組みにも及んできたのだった。
ホームズやポアロが暴力抜きの推理一つで凶悪事件を解決に導くような姿が、
大剣振り回してキュアっと解決!!なんかよりも文明的で優れているとする。
もうだいぶ前から軍事面では覇権争いの一線を退いているイギリスのみならず、
アメリカやロシアでもある程度は、暴力が自滅につながる危険性を忌むが故に
精神性の根幹に据えたりするのまでは避けるような常識性がある。
東洋社会にも古来、文>武とする儒教的な価値観があれど、
「兵は不祥の器にして、君子の器にあらず。已むを得ずしてこれを用うれば、恬惔なるを上なす」(老子)
あたりを取っ掛かりとして、武そのものから「残虐すぎて弱い」を徹底排除してかかる流れもまたあり、
武家時代の日本に至っては剣禅一如などの形で、その完成系に達することともなった。
近代以降の日本たるや、さような「残虐すぎて弱い」を全廃した武を反幕と一緒くたで
否定した上に、兵事全体とともに「残虐すぎて弱い」を隔離してかかる西洋のやり方にも
うまく順応しきれなかった結果、世界最弱級の国情を招くに至ったのである。
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