三島由紀夫は武士を「崇高な野蛮人」と呼んでいたし、
帯刀も排して文民統制を徹底しているような近代社会の観点からすれば、
武家時代の日本などは少なからず野蛮で、土人社会に近いものとも思われがちである。
それはある意味、全くの間違いでもない。
アフリカのマサイ族が古来、槍一本でライオンを仕留められて初めて一人前の大人扱い
していたのとも変わらないぐらい、人間たち自身の生身からの武力を尊んでいた時代
だった程度には、そんな素養など総員で放棄している今などよりも土人的ではある。
しかし、一方で数千万の人々が、江戸のような世界最大級の都市まで形成しながら、
(それも利根川東遷のようなきわめて壮大な文明的開発あっての上でのことである)
当時の日本社会もまた営まれていた。高等数学や電機文明なども「やればできる」を
示す程度には開発していたし、文明的な所はちゃんと文明的であった上でのことである。
文明的だからといって、土人的であることの完全な上位互換であることをも諦めない。
極端な迷信を信じ込んでいたりするような、土人社会の悪い側面は廃する一方で、
生身で猛獣をも凌駕できるような良い側面までは決して放棄せず、その保守に勤めていた。
文明による惰弱化などを決して許すことなく、あらゆる面で先進的あろうとしていたのが
近世までの日本人であり、それゆえに惰弱化を補うような文明化では西洋に後れを取って
いたとはいえ、それをただただ遅れていたなどと見るべきでもないのである。
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