
古代の中国にも荀子のような性悪主義の儒者がいたが、
その教えを韓非経由で実践した秦帝国も、あっという間に滅んだ。
性悪主義を本分とする以上は、それを大前提とした法制での雁字搦めを
国全体に敷かざるを得ず、その作為的支配の分量が、もはや
運用不能な域に達しての破綻をどうあっても招かざるを得ない。
故に「国まさに滅びんとするや、必ず制多し(左伝」とも。
自由主義や民主主義のような欧米産の聞こえのいいイデオロギーも、
極端にコスパが悪いせいで、ユダヤ政商のような亡国の元凶となる
ならず者たちからの経済的支援を受けないでは済まないうえに、結局のところ
キリスト教由来の性悪主義などを大前提としているせいでの法治主義まで兼ねて来た。
それを立憲主義のような、これまた聞こえはいい部類の政治思想や
その実践で美化しようとも、結局は秦帝国などと同じように、
法制の山積が祟っての破綻という宿命から逃れられないままに終わっている。
性善主義を是とするのであれば、そもそも封建制における暴君の出現などを
必然の宿命と位置付けたりする必要もなく、故に民主主義こそを絶対正義だ
などと断ずるべきでもなくなる。さような思い込みの根源の所にも
性悪主義があるのだから、そこからの法治主義との結託もまた不可避たる。
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