>>139で挙げた老子の言葉こそが、
「残虐すぎて弱い」という匹夫小人や女子供が陥りがちな悪癖そのものを
排することで、世の平和や繁栄を企図する東洋社会の取り組みの発端となった一方、
西洋社会には、ヘラクレイトスのような類似の思想の提唱者がいたといえども、
その思想が社会統治の理念として大々的に取り入れられるようなことが終ぞなかったために、
「残虐すぎて弱い」という性向の蔓延自体は避けられないまま、どうにかして
その害を埋め合わせて行くマッチポンプ的な歴史の積み重ねが主となった。
その結果が最終的に、今までに積み重ねられて来た善政による人口力や民度の確保という点で、
圧倒的な格差を両者の間にもたらし、いくらローマ帝国の焼き直しにすぎないアメリカなぞが
チートまみれな金融や軍事力での世界的覇権の保持を試みようとも、所詮は底力の面からの
限界によって潰えざるを得ない、という事態を招くこととなった。
要は「始めに毛筋ほどの誤りでもあれば、後々に千里ほどもの過ちとなる」(易緯)による敗亡。
別に東洋社会もまた必ずしも「残虐すぎて弱い」の社会的蔓延を防ぎきれて来たわけでもなく、
儒教狂信状態と化してからの中朝における残虐な文官の跋扈による自滅的亡国の繰り返しなどは
まさにその最たる代表例であるわけだけれども。それでも始めから「残虐すぎて弱い」への
警戒や抑制に勤めて来た側と、そこは野放しな上での対症療法ばかりに終始して来た側とでは、
致命的な勢力格差による雌雄を決するほかなかったのだった。
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