
あくまで、人様の眼前に敵対者として立ちはだかってくるような不埒者に限って、
言刃コトバの手裏剣の雨あられでの、一方的な殲滅の対象ともするのであって、
決して誰かれ構わず戯れに、などという凶刃漢状態なのではない。
むしろ、そんな殺伐とした争いごとは好き好まないからこそ、
圧倒的殲滅でさっさと済ませとこうとしているのであって、自らの本分はあくまで
その後の世の中の平和や繁栄の実現のほうにこそあるのだとかたくわきまえる。
それが結局、北条早雲がその一文を読んだだけで武の真髄を悟ったともいう、
「三略」冒頭で収攬が責務とされている「英雄の心」にも通じるものである。
その心なくして、争いに際しては一方的殲滅あるのみなどという思いでいれば、
昨今のトランプやネタニヤフのような狂乱加減にも陥りかねないし、
古来より多くの独裁的支配者らが、そのダークサイドに堕ちての敗亡に見舞われて来た。
「争いこそを好む+一方的殲滅あるのみ」などという志向性に、
人間という生き物の心も社会も耐え続けられるようになどはできておらず、
そのため英雄は前者を棄てての仁徳志向たらんとする一方、匹夫小人は後者を棄てて、
文治の領域にまで及ぶ緩慢とした争乱状態を続けた挙句に、真綿で自らの首を締めるが如くなる。
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